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2月, 2022の投稿を表示しています

孤独の原因は

 『ミラーニューロンの彼方へ~支配からの解放』大嶋 信頼 著 帯には、半自伝、天才カウンセラーの秘密を公開!とある。 大嶋氏のことは、『催眠ガール』という小説で知った。無意識について、分かりやすく、かつ面白く紹介してくださる。 彼は、エリクソンの流れを汲む現代催眠の師匠から催眠療法を学んだが、現在は独自の療法で多くの症例を治療している。 私が習っているのは伝統催眠であり、手法は大幅に違うのだが、とても参考になるので、大嶋氏の本は楽しく読んでいる。彼の本の中に出てくる、スクリプトの美しさは格別である。読んでいるだけで催眠に入ると、セラピスト仲間の間でも評判だ。 さて、冒頭の本を偶然本屋で見つけ、嬉しくてスキップしそうになりながら帰宅した。大嶋氏のアメリカ留学時代の気付きが興味深く、日本とアメリカの潜在意識の違いなど、驚かされた。 その中で、特に大きな気付きだなあと感じたのは、恐れと嫉妬の関係である。 「相手の話を聞く前に、「わからない」と頭の中で一言唱えてから相手の話に耳を傾けてみると相手の本音が聞けるようになるというおもしろい体験をしていたら 「なんだ!白人に生まれ変わったって孤独は変わらないぞ!」ということを発見してしまった。 いや、日本にいた時よりももっと強烈な孤独。(中略)まるで、天体望遠鏡で土星を見た時に真っ暗闇にポツンと星が浮かんでいる、あれを見た時の恐ろしい感じ。」88~89頁 「大嶋さんの中にあった恐れというものがみんなの嫉妬心を誘発するものであった」 「日本は地震、津波や台風、そして火事などが多いため、災害に対する恐れがベースにあると考えられる。そのため、ありとあらゆるものを神として祀る八百万の神というのがあって、神を畏れるという文化があったのかもしれない。(中略)この恐れというものが、リスペクトの正体なのでは?と私は考える。」 「私の中でリスペクトは美しいと思っていたのに、それが恐怖から生まれているという仮説が立てられ、その恐怖でみんなの嫉妬を誘発していた、という衝撃的な事実を目の前に突き立てられたから。」 「ビスマルクの「神を怖れよ、そして、他のどの人間も怖れるな」という言葉が浮かんできた。 なるほど、その精神があれば人に対するリスペクトは必要なくなるな、と思いながらも、自分がこれまでしがみついていたリスペクトはもっと美しいものになるような予感が

花を咲かせる

 世の中には、戦争をしたがっている人がいる。 信じたくないが、何らかの価値観に依ると、それがその方たちの正義なのだろう。 コロナ禍が始まった時、世界を牛耳る方々のシナリオがあり、いずれ戦争も起こると様々な場面で語られていた。世界を統一し管理し尽くしていくことが、その方々が考える理想なのだとか。 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。 先日、抄読会にZoom参加した。一冊の本を一章ずつ皆で読み進めながら、考えを述べ合う。どんな感想も否定されることなく受容される心地よい時間だ。 参加者が、みなヒプノセラピストなので、受容と相手に対するリスペクトは染み付いた習性となっている?おかげか、皆様個性的で、予想を上回る発言に、脳がブレイクスルーを起こしまくる。 当たり前のように語られる宇宙人体験にも、度肝を抜かれるが、こんな話題を馬鹿にされることなく聴いてもらえる場が嬉しい。(実際、退行催眠をすると宇宙人の前世を思い出すクライアントは少なくない。) 宇宙人は、いるかもしれないし、いないかもしれない。 その抄読会に、仏教のお坊様が参加されていて、やり取りが興味深かった。 「ロシア側は、平和のために攻撃すると主張しているんですよね。」誰かが発言。 お坊様は「平和とは、必ず対極が生まれますね。平和を求めると、平和でない状況が生まれてしまうのです。例えば反戦運動も、対極を生みます。」 ああ、深いなあ。地球は、二極から学ぶ研修センターみたいなものだから、そうなんだなあと納得。 それぞれが正義を主張し合えば必ず争いは起きるのだ。 国家間の争いを想定すると、分かりにくいから、私たちに引き寄せてみるとよいかも。 私は、司会者から発言を求められ、 「なぜ、このようなことが世界で起きてしまうのか、考えていました。ある日、どなたかが、Instagramでこのように語られていました。 戦争は、私たち一人ひとりの心の中の争いがつくります。と 私の中に確かに争いがありました。 私自身に対しても 家族に対しても 現実は鏡なのかもしれません。」 他の方の意見は 「自分の地球転生前を思い出すと、宇宙すべての情報にアクセスできていて、何でも分かっているのです。分からないのは、○○という感情がどんなものかということ。私たちはそれを体感したくて、地球に生まれてきます。例えば、私は、恋愛感情、あの、キュンとするトキ

ブルーレイだったのかな

 スターシード、ライトワーカーなど、聞いたことはあるだろうか。 地球のアセンションをお手伝いに来た、宇宙由来の魂のこと。 インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボーチルドレンなど、地球の波動を上げるために、活躍する子どもたち。 上記の個々のワードについては、世の中にたくさん情報が溢れているので、気になる方は、ググってほしい。 私自身は、微かな宇宙記憶もあり、スターシードではあるだろうなあと感じてきたが、いろいろ調べてみると、ほとんどの魂は、宇宙を股にかけて転生しており、純粋な地球人であり、他の宇宙の星を体験していない魂は、ほとんどいないようだ。人類みなスターピープルだと言ってよいかもしれない。 地球アセンションを楽しみに今世に転生してきた宇宙由来の魂たち。今、人間をやっていることは、プレミアムチケットをゲットしたくらい貴重なことらしい。 アセンションするとは、三次元の地球から次元上昇すること。より、宇宙源の波動に近づくこと。すべては愛の波動であり、もとはひとつであることを思い出すこと。より調和した平和で美しい世界になっていくこと。 この、宇宙計画に基づき、アセンションを可能にするために、従来の二極化により固まった世界を壊し、光を届けに来ているのが、○○チルドレンたちだ。 最初に社会常識を壊しにやってきた、戦士魂のインディゴ(1970~1980)たちが、スターシードの走りとされていたが、実は、1940~1970年代に、先駆者として、送り込まれた魂たちがいた。ブルーレイ(蒼い光)と呼ばれる彼らの魂は、本当に蒼く輝いているそうだ。 ブルーレイの特徴は、 平和で穏やか。根っからのヒーラー体質 困難な家庭環境に揉まれた人生 家族の問題に関わり続けている 居るだけで、まわりを癒す。存在だけで、地球に貢献している 木の性質(根を張りどっしり動かない) エネルギーを分け与えてしまうため、疲れやすい ブルーレイは、癒しの存在として地球の波動を調整してきた。次に続くインディゴやクリスタルたちが生きやすいように地盤を整えるのがお役目だった。 いままでは、地球常識に翻弄され、人のお役に立たねばと、苦しみながら頑張ってきた人が多いが、これからは、自分のエネルギーを守ることを大切にしてほしいそうだ。時代は変化した。ブルーレイは、既に、存在するだけで、お役目を果たしている。もう、頑張

心の同伴者

 先日、とあるクライアントの退行催眠のセッションをさせていただいた。 過酷な人生を体験された方で、今回、勇気を振り絞り、その場面を再体験され、閉じ込められたエネルギーを解放した。 苦しい場面で、クライアントは、辛い感情を甦らせ、涙を流した。 夢中で誘導をさせていただき、セッション終了後の面談で、クライアントから質問された。(彼女は、プロのセラピストでもある。) 「とても寄り添ってくれて、ありがとう。私はネガティブな感情をいっぱい出してしまいましたが、あなたは気持ちが悪くなったり、しませんでしたか?大丈夫でしたか?」と。 クライアントの内面に反応してしまうことを逆投影と言う。セラピストの中にクライアントと同じネガティブエネルギーがあると、セッションを通じて、セラピストも引きずられ、具合が悪くなったりするのだ。だから、セラピストは、絶えず自身の内部をクリアにする努力が求められる。 また、クライアントに共感はしても、同情してはならない。クライアントには、自身の力で問題を解決する力がある。クライアントをリスペクトすることだ。決して可哀想だと思ってはならない。それは失礼なことになる。 そのために、クライアントの感情の渦に巻き込まれ、セラピスト自身が我を忘れてはならず、いつも、客観視できていなくてはならない。「あなたは、こう感じているのですね。」と。そのためには、適度な距離感が必要となる。 「あなたは、セラピストなのです。あなたの役割を忘れてはなりません。」セミナーで、泣いてしまったセラピストに対し、講師からアドバイスがあったのも忘れてはいない。 そして、今回。 やはり、私は、泣いていた。クライアントと共に、涙を流した。催眠中は、セラピストもクライアントも潜在意識に入るので、意識が共有されることがある。クライアントの感情が痛いほど伝わってくる。 「あなたは、こんな心の痛みを抱え生きてきたのですね。」私は、クライアントへの尊敬の気持ちでいっぱいになる。そして、痛みを共に感じて涙を流す。 セラピストとしては、失格だと思う。もっと客観的でなくては、もし一日に何回もセッションがある場合は、心が持たない。 (実際に、このセッション後、クライアントは丸一日、ぼ~っとしていたそうだ。感情解放のエネルギー消耗は大きい。クライアントは、それだけ、フルマラソン並みの頑張りをされている。) しかし、

言葉と声のチカラ

 以前、blogに 言葉は宇宙音   という意味のことを書いた。 自分神様に和歌をつくってもらうチャレンジで、伝わってきたメッセージが、いわゆる言霊のことだった。 言葉は宇宙音 宇宙音は宇宙エネルギー 宇宙エネルギーは万物を生かす力 万物を生かす力は  愛 だから、あなたが発する言葉には愛を乗せなさいね。 というような意味のメッセージだった。 言霊について、もっと知りたいなあと思っていたら、本屋で偶然こちらを見つけた。 『言霊〈光透涙〉の世界』宿谷直晃 他 著 今朝、読み終えたのだが、 コトバは、宇宙源の意識(この本では神)が、宇宙の真理を人間に伝えるために降ろしてくれたアイテムだったそうだ。太古の昔、コトバは正しく使われていたから、神と人間は意思の疎通が出来ており、世界も調和していた。しかし、だんだん、コトバが乱れ、波動を落とし、我欲にまみれた世界になっていった。とか。 神代文字の紹介もあり、読みごたえのある興味深い一冊だった。 言霊と言えば 一昨日、とある方からメールの返信をいただいたのだが、 私のメールに対し「あなたの文章には、言霊があり、癒されてスッキリする。」と、言っていただけた。 あまり意識して書いたメールではないが、無心であり、また、愛や尊敬の気持ちで書いていたことは確かだ。 言葉には、言霊が宿るのは、本当なんだなあ。そもそも、神様が私たちにプレゼントしてくれたアイテムなのだから、人を元気にしたり、幸せにするような愛の働きがあるのは、当然なのかもしれない。 ただし、もし、言葉を本来の神様の意図で使わなかった場合は、言葉の乱れとなり、人を絶望させたり、怒らせたり、悲しませたり、頑なにさせたりするのだろう。そして、自分さえ善ければという、冷たい世界を創り上げていく。 自分神様から あなたが発する言葉を大切にしなさいね。 と、伝えられたのは、こんな意味があったのかもしれない。 もう一冊見つけたのは 『人生を好転させる声のみがき方』日本声診断協会 中島由美子 著 こちらは ヒプノセラピストとして、クライアントに安心していただくために、声の研究もしたいなあと思っていたので、手にしたもの。 声の波動について、書かれている、面白い本。内面のエネルギー(波動)が、そのまま声という乗り物に乗って発せられるそうだ。 何と、声診断ソフトが無料ダウンロードできるので、大まかに

決意の記録

 昨日、寒い地方にいらっしゃる、催眠療法仲間とメールでやり取りした中で 私は、主にガン患者様の役に立ちたい。自分の経験を活かして寄り添いたい。 と、決意表明をした。 メールの相手も私と同じガン経験者であったため、なんとなく、この話をしてみたかったのだ。 彼は ガン患者の ガン患者による ガン患者のための療法 あなたの経験を活かして、深いところで寄り添えるセラピストになるでしょう。 と、あたたかく励ましてしてくださった。 そのやり取りの流れで、一昨日自分が感じたビジョンを彼に伝えたくなった。 松任谷由実さんの『ひこうき雲』という歌を聴いていた時に、体感とともに沸き上がってきたビジョンだ。 肉体を脱ぎ、地上を縦横無尽に飛び回る。鷹のような視点になり、滑るように、高く低く、美しい地球を隅々まで堪能し 感謝と歓喜の気持ちで溢れんばかりのエネルギーとなり 「ああ、楽しかった!また、地球に生まれたい!」 と、言いながら、帰るべき場所へ還っていく場面だ。 もし、これが、催眠療法の中にある、近未来療法であるならば、3~5年後のビジョンかもしれない。 その時には、自由自在に意識を肉体から離せる(体外離脱)能力を身につけたということか、はたまた、地球卒業の場面なのか。単なる、曲から連想した想像なのかは分からない。 ただ、近い未来に 「あのビジョンは、この意味だったのか。」と思い出すかもしれないので、念のため記録しておきたい。 それに伴い もしも、地球卒業のカウントダウンが始まっているとすれば、(誰もが、生まれた瞬間から、地球卒業のカウントダウンが始まっている。意識するかしないかの違いだ。) 私は、具体的にどうしていきたいのか?を内面に尋ねた。 キーワードは トランスパーソナルな療法 科学的スピリチュアル メタ認知 声の波動 等を、さらに学び深め、私なりに組み合わせたセラピーを創りあげ、ガンや難病に苦しむ方々のお役に立ちたいと考えている。 イメージは、飯田史彦氏の『生きがいの創造』による姿勢だ。 施術は基本無償とし、現代医学や、統合医療の医師と連携しながら、私にできる部分で補完していく。 ホスピスや、患者の会などに出入りして、必要な方に必要な施術をしていく。 決意は、意思の発動なので、今、宇宙へ私の意思の波動が響き渡った。この意思が本当の私の望みであれば、必要な人や出来事を引き寄せるだろ

生命の本質とは

 催眠療法のセッションをしていると、魂の存在や、輪廻転生が当たり前のように、何の疑いもなく施術してしまう。しかし、この態度は、セラピストとしては一方的すぎるかもしれないと、反省。 セラピー前には、催眠とは何かをクライアントにしっかり説明をするのだが、その際に、クライアントが魂や、高次元存在について、どう思っているか、確認し、尊重しなくてはならない。 私自身、何回か施術を受けて、実際に前世らしき記憶が頭の中に描かれるから、そうなのかな?と思うだけである。魂の存在は100%確実だよ!と言う証拠は無い。 それにもかかわらず、前世療法により、潜在意識の深いところにアクセスしたクライアントは、大抵、大いなる気付きを得る。人生を肯定し、明るく前向きに生きる力を取り戻していく。 思い込んだだけだとしても、幸せになれるのであれば、療法としては有効だろう。思い込みとしても、魂の存在は確率50%は残されているのだから、あながち嘘でもない。あるかもしれないし、ないかもしれない。 催眠療法を受けようという人は、 「魂だって?どこにそんな証拠があるんだ!何の宗教だ?」と、頑なな態度で挑んでくることはない。そもそも、そんな人は催眠療法を受けないだろう。催眠療法は、本人の了解がなければ成立しない。決して強制できるものではない。 しかし、魂の存在について、半信半疑の人は多いだろう。世の科学者が誰一人証明していないのだから、当たり前なのだ。 このあたりを、今後どのようにクライアントに説明していけばよいか悩んでいたら、遺伝子の研究で有名な科学者の本に、なかなか良い表現を見つけた。 以下に紹介する。 「生命の連続性は、遺伝子レベルでも説明することができます。親の遺伝子は子に伝わり、子の遺伝子は孫に伝わっていきます。原始生命の時代から、このような遺伝子の継承を連綿と続けてきた結果として、いまの私たちが存在しています。ですから、私たち一人ひとりが、三十八億年の地球生命の歴史を背負っているのです。 それでは、生命の本質は遺伝子であると言えるのでしょうか。それは違うと思います。なぜならば、遺伝子は生物の設計図にすぎないからです。 (中略) では、生命の本質はどこにあるのか。それはよく分かりません。ゲノムのすべてを解き明かしたとしても、生命の本質を明らかにすることはできないでしょう。 魂というものがあるとすれば、

人間関係から学ぶ意味

 私は、催眠療法士として、クライアントの課題解決のためにセッションを行うのだが、 毎回、驚きと共に感動するのは クライアントの潜在意識のなかには、人生を俯瞰した目で見た、賢者の回答があるということだ。 前世療法や、年齢退行療法では、中間世と呼ばれる魂の戻る場所がある。ここで、クライアントの要望を確認しながら、ハイアーセルフや神仏などと対話していただくことができる。 飯田史彦氏の『生きがいの創造』では、トランスパーソナル誘導による、光の存在との対話が多く紹介されている。 光とは、神仏などの高次元存在と捉えることもあるが、私は「拡大された本人の意識」ではないかと思っている。 宇宙創造物はすべて源から発し、意識はつながり合っている。すべてはひとつである。 という概念から解釈すると、宇宙の叡智は、私たち一人ひとりの中にちゃんと入っていて、催眠状態になった時に、その領域に居る本人(いわゆる光)と繋がれるイメージを持っている。 これは、信仰がある人も無い人も、スピリチュアルな知識の有無にも関係なく、高い確率で、光からメッセージをもらっている実験結果からも、理解できる。 以下は、人生の課題ベスト3の 病、人間関係、死   のうち 人間関係について、一般の被験者たちが、光の存在と対話した内容である。 一読しただけで、スウッと腑に落ちる感覚がある。 これからの人生が明るい方へ変わると思うので、ぜひ読んでいただきたい。 「ある時、ブライアン·L·ワイス博士は、意識体たちがみな、中間生に留まろうとせずに、この物質世界に生まれてくるのには理由があるのですかと、指導役の意識体に問いかけてみました。 「われわれは、自分が学ばなければならないものを選んでいる。われわれは、人間関係についてもっと学ぶ必要がある時に、この物質世界に戻ってこなければならない。人間関係について学び終えた者のみが、もっと先へと進んでいくのだ。」 つまり、私たちが物質世界に生まれてくる大きな理由のひとつが、人間関係という試練を乗り越えて成長するためだということがわかります。 臨死体験者や退行催眠被験者たちの証言によれば、意識体の状態に戻ってしまうと、思ったことや感じたことが、まわりの意識体たちに瞬時にすべて伝わってしまいます。生まれる前の状態にとどまっている限り、人間関係という試練は生じないのです。 ところが、肉体を持ってこ

人生は愛を学ぶためにある

 人生は愛を学ぶためにある。 どこかで聞いたようなセリフですよね。 私たちは、何となく分かっているのです。 ザッと、今までの人生を振り返ってみて、試練だったなあと思い返す場面では 「自分に対する愛」「家族、他人に対する愛」「自然、地球に対する愛」が問われていたことに気づくでしょう。 例えば、仕事で行き詰まった時には 私は身体を大切にしてきたかしら?と自分を愛することに気付き、嫌な同僚との軋轢には、相手をゆるすことを学んだかもしれない。 家族とうまくいかないという悩みは、継続的に愛とは何かを考えるカリキュラムになっていたはずです。 人生は、どんな細かな側面があれど、大きく捉えれば、愛というテーマに取り組む学びの場なのですね。 でも、そもそも、愛って何?そう思いませんか? 以下は、愛の定義です。 読んでいるうちに、何だか胸がボッボッと熱くなってきて、 「ああ、すべてはこのために、自分が仕組んだ試練だった。」と合点がいくかと思います。 あなたの魂か 「そう!そう!」と反応するはずです。 ぜひ、読んでみてください。 「私たちが人生を通じて学ぼうとしている愛とは、いったいどのようなものなのでしょうか。 愛とは、自分という存在価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、永続的な意志と洗練された能力によって実行しようとする、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。」 「第一に、相手という言葉で表現するものは、他者だけでなく、自己でもあり、さらに広い意味での愛は、人間以外の生命や自然、ひいては地球や宇宙などに対しても向けられます。」 「第二に、愛のエネルギー源は、自分という人間がいかに価値がある存在なのかという認識と、価値ある存在としてもっと成長したいという意欲という二つです。これらは、いくら利用しても減ることのない、永遠のエネルギー源として、私たち人間に与えられた宝物だといえるでしょう。」 「第三に、愛の動機は、その相手が持つ所有物に価値を感じるからではなく、その相手がただそこに存在してくれているということに価値を感じ、感謝するからでなければなりません。」 「第四に、愛を実行するためには、ある時点で、その相手を愛そうという明確な決断を下さなければなりません。」 「第五に、愛を実行するためには、永続的な意志が必要です。それは一時

虫と同居する

 1ヶ月くらい前からだろうか 家の中で、小さな黒い虫が飛び回るようになった。 おそらく、リビングの窓辺に並べている植物の鉢から、孵化したのではないかと思われる。 害虫は、退治するべし。 虫をベタベタくっつける棒を立ててみたら、一週間で、何十匹という羽虫がくっついた。 その他、リビングで座っていると、目の前をフラフラ飛び交うので、バシバシ手で退治した。 殺しても殺しても、切りがなかった。 どこからか、湧き出してくる。 植物さんたちは、静観を決め込んでいる。 自身の生命を保持してくれる土の中で、密かな小さな命を育んでいる。まるで、マザーアースのような母性ではないか。 ある時、リビングで読書をしていたら、羽虫がフラフラ私の周りを飛び始めた。 本に夢中になっていたのもあるし、何だか、いちいち反応するのもどうかと思い、放っておいた。 気づいたら、虫は、私の指の上でくつろいでいた。 すっかり安心した、その無防備な姿に、ハッとさせられた。 虫たちは、たまたま、家のなかで生まれてしまっただけだ。たまたま冬だったから、窓が閉まっていて、外に出ることが不可能だった。 目覚めて、始めての世界に恐る恐る飛び出し、目にするあらゆるものに好奇心を持って近づいていったところ 凶暴な巨人(私のこと)に、瞬く間に潰されて、人生、いや、虫生数時間で強制終了。 虫の声に耳を澄ませてみる 「こんにちは。はじめまして。ぼく、さっきね、地球に生まれたんだよ。よろしくね。」 そう、挨拶してくれていたかもしれない。 それなのに、小さな虫だからということで、何の心の痛みを感じず 手のひらで、パンっと、命を潰してきた。 この行為は、戦争で罪の無い人間を殺戮してきたことと、同じ次元かもしれない。 自分にとって、不都合な存在であれば、命を奪っても構わない。目の前からいなくなってくれたら、清々する。それだけのことで。 私の指の上で無邪気にくつろぎ、楽しげに部屋を探検する、この小さき命にフォーカスしていると、不思議と響き合うものを感じ始める。 私の意識は、虫の中に入り込み、虫の視点で私を見上げる。 「よろしくね。地球は、ごきげんだね。」 私の意識に戻り、私もニッコリする。 私も虫さんも、地球も宇宙も、ごきげんだよ! 私は、もう、虫を殺さなくなった。 命として響き合う、愛おしい存在になったからだ。 なぜか、夫も同時期に同じ心境

ネガティブ体験を人生に活かす

 この苦しい人生は、どんな意味があるのか? そう思う人は多いだろう。 苦しさから、自暴自棄になり、世界を敵に回すように生きている人もいるだろうし、 泥の中から、蓮の花を開花させるように、美しく精神性を花開かせ、多くの人を暗闇から救い出している人もいる。 先ほど、ふと、ライフリンクのことを思い出した。 https://www.lifelink.or.jp/ 自殺対策支援センターのこと。 2012年以降のことだと記憶している。 当時、私は、地域の図書館に司書として勤務していた。 2011年大震災を経て、魂が大きく揺さぶられていた。私たちに何が出きるのか。皆が手探りで、なにか見つけようともがいていた。 私は、同僚と市民活動支援センターの震災関連のイベントに参加した。図書館が、地域で何が出きるのかを学びたかった。 震災直後から、私たちは、とにかく情報提供に徹した。震災の真実はまだ書籍にまとめられていなかったから、地図や被災地域で発信される情報をまとめ、ボランティア参加する方々の応援をしたり、もしものときに繋がり合える、地域の絆をいかに構築していくのか。毎日が学びだった。 私たちは、震災により使命に目を開かされたのだった。 かの震災は、多くの人々の本気に火をつけていったと思う。 以前は考えられなかったことも。行政機関や、民間団体が、自発的に横に繋がり合っていった。 今、苦難に喘ぐ人々がいる。私たちには何が出きるのか?力になれたら、助けられたら。そんな共通の思いが、垣根を一気に崩したのだ。 私たちは、小さな地域の図書館だったが、市民活動支援センターの人間性あふれるスタッフさんたちと、交流を重ね、図書館の存在する地域にどんどん深く関われるようになった。地域のお祭りに参加したり、歴史を調べる会を運営したり、コミュニティFMや、ケーブルTVと連携したり、心あるボランティアさんと、講座や展示を企画したり。目まぐるしく人の輪が広がった。 私は、この時期に、地域の方々を毎月インタビューして、図書館新聞に取り上げた。各インタビューには3~4時間かかったが、その人の人生に全集中して2000文字程度にまとめる体験は、二年程続き、この時に培われたインタビュー能力が今に活かされていることを実感している。無駄な経験など、何一つ無い。 そんな中で、ライフリンクと出会った。 図書館として、貧困や、自殺、D

正しい行動とは

 「エゴはこう問う。どうすればこの状況を使って自分の要求を満たせるのか、あるいは自分の要求を満たす別の状況に変えることができるか。 「いまに在る」とは、内に広がりがある状態だ。いまに在るとき、あなたはこう問う。どうすれば自分はこの状況の、この瞬間の要求に応えられるだろう? 実はそんなことを問う必要はない。あなたは静かで意識が研ぎ澄まされた、あるがままのいまに対して開かれた状態でいる。 そのときあなたは状況に新しい次元を、空間をもち込む。そして見て、聞く。状況とひとつになる。状況に対して反応するのではなく、状況とひとつになると、解決策は自ずと現れる。実際には見て聞いているのはあなたという個人ではなく、研ぎ澄まされた静寂そのものだ。すると行動が可能であるなら、あるいは必要であるなら、あなたは行動を起こすだろう。と言うか、行動があなたを通じて起こるだろう。 正しい行動とは、全体にとって適切な行動だ。行動が完了したとき、研ぎ澄まされた広やかな意識はそのまま残る。誰もガッツポーズを取って「やったぞ!」と叫んだりしない。「見ろ、私がやったんだ」などと言う者は誰もいない。 すべての創造性は、内なる広がりから生じる。創造が行われて、なにかが形になったら、そこに「私に」だの「私のもの」だのが現れないように気をつけなくてはいけない。自分のしたことを自分の手柄にしようとすれば、エゴが戻ってきて、せっかくの広がりがじゃまされる。」 『ニュー·アース』エックハルト·トール著 257~258頁より

病気とエゴ

 病気は大いなる祝福という気づき 過去に大きな病気になり、手術や入院をした体験は4回ある。 10歳: 扁桃腺肥大による摘出~3週間くらいかな 26歳: 虫垂炎、腹膜炎~1ヶ月 52歳: 肺塞栓症~3週間 52歳: 乳ガン摘出~一週間 たいていは、病気はしんどい。 繰り返される検査は痛いし、術後も痛いし。 普通の神経を持ち合わせていたら、入院となったら、シュンとしてしまうだろう。周りも、「何て可哀想なんでしょう。」と同情するだろう。 しかし、私の場合は、不思議と入院ライフを楽しんでいた。もちろん痛みもあり、肉体的不快感はしっかり味わった。それにも増して、穏やかな幸福感があった。 10歳の頃は、毎日病室に母が居てくれたし、同年代の子どもたちと仲良くなって、プレイルームでみんなで遊び回った。おそらく可哀想に思ってくれたのか、父が玩具を買ってきてくれたりして(クリスマスや誕生日でもないのに!)愉快で楽しい記憶しかない。 26歳の時は、急な入院で不安な夜もあったが、概ね穏やかな心境だった。死に近い場に居たせいだろうか。生も死も渾然一体となり、不思議と恐怖心が消え去った。自分でも訳が分からないが、やたら素直で純粋な気持ちになり、感謝の気持ちに溢れていた。まるで天使にでもなったかのような当時の心境は、退院して日常が始まると消えていったが。あの心境が消えずにいれば、私はずっと幸せだったのに。なんて、罰当たりなことを考えたものだ。 52歳、自宅前で倒れ、救急車で運ばれてから、検査、転院、入院、手術と怒涛の展開が繰り広げられた。この時も、一貫して「わたしはぜったい大丈夫!」という、確固たる安心感が腹の底に満ちていた。だから、入院はワクワクしていたし、食事は美味しいし、たまに病院の小さな売店に行くと、ささやかな買い物がたまらなく嬉しかった。小さな出来事一つひとつがキラキラ輝いていて、そこかしこに愛のエネルギーを感じた。 この時は、多少、スピリチュアルの知識があったので 「もしかしたら、神様や仏様、守護霊、ご先祖様、天使、龍神さまが、助けてくれているのかなあ。何で私はこんなに、愛に満たされ、すべてに満足して穏やかな気持ちになっているんだろう?」と考えたりしていた。 当時は、エゴの自分とほんとうの自分の違いすらよく理解していなかったため、この至福感は、外から(天上界みたいな)もたらされたに違

幸福の秘訣

 「いま安らぎを得るにはどうすればいいか? いまという瞬間と仲直りをすることだ。 生きる秘訣は、生命とひとつになること。いまという時とひとつになることだ。そのときあなたは、自分が生命を生きているのではなく、生命があなたを生きているのだと気づく。生命が踊り手で、あなたが舞踊なのだ。 エゴは現実を恨むのが大好きだ。あるがままの人生、あるがままのこの瞬間に対抗する、それがエゴの特徴の一つだ。 知らずに苦しみを創りだす、それが無意識な生き方の本質だ。自分を認識できず、自分が何をしているかもわからないエゴの無能さは驚異的で、まさに信じがたい。 エゴは他人を糾弾するが、自分がそれとまったく同じことをしているのに気づかない。その事を指摘されれば怒って否定し、事実を歪曲する。個人も企業も政府もそうだ。そしてすべての対抗策に失敗するとわめき散らし、物理的暴力まで振るう。 何千年も人類を苦しめてきた悲惨さに終止符を打つには、まず与えられた瞬間の自分の内面の状態に自分が責任をもつことから始めなくてはならない。つまり、たったいまからである。 自分自身に聞いてみよう。 いまこの瞬間、自分のなかにネガティブな状態がないか? それから自分の感情や思考を冷静に見つめる。低レベルの不幸が自分のなかにないか観察しよう。 とくにその不幸を正当化したり説明する思考に気を付けて観察しよう。 自分のなかにネガティブな状態があると気づいても、それは失敗ではない。それどころか成功である。そこに気づかない限り、内面の状態と同一化したままであり、それがエゴとの同一化なのだから。だが、気づけば、思考や感情や自動的な反応と自分が切り離される。これを否認と混同してはいけない。否認ではなく思考や感情や自動的反応の認識で、認識の瞬間にそれらとの同一化が解消する。 あなたは自己を、自分が何者かを意識し、そこで変化が起こる。それまでのあなたは思考であり感情であり自動的な反応だった。だが、いまのあなたは気づきであり、いまに在る意識として内面状態を観察している。 私はいつかエゴから解放されるだろう。 そう言っているのはエゴだ。 思考から気づきへの変化が起こると、エゴの小賢しさよりもはるかに偉大な知性があなたの人生に働き始める。気づきによって、感情や思考さえも個人的なものではなくなる。もうそこには自己はない。 ただの人間的な感情、思考だ

アルジュナの苦悩

 「私は、かつてこの国に起きたクル·クシェートラの戦いで、同じくこの世の不条理に、はるかに巨大なスケールで苦悩したアルジュナのことを想った。 (中略) この相対的な世界に生きる者の営みは、あらゆる局面で二元的である。そこには、理性と感性の対立がある。物質性と精神性の、善と悪のせめぎあいがある。喜びは苦しみに伴われ、楽しみは悲しみに伴われやって来る。「わたしが」「わたしのもの」と思った次の瞬間には、すでにそれらは自分の手からすり抜けている。それがまさに、相対的ということの意味なのである。 (中略) それに対して、当時生きていた神の化身、クリシュナは、生命本来の一元性を説く。善と悪、喜びと悲しみ、生きることと死ぬことは、同じことの二通りの顕れでしかない。心と体もまた、唯一実存の別々の顕れにすぎない。そして、実存は永遠にして不滅の一者であることを説くのである。 『これらの肉体には終わりがあるといわれるが、肉体に宿るものは永遠にして不滅、無限である』 『それは決して、生まれることもなければ死ぬこともない。かつて存在を始めたこともなければ、これからを終えることもない。』 『二元性に捕らわれず、常に純粋性にととまり、また所有に捕らわれず、真我を保つのだ』 『執着を捨て、成功や失敗の中にも平静を保ち、ヨーガに根差して諸々の行為をなすがよい』 (『』は、バガヴァッド·ギーターより) ここに、ヨーガ(合一)に根差してとは、神との合一においてという意味である。二つに見えるものはすべて、幻にすぎない、それは、生命の本質を見誤らせる。この世界には、たった一つのものしかない。時には神と表現され、時には真我と表現される、ただ一つのもの。それこそが本当の自分であることに気づくよう、クリシュナはアルジュナに促す。 そして、その本当の自分は、肉体が生まれる前から存在し、肉体が滅んだ後も存在をつづける。 この、生命の真実味を理解した人は、行動の果実ではなく、行動そのもののために行動する。なぜなら彼は、行動の結果のような、自分以外のものに拠り所を求める必要がないからである。こうしてひとは、こころに絶対の平安を確立することができる。 『行動の結果のために生きてはならない。また無活動に捕らわれてもならない』 『哀れむべきは、(行動の)結果のために生きる者』 哀れむべきは、実存と仮象とを混同したまま行動する者

魂の約束を思い出す

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  誰もいない皇居前広場にて、地球を謳歌している写真。みんな~ありがとう! この数ヶ月、ずっと「責任」について考えてきた。「あなたに責任とれるの?」と問われたら萎縮してしまう自分を見つめていた。相手に不都合なことをもたらさないように、どこまで先読みをして選択するのだろう。考えていたら、動けなくなった。自分の選択が引き起こしてしまう未来が怖くなった。私は、責任を「誰にも迷惑をかけないこと。」と捉えていた。 映画『蘇生』の白鳥哲監督は 「責任放棄の責任とは、生きている責任、自分が特別に命をいただいてここにきているということに対しての責任です。その特別な命をまっとうしようと思うと、本質や真実がより見えてくると感じます。責任とは、受け容れることができる能力です。命のありがたさや、この大歓喜の世界を受け容れることを放棄すると、少しずつズレが生じていきます。そのズレを繋ぎとめてひとつに戻ろうとし、責任を放棄せずにまっとうすることに向き合うことができれば、「本気」という生き方になる。まさしく今こそ、本気になる時代、本当の「気」を使うときです。」 と、著書『魂の約束』で語っている。 なんと!責任とは 魂の約束 つまり、生まれる前に決めてきたことに 本気で取り組む。 それに伴い、自分に起きる出来事を、すべて受容する力のことだった。 白鳥監督は、脳腫瘍を患い、代替医療などに助けられ腫瘍を消してしまわれた。その中のひとつに催眠療法が含まれる。白鳥監督は、生まれる前の記憶をよみがえらせた。地球を愛していること。そして人類を救いに行くと決意したこと。 魂の約束を思い出してから、監督は本気で映画づくりに取り組むことになる。 催眠療法では、前世や、今世生まれる前の記憶を思い出す。そして、魂の約束を自分の力で確認することができる。 私には、宇宙から美しい地球を眺めながら、エネルギー体の仲間たちと、ワイワイ喜び合っていた場面の記憶がある。「これから、あそこへ行くんだ!」嬉しくて嬉しくて、至福と歓喜でパンパンに膨らむ風船みたいだった。 魂の約束は、言葉にすると難しいが 大きな枠で捉えると 「みんなが、ほんとうの自分を思い出して、輝いて生きるためのお手伝いをする。」 監督みたいに、カッコよく言えば「人類を救う」気持ちにも近いかもしれない。 私は、何の疑いもなく、100

未来から過去へ微風を吹かせる

 この数ヶ月 責任について、ずっと考えていた。 今の気持ちを記録しておく。 私は、電子書籍出版にむけて、取材を続けていた。何人かのインタビューを織り込んだ内容になる予定だった。 ある日、とある出版経験者から、ご注意をいただいた。とても親身になってアドバイスくださったので、心から有り難く感じている。 電子書籍は、著作物が危険に曝される。勝手にコピペして、そ知らぬ振りで自作として出版する輩もいる。 従来の紙の書籍なら、出版社に専用の部署があり、ノウハウもあるので(おそらく訴訟?)対応してもらえるから安心。(大手出版社のことだろう。) まだ、自著を電子書籍にするなら、自身の問題で済むが、他人も巻き込んでいるなら、もしもの事が起きた時に······ その方は、皆まで言わなかったが、心の声は聞こえた。 「あなたは、責任取れますか?」 電子書籍だけの問題ではない。自分の選択による行動。それにともなう結果は、確かに自己責任だ。「私がこうしたから、こうなった。」と受け入れ、その時に出来る最善を探し、粛々とやれることをやるしかない。 しかし、巻き込んだ周りの人にどんな影響が及ぶのか?どこまでもネガティブに想定していけば、もう動けなくなる。「私には、すべての責任が取れない。安全を保証されたことなど、何ひとつ無い。」 責任とは何だろう。 世の中で動いている人々は、すべての結果を引き受け、自信満々だから出来るのだろうか。 良かれと思ってやったことが、裏目に出た時には、ただ、ただ、謝罪するしかない。自分に出来る埋め合わせを探すしかない。だから、万が一の何かを想定しなければならないなら、安全圏の、自分の力が及ぶ小さな範囲でのささやかな行動しか選べなくなる。 責任取れると確約できることだけ選ぶ。 う~ん。ほんとうにこれでいいのかなあ。 我が事として考えると、どんどん萎縮して、「小さく生きる」結論になってしまうので、敢えて、スピリチュアル的な考えを取ってみる。 現実は自分が創っている。 目の前に起きた不都合は、自分が発した波動が引き寄せたもの。 出来事を他人のせいにして、責め立てている限り、不都合は続く。 原因が結果を生み出したと、我が責任と捉え、まわりのせいにするのを止め、内面と向き合って、初めて、現実は好転していく。 国のせい、政治家のせい、医者のせい、教師のせい、親のせい 誰かに○○しなさい

五歳の私とお話するワーク

 「人は7歳くらいまでは、肉体意識が優位です。生き残りが目的の肉体意思にとってはまず、承認されることが最重要なのです。 こうしたらママが喜んだ こうしたら先生がほめてくれた。 愛されることが、こどもの戦略になります。 その戦略が決定される時期だからこそ、こうしたらこうなるという断定的な言い方や、あなたはこうという自己イメージの植え付けには気を付けないとなりません。 これをしないとこうなってしまうよと未来を先回りしてしまうことは本当の意味で子供を尊重していません。 物理的安全についてはしっかり教えなくてはなりませんが、決めつけではなく、その子に選ばせるのは大切なことです。 選択できることで子供は、話を聞いてもらえると思える。その感覚がないと子供は、自分の意思には意味がないと思ってしまいます。 生き残るための戦略は大人になっても、その人の葛藤のコアになってしまいます。 例えば 自分は両親が望んだ性別ではない 勉強ができない自分はダメだ イイコでいないとほめられない 何でも「I」メッセージにすると、相手の問題にせず、あくまで私の範囲のこととして伝えられます。 あなたが風をひいたらママ悲しいな ママ一緒に出掛けたいから、宿題今やっちゃおう など。 必要なのは、信頼と肯定 行動ではなくて、存在を全面的に肯定する気持ちで。 子供は親の一部でも親の自己実現のための存在でもない それぞれが自主独立の対等な魂同士 だからいつも100%で関わりましょう。 いくつになっても自分の中にいる五歳児のことを分かってあげましょう。」 『スピリチュアルかあさん 風の時代を自由に生きる』大野舞 著 108~109ページより 催眠療法のセッションを通し、クライアントがいかに親からの言葉や態度に影響を受け、自分を縛りつけてきたかがよく分かる。 「いい子にしていないと愛されない」そう思い込んでしまったクライアントは、思ったことを言葉に出来なくなり、感情を隠してしまうようになる。隠した感情は、消えたわけではなく、潜在意識に残り、生きにくさの要因となっていく。 「親に愛されていない」「そんな私を愛せない」こんな思い込みに苦しむ人は多い。 ただ、親も、愛してなかったわけではない。子育てが初めてで、必死だったかもしれない。もしかしたら、その親からも、同じように育てられたのかも。こう育てるのが正しいという思い込みが

お鍋の中から飛び出すワーク

 もう不要になった重りを取り除き、軽くなるためのワークです。これで、本音が分かります。 深呼吸をしてください。 肺の全体を使い、ゆっくりと。 数回続けましょう。 あなたの目の前にふたつきお鍋が一つ。 どんな色?材質?重さは?どう感じる? では、お鍋の中に入りましょう。 そして、蓋をしましょう。 これは、遊びなので、怖くないですよ。煮たり焼いたりされるわけではありませんから。まあ、試してみて。気軽に。 どんな感じ? 蓋の上に、重りが載っかります。 鉄アレイかな?砂袋かな?重いものなら、何でもいいですよ。 その重りには、名前がついています。 葛藤 セルフイメージ 過去世からのしがらみ 親からの刷り込み 人から借りた信念 思い込み 犠牲者モード 他にもありそう?追加してもよいですよ。 あなたを圧迫してきた、重いもの。全部、思い出して。 期待?それもいいですね。 重り一つひとつ、イメージして 直感で浮かぶキーワードを言葉にしてみましょう。何でも構いませんよ。正解不正解などありません。あなたの重りなのですから。 浮かばないものは、重さ、色、手触り、匂いなんかをイメージしても大丈夫。 はい、蓋の上に随分重りが載っかりましたね。 今、どんな感じ?どうしたい? 総量何キロ?何トンかな? では、蓋をバンとはね除けて、外に飛び出しましょう。 重くて出られない? 大丈夫。宇宙から、光のエネルギーが注いでいます。光は、蓋も透過しますから、あなたに注がれています。感じてみて。キラキラしてる?暖かい?頭頂から取り込んで、おへその下にドンドン貯めて貯めて。全身が熱くなってきた?どんな感じ?気がついたこと、教えて。他には?では、10数えると、あなたのエネルギーは、満タンになります。数を数えるたびに、あなたは、輝きを増して、元気に満ち溢れて、キラキラしていきますよ。12345678910。 今、どんな気持ち?身体はどう? では、蓋をバンっと、はね除けてみましょう。大丈夫。エネルギー満タンのあなたは、必ず出来ます。三つ数えたら、蓋を押し上げてね。123。はい。バンっ。 出来ましたね。あなたの身体は、ヘリウムガスが入ったみたいに、軽く軽くなって、どんどん上に上にあがっていきますよ。羽が生えたみたいに。どんどん。軽く軽く。上へ上へ。 お空の上から、下を眺めて。どんな景色?どんな気持ち? では、先ほど出てき

鬼は内

 清水友邦さんのFacebook投稿を紹介します。 こちらは、何度も読み返し、自分に刻み込みたい珠玉の内容です。 自分のために、記録させていただきます。 いつも、ありがとうございます。 *************** 鬼退治のプロセス 第一段階は世界を分けて外側に敵を作って鬼を追い払おうとします。 第二段階は外側に鬼がいるのではなく鬼は心の中にある事に気がつきます。 第三段階は心の中の鬼を追い出そうと努力します。 第四段階心の中の鬼は実体がなく自分が作り出している事に気がつきます。 第五段階は鬼と福の境界が消えて全体とひとつになります。 東北は昔、日高見国と呼ばれて1000年以上独立をたもっていました。 征服されると抵抗した東北の先住民は悪い鬼にされてしまいました。 かつての日本列島は隼人(ハヤト)熊襲( クマソ)肥人(クマビト)土蜘蛛(ツチグモ)国樔・国栖(クズ)八束脛(ヤツハカギ)佐伯(サヘキ)古志(コシ)粛慎( ミチハセ)蝦夷・毛人(エミシ)など数多くの異なった言語、文化、生活習慣を持った集団で構成されていました。  民族を土地に長く住み、土着の固有の言語と文化を保持している人びとと定義すると、2万年以上続いた旧石器時代と一万六千年続いた縄文人こそ源日本人です。 日本人を日本国籍を持っている人と定義すれば日本人とは日本国憲法ができてからのことなので時代的に新しいことになります。 大和民族は明治になってから明治政府が作った概念です。 日本国とは概念であり昔はなかったのです。 国といえば薩摩や津軽などの藩のことを指していて、藩を越えると風俗習慣も異なり、言葉が通じない外国でした。 麻生太郎神道政治連盟国会議員懇談会名誉顧問が「2000年にわたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている国など世界中に日本しかない」と述べて顰蹙を買いましたが、昔から日本は単一の国ではなく異なった言語を持つ人々が住む多民族の国だったのです。 日本人とは個人を抽象して一般化した実態のない概念なのです。 母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体を調べてみると日本は混血であることがはっきりしています。 日本人にネアンデルタール人のDNAが2%入っています。日本人の血液検査をしても日本人というDNAはないのです。 血を何万年もさかのぼれば日本人、中国人、朝鮮人、はては西洋人と東

有明に思う

 たいてい、日の出前に起床する。 本日は、一時間ほど、浴室やトイレを掃除し、スッキリ。珈琲を飲みながら、エックハルト·トールの『ニュー·アース』を読む。 明け方から日の出にかけての時間が、一番好きだ。 空が、藍色から浅葱色、橙色にまでグラデーションとなり、静謐な美しい時を味わうことができる。 こんな時間は、不思議と自己の内面に向かう。 私の頭の中のおしゃべりは、「何食べる?何つくる?○○行かなきゃ。○○しなきゃ。」と、急かしてくるが、 こんな早朝の美しさの中に身を浸していると、ふと、時から自由になったような感覚になる。 この感じを、和歌に残せないかな。と思い、50音、「あ」行で、やってみた。 ありあけや(有明や) おいるもゆくも(老いるも逝くも) うきよなら(浮世なら) えにしたためた(絵にしたためた) いしばしのとり(石橋の鳥) 解説 一幅の浮世絵を眺めるようなシーン 明け方の空に有明の月が浮かぶ 川に架かる堅牢な石橋の欄干に、早起きの鳥がちょこんととまっている図 有明の月は、浮世絵でよく取り上げられたテーマなので、浮世絵をイメージして歌われているのが「有明」という一言から分かる。 人生は、浮世絵にしたためられた絵を眺めているようなものだ。人にとっては、丈夫でなければと、石橋を川にかけるかもしれないが、鳥にとっては、単に羽を休めるだけの場所でしかない。石だろうが、木だろうが、レンガだろうが、関係がない。鳥は、自由に羽ばたいて、いとも簡単に川を渡ってしまうのだから。 神様メッセージ 浮世絵の世界から、自由になりなさい。現実は、意識が創り出した幻です。あなたは、川に石橋をかけるように、不安から、確かなもの(思い込みのこと)を絶えず求めて、現実を創造し続けています。橋は、石である必要は無いのです。鳥をご覧なさい。何なら、虹の橋をかけたって構わない。思い込みを手放しなさい。あなたは、本来は自由に羽ばたく大いなる意識エネルギーです。 直感で浮かんできたキーワードを組み立て、気がついたらこの和歌になっていたので、出来上がるまでは、何がテーマとして浮かび上がってくるのかは、最後まで分からない。 さて、この和歌で、私の潜在意識が何を表現したかったのか。 私たちの本体は、思考でも肉体でもなく、意識エネルギーだということ。 試しに、意識を両手の平に集中させてみて、感じてほしい。ジンジ

我は我

 自分神様和歌チャレンジ いよいよ最後の「わ」行だ。 今までお付き合いくださり、ありがとう! 「わゐうゑを」なので、 「わをうゑゐ」で、お願いしてみた。 旧かなづかいは、現在使われていないため、「わいうえお」の音による表現となる。 本来の日本語の音は、宇宙音であり、「ゐゑを」は、区別され、波動も違うらしいのだが、戦後、省略された、あいうえお に慣れてしまったことが残念だ。 われはわれ(我は我) おとなしがわに(音無し川に) うれいたて(愁い立て) えいするものは(栄する者は) いかほどのこと(いかほどの事) 解釈 我は我  がのこと。エゴはエゴ 私が私が、という心には、どんな意味があるか。 音無し川(宇宙音の響かなくなった世界)で 私が私がという心(エゴ)に振り回され 愁いばかりを感じていると 例え、物質的に栄えたとしても それは、真に豊かだと言えるだろうか。 ↓ さらに深読み 真の豊かさ(真善美)は 宇宙音の響き渡る世界で実現する 日本語の美しい響きは宇宙音である 宇宙音は、波動である 美しい波動は、世界を甦らせる。 あなたの口が、音を発する川の流れを生み出すならば 美しい波動の音を響かせるようにしてください あなたが、心地よく、あたたかく、優しい気持ちになる言葉を 相手を慈しむ言葉を 音を乗せ、響かせてください 私が私がという気持ちで発した言葉の波動は、重く、冷たく、トゲトゲしてはいないか 私もあなたもすべてを受け入れた、まあるい気持ちで発した言葉の波動は、軽く、あたたかく、優しいのではないか どちらが、美しい世界をつくるだろう どちらが、ほんとうの豊かさだろう あなたの発する言葉は宇宙音 愛を乗せ、豊かな音の流れとなれ。 ちなみに「ん」を取り上げられなかったが、最後の和歌が、宇宙音がテーマになったので きっと「ん」の波動は、宇宙音的に、意味があるのではないかと思う。 「ん~。」と発していると、「OK」の意味になる。 すべてを包み込み、どこまでも深く受け入れる、肯定の波動ではないだろうか。 これは、宇宙源の意識エネルギー。愛の波動。「オールOK!」 と、私は解釈した。 宇宙音で「ん」にオチがついた。 お後が宜しいようで。 ☆追加情報 深呼吸と瞑想をしていたら、追加情報がきたので、書いておく。 古の人(○万年も前)は、言葉を慎重に扱った。言葉の波動が現実を創ること

瑠璃色の宝

 和歌チャレンジも佳境 「らろるれり」 らでんはる(螺鈿貼る) ろにひをいれる(炉に火を入れる) るりほうじゅ(瑠璃宝珠) れいわのかぜに(令和の風に) りんとしてたつ(凛として立つ) 解説 螺鈿を貼った炉に火を入れつくられた(人間の技ではとても叶わない神秘の力で生み出された) あなたという存在は 瑠璃(ラピスラズリ=地球)でできた 宝珠(何でも願いがかなう珠)です。 さあ、調和の中で、個を輝かせる 令和という麗しい時代の風を感じて 凛として、しっかりと立っていくのですよ 瑠璃は照らせば光る 私たちは、本来の才能を存分に輝かせ 光の元に出ていきましょう。 私たちが、自分を大切にして選んだ道は、周りも自然と幸せにし、全体が調和していく そんな時代に入りました。 一人ひとり、ほんとうの自分と繋がり 魂がやりたかったことを存分にやりましょう。 それが、この地球に生を受けた意味です。 美しい地球の姿は、あなたです。 瑠璃色の地球 という歌、思い出した。  夜明けの来ない夜は無いさ  あなたがポツリ言う  燈台の立つ岬で 暗い海を見ていた  悩んだ日もある 哀しみに くじけそうな時も  あなたがそこにいたから 生きて来られた  朝陽が水平線から 光の矢を放ち  二人を包んでゆくの 瑠璃色の地球  泣き顔が微笑みに変わる 瞬間の涙を  世界中の人たちに そっとわけてあげたい  争って傷つけあったり 人は弱いものね  だけど愛する力も きっとあるはず  ガラスの海の向こうには 広がりゆく銀河  地球という名の船の 誰もが旅人  ひとつしかない 私たちの星を守りたい  朝陽が水平線から 光の矢を放ち  二人を包んでゆくの  瑠璃色の地球  瑠璃色の地球

井筒の水面に映る

 自分神様和歌チャレンジ あっという間に「や」行だ。 自分の顕在意識では、「無理無理、絶対できないよ。何も思い浮かばないし。」と思っているのだが、意識を今に持ってきて、思考を止めて待っていると、スルリスルリと、出てくる。時々、意味が分からない言葉もあり、全体像が掴めない時もあるが、ネット検索で意味を知ると、「あ!こういうことか!」と腑に落ちる。 今まで、和歌を作ってくださいと意図すると、必ず答えが降りてきた。 自分神様は、潜在意識で繋がれるほんとうの自分のことだから、顕在意識の私より賢いとは言え、私は私である。 今の私が一番理解しやすいように、私の成長に合わせて、私の語彙力、理解力に沿った回答をくれるわけだから、もちろん、私の知らないラテン語とかで詩編を送られたり、量子物理学の難しい公式を知らされたりはしない。そもそも理解できない。 だから、和歌も、決して巧くはない。私の知識不足から、文法的に誤っているところもあるはずだ。 しかし、面白いのは、メッセージが深いことだ。伝わってくる内容から、やはり、宇宙視点の、大きな自分がいるのだろうなあと、思わされる。 さて、「やよゆえい」で、和歌をお願いしてみた。 やちぐさの(八千草の) よにいでしもの(世に出でし者) ゆきかいて(逝き交いて) えにしのおもかげ(縁の面影) いづつまわらん(井筒回らん) *言葉の意味 八千草=さまざまな 井筒=謡曲『井筒』による。井戸の周りの枠のこと。登場人物の女が、井筒の中の水面に今は亡き夫の面影を映し、井戸の周りを回りながら思い出を語るシーンが有名。 ☆解説 さまざまな時代に生きた 多くの人々は 生まれては死に、生まれては死に。 そうやって、人生を交錯させながら、行き交ってきた。 いくつもの過去世で、ご縁のあった人々のことを、思い出して語ろう。 ☆神様メッセージ 催眠療法により、前世があること。人は何百回と生き死にを繰り返すこと。ご縁のある魂とは、何度も違う人生でも出会っていること。魂は、永遠であることが、分かりましたね。前世療法は、井筒を回るとも、表現できますね。ちょっと古風に詠んでみました。 とのこと。 神様は、少し遊び心で、私が学んでいる前世療法を和歌にしてくれたようです。八千草とか、井筒とか、意味を知らない単語ばかりで、「もしかして、私のダウンロードミス?」と、焦りましたが、ネットで意

松明に集まる虫たちは

自分神様和歌チャレンジ 「まもむめみ」 こちらは、まだ、解釈が未消化なのであるが、記録しておく。今回は辛口の和歌になった。 まつやにの(松脂の) もゆるあかりに(燃ゆる明かりに) むしきたり(虫来たり) めざすあかりは(目指す明かりは) みゆるかたなし(見ゆる形なし) 解釈 「松脂の燃える明かり」は、松明(たいまつ)だろう。夜、そこには、虫たちが集まってきて、火に飛び込んで焼けてしまったりしている。松明の明かりに惑わされ、本当に目指す明かり(自然界では月のこと)を、見ようとしても見ることができない。人工の明かりが、あまりに強烈で、本能が生きるために求める月明かりを、見ることすらかなわない。月明かりは、身を焦がすことはないが、人工の明かりは、うっかりすると、身を焼き尽くしてしまう。命取りだ。 これは、自然から切り離されてしまった現代の様子を歌ったものかと思う。 自然の本能は、現代の変化のスピードに追い付いていない。人間は、相変わらず、原始時代の危険や飢餓と戦っていた脳のままであり、生き抜いてきた何万年の反応が未だに強く出てしまう。人が不安恐怖を抱きやすいのも、その性質の方が、生き残れたからである。 この物資至上主義の文明で、不安恐怖をベースに生きたらどうなるか?独り占め、排斥、自分さえ良ければ、という欲望が、戦争や環境破壊を引き起こす。分離の極みだ。 だから、早急に、目覚めなくてはならない。 強烈な明かりが、身を滅ぼすかもしれないと。真実の明かりは、いつも上空に輝いているのだと。 光は光でも、命が目指す光は、どこに輝いているのか。早く気がつくようにと言われた気がする。 神様メッセージ 「強烈な明かりに引き寄せられていると 身を滅ぼすことになるぞ。 松明の明かりに群がる虫たちは、なぜ、自ら火に飛び込んでしまうのか。不思議ではないか?死んでしまうというのに。 上空には月が、輝いているというのに。 松明の明かりが強烈すぎて、月に気づくことが出来なくなっているのだ。見ている私たちは、心を痛めるのだが、どうにも術が無い。松明を使わなければ、このような事も起きないだろうが、人工の明かりを使うという進化をした人間の営みを止めることも、もはや不可能だろう。 これは、単に、明かりに群がる虫の話をしているのではないのだよ。 人間の話でもあるのだ。我が身に置き換えて見なさい。 気がついたら

羽衣の帆に風を受けるように

 自分神様和歌チャレンジ 「はほふへひ」で、お願いしてみた。 はごろもを(羽衣を) ほにしてかける(帆にして駆ける) ふねならば(舟ならば) へいわのさざなみ(平和の小波) ひきもきらずに(引きも切らずに) 解釈 私たちの心を静かな湖面とイメージしてほしい。 そこに一艘の舟が浮かんでいる 吹いてくる風は、現実の出来事を表している。 困った出来事は、強風に 良かった出来事は、そよ風になるかもしれない。 舟には、思い込みという繊維でしっかり織り上げられた帆がかかっていて 風を受けて、スイッと進んだり、あちこちに翻弄されたりしている。 舟が動くと、波が起こり、岸辺まで寄せては返す。この波は心に表れた感情そのものである。 舟が大きく動けば、波は大きく。静かに動けば、波は小さくなる。 思い込みが強固であればあるだけ、帆が風を受ける抵抗は大きくなる。 嵐がきてしまえば、帆は引きちぎられ、舟は転覆してしまうかもしれない。 もし、帆が、柔らかく、風をふんわりとおすような軽い繊維でできていたら。まるで羽衣のような。風に抵抗することはなく、余分な力は受け流し、微かな風には、穏やかに帆を揺らして、ゆっくり進むだろう。 時には、風を目一杯受けて、グングン舟を進ませることもよいが、いつもそのようであれば、強い風が吹いた日には、心の中は大波で荒れ狂う。強固な帆をかければ、収集つかなくなる原因にもなる。強さは実はもろいのだ。 舟に羽衣の帆をかけなさい。 風を受け流す優美な姿を思い描きなさい。 風を軽やかに通すということは、思い込みが少なくなった柔軟性を表している。 あるがままを受け入れる心。相手を変えようとせず、尊重する心。すべてをまるごと愛する心。二極を融合する心。それが、あなたの本質。 あなたが、そう心がければ、感情という波は穏やかになり、平和な心境が、日々変わらず続いていくことでしょう。 羽衣を、既にあなたは手にしています。 ほんとうのあなたは、羽衣をまとって、やってきたのですから。 舟の帆をかけかえる。それだけのことなのです。(本質に戻るだけなのです。)

催眠療法と死生感

 先ほど、本日の和歌チャレンジ 頭「なのぬねに」で自分神様にお願いしてみた。 何が出るかな?自分ではまったく予想できていない。 なかつくに(中つ国) のべにあそびて(野辺に遊びて) ぬきみさし(抜き身さし) ねいりておもふ(寝入りて思ふ) にしのかなたを(西の彼方を) 解釈 「中つ国」は、最初、よく分からなかった。ネットで調べたら、古事記の記述より、現実世界のことだとわかった。高天ヶ原と黄泉の国の間だから中つ国と呼んでいたらしい。 「野辺」は、野辺送りのイメージが強いが、現実とあの世を繋ぐ、淡いの世界のような感じもするし、単に、現実での生活の場を表しているとも感じる。「在野」とも言うし。現実を幻と知らず、一喜一憂しながら生きている人間たちのひしめくステージのことか。 「抜き身」刃物を抜き身とも言うし、身体の中身、目に見えない自分とも解釈できそうだ。人は、思考を使い、エゴで我が身我が心を武装して生きている。ほんとうの自分が見えなくなっている姿。思考を自分だと思い込んでいる状態のことと思われる。現実世界の私たちは、刃物(武器=エゴ)を携え臨戦態勢で生きている。だから、いつも不安、怖れで行動してしまう。 「寝入りて」毎日の睡眠のことか。または、肉体が死ぬことを指しているのか。二重に解釈できそうだ。 「西の彼方」ふと連想したのは、西方浄土。ほんとうの私たちの世界。魂の世界。至高の真善美の世界ではないだろうか。すべてが満たされた平安な状態を指す。 ↓ 人は、現実世界で、自らを武装し ほんとうの自分を覆い隠して生きています。 しかし、それらは、魂の遊び(学び)です。 眠ってごらんなさい。 あなたは、自由な魂となって ほんとうの世界に戻るのですから。 この神様メッセージを踏まえて、催眠療法を絡めてみる。 前世療法では、クライアントは、一つの人生の大切な場面をいくつか再体験した後、臨終を迎え、魂の戻る場所(中間世)へ誘導される。 自分もそうだし、セラピストの体験からも言えることだが、全員が 「安らかな」「静かな」「気持ち善い」「清々しい」と感じる。 私たちは、催眠療法を通して、上記和歌によれば「西の彼方」。催眠用語では、「中間世」。一般的には、あの世を思い出すことができる。 そこでは、マスターやハイアーセルフ、守護霊、神仏に会うことも、亡くなった方やペットにも会うことができ、自分で

胎児期退行と玉の緒

 現在、自分神様とつながりながら 不意打ち和歌チャレンジ継続中 (気になる方は、前回までのblog参照ください。) 昨日、入浴しながら 頭「たとつてち」でお願いしてみた。 たまのおの(玉の緒の) とつきとうかの(十月十日の) つながりに(繋がりに) てにてをとりて(手に手をとりて) ちからあふるる(力溢るる) 解釈 玉の緒は、命のこと。ここでは、臍の緒で繋がった赤ちゃんを指す。妊娠期間中の母子の関係を歌ったもの。お母さんの胎内で、赤ちゃんは臍の緒でしっかり繋がっている。まさに、手に手を取り合っている。赤ちゃんは母親から、母親は赤ちゃんからエネルギーをもらい、互いに生きる力がグングン増幅されていく。私たちは皆、生まれる時に、このような貴重な体験をしている。母が子を思い、子が母を思う無条件の愛を既に知っている。愛されたから、愛したから、私たちは、今、ここで呼吸をしている。父も母も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、隣の人も、みんなみんな同じだ。こうやって、私たちは愛を原動力に、この世界にポンっと、玉のように飛び出してきたのだ。 この歌を味わった時、催眠療法の、胎児期退行催眠を思い出した。 私たちは、胎内にいた時の記憶を忘れているが、潜在意識には残っているので、催眠状態になると、思い出すことが可能だ。 胎内で、自分が感じていたことも、母親が感じていたことも、当時、外の世界で起きていたことも思い出す。赤ちゃんは、例え細胞の段階であろうと、しっかり聞いているし、感じている。何なら、生まれる前にいた中間世まで記憶を遡ることもできる。 胎児期退行催眠を何回か体験し、また、施術させていただき、共通する感覚は、母子は、一体となり、愛のエネルギーに満たされていること。母も赤ちゃんの愛を感じるし、赤ちゃんも母の愛を感じる。 生まれる時に、トラウマになるような出来事が起きていたり、幼少期に、親から虐待を受けたりして、大人になってから精神的身体的不調に苦しんでいる場合、胎児期退行催眠で解決することがある。 自身の潜在意識の中の記憶を開いて、再度体験する。いかに愛したか、愛されたかを体感を通して思い出すことで、何かが変わる。イメージの中で、生まれる直すことで、重い感情を浄化し、過去の出来事を捉えなおす切っ掛けとなる。 私はしっかり愛されていた。その実感は、これからの人生を乗り切る力になる。これは

依存の鎖を解く

 催眠療法セッションをさせていただく機会があるのだが、 最初に、事前面談をし、クライアントの課題を互いに共有した後、催眠について、説明をするプリトークがある。 先日のヒプノセラピートレーニングという勉強会で、講師から「プリトークは、絶えず書き直して、更新していきなさい。」とアドバイスされた。 その後、お一人セッションをさせていただく日の朝、スルスル言葉が降りてきたので、それをプリトークに仕立てたところ、そのクライアントオリジナルの、その日向き合うべき内容となっていた。 直感を使えば、つまり、私が透明な筒に徹し、そのクライアントに今必要な言葉を下さいと意図すれば、宇宙から降りてくるらしい。ここに、私の思考(エゴ)を働かせれば、まったく役に立たない言葉の羅列になるだろうから、心して透明になるしかない。 100により近づけた純度になるよう、その日は食事を採らず、何度か入浴し、潔斎を繰り返す。セッション直前には、我が家の神聖な場所に手を合わせ、「○○さんに、必要な気付きがもたらされますように。私がそのお役に立てますように。どうか、私をお使いください。」と祈る。セッション中は、思考の出る幕がないほど、ひたすら集中する。いまにあり続ける。ただ、透明な筒になる。一切の評価を捨てる。 さて、来週に次なるセッションを控え、どんなオリジナルプリトークになるかなあと、ぼんやり考えていたら「依存の鎖を解く」というテーマが目の前にもたらされた。 実際に、クライアントとは面談してみなければ、その日に取り組む課題はよく分からないので、用意したプリトークが必要なのかどうか、もしかしたらボツになるかもしれないが、書き留めておこう。 以下は、催眠について説明するプリトークだ。 「○○さん、今、気分はいかがですか。 安心したリラックスした感じがしますか。 少し、不安や怖さがありますか。 では、思考が○○さんを過去や未来に振り回さないように、いまに戻りましょう。 深呼吸して。耳を澄ませて、音に集中して。座っている足の感覚を感じて。左右前後、見えるものに集中して。最後に何もない空間に集中して、感じてみてください。 思考のおしゃべりは、静かになりましたか。 では、心の中の奥のお部屋をイメージして。カーテンがめくれて、ほんとうの○○さんが、顔を出しました。思考が静まったので、あなたは、ほんとうの○○さんの声がよ

傾聴のこころ

 私は、ヒプノセラピストであるが、まだまだ新米であり、間違うこともある。 セラピストとして、傾聴はとても大切だ。 自分の思考(エゴ)が邪魔すると、セッションはうまくいかない。 悩みを抱えるクライアントをなんとかしたい 助けたい、早く解決したい。 これらは、セラピストのエゴであり、時には、クライアントにとって必要な学び体験を奪うことにもなる。 以下は、清水友邦さんという、呼吸道の先生のFacebook投稿だが、今、まさに、間違いそうになっていた私に必要な内容だったので、何度も立ち戻れるように、転載させていただいたものだ。 **************** 2月1日は佐藤初女さんの命日です。 カミさんは青森県の岩木山麓にある「森のイスキア」で佐藤初女さんから「おむすび」のつくり方を教えていただきました。 「イスキア」の名は「生きる気力を失ったひとりの青年が再生するきっかけとなったイタリアの火山島の名前からつけられました。どうにもならないほどの重荷を感じたとき、そこへ行けば自分を見つめ直し、再び現実へと立ち返ることができる力を得られる心のふるさと、という思いが込められています。 1992年に「大自然の中に、心病める人の憩いの場をつくりたい」との初女さんの願いから土地も建物も家具、備品まで全国のみなさんから提供していただいて森のイスキアが出来ました。 全国から森のイスキアに心病める人が相談にやってきますが「訪ねて来る人にどの様に対応されるのですか?」と聞かれて、初女さんは自分からせんさくして相手にこうしなさいとアドヴァイスをしないそうです。 『何もしないんです。その方のお話を伺うだけなんです。ただ一つ言えることは一緒に食べることね。おいしいと言って食べた時に心の扉が開いてどんどん中から出てくるから、空っぽになった時に新しいものが入ってくるんですよ』 『聞くということが大事なの、ただ聞くのではなく、共感しながらね。本当にその人の心に置き換えて聞かないと、話す人も話せませんからね。受け入れられるということはどんなに大きい事かわからないですよ。そういう中で、話して話して話してその人が自分で道を見つけるんですね』 初女さんは相手に自分で道を見つける能力があることを信頼しています。答えを教えることは逆に自分で解決する機会を奪ってしまうかもしれないのです。 優れたカウンセラーは自分の考

自分が透明になるエクササイズ

 「もし誰かが、あなたを傷つける意図で、なにか気にさわることを言ったとしましょう。そんな時には、攻撃、防衛、カラに閉じこもる、などの無意識なリアクションをして、ネガティブ性をつくるかわりに、 その言葉が、すーっと、自分をとおり抜けていくところをイメージするのです。 抵抗はすべて手放しましょう。 それは言うなれば、 もう誰も、わたしを傷つけることはできない という心境です。 これこそが、ほんとうの許しなのです。 この許しをしていれば、わたしたちは、もろくありません。はがねのごとく強靭でいられるのです。 その境地に達していても、誰かに「あなたの言動は、許容できませんよ」と、伝える選択をすることもあるでしょう。しかし許しをしている限り誰かの言動に、自分の心の状態がコントロールされることはありません。自分自身が、コントロールの座についているからです。これはほかの誰かに対してではなく、自分自身に対して、という意味です。また、思考がパワーをにぎっているわけでもありません。原因が、車のアラームでも、無礼な人でも、洪水でも、地震でも、全財産を失うことでも、ネガティブな感情を手放す方法は、みんな同じです。」 『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト·トール著 徳間書店出版 257頁より いきなりの、エクササイズ紹介、失礼いたしました! 平安な心境でいたいのに、つい、イライラしちゃうなど、気にしている方がいらっしゃれば、私と一緒に、練習してみませんか? さて、意識を今、ここに持ってくると、ほんとうの自分に繋がることをblogに書いてきたが、昨日のセッションで、それを目の当たりにした。 意識をいまに集中するエクササイズ(昨日のblog参照)を数分していただき、内面をクライアントにお聞きしたところ、「安心して、リラックスしている。」「不安が無い。」「そういえば、思考のおしゃべりが聞こえない。」とのこと。 心の中に、カーテンで仕切られた奥の部屋をイメージしていただき、ほんとうの自分が中にいるよ。と伝えたところ、「ほんとうの私が顔を出している。」「ようやく私に気がついてくれた。と言っている。」「喜んでくれている。」「キラキラしている。」と、クライアントは感じた。 催眠療法セッションで、「頭を枕につけると、ほんとうの自分に会うことができる。」とクライアント自身に暗示を入れてもらっ