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傷つく練習をするインナーチャイルド

 本日、退行催眠療法セミナーに参加した。 インナーチャイルドを癒やす年齢退行療法の体験を記録しておく。 ☆テーマ 「傷つく練習をするインナーチャイルドを癒やしたい」 昨日、気が付いたばかりなのだが、私には、妙な癖がある。 散々悩んで、いろいろな方面で配慮して、熟慮の末ベストな結論を出して行動したことであったとしても、結果に自信が持てず、不安になってしまう。最低最悪な未来を敢えて想像し、その感情体感をしっかりイメージで味わって、前もって自分を傷つけておく癖がある。そうしておいた方が、安心する。反射的に自動反応で行っていた。いつから始まったのだろう? なぜ、こんなことをするのか私の内面に質問してみたところ、「自分の心を守るため」だと言う。 悪気もなく行動してしまったことで、予想外に誰かに不快な思いをさせたり怒らせたりしてしまった時、そのショックは大きく、心がストレートに傷ついてしまう。あらかじめ最悪を想定し、傷つく予行練習をしておけば、実際にそうなったとしても大きな傷にはならない。心の筋肉をわざと壊しておいて、強化訓練するような感じ。「ああ、その心の傷、もう体験済みだから、未知の痛みじゃないから大丈夫!」と言えるようにしておくニュアンス。 ただ、この癖は結構しんどいので、原因となった幼少期に戻り、インナーチャイルドを解放したい。もう、その役割を続けなくても良くなったんだよと教えてあげたい。無駄に傷つくなんて、エネルギーの無駄遣いだ。 悪気無く(しかも考えられる限り配慮した上で)選択した行動について、相手がどのような反応を示したとしても、それは相手の自由である。箸が転がって笑う人もいれば、怒る人もいる。どこまでも責任を感じて自分を責める必要は無い。「ああ、この人はこう感じるんだな。」と境界線を引くことを覚えたい。ひとつの出来事はあくまで中立であり、そこに色を着けて判断するのは各自の自我の働きである。不快な感情を湧きたたせたとしても、それはその人の魂の課題である。明らかに相手に悪意を持って行動した結果でなければ、自分を必要以上に傷つける癖は手放した方がいい。 ☆安全地帯 作り物の花が真っ先に見える。オレンジがかった赤いセロファンで出来た花。どうやら白い画用紙に幼い子が描いたような絵の世界の中に居る。作り物の花、花壇、三角屋根のおうち、空は未完成で真っ白なまま。 セラピストか

夏至御見舞申し上げたく候

 夏至を無事通過したとはいえ、いきなり覚醒するものでもない。知識として宇宙の仕組みを知っているのと、体感を通して腑に落ちるのでは、大きな隔たりがある。 なので、コツコツ練習することにする。自転車に乗る練習みたいに。あれも、遊びながら何度も転倒し、ある日突然乗れるようになった。いったいどのような仕組みなんだろう。脳のシナプスが新たにつながるのだろうか。 誰がが言っていた。 「必死になるとは、必ず死ぬ。ということです。」 今なら、何となく理解できる。必死になる時は、顕在意識優位となり、湧き上がる不安や恐れから逃れたい!と、闇雲に行動し、流れがチグハグになってしまう。顕在意識の領域はたった10%なので、本来の自分が持っている能力をほとんど発揮できない。90%を占める潜在意識の力を借りると、周りと調和して、スムーズに事が運ぶことになる。 「自我」が無い感覚。時空が消え、夢中になって楽しんでいる時、私たちは本来の力を発揮して、大きなことを成し遂げたりしてしまう。 不安にかられ、パニックに陥り、自身を叱責しながら結果を意図しつつ力を振り絞るのと、落ち着いて、ゆったりして、周りの空気に溶け込んだような感覚となり、経過を楽しみつつ自身をありのままに表現するのと。今までの私の乏しい経験からも、どちらが上手いこといったかは言うまでもない。「必ず死ぬ」とは、そういう意味だろう。 仮初めの自分(自我)だけの力で何とかしようとすると、不協和音になる。本質は、美しく調和した永遠のエネルギーである。環の流れの中、留まることなく変化し続けている。淀みではなく清流であるから、常若とも言える。神の本質と同じではないかと感じている。 ☆手に入れたら手放す どんなジャンルの学びにも言えるかもしれない。手に入れたら(身に着けたら)、執着なく手放すと、学びが深まっていくということに気づいた。 なんのことを言ってるの?となりそうなので、私のささやかな気付きを書いておく。 二年近くかけて、催眠療法について学んできた。セミナーやトレーニングの場で話し合われた質問&回答は、ほぼ記録し、自分なりのデータベースを構築していた。それを度々読み返してセッションの参考にしてきた。このように、経験が増えると知識や技術も増えていく。 そして、このやり方は、どこかで行き詰まる。増やしてきた知識や技術に執着するほど、対応に苦慮するセッ

抄読会~目的と手段は同じとは?

 昨夜は二か月に一回のペースで行われている抄読会にZOOM参加させてもらった。 使用する本は『You Can Have it All 』 32章〈目的と手段は同じの法則〉ページにして4頁ほどを参加者が順番に声に出して読み上げる。そして、好きなように発言していく。時間は1時間半。 なかなか興味深い内容だったので、以下に紹介してみたい。 二つの姿勢を紹介するが、あなたは今、どちらの姿勢に馴染みを感じるだろうか? 〇「目的は手段を正当化する」という姿勢 ・この世の中では結果がものをいう。 ・ゴール達成に躍起になって、馬車馬のごとく自分に鞭打つ。 ・親などの権威者が用意したお仕着せゴールに従う。 ・目的のためなら手段を選ばず。 ・成功者は尊敬され賞賛を浴び栄光を勝ち取る。 ・目的は手段を正当化するというのは世間の常識。 ・家族や友人は二の次、幸福や健康を犠牲にするのもいとわない。こんな姿勢の人は成功者の鑑とあがめられる。 ・将来の幸福のためなら今がみじめでも我慢する。 ・老後に悠々自適の人生を楽しむため、好きでもない仕事を定年までつとめあげる。 ・平和のために戦争をする。 ・犯罪防止のために人を罰する。 ・ある結果を獲得しようとして、それと正反対の行動をとる。 ・このやり方が逆効果だと示す多くの証拠をつきつけられてもこの方式をあらためない。 ・『〇〇しなければならない人生」が永遠に続く。 ・人生は闘いであり苦しみであり何かを手に入れるには努力が必要。人は競争したがる生きもの。人に心を開くと傷つけられてしまうのがオチ。この幻想を真実にするために人生を一生懸命『すること』につぎ込む。 〇「目的と手段はひとつ」という姿勢 ・ほんとうに「目的は手段を正当化するのか?」と疑問を持っている。 ・平和を望むなら、自分の心を平和にし、つねにそれを表現する。 ・無条件の愛とサポートが欲しいなら、それらを心に抱き、すべての人やものにあらゆる瞬間にそれを表現する。 ・100%完璧な人生を望むなら、どんなときも、すべての人、ものに完璧さを見出し感じる。(自分自身も含め) ・宇宙本来の豊かさを呼び寄せたいなら、自分がもっている豊かさを認識し、それに感謝する。 ・どのように自分を表現しているかが、そのまま自分にはねかえっているだけということを知っている。 ・私が表現する「もの」=私が得る「もの」という

水と かみさま と私

 最近、You Tubeで小林正観さんの講演動画を楽しく聴いている。正観さんのお話の9割はダジャレだ。なので、音声には会場の笑い声がたくさん入っていて、落語でも聴いているのではないか?と勘違いしそうになる。正観さんのダジャレは、上品で、クスッと笑えて、聴く人の心を開かせる不思議な力があるように思う。 正観さんは、お釈迦様の話を引き合いに出すこともあるが、何かを信仰しているわけではない。バリバリの唯物論者であったそうだ。ただ、三十年間、進化論の観点から冷静に研究した結果、どうしても神のような存在があるらしい。という結論に達した。 確かに世界的に有名な科学者も、サムシンググレートと表現する何らかの力について言及している。同じことを言っているのだろう。 「感謝の心を持っている生物は、人間のみ。もし、生物が進化の過程で感謝する心を獲得してきたなら、人間の半分感謝できる生物、四分の一、八分の一、十六分の一……感謝できる生物がいてもよいはず。いないということは、人間だけが、神から与えられた(宇宙から注入された)としか考えられない」と正観さんは語る。 感謝とは概念だから、目に見えるわけではない。これが感謝ですよ、と誰かに教えてもらっても、後天的に獲得できるものだろうか?私たちは、奥深い意識の領域に、神のエネルギー(感謝、愛)を既に搭載してオギャーと生まれ落ちるのかもしれない。幼い頃のどこかのタイミングで、内側から溢れてくる細かな心地よい震えの感覚と、「ありがとう」の言葉を結びつけて学習したのだろう。宇宙エネルギーと概念(地球ルール)との紐づけは後天的に行ったろうが、元々の本質は宇宙源から引き継いでいる。と、私は思う。  他の生物も同じ宇宙エネルギーから物質化しているから、概念としては意識できてなくても、愛と感謝のエネルギーを発することはあると思うのだが。そうなるとスピリチュアルの領域になってしまい、怪しい世界になっていく。三次元世界において宇宙真理を語るのはなかなか難しい。正観さんは、ダジャレで宇宙真理をサラリと伝えてくる。笑っているうちに、私たちの奥深くに眠る源エネルギーが、起動し始めるような感覚となる。言葉を超えたコミュニケーションで何かを思い出す。 その目に見えない概念を目に見える形にしたのが、水を凍らせてできる結晶である。水を入れた容器に「ありがとう」「ばかやろう」と書い

あちら側の世界

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 人は100%肉体を脱ぐ日がやってくる。 なのに、何故か、命の灯火が消えた後の事を語りたがらない。学校でも家庭でも。 夕飯の食卓で、その類の話題で盛り上がる家庭は珍しいかもしれない。 宗教がその役目を担っているのだろうが、天国やら地獄やら、諸説あり、文化背景もあり、混乱する。信者獲得のため、恐れの感情を煽り依存させるところも見え隠れする。死後、より良い世界に行くために、〇〇せよ。との教えは怪しい。神は、そんなに心が狭いのだろうか?死後が怖くて、今を生きることに集中できなくなる。そんな宗教必要だろうか。 子どもの頃は、夏になると特集されるテレビ番組で、ぎ○さん などの霊能者の話を怖いもの見たさで視聴していた。私などは、そんな程度だ。 さて、昨日の出来事。 ランチタイムに、母が急に死後の世界について、熱く語り始めた。 母は、父の死を思い悩むあまり、(父は施設に入っているが、しっかり生きている)我が家の本棚にあった、昔々の ぎ○さんの本を再読したそうだ。霊能者ぎ○さんの説によると、人は死後、37年間転生できず、あの世の道をひたすら歩き続けるのだとか。残された家族が仏壇に供えた花が、その道端を彩り、手向けた線香の香りが良い香りを届けるとか。母は大真面目で、「棺桶に、登山の時によく使う木製の杖を入れてあげようと思うの。37年間歩き通しなのだもの。杖があった方が楽よね。後は、お父さんが好きな囲碁の本も。」 私は、母の真面目さと父への真っ直ぐな心遣いを感じて、胸がギュッとなった。ぎ○さん、そんなこと書いたのかよ…あまりに偏りすぎの信念ではないだろうか。魂はもっと自由な存在だ。千の風になって の歌の方が本質に近いと私は思う。 ただ、あちら側の世界は、目に見えない。誰かが書いた本を参考にするしかないのが現状だ。 私は、母が気の毒になってしまい、つい余計なことを言ってしまった。 「へえー。ぎ○さんは、そんなことを書いているんだね。私は、人は亡くなると、病気も不調も消えてしまい、ものすごく元気になると聞いたことあるよ。自分が好きな年代の若々しい姿になれるんだって。もしお父さんが、三十代の体を選んだら、杖は荷物になって旅路の邪魔になるかもよ。」 母は「あら、そんなに都合がよいようになってるわけ?」と、不信そうな表情をした。側で聞いていた姉が、母を庇うように、私に目配せをした。「ただ、母の信

アカシックリーディング体験

 昨夜、知人の紹介で、アカシックリーディングを受けた。友達の友達がモニターを募集中であったため、面白そうだな~と飛びついた。アカシックリーディングとは、どんなもので、催眠療法と、どんな違いがあるのか、探ってみたい。 ☆今までのアカシック体験 過去2回、アカシックリーディング体験がある。 初体験は5~6年前。うつ病に苦しんでいた頃で、仕事を辞めるか迷っていた時期。数々の前世や出身星が判明し、予想以上に面白かった。自己否定感が大きかったが、少し自信を取り戻して楽になれた。30回ホピ族だったとか、エジプトでアーティストだったと教えていただき、時々思いを馳せてイメージを膨らませては癒されていた。当時は、キュウキュウと生きていたので、視野を広げてフウッと意識を和らげるのに役立ったと思う。 二回目は、一年前。たまたま路上で机を広げていた女性に短くサクッとやっていただいた。オリオン大戦など、宇宙の話題でたいそう盛り上がった。初っ端から宇宙時代の転生が出てきたので、驚いた。私の魂は、宇宙色が濃いようだ。 他には、ヘミシンクで、自力でアカシックにアクセスしてみたことがあるが、たいてい眠ってしまうので、自力では成功したためしがない。 催眠療法でアクセスする幼少期や前世の記憶は、どこからもたらされているのだろうか?潜在意識の中でつながる領域が、アカシックなのだろうか。 私の乏しい知識では、宇宙すべての記憶が保管されているという図書館をアカシックレコードと言うとか。その図書館には番人が居て、私の魂の変遷がすべて記録されている本を巨大な本棚から出してきてくれるとか。その本の表紙には、魂の個性を表現するマークが印刷されているとか。そんなことをどこかで読んだり、聞いたことがある。エドガー・ケイシーもアカシックレコードからクライアントの情報を引き出していたそうだ。 さあ、ドキドキの60分間体験、スタートである。 ☆アカシックリーディングとは アカシックリーダーのAさんから説明を受ける。  「地球を取り囲むエネルギーグリッドには、個人の意識から集合意識までの出来事と反応が記録されているアカシャ(アカシックレコード)と呼ばれる領域があり、アカシックリーディングではクライエントさんからの質問に対する答えをこのアカシャから得ています。   アカシャから得られる情報は質問をしたときのクライエントさん

命の音は宇宙の音

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 天河大辨財天社名誉宮司 柿坂神酒之祐氏とサウンドアーティスト 岡野弘幹氏の対談を読ませていただいた。 宮司によると、言葉の語源は言の葉。日本の和歌のように自然体にウェーブで入ってくるような波動。それが言葉の初め。赤ちゃんの産声。それは命の音。祝詞もそう。神道は神の道、神の命のこと。頭の知識ではなく、それを感じられるようになり、真の祝詞が上げられる。音楽家もそうだ。と仰っている。 岡野氏は、山で駆除された鹿の皮を使い、メディスンドラムを百台以上作った。ドラムを叩くことで、動物たちの御魂が蘇る。魂を復活させる。太鼓を叩く時は、亡くなった鹿と一緒にいる。御魂そのものの響きに山が喜ぶのが分かる。笛を吹く時は、一本一本の木の人生を感じる。すべての記憶が樹木にあり、それが楽器に籠もる。息を入れることで、新たな風になる。 振動や色合いは響き。森羅万象の響きとの調和、共鳴、それが御神事。一体化するために音が重要な役割を果たす。私たちは、森羅万象の一部であるのだと語られている。 岡野氏は、昔、どうしたら上手く演奏できるか、人に喜んでもらえるか考えながらやっていた。そうすると素直な音が出なかった。 ただ、マインドを真っ白にし、その場のエネルギーに同調する。太古からの人々の祈りの場に自分がいさせてもらえることに感謝しながら、時空を超えた祈りの中に溶け込んで、音を響かせてもらう境地で演奏すると、聖なる音の表現となる。 場の共鳴。波動を感じ、そこから素直に出てくる言葉や音を神様に伝えるようにすることが、全体を平らかにするようだ。音の一つひとつが神の命。その音の中に意識まるごと入っていく。音そのものになる。時間を超越し永遠を感じていく。自然界の音は、在るように在って、在るように響いているので、そこに同調していく。 (雑誌『anemone』2023年7月号より一部を抜粋要約) ☆天河大辨財天社の思い出 十八年前、こちらの七夕御神事にお手伝い参加したことがある。三泊くらいで、神社の目の前の民宿に泊まり、白作務衣を着て、境内の掃除、御神事受付、灯籠流しの後の片付けまで従事した。 今、You Tubeで、岡野氏の音霊奉納の動画を視聴していて、懐かしさに胸がいっぱいになっている。 岡野氏が奉納演奏している舞台は、神殿の目の前にあり、私は十八年前の数時間、この舞台を拭き清めていた。夜が更けてからは、満点

前世療法体験~感情を研究する魂

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 前世療法セミナー三日目の最終日。私の体験をご紹介したい。 ☆テーマ なぜ、今世、子どもに恵まれなかったのか、その意味を知りたい。 37歳で流産。その経験があまりに辛すぎて、無意識に妊娠から逃げて来た。気付いたら、順調に更年期を過ぎ、今に至っている。子育てがなかったからこそ、自分のやりたい事に挑戦もできたし、仕事にも全力投球できた。自分のことに集中できたので、結果良かったのだと思う。ただ、どこかで、女性としての欠乏感があることは否めない。人生の選択をきちんと腑に落としたい。 ☆安全地帯 白と薄紫色の鷺草が咲いている。その花を、下から見上げている視点になっている。ということは寝転がって見ているのだろうか。草地に寝転がった姿勢のまま、空の青さを眺めている。落ち着いて静かな気持ち。 ☆前世への階段 丸いマンホールみたいな穴の中に、白いツルツルした石でできた階段がまっすぐ降りている。丸いマンホールみたいな入り口は、昨日も出て来た。私の潜在意識のお気に入りのようだ。 ☆前世の世界へ 透明で冷たい水をたたえた湖。まわりは靄に包まれていて足元しか見えない。湖の浅瀬に立っている裸足の足が見えている。西暦千何百年あたりか。ヨーロッパのドイツ近辺。ナターシャ。15~17歳。グレーの修道院付属学校に通うような印象の制服を着ている。短めのクリクリしたショートの髪型。白人。快活な感じの女の子。 ☆前世の家 石のブロックが積み上げられた平屋の家で、ブロックの隙間から雑草が生えている。家の中は、出窓と木製の家具が置いてある。 ☆食事の場面 義理の父、実母、叔母、ナターシャの四人家族。 義理の父は、ナターシャを可愛がっている。ナターシャは積極的で好奇心旺盛。勉強をしたがっているので、これから修道院の寄宿舎へ入れて、好きな勉強をさせてあげるつもりだと言う。 ナターシャは、家族の中で一番大切にされていた。テーブルも、上座にあたる、お誕生日席に座って食事をしている。甘やかされて育てられている。何でも思う通りになるので、挫折を知らない。大切にされるのが当たり前なので、自分に自信を持っている。誰もが自分を好きになると勝手に思い込んでいる。思い立ったら、パッと行動する決断力がある。自分の魅力を活かして、まわりを動かし、望み通りに事を運んでいくことに長けている。自意識過剰なところもあり、猪突猛進型の性格である。

前世療法体験~家族の課題を探る

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 前世療法セミナー二日目。私の前世療法体験の記録である。 ☆テーマ 家族という大きな枠で、課題を知りたい。私の人生は、一貫して家族の課題に向きあっている。何らかのヒントが得られればうれしい。現在、父が認知症で施設に入所している。父の感じていることも知りたい。 ☆安全地帯 小さな、青と紫の花畑。薄曇りの空。足元の土には、大き目の砂利のようなものが混ざってごつごつしている感触。 ☆前世への階段 丸いマンホールみたいな穴の中、砂で薄汚れたコンクリート製の階段がまっすぐに下りている。 ☆前世の世界 黄土色の固めの砂。砂漠まではいかないが荒地のよう。地面のイメージから、中東あたりか。世界地図では、エーゲ海あたりが気になる。BC.かAD.600年?いずれにしても古い時代。アントニオ。逞しくエネルギッシュな男性。20代。白い一枚布をまとって肩のあたりで留めている。 ☆アントニオの家 粗末で小さな四角い家。玄関は無く、入り口に大き目の布がかけられている。家の中に家具らしきものはない。 ☆食事の場面 マスカットのような葡萄が、目の前に見えている。女神のような美しい女性が葡萄を収穫している姿が見える。葡萄畑の傍らで、大勢の男性が、ピクニックみたいに地面に料理を広げて、お酒を飲んだり、ワイワイ楽しんでいる様子がぼんやりと感じられるが、はっきりとビジョンで視えているわけではない。アントニオは、情熱的で、ちょっと短気で、エネルギーを持て余している、やんちゃな性格だったようだ。 食事はいつも戸外でとっているわけではなく、たまたまピクニックの場面が出てきた感じ。先ほどの女性以外、他に20人くらいいるはずの男性たちの姿ははっきりしない。気配だけを感じて、そうかな?と捉えている程度。 この女性に意識交代し、情報を得る。 アントニオは、その美しい女性(妹)に恋をしている。まぶしい思いでいつも見ている。妹もそれを感じていて、戸惑っている。嫌な気持ちではないが、当時も近親婚は禁じられていたので、心の内に秘めるしかない恋心だった。 ☆大切な場面 視界の左上部に、巨大な白い三角形が見える。紙飛行機みたいなイメージ。あとは、黄土色のグラデーションの世界。ぼんやりして、何も分からない。アントニオの感情を探ってみる。何かに挑戦しようとしている。やる気のような気持ちを感じる。 ☆次の大切な場面 巨大な石造りの遺跡のよ

前世療法体験~なぜ私は書くことが好きなのか

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 本日、退行催眠療法セミナーを再受講した。前世療法を、誘導初体験の初心者受講生にお願いしたもの。 ☆テーマ 文章を書いているのが好き。昨日も11時間書いていたけど、楽しくて全く疲れなかった。なぜ、こんなに何か書いているのが好きなのか。関連ある前世を知りたい。 ☆安全地帯 背丈ほどある、でっかい向日葵畑。地平線まで広がっている。快晴。モンシロチョウが、二羽、くっついたり離れたりして飛んでいる。楽しい気持ち。 ☆前世への階段 黒光りする金属製階段が真っ直ぐ、壁つたいに下に伸びている。スイスイ降りていく。 ☆前世の世界 階段下に到着した。 石畳の広い道路。坂の上からの眺め。道路が傾斜しているので下は見えていない。向こうに港。外国との貿易をしていた街。明治か大正。坂があるから神戸? 大人の履き古した下駄を履いた10歳の男の子。ツンツルてんの絣の着物。坊主頭。山本太郎。 ☆太郎の家 急勾配の丘の中腹にある洋館。赤い三角屋根に白い壁。二階建て。あまり大きくない。家の中。暖炉、西洋の家具。外国人の女性が住んでいる。 ☆食事の場面 二階の小さな物置部屋みたいなところの床に座って、小さな箱をテーブル替わりにして、質素な食事を独りでとっている。 階段の手すりごしに、一階の食堂を見下ろして覗いている視点になる。 長細いテーブル、正面に西洋人の女性が座って食事をしている。髪を結い上げて、地味な色のドレスを着ている。テーブルには4人くらい、来客者がついている。 西洋人女性に意識交代。 「どう接したらいいのか、分からない。私には子供がいないので。」と、戸惑っている。 真面目で神経質な性格が伝わってくる。太郎のことを大人しいと言う。 将来については、外国語を学ばせて、教師か牧師になって欲しいようだ。この女性の後継者にするつもり。 太郎は、両親は健在なのだが、何らかの理由から、この女性の養子になった。外国人として、神戸に居住し、何らかの教育に携わっていた方。日本に、その教育を定着させるため、養子をもらい、小さい頃から教育し、後継者を用意しようと考えた。 太郎も、まだ、洋館に来たばかり。西洋のマナーに戸惑っている。椅子に座って、フォークやナイフを使って食事が出来ない。ディナーは、来客があるので、まだマナーができない太郎を恥ずかしいと思い、一人で二階の小さな部屋で食事をさせていた。 お互い、言葉も通じ

初夏の宇宙会議

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 先月から今月にかけて、宇宙エネルギーの作用もあり、大規模な浄化が行われていたようである。潜在意識深層や筋肉に沁み込んでしまったネガティブエネルギーの手放しである。私は、家族のことで、必要な現実化を起こし、闇に入り込む数日を経て、浮上したところだった。この過程を美容院に例えるなら、カット→シャンプー→トリートメントという流れに相当する。まさに、本日はトリートメント日和である。一連の浄化プロセスの総仕上げが行われる。 自然な流れで、初夏の宇宙会議が開催された。参加者は、お馴染みのS市にお住まいのYさん(魂の兄)。 Yさんとは、人生課題が似通っている。今回も同じタイミングで闇に陥っていた。私は、夫や魂友たちの力を借りて、重い周波数を手放した。この一連の格闘は、ブログに記録してきた。 Yさんは、医学知識豊富で心理療法のプロでもあるので、自己コントロールの上、見事に乗り越えたようである。心身に痛みを伴う強烈な浄化月間であった。互いに、同じタイミングで宇宙トリートメントまで辿り着いたことを、帰還した傷身戦士仲間のごとく、讃え合いつつ、スカイプ会議を始めたのであった。 Yさんは、仏教やインド哲学の知識も豊富なので、今までの会議でも、宇宙真理を表現するために、禅やサンスクリットの用語などが会議で使われることもあった。言葉の定義について、互いに共通認識を持っていないと、話が噛み合わないことが起きてしまう。言葉の意味に縛られて、自由な発想の流れを制限してしまうこともあるので、言葉に頼り過ぎてはならないとYさんも警告を発してくださっていたのだが、この物質次元でコミュニケーションを取るには、不自由ながらも言葉を利用するしかない。Yさんは、毎度のことながら、図や写真を駆使して、私が理解しやすいよう配慮してくださった。互いに共通認識が持ちやすい表現を探り合いつつ、会議が進行していった。 この数日、自然な流れで『バガヴァッド・ギーター』を学ぶ流れに誘われていた。今回の会議でサンスクリット用語が出てくるかな?という予感もあったため、易しい解説書や動画で予習しておいた。バタバタと付け焼刃的に学習したのが、前回二回のブログに投稿した内容である。 本来は、難しい専門用語など必要ないのだということが、この会議の最後には理解する。潜在意識は言葉を介さない世界なので、言葉にならない世界観をしっかり受け取って

バガヴァッド・ギーター~次なる二歩め編

 早速だが、バガヴァッド・ギーターはじめての人向け 第二弾をお送りしたい。 というのは、この後、魂の兄との宇宙会議で、バガヴァッド・ギーターが伝えたい一番のテーマが、実は、一枚のイラストだけで表現できてしまうということが判明したからだ。 驚きの発見だった。 次の投稿をご覧になる方のために、共通理解を持っていた方が、読みやすいかな?と思ったため、私の学習メモをこちらに上げておく。 宇宙会議に興味が無い方も、インド哲学には興味があるという方は、ぜひご覧ください。 *参考書籍 『いちばんていねいでいちばん易しいインド哲学 超入門 バガヴァッド・ギーター』 大塚和彦 著 以下は、解説の大切と思われる部分のメモ。 網掛け部分は、バガヴァッド・ギーター翻訳(岩波文庫)。   ☆はじめに   四種の善行者が私を信愛する。すなわち、悩める人、知識を求める人、利益を求める人、知識ある人である。 第七章十六節   ・自分とはいったい何者だろう? ・この人生で自分は何をすべきなのだろう? ・なぜ、自分だけ理不尽なことが起こるのだろう? ・なぜ、同じことを繰り返してしまうのだろう? ・どこか満たされないのは、なぜなのだろう?   語れている主題はこの世の真実 私たちの心からの純粋な問いかけにはっきりとした答えを与えてくれる知識。 私たちの「あたりまえ」に新たな視点を与えてくれる。 本当に自分が悩む理由があるのか?という深い部分からの気づきが生まれる。 ごく普通の人が、「自分を生き切る」「悩みで倒れない自分をつくる」ための実践の哲学   バガヴァッド・ギーターとは   インド哲学を代表する聖典 およそ2000年以上前にまとめられた 700あまりの短い詩文 18章で構成 偉大なる神の(バガヴァッド)詩(ギーター)と翻訳 この世界で知るべきすべての知識がまとめらている 日本ではヨガの実践者を中心に広く読まれている インド公用語の一つサンスクリットでまとめられた教え 古くからさまざまな言語に翻訳 ガンジー、ヘッセ、ユングなど偉人に影響   ☆ インド哲学とは   哲学=人生で直面した具体的な問題に対して、自分なりに「問い」をたてること。そしてその答えを得ようと考えること。