穏やかなデス·リハーサル
「催眠療法によるデス・リハーサル」 Alexander A Levitan,M.D. ~クライアントや家族のニーズに応え、死を目前にした方や、死の不安が大きい方に向け、開発された催眠誘導。これは、死への不安を和らげ、その経験がクライアントと家族に与える影響についての誤解を正すために有効である。~ 今後、がん患者や難病患者に接して行くことも多くなるだろう。 もちろん病気が改善することに望みをかけて、クライアントは催眠療法を受けるのだろうが、「死」を避けていると、いつまでも黒雲のような不安にまとわりつかれることになるかもしれない。「死」をタブーとするのは、どうなんだろうか? 現代社会では「死」は避けるべきものとされ、病院で亡くなっても裏口からひっそりとご遺体が運ばれていく。反対にホスピスでは、堂々と正面玄関から運ばれるそうだ。 私たちは、「死」について親や学校から学ぶ機会はほとんど無い。もし、仏教やキリスト教などの信仰をお持ちの方は、教義に基づく死生観を得ていらっしゃるかもしれないが。一般的な日本人は、「悪い事したら地獄に行くのかな?」「死ぬと消えちゃうのかな?」「もう会えなくなっちゃうの?」など、曖昧なイメージしか湧かないだろう。そもそも、日常で死について語る場は限られる。「死について語ろう」と家族や友達に提案したら「どうした?何かあった?」と心配されるか、避けられるに違いない。 しかし、死は必ず訪れる。今健康な人でも、明日は分からない。事故や災害はいつ起こるか分からないからだ。病気でありながら長生きする人もいる。善いことばかりしてきた人が長生きできるわけでもないし、悪い事ばかりして、長寿な方もいる。死は、平等に全ての生きとし生けるものに訪れる。考えてみると、そんなポピュラーなイベントなのに、曖昧なままにされていることがとても不思議である。 おそらく、死は、不吉なイメージがあり、祖先から引き継がれてきたDNAに怖れとして刻まれているのだろう。方丈記などを読むと分かるが、災害、疫病、飢饉、戦などで人間の命は翻弄されてきた。 今、私の肉体が存在しているということは、祖先が様々な死の危険を回避し、生き延びてくれたからに他ならない。私たちは何ともラッキーな遺伝子を引き継いで今ここで呼吸をしている。人類創成から、命のバトンが引き継がれているわけである。まず、今を生きている私た