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7月, 2021の投稿を表示しています

七福神はそばにいた

 昨日、面白い動画を観た。 一年ほど前にYouTubeに公開されたものだが、偶然おすすめに流れてきて、何気なく視聴したら、とても楽しかった。 スターシードチャンネルという番組で、日本の神様を身体に降ろし言葉を語らせるという女性が出演していた。 信じるも信じないもあなた次第という世界だが、私はとても気に入った。なぜなら、七福神の神様二人が、とても明るくチャーミングで、とても身近に感じたからだ。 過去にも他の番組で、神様らしき存在をチャネリングする動画を拝見したことはあるが、話し方も内容も高貴すぎて、畏れ多い感じがした。 昨日の動画では、恵比寿様と大黒様がメッセージを語っていた。話し方は、お爺さんぽいが、まったく偉ぶらず、率直で明るくて、楽しいキャラクターだった。そういえば、七福神て、船に乗って音楽を奏でながらワイワイ楽しんでる雰囲気なので、当たり前なのかも。 大黒様は、大国主命のことで、縁結びの神様らしい。「具体的にお願いしなされ。優しい人と言っても、優しい人はいっぱいおるじゃろが。自分がどんな人と縁を結びたいのか、自分の本当の気持ちを知ることじゃ。こちらが良かれと思い出会わせても、選り好みしてしまう。具体的に言われないとわからん。」とのこと。 よく、神社では、あまりお願い事をしてはならない。感謝の気持ちを伝える場所。と教える方がいるが、七福神に関しては、そんなこと気にしなくてよいらしい。どんどん、お願いしなさいとのこと。ただし、具体的に。 神様は、人の心の中までお見通しだから、みなまで言わずとも、善きに計らってくれるものと思っていたが、ちゃんと意図しないと伝わらないらしい。へぇ~。である。 宇宙ルールでも、自由意志の法則があり、人間一人ひとり、違う学びをしているから、困難な体験でも魂は喜んで選択しているかもしれず、神様や宇宙存在は、勝手に手出しは出来ない決まりがあると聞いたことがある。その代わり、助けを願えば、必ず手を差しのべてくれるとか。 また、現実創造は、人間の意識から始まるので、望みはより具体的に想像するとよいとか。 だから、大黒様が「具体的に!」と伝えているのも、宇宙法則から理解できた。 「選り好みして」せっかくご縁を結んでくださったのに、機会を活かせない人もいる。やはりそれば、意識が外側ばかりに向いて、本来の自分と繋がれなくなっているからだろう。どんなご縁

八百万の神様

 今朝のこと 突然大粒の雨が降ってきた 降っては止み、降っては止むを繰り返す 携帯が防災情報を受信し、東京上空で発生した強力な雨雲が、(大きさは一つの区を覆うくらい)我が家のある地域に向かってくるのが分かった これから、夫が出勤する時間帯に酷い雨が来そうだったので、早めに家を出たら?と提案したが、夫は動じずのんびりしていた 暫くして 「龍神さまが助けてくれた!」と夫が雨雲レーダーを見せてくれた こちらに向かっていた雨雲が、急に90度向きを変えていた 夫は雨に濡れずに仕事場へ自転車で向かった 今日は、1ヶ月に渡る出張先での最後の仕事の日だったので、気持ちよく一日を過ごして欲しかった。夫を守る何らかの存在が、夫の通勤時間帯だけでも、雨雲を脇に避けてくれたのかもしれない。夫は、空を見上げ、龍神さまにありがとうと言いながら、自転車をこいでいたに違いない 日本は、数えきれないほど神様に守られた国だ 八百万の神様と表現される 空に、山に、海に、岩に、稲穂にも、野生動物にも、雷などの自然現象にも 日本人は、目にする様々な対象に神性を見出だし大切にしてきた 神社に祀られる神様(古事記で有名な神を含め)は、宇宙由来であるとか 遥か昔、宇宙から飛来した龍のうちで、人間と関わりを持つ存在が龍神と認識されたとか レムリアが沈む時に日本へ逃れたのが、今、富士山を守る女神であるとか 最近知った神様情報はいくつかあるが、印象として変わらないのは、日本の神様は、人間にとても身近だということだ 例えば、お米一粒の中には、七人の神様が宿っているので、ご飯は残さず有り難くいただきましょう。という教えは、根拠は無いまでも食べ物を大事にする習慣の根幹に位置している。食事に自然と手を合わせることが出来る日本人の心根が好きだ。(私は、小さい頃から、お茶碗によそわれたごはんを見ると、ニコニコ笑っている1ミリに満たない小さな神様を心の目で見た。) 昔から、里には鎮守の神様がいた。飢餓や疫病から村を守り、人間の生き死に、喜びや悲しみに寄り添い、豊かさを実現するために力を貸してくれた。だからだろうか、神社のお祭りは、時代を経ても存続している。神様も人間と共に楽しむのが好きなのだ。八百万の神様と日本人の親和性は、遺伝子に刻まれているようだ。 目に見えないが、感じる。あたたかく、大きく、優しく、力強く、すべてを受け入れてく

心の目

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 数日前、夜7時頃の西側の空 光源は、雲に隠れ見えないが、そこに太陽が存在することは分かる。隠し切れない光が、天空に真っ直ぐ伸びているから。 「その想像力があれば、美しいものを作れる でも、真実は、想像と違うことが多い 大人になったら自分の力で真実や答えを探してごらん 人の話は真実とは限らない 自分の目と知恵を働かせて世界を見るんだ 目がちゃんと働かなくても目に見えないものが心の目には映る それが知恵だ」 『幸福路のチー』台湾映画のワンシーンより

空が表現するものは

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 時刻は、夕方6時半頃 方角は東南 太陽は既に西側に沈んでいる 月が昇るのは夜8時あたりなので、こちらの方角に光源は考えられないのだが 柔らかな光が放射状に伸びている パステルカラーのピンクのグラデーションも美しいが、正体不明の光の放射も神秘的だ この時、我が家では Chie Artさんの光の音楽を聴きながら、夫に、光エネルギーヒーリングを施していた。 Chieさんの『光の世界』という作品が気に入ったので、額に入れて飾ってある その絵をイメージしながら、夫の体内に光を流していく。 夫の体内にも広大な宇宙が広がる 無数の星が瞬き、流れ星が螺旋を描きながら体内を駆け巡る そのうち、夫の内側が優しい光で満ち溢れてくる 私がイメージで感じ取った色彩が、丁度、現実の空に彩られていた もしかして、虹でも出現するんじゃないかと、しばらく空を眺めていたら、放射状の光に気がついた 魂の光を空に描いたら、きっとこんな色合いになるんだろうなと思った 気功やられている方なら共感していただけると思うが 人間の体内にも、宇宙がある 内側は閉ざされてはいなくて 実は無限の広大さ 人間は、決してちっぽけな存在ではない 誰もが神秘的で崇高な魂を抱えている たくさんの人が、その真実を思い出してくれたらいいなと思った

シグナルをつかむ

 夢辞典を手に入れて、私をサポートする高次元の存在からメッセージを受け取ろうと試みを始めたのは、先日のblogに書いた通り。 ひと昔前のスピリチュアルは、他力スピリチュアル。高次元存在と自分の間に仲介者を入れるしか、メッセージを受け取ることは不可能だった。 しかし、新しい時代になった。私たち、一人ひとりが宇宙根源の存在から分離した存在である。つまり、神は、外に存在するのではなく、内に存在する。本当の神様は自分という神殿の中にいる。我が身に力を取り戻す時代に突入した。自力スピリチュアルの幕開けである。 世の中に溢れる情報のほとんどは、誰かに都合のよいように歪められている。真の情報であっても、誰かに都合が悪ければ、消されてしまう。善の情報に見えても、実はミスリードを狙った偽りかもしれず、派手で影響力があり、短期間でもてはやされてきた情報には、中立の立場を貫いた方が賢明だ。派手さ故に、夢中になり、引き込まれ、気がつくと真実から遥か離れた所を彷徨うことになりかねない。 自分をサポートする存在と、自力で繋がること。これが一番安心安全であろう。 真のメッセンジャーは、地味で目立たない。宇宙を貫く自由意志の法則を何より優先するので、私たちを辛抱強く見守ってくれている。私たちが依頼しない限り、手出しはしないが、メッセージは送り続けてくれている。それが、夢である。 身体の不調や人生の困難について、解決策を提示してくれている。彼らは高次元にいるので、顕在意識で私たちは感知できない。しかし、夢の中であれば、コミュニケーションが可能なのだ。覚醒と微睡みの間、ウトウトしている時の脳波は、一番メッセージを受け取りやすいらしい。サポートする存在は、そこを目掛けてアクセスしてくれている。 第一段階として、自分を見守る高次元の存在を信頼する必要がある。私は、昨年、命の危機に瀕し、力強い愛のエネルギーに包まれ救われた体験がある。普通なら不安と恐怖で絶望するような現実の中、絶えず、あたたかい光に照らされ、1ミリも疑いの心が起きなかった。大丈夫。私は生かされる。揺るぎない信念を土台として、私はみるみる回復した。奇跡的と言われることが、普通に起きた。私には、まだ、この地球でやることがある。だから、私をサポートするチームが総力戦で、私を助けてくれた。その間、私は安心して身を委ねていれば良かった。この深い深い信

光を意識する

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 昨日の夕焼け空 画像を拡大するとわかりやすいが 雲が燃えている 闇に向かう瞬間も 力強く光を放っている 私たちの記憶に焼き付けるかのようだ 私たちは、本来は光である 愛であり、善であり、調和である 魂の成長のために、分離してしまったが 元々の魂の故郷は、光に満ち溢れている もう、そろそろ 思い出しても大丈夫 私たちは、光も闇も、たくさん学んできた 闇の中でもがきながら、 自分の本来の姿を探し求めてきた それが、地球で生きるLessonだったから 私は、かつて、光だった 戻る場所は、光

ヤマタノオロチ雲

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 前回の投稿で、 高次元の存在が空をキャンバスに絵を描いている。と書いたが それで、気をよくしたのか? さらに独創的な表現を見せてきた。 ヤマタノオロチ雲と名付けたい。(勝手に) 長い首が雲の塊からニョロニョロ飛び出し 顔らしきものまで、見えてくる気がする。 ギリシア神話では、頭がたくさんある怪物をヒュドラとかヒドラとか言うらしい。 さて、今日は神田明神へ散歩してきた。 境内のカフェは、綺麗でゆったりしていて、オススメだ。 この飲み物は、 神社声援(ジンジャーエール) 祈祷済みの縁結びセットである 美味しい上に、胃袋まで神様波動で浄化された。 コロナ騒動終焉を祈ってきた。みんなが健康で安心して生活できますように。 JR御茶ノ水駅近くの聖橋から見た眺め この景色は昭和遺産だと思う このノスタルジックな眺めがいつまでも拝めますように。 電車が行き交うのを眺めていると、時間が経つのを忘れてしまう。ぼ~っとしたい方は、ぜひ。 今日は、風が爽やかな一日だった。 日陰に入れば、冷房がいらないくらい、風を心地よく感じることができた。 こんな日は、夏野菜を味わいたい! 皆様、連休を楽しんでくださいね。 おまけ 荒巻鮭雲<゜)))彡

怖れのバイブレーションを手放す

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 昨日の夕方、何気無く窓から外を眺めた。 夕陽に染められた柔らかな雲が、とても神秘的で、魂を揺さぶられた。 夕刻から夜にかけて、徐々に色合いを変化させていく空の様子は、奇跡的な美しさだ。 もう二度と再現できない、今、まさしくこの瞬間の美しさ。刹那的で儚く。永遠で普遍的。 地球の空をキャンバスにして、高次の存在が作品発表会をしてくれているのかな。 ふんわり立ち上ぼる柔らかな雲は、大きな羽根のようにも見える。白く輝く小さな点は、お月様。 数分、目を離していた隙に、空の雲は綺麗に消えてしまった。あまりに潔い作品発表会に、唖然とした。空の移り変わりは、惜しいほど展開が早い。 いつも気をつけて空を見ていないと、美しい瞬間を見逃してしまうかも?な~んて、勿体ない根性が沸き上がってきそうだが、実は、うまく出来ているのだ。 高次の存在がお空に作品を描いた時は、自然と気がつけるようになっている。「何気無く見上げたら」というような、何気無くがポイント。私たちは、意識せずとも、高次の存在からのテレパシーをキャッチしている。「ふとした瞬間」に、私たちは空を見上げる。「ねえ、見て見て!」きっと、そんな声を無意識に聴いているのだと感じる。 高次の存在の描くお空の作品は、私たちへの応援メッセージだと思う。美しい造形の雲や、目を見張るような色のグラデーション、光の共演などを見ていると、不思議と穏やかな気持ちになってくる。 Chie Art さんの言葉 「怖れを手放してありのままの自分でいると、出来事や状況そのものに、よい·悪い が存在しないことがわかります。よい·悪いを正しく評価できる人などいない、ということにも気づきます。 ありのままの光の存在である私たちには、愛にあふれる世界、幸せで楽しい未来しかありません。つらいことや嫌なことはしばしば起こります。でも、それを怖れる必要はありません。起きたことを つらいことだ、嫌なことだ とジャッジする必要もありません。 何が起きようとも、私たちの世界は光輝いて美しいのです。 そんな世界を創造するのは自分。未来は自分次第。私たちは、本当はそれを知っているはずです。 世の中には美しいものがたくさんあります。本当に美しいものの中には、怖れのバイブレーションは宿っていません。 何かを怖れているとき。今起きている出来事や、自分の人生について、悪い、つらい、嫌だ、と感

三つ子卵のジンクス

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 だし巻き卵作ろうとして 人生初!双子卵に出会いました~☆ 厳密に言うと、三つ子 写真左側の卵がそれです。 黄身が潰れたわけではなく、小さい三つ子目が、双子の真ん中から顔を覗かせてます♡ だし巻き卵は、先ほど美味しくいただきましたが、双子卵ちゃんって、どんな意味があるのかな?とググってみたところ 何と、養鶏場で1%の確率でしか生まれないそうです。双子ちゃんが宿る卵は、先が尖っているらしく、さらに、スーパーで形の悪い卵は選り分けられてしまうので、手元に来る確率はもっと減ります。 双子卵ちゃんに出会えた人は 幸運に出会える兆しとのこと♡ だったら、三つ子は? どんだけ幸せを呼び寄せる兆しなのかしら☆ 夢のお告げといい、アルバイト先でのリベンジチャンスといい、もう私の目の前には祝福しかあり得ないじゃあないですか? 双子卵ちゃんのスピリチュアルな意味は、近々、ツインソウルに出会う!という意味もあるそうで 三つ子ちゃんなら、トリプルソウル? 元々、ひとつだった魂の片割れに出会うのだとすれば、感動もひとしおだろう。元々自分なのだから、側に居るだけで、言葉が無くても馴染むのだろうなあ。 同じ波動の人に出会うと、一緒に居るだけで純粋に癒されてしまう。何故だか、同じ時期に似たような課題に取り組んでいる場合が多く、自分の体験が相手の気づきにつながり、奇跡的なスピードで成長が促される。自分自身を相手の中に見出すことは、自分を客観視することなので、より学びが深まるのだと思う。 同じ波動の人と言えば、神原さんの連続講座で出会えた二人だろうか。 彼女たちは、私とは比べものにならないほど、キラキラ輝いていて、ピュアで、可能性の塊だった。眩しくて手の届かない所にいる存在だと感じながらも、憧れの気持ちは絶えず沸き上がった。 神原さんによれば、 「どうしてこうも似通った波動の三人が集まったのか。面白いね。」 と言うことだった。 似通った波動ということは、私も、彼女たちの魂の故郷に近い存在なのかもしれない。その示唆は、私を勇気付けた。まだ、追い付けないけれど、何れは、彼女たちのような愛の波動に満ちた光に溢れる柔らかな存在になれるのかもしれない。 この気づきは、今も変わらず、私をワクワクさせる希望となっている。 卵割ったら、三つ子ちゃんが出てきたの! トリプルソウルというものがあるならば、彼女たちがそうな

光に還る

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  皆様、おはようございます。 昨夜はよく眠れましたか? 梅雨が明け、本格的な夏に突入しましたね。 気づいたら、毎日、蝉の大合唱に包まれています。 本日は、光ばかりを描いている絵描き Chie Artさんの本をご紹介しますね。 Chieさんの言葉 「本来の自分の光を取り戻すと、何が起きても穏やかな心で過ごせるので、生きるのがとても楽になります。 私は光の存在で、私以外のすべての人もみんな、光の存在 そう思い出してから、どんなことがあってもすべては  美しい瞬間 の連続でしかないと強く思うようになりました。その気づきを体験するために、私たちは、今、この時代を生きています。 ひとたび自分の中の光に気づいて、 自分は光の存在だ、愛の存在だ と思い出すことができれば、その光はあなたを、怖れの支配から解き放ってくれるでしょう。」 (『奇跡が起きる光の絵』Chie Art マキノ出版 ) Chieさんの光の絵は、数年前から好きでした。眺めているだけでは飽き足らず、パステル画材を手に入れ、自分なりに光の絵を描いてみた時期もありました。 Chieさんの美しく、癒し波動そのものの光に比べれば、私の絵は、こどもの手習い程度であったとは思いますが、指を使って描く光のパステル画は、自分でもビックリするくらい、それなりに素敵に仕上がりました。嬉しくてドキドキしたのを覚えています。 その時、 光は、誰か特別な人に宿っているわけではなく、私のような存在の中にも輝いてくれているのだ。 と感じたのです。 私の中に存在しなければ、描き出すことは出来ないはずだからです。このことは、すごい発見でした。 当時、私は何かに怯えながら、ビクビク生きていました。何故、あんなに自分に自信がなかったのか。自分のことが嫌いで、価値の無い人間だと思い込んでいました。社会でうまく生きていけない自分が力の無い弱い存在だと思うことばかりでした。 あの、底なし沼のような怖れの正体は何だったのでしょう。 親からも、学校からも、仕事からも、自分が価値のある存在であると教わった記憶はありません。絶えず何かと比較され、足りない部分を指摘され、自分ではない誰かになることを求められていた気がします。年齢を重ね、どんどん本来の自分から離れていってしまうので、ネガティブに傾いていくことは、必至でした。 私たちは、本来、光と愛の存在なのだそうです

妖怪の夏がきた!

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 夏と言えば! 皆様は、何を連想しますか? 海、花火、スイカ、浴衣、ヒマワリ、胡瓜、蝉、かき氷、入道雲··········· 私はですね、夏と言えば、妖怪。 毎年、この時期に本屋の棚を賑わせるムック本を楽しみにしている。 感染症騒ぎ前には、毎年のように開催される妖怪画展覧会も楽しみだった。 妖怪は、人間の負の感情が形になった異次元の存在とも言われる。しかし、怖いばかりでない、ユーモラスな存在は、ほっこりする時もある。人間に悪さをしないが、意味不明な行動でビックリさせてくる愛らしい妖怪は、特に好きだ。天狗、河童を始め、座敷童子、提灯小僧、小豆洗い、特に昨年注目されたアマビエは、江戸時代末期に目撃し、絵図に残した先人に敬意を表する。2020年以降の○○ナ騒動をユーモラスに可愛らしく突破する力になるとは。1846年には想像すら出来なかったことだろう。 妖怪は余白の存在だが、余白こそが大きな力になることもある。現実の目に見える世界ばかりに翻弄されていては、行き詰まることもあるだろう。なぜ自分はこんな困難に巻き込まれなければならないのか、理不尽さに腹を立てても、解決策は見えない。しかし、それが、妖怪の仕業だと考えたらどうだろうか?または、愛らしい妖怪がちょびっとばかり手助けしようとしてくれているとしたら。ファンタジーと言っても良いかもしれない。妖怪だもの、仕方ないなあ。そう思えたら、現実を受け入れ、もの事を一歩引いて見ることで、違う視点に立つことが出来る。それは、新たな発想につながり、生きる力を得るだろう。妖怪は、人間の生きる知恵と言っても、言い過ぎではないだろう。 世の中は、宇宙法則である陰陽の法則で成り立つ。光があれば、かならず闇も存在する。私という一人の人間の中にも、光(善良さ、プラス思考、幸福、愛)だけではなく、暗く泥々したものも確実に存在する。両方あるのだ。どちらにフォーカスして生きるかで、外から見た人間性として評価されるのであろう。天使のような善人にも闇はあるし、悪魔のような悪人にも光はある。それが人間の本質だ。この法則を踏まえた上で日常を生きてみると、きっと、あなたをがんじがらめにしている正義感から自由になれるのではないかと思う。 世の中に起きるさまざまな痛ましい事件にも、その闇を見させられるということは、必ずあなたの中に共鳴する闇が存在するということだ。光も闇

窓から鍵を捨てる~夢療法

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  (写真:上野 不忍池の蓮  7月19日撮影) 今朝方、不思議な夢を見た 窓が一つしかない狭い部屋にいる 一人 夜なのか、暗い オレンジ色の灯りがついている 工場の一室みたいに、無機質 古く、コンクリート剥き出しの壁と天井 テーブルくらいしかない 無駄なものが何もないシンプルな部屋 私は、壁に作り付けのキーボックスを開けて、中に下がっている鍵や、付属の金属までをも取り外す 窓を開ける 小さな窓 よく、トイレや風呂場にあるような、外側にパコっと下をスライドして開けるタイプなので、外はよく見えない 真っ暗な闇に向かって、手にした鍵や、金属類を放り投げる そびえ立つ高い建物で、外に出られないのが分かっている ただでさえ、何も無い部屋なのに、何処を開ける鍵かも分からないが、潔く窓からポイっと捨ててしまう 要らないものが残っているとスッキリしないからか、キーボックスの中の金属部分も外して、ポイっと捨ててしまう 静かな心境 その時、どこからか声がする 天の声か 「○○星では、金属は再利用される。」 (○○の部分は、聞いていたのだが、目覚めた時に、忘れてしまった。惜しいことだ) 窓の隙間から下を覗く 暗闇で、ショベルカーみたいな重機が動いている 地面に捨てられたゴミから、金属を選り分けているらしい 他の生命体の存在はまったく感じられない ここで目が覚めた 夢は、超意識からのメッセージだと言う 分かりやすいように、シンボル化して、今必要なことを、伝えてくる エドガー·ケイシーのリーディングによる夢療法に興味を持ち、昨日、本を取り寄せたばかりだ。 まだ、読んでいないので、前半は、自己流の解釈をしてみるが、本を読んで新たな解釈が判明したら、後半に追記する。 高い建物の上層部の小さな部屋は、私の頭を表しているのではないだろうか 頭は、脳。私の記憶を司る部屋 部屋がシンプルでほとんど何も無いのは、だいぶ掃除されてスッキリしていることを表しているのかも。ただ、古びているのが気になるが。 窓が1個しか無く、辛うじて隙間が開けられたのは、眉間にある第三の眼ではないか。あるいは第六チャクラ。宇宙に繋がる眼。 窓の外の暗闇は、夜。 薄暗いがボンヤリしたオレンジ色の灯りは、私の現段階での目覚め(覚醒)度合いかもしれない 高い建物に閉じ込められていると感じたのは、肉体に閉じ込められた魂を表現したのだろ

味噌汁作って足を火傷する

 昨日は、待ちに待ったヨガ教室の日だった。 普段は意識しない呼吸を意識したり、身体の各部位を動かして、感覚を味わったり、ポーズの後で、自分の中の変化を静かに見つめたり。ヨガをしていると、思考が休まり、ありのままの自分をそのまま受け入れていく。先生の誘導の声も心地よく、半分微睡んでいるような、リラックス気分に浸ることもできる。月に二回の教室だが、今の私には至福の一時である。あらためて、素敵な先生との出会いに、運命の奇跡に、縁結びの神様に感謝! こちらのヨガ教室では、ヨガと合わせて瞑想も教えてくれる。ちょっと面白い瞑想をやってくださったので、紹介したい。 テーマを決めて瞑想するという方法。 その日のテーマは「塞翁が馬」中国の故事である。 有名な故事なので、詳細は省略するが、簡単に説明すると、運が悪いと思う出来事が実は幸運を運んでくることもあり、目の前に起こる出来事に振り回されず生きることの大切さを説いたものである。 そのテーマに沿って瞑想し、思い浮かんだことを参加者同士でシェアする。楽しい!こういうの大好き。 皆さん、不運だと思った出来事により、それがあったからこれに気がつけた。などの収穫を披露されていて、私も嬉しくなって聞き入った。私も、不運などという出来事は、実は起こっておらず、すべては必要があるから起きているという考え方が好きなので、「塞翁が馬」瞑想がすっかり気に入った。 そして、私が披露した最近の体験談だが。 数日前、味噌汁を作っていて、具の玉ねぎを煮立った湯の中に入れようとした。本性が乱暴者の私。玉ねぎが、ボチャッと鍋の中に落ち、湯が跳ねて、私の左足甲にかかった。ギャ~!である。皮膚が赤く染まり、ジクジクヒリヒリ痛み出す。しばらく氷を当てていたが、痛いったらありゃしない。何やってるんた私。玉ねぎをそ~っと鍋に入れればよいだけのことを、何故出来ないのだ。と、自分を責めそうになったが、ふと、こんなことを考えた。 私、催眠療法を勉強してるよね。痛いところがあれば、自主練できるではないか。催眠の効果を実体験するまたとないチャンスではないか? そこで、いそいそと布団に横たわり、誘導CDをかけた。 結論から言おう。痛みは和らいだ。入浴した時に、湯がしみたぐらいで、普通にしていれば、ほとんど痛みは感じなくなった。また、夜中に患部を擦ってしまい、皮がベロっと捲れたが、その後は

寅さんセラピー

 映画 「男はつらいよ50 お帰り寅さん」を観た。 寅さんシリーズは、特に好きというわけではないが、バス旅行の帰りに車内でビデオ上映されたりすると、つい夢中になり、泣いたり笑ったりしてしまう。 大抵の日本人は、抵抗なく楽しめるのではないだろうか。なぜかというと、古き良き時代を懐かしく思い出し、それぞれの場面で、我が人生と照らし合わせることが出来るからだろう。寅さんのストーリーが刺激になり、過去の感情が甦る。気がつくと、あんなこと、こんなことを記憶に甦らせ、はたして、寅さんの映画で泣いているのか、自分のことで泣いているのか、境目が分からなくなる。 過去の感情は、肉体に記憶される。気功エネルギーヒーリングの回でも紹介したが、辛かったり悲しかったり怒ったりした経験のトラウマは、浄化しない限り、肉体のどこかに宿り、視野狭窄的なマインドとして、私たちの生き方を困難にしてしまう。トラウマの手放しは、様々な手法のセラピーで扱われている。 どんなネガティブな感情も、味わい尽くし、当時の自分を受容し、不要なマインドを手放す。このことは、ブログでも繰り返し紹介してきたが、面白いことに、寅さん映画を観ていても、同じことが起きていることに気がついた! 寅さんは、感情の開放につながる。 寅さんセラピーと名付けたい。(笑) もしかしたら、時代の共通体験が無いと当時の感情が沸き上がってこないかもしれないが、昭和20~50年代生まれの方々には、ぜひ試していただきたい。ほんとに、忘れていたいろんな思い出が甦るので、それだけでも癒されると思う。 寅さんの実家は、いつも大騒ぎだ。ちょっとしたトラブルが発生し、感情の行き違いで、怒ったり拗ねたり。しかし、根底には相手を思いやる優しさがある。その優しさが、ありがた迷惑だったりするのだが。「もう!煩わしいなあ。放っておいてくれよ!」と、ついつい憎まれ口を叩き、喧嘩が巻き起こり 、「ああ、怒っちゃった。」と笑う。感情むき出しでぶつかり合う家族や近所の人々が、愛おしい。 気がつくと、泣いている私。特に、悲しい場面があった訳でもないのに、この切ない感情は、何だろう? 感情むき出しでぶつかり合った自分の家族を思い出す。行き違いの原因なんて、いつも些細なことばかりだ。すぐ機嫌を損ね、怒ったり泣いたりする親。振り回され、いつもクタクタだった。成人してからは、経済的に自立し

国の違い、人種の違い

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  写真は、プルメリアの鉢 昨日、駅前の花屋で見つけた たまに、珍しい植物を扱っているので、買い物帰りに寄り道して楽しんでいる プルメリアは、ハワイ原産ということで、我が家にハワイのエネルギーが流れると素敵だなあと思い、連れ帰った 昔から、ハワイには惹かれていた 観光や買い物に興味があるわけではなく、太古からハワイに原住する人々の文化や、火山、海、植物などに魅力を感じてきた フラダンスや音楽も癒される 私が鬱病に苦しんでいた時、ハワイアンヒーリングミュージックは、なぜか呼吸がしやすくなり、胸の重苦しさが軽減されるので好んでいた。ハワイの叡知、ホ·オポノポノの考え方も好きだ。 なぜ、ハワイに惹かれるのかなあと漠然と考えてきたが、(現在のハワイというよりは、太古の)。前世療法で、昔昔、ハワイの土地と同じエネルギーの大陸に生きていた記憶を持っていることがわかり、何か関係があるのかもしれないなあと思った。 昨日、夫と電車に乗って出掛けた。 座席が一人置きにしか空いていなくて、夫と離れて座った。 入り口近くの、一番落ち着く座席に座っていた男性が、すぐ気がついてくれて、夫と私が並んで座れるようにと、その心地よい場所を譲ってくれた。当たり前のごく自然な表情で、席を交換しよう、と言って立ってくれた。私と夫の間に座っていた女性が、それに気がついて「すみません·····」と言った。自分が真っ先に気がついて席を代われば良かったのに、という意味だろうか。 そんなこんなで、平日の昼間、年寄りでも妊婦でもない私たちが、夫婦というだけで、まわりから「お隣同士で座らせてあげよう。」と気遣われ、温かい気持ちになった。日本人は、心根は優しいんだよなあと思って 席を譲ってくれた男性の顔を見たら、外国人だった。インド人だろうか。 インドと言えば、先日の前世療法で、姉との関係を見た時に記憶にチラッと出てきたので、縁があるなあと思った。 日本は島国だから、ついつい、外国を遠いもの、外国人を違う人と見なしてしまうが、国境は権力者が都合の良いように引いたものだし、同じ人間であることに変わりはない。文化の違いは尊重するべきだと思うが、違いを意識しすぎて拒絶するのもどうかと思う。人間としての思いやりの気持ちは皆同じだ。 誰もが当たり前のように潜在意識にアクセスできるような時代になれば、この世界から戦争は無くなるかもし

ほんものは内にある

 「この世の中でほんものに出会うことはなかなかむつかしい。大多数の人たちはほんものなんか探そうともしないで一生を終えてしまう。またある人たちは、ほんものに近いものに飛びついて満足してしまう。ほんものは必ずあるが、自分がほんものでないと、ほんものが目の前にあっても気がつかないで見過ごしてしまう。類は友を呼ぶという法則はここにも活躍している。 ほんとうのほんものは、実は私たち一人一人の内部にあるのだ。外部にあるのは、ほんとうのほんものの影といってもいいほんものである。経典も聖書も貴重な書物も、ほんとうのほんものを教えてくれるガイドブックであって、読むだけではほんものを知っただけである。私たちはそこから出発することになる。 そして結局のところ、ほんものに出会いたければ、まず自分の心をたがやし、肥料をくれて、良い種をまき、それを育ててみなくてはならない。心をたがやすのは意志であり、肥料はこの世のできごと、そして良い種が理想である。自分の行いで忍耐をもってそれを育てて、その結果は、すべて良いものを育ててくれる生命エネルギーにまかせて待つことだ。こうして自分がほんものになったとき、外部にあるほんものがはじめてみえてくる。するとほんものを行動している人に会える。ほんものを記した書物とも出会う。身体も植物も動物も、そして意識までもがほんものを教えてくれるのだ。」 『エドガー·ケイシーの人生を変える健康法』福田高規 著 たま出版 85~86頁抜粋 私は、沢山の本を読む。知りたい、学びたいと思う。今は主に精神世界を知ろうとしているが、医学、歴史、宇宙、生命の神秘についてどんどん学びたい。死ぬまでに、どれだけの本が読めるだろうか?間に合うかどうか、ドキドキする。 いろんな書物を読んでいると、世の中には様々な考え方があり、一冊や一人の言うことを鵜呑みに出来ないことがわかる。結果、自分がしっくりくるもの、読んでスッキリするものに傾倒していく。しかし、時間が経過すると、過去に夢中になって読んだ著者の本に惹かれなくなったりもする。これは、自分の飽きやすい性格から、きているのかな?と、苦笑いしていたのだが······ 連続講座を受講していた時、講師の神原氏より注意を受けた。 「本を読みすぎ!真実は本には書いていない。自分の魂に聞きなさい。」 つまり、ほんとうのことは、自分の魂が知っている。逆を言え

健やかに生きる人の謎

 数日前、姉が我が家に遊びに来た。 ランチやおつまみを用意し、昼間から二人でビール乾杯。思い出話に花が咲いた。姉となら何時間でもしゃべっていられるのが不思議だ。 姉は、明るく活発な子どもだった。 おたまじゃくしを捕まえてきて、玄関先で飼育していたら、ある日、みんなカエルに成長。玄関でカエルがわんさか飛び回り、母に叱られたとか。 カマキリの卵を野原で発見し、家に持ち帰ったら、孵化してしまい、部屋中にカマキリの赤ちゃんがわんさか歩きまわり、母に叱られたとか。 小川で、アメリカザリガニや、鮒を捕まえてきたり、近所の森に探検に行ったり。日が暮れても家に帰らないので、母が怒り心頭、扉に鍵をかけてしまうため、家に入れなかった時もあったらしい。 そんな時、姉は、庭の木に登り、父が帰宅するまで待っていたそうだ。父に鍵を開けてもらい、何食わぬ顔で、スルリと家に入り込む。地球の申し子のように、全身全霊で遊び回っていた、やんちゃな少女であった。自然に恵まれた環境だったので、姉らしさが存分に発揮できたのではないかと思う。 そんな、おおらかな性格の姉なので、嫌なことがあっても、翌日にはケロリとしている。激しい姉妹喧嘩をしたとしても、姉はすぐ忘れ、私は何年も何年も、忘れない。同じように育てられたのに、どうしてこんなに違ってしまうのだろうか。性格は、後天的なものではなさそうだ。遺伝とか、前世の経験とかが、性格の大枠を形成するのではないかと思う。 姉と話していて、思い出したこと。 小学生の頃、八幡神社のお祭りで、金魚すくいをした時。私は姉と違い、不器用だった。確実にすくいたかったので、溶けやすいコーンではなく、プラスチックのお猪口ですくうことにした。ちょっと金額は高いが、失敗はない。乏しい小遣いを投入するので、リスク計算をしっかりしていた。金魚すくいのドキドキよりも、ノーリスクを選択するあたり、余程、遊びの無い性格だったのだろう。私は、そのお猪口で、可愛い出目金を一匹すくった。喜んでいたら、屋台のオジサンが、○○○○と、注意してきた。訳が分からずキョトンとしていたら、オジサンが、いきなり私の握っているお猪口を逆さにして、出目金を逃がしてしまった。ショックだった。悲しくて、胸が潰れそうになり、おそらく泣いて帰ったのだろう。帰り道の記憶は無い。 姉は、そのことを覚えていて、「出目金は、二匹いっぺんにす

宇宙の5段階リズム

 宇宙リズム 海の波 鳥のさえずり 川のせせらぎ 地球の自転や公転 月の光 そのリズムを伝える一人、ガブリエル.ロスの5リズム 宇宙はすべて5つのリズムから成り立っていて、そのリズムに合わせて体を動かすことで、自分の体の声が聴けるという。 ◇フローイング 流れる水が円を描くような、ゆったりした動き ◇スタッカート ビートのきいた、はっきりした力強い動き ◇カオス 体を動きたいように動かし、たまった余分なエネルギーを手放していく ◇リリカル カオスによって余分なエネルギーが放出され、体が軽くなった状態 ◇スティルネス リリカルによって解放された動きがだんだん内側に向かい、最後にはもっとも深い自分と結びつく それぞれのリズムに合わせた動きをしながら瞑想する 人生も宇宙リズムに沿って流れていることがわかる。 おそらく、皆様も自分の人生と照らし合わせ、納得されることだろう。 ☆フローイング 小さなころ。常識や世間体に惑わされず、自然のままに生きていた ☆スタッカート 学生時代や、油のっていた仕事人生の前半。体力、気力が充実しているので、力強い時期 ☆カオス 混沌の時期。常識や世間体に縛られ、本来の自分ではなくなる。何をやってもうまくいかない。それを洗濯し、綺麗にするとき。この時期があり、やっと本当の自分が姿を表す。人生で大きな転機を迎える。否応なしに、人生の方向転換を迫られる。 ☆リリカル 余分なエネルギーを手放して、身軽になる。自分にぴったりの仕事に出会い、素敵な人たちに出会い、家族と自然を楽しみ、のんびり暮らす。 ☆スティルネス もっと深い自分、自分の本質に近づく。 ここで終わりではなく、また、フローイングに戻り、季節が巡るように違う季節を味わう。こうして人は成長する。 この中で、カオスが一番嫌な段階ではないか?しかし、暑い夏が嫌いだと言っても逃げられないのは同じ。カオスには、沢山の学びがあり、次の段階で生きてくる。この体験がないと、成長はない。だから、カオスの段階も、楽しんで乗り越えれば、宇宙リズムは、次の段階に導いてくれる。 『宇宙人タマの魔法の教室』奥田珠紀著 風雲舎参考 私の周りには、今、カオス段階の人が少なからずいる。彼らに、このメッセージが届けばいいなと願い、書いている。 私のカオス段階は、まず、仕事がうまく出来なくなり、いつも疲れやすく、体調も悪くなった。

気功エネルギーヒーリング

 気功エネルギーヒーリングを受けてきた。 その前に、A さんについて話しておく。 Aさんは、2ヶ月ほど前に、一緒に気功エネルギーヒーリングを受けに行った。彼にとっては、初体験。目に見えない気功について、半信半疑だった。 私が、気功で、身体の声を聞いてもらった話をしたところ、自分も、身体の声を知りたくなったらしい。単なる好奇心から、ついてきた様子。 ブログでは、度々登場する、神原ひで子さんに施術をしていただいた。 ひで子さんは、Aさんに、気を入れようとしたが、身体がガチガチで、気を入れる隙間がほとんど無かった。肩から、ようやく少し入れることができた。また、Aさんは、エネルギーが枯渇しており、いきなり沢山の宇宙エネルギーを注ぎ込むと、具合が悪くなる可能性もあるとのことで、初日には、軽く気を入れるに止めた。 Aさんは、身体に重い鎧をガチガチに着込んでいるらしく、 『重い········。』 と、身体が言っていたそうだ。 Aさん、かなり状態は危ないらしく、このままいけば、精神的な病を発症するかも?というくらい、ストレスまみれになっていた。主に、仕事や人間関係に原因はあるらしい。 世の中で働いている男性は、仕事への責任感や、重圧に耐えながら日々を送っているので、よくあるケースらしい。今は、エネルギー不足を解消するために、1ヶ月おきくらいに、施術を受けに来るよう勧められた。 その後、予約がとれたのが2ヶ月後だったので、私が、たま~に、習いたての気功で、Aさんにエネルギーを注ぎ込んでいた。Aさんは、施術中は、気持ちは良いらしいのだが、一昨日の時点でも 「気功?どうなの?って思うよね。」と、まだ疑っていた。目に見えないから、どうにも信じられないらしい。 さて、昨日、二回目の施術。 Aさんの状態は最悪。手負いの野生動物みたいに、ピリピリしていた。愚痴めいた言葉ばかりを口にし、私が悪気無くかけた言葉にも、いちいち傷ついて、マイナス思考の循環から抜け出せなくなっていた。原因は、う~ん。やはり仕事のストレスなのかな?「そんな仕事、やめちゃえばいいじゃない。」と言ったら、噛みつかれた。「生活するためにこの仕事をするしかないんだ。楽しいことで生きてなんかいけないんだ。」そんな口論をした直後だったので、私とAさんの関係もギクシャクしていた。重い思考エネルギーにどっぷりはまっている彼に対し、どうし

ハワイアンスピリットから学ぶ許し

  「太古のハワイでは、Kalana(許す)という言葉は存在しませんでした。 先祖や神々と通じていた時代には、過ちといはう観念が存在しなかったのです。 すべては、正しい時に正しい場所で正しい存在に起きるので、過ちというものもなく、正しいことをさらに正しくしていくだけでした。 しかしカラナの考えは現代のホ オポノポノでよく使われます。 もともとの語源はKalaから来ているようです。絡まったものを紐解くという発想です。 現代社会においては、どの国民も、罪の意識という観念を持っています。 自分を許す、他人を許す、自分や他人を批判しない、責めないを実践する必要があります。 皆大きな一つの一部。すべては自分の責任。自分から変わることを選択していきましょう。 それが自分の内側から光をふさいでしまっている石を放り投げて、いつまでも、怒りや恨み、妬みという石を持っていると自分も病気になってしまいます。 石を手放して、自由で偉大なウハネであることを大自覚しましょう!」 『アロハ スピリット~笑顔の幸則~』 カミムラ マリコ 著 ナチュラルスピリット発行 数日前に、とあるニュースで、カスタマーハラスメントによる事件を知った。お弁当屋さんで、お総菜を購入しようとした客が、電子レンジ温めを断られたことに腹を立て、暴言を吐いたらしく、一部始終が防犯カメラに録画されていて、ネットに拡散。後日、客は弁当屋に謝罪に訪れたが、オーナーは謝罪を拒否。警察に出頭させたらしい。 カスハラ(カスタマーハラスメントの略)は、同業者からのものが多いそうだ。学校のモンスターペアレントは、職業が教師だったとか、コンビニで怒り狂う客は、飲食店勤務経験者だったとか。 誰かに叱責された経験が、おそらくトラウマとなり、本人は正義感で腹を立てているつもりなのだろう。自分自身を厳しく責め立てているから、他人の行為が許せないのだと思う。自己肯定感が低く、自分を愛せないので、他人の同じような行為に過剰反応してしまうのだ。 他人を責めれば責めるほど、自身を攻撃していることになる。なぜなら、目の前に起きる現実は、自分の内面の現れだからだ。自分の中にあるから、現実に現れると腹が立つ。否定すればするほど、自分自身を否定する悪循環になる。 現実が、あなたには、こういう部分がありますよ。向き合ってくださいね。と教えてくれているわけだから、ムカ

東京に雲海出現!

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  都内で、雲海を満喫! 広大な日本庭園は、手入れが行き届き、全ての緑が生き生き輝いています。 毎日、愛情注がれて、育てられているのが伝わってきます。 東京のはずなのに、空気は、幽玄な深山そのもの。マイナスイオンとフィトンチッドに満ち溢れ、空気が美味しいです。 雨が降ると、緑の香りがパワーアップするので、梅雨の時期はさらに、おすすめ。 心身、浄化され、生き返ります。 森林浴したいけど、忙しくて旅行に行けない方。最近、なんだか疲れているなあという方。都内にも、こんなに空気が綺麗な場所がありますので、お食事がてら、散策にお出かけしてみては。 椿山荘にて 東京雲海

不幸はお好き?

 最近、YouTubeでは、伊比裕一郎さんの動画を楽しく拝聴している。以前は、手当たり次第、精神世界や陰謀論系の情報を漁っていたが、自分に合う考え、合わない考えがだんだん分かってきた。出来るだけ柔軟に情報に接するようにしているが、一番誠実な情報は、聞く人の思考力を奪わないものではないかと思うようになった。 伊比さんは、スピ能力者ではない。全ては勉強の賜物だ。書籍や、ネット、お医者様など、あらゆるソースから情報を仕入れ、比較検討し、自分が納得したものを整理して紹介している。テレビやネットで拡散されている情報に飛び付き、振り回されている人々に、鵜呑みにするなよ。自分で調べろよ。思考力を奪われるな!と警告を発している。情報リテラシーのことをしっかり伝えてくれる貴重なYouTuberだと思う。私も伊比さんの熱意に影響を受け、鵜呑みにしがちな、浅はかな自分の傾向を反省。一歩引いて、世界を眺めるように心掛けている。特に、不安感を煽る情報には気をつけて、流されないようにしている。 例えば、コロナ、マスク、ワクチン、大統領選挙、暴動、紛争など。人々を二分化し、対立させようとする情報は、一歩引いた見方が必要だ。情報は、武器になる。気づいたら、戦争につながるかもしれない。誰かが、意図的に流している情報は、確実に存在する。 私たちは、素直になった方がいい。どんな世界に生きたいのか。理想の世界を目指してよいのだ。 行きたくない世界を考える 農薬や添加物にまみれた食べ物。毒にさらされた生活。病気蔓延。貧富の差の拡大。疑心暗鬼になり対立し合う人々。奪い合い。搾取。自然破壊。循環を無視した開発。不自由な世界。好きなことができない社会。自分を圧し殺す社会。 生きたい世界を考える 自然と調和の取れた世界。健康になる食べ物。きれいな空気と水。病気の消滅。受け入れ合い、協力し合う社会。一人一人が本来の自分のままで、輝ける。能力を発揮できる好きな仕事につける。大切にされるのは、愛と自由と調和。 一時、スピリチュアル界隈で、二極化について盛んに語られていた。簡単に言うと、上記の二つの世界に分かれていくというイメージ。前者を三次元の世界。後者を五次元の世界と表現する人もいる。私たちが進む未来のタイムラインが、大きく二つに分かれているということらしい。 スピリチュアルの観点から語らずとも、確かに現実の世界は、大

木の精と風の精

 セルフ前世療法 第2弾! 一回目は、ドレスデンの熊だった。 前世は、いくつもあるが、今の自分に必要な情報を潜在意識から出してくるので、毎回違う可能性がある。 本日は、とある方と、もし前世で会ったことがあるなら、関係を知りたいと意図してみた。 とある方は、最近知り合ったのだが、とても素敵な女性で、尊敬している。初めて会った瞬間から、惹かれていたし、やっと会えた。という不思議な気持ちにもなった。 午前中は、ヨガにも行って、心身リラックス。ヨガは、潜在意識探求と、かなり相性が良い。心身の感覚をつぶさに観察し、味わうので、とてもスッキリする。潜在意識がお掃除される感覚。 前回のように、入浴して、最高に気持ち良い状態になってから、誘導音声をかけた。だいたい30分の過去への旅である。 川を渡る。霧が立ち込める。やがて霧の向こうに木の形がぼんやり現れる。 勢いのある緑。濃厚な森の匂い。むせ返るほどの生命力。夜。満天の星。たくさんの虫の声に包まれる。人の気配は無い。左側下の方に、ぼんやりとした光の玉が浮かんでいる。バレーボール大。そのせいか、夜なのに、周りがよく見える。その光は、人工物なのか、自然現象なのか、不明。 草むらの向こうに、二棟の建築物。木の皮で覆った三角屋根の円形の建物。高床式。あまり大きくはない。内部は、空っぽ。入り口から中を覗く。正面に細長い四角の窓。ガラスははまっていない。ただ穴が開いている。満月が見える。月の光で、明るい。床には草で編んだような、筵のような敷物。四畳半くらいの広さ?倉庫?生活の場所ではなさそう。生活必需品が一切ないので。イメージは、茶室。瞑想しやすそうな空間。 私の服装。草で編んだサンダル。グレーと白の中間あたりの色の、ゴワゴワした繊維の服。麻に似た織物か?長方形の布に穴を開け、頭を出した感じのワンピース。胸元に、赤、オレンジ、茶色の刺繍のような幾何学模様。他に帯などの装飾は無い。右手に木製の笛のような、おそらく楽器を持っている。 黒髪。おかっぱ。若い男性。顔は茶色。筋肉が発達し、贅肉がない。スリム。鹿のようにしなやかな肉体。背が高い。現代人より、ずっと大きい。サイズ感が全然違うかも。クロマニヨン人とか、そういう系列ではなさそう。 場所。熱帯の森?自然豊かだが、アジアではない。ハワイあたりか?太平洋に浮かぶ大陸のようなイメージ。名前は不明。 自