投稿

5月, 2021の投稿を表示しています

人は何のために書くのか?

イメージ
 写真は、5月26日のスーパームーンです 皆さん、月蝕楽しめましたか? さっき、図書館のバイトから帰ってきた 書架整理をしていて、懐かしい本を発見 10年くらい前に読んだことのある 民俗学的内容の本 いろいろ思い出したので、書いてみる その本は、神社のオオカミの護符について書かれていた 当時、このような内容の本は出版されていなかったと思うので、民俗学分野では、なかなか興味深く、フレッシュな作家さんが登場したなあと感じた。謎を解明していく過程が、ドキドキもので、楽しく読了した。 当時は、本屋さんでも、店頭に山積みで平置きされていたので、その印象的な表紙を記憶に留めている方も多いと思う 私には、とても面白かったので、作家の知人に貸し出した 彼女も、神社関係をフィールドにして、将来その分野で何か書くことになるだろうと感じていたので、何か参考になるかもしれないと思った どんなに面白かったか、力説して渡した 彼女は、楽しみだと言って、受け取った 彼女に再会した時に なぜか、彼女は怒っていた その本は、彼女にとって、おもしろくなかったらしい 好みは人それぞれだから、それは別にいい 面白くないから、読まなかったよと 返してくれればよいだけだ しかし、彼女は、感情的になって、不快感を表していた 「どうだ、私はすごいだろう。という感じが伝わってきて、不快だった」と言うのだ ビックリした 私はそんな風には感じなかったから 彼女は既に作家としてプロだったから いろいろ至らない面を感じたのだろう 兎に角、謝って、その本を引き取った 私には面白かったけどなあ 余計なことしちゃったなあ 不快な思いをさせたことが、悲しかった その本が、10年を経た今、図書館の書架に きちんとおさまっていた 確か、あの後、何かの賞を受賞したはずだ プロ作家の彼女は受け入れなかったが 世間は、この本を評価し、たくさんの読者が楽しんで読んできた あの時、感情的に怒っていた彼女は いったい何に反応していたのだろう 「どうだ、すごいだろう」というエネルギーを感じたというが 捉え方を変えてみる 「私は、この分野について、魂込めて、一生懸命調査しました。だから、どこに出しても恥ずかしくないほど、自信があります。この成果を皆さんに読んでもらいたい。」 だとしたら? せっかく頑張って書いたのだから、多くの人の目に触れてほしいし、

神様は自転車を支えるお父さん

イメージ
 杉山響子さんの本 とても良かった 久々に、読み応えのある本に出会った 杉山さんは、目に見えない世界に対して とても誠実だ 彼女の波乱に満ちた人生も相まって ページが進むにつれて 彼女自身の成長が感じられ 読者も、多くの気付きをいただける 私は、3ヵ所ほど、泣いた 名も知らぬ、大いなる存在に 見守られている感覚は、よく分かる それは、決して正体は現さないし 明確な言葉でメッセージも発しはしない それでも どんな苦しい時も悲しい時も 時には、人生を投げ出したくなるが 微かな気配を感じ その見守る存在に、せめて恥ずかしくない選択をしようと、気を取り直し生きていく 杉山さんは、その存在を 子どもの乗る自転車を支えるお父さんだ と、分かりやすく表現している 「絶対、離さないでね!ちゃんと見ててよ! けれど、お父さんは頃合いを見計らい手を緩める 自転車は横倒しに 離さないって言ったじゃない! お父さんを非難する でも、少し自分で走ったじゃないか。父さん、ちゃんと見てたぞ。ちゃんと走ったからちょっと手を離したんだ。ちゃんと父さんは見ているんだぞ お父さんに励まされ、 転んでは自転車を建て直し やがて、グラグラと、ひとりでこぎ出すのだ ずっと見ててよ! 見てるよ! お父さんは見ている 神様は見ている その人が歯を食いしばって苦難を乗りこえるのをちゃんと見ている」 杉山さんは、それこそ神の祝福と思う と結んでいる 素晴らしい例えだなあと思う 実際、現実の私の父は 子どもの私に自転車の練習をさせたが すぐ、付き合いに飽きてしまい 見ててくれたのは一時間ほど 私はひとりで黙々と練習 自力で乗れるようになった(笑) だから、杉山さんの例えは、想像するしかないのだが、もし、こんなお父さんがいたら、こんな感じだろうなあと、素直に受け止めた 様々な作家さんが、神様を表現するが 私は、いままでで一番、この表現がしっくりきた ああ、この読み終わった後の爽快感 いい作品は、人を元気にする 最後に、この文を紹介 238ページより抜粋 私たちは「なぜ人は生きなくてはならないのか」を解くための暗号に囲まれているのだ。 友だちのさりげないひと言に、印象的な本の一行に、ひどく傷ついた出来事、裏切りや失望や怒りの中に、「自分の魂とはなにか」を解き明かすヒントがあるのだ。 そうして知っていく。不幸からの気づきでよ

薔薇とお話

イメージ
 植物も鉱物も 意識を持っているそうだ 私たちのように言葉を使ってコミュニケーションしないのであって 方法が違うだけだ 私が通う連続講座の宿題は 次回までに、植物リーディングを 練習すること つまり、植物とコミュニケーションを取り 相手の言っていることを読み取る 普段から、我が家の植物たちには 声をかけている そろそろ喉がかわいた? 可愛いね、綺麗だね! いつもありがとうね 彼らが私に何を言っているのかは よくわからないが 嫌われてはいないと思う リーディングとは言っても もしかしたら、こんなこと言ってるかな? くらいで、私の想像の域を出ない 何かコミュニケーションする上での 取っ掛かりが欲しいなあと なんとなく考えていた今日の午後 読んでいた本の一節より ある、霊能力者が 交通量の多い過酷な環境の街路樹に 試しに霊視チャンネルを合わせてみた すると、こんな波動が流れ込んできた 「人間たちに元気がない。大丈夫だろうか。」 街路樹は道行く人間たちの波動を感じてその身を案じていたのである この情報を目にした時 思わず涙が流れ嗚咽してしまった 日頃から感じていたことだったから 植物たちからの慈愛に満ちた波動は 日々、私を癒し、浄化し 明日も元気に過ごせるよう 力を与えてくれている ただ、真っ直ぐに生きる意識 その純粋さが光の波動となり 私たちに分け隔てなく 降り注がれる その愛を理解はしていた さっき、泣きながら目を瞑り 我が家の薔薇の鉢を抱っこして いつも本当にありがとう と、心から感じてみた 抱っこしながら、ちょっと目を開けてみたら 薔薇の花とつぼみが そよ風に吹かれるように小さく揺れていた 優しい笑顔が見える気がした 私が抱っこしているのだけど 反対に私が薔薇にふわりと抱きしめられていて ヨシヨシとされている感覚がした 大切に思ってもらえていることは 伝わってきた もう一歩先のコミュニケーション目指し 毎日ふれあっていきたい

迷走

 目に見えない世界を探検していると 時々、道に迷う 今思えば、よい体験だったと思うが、 危なかった  かもしれない 誰でも迷走する時期がある 知らない世界で知らない道を 闇雲に駆け抜けていく時 焦っているから、周りが見えていない でも、躓いて怪我をすれば その道に危険が転がっていることに ようやく気付く 痛い経験を糧に よりよい道を選べるよう アンテナを張り巡らすようになる アンテナが正常に作動するようになれば この未知なる広大な世界を 堪能できるだろう アンテナを立てていなかった時期の 私の迷走経験をひとつ書いておく 笑ってやってください 半年ほど前の出来事 魂について知識を入れ始めたばかりで 見るもの聞くもの全てが驚きの連続 取捨選択が上手くできていなかった スピリチュアルの世界で、ひと稼ぎしようと企む輩には、いいカモだ ちょっと慰めて、ちょっと褒めて、だんだん恐怖を煽って、アドバイスという名のコントロールを仕掛ける。依存させれば、その人は優良納税者だ。安定した収入源になる この世界は本物が少ない 私が言う資格はないが、気をつけてほしい 数年前に、あるスピリチュアルヒーラーさんとややこしい事態になった苦い経験があり そのことは今書かないが ある程度、見る目は養われていると 勘違いしていた その時期、私は仕事を探していた 社会復帰を焦っていた どうせなら、大好きな、神様関係がいいな 神社の巫女さんのバイトないかな? ある、神社のホームページにたどり着いた 巫女さん募集は年齢制限があり駄目だったが、神社の運営をサポートするボランティアを募集していて、これなら出来るかなと心が浮き立った その神社は、江戸時代創建、長く、ある地域を守ってきた歴史ある神社だったので、堅実だろうと思った 本物の神様のお手伝いがしてみたかった 早速、神社にボランティア問い合わせの電話を入れた 意に反して、あまりいい対応ではなかった ボランティアの内容を詳しく知った上で応募したかったのだが、きちんと説明してくれない 説明する時間が無いらしく、ただ、履歴書を送れと言う その神社は、それなりの金額を出せば、ご神託を受けられるようだったので その古神道秘術とやらで私個人に宛てて降ろされる神様の言葉をいただく予約をした その訪問の時に、実際に神社の方にボランティア詳細をお聞きしようと思った 神様には、何

空の贈り物

イメージ
 今月、連休直後の空に 彩雲出現 太陽の光の輪も現れた 空の贈り物は とても美しい 突然、贈られるので いつも、空を見上げて歩く癖がついた

イメージ
 虹が好きだ この写真は数ヶ月前に撮影 悪天候から、急に天候が回復してきて きっと虹が出るなと 窓辺でスタンバイしていたら 虹の橋が立ち上がっていく瞬間を目撃した この日、世界で起きている痛ましい犯罪について、胸を痛めていて 立ち上がれないほど、無力感を感じ、落ち込んでいたのだが 虹を見た瞬間、浮上できた 世界は大丈夫。よい方向に向かっていると 信じることにした 虹は、高次元からの祝福のメッセージ そのまま進んでいいですよ と、肯定されているらしい 進む方向は合っているようなので 安心した

命の長さ

 命の長さ、寿命は 自分が決めてきているという 生まれてくる前に 神様とプランを練る 短命で死んでしまう赤ちゃんも 納得している 短い間であっても、生の経験は とても意味がある 自分のプランを実現するのに一番適するお父さんお母さんを選んでくる 中には、お母さんを助けるために生まれてきたと語る幼児もいる 寿命がきていないのに、うっかり死にそうになる人もいる プランにない病や事故など そんな時、神仏、ご先祖様など、自分を守る存在が、命を救うこともある なぜ、救うのか まだ、やらなければならないことがあるからだ 死ぬことは寿命なので 卒業おめでとう と、お祝いしてあげるとよいらしいが 自分のプランを忘れているので 時に執着が邪魔をして、戻るべき世界に 昇っていけない魂もある 人間のうちに、魂のことを勉強しておくと 迷うことがないので、おすすめしたい 宇宙から、緊急帰還命令が下り 慌てて昇天する魂もある 使命を負った魂に多いらしい 私の友人は、昨年、急死した 皆に愛された素晴らしい女性だった スピリチュアル能力のある彼女の知り合いは 諦めきれず、彼女の魂にアクセスした なんと、死後、ビュンッと 宇宙のアルクトゥルスという星に行ったそうだ その話を聞いて、私も彼女に会いたくて アルクトゥルスヒーリングというものがあると知り、何か分かるのではと期待して受けてきた ヒーラーさんは、一生懸命彼女の魂の行方についてリーディングしてくれた 彼女は既に個のエネルギーではなく、彼女の魂グループに溶け込んでいる 美しい森と湖があり、ユニコーンが遊ぶ、あまりに美しい場所(星?)にいる そちらの星でも、彼女は地球担当として働いている 本当に?ヒーラーさんの作り話じゃないの? と思われる方が大半だろうが ヒーラーさんが、アクセスした存在 アルクトゥルス人が、私に、どうぞ、とピンクと黄色の薔薇の花束を渡してくれているイメージを受け取ったそうで まず、薔薇は、彼女と私が過去にコミュニケーションとった時の象徴だったので、偶然ではなく、本物だと理解した また、ヒーラーさんから、実際に薔薇の花を買って帰るよう勧められ、行きつけの花屋でピンクの薔薇だけ買ったのだが、何故かその日に限って、黄色の薔薇をおまけでつけてくれた 彼女から、本当にプレゼントされたんだなあと嬉しかった 彼女の役割は、地球上に留まらず、宇宙

苦労は必要?

 まだ、答えは出ていない 先生に、苦労は買ってでもしなさい と言われたことはないだろうか 私も、最近、神原康弥さんに指摘された 「あなたは、苦労が足りない!」 苦労は、自ら飛び込んでいくものなのだろうか?できれば、あまり苦労はしたくないのだが 最近のスビリチュアル界隈では つらいこと、やりたくないことはやらなくていい 好きなこと、ワクワクすることを大切にしなさい 波動を上げることで、心地よい現実を引き寄せる ざっくり言うと、こんな傾向のメッセージが溢れている 昭和の根性論にどっぷり染まった私たちの世代は がんばって。が合言葉だった 努力により高みを目指すことが称賛された 仕事も生活も、自分を滅して頑張って ボロボロに疲れ果て 病気になって、やっと立ち止まることができる これで、よかったのだろうか?と悩む 私の場合は、風の時代の新しい生き方を知り、ほっとしたのも確かだ もう、頑張らなくていい。嫌なことを続けなくていい それは、自分を許し、受け入れていくことにつながった 今までは、自分を叱咤激励。失敗すれば、容赦なく嫌ってきた。責める相手はいつも自分。負のエネルギーにさらされた心身が病を発症するのは当然だったかもしれない さて、苦労のこと 簡単に言うと、世間では、嫌なこと 困難な経験を苦労と呼ぶ 無理に経験しなくていいと思うが 人にはそれぞれに、避けられない人生の苦労イベントが定められていると思う 生まれてきた時、成長のために自分で決めてきたイベントだ 魂は、元々波動が高い 輪廻を経て、人間を卒業し、宇宙へ帰り エネルギー体になっても修行を重ね 神に近づいていく 宇宙根源のエネルギーに戻っていく せっかく最高に高い波動に戻っても エネルギー体は、やがて飽きてくるらしい そして、波動を下げて地球に戻りたくなる マイナス波動を経験したくなる 成長できるから。だそうだ。 何万年スパンで、それを繰り返しているらしい そんな説もあるよ。という話。 安全な所にいて、わざわざ危険に飛び込む勇気はない。自分の命は惜しい。 不安や恐怖よりは、楽しく幸せな方がいい だけど、地球上で肉体を持って生きるのに 生命力や生きる知恵はあった方がいいと思う 辛い~悲しい~。と思うから、その経験を二度としないように、知恵を生む。その知恵が、苦しんでいる他の人へのアドバイスとなり、救うことになるかもしれな

かみさまはしゃべらない

 ブログを始めて一週間経ちました! 開設を知らせたのは知人5人 あたたかく見守ってくださる 信頼している方たちです それぞれに自立して、しっかり地に足をつけて生きていらっしゃるので 私の、目に見えない世界の 迷走探検記であろうと 成長の一過程と、捉えてくださっていると思います そっと覗きにきてくださる皆様 励みになります ありがとうございます。 そして、この一週間で 150人(回?)の閲覧がありました 実際に投稿を読んでくださった方は もっと少ないと思いますが このブログが会ったことのない人々の 目に触れているのだなと思うと 気を引き締め取り組もうと やる気も漲ります 歩みは鈍いかもしれませんが 一歩一歩、自分の成長につながるよう 真実を求めて進んでいきたいと思います さて、タイトルにある件ですが 昨日投稿の面白い本 杉山響子さん著 「物の怪と龍神さんが教えてくれた大事なこと」より こういう視点もあった方がいいなと感じた部分がありましたので、紹介しますね 明治神宮のご神木からのメッセージ 戦争になる、ならないを決めるのは神ではない。人間だ。人間が未来を作り、神はそれがどのようなものであってもその未来の中で人々に寄り添っていく 昭和の(自称)神様は 苦しいのは先祖のたたりだから供養が大事 わが神にお布施をすれば先祖を救済できる と説いた 新しい時代の(自称)神様は 苦しみから解放されようとうたうことが多い 苦しいのは魂が痛がっているのだから救ってやらなければならない だから苦しみから逃げましょうと問題から顔を背けることを勧める どちらも魂の成長には言及しない 人は艱難辛苦を通して成長するために生まれてきたのに、その艱難辛苦に寄り添い、それを乗り越える苦労を分かち合おう、苦難の山の頂から昇る朝日を共にことほごうという神様はいない 聴く者の生きる気力を奪い、考えることをやめさせたい。彼らの心を支配したい 人のマイナスエネルギーを欲する 今やそうした新しい(自称)神が雨後の竹の子のように生まれてきている こうしている今もどこかで誰かに神が下りている。愛が語られ、オーラの色が鑑定され、金運アップ、恋愛成就のお札が飛ぶように売れている 今は感覚の時代なのだ (中略) 意味をなさないエネルギーの暴走は新しい神が最も好物とするものに違いない こうした原始的なエネルギーの吹きだまりか

真実を見る目を養う

 大量に本を読む 取捨選択が必要かとは思うのだが 気になれば、100%手を出す 小説などは、元から想像と分かっているので、あまり問題はないのだが 目に見えない世界の話 魂や神様の話となると 様々な説があり、玉石混淆だ 迂闊に鵜呑みにはできないことは分かっている 誰もが目にすることが出来 明白な証拠があればよいのだが 普通の人間の五感では感知できない世界だ 不思議な能力を持った人々が それぞれに、体験を語ったり 高次元からのメッセージを降ろしたりして 現在の精神世界ジャンルは 情報の洪水である 昨日、ある方から注意を受けた 本を読みすぎ。情報を受けすぎ。 真実は自分の魂が一番知っている 本の中に真実は無い。 もっと、自分の魂と対話せよ。とのこと 昨日は、ちょっとシュンとした 私は、真実を知りたかった いろんな人の考えを知ることは 何の役にも立たなかったのだろうか? こんな考えもあるね 面白いね いろいろあるけど、私はこの考えが 気に入ったな 何だか、辻褄合ってスッキリしたな 良さそうだから、取り入れてみようかな そんなこと、何度か繰り返していくうちに 真実を見る目は、養われないだろうか 鑑定士は、最初から、贋作を見抜くのだろうか 山ほどの贋作を目にする機会を経て 真作と判断できる能力を身につけるのではないだろうか だいぶ昔の話だが 一時期、会計の仕事をしていた 月次決算といって、帳簿上と 実際の通帳残高と照らし合わせ 入力や仕分けミスを発見するのが 毎月、一苦労だった ひとつ、ひとつ、大量の数字を地味に お金の動きと照合していく そんな作業を何百回と繰り返した 数年経過し、気がついたら ミスを発見するのがスピードアップしていた 帳簿を一瞥するだけで、なぜか、どこが間違えているのか瞬時に分かるのだ 理由もないのに、なぜかここだと分かる 大抵はその通りで、お陰で、大量の数字を照合する苦労はしなくなった 第六感でも鍛えられたのだろうか? こうなったのも 繰り返し、大量の間違いを目にしてきたからこそ身に付いた能力だ その仕事から離れてから、もう能力は消えてしまったようだが 会計の仕事を一生続けていたら、私はどんなスーパー会計士に育っただろう だから 沢山の間違いを目にすることは 決して無駄な経験ではないと 思うのだ 精神世界の本は、この一年間で 何百冊と読んだ 最近は、ちらっ

彩雲が伝えてきたこと

 昨夜、突然の知らせ 義理の弟のお嫁さんのお父様が亡くなられた 明るく優しく家族思いの彼女を思う 今、どれほどの悲しみに包まれ 大切な人の死を受け止めようとしているか 私は、悲しむ彼女に対して どんな言葉も見つからない ただ、悲しむ心は理解できる 私も大切な人を数人見送った経験がある 共に悲しもうとして ふと、思い出したこと どんな意味を持つか、読んだ方それぞれに 受け止め方は違ってくると思うが 人が生きて、死んでいくことの意味を それぞれに考えるきっかけになればと ちょっと勇気出して、書いている 先月のこと 私の誕生日だった 夫が運転する車で、快適にドライブしていた 前日は、秘湯に泊まり、心身あたたまり上機嫌だった 何気なく車の中から空を見上げた 彩雲がぽっかり浮かんでいた 優しい優しい色合い 水色とピンク、紫のグラデーション 私は、はしゃいだ 空からの誕生日プレゼントだ!と 瞬間 何か、大きな意識のようなものが 投げ込まれた 情報の入った氷の塊が、私の頭にスルッと入り込み、瞬時に解凍された感覚 情報自体は言葉ではないので、ただ情報としか言いようがない 解凍しながら、日本語に翻訳する。そんな作業が自動的に行われた 翻訳する時に、雑念や思い癖、エゴなどがどうしても邪魔するので、 純粋な情報のままではないかもしれない 翻訳を自分のフィルターを通す。と 表現してもよい 前日宿泊した土地は、以前、大きな災害が起こった県で、まだ完全に復興されていない その災害が起きてから、私はあまりの恐怖と罪悪感で、その地域に出かけることはなかった 直面する勇気がなかったのだ 10年経過し、やっと訪問 自然の豊かさ、美しさに心身癒され ここは、神様の国だなあとあらためて感動していた その矢先、 彩雲から伝えてきたこと 「お役目でした あの天災は大きな意味がありました その地域が担った役割は 日本が背負った役割でもあります 人々が目を覚まし、生き方を変えるために 必要な出来事でした 犠牲になった魂たちは そのことを深いところで同意していました 勇敢な魂たちです わたしは、この土地を見守っています すべてを愛しています」 あまりに聖なる意識で あまりに愛にあふれていて 涙が、瞬間、ドッと溢れました あまりに多くの命が犠牲になったので 10年たっても、受け止められずにいましたが 目に見えない世界

魂の望みを心はキャッチしていない?

 前回の投稿の続き 魂と心の望みは一致していない という衝撃的体験をしました え?いったいどういうこと? と、思われた方 よかったら、読んでください 私は、この半年ほど 月に1~2回、魂の勉強のため、ある方のところに通って、お話を聞いている 神原康弥さん 何冊か書籍も出している詩人 私はこの方の詩が好きだ 彼は、魂とお話ができる能力を持っているので、 魂の望みに沿った生き方を目指し始めた人々がアドバイスを求めて、彼の講座を受講している 毎回、耳に痛いことを言われるので、放心状態になる日もあるが 彼に嘘は通用しないので、(おそらく嘘をついて誤魔化しても、自分の魂が暴露してしまう?) 短くスパッと放たれる言葉は、毎回、心にダイレクトに突き刺さる 痛いし、抵抗してモヤモヤする時もあるが 刺さった言葉は二週間後の講座までに自分の中で咀嚼され、あ!こういうことか!と目が覚める瞬間を何度か経験している なので、決していつも優しいわけではないが、それゆえ、彼の講座には真実があると思う 優しいだけが、人を目覚めさせ、成長させるわけではない。ある程度ショックが必要な人は沢山いると思う しかし、すごく傷ついて心身ボロボロになって彼の元にたどり着いた人には、あたたかいアドバイスをして労っているので、 痛いこと言われる自分は、とりあえず癒しの段階から成長の段階に進めたのだなと理解している もう、何でもズバッと言ってください!と 最近は開き直っている。 痛い言葉が起爆剤となり、快感すら感じてしまうのだ 昨日の講座は、10年後の理想の自分をリアルに思い描くというもの 生徒各々の発表を聞いて、彼がその人の魂に問い、魂の本当の望みを教えてくれる 10年後の理想の姿は、心が求めている姿だから、今の生き方ももちろん反映される その人の理想を聞くことで、現在の問題点が浮き彫りにされる いかに思い込みに振り回されているか、理解できるのだ 私は、自分の好きなことを思い描いた 山里、古民家、野菜作り、機織り、手作り、図書館、ワークショップ講師、YouTuber、Blogger、芸術家、地域のコミュニティで活躍、などなど  やりたいこと、楽しいこと、あれもこれも。 康弥さん、途中であくび 嫌な予感 発表後、開口一番 「無駄な情報!情報過多!どっかから持ってきた情報ばかり!必要なのは、情報を仕入れることではなく、

「誰が」言ったかではなく「何を」言ったか

 私は本好きなので 日々、せっせと読んでいる 図書館からも借りるし 毎月10冊以上本を買う あれもこれも知りたい、学びたい その願いは既に渇望と化している 今、熱心に読んでいるのは、刺繍の本と 目に見えない世界の本 魂について書かれているもの 病気になる前は、スピリチュアルを避けていた 眉唾物が多いイメージだった しかし、大病し、不思議な奇跡がいくつも重なって、命拾いした今 人知を超えた何らかの存在、意識を 実感するしかなくなった 人は明らかに、何か大きく、あたたかい存在に守られ、生かされている 毎日、毎瞬、応援されている 自分にとって良い方向へ導かれている 私は、その大きな存在の正体を知りたくなったのだ 目に見えない世界をきちんと理解して 存在たちとうまく付き合い 幸せな人生を送りたかった 作家の佐藤愛子さんの娘 杉山響子さんが、面白い本を書いている その中の一節 「あの世のことなどすべてわかる必要はないし、わかると言い切ることほど傲慢なことはない。何が大切なのかを知っているのは心だ。心に深く刺さった言葉は、自分を成長させてくれるヒントに違いないのである。」 (物の怪と龍神さんが教えてくれた大事なこと)より 心と魂の関係はよく理解できていないが 魂の反応が心に影響することはあると思う 心は、肉体や主に脳(顕在意識)の影響を受けやすいから、魂が本当に望むことを素直にキャッチできていない可能性がある だから、心が喜ぶことを、魂が喜ぶとは限らない まず、心と魂のつながりをきちんと修復し、対話を重ね、協力し合ってこの世を生き抜いていくことが必要なのだと思う という気付きを実は昨日経験した 心の反応が私の望みだと思い込んでいたから、魂を無視して生きていたことを知り、愕然とした 心と魂の一件については、次に書きます ちょっと言いたいことから逸れてしまいました すみません 心と魂が良好な関係を持ってつながれば 上記の杉山さんの文章は これから学んでいく姿勢、指針となると思うので、心のメモに書き留めた これから、学びながら 主に体験と実感を通して 私が理解した魂の世界について 日々、ブログに綴っていこうと思う 出来る限り、雑念を減らし 精度の高い内容になるよう がんばります!

生まれ変わりはあるのか

 人は死んだら無になるのでしょうか それとも、何度も生まれ変わるのでしょうか 数年前、原因不明の手の痛みに苦しんでいました 知人が「原因は前世かも」と伝えてきました 前世なんてあるの?とは思いましたが、兎に角、痛みから逃れたい。病院でダメなら、前世を見てもらおうか 藁にもすがる思いで、当時、アカシックレコード第一人者の方のセッションを申し込みました アカシックレコードとは、宇宙図書館のこと どんな情報も記録されているそうで 私の過去世すべてが、きちんと書かれているらしい 以下、私の過去世です オリオン星からきた アトランティスにいた エジプトでは、アーティストの女性で、色とりどりの石をはめ込んだ大きな箱(棺か?)を作っていた。作品で自分の内面を表現することが魂の喜びだった 直前の過去世は、第二次世界大戦終結直後 十代後半の男の子で、東京のどこかで空爆を受け、死んだ。死体はアメリカに運ばれ、実験に使われた。私の魂は身体に執着していたのか、ずっと実験の様子を見ていた珍しいケース オリオンやアトランティスは、戦いのエネルギーが強いイメージだが 私の魂は、平和と芸術を愛している オリオンやアトランティスも、平和なグループもいたようです 今世に一番影響しているのはエジプト時代 美しいもので自分を表現することが好き 「今の仕事、やめてくださいね」 と、最後にアドバイスされた 覚えていないが 色とりどりの石を並べ、うっとりしている自分は、しっくりきます それと、東京の空襲には興味があり、線路脇か、何らかの乗り物の横で空から攻撃されているイメージは、いつもリアルでした 過去の私は 芸術で自分を表現したかった 平和を何より大切にした 若くして人生を断たれたからか、おそらくいっぱい学校で勉強したかった。沢山本が読みたかった 勉強と本については、過去の課題をクリアできていると思います まだ取り組んでいない課題は、自分の内面の表現と、平和への貢献か? せっかくアカシックレコードから情報いただいたのに 現在の仕事辞めるようにアドバイスされたのに 私は仕事を続けました。生活、お金、将来が不安で、安定を失う選択はありえませんでした その後、私は鬱病となり 最終的にはガンを発症し 退職する結果となりました。 現在、私は 大好きな本に囲まれてのんびり生きています 生活費も、夫が支えてくれて、何とかな

怖くなったら、敢えてやってみる

 恐怖を感じたら 身の安全を確保 生きていくために必須です 逃げる 行動しない  思考停止 当たり前かもしれません しかし 怖いという感情にもいろいろあります もし、本来の自分の望みを封印するために 不要なマインドがストップをかけているのだとしたら? こどもの頃の悲しい記憶が 自分らしさを閉じ込めようとしているのだとしたら? 何かをやろうとして 怖い! と感じたら、マインドを探ってみてはいかがでしょう ○○してはいけない ○○すべき そのマインドは、今まで、あなたを失敗から守るために働いてきました もう、いじめられないため 叱られないため 無視されないため バカにされないため しかし もしかしたら、もう、そのマインドとは さよならしてもよい時期がきているかも 自分らしさを復活させてみませんか? まあ、試してみましょうよ もしかしたら、とても楽になるかも。 自分が自分らしくある時 人は一番ほっとするのではないでしょうか 重い鎧を脱ぎ捨てて 軽い自分になりませんか? そのための練習 怖い!という感情にがきた時に 敢えて進んでみましょう 小さなことからチャレンジです (命にかかわる危険なことは やめてね~) 私、今日、チャレンジしてみます! 先日、手芸屋さんで、安売りになってた布を使って、スカートを手縫いしました 今日、その手芸屋さん方面に行く用事があり ふと、そのスカート履いていこうかな? と思い、すぐ怖くなりました お店の人に あの、安売りの、メーター○○円の布だ なんて思われたら恥ずかしい 手縫いで下手くそなのに バカにされないかな いつもの私なら 恥ずかしいから、今日はこのスカート履くの止めようと思いますが 今日の私は、チャレンジャー魂に火がついています マインドの囁きは バカにされるような恥ずかしいことは止めるべき しかし 手縫いスカート履くのは、恥ずかしいことかな 安売りの布をこんな素敵に仕上げたのよ と、堂々と見せたらいいんじゃないの。 本来の私はどんなかな 手作り大好き。可愛いの大好き。 みんな、見て見て。素敵にできたよ。 素直に、こんな気持ちでいいのでは。 よし!スカート履くよ。 その手芸屋さん行って 堂々と買い物してきます。 店員さんは気づかないかもしれないけど 私が店員だったら あの布で作品作ってくれたんだ。 嬉しいな。頑張って働いている甲斐があった

本来の自分に帰ること

 本来の自分は、誰もが 波動が高くて愛の存在なのだそうですよ では、なぜ、この地球には いろんな波動の人がいるのでしょうか 前回、波動の高い低いに、良い悪いはないと 書かせていただきましたが それについて、頑張ってお伝えしてみたいと思います 宇宙は、元々ひとつでした ある時、意識が目覚めました 宇宙は、自分のことを知りたくなりました 比較する対象があると、分かりやすかったりしますよね 元々波動が高くて、愛の存在である宇宙は 自分を細分化してみました そして、波動をぐんぐん下げてみました 自分から程遠い、正反対の方向に 分離してみたのです 愛の見えない世界に そうすることで、宇宙は 自分の本質を確かめたかったのです なぜ、こんなことしないと自分を知ることが出来なかったの? こんな例えで伝わるでしょうか 私の例で書いてみますね 母は、私が10歳の時に突然亡くなりました それまで、私は、母の有難味を実感することはなかったと思います ご飯作ってくれて、お風呂で綺麗にしてくれて、泣いてる時は抱き締めてくれて、悪いことしたら、叱ってくれて、数えきれないくらい愛を注いでもらってました が、そばに居るのが当たり前すぎて 母の愛情を漠然と受け止めていたのだと思います 母が居なくなって、初めて私は、母の愛を実感したのでした なんて、有り難かったのだろう あの幸せは、実は奇跡の上に成り立っていた 大切な人を失って初めて 私は、愛の素晴らしさや輝きを 学んだのでした つまり、宇宙は 自分の本質とは正反対のところに 自分を置く経験を通して 愛を初めて実感できたのです これが愛なんだ これが、私なんだ これが輝きなんだ その気付きを学びと言うのかもしれませんね 戦争は、愛の対極と言えます 本来はお互いに自分自身なのに 殺し合うのですから 戦争を経験した分離宇宙は あまりに自分から遠く離れてしまったことに気付きます そろそろ、本来の自分に帰ろうかな そう思った魂(宇宙の分身)たちは 経験を学びに 気付きを重ねて、少しずつ、少しずつ、 方向転換を始めました 宇宙はあまりに沢山の分身(分け御霊)を 作ってしまったので 一斉に方向転換は難しいのです お~い!こちらに帰っておいでよ! 声をかけましたが、反応する魂 反応しない魂、 声は聞こえたけど まだ帰りたくないよ もっと、この経験をして学びたいよ と

空に問いを発するとどうなるか

 目に見えない存在を信じますか? 私は、特に何かを熱心に信仰してはいません キリストも 仏陀も、マザーテレサも ガンジーも 空海も ガネーシャも みんな好きです 誰かの教えに傾倒するのではなく ひとつの問いに対し、しっくりくるものを 取り入れるようにしています 時には教えをミックスして 三人くらいの教えを経て、やっと 自分に落とし込むこともあります 最近は、自分の力で 空に問いかけて答えをいただくこともあります 問いを発すると 数分から数時間後に 第一弾の答えがやってきます 何気なく見たYouTube動画とか 読んでいる本 人から言われることも 頭にパッと浮かぶこともあります 例をひとつ この1ヶ月、腰や足の痛みに悩まされていました 痛いのは辛いです 私は空に問いを発しました 痛みは何のためにあるの? 数分後、何気なくおすすめに上がってきた YouTube動画を眺めていたら 「痛みは、体を守るためにあります」 と、YouTuberが語っていて、ビックリしました サムネを見ても、タイトル見ても 痛みとはまったく関係ない動画です 答えがきたんだ 空の計らいを実感 数日後には、通っている気功教室で 先生が、体と会話するという話をしてくれました これも偶然です 痛いところ、調子悪いところに話しかけると、 何か、答えがくるそうで 先生が私の下腹部を触った時に 「辛い~」って言ってるわよ。 と、教えてくれました。 過去に何か辛いことさせなかった?と質問され 瞬間、思い出したのが 役所勤務時代、あまりに忙しくて、 窓口対応だったので、自由に席もたてなくて、 トイレ我慢することに慣れすぎて、尿意を感じなくなり 膀胱を壊しかけたこと 「あなたは、他人にも自分にも厳しい もっと柔軟になりなさい」 と、アドバイスを受けました 自分の思い癖が、体を痛めつけ、 体は痛みにより、SOSを発するのです このままでは、病気になってしまいますよ 考え方を変えてくださいね と その数週間後 図書館で、初対面のバイト仲間と 意気投合 その方が、ヨガの先生をされていて 気がついたら、自然な流れで彼女のヨガ教室に 参加していました 彼女は、丁寧に、腰や足の付け根を ほぐしたり伸ばしたりするポーズを 教えてくれて、実際に痛みが和らぎました! プラス ヨガの誘導は心地よく、本来の自分の感覚をしっかり感じとる過程

自分らしさとは

スピリチュアルな視点で見た場合、 仕事は自分「らしさ」を開花するためのアイテム。 仕事を通して自分らしさを見つけるとは? 私は高校卒業後、公務員になりました。 時はバブル時代。公務員になるなんて、安定はしてるけど、夢もなく、何の取り柄もない自分がなんとか糧を得られる手段ぐらいに考えていました。 そして、大学へ行けなかったコンプレックスから、自分でお金を貯めてから夜間大学に通い、英語教師を目指そうとしました。  が、教職に向けての勉強はつまらなくて、途中でやめました。 ただ、大学卒業によりコンプレックスは満たされ、毎日、平凡に役所に通う日々が30年。 それしか出来ないと思っていました。 大きな病気になり、病院にお見舞いに来てくれた知人に、「心からやりたいことをしなさいよ!」と一喝されました。 病気に後押しされ、私はやっと退職することができました。 しかし、何をしたらよいのかサッパリ。 迷走が始まります。 こうやさんからは、「あなたは、苦労が足りない」と指摘され、さらに混乱しました。 困難を抱えた人に関わる仕事を探しました。 しかし、障がい者に関わる仕事の面接は直前で車の免許がないからと、断られ。 それならと、一念発起し、社会福祉士の資格を取ろうと奔走しましたが、夫にメチャクチャ怒られ、断念。 唯一残ったのが、月に5日程度の図書館バイトでした。 昨日、宇宙がまた揺さぶりをかけてきました。 以前の上司から突然連絡が入り。バイトに来て欲しいとのこと。 その職場は障がい者の相談窓口です。 私が求めていた、まさにぴったりの。 一ヶ月前なら飛び付いていたでしょう。 しかし、私の心のなかは、なんとなく引っ掛かりがありました。 そこで、例の、マインド探しをやってみました。 でてきたマインドは「困っている人を助けるべき。人は人に奉仕すべき。」です。 もちろん、当たり前のことで、人間は本能的に奉仕に喜びを感じるものだと思います。 私も数日前までは、「神様のお手伝いがしたい」なんて言ってましたから。 でも、何か引っ掛かるのです。 このまま奉仕の世界に入っても、きっと偽善になる。 昨夜は、上司にお断りをしました。 そして、今朝、本を読みながら、「らしさ」について考えました。 土の時代の感覚から判断すれば、 (こうやさんの指摘もあり)私は、障がい者に関わる世界へ挑戦するべきだったでしょう。 純

マインド手放し

 マインドの手放し これは、知っておいた方が、ずっと生きやすくなりますので、おすすめです。 私の例で説明しますね 今日、バイト先の図書館で、失敗しました ある場所で作業していたら、別の職員さんが同じ場所に来て作業を始めました 私は、途端に挙動不審になりました 私は、邪魔になっていないだろうか? 早く自分の作業を終わらせて、この場所を空けなければ 迷惑かけたくない そんな思いでいっぱいになり、体が緊張 結果、バサバサ物を落として、その人に迷惑かけました(涙) 何やってるんだ、自分! 自分を叱責しそうになり、ハッとしました これは、不要なマインドのせいなのです このマインドを手放せば、私は同じシチュエーションになっても失敗しなくなります マインドとは、主に幼少期に形成されます ○○すべき という思い込みのことです 例えば、小さい時に、親に叱られたりして、怖い思いをしたとします もう、同じ怖い思いをしないように、自分自身を守るために ○○すべき というルールを作りあげるのです これが、マインドと言われます 今回、私の場合は 絶えず、誰かの邪魔になっていないか、気を配るべき という、強力なマインドにより 体がガチガチに緊張してしまい 結果、普段しないようなミスをしてしまったのでしょう マインドを発見したら、次は掘り下げます なぜ、こんなマインドを持つに到ったのか それはどうして?と 自分と対話していきます 大抵は、幼少期に原因があるようなので 小さな時の記憶を探っていくとよいかもしれません 繊細な思春期もあるかもしれません 自分への話しかけは、時間をかけて じっくり行ってあげてください 長年、マインドにより、本来の自分はかなり奥に閉じ込められています 優しく話しかけてあげてください 私のケースでは、おそらく、子どもの時に、何かに熱中していて、親に 「そこ、邪魔になるから、どいて」と言われたのではないかと しかも、親が忙しかったのか、虫の居所が悪く、かなり厳しめな響きで叱られたのでしょう さあ、ここまできたら、もう一息です 次は、兎に角、その時の自分の感情に寄り添い、受け入れます いい子になる必要はありません 相手を思いやらなくてもいいのです その時、自分は、本気で悲しかったのですから ビックリしたのかも 怖かったのかも 「それは、ビックリしたね。悲しかったんだよね。わかるよ

夢で逢えたら

 夢は夢でも ちょっといつもと違うなあと 感じる夢ってありませんか? 明け方に見た夢は とても不思議でした ある人と 手をつないで歩いて しっかりハグしました とても短い夢でしたが 目が覚めてからも 幸福感が続きました その人とは、現実世界では 単なる知り合いです 手もつながないし、ハグもしません 衝突もあったし 期待はずれなことも多くて 現実では、もし一緒に暮らしたら すぐ別れるだろうなあという人 でも、なぜだか好きなんです 理由などありません 遠く離れても もう会えなくても 幸せでいてほしい 元気でいてくれたら 私もうれしい そう思える人です 理由もないけど なんだか好きな人って いませんか? 最近、その人が、事故にあわれて 怪我したらしいと知ったので 気になったのかもしれません もしかしたら夢の中で その人にエネルギーを送ったのかも 元気になってね と こんなふうに 離れていても 大切な人がいるって 実は幸せなことだなあと思いました 夢の中で、逢えて ただ素直に嬉しいと感じる人は 無意識の世界では つながっていて 応援しあっている仲間なのかもしれません

空からのメッセージ

さっき、マンションのベランダから下を覗いていたら、 植物たちが、キラキラしてました。 ダイヤモンドの粒を蒔いたみたいに。 ビックリして、見回したら、あっちにもこっちにも。 現実的に判断したら、昨夜の雨粒に太陽の光が反射しているだけなのですが、 空が言うには、植物の喜びの表現ということでした。 私たちには、誰一人洩らさず、神様はじめ、たくさんの目に見えない存在が応援団をつくっていつも見守っているそうです。 宇宙には自由意思の法則があり、私たちには各々の課題に取り組んで四苦八苦して学んでいます。 神様は、手出しできないので温かく見守り、時々、応援メッセージを送ってきます。 その人が分かりやすいような形で。 私の場合は、空の現象が多いですが、 植物や鳥や、ふと目にした書物とか、看板、偶然耳に入ってきた音楽など。 神様は明確な言葉は使わないので、(言上げせず。というらしいですが) 私たちにが、何気なく気がついて、感動するものが、目に見えない応援団からのエールです。 私は誕生日に、彩雲と太陽のまわりにできる光の輪(ハロ現象)を見て、ありがたくて感激しました。 そしたら、先週また、さらに大きな彩雲と光の輪を見ました。ちゃんと見守っているよと念押しされた感じがしました。 まわりのいたるところにメッセージはあふれているので、楽しんで発見してみてください。

拭き掃除

「拭き掃除」 掃除が嫌いでした 長い間、拭き掃除を怠っていたので 久々にやってみたら、雑巾が真っ黒になりました これはまずいと それから毎朝、拭き掃除を始めました 最初のうちは、拭いても拭いても、雑巾は真っ黒になりました 辛抱強く続けているうちに 雑巾があまり汚れなくなりました きれいになったなあ 心の中がスッキリ爽やかになっていました もうきれいになったのだからと安心して 数日、掃除を怠けました そうしたら、また雑巾が黒くなりました 部屋は一見きれいに見えるけど 日々、埃は積もるのだなと 理解しました 心も同じ 毎日、毎瞬、埃は舞い降りる だから、毎日 心も拭き掃除が必要なんです モヤッときたら、心に問い、受け入れ、手放して それを毎日続けます 毎日、どうして汚れるの? それは、生活しているから 生きているから 心に埃が積もるのは きっと動いている証拠 いろんな人に出会って いろんなこと感じて 心をいっぱい動かすから 埃は少しずつ積もるのです。 でも、動けば筋肉もつくし 巡りも良くなるし 心はきっと強くなります 心を拭き掃除して 雑巾が汚れたら 頑張って動いたんだねと 自分をほめてあげたい 時々は怠けたくなるけど お部屋と心の拭き掃除 毎朝こつこつ続けます

かもしれません

 「かもしれません」 ヨガの先生が ポーズをとった時の体感について こう、感じるかもしれません 感じないかもしれません と言いました かもしれません を 何度も言うので 気になりましたが だんだん心地よくなりました どう感じてもいいんだな 正解を探して 相手に求められていることばかり先読みして 自分の感覚を殺さなくてもいいのだな 私が感じたものを ただ静かに素直に感じとる それだけのことなのに なんだか、生まれて初めて 許されたような気持ちになりました あなたはあなたのままでいいのだよ と かもしれません あらゆることを受容する 素敵な響きだなあと 思いました

ちび太のこと

 いつものお散歩コースに 地元のこじんまりした神社がある そこには 神鹿が一頭いて みんなから可愛がられていた 先日、久しぶりに神社へ出かけた ちび太の元気な姿を見たかった 拝殿で神様にご挨拶を済ませ 拝殿横の、ちび太がいる庭を フェンスごしにのぞきこんだ 生き物の温もりのない空間が広がっていて ちび太がいない?と 嫌な予感がした フェンスには貼り紙がしてあり ちび太が令和3年3月30日に 空の大神様のところへ旅立ったと 書かれてあった 思わず「かわいそう」と呟いた 涙が止まらなくなった 拝殿では、ご近所さんの祈祷が始まったのか ちび太の庭に祝詞の声が流れていた ちび太を愛し育ててきた 神主さんの声を聴きながら ちび太は祝詞を聴いて大きくなったのだなと思った ちび太は かわいそうなのだろうか 十八年の歳月は短いだろうか 鹿にとっては長生きかもしれない 神様のお使いとしてこの地域をお守りするお役目を きちんと全うしたのだから お疲れ様でした そして、ありがとう と 感謝の気持ちを伝えることが 大事なのではないか そう思い直したが それでも涙はあふれた もう会えないのが、悲しかった 例え神社へ行かなくても そこに ちび太が居てくれると思うだけで なんだか心の中がほっこり温かくなった ちび太は愛そのものだった 私たちはたくさん愛のエネルギーをいただいたから いつも癒されて、笑顔になれたんだね そんなことをしみじみ考えた そう言えば日々 空の鳥や道端の草花からも 癒しや笑顔になれる元気をいただいている どんな小さな命であろうと みんな愛でできているんだな ちび太からも、まわりの存在からも 私はたくさんの愛のエネルギーを いただいて生きてきた だから、きっと 私の中にもあらゆる命を 愛おしいと思う力が育っているはず ありがとう そこまで考えを巡らせたところで 目の前に、きれいな葉っぱが一枚 くるくる すとん と落ちてきた ちび太からの葉っぱのお手紙だ! とその瞬間感じた 「ぼくのために ないてくれてありがとう ぼくは いま かみさまたちに かわいがられて いつも たのしく すごしています だから かなしまないで みなさんも まいにち たのしんでくらしてください」 と 書いてあった かもしれない 神鹿ちび太の育ての親である 神主さんの祝詞の声は まだ、続いていて 腹の底に響き渡

はじめまして

 みなさま はじめまして 空と雲とおひさま です おひさま と呼んでください 実は本名もおひさまに関係しています ブログは初体験です 日々、空からメッセージをいただいて 最近、たくさんの気づきがあります どこかにきちんと記録しておきたいな と思ったのと もしかしたら、他の誰かにとっても ほんの少し 気づきになったり ほっとしてもらったり できるのかもと思い やってみることにしました 気ままに綴りますので もし、気に入ったら たまに見に来てくださいね では、みなさまにとって 素敵な一日となりますように