人は何のために書くのか?
写真は、5月26日のスーパームーンです
皆さん、月蝕楽しめましたか?
さっき、図書館のバイトから帰ってきた
書架整理をしていて、懐かしい本を発見
10年くらい前に読んだことのある
民俗学的内容の本
いろいろ思い出したので、書いてみる
その本は、神社のオオカミの護符について書かれていた
当時、このような内容の本は出版されていなかったと思うので、民俗学分野では、なかなか興味深く、フレッシュな作家さんが登場したなあと感じた。謎を解明していく過程が、ドキドキもので、楽しく読了した。
当時は、本屋さんでも、店頭に山積みで平置きされていたので、その印象的な表紙を記憶に留めている方も多いと思う
私には、とても面白かったので、作家の知人に貸し出した
彼女も、神社関係をフィールドにして、将来その分野で何か書くことになるだろうと感じていたので、何か参考になるかもしれないと思った
どんなに面白かったか、力説して渡した
彼女は、楽しみだと言って、受け取った
彼女に再会した時に
なぜか、彼女は怒っていた
その本は、彼女にとって、おもしろくなかったらしい
好みは人それぞれだから、それは別にいい
面白くないから、読まなかったよと
返してくれればよいだけだ
しかし、彼女は、感情的になって、不快感を表していた
「どうだ、私はすごいだろう。という感じが伝わってきて、不快だった」と言うのだ
ビックリした
私はそんな風には感じなかったから
彼女は既に作家としてプロだったから
いろいろ至らない面を感じたのだろう
兎に角、謝って、その本を引き取った
私には面白かったけどなあ
余計なことしちゃったなあ
不快な思いをさせたことが、悲しかった
その本が、10年を経た今、図書館の書架に
きちんとおさまっていた
確か、あの後、何かの賞を受賞したはずだ
プロ作家の彼女は受け入れなかったが
世間は、この本を評価し、たくさんの読者が楽しんで読んできた
あの時、感情的に怒っていた彼女は
いったい何に反応していたのだろう
「どうだ、すごいだろう」というエネルギーを感じたというが
捉え方を変えてみる
「私は、この分野について、魂込めて、一生懸命調査しました。だから、どこに出しても恥ずかしくないほど、自信があります。この成果を皆さんに読んでもらいたい。」
だとしたら?
せっかく頑張って書いたのだから、多くの人の目に触れてほしいし、評価してもらいたいだろう。人として、普通のことだ。
そのエネルギーに嫌悪感を抱いた彼女の内面は分からないが
彼女は、作家として、悩んでいた時期だったのかもしれない
何を、どんな心構えで、どのように書いていくのか
ただ、売れればよいという書き方になってはいないか
未来に何を残せるのか
彼女の葛藤が、その本の何かに過剰反応し、彼女自身が鏡に映し出されたのではないかと
今なら思う
彼女は、その後、数冊の本を出版し
日本全国の図書館の書架に、現在も並んでいるはずなので
あの出来事が、彼女の作家魂に火をつけたのなら、結果オーライで良かったなと
今さらだが、懐かしく思い出したのだった
世間に発表すると
批判されることもある
私は、20年ほど前に
自分のホームページで、自作絵本を公開していた
ネット世界で知り合ったアマチュア絵本作家たちとWeb上で交流しながら
互いの作品の感想を言い合ったり
まあ、楽しくやっていた
ある日、私宛に知らない人からメールが届いた
その人は怒っていた
「少なくとも、絵本作家を目指すのなら
そんな下手くそな作品を作るな」
みたいな内容だった
アマチュアだったし、下手くそなのも分かっていた。ただ、自己満足だが、せっかく作った作品を誰かに見てもらいたかった
褒めてもらえば、素直に嬉しかった
癒された、優しい気持ちになれたと言ってもらえたら、私も誰かの役に立てるかもしれない。と、自分を肯定することができていた
だから、作品を公開することで
誰かを不快な思いにさせてしまう事実を知り
私は何をやりたいのか、分からなくなった
その時は、批判をありがたく受け止め、お礼の返事を送った
絵本は、結局は、自分のために作っていたのだと思う
その後、作品製作は途絶えてしまった
今、私はブログを公開している
ただの日記なら、自分のパソコンの中だけで完結すればよいのに、なぜ私は、文章を公開しているのだろう
誰かに、読んでもらいたい
私の気づきが、誰かの気づきにつながれば
素直に嬉しい
だけど、文章は、自分のために書いている
人は誰もが、自分の内面を表現してみたい生き物なのではないだろうか
絵でも、音楽でも、料理でも何でもいい
私は、たまたま、書くことだった
批判されたら、悲しいし
真摯に反省はすると思うが
書き続けたいと思っている
以上を書いて、数日経過
あっと思ったことがあり
追記しておく
何を見ていたか忘れてしまったが
職人が、承認欲求を捨て去り
無の境地で作り上げたものが
大きな力を持つということ
作り上げる対象に対し
人間の感情的部分を削ぎ落としていく
まだ、理解は不十分だが
分かる気もする
つまり
その道のプロになるということは
承認欲求からの卒業が
鍵になるかもしれない
誰かを不快にさせたものの正体は
作品から醸し出される承認欲求だったのではないか
いろいろ起きた現実は
その人が大成するために
必要な道標を表していたのかなと思う
承認欲求まみれで、そのレベルに止まり自己満足の世界で生きていくのか
人間に備わっている当たり前の欲求を
昇華させて、その先に進むのか
それにより、作り出されるものが
万人の心を揺さぶる輝きを放つかどうかの
分かれ道になるように思う
考え続けていると、何らかの答えがやってくる
生きるヒントになりそうなので
記録しておこう
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