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コロナに罹る

 不要な思い込みをどんどん外していくということが、目下の目標である。 特に、3月23日から24日にかけて、占星術上でも大きな転換点を通過したそうで、人間関係も気の合うもの同士の関係は続くが、少しでもずれてきた者は去っていく時代に切り替わったそうだ。これは縁が長続きすれば善いとか悪いということではなく、そういう宇宙の流れに沿うものであるから、去る者を追わず、来るものを拒まずに心地よく過ごしていることがポイントになってくる。 そう言われてみれば、私も小さな違和感を切っ掛けにして、先月末に信頼し合った友との活動から卒業した。古い時代の価値観のままであれば、そんなの無責任すぎるから、ちょっとの違和感ぐらい目をつぶって関係を続けるべきだと、自分の本音を無視したことだろう。頭ではそれはちょっとどうかな~と躊躇してはいても、心の奥深くからは、「3月のうちにリセットしなければならない!」と迫力ある熱意で伝えてきていた。その理由は全く分かっていなかったのだが、天体情報と照らし合わせると、なるほど、私の無意識層では、宇宙の流れをちゃんと捉えていたのだと思わされた。このように答え合わせ出来るよう情報は後からもたらされる。 もう、古い信念は通用しない新しい時代のエネルギーに切り替わっている。ここに気が付かず、古い信念に縛られたままでいると、どんどん生き辛く苦しくなってくる。同じ出来事が現象として起きていたとしても、受け取り方ひとつで、軽々と乗り越えることも出来るし、重々しく泥沼に足を取られるような体験も可能だ。その信念、まだ必要ですか?と自分に問い質すというアクションは、大切にした方がいいだろう。それでも「まだ、私はこの信念にこだわって生きたい!」という結論を出すのであれば、それはまだその人にとって必要な体験なのだ。答えはいつも自分の中にある。 ☆私はコロナには罹らない? 前置きが長くなった。そうそう私の目下の目標の話。 私の抱える無数にある信念の一つに、「私はコロナには罹らない!」というものがあった。根拠などは無い。「私だけは無事だ」という根拠の無い信念は、どうやら人間の誰もが本能的に抱きがちであるそうだから、私も例に漏れず、「流行ってはいるけど、私は大丈夫よ!」と何となく思って過ごしていたわけだ。コロナウィルスも元々は愛の波動からできている。私が愛でフォーカスすれば、愛で応えてくれるは

雪が溶けて謎も解けて川になった

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 「お墓はどこにある③~雪が溶けたら」(3月27日投稿)の後日談と、宇宙規模の気づきについて。 ☆本当に連絡をくれた! 4月13日(土) 〇〇市史編さん係のSさんからスマホに電話が入った。 確かに「雪が溶けたらお墓を調べてきてあげますよ。」と言われてはいたが、私は心のどこかで、そのまま忘れられて連絡も来ないのではないかと思っていた。Sさんは、探偵ではないし、私は報酬を払うわけでもない。Sさんにとっては気まぐれな約束であり、履行する義務は一切無い。 だから、電話が来た時は、「本当に連絡をくれたんだ!」と驚いてしまった。 Sさんは、経過をかいつまんで説明してくださった上で、写真を送りたいのでメルアドを教えてほしいと言った。 ☆つながる情報 Sさんは本気だった。雪が溶けたので、私の先祖の墓があると予想される町営霊園へ仕事のついでに足を運んでくださった。まず、その町の〇〇精肉店へわざわざ寄ってくださった。 〇〇精肉店については、先月図書館のレファレンスで知らされており、私から手紙を出していた。その回答が届いたのが4月12日だった。〇〇精肉店の店主は私の曾祖父の弟の家系の子孫であった。昔の写真のコピーや町の温泉街マップ、そして手書きで几帳面に描かれた墓所の地図まで同封してくださっていた。その墓所には、曾祖父の弟家系の墓と、曾祖父の兄が建立した墓(法名が二名分墓石に彫ってあるが俗名不詳)が建っていたが、肝心の高祖父と曾祖父の兄の墓は無かった。精肉店店主も、さすがに高祖父の墓は知らないということだった。 私はそのことはSさんに知らせてはいなかったのだが、市史編さんを仕事とするSさんにとって、スキルを駆使すれば〇〇精肉店を見つけることは自然な流れだったのだろう。Sさんは、精肉店を訪問し事情を説明したところ、「手紙が来ていたから、(私へ)回答を送ったよ。」と言われたとのこと。そこで、店主が私に送ってくれた墓所の地図の下書きの写真を撮影させてもらい、実際に霊園へ足を運んだ。 Sさんは、墓石を四方向から撮影した画像をたくさんメール送信してくれた。ついでに、霊園から眺められる美しい円錐型の山の写真も撮影してくれた。その山は、曾祖父の兄が創設した〇〇旅館を長男が引き継いだ際に、その山の名に名称変更しており、〇〇家にとってはたいそう縁深い山なのだ。それを知ってか知らずかSさんは無意識にそこまで

江戸からファイナルファンタジー的メッセージ

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  ☆江戸時代に思いを馳せる夜 夫の母方の家系図づくりを終えて、本籍地名から歴史を紐解こうとしていた。 本籍地は江戸城をぐるりと囲む武家屋敷地帯の一角にあった。 『千代田区史』を国会図書館デジタルコレクションで閲覧してみたところ、祖先の江戸入りのきっかけは、中世(天文の末頃)後北条氏草創の功臣であり、早雲伊豆討ち入り以降、一国平定の時、最初に味方に属したもの=伊豆衆21名の一人に名を連ねていたようだ。 本籍地が武家屋敷地帯にあったことから、江戸切絵図で〇〇家の屋敷表示が無いものか、調べてみることにした。 利用したのは、「人文学オープンデータ共同利用センターhttp://codh.rois.ac.jp/」国立国会図書館が所蔵する古地図(江戸切絵図)閲覧サイトである。 ダイレクトにグーグルマップで現在の番地を表示させ、江戸切絵図と比較して、当たりをつけた。なぜなら、江戸時代から皇居周辺の道路はほとんど変化が無いので、道を見ると、江戸時代のどの屋敷に当たるのか、分かりやすいのだ。関東大震災や東京大空襲を経てもなお、道筋はほとんど変わらないというのは歴史紐解きには大変ありがたいことだ。 さて、寝る前に、△△町の江戸切絵図を丹念に調べたが、〇〇家の屋敷名は発見できなかった。 考えられるのは、明治に入ってから江戸城まわりの武家屋敷が払い下げになっているということだ。〇〇家の屋敷は元々別の町にあり、払い下げを受けて新たに居を構えたと考えた方がいいかもしれない。上記古地図は29枚もあるので、少しずつ、町をずらして〇〇家表示を探していくことにした。一枚の古地図を調べるのに1時間はかかるので、暇を見つけてはちょっとずつ作業していこうと思った。その日は疲れていたので、そのまま布団に入った。 ☆夢のお告げ 私はこの数か月、熟睡することが無く、たいていは夜中の1時~2時あたりに目が覚めてしまう。この日も丑三つ時に目が覚めて、うとうとしながら横になっていた。 浅い夢の中、二つのワードが脳内で響いた。 「浅間神社」と「ポーション」と、確かに私は脳内で聴いたのだった。 どういうことだろう?布団の中で、すぐさま二つのワードをスマホで検索してみた。明日になると忘れてしまうと思ったからだ。 これらのワードは、おそらく〇〇家に関することではないか。何らかの手がかりが夢を通して伝えられたのではないかと思われ

鏡像の世界で迷走中

 順調だと思っていた。 宇宙や意識や魂のことも、ある程度学んでいたから、私はもう大丈夫だと思っていた。 本当の意味での喪失などないという意味も知っていた。 この意識の正体は消えることもなく、永遠に形態を変化させながら循環する。 記憶は幻想によるデータだから、嘘か本当かなど気にすることも意味は無い。躍起になって探している真実など、どこにもあるし、どこにも無い。どのような見方をしたいかだけだ。だから記憶は、体験のためのツールと言えるし、感情も同じである。 のであるが・・・・私はやはり血の通った人間だった。分かっていても理想通りにはいかないのだ。これが肉体を持つ人間であるということだ。今、私は創造主でも神でも宇宙人でもない。この地球で唯一無二の体験をしている意識である。 闇落ちしたのは3月29日の夜だった。 ある段階で大規模な自我の逆襲を受けるらしいことは本などで知っていた。自我は持てる最大限の力を発揮して、深い闇に対峙させてくる。 ある意味、自我は私が望んだ体験を実現させるために、必死になって約束を守ってくれている。健気な存在でもあるのだ。こんな形の愛もあるのだと思う。自我は敵ではない。 イタリアの巡礼路サンティアゴ・デ・コンポステーラを舞台にした映画をたまたま見た。事故死した息子の遺骨をバックパックに入れた父親が、巡礼の旅に出る物語だった。そこで、ふと符合を感じたのだった。この2か月余り、私は先祖のルーツを辿る巡礼路を歩いていたのではないだろうかと。父につながる血の系譜を辿ることは、私にとって発見の旅そのものであった。私はこのような内的巡礼を無意識に選択することで、喪失感を別のエネルギーに転換しようとしていたのかもしれない。なぜ、取りつかれたように父のルーツを調べ続けたのだろう。系譜につながる人々の名を掘り起こし、先祖の墓所を見つけるために奔走していたのだろう。その理由をはっきりと説明することは出来ない。ただ、そうしていると、喪失感に直面しなくて済むと無意識に逃げ道を用意したのかもしれない。しかし、見ないようにしていても、心の中に覆い隠した感情は消えるわけではない。いつかきちんと対面し、感じ切るまでは、その感情のエネルギーは消えることはない。自分がそこに向き合えるようになるまでいつまでも待ってくれている。忠犬ハチのようで、その意味では誠実なエネルギーだ。 自分でも不思

お墓はどこにある③~雪が解けたら

北海道の高祖父のお墓についてもまだ、場所が判明していなかった。 高祖父は、祖父の戸籍から明治四十四年に出て、祖父の弟のところへ入っていた。 戸籍の表示は大正十年の古い地名までしか分からない。もし現在の住所地と照らし合わせられれば、何か分かるかもしれない。そこで、一か八かで、市役所の住居表示を担当している係に電話をしてみた。担当がその日不在ということで後日電話をくださることになった。二日後のついさっき、電話をいただいた。 〇〇市史編纂室の方だった。 古い戸籍謄本を見ながら古い地名と番地をお知らせしたところ、 「それ、山の中なんですよね~。」と言いつつ、電話の向こうでも、古い地図を確認してくださっている様子だった。 「旭川から網走方面に向かって基線が550mごとになっていて、国道が基線になるので、1号から西に14号まであって・・(ちょっと私には意味不明) もしかして屯田兵?屯田兵だとお墓が集まっている場所があるんですよ。役所に聞いてみた?」 私「え?役所でお墓のこと分かるんですか?」 「管理費払うでしょ。だから分かるんです。あ、でも、今払っている人の氏名が分かればだけど。」 私(ああ、そうなんだ。この地域ではお墓は公営なんだなあ) 市史編纂室の方は、さすがにいろんな歴史的背景を知っていて、すらすらと屯田兵関連の年代などを交えながらいろいろ心あたりを説明してくださった。そして、私が高祖父のお墓参りをするために地名から親戚を調べようとしているのを理解してくださった。 「そうかそうか、事情はよく分かりました!要するにお墓参りしたいんだね!それならね。雪が解けたら、私、調べて来ますよ。急ぎますか?時間かかってもいい?」 私「え?いいんですか?え~っ!ありがとうございます!」 「これもご縁ですからね。」 というわけで、市史編纂室の方がご縁を感じてくださったようで、おそらく仕事の一環で山中の屯田兵の墓所を訪問した際に、我が家の苗字の墓石が無いかどうか、ついでに調べてきてくださると申し出てくださったのだ。なんて、なんて、親切なんだろう。ああ、もう〇〇市史編纂室でバイトさせていただきたいくらいだ。なんてあったかい対応をしてくださるのだろう。東京の役所では100%有り得ない展開だ。 そして、「雪が解けたら」というフレーズがすごくいいな~と思った。 私の脳内で何度もリフレインされた。 「雪

お墓はどこにある②~種の発芽

 お墓はどこにある①の後日談である。 ☆種まきの面白さ 日々、ちょっとずつ何かが分かってくるので面白い。 これは、まるで種まきのようなものだと思う。地面に種を蒔いておけば、天気や季節の影響を受けながらも、その種のベストなタイミングで発芽する。せっかく種まきしたのに、芽が出ない・・・と嘆くようなことも人生には起こることだろう。しかし、目に見えないが地面の下では、種が冬眠しつつ春を待っているかもしれないし、稲妻(衝撃的出来事)の到来を待って一気にエネルギー変換しようと待機しているのかもしれない。 何も起こっていないように見えて、潜象界(すべての現象の源の世界=陰=ない)から現象界(目に見える=陽=ある)への移行は、この次元ではタイムラグがあるように感じる。何がどう影響して目に見える現象として展開するのか、思考では計り知れないのが、この世界の醍醐味である。分からないから楽しめる。 とかなんとか、分かりにくく書いてしまったが、簡単に言うと、この世界では、行動(種まき)が大切!と言う気づきがあったということ。 種まきが、いつ芽を出すか分からない。明日かもしれないし10年後かもしれない。これはすご~く面白い体験ではないか。感動はここから生まれる。感情をめいっぱい味わいたいなら、行動は必須である。 もちろん何もしない(種まきしない)も、一つの選択であり、傍観することが望む結果を招くこともある。何をしてもしなくてもいい。宇宙から見れば良い悪いは無い。すべてが大切な体験だ。結局は私たち(本質)が体験したいように現実はVR映写されている。 私は、この1か月半の間に、閃きに従って種まきをしてきた。「おぉ・・ここで、こんな芽が出るのか!」という発見の連続であった。そして自宅に居ながらも、距離を越えて、人の縁がつながっていった。「おしえて!」と発信すれば助けてくれる人が現れる。今まで存在すら知らなかった人物や土地が一気に身近になってくる。 この感覚をどのように表現したら伝わりやすいだろうか。私の肉体を構成し、生かしてくれている一つ一つの細胞を再発見した!という感じだろうか。元々、そこに在って命を形づくってくれていたからこそ「私」という自我が55年間もオリジナルの体験を実現することが出来ていた。その事実は変わらない。 再発見とは、「そうだったのか!」と気づくこと。元々は全体であったことを思い出

春分の祈り合わせ

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 3月20日 12時6分 太陽が春分点を通過する時刻に日本は春分を迎える。 数日前に友人からお知らせが届いていた。その日のその時刻にお祈りをすると、願いがメチャクチャ叶いやすいのだとか。世界平和とかよりも、個人的なお願いの方がいいとのこと。確かに、願いが叶ったかどうか確認するにも、世界平和だと検証しにくいのかもしれない。祈り合わせ発起人の作家さとうみつろう氏によると、この実験により14万4千人が同時に祈ることで、現実に影響を与えられることを実証するのだとか。人の意識が現実を創造するということを皆が実感できるなら、確かに外側にフォーカスするより内側を整えていくことの大切さに気付きやすいだろう。自身を許し愛するなら、外側の争いは消えていく。この宇宙の仕組みを体感するために。 さて、3月20日、私は何をしていたかと言うと、お彼岸のお墓参りに出かけていた。その後、早めのランチでお好み焼きを焼いており、12時6分のことはうっかり忘れてしまっていたのだった。1時間ほど前に北海道の親戚から携帯に着信が入っており、食事後慌てて静かな場所に移動し、折り返し電話をした。 この電話がなぜ重要かと言うと、私はこの人物と40年ぶりに話をしたのだった。今回、私が勝手に先祖のことを調べ回っているのだが、その過程でどうしても父の出身地にある本家に問い合わせる必要があった。本家夫婦は高齢のため既に話ができる状態ではない。一人は寝たきりであり、もう一人は記憶が確かではなくなっている。一か八かで先祖に関する質問を2~3手紙に書いて送っておいたところ、娘さんが代わりにお電話で知っていることを知らせてくれたのだった。彼女とは、40年前、私が中学生の時に本家を訪問した際に、初めて顔を合わせている。遭遇は過去にその一回のみであった。まさか40年後に先祖のことについて、電話で話をするようになるなどと想像すらできなかった。親世代は仲良く交流していたが、私たち子どもの世代は親戚にまったく無関心であったし、こんなことでもないと、連絡を取るような機会も無かっただろう。 10分ほど話して電話を切った瞬間に「あ!12時6分!」と私は叫んだ。忘れていたくせに、いきなり思い出した。 時計を見たら、12時6分30秒だった。計っていたわけでもないのに、なんだこのナイスタイミングは。 そこで、手を合わせ、目を瞑り、私の個人的なお願いご