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9月, 2021の投稿を表示しています

決断すると何かが起きる

 先日 夢実現の一歩二歩三歩 という投稿をした。 「自分の本を出す」という夢を実現すると、心に決めて、自分にも周りにも宣言した。 前後に何が起きていたかを書いておきたい。 決断することには、とても大きな意味がある。 小さくても、大きくても、何か夢を持っているなら、 決めること。 具体的な手段は後回しでよい。ゴールをリアルに描くことを大切にしてほしい。 そうすると、不思議なことに 意図せずとも具体的な情報が次々寄せられてくる。 本日は、そんな不思議な流れの記録である。 決断するあの日まで、私の夢は、ぼんやりしていた。 私の本が書店に並んだらいいなあ~。と、ふわふわした夢を描いてはいたが、特に、書きたいテーマは決めていなかった。本が好きだから、私も本を出したいな。くらいのレベルだ。 文章を書くのは好きだったので、当時仲良くなった方々に、少し長めのLINEメッセージを送って楽しんでいた。 当時はスピリチュアルなことに興味があったので、本や動画で得た情報をシェアしていた。それを読んでくださった方から 「とても分かりやすい。スピリチュアル初心者向きの本が書けるのでは?」と言ってもらった。それが嬉しくて、ついつい、LINEメッセージが多くなった。誰かに読んでもらえることの幸せを感じ、何か書きたい欲求が高まっていった。 しかし、長いメッセージの頻発は、ヒンシュクでもある。誰にだって、読みたい時もあれば、読みたくない時もある。そろそろ、文章発信のステージを用意しなければと考え始めた。 ある朝、一念発起。blogを立ち上げた。今は、無料で簡単にblogが始められるいい時代になった。これで、私は好きな長さで好きな内容の文章を書くことができ、しかも第三者に見てもらえるという環境を手に入れた。 今のところ、blog閲覧者数は、月平均180人(延べ)。海外からも閲覧いただいているらしい。投稿内容によって、人気にバラつきがあるが、少なくとも、私の大切な友が毎回見にきてくださっている様子。一人でも誰かに読んでいただければ、とても幸せな気持ちになる。 いつも励まされています。本当にありがとうございます。 blogを始めた頃は、とてもじゃないが、本を書くレベルではない。読み返してみると恥ずかしくなる。人様に読んでいただける文章が書けるように、日々練習だ。 計らずも一貫して、伝えているのは 「本来の自

闇体験チャレンジャー

 先ほど、気づきを得た。 今世で、闇の体験をしたら、そのエネルギーと同等の光を発見できるのではないだろうか。 闇体験(苦しみ、悲しみ、恐怖、孤独など)の深さにレベルがあるとするなら 例えば、100レベル闇を選択すると、100レベルの輝きの光(愛、平和、静寂、喜びなど)と交換される。体験の等価交換。 闇がちょっとなら、見い出す光もわずか。 闇が深ければ深いほど、体験を乗り越えた先の輝きは、眩くて深い感動を味わう。 陰陽マークを見ると理解できるだろう。黒い部分と白い部分は同じ面積だ。陰は陽に転じ、陽は陰に転じる。 あくまで想像だが 私の魂が、今世に転生する際に、神様と約束したかもしれない。 神との会話回想シーン 「闇レベル350で、チャレンジしてきます。」 「350は、ちとキツいぞ。」 「確かに、レベル100なら、楽チンです。でも、それでは、今の私の魂の輝きがパワーアップしません。」 「ほほう。やる気満々じゃな。」 「はい!350の光を得て、さらに魂をピカピカにして帰ってきます。」 「そうじゃな。今のお前の力なら、350に耐えられるだろう。やってみなさい。さらに輝く魂に成長して帰ってくるのを楽しみにしておるぞ。」 「ありがとうございます!見守っていてください、神様!いってきま~す。」 こうして、私の魂は、虹の滑り台を降りて、母の胎内へ·········· 回想終了 神様は、その人に乗り越えられない試練は与えない。魂は神様と話し合い、自分で決めてきているからだ。 さて、話は現実へ変わる。 先ほど、動画で映画を見ていた。私には珍しく、ちょっと恐怖系のストーリーだった。なぜ、わざわざこの映画を見たのだろうか。 案の定、最高に怖い場面が突然やってきた。トラウマレベル。慌てて、画面を閉じた。ああ、後悔。口の中がカラカラになり、苦くなる。貧血みたいにクラクラして、みぞおちが重くなり、足に力が入らない。 あれ? これと同じような感覚、味わったことあるよね。そして、思い出す。10歳の私の体験を。場面がフラッシュバックする。当時の感情が、潜在意識奥深く、固く閉じられた蓋の隙間から、微かに気配を漂わせる。 Shayleeさんの美しい歌声のCDをかける。大丈夫。蓋して鍵かけて。箱の中身は忘れてしまえ。感じなければ私は生きていける。 そこで、ふと思い付く。 自分で、浄化できるかな?あれから40

感情に振り回された時に

 現実で何か心配な事 何か、嫌な事が起きている時 心が重くて、怒りや悲しみや、いろんな感情が湧いてきて、 どっぷり、その渦に巻き込まれているなあと感じたら ちょっとだけ、立ち止まってみよう。少しでいいので、自分に時間を与えてあげてほしい。5分でもよいの。 ☆リラックスできる体勢になる(座っても、横になっても) ☆深呼吸 ☆呼吸に集中(空気が鼻の中を通る感覚や肺の中がひんやりする感覚などに意識を向ける) ☆途中、感情や思考していることに気づいたら、否定せず受け入れる →受け入れ方 「私は○○と感じているんだね。」 「私は○○と思ったんだね。」 と、頭の中で言葉にする。 ☆思考は次々流れていくので、抵抗せず、受け入れながら、流れていくのを観察する。 ☆また、呼吸に集中する 静かな部屋で好きな音楽をかけながらリラックスして行ってみるのもおすすめ。 私たちは、外側から植え付けられた常識で、がんじがらめにされている。「怒っちゃダメ。落ち込んじゃダメ。いつもポジティブで明るくいなきゃ。」など。 私は、過去、ネガティブな感情に抵抗してきた。特に、根に持ちやすい性格ので、「相手に感謝しよう。いつも穏やかで優しくあろう。」と頑張ってきた。だから、怒りや苦しい感情が出てきたら、即座にそこから逃れようとした。避けられた感情は、潜在意識の中に滞り封印される。避けられた感情は、消えない。しっかり残されて、積み上げられていく。 毎回、現実に対し、自動操縦のようにパターン化した感情で反応している場合、潜在意識の中には、過去のたくさんの感情が浄化されずに渦巻いていることだろう。 感情は、本質の自分が納得するまで味わえば、浄化される! 目の前の出来事に、ネガティブな感情が沸き上がってくる場合。大抵は、「今」ではなく「過去」の似たような出来事の感情を想起し増幅させたものを感じている。 (あるいは、まだ起きていない「未来」を想像し、悲観している。人間は、なぜ先を悲観しがちなのか。DNAに刻まれているのか。生存戦略として、先を予測し事前に対策練っておくために、命を守るために、私たち祖先が、未来を悲観することを多く選択した結果かもしれない。) つまり、「今」は、9割以上は、心配も不安も怒りさえも、存在していないと言える。「今」を意図的に意識し続けることで、そこに気づくことが第一歩。今は、呼吸と共にある。呼吸

夢実現への一歩ニ歩三歩

 将来に実現したい夢はありますか? もし、その夢が、魂の求めであるなら、きっと今世で実現するだろう。 私たちは、そのために生まれてきたのかもしれない。夢実現の結果というよりは、過程を体験することに重きを置いているのだが。 魂がやりたいことを、この世界に形として表現する。元々、肉体を持たないエネルギー体である魂は、肉体にわざわざ宿ることで、成長や学びを可能とした。 エネルギー体である高次の世界では、願えばすべて叶ってしまうそう。一見、その方が幸せそうだが、何と!飽きてきちゃうらしい。成長もほとんど出来ない。 肉体を持ち、様々な能力の制限下で、夢を形にしていく過程は、ハラハラドキドキ。失敗、絶望、焦燥などのスパイスにより、さらに美味しく味わえる。そして、苦労の末、夢を実現した暁には、至福の心持ちとなり達成感を味わうことだろう。 例えば、「水を得る」ということに関して、私たちは、感動しているだろうか?喉が渇けば、コンビニや自動販売機でペットボトルを購入するし、生活に必要な水は、蛇口を捻れば好きなだけ使える。当たり前のことなので、「ああ、水が飲めた!」と感激する人は、この日本では少ない。 しかし、雨の降らない砂漠地帯で暮らす外国の人々にとっては、「水を得る」ことは死活問題だ。水が出るのは当たり前ではない。遠くの水場へ何キロも重い甕を抱えて水汲みに行く女性や子どもの姿を見たことがある。 そんな地域で、日本の井戸掘りの技術が役に立っているという記事を最近読んだ。アフガニスタンで水路を掘っていた中村哲さんのエピソードも心打たれる。 苦労して、現地の方々と力を合わせ、井戸や水路を掘り、貴重な水が、喉と大地を潤した時。どれだけの感動がわき起こるだろう。そしてその過程で味わう感情や身につけた知見は、人々の財産となり、魂はグンッと成長するだろう。「水を得る」という夢を困難を伴いつつ実現すると、そこに関わった人々は、魂が磨かれる。 つまり、夢を実現するために、この地球上では、わざわざ過程が困難になるよう制限をかけている。なぜなら、その方がたくさん感動できて、成長できるから。その方が、楽しいから。 さて、私事になるが、今年に入ってから友人3人と夢を語り合ったことがある。もう半世紀以上生きた私にとって、夢を語ることが久しぶりすぎて、とても新鮮だった。いつから、私は夢を描かなくなったのだろう。目

贈り物で満ちた世界に

 この9月を振り返ると 新しい出会い 再会 気付き 学び 手放し(解放、浄化) が一気に起きていた。 あまりにも、得た情報や感情が多すぎて、深すぎて、こちらのblogにも表現し切れていない。 先ほど、素敵な歌を耳にし、まさに今の感覚にピッタリだなあと心に染み渡ったので、紹介したい。 同じような課題を抱え、同じようなペースで学びを深めてきた友人たちと魂の思いを共感できたらと思う。 『Light and Shadow』CDアルバムより 作詞作曲 Shaylee https://youtu.be/NCKfcxihV7Y Gift それぞれに色や形は違う でもすべては繋がってる 自然も空も海も あなたと私も 生きる喜びも悲しみさえも いつだって与えられてる たくさんの贈り物がある どれだけの愛に気づくことができるだろう この世界で 何もかも投げ出してしまいたい時もあるけど 神様は越えられない試練を与えないという いつかこの思いが届くまで いつだって与えられてる 心に自由な空がある 決して答えは一つじゃない この手の力を信じてみよう 足りないものばかりを見つめていたけど 今を生きてる自分自身を励まして 皆それぞれ人は 抱えているものがあるけど 輝く未来を信じて ずっと降り注いできた光を 今度は受けとるため 心に在る自由な空を思い出してみよう この世界で ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 昨日、夢で受け取ったメッセージ 天 雨  雨 地 の 言霊のエネルギーから感じていたこと この1ヶ月で起きていたこと すべてが凝縮されたようで、美しい詩だなあと思う。 Shayleeさんのこと知ったのも偶然の引き寄せなので、この世界は、みんなみんな、ちゃんと繋がっているんだなあと実感した。 必要な時に、必要な人と出会い、必要なものがもたらされ、必要な出来事が起きる。本当にそうなんだ。 この世界は、贈り物に満ちている。

天雨雨地とは

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 明け方、印象深い夢を見た。 眉間の裏側あたりがスクリーンになり、そこに漢字がはっきり映し出された。 天 雨 雨 地 最後の「地 」は、もしかしたら「土」だったかもしれない。そこがぼんやりしている。はっきりしなかったので、顕在意識が「天雨雨とくれば地でしょう?」と勝手に補正した可能性もある。 何か、意味がありそうだなあと思いながら、うとうとしていた。 「天雨地」だったら、切りがよいが。 水の循環を表しているかもしれない。海の水が水蒸気となり、天に昇り雲となる。やがて、雲から雨となり、地上へ降り注がれる。目に見えないものが、天に昇り浄化され、目に見える姿となり、地上の生きとしい生けるものたちの命を育む。宇宙源の愛の形であろう。 水は、元々地球に存在したわけではなく、宇宙からもたらされたとも言われている。流れてきた星(隕石か彗星か)が地球にぶつかり、その星の欠片が身に纏っていた氷を地球に分け与えたのだとか。 宇宙の源に意識があるのならば、地球を多様な命の楽園にしてみたかったのではないだろうか。宇宙に青く光るアクアリウムの星に。水は、姿形を変え、循環し、命を清浄に保つ。永遠の循環の中で、多種多様な生物が、短い命を謳歌し、命を繋いでいく。愛は、創造と破壊のサイクルだと表現する人もいる。確かに、破壊が無ければ、新たな命は生まれない。火山も山火事も地震も洪水も。長い目で見れば、健全な命の調和を実現する地球の自浄作用だ。 先ほど、カタカムナの本を読んでいて 「雲の「く」は、変化できるから、自由という意味。雲は蒸気ですが、雨は液体で、雪は個体です。元の「も」と組み合わせて、雲「くも」という言葉ができたようです。」 とあった。 カタカムナ文字は小丸の位置で物体や現象を表す。発音は宇宙音とも言われ、日本語の起源にもなっているらしい。私たちは、母音の多い美しい日本語を日常口に出すことで、言霊のエネルギーを交換している。宇宙の理を表す宇宙音を身体や空間に響かせているわけである。日本語は、神秘的だ。 「あ」は、宇宙よりさらに大きいものを表している。「あめ」は、宇宙音では、どんなエネルギーを表出しているのだろうか。 「め」は、恵みのめでもあるので、宇宙源から届けられた恵み。命を育む大きな愛を波動にした音が「あめ」ではないだろうか。 「あめ」という音のエネルギーを身体に響かせて心で味わってみる。

名前が持つ意味

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 昨夜のお月様、きれいでしたね。 この2日間、素敵な方々とご一緒させていただいた。深い話をして、たくさんの気付きをいただいた。先週のセミナーといい、今週の友人訪問といい、人生の転機が連続して起こっている。 こんなに幸せでいいんだろうか? つい、今までの癖で、不安になる。また、すぐ、困難なことが起こるんじゃないか?と、つい未来に起こるかもしれない辛い出来事に備えようと身構えてしまう。 「幸せになっていいんだよ。自分に許可しよう。」友人が言ってくれた。その瞬間、心から自分を許せたような気持ちになった。魂の光を覆い隠していたベールが、また一枚、取り去られたようで、スッキリした。 昔は、自分の天職は何だろう?と、気にしてばかりいたが、今は、あまり気にしなくなった。 本当の自分とつながり、自分が心地よいと感じることを選択していれば、いつかそれが天職になっているんじゃないかな?気がついたら、私、この役割が好き!毎日とても楽しい。とキラキラ輝いて生きているんじゃないかな? だから、やはり大切なのは、今。 今、自分が心から満たされているかどうか。小さな心地よい選択を積み重ね、まず自分が幸せであること。穏やかで平和で、優しい存在であること。そうすれば、自然の流れで導かれていく。必要な出会いが起こり、必要な役割が用意されていく。清らかなせせらぎに身を任せ、流れに乗っていこう。 さて、友人から質問された。 「もしも将来、催眠療法のサロンを開くとしたら、どんな名前にする?」 そうだなあ。私の名前が太陽を表しているから、お日様にちなんだ名前を付けたいかなあ。 と答えて、ふと思い出した。 実の母親の言葉 「太陽のように輝く、あたたかい女性になりますように。と願ってあなたの名前をつけたのよ。ひまわりが、お日様に向かって大きく咲くように。光に向かって生きていきますようにと。」 名前が天職を示すこともあるかもしれない。親は我が子の魂と繋がり、その魂の求めを感じて、名前に表すのではないだろうか。 太陽は、あらゆる生命を生かす光のエネルギー。生命力の源。そして魂も、光のエネルギー。私には、個々の魂が本来の輝きを思い出すためのお役目があるかもしれない。催眠療法に出会えたことと、自分の名前の由来を思い出したことで、なんとなく天職のイメージがつかめたように思う。 素敵な名前と言えば 和を広げる。 という意味の

光の絵

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  銀座で開催されている、Chie artさんの個展に行ってきた。 Chieさんの光の絵は、昔から知ってはいたが、心から好きになったのは数ヶ月前から。誰もが魂の存在であり、美しい光であるとChieさんの作品を通して教えていただいた。 書籍やYouTubeにより、光の作品には触れていたが、やはり、原画のパワーはまったく違う。パステルの色彩は優しく清らかで、ふんわり包み込まれる。懐かしくて、とても安心した気持ちになる。 Chieさんは、お忙しい中、一緒に写真に写ってくださった。女神様のような美しい女性で、慈愛の笑顔に魂が揺さぶられ、涙が出そうになる。 「Chieさん、お会いできて嬉しいです。いつも作品に救われてます。ありがとうございます。」とお礼を述べた。 「その言葉、励みになります。ありがとう。」Chieさんは、答えてくださった。私はガッツポーズで、応援の気持ちを全身でお伝えした。 幸せだなあ。素敵な人に出会い、素敵な刺激をいただき、私の人生が彩られていく。 エネルギーを奪い合い、どんどん元気が失われていく世界は、どこかへ消えてしまった。 今、私が生きている世界は、とても美しく優しい。エネルギーは循環し、調和し、まわりに幸せな笑顔が広がっていく。 私の中には、どんな光が宿っているのだろう。

光·エネルギー気功を受ける

 神原ひでこさんの気功セッションを受けてきた。 気功のテクニックで、宇宙エネルギーを体内に巡らせ、細胞を活性化。エネルギー枯渇気味の魂も、イキイキよみがえる。 施術を受けている間は、おそらく変成意識状態になる。うとうとまどろんで、気持ちがよい。床に横になっているのだが、神原康弥氏も側に寝転んでいる。今回、知ったのだが、ひでこさんがエネルギーを送っているだけでなく、康弥氏も協力して、強力なエネルギーをクライアントに注いでくれているらしい。施術中は、私の肉体から、エネルギーがはみ出して、ふわっと軽い羽毛みたいなあたたかいものが、全身を包んでいるような感覚。細胞一つひとつ、微細に振動している。 一時間ほど経過し、終わりましたよ。と声がかかる。昼寝から目覚めたような気分。なんとなく、夏休みに親戚の家に遊びに行き、遊び疲れて、いとこ達と川の字になって昼寝した子どもみたいな感覚。何の心配も悩みもなく、無心に遊んでいた頃の感覚は、魂の本質なのかもしれない。 夫は、少し眠ったらしく、つるんと、剥き卵みたいなサッパリした顔になっていた。無垢な子どものような表情。魂とつながると、人はこんなに安心するんだなあと思った。 夫は、鎧をガチガチに着込んでいて、以前はエネルギーを入れることが難しかったのだが、三回目にして、鎧が全て外れた。おかげで今回は、エネルギーを存分に吸収できた。また、足の筋肉に染み込んでいた、「報われない、緊張する」という感情も浄化され、きれいになっていた。 ただ、新たな課題も表れた。日常生活を送る上で、どうしても他人のネガティブなエネルギーを足にまとわりつけてしまうらしい。エネルギーが充分であれば、自力ではね除けられるが、今はまだ力不足。他人のネガティブエネルギーが付いていると、身体が重く感じたり、やる気が起きず、一見怠け者みたいになってしまうらしい。朝、目覚めると、仕事行くのが面倒くさい。という悩みを持っていたのだが、原因はこれかもしれない。あと数回、施術に通うことにした。いずれ、私が気功の腕を上げ、夫にエネルギーチャージしてあげられるようになりたい。効果がこんなに早く現れて、とても嬉しい。 「問題は、奥さんの方よ。」と、ひでこさん。 「外見だけ見てると、とても綺麗なエネルギーを出していて、キラキラしてるのに、中はドロドロしてる。あら~。勿体ないわ。と思ったわ。」 「え

運命は変えられないのか

 運命は誰が決めているのか? その問いに、萩原優医師は、次のように答えている。 「源泉、源です。一元であり一体である宇宙の根源です。 そこは時間、空間を超えた世界なので、原因、結果が同時に存在していて、3次元にいる私たちにとっては、到底それは理解の範疇を超えたものです。 表層意識であるエゴは、それを理解しようともがきますが、もがけばもがくほど分離感が増し、源泉とつながっている本当の自分とは離れていきます。 この世も、源によって全体としての秩序を保つようにつくられていることから、特定のエゴの暴走、肥大化がセーブされるような摂理が働いていると考えられます。 これをバランス、調和、中庸の働きともいいますが、要は、個の領域を超えた全体の秩序を保つ調整機能です。3次元的に解釈すると、すべての出来事は何らかの原因があって結果が生じているということになり、それを運命と呼ぶことができるのです。 つまり、現実に起こったこと=運命である と捉えられます。 したがって、運命は受け入れるしか選択肢はないのでしょうか?という問いに対しては、はい、そうです。ただ、受け入れるしかないのです。と私は答えます。 運命とは現実に起こったことであり、その現実は否定しようがないし、それを起こした個を超越したすべての源泉、そこに私たちの故郷があるということです。」 『スピリチュアルDr.に聞く!人生相談の処方箋』イーハトーブクリニック院長 萩原優 67~70頁より 私は、エゴの思考から考えると、「運命は変えられますよ。だから、努力して頑張って生きていれば、必ず幸せになりますよ。」という答えを期待していたと思う。だから、「運命が決まっているなら、努力も無駄じゃないか。」と、拗ねたくなってくる。 例えば、○歳の時に、大災害に巻き込まれ、死ぬ。という運命だったとする。それまでに、考え方や生き方を変え、人のお役に立てるよう行動し、自然と共存しながら謙虚に生きてみたら、大災害を回避でき、もう少し長生きできるとか。何とかならないのかなあと思ってしまう。 そもそも誰にも運命はわからない。次の瞬間に何かが起きて、人生が180度変わることがあるかもしれず、「どうか、無難に生きられますように。家族がいつも無事で生きられますように。」と、日々、祈るしかないわけで。穏やかに、謙虚に、平和に、健やかに生活していれば、人生に悪いことは

ふしぎのメダイとシンクロニシティ

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 先日の土日、たまプラーザにあるイーハトーブヒプノセラピーカレッジへ。 催眠療法基礎コースを受講してきた。まだまだ研鑽は必要だ。 今回は、暗示療法の技法を身につけた。受講生には医療従事者が多く、気持ちが引き締まる思いだ。 今後は、退行催眠や、ソマティックヒーリングの技法も順次学びたい。 潜在意識を使って本来の自分と繋がり、健康で幸せに生きる人々が身近から増えていくように、ほんの少しお手伝いができたら、嬉しい。もちろん、潜在意識を学ぶことで、私自身が一番癒され、魂の喜びを感じながら楽しく生きていくことになるので、一石二鳥である。 セミナーは、素晴らしかった。多くを学び、受講生の方々と深く語らい、人生についての気付きを得た。心から参加して良かったと思う。セミナーについては、後日書こうと思う。今回は、ちょっと不思議なシンクロニシティが起きていたので、先にそれを記録しておきたい。 セミナー当日の朝のこと。 電車で一時間ほどの距離を揺られていたら、携帯電話が何かを受信。何気なく画面を見たところ 友人Yさんの笑顔が画面に映し出されていた。とても驚いた。 どうやら、Googlephotoの機能らしく、たまに、○年前の同じ日の写真を自動送信してくるのだ。 その写真は、四年前の9月11日、日比谷公園のベンチで、彼女と缶ビールを楽しんだ時撮影。彼女は、ビール片手に満面の笑顔だ。私はそこに、目に見えない世界からの働きかけを感じた。これは、意味のある偶然ではないか。と。 Yさんは、昨年、乳ガン再発で、あっという間に衰弱し、天へ旅立った。コロナ禍であり、告別式も行われず、私の中で、なかなか区切りをつけられなかった。思いっきり泣けたのは3ヶ月も後になってからだった。 彼女は、5年ほど前に乳ガンを発症。抗がん剤の影響か、一時期かなり苦しんでいた。元々明るく社交的な愛されキャラの彼女のこと、私を含め、沢山の友人が彼女の回復を祈って伴走していた。 ある日、彼女が自宅で体調不調に苦しんでいた時。ふと、フランスに居る親しい友人の顔が浮かんだ。彼女は、友人に会いたいなあと思った。相手はフランスだから、無理な話だ。その瞬間に、フランスのその友人から連絡が入った。近くを車で通るから渡したいものがある。と。ちょうど帰国していたらしい。そして渡されたのが、聖母マリアのふしぎのメダイだった。現地で手に入れた本物であ

インナーチャイルドの本音

 例えば、小さな頃に、辛い悲しい体験をしたとする。その時の重い感情が解放されずに潜在意識奥深くに刻まれてしまうと、大人になってからも、何らかのブロックとなり、判断や行動に影響を与える。インナーチャイルドと表現される。 数ヶ月前に、インナーチャイルドにアクセスを試みた。催眠状態になり、意識の階段を降り、イメージの中で子どもの自分と対面する。 ブロックを解除するためには、当時の感情を感じきり、小さな自分に寄り添い、受け入れ、その感情を手放すと生きづらさが解決したりする。 しかし、長年、自分の本音を無視してきたため、イメージの中の私は、鬼のように怒っていた。話しかけても答えてくれない。ライオンみたいに泣き叫んでいた。 自分の手には負えないかも。いつか、専門家にサポートしてもらわないと無理かなあと思っていた。 昨日、母親から久々に連絡がきた。 ブログを読まれている方はお馴染みかと思うが、父の再婚相手であり、思春期には、精神的虐待を受けたと自分は感じている。トラウマがあるとすれば、その時代の苦しみだと思う。 今は、スピリチュアルなことを学び、私の魂の成長に必要な試練だったと理解し、母親に感謝できるまでになったが、インナーチャイルドは、納得していない。感情の根が深すぎて、自分でもどう癒していけば良いのか、わからないままだった。 さて、母親からLINEメッセージで、認知症の父のことで、相談がきたのだが、私の精神は、不安定になってきた。父の問題については、一年前も解決を試みた。母親に優しくしよう。寄り添いたいと頑張ったが、母親の我の強さにやられ、スゴスゴ引き下がった。毎回、エネルギーを枯渇し、距離を置かなければ私が持たない。 苦しい。重い気持ちを感じた時、こんなセリフが口をついて出た。 「怖いよ。また、いじめられるよ。嫌だよ。」 そう言葉にして、涙が出てきた。 瞬間に理解。これは、インナーチャイルドの叫びだ。あんなに頑なに言葉を発せず、ただ、怒り、大泣きしていた小さな私が、ちゃんと言葉を発してくれた。 嬉しくて、自分を抱き締めたくなってきた。 インナーチャイルドにアクセスできるようになれたということは、浄化が近い。小さな私と今の私の間に信頼が生まれてきたらしい? 「怖かったね。辛かったね。もう大丈夫だよ。私はあなたの味方だから。いつも守るから。」そう声をかけて、イメージの中の小さな

肉体の思いを浄化する

 先ほど 自宅で寛いでいて、ふと一年半前の出来事を脈絡なく思い出した。 手術前の生体検査の場面で、ぶっとい注射針を患部に刺し、細胞を取られた瞬間が、ありありと脳裏によみがえった。 なぜ、切っ掛けもなく、そんなことを思い出したのかは、よくわからない。 私の体さんは、本当に頑張ってくれたよなあ。しみじみ、感謝する気持ちになった。 次の瞬間に、浄化が起こった。 「痛かった。辛かった······」 そんな体の思いがハートに伝わってきて、涙が滝のようにボロボロこぼれた。 当時、私は全く不安感もなく、検査、入院、手術をこなした。肉体を切り取るわけだから、普通は恐怖心が沸いてくるだろうなと思ったが、不思議と落ち着いていたし、入院にあたっては、ワクワクすらしていて、自分のことながら不思議だった。 おそらく、命がけの体験だから、目に見える存在、見えない存在、総動員で事に当たってくれたのではないかと思う。家族や同僚、友人から沢山の愛情を注がれたのはもちろん、高次元存在たちからもサポートがあったと実感している。だから、私のメイン意識は、ただ安心して、成り行きにまかせていれば良かった。「あなたの役割は、ただ、安静にして安心していればいいからね。後は任せてね。」と沢山の存在が、エネルギーや愛を送ってくれたのだと思っている。 だから、今日の、体からのメッセージは、「え?そう思ってたの?」と、我ながらビックリした。 伝わってきたメッセージは、おそらく、切り取られ、一足先に天国へ帰った私の患部の意識だ。私の肉体の生存を最優先に考え、すべてのマイナスエネルギーを引き受けて、さよならしていった。「辛い」という思いを主張できなかったのは、私を不安から守るためだろう。患部の意識は、ずっとけなげに堪えていたのだ。 そして、今、やっと、その思いを開放し浄化されたのだ。 私のメイン意識は、当時は自我(エゴ)だ。肉体の思いなど、聞く耳持たなかった時代だ。 私は、泣きながら、体に触り、 ありがとう。ごめんなさい。 を繰り返した。 痛かったね。辛かったね。気がつかなくてごめんなさい。私の命を守ってくれてありがとう。沢山我慢させたね。これから大切にするよ。 涙をボロボロ流した後は、さっぱり晴れやかな気持ちになった。これが浄化なんだなと感動した。 しかし、なぜ急に、過去の肉体の思いを浄化したのだろう?何の意図もしていない

本質の自分を思い出す

 「思い出すという言葉を使うのは、これから愛になっていくのではなくて、もともと愛だったことを、思い出すだけだからだよ。こうやって本当の自分を思い出していくプロセスを成長と呼ぶよ。この成長のプロセスは魂に刻まれるんだ。 (中略) 愛するときのポイントは、愛した対象がどうなっていくか、その結果に期待しないこと。囚われないこと。ただ、あなたが愛することで、あなたの中に愛があることを思い出せればいいのだから、結果には執着しないことだよ。あなたの中に愛を思い出せたら、愛した対象への感謝があふれるよ。だって、そのおかげで愛を思い出せたんだから。 それから、愛を無理やりつくり出そうとしないこと。だって、あなたは既に愛の存在なんだからね。義理、人情、恩義、責任、大切な信念······人間は愛に対してたくさんの概念をもっていて、それに囚われてしまっている。でも、そのほとんどが愛という名の「やった分を返してもらう」という計算的、条件付きの取引なんだ。愛そうとすると、その概念に従ってしまって、あふれてくる無条件の愛をかき消してしまう。この人間的な愛しかたに囚われないで、無条件の愛でいる。これは実践しな がらわかってくることだと思うよ。 キライで愛したくないものこそ、あなたの愛を拡大し、思い出すチャンスであることも覚えておこう。許したくないことを許すことほど、大きな愛はないよ。悲しみ、寂しさ、罪悪感、恨み、憎しみなどのネガティブと呼ばれる感情も、もともとは愛だったことがわかってくるから、それがあっても許すことができるようになるよ。 最終的には自分を見ること、見られること自体が愛なんだとわかるよ。そのことに気づくには、日常を無意識に過ごすのではなくて、意識的に自分を見て過ごすんだ。自分が自分を見ることで愛が生み出されて、自分がその愛を受け取ることになって、愛が自分の中で循環することになるよ。これが目醒めて生きるってことだよ。 (中略) 愛には、自然に創造 破壊が伴うよ。 創造は愛が形になること。 破壊は愛によって形が壊されること。 創造によって始まり、破壊によって終わる。 あなた独自の創造 破壊を楽しんで、眺めていればいいんだ。 何かをしなくても、あなたがあなた自身を見ているだけで、愛が満ちて、愛を充分に思い出したとき、あなたという個人の枠を維持することができなくなって、覚醒するんだ。すべて

助けたいという罠

 先ほど、バイト先で書架の整理をしていたら、心の中にメッセージが響いた。 「罠にはまってるよ。」 え?どういうこと? 「そもそも、助けなければならない可哀想な人も、教えなければならない何も知らない人もいないからね。」 あ、そうか! 「ほら、現実という幻想ゲームに入り込みすぎてしまってる。目の前人の問題は、あなたが作ったもの。相手を通して自分が学びたいことをやってもらってる。助けたいと思っている間は、相手の問題は消えないし、助けなければならない可哀想な人が今後も次々現れるよ。」 うわぁ、本当だ。いつの間にか、思い上がってしまった。 「あなたは、現実や人との関わりの中で、出来事を鏡として学んでいる。本当の自分を知ろうとしている。目の前の問題は、気付きのためにあなたが起こしている。相手は、あなたの課題に協力してくれているのだからね。時には、嫌われ役までこなしてくれる、太っ腹な魂なんだよ。今回のことで、何を学ばせてもらった?」 ああ、そうなんだ。私が助けているんじゃないんだ。私が本来の自分に目覚めるために、相手は胸を貸してくれていたんだ。ああ、何て思い上がり。 「人と人は、それぞれの課題をこなすために、協力しあっている。そもそも、人は、宇宙根源からきた完全な存在。足りないものなど無いのだよ。上下もない。すべて、満たされていたことを、一旦忘れ、だんだん思い出していく。その過程で気付きを得て魂を磨いている。」 はい。なんか、殴られたくらいショックですが、目が覚めました。 「気づいたら、軽やかに解放していきなさい。胸を貸してくれた相手に感謝して、次に進みなさい。エゴの罠にはまってる場合ではないよ。」 本当だ。助けてもらったのも、教えられていたのも、実は自分の方なんだ。こんなに深い学びを与えてくれた、相手に心から感謝だ。人と人の関わりって、なんて奥深くて愛にあふれているんだろう。 ありがとうございます。気付きをいただきました。 ちなみに、メッセージをくれたのは、ちょっと賢い自分(ハイアーセルフ?)ではないかと思う。だんだん、偽りの自分である着ぐるみが脱げてきたかな? 来週、とあるクリニックに、催眠療法を学びに行くので、施術者側が陥りやすいエゴの罠について、急遽学んでおく必要があったのだろう。「困難を抱えた人を救いたい。役に立ちたい。」という思いの背後に潜むエゴは、とても重いエネルギ

自分の力で気付く意味

 先ほど、湯船に浸かってぼんやりしていたら、気付きが起こった。 人は、自力で気付くことに意味がある。 ということ。 例えば 何かに悩んでいる人がいるとする。大層な苦しみだ。 見ているのは辛いし、早く解決してあげたいのが人情だろう。少しでも早く、楽にしてあげたいと思う。 そこで、つい、いろいろアドバイスしたり、手を出してしまう。 しかし、もしも、その苦しみが相手の魂の学びにとって必要なイベントだったとしたら。いろんなアドバイスは、全く意味を成さない。なぜなら、自分で問題点に気づかないと、自分を変えることは無いからだ。 Aという考え方がBという問題を起こしている。だから、Aを手放しなさい。と誰かがアドバイスしたとしても、当人はAを手放すことはない。自力で到達した気付きではないので、学びになっていないからだ。 当人は、Bにより、大いに苦しむ。解決策を求めて迷走する。いろんな人に頼りアドバイスを求めてもみる。しかし、自力で問題の本質に向き合うまでは、Bは解決することはない。魂の学びが目的なので、目的を達成するまで辛い時期は続いていく。 大抵は、苦しみのどん底まで落ち、すべてを手放し諦めた時に、気付きはやってくる。その気付きは自ら苦労して手に入れた宝だ。魂に学びとしてしっかり刻まれる。 辛い思いをされている方を見守る立場の方は、何とかしたいと動き周り、助言をし、手を差し出し、気を揉むかと思う。それは人情というもの。 しかし、相手の学びのタイミングが来なければ、問題は去ることはない。一時的に去ったように見えても、似たような問題はまた起こる。本人が、本質に向き合うまで。繰り返される。 助言しても、全く聞いてくれない。どんどん問題が悪化していく。と悩むかもしれないが、相手は、苦しむ体験を通し、何かを学んでいるのだと、理解してほしい。見守るのは辛いが、相手の人生を尊重し、ただ、愛を送る。人を変えることは出来ない。変えられるのは、本人のみなのだから。 誰かの助言で問題が解決したように見えても、それは、たまたま学びのタイミングに合っていたからで、切っ掛けにすぎない。助けたいと願っても、本当に助けられるのは本人しかいない。 答えは本人が見つけるしかない。トライアンドエラーを繰り返して、遠回りしてでも。 他人から得た答えは、他人の人生観からくる価値観だから、近道に見えるけど、真実の答えにはな

孤独を体験する人々

 ある日の出来事 バス停で待っていたら、背後の交番から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。酔っ払った高齢者だろうか。言ってることが支離滅裂。ただ、文句を誰かにぶつけたくて、お巡りさんに相手をしてもらっているのだろう。 いつもの私なら、怖い人だ。嫌だなあ。早くバス来ないかな。ここから去りたい。と、恐怖で縮みあがってしまうところだ。しかし、その時の私は、怖さはなく、彼の魂を感じてみることにした。 お巡りさんは、静かに落ち着き、小さな声で相槌を打っている。おそらく罪の無い酔っぱらいに絡まれ、怒鳴られることなど日常茶飯事なのだろう。地域のお巡りさんは、眼差しがとても優しいと思う。彼の気が済むまで、側に立って、柳のように接している。頭が下がる。 彼と私は10メートルくらい離れていたが、イメージを使い、彼の魂に近づく。彼の頭上に光の玉を輝かせる。(こんにちは。私は○○という魂です。よろしくね。という、リーディング前の挨拶) 彼のハートあたりに意識を向ける。力強い美しい光が見える。 人間は、見かけじゃないなあと、びっくり。酔っ払ってるし、不満だらけだし、生活面も恵まれてなさそうだし。伝わってくる感情は、身を切られるような孤独、気も狂わんばかりの寂しさ、冷たさ、不信感などなど、であるにも関わらず。彼の魂の輝きはとても美しい。 ここからは想像でしかないが 宇宙にもどれは、彼の魂は大先輩かもしれない。地球に来て間もない魂なので、生き方が不器用なのかも。三次元の重い波動に慣れてなくて混乱しながら生きてきたのかも。もしかしたら前世では、裕福で高飛車な生き方をしてしまい、今世は、正反対の人生設定をして、貧しさや、人から見下される体験を望んだ頑張りやさんかもしれない。 そう考えると、世の中の不幸は、実は存在しなくて、皆で配役を交代しながら、いろんな体験を実現し、学んでいるんだなあと思い至った。 この地球での今の配役がどんなに過酷であろうと、宇宙根源から分離し、何万年もさまざまな体験を繰り返してきた魂たちは、百戦錬磨の勇敢な意識体だ。元々は、誰もが力強く光を放つ崇高な存在。 ただ、その時々で、個々に求めている学びは違うから、演じているキャストの違いでしかない。私は演劇部だったから分かるけど、波乱万丈な悲劇のヒロイン役は、憧れだった。しかし、その役は難しいから、ベテラン先輩がこなしていた。私もいつか、あ