曾祖父を想う
父の月命日に、浄土真宗の住職から様々なお話をうかがった。その中で、「亡くなった方は、何も食べません。お供えは人間のエゴですよ。」と、キッパリ言われたことで、母は寂しい思いをした。ハッキリ言って、かなりショックを受けたのだろうと思う。 住職が、人間のエゴについて、特に強調していたところが印象に残った。 母は、結局は、「住職に逆らうつもりは無いが、今まで通りに仏様のことをやっていく」と決意した。 母は、自身の実家の禅宗に多大な影響を受けているので、なかなか違いを受け入れるのには抵抗があるのだろう。 私には熱心な信仰心は無いので、各々が信じたいように家族の死を捉えていけばよいと思う。父の本家がたまたま浄土真宗だっただけであり、私の信心は別である。個人的に、お釈迦様が好きだし、キリストやマリア様も同様に魅力的だと思う。 ただし、祖先の家系図づくりをしていると、明治時代の曾祖父がどのような人物であったか。何を学び、何を拠り所にしたから、厳しい開拓を続けることが出来たのか。それを知りたいと思う。曾祖父の叡智は、きっと祖父や父を経由して、私にも受け継がれているはずだからである。 さて、今日は図書館へ、予約していた本を取りに行ってきた。 『屯田兵村の百年 下巻』伊藤廣著 こちらには、北見市相内村の記述がある。曾祖父の入植時(明治30年)の村の様子などを理解したいと思い、取り寄せた。 印象的な記述は、あとがきにあった。 著者は、幼い頃に入植した母に言及し次のように書いている。 「彼女は明治、大正、昭和の三代にわたり典型的な最下層の農婦として終始した。 しかしこのような彼女にも救いがあった。 彼女は九十六年間つねに、 『農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで耐え忍んで待つ』(聖ヤコブの手紙五の七)という強靭な精神を養い、持続した。 これによって彼女は若いときから親鸞の教えに帰依し、 『煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり』(正信念仏偈)との信仰を育ててきたのである。 私はこの母が元気なときに本書を捧げ、喜んでもらいたいと完成を急いだ。」 この短い文章の中に、農夫として一生を終えた曾祖父の強靭な精神を垣間見る思いとなり、ハッとさせられたのだった。 曾祖父が信仰したであろう親鸞の教えに、答えが見つかるような気がした。