死から学ぶ

最愛の人と死別した際に、残された人はどのようなプロセスを辿るのだろう。そして、そこからどのように「生きる」ことができるだろう。今回は、「魂の学び」の観点から、考えてみようと思う。

まずは、身近な例として、私の母の状態を紹介する。

次に、「悲嘆のプロセス」を学ぶ上で代表的な、エリザベス・キューブラー・ロスを紹介する。

そして、メメント・モリについて触れる。

最後に、アメリカで活躍する若きミディアム(霊媒師)タイラー・ヘンリーの著作から、死者の魂がどのような思いを抱いているのか、紹介してみたい。

☆現在の母の状態

・夫の死から約一か月経過した時期にあたる。

・毎日、骨壺の置かれた祭壇前で泣いている。夫を施設に入れたことを激しく後悔。

・「最期まで面倒を見ると約束したのに、約束を守れなかった。取り返しのつかないことをしてしまった。私は一生、夫に謝り続けることになるだろう。」と罪悪感にがんじがらめになっている。

・時々発作的に無性に寂しくなる。

・まわりの家族の些細な言動に腹を立てたり、傷ついたりする。

・「早く夫のそばに行きたい。その方が楽になる。連れて行ってほしい。」と口走る。日常の些細なトラブル(家族と意見が食い違う場面)が起きるたびに、死を振りかざされると周りの家族も辛い。

・移行後(肉体⇒魂)の父を心配している。特にお腹が空いていないかどうかを心配し、陰膳に日々力を入れている。

・3年経過したら、父の魂と会話をしたいと望んでいる。(移行直後の魂は不安定なので、3年経過してからアクセスした方がいいと、過去に誰かに言われたことがあるらしい。霊媒師に夫からのメッセージを受け取ってもらいたいという意味。)

・感覚的に、魂や、移行後の世界があることを理解している。たまに夫の魂からのメッセージのようなものを受け取っている。(うたた寝していると、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。また、ろうそくの炎が激しく燃えたり、線香の煙が風も無いのに揺らぐと、魂が喜んでいる合図だと思う。)

・日常の些細な選択のことで、夫の魂に話しかけて相談している。

・毎日、やることがたくさんあり、忙しく過ごしている。くたくたに疲れるから眠れると言う。

☆悲嘆のプロセス

「アメリカの精神科医 「エリザベス・キューブラー・ロス」(1926~2004)は、
「究極の喪失」を、人間はどのようなプロセスを通して、
受け入れていくのかを明らかにした。
彼女はそれを、 ”悲嘆のプロセス” (グリーフワーク)と呼んだ。

◆第1段階:否認と隔離
予期しない衝撃的なニュースをきかされた時、現実に起こった時、
そのショックをまともに受けないために、まず否認がおこる。

◆第2段階:怒り
喪失(死)という現実を認めざるえなくなると、
次に怒りや恨みがこれに取って代わるようになる。
「なぜ俺だけこんな目に会わなくてはならないのだ!」
この怒りが八つ当りとなって他者に向けられる。

◆第3段階:取引
次に人は神や仏に対して、失ったものをどうしたら取り戻せるか、
又は、延命できるか取引し始める。

例: 「もう何もいりませんから家族を還してください」
例: 「この出来事が夢でありますように(夢であって下さい)」云々。

◆第4段階:抑うつ
以上の段階を経て、それらが無駄であることを知り当事者はうつ状態に陥る。
現実を直視し、無力感が深刻となる。
それとともに「かけがえのないもの」との永遠の別れを覚悟するために、
他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験しなければならない。

◆第5段階:受容
自分自身の現実、現状を、静かに見つめることのできる受容の段階に入る。
最終的に「喪失」を静かに、そして穏やかに受け入れる段階。

【受容】

・受容は格別に快適というわけではない。実際は苦痛を伴う。動揺を禁じ得ない時もある。
・受容へのプロセスが始まる時、私たちはショックを受け、パニック状態に陥ることが多い。
・段階をすすむにつれて、混乱したり、傷つきやすくなったりする。
・さびしく、孤立感をつのらせる場合もある。

まだ受け入れていない事実について、
私たちは、このようなプロセスを通過して受容して行くのだが、
「悲嘆のプロセス」の複数の段階が同時にやってくることもありうる。

否認、抑うつ、取引、怒りが一度に殺到してくることも考えられる。
自分がある状況を受け入れようと苦闘しているという事実すら、
実感できない時があるかもしれない。

小さな喪失なら、この5段階のプロセスを通過し終えるのに
30秒ほどで済むかもしれない。
重大な喪失の場合は、数年間かかるかもしれない。個人差は大きい。

しかも、この5段階はあくまでも図式モデルであって、
誰でもこのプロセスを正確にたどるわけではない。

時には、途中で一つ前の段階へ戻ったり、
二つ先の段階へ飛んだりと行ったり来たりすることもあるだろう。

怒りから否認へ、否認から取引へ、さらに取引から否認へ戻るといった具合に。
いずれにしても、私たちは速度や道程には関係なく、
この段階を進んでいかなければならない。

エリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross)は、
それが正常なプロセス(過程)であるばかりでなく、
必要不可欠な過程であり、全段階が必要だと述べている。

【効果的受容ステップ】

1,表現する
2,感情日記を書く
3,改善した後をイメージする
4,症状や感情を数値化する
(点数やパーセンテージでみえる化)
5,笑う
6,コミュニケーション」

*以上は、仙台心理カウンセリングHPより、喪失と受容に関する記述を抜粋し紹介させていただきました。


☆私の経験

私自身は、催眠療法「悲嘆療法(グリーフセラピー)」授業で、もっと細分化されたプロセスを学ばせてもらうことが叶った。

この学びへと進んだ理由は、自死遺族としての悲しみから四十年近く回復できていなかったこと。また四年前からの癌発病により、死を身近に感じたこと。「人はなぜ生かされているのだろう?魂とは何だろう?」という問いに、答えを見出したかったからである。

わが身に降りかからないと、なかなか学ぼうという意欲にはつながらない。答えを知りたかったのと同時に、自分の苦しい体験が誰かの役に立つのではないか?と、荒んだ心の領域に明るい陽射しが差し込んでくるようなアイディアがひらめいた。人は本能的に誰かの役に立つことの喜びを感じるものだ。心の痛みが原動力になり進路を選択したことは確かである。

ただし、セラピストとしてのエゴと向き合う問題は別に残されるのだが、長くなるため、ここでは省略する。現実は学びの連続であるということだ。

死については、日常ではタブー視され、職場や友達との会話に上ることは無い。魂の存在について、そんな話題に触れようものなら、「それ、何の宗教?」と煙たがられる可能性大である。話したくても怖くて話せない。

しかし、遺族の現場では、心理学や医療分野で「グリーフケア」という手法は大切にされている。「人間とは何か?」という深淵なる問いに、適切な時期に誘われることは、地球人生の醍醐味でもある。魂の必修科目なのではないかと思う。


☆死を想う

メメント・モリというラテン語の格言がある。「死を想え。死を忘れるな。」という意味だ。人は必ず死ぬ。生物に100%公平に保証されている体験である。

「人生を左右するわかれ道を選ぶ時、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと思います。
ほとんどのことが──周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖など──そういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。」

*スティーブ・ジョブズの言葉より

日常で私たちは、うっかり自分が死ぬ存在であることを忘れたまま過ごしてしまう。看取り士によると、死に逝く多くが「やりたいことをやっておけばよかった。」とおっしゃるそうだ。それは何も我儘に、自分勝手に生きるという願いではない。エゴという仮面を外した末に思い出す本質(魂)の願いである。私たちは、最愛の人の死や自身の深刻な病に際し、ようやく「死に向き合うことで、幸せに生き直すこと。」に目を開かされる。生き直すとは、不要な信念の手放しと自己受容と言うこともできるだろう。「本当に大事なことだけが残る」という結果から、多大な恩恵を受けるのである。

では、痛みを乗り越えた先に待っているのは、どのような世界なのだろうか。

私たちは、まだ見ぬ自身の変容後を、満ち足りて微笑んでいる姿として想像するのだが、やはり悲嘆のプロセスを辿る渦中は地を這うように苦しいものである。自身を翻弄する心の痛みや空虚さと、どのように向き合っていったらよいのだろう。渦中は、先のことまで思い至れないのが正直なところである。

「悲嘆のプロセス」を見るに、どんなに苦しくとも、プロセスを丁寧に辿るしか方法は無さそうである。「そんなものだ。これは自然な流れなのだ。」と自身に起きる変化をありのままに、心静かに受け入れるなら、わりと穏やかに進むのかもしれない。言い替えれば、客観視しながら体験するということだろうか。客観視するための効果的手法が、上述の「1,表現する」等の受容ステップに紹介されている。

私はどうやって40年を過ごしてきただろう?ずいぶん長期に渡るプロセスだった。私の魂がその分野を熟成させたかったのかもしれず、答えは死後、自ら覚るのだろうが、私の時代(昭和~平成)は、専門家の情報は簡単に手に入らなかった。心の痛みから逃げたり、向き合ったり、時におバカな行動にかられたり(一冊本が書けそう!)、自力で試行錯誤しつつ進んできた。

しかし、どんなおバカな体験も後悔はしていない。今振り返れば、心の痛みがあったからこそ現実から学べたことの多くに、魂はたいそう満足している。私にはこの40年が適切な学びの長さだったということだ。これは人によって違うだろうから比較することでもない。

結局は、最適、最高、最善のことが我が人生に起きているのである。真ん中にいる本質が一番理解している真理がこれである。魂の観点では、失敗という体験は一切無い。どの体験も至高の喜びとなる。おそらく「死」から学ぶことのひとつが、この気づきではないかと思う。

☆死者からのメッセージの理由

いよいよ、あの世の魂が、この世の人々に送ってくるメッセージについて、どのような理由があるのかを紹介したい。これは、ミディアムとして活躍するタイラーのガイド(ハイヤーセルフ?守護霊?指導霊?)からの説明だ。飯田史彦氏『生きがいの創造』シリーズの内容にも通じることから、国や宗教を超えた普遍的内容のように私は感じた。興味本位のオカルトとしてではなく、「生と死の循環を体験する魂」の存在理由を宇宙の真意として捉えるために、以下に紹介したい。

『ふたつの世界の間で~あの世からのレッスン』タイラー・ヘンリー著 ナチュラルスピリット発行 206頁~230頁 一部抜粋

1,死者は、あの世でも生命が続いていくことを知らせることによって、この世の人たちがもっと自由に、もっと恐れずに生きられるようになることを願っている。

2,死者には悟りの見地があり、彼らはそれを分かち合うことで、残された人たちの人生の質を向上させたいと願っている。

3,死者は、コミュニケーションを取ること、自分の声を届けること、残された愛する人たちに恩返しをすることによって、自らの魂のレッスンを成就させようとする。

4,死者は、孤独ではないことをわれわれに知ってほしいと願っている。

5,死者は自分の死や一般的な死について、われわれに安心感を与えたいと思っている。

・・・あの世から交信しようとするスピリットの意図と能力は、彼らが死をも超越してわれわれ生者と繋がっていることを示しています。たとえこちら側がその繋がりに気づかなくても、然るべき時にそれを感じられなくても、繋がっているのです。死後の世界からスピリットがわれわれに手を差し伸べ、メッセージを伝えようとしているという事実それ自体が、彼らの生者に対する深い愛を表現しています。これこそが、死者が生について教えることのできるダイナミクスです。愛する誰かに手を差し伸べて感謝を示すなら、そのこと自体が双方の魂の成長と進化、そして癒しを促す助けになるのです。相手に肉体があろうとなかろうと。


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