孤独を体験する人々
ある日の出来事
バス停で待っていたら、背後の交番から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。酔っ払った高齢者だろうか。言ってることが支離滅裂。ただ、文句を誰かにぶつけたくて、お巡りさんに相手をしてもらっているのだろう。
いつもの私なら、怖い人だ。嫌だなあ。早くバス来ないかな。ここから去りたい。と、恐怖で縮みあがってしまうところだ。しかし、その時の私は、怖さはなく、彼の魂を感じてみることにした。
お巡りさんは、静かに落ち着き、小さな声で相槌を打っている。おそらく罪の無い酔っぱらいに絡まれ、怒鳴られることなど日常茶飯事なのだろう。地域のお巡りさんは、眼差しがとても優しいと思う。彼の気が済むまで、側に立って、柳のように接している。頭が下がる。
彼と私は10メートルくらい離れていたが、イメージを使い、彼の魂に近づく。彼の頭上に光の玉を輝かせる。(こんにちは。私は○○という魂です。よろしくね。という、リーディング前の挨拶)
彼のハートあたりに意識を向ける。力強い美しい光が見える。
人間は、見かけじゃないなあと、びっくり。酔っ払ってるし、不満だらけだし、生活面も恵まれてなさそうだし。伝わってくる感情は、身を切られるような孤独、気も狂わんばかりの寂しさ、冷たさ、不信感などなど、であるにも関わらず。彼の魂の輝きはとても美しい。
ここからは想像でしかないが
宇宙にもどれは、彼の魂は大先輩かもしれない。地球に来て間もない魂なので、生き方が不器用なのかも。三次元の重い波動に慣れてなくて混乱しながら生きてきたのかも。もしかしたら前世では、裕福で高飛車な生き方をしてしまい、今世は、正反対の人生設定をして、貧しさや、人から見下される体験を望んだ頑張りやさんかもしれない。
そう考えると、世の中の不幸は、実は存在しなくて、皆で配役を交代しながら、いろんな体験を実現し、学んでいるんだなあと思い至った。
この地球での今の配役がどんなに過酷であろうと、宇宙根源から分離し、何万年もさまざまな体験を繰り返してきた魂たちは、百戦錬磨の勇敢な意識体だ。元々は、誰もが力強く光を放つ崇高な存在。
ただ、その時々で、個々に求めている学びは違うから、演じているキャストの違いでしかない。私は演劇部だったから分かるけど、波乱万丈な悲劇のヒロイン役は、憧れだった。しかし、その役は難しいから、ベテラン先輩がこなしていた。私もいつか、あの役をやれるようになりたいなあ。そう思いながら端役をこなしていたっけ。
交番で怒鳴り散らす彼は、今、究極の孤独を実感している。体験を通し学んでいる。これが孤独というものか。と、魂は感動しているにちがいない。彼の中に宿る光は、美しくキラキラ輝いていて、私はイメージのなかで頭を下げる。「よい学びをされていますね。」と。
一つ思い出したことがある。
ずっと前のことだが、二人で出掛けた時、夫が電車のなかで絡まれたことがあった。酔っ払った青年だった。なんとなく精神を病んでいる感じがした。彼は、夫に睨まれたと主張。許せなかったらしい。夫はすぐに彼に謝ったが(睨んだわけではなく、嫌だなあくらいの気持ちで一瞥くらいはしたのかも?)彼は執拗に絡んできた。怖いので、次の駅で降りたら、彼も降りてきて私たちから離れない。仕方なく、ホームのベンチに腰かけた。彼も隣に座った。もう絡んではこないが、構って欲しいオーラを出していた。
「今日は、いい天気ですね。」と、私から声をかけてみた。
彼は、あはは。と笑った。
「風が気持ちよいですね。」とさらに声をかけた。
彼は、あははは。と笑った。
「うふふふ。」私も笑う。「あははは。」彼も笑う。別に何が可笑しいわけでもないのに、なんだかフンワリした愉快な気持ちになり、三人で笑った。
次の電車がきた。「じゃあ。行きますね。」私たちは、電車に乗った。彼は椅子に座ったままだった。扉が閉まり、電車はホームを離れていく。取り残された彼が、笑顔なのに、寂しそうだった。彼のその瞬間の表情は、今もありありと思い出せる。胸がキュンとなる。
彼は、今頃どうしているのだろう。あの頃、しばらくは人身事故がある度に、彼が元気でいますようにと祈った。
ここからは想像
互いに笑い合っていた時の魂の会話
「なかなか難しい体験に挑戦されてますね、いかがですか?」
「いやあ。慣れないもんで、苦労してます。まあ、ぼちぼちやってますわ。」
「上級者コースの人生体験ですものね。学びが多いから、羨ましいなあ。楽しんでください。」
「君たちも!楽しんで!」
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