感情に振り回された時に

 現実で何か心配な事

何か、嫌な事が起きている時

心が重くて、怒りや悲しみや、いろんな感情が湧いてきて、

どっぷり、その渦に巻き込まれているなあと感じたら

ちょっとだけ、立ち止まってみよう。少しでいいので、自分に時間を与えてあげてほしい。5分でもよいの。

☆リラックスできる体勢になる(座っても、横になっても)

☆深呼吸

☆呼吸に集中(空気が鼻の中を通る感覚や肺の中がひんやりする感覚などに意識を向ける)

☆途中、感情や思考していることに気づいたら、否定せず受け入れる

→受け入れ方

「私は○○と感じているんだね。」

「私は○○と思ったんだね。」

と、頭の中で言葉にする。

☆思考は次々流れていくので、抵抗せず、受け入れながら、流れていくのを観察する。

☆また、呼吸に集中する


静かな部屋で好きな音楽をかけながらリラックスして行ってみるのもおすすめ。

私たちは、外側から植え付けられた常識で、がんじがらめにされている。「怒っちゃダメ。落ち込んじゃダメ。いつもポジティブで明るくいなきゃ。」など。

私は、過去、ネガティブな感情に抵抗してきた。特に、根に持ちやすい性格ので、「相手に感謝しよう。いつも穏やかで優しくあろう。」と頑張ってきた。だから、怒りや苦しい感情が出てきたら、即座にそこから逃れようとした。避けられた感情は、潜在意識の中に滞り封印される。避けられた感情は、消えない。しっかり残されて、積み上げられていく。

毎回、現実に対し、自動操縦のようにパターン化した感情で反応している場合、潜在意識の中には、過去のたくさんの感情が浄化されずに渦巻いていることだろう。

感情は、本質の自分が納得するまで味わえば、浄化される!

目の前の出来事に、ネガティブな感情が沸き上がってくる場合。大抵は、「今」ではなく「過去」の似たような出来事の感情を想起し増幅させたものを感じている。

(あるいは、まだ起きていない「未来」を想像し、悲観している。人間は、なぜ先を悲観しがちなのか。DNAに刻まれているのか。生存戦略として、先を予測し事前に対策練っておくために、命を守るために、私たち祖先が、未来を悲観することを多く選択した結果かもしれない。)

つまり、「今」は、9割以上は、心配も不安も怒りさえも、存在していないと言える。「今」を意図的に意識し続けることで、そこに気づくことが第一歩。今は、呼吸と共にある。呼吸を意識すれば、今に居る。

「あら、私ったら。また、過去(未来)のことで、心配しちゃってる。私ってお茶目♫」

と、そんな自分をも、受け入れていく。

過去の自分に戻り、その感情を味わうことを許してあげる。

そして「今」まさに、目の前のことで、心乱されているんだよ~!

という場合

次の一歩へ

その感情をしっかり受け入れて味わう。怒っても泣いてもわめいても大丈夫。

その瞬間瞬間、丁寧に自分に向き合い、「悲しいんだね。」「辛いんだよね。」「それは苦しいよね。」「気持ちが重くなるよね。わかるよ。」と自身に声をかけてあげてほしい。ネガティブを味わうことを許可してほしい。ネガティブも、人間にとっては大切な感情だ。とても素晴らしい体験なのだ。

「セラピーと瞑想が共通するのは表面に浮上したエネルギーを自覚してそれを見ることができれば、見るものと見られるものとの混同が起きなくなることです。影のレベルでは自我の統合がおこり、身体のレベルでは心と体が統一体となり、心のレベルでは思考と感情が一つになり、リアリティーを分離して見ることをやめるのです。それを気づきといっています。気づきがある程度、定着した状態を覚醒、悟りといってよいでしょう。

四禅では喜びがおさまり、深いリラックスに入ります。目撃者、観照者が目覚めてきます。様々な思考や不快な感情や重たい気分が起こっては消えていくのを観照しています。」

『覚醒の真実』清水友邦 著 ナチュラルスピリット発行

165~166頁抜粋


つまり、思考の働きを弱め、潜在意識優位にした時に、人間は自然の流れで、1本の軸に統合され浄化されていく。

自動操縦人間や感情の奴隷からの解放が起きる。

自動操縦人間、感情の奴隷とは、私の例で説明すると

母からLINEなどの連絡が来るだけで、嫌な気持ちになり、心身が緊張し、身構える。という自動的な反応がある。特に、私を傷つけるような内容ではないのに、なぜか傷がえぐられるような感覚になる。心が痛いので、母を避けたくなる。現実は何も悪いことは起きていないのに、何故かダメージをくらう。無実の母が気の毒である。

過去から、何度も母を許そう、受け入れていこう、優しく接しよう、親孝行したい。とチャレンジしてきた。しかし、数ヶ月努力するが、力尽きて、感情は混乱し、ネガティブで重い波動に陥るので、距離を置く。という延々とした繰り返しを飽きもせず行っている。今は、距離を置き、よく言えば心理的に見守っている状態。(悪く言えば物理的放置?)

この自動操縦は、何故起きるのか。

過去のネガティブな感情をしっかり味わうことをせず、封印しているからである。

子どもの頃、母との間でいろんなことが起きた。思春期の少女と、子育て経験ゼロの若い母である。泥試合は、想像におまかせする。

怒りで自分が焼け焦げて消えてしまうのではないか?くらい私は何度も激怒した。しかし、生きていくために、親の庇護を得るために、私はわたしを偽る必要があった。その手段が、ネガティブな感情の封印だった。感情を圧し殺し、何度も気持ちを切り替えて、理想の娘になろうと頑張った。世間も親も学校もそれを正しいとして求めたから、本当の私は奥深くに閉じ込められた。潜在意識の領域に。

この閉じ込められた感情が、何十年と経過しても、潜在意識を通して、存在をアピールしてくる。

「この怒りの感情を浄化してください。」

私の真の願いが、現実に似たような出来事が勃発する度に、SOSを発してくる。感情の誤作動のように見えるが、実は、健全な精神の働きである。ネガティブな感情を溜め込んでいると、いつか身体に病として現れる。精神疾患も同様であろう。

私は、二回のうつ病と、肺塞栓症や癌を体験。死の直前まで行って帰ってきたから、生かされたという感覚が大きい。目が覚めるほどのインパクトをいただいた。どれだけ自分からのメッセージを無視してきたか、申し訳なく思う。

溜め込んでいた怒りは、なかなか浄化されないため、最終手段として、病を発症し、メッセージを送ってくる。「怒りに気がついて、味わって受け入れて、浄化してほしいのよ。お願い、気がついて!」

病は痛いし苦しいから、本人は逃れようと必死に行動する。病院でも治らない場合は、否応なしに、自己の内面と向き合うことになる。究極の苦しみの先には、内なる世界を探求するしか、道は残されていないから。こうして、右往左往、遠回りし迷子になりながらも、人は導かれていく。この過程が、魂を磨くことに繋がっているのではないか?と今なら思える。導いてくれる存在は潜在意識の中にいる、魂または、高次元の自分=ハイアーセルフであろう。答えは最初から、自身の中に存在するのである。外の世界を探し尽くした後に、ようやく気づくのだ。

そして、現在

私は、浄化されたがっている怒りに気がついた。思春期の多感な少女の、殺意寸前まで拗らせた、泥々の感情。

怒り、憎しみの感情は、裏返せば愛である。

本音は

大切にされたかった。受け入れてほしかった。愛されたかった。

そして、愛したかった。

愛を求めるからこその人間的な感情。すべてはそこから出発している。

誰も、人を恨みたくはない。嫌いたくない。愛したいのだ。

一連の体験を通して、やっと到達したのは、

人は愛の存在であり、誰もが光である。

という真実。

このことを学ぶために、私は、本質とは正反対の現実を創造することで、その体験からくる感情を味わうことになったのだ。

だから、後は、過去の感情を浄化するだけである。私は、退行催眠療法で、解決しようと思っている。

都度、感情を丁寧に味わう必要があるのは、その方が、軽く済むからである。体験が起きる度に浄化していけば、病や不幸な現実をわざわざ創造する必要がない。

深堀すれば、重い現実を味わうことで学びは大きくなるので、(マイナスからプラスへの降り幅が広くなる)各々の魂が設定した課題次第とも言える。

ただ、今、重い感情に苦しんでいて、

そう言えば、過去にもおなじような体験があったなあと思い当たるならば

それは、浄化のgoodタイミング!

もう、手放してよいですよ~。という合図なので、

騙されたと思って、深呼吸から始めてみてほしい。




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