迷走
目に見えない世界を探検していると
時々、道に迷う
今思えば、よい体験だったと思うが、
危なかった かもしれない
誰でも迷走する時期がある
知らない世界で知らない道を
闇雲に駆け抜けていく時
焦っているから、周りが見えていない
でも、躓いて怪我をすれば
その道に危険が転がっていることに
ようやく気付く
痛い経験を糧に
よりよい道を選べるよう
アンテナを張り巡らすようになる
アンテナが正常に作動するようになれば
この未知なる広大な世界を
堪能できるだろう
アンテナを立てていなかった時期の
私の迷走経験をひとつ書いておく
笑ってやってください
半年ほど前の出来事
魂について知識を入れ始めたばかりで
見るもの聞くもの全てが驚きの連続
取捨選択が上手くできていなかった
スピリチュアルの世界で、ひと稼ぎしようと企む輩には、いいカモだ
ちょっと慰めて、ちょっと褒めて、だんだん恐怖を煽って、アドバイスという名のコントロールを仕掛ける。依存させれば、その人は優良納税者だ。安定した収入源になる
この世界は本物が少ない
私が言う資格はないが、気をつけてほしい
数年前に、あるスピリチュアルヒーラーさんとややこしい事態になった苦い経験があり
そのことは今書かないが
ある程度、見る目は養われていると
勘違いしていた
その時期、私は仕事を探していた
社会復帰を焦っていた
どうせなら、大好きな、神様関係がいいな
神社の巫女さんのバイトないかな?
ある、神社のホームページにたどり着いた
巫女さん募集は年齢制限があり駄目だったが、神社の運営をサポートするボランティアを募集していて、これなら出来るかなと心が浮き立った
その神社は、江戸時代創建、長く、ある地域を守ってきた歴史ある神社だったので、堅実だろうと思った
本物の神様のお手伝いがしてみたかった
早速、神社にボランティア問い合わせの電話を入れた
意に反して、あまりいい対応ではなかった
ボランティアの内容を詳しく知った上で応募したかったのだが、きちんと説明してくれない
説明する時間が無いらしく、ただ、履歴書を送れと言う
その神社は、それなりの金額を出せば、ご神託を受けられるようだったので
その古神道秘術とやらで私個人に宛てて降ろされる神様の言葉をいただく予約をした
その訪問の時に、実際に神社の方にボランティア詳細をお聞きしようと思った
神様には、何でも質問できるようだったので、予め、質問を7つくらい神社にメールしておいた
さて、いよいよご神託の降る日
白作務衣姿の熟年女性が、拝殿の神棚に向かい、なにやら拝んでくれる
どうやら、無事、ご神託がきたそうで
私の質問にひとつひとつ答えてくれる
まず、私への神様の言葉は
心を磨いて、清らかにし
神とつながり、信心せよ
とのこと
ん?当たりまえすぎる?ちょっと肩透かし
しかし、高次元の神様は、あまり具体的なことは言わないらしいと聞いたことがあるので、そんなものかと思うことにした
さて、作務衣女性は、私にひとつひとつ、質問に対して教えをくださるのだが
なんだか、教科書に載っていそうな回答ばかり
全てが 信心せよ に落ち着く
疑念が起こり、その女性に質問
神様は、私の7つの質問には直接答えを降ろしていない
神様とつながり信心せよ の神託?だけを拠り所に、おそらく、教科書でもあるのだろう。誰にでも当てはまりそうな、まあ、ありがたそうなアドバイスをしてくれるのだ
そんな、道徳の授業みたいな一般論を聞きたい訳じゃない。私個人に特化して、ひとつひとつの悩みに寄り添ってもらいたかったのに
何を質問しても、答えは
信心するために、ここに拝みに来なさい
心を清らかにするために
新たな古神道秘術を受けなさい
(スピリチュアルヒーリング的なメニューがあるのだ)
何なら、この後、時間があるからやっていきませんか
お金の用意が無いと言ったら
ATMで降ろしてきては?と提案された
その時点で、ようやく私の危険察知アンテナがアラームを鳴らし始めた
出来るだけ丁寧にお断りしてその場を辞した
神様はいると思うし、地域を守ってきたのも確かだろう
問題は、人
神様のお仕事をする器がない
目線がお金にばかり向いている
あの人の言葉は、私の胸に響かなかった
魂が入っていない証拠だ
神社運営は、金策との闘いなのだろう
あの人が気の毒に思えた
もし、百歩譲って
あの神社の神様が私にメッセージをくれたとすれば
起きた現実から読み解くしかない
神社という建物に
神はいない
自力で内なる神(自分の魂)に繋がりなさい
お前のやるべきことは
外の神に仕えることではない
幸いと言うべきか
対応が悪かったから
神社ボランティアをして無為に時間を過ごすことが避けられた
あの人に感謝だ
語るも恥ずかしい迷走はいくつかあるが
全てが学びに満ちている
経験に無駄は無いと思う
正解ばかり選択してきた人がいたら
既に神様クラスだから、地球を卒業すべきだ
地球は学びの場だから
生徒である私たちは、うんと失敗すればよい
逆上がりも自転車漕ぎも
私たちは、落ちたり転んだりしながら
ある日突然出来るようになったではないか
自分を信じて真っ直ぐにチャレンジを続けていた、こども時代を思いだそう
現在、私が通っている連続講座は
もう、1ヶ月で卒業だ
スピリチュアルな内容なのだが
信頼している理由がある
まず、先生から褒められない
毎回、胸に痛いことを指摘される
その場では受け入れられなくても
自宅に帰り、数日反芻していると
必ず気付きが起こり、視野が広がる
依存もさせない
次の段階へ進む講座も
高いから、よく考えなさいと言って
無理に勧めない
先生自身が、壮絶な人生を歩んできたので
生きる苦しみを骨身にしみて味わっている
だからこそ、現実に即した指摘ができる
怒りなどの感情も否定しない
味わい尽くせと言う
この講座に辿り着く人は少ないという
自分の見たくない部分に正面から対面していく厳しい学びになるので、辛いかもしれない
私の好む
天使も龍神もユニコーンも
虹も、ふわふわした愛のメッセージもない
そこが、自分に合っている
今、私に必要なのは、自分に繋がること
自分と良好なコミュニケーションが取れて
初めてスタート地点に辿り着く
そこからが次のステップだ
今の私に一番適した先生に出会えて
良かった
一言ぐらいは褒めてくれてもと、思わなくもないが、
それだけ、正直な先生なのだなと
一言一言の重みを噛み締めている
痛いことをきちんと言ってくれる存在は
本物だと思う
そう考えると
親って、有難い存在なのだな と
今さら気づいた
反抗ばかりして、スミマセン
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