催眠読書会~宮沢賢治を味わう

 催眠と読書会を掛け合わせると何が起こるか?

リラクゼーションと実験を兼ねて、本日開催。

企画者は、魂の兄Yさん。

Yさんは、心理学、催眠療法をきちんと学ばれていて、職業柄、医学的知識も豊富。私はセラピスト修行中の身なので、Yさんからいろいろ学ばせてもらっている。本当にありがたいご縁だ。

催眠療法は、可能性の宝庫だ。実は、以前からアート、歌、ダンス、楽器などと組み合わせも、少しずつ本から情報収集していた。クライアントの状況によっては、学校で習うスクリプトだけでは限界がある。催眠×〇〇は無限大だ。

例えば、催眠×音。かなり上級のセラピストのお話なのだが、どんなに各種催眠療法を駆使しても、左脳優位なクライアントさんがいらっしゃって、効果が出なかった。シンギングリンの音を聴かせてみたところ、その波動で一気に心の縛りが解けたとか。音が解放を促した成功例だ。もちろん、その前に時間をかけて共に催眠に取り組み、セラピストとクライアントの信頼関係が築かれていたことも要因になるだろう。このように、少しずつクライアントの内面の氷に働きかけ、春の日差しのようにゆっくり溶かしていくアプローチもあるので、数回の療法で解決しないからと諦めないことも大切だ。催眠×〇〇が糸口になるかもしれない。

また、催眠×チャネリング。セラピスト側が催眠状態になり、クライアントの内面の光からアドバイスをもらう方法もある。これも、なかなかイメージが湧きにくい顕在意識優位のクライアントには適している。潜在意識では、全ての存在が繋がり合い、すべては光の存在であるということが納得できる事例である。

今回は、催眠×読書会。さて、何が起きるのだろうか。ワクワク楽しみである。

なお、雑談の部分も潜在意識からのメッセージが隠されている可能性もあるため、事前・事後のおしゃべりにも注目しておきたい。以下に流れと所感を紹介する。

☆催眠読書会

①事前のおしゃべり~気の向くままに語り合う

おしゃべりは夢中になると、潜在意識につながって、気付きが起こりやすい。また、潜在意識は時空の制限が無く、課題とリンクしていることが多い。伏線になっていることもあるので、丁寧に時間を取りたい。

◇「神の名をむやみに口にするな?」

ヤハウエは、神の名を口にすることを戒めていた。その意味を考えてみる。神の意味は人の数だけ相違する。目に見えない存在であるため、宗教の力によりかなり歪められ(時の権力者に利用された歴史も)伝えられてきた。「神」というワードに人のエゴをのせたことにより、本質からかなり離れてしまった。昔は、「私は神だ」と表現しただけで、権力者に危険視され、拷問の上殺されてしまった。現代は、YouTubeや書籍などで、スピリチュアル情報を自由に発信できるようになり、殺される事はない。昔は大変だったろう。ただ、現代でも目に見えない世界の伝え方は難しい。私たちのハートの部分に、目に見えない世界とつながる空間がある。一人ひとりが、内面世界の本質とつながる時代がやってきた。私は催眠療法で本質の世界を垣間見てきた。魂は永遠のエネルギーであり、神の至高の愛は私たちの本質であること、私たちは光であり、ひとつであることも徐々に体感してきている。外側からの知識ではなく、自分で実際に体感することが気付きへの近道になる。生と死とその先にある何かについて、(呼吸の間にある静けさのこと。前投稿参照)催眠を通して伝えていけたらと願っている。

◇『賢治の学校』

宮沢賢治の組織した学校「羅須地人協会」の教育を元に、不登校児などいわゆる問題を抱えた児童及びその母親が通う学校を作った方のお話。心理劇で、親子が、肉食動物と草食動物になりきり、演技をするという授業があるそうだ。最初は恥ずかしがっているのだが、だんだん夢中になってくる。肉食動物役が草食動物役の喉元に噛みつく瞬間、草食動物は恍惚とした表情になるのだそう。その時、命を提供する側は、違う世界へ行くのではないか。この心理劇を通し、自然の循環を学び宇宙の心を感じて生きるようになっていく。

Yさんのこの話を受け、私がふと思いついたことをキャッチボールしていく。

草食動物の死の瞬間の話から、連想したこと。ネイティブアメリカンのバッファーロー狩りの話だ。確か北米インディアンの長老の話ではなかったか。彼らは、命の糧を得るためにバッファーロー狩りをする。その際は、狩りの前に祈るのだそうだ。なぜ狩りをしなければならないのか、理由を説明し、バッファローの神にお願いをする。祈りの後で実際に狩りの現場へ行くと、必ず一頭、まるで「どうぞ、私を射てください。私の命を使ってください。」と言うように動かないバッファーローがいるのだそうだ。彼らはそのおかげで、無駄に動物を殺すことが無い。互いに同意の上で命のやり取りをしている。祈りにより、潜在意識でつながり、集合意識の中で調和が保たれるのだろう。食物連鎖・弱肉強食は、目に見える世界の価値観で考えると残酷に感じることもある。しかし、宇宙の循環の法則に照らし合わせると、それは自然なことで、命のエネルギーは次に引き継がれ、目に見えないけれど永遠に生きて生かされていることになる。この食べるという行為には感謝しか無い。「食べさせてくれてありがとう。」「食べてくれてありがとう。」人間以外は、食べる意味を理解しているので、無駄な殺しはしない。人間だけが理解していない。

写真家の星野道夫は、熊に襲われて亡くなった。その意味を考える。星野氏には、大いなる役割があった。彼は野生動物たちの命の輝きをフィルムに焼き付けてきた。熊を愛した星野氏が熊に襲われて亡くなる。あまりに痛ましい事故であり世界中に衝撃が走った。私は、彼の魂が役割を達成するために、熊の集合意識(神)にお願いをしたのではないかと思う。彼の作品や死の経緯から、私たち一人ひとりが何に気づいていくのか。そしてどう生き方を変えていくのか。そこが問われている。

◇回転すし、ペロペロ事件

回転すしで、お皿や醤油さしとか、ペロペロ舐めている学生の動画が拡散。大きな社会問題となっている。確かに、不快な事件だ。ただ、社会の攻撃的な反応はあまりに神経症的に感じられ、私はそちらの方が怖い。

出来事の表だけを見るなら、その学生は非難を受けても仕方ないだろう。やったことの責任は取るべきであり、もしかしたら一生背負っていくのかもしれない。

ただし、外側の出来事は私の内面の鏡である。その学生は、私の姿でもある。その視点から再考してみたい。なぜ、彼はその行為に走らなければならなかったのだろう。鬱屈したエネルギーをため込んでいたのだろうか。マグマが溜まれば噴火する。人間も同様だ。いい子を演じてきた子どもは、大人になってから反社会的行動に出て周りを驚かすこともある。もし私が自分を否定し、ネガティブな感情を奥深くにため込んでいたとするなら、いつか大通りで誰かをナイフで刺したかもしれないし、つい回転ずしで、ペロペロしてしまうこともあったかもしれない。誰かに迷惑をかけてみたくなったかもしれない。社会に復讐することで、一時的にスッキリするために。その短絡的快楽を求めざるを得なかったかもしれない。その要素は確かに私の中にあることは認める。私は、たまたま、人との出会いにより救われた。自分一人だったら、どうなっていたか分からない。私はたまたま運が良かった。

彼には彼の魂の学びがあり、役割がある。その姿を見せることで、誰かの学びにもなる。目に見えない部分にも思いを馳せ、我が身に引き寄せて考えてみる。このニュースを耳にして、感情を荒げるのは自由だ。しかし、その感情の暴走に委ねるのではなく、「いや、まてよ。他の視点から見るとどうなるかな?」と冷静になることも、これからは必要になるだろう。私たちの本質は、静けさの中にある。

光があれば闇もある。この二元の世界で学ぶために、必ずセットになることを知る必要がある。光が強まれば目に見えない領域で闇も濃くなっていく。天使も悪魔も、この地球の学びのためには必要な役割だ。私たちはそろそろ、私たちの中の闇を受け入れ、抱きしめる必要がある。誰かが私の中のルシファーの役割を演じてくれている。私はそこから自分の内面を知っていく。お互いが役割を担って影響し合う。すべては魂の学びのため。光の役割だけでは本当の学びには至れない。私たちはそんな難しい課題に挑戦するために、わざわざ地球にやってきた。外側の出来事を担ってくれる全ての存在には、「その役割をやってくれてありがとう!」と言う感謝しか無い。魂同士は感謝し合っている。顕在意識がそれを感知していないだけだ。

②顕在意識で朗読を聞く

実験的に、まずは普通の状態、顕在意識で短い詩を鑑賞してみる。後で催眠状態で鑑賞することにより、違いがあるかどうか検証するためである。

詩『未来圏からの影』

吹雪、落盤、などのワードから、炭鉱か採石場の事故を賢治の内面の心象風景として描いたのかもしれない。生活のために働くしかなかった当時の庶民に思いを馳せる。落盤などがあれば今日の命の保証はない。それでも人は坑道に入って行く。食べるために。その日を生きるために。何と言う矛盾だろうか。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」すべてが他人事で自分ひとりの利益を求めているだけでは「みんなのほんとうのさいわい」は得られない。そのために、私たちの未来のために、この影(シャドー)から、何を学び、どんな行動を選択していくのか。この詩は、私たちの生き方に問いを投げかけてくる。私たちが自分の幸福だけを求めて生きる限り、未来に横たわる影は増殖していく一方だろう。私たちは全体とつながっているということを見落としてはならない。賢治からそんなメッセージを受け取った。

③催眠状態で朗読を聞く

Yさんに、2分程度の催眠深化誘導をしてもらい、潜在意識優位なリラックスした状態で朗読をしてもらう。より、賢治のエネルギーと交信しやすくなるのではないかと思う。潜在意識の中では、時空の制限は消え、本質は全体に繋がるからである。どんな気付きがあるのか楽しみだ。

なお、朗読する作品は、Yさんの直感で適当に選んでもらった。その方がシンクロが起こりやすいからだ。人の意図が入らない方が、宇宙は働きやすくなる。宇宙の働きとは、人の本質への誘いである。Yさんは、童話1つ。詩を5つ無作為に選んでくださった。これが効果的であったことが後で判明する。催眠下で連続して全ての作品を味わった後に、感想をシェアした。

1,童話『イチョウの実』

イチョウのお母さんのところから、その朝旅立つ前の子どもたち(実)の会話が微笑ましく描写されている。子どもと共に安心して味わえる愛にあふれた作品だ。独り立ちする前の不安や希望、夢などを思い出す。また、当時大変であっただろう母親の気持ちも推し量ることができる。小さい頃の記憶がよみがえり、Yさんと記憶を語り合う。回想法にも通じ、これはかなりの癒し効果があるのではないかと実感。

ちなみに、カラスが登場するシーンで、本当のカラスが鳴いたので、あまりのタイミングの良さに笑ってしまった。Yさんは、S市の野鳥たちもアシスタントとしてお手伝いをお願いしているようだ。

魂の成長段階で表現するなら、この作品は「善人の世界」か。

2、詩『春と修羅』

催眠状態で聴くと、心の柔らかい部分がむき出しになるため、賢治の言葉が胸をえぐってくる。童話まではいいけど、詩は、R18だ(笑)いや~。痛い、痛い。

「おれはひとりの修羅なのだ」が繰り返されるたびに、私の中の修羅が反応する。暗いうずきが湧き上がる。シャドーの部分が揺り動かされていく。

この作品は、賢治が内面の闇と格闘していた頃に書かれたのだろう。自身の善き面だけを受け入れて、闇の部分を見ないようにして生きるのが一般人であるが、賢治は隠さずにそのドロドロを詩として表出させた。マグマが煮えたぎり、ドカンドカンと噴火が起こる。「おれはひとりの修羅なのだ」の繰り返しが、聴く者の感情を高めてくる。

催眠療法で言えば、ゲシュタルト療法に近いかもしれない。クライアントがクッションを叩いたりして、閉じ込めた負の感情を表出させることで癒やしに導いていく手法だ。言えなかったことを言葉にするだけで、凍り付いたエネルギーは溶かされる。

閉じ込めた思いは、浮上させないと浄化できない。なぜだか昔の嫌な記憶がよみがえって来たと言う場合は、実はチャンスである。もうその感情は不要だから手放しなさいという合図だ。感情の断捨離である。

これは、シェアタイムで、内面から浮き上がって来た過去の記憶をそのまま語り合うことで「あの時、辛かったんだよね~。あの時、ただ、大切にされたかったんだよね。あの時、そういえば荒れていたなあ。」など、当時の自分とつながって、言葉にしていくと癒し効果が出るだろう。闇を受け入れて抱きしめて行くファーストステップになる。自分語りは自己対話だ。参加者やセラピストは、静かに耳を傾ければいい。その場に共に居るだけでいい。

魂の成長段階「修羅の世界」

3、詩『岩手山』

岩手山を「汚く淀む」「古ぼけて汚い」と辛らつな表現で描いている。通常、山は神聖化される場合が多いので、違和感を感じた。賢治は岩手山を愛するが故、このような言葉を選んだと言う。岩手山は、表側は美しいのだが、実は裏側は岩だらけで醜く見えるのだそうだ。賢治はそんな裏側にも好んで登山していたそうだ。賢治の愛は、綺麗な表現だけでなく醜さもありのままに、自然な観方をする。それが詩人賢治の愛のカタチだったのだろう。

二元の観方をしてしまうと、光=善 闇=悪と捉えてしまう。それは時代の求める常識でもある。家庭でも学校でも会社でもそう求められる。しかし、目に見える対象物は、物理学の観点から観ると、同じ素粒子であり、源泉は一緒だ。また、そもそも空間に上下はない。上も下も、単なる人間の観念にすぎず、本質ではない。だから、目に見える上下を逆転させることで、実は見えなかった世界が見えてくる。

私たちの中には、光も闇もある。当たり前にある。賢治はこの詩を創作する過程を通じ、自身の中の闇を抱きしめる作業をしていたのではないだろうか。

魂の成長段階「光と闇の統合。二元からの卒業」

4、詩『永訣の朝』

最愛の妹トシの死を描いた、あまりにも有名な詩。トシの台詞のあまりの清らかさに、思わず涙が流れる。私の中の清らかな部分が震わされる。トシの菩薩魂が、賢治の魂の使命へと目覚めさせ、背中を押したのではないだろうか。トシはその死をもって、賢治を導いたのだと感じる。賢治はこの体験をきっかけに、生と死を深く考えるようになる。苦しみもがきながら、課題を一つひとつ乗り越えて、その後、菩薩へ導かれていく。

魂の成長段階「菩薩の世界」

5、詩『早春独白』

賢治の女性関係が垣間見られる詩。人間賢治の心のトキメキ、ほのかな男女の妖しさが伝わってくる。まるで昭和初期のモノクロ映画を観るようなロマンティックな描写だ。ちょっとドキドキしながら聴く。Yさんの蔵書である『図説宮沢賢治』から、女性関係などを拾い読みして、盛り上がる。賢治は、結構もてたようだ。恋愛の修羅場のエピソードは、やっぱり同じ人間だものなあと嬉しくなった。賢治は汽車に乗り、明るい未来を光に例え予感している。人生の目的が定まった頃の作品だろうか。

魂の成長段階「エゴも含め、人間をありのままに楽しむ。魂の青春時代」

6、詩『流れたり』

河は流れる。山はそびえる。自然はあるがままに、ただそこに在る。戦争が起ころうが、災害が起ころうが、河は流れる。そのままに。ただ在る。この詩は屍のワードが繰り返され、不気味である。賢治が病を得て、死への恐怖と闘っていた頃の作品だとするなら、内面世界の描写とも考えられる。河の流れ、自然の在り方から、ただ在ることが難しい人間の性を思い知らされ、苦悩が描かれているのだろうか。ただ在ることができれば、人は本質の静けさに戻ることが出来る。賢治は座禅もしていたようなので、そんな修行を通して、在り方を模索していたのかもしれない。また、深読みすると、世界大戦へ向かっていくあまりに本質と離れすぎた人間の姿を骸になぞらえたのかもしれない。魂が抜けて無表情となり、ただ餓鬼のように貪る地獄絵図を予言してもいるようだ。時代の警告とも捉えられる。流れは狂気と言う名の河の本流とも言える。

魂の成長段階「地獄の世界?」

④感想シェア

感想の内容については③の方にまとめて書いてしまった。順番としては、全ての朗読が終了してから解催眠し、すっかり目覚めてから始める。

互いに好きなように語る。相手の話は判断を挟まず、ただ静かに聴く。無心に話していると、潜在意識から湧き上がる感情や記憶が出てくる。それを素直に語り合う。「そういえば、昔ね、こんなことがあってね。」「今の話を聞いていて、ふと思い出したんだけどね。」など、「そういえば」「ふと」というものが、潜在意識からのメッセージになっていることが多い。おしゃべりは最高のセラピーにもなる。作品の感想をきっかけにして、どんどん自分の内面とつながり、自身の奥深い領域を探っていくことで、新しい発見があることだろう。

ここでは、Yさんや私の昔話など、話題はいくつも出たのだが、個人的なことなので省略する。このようなことを語る機会は少ない。友人との飲み会や、ママ友とのお茶会などがそれに近いかもしれないが、大抵は話の途中で腰を折られたり、遠慮して話を切り上げたりしてしまうだろう。安心安全な場で信頼する人に耳を傾けてもらう機会はめったにない。ぜひ、読書会などの機会を作って楽しい時間を過ごしてもらえたらと思う。潜在意識につながれば、その場全体が癒しの場となり、全員がなぜかスッキリ癒されていく。そんな奇跡が起こりやすい。催眠をその導入に利用されると良いだろう。リラックスして深い呼吸をするだけでいいので。

そして、潜在意識の奇跡はシンクロの形でもたらされる。全ては繋がっていて、宇宙の采配で導かれていると確信する。伏線がどんどん回収されて、ジクソーパズルのピースが次々はまっていく。あれがあったから、これがあったんだ!という気付きが感謝と共に湧き上がる。それが神芝居である。現実と言うドラマの醍醐味である。

「いやぁ~。神芝居って、本当にすごいね!」Yさんも私も、あらためて驚愕したのだった。

催眠読書会。とっても良かった。企画してくださったYさん、ありがとうございました。ぜひ、地元のカフェなどで、開催されてみてくださいね。

☆宮沢賢治の臨終について

賢治が、いよいよ危ないという頃に、父親が紙と筆を用意させ、賢治の遺言を枕元で書き取った。賢治はお経の本を1000部刷ってほしいと遺言した。最期まで菩薩行を貫く息子に、父は「おまえは偉い」と声をかけた。後に賢治は弟に語った。「俺もお父さんに褒めてもらえるようになったもな。」ここに人間賢治の素直な気持ちが現れている。おそらく時代だったのだろう。親は子の成長を願ってはいるのだが、そのやり方は否定的に偏りがちだ。賢治も、父親に褒められたことが無かったのだろう。最期に褒められて嬉しかったのだ。

親に憎しみを抱いている方は、本当は、「褒めてもらいたかった。」「話をただ聴いてもらいたかった。」「大切にされたかった。」「愛してほしかった。」だけかもしれないのだ。そして、そんな親も、同じ思いを抱えて子どもと同じように七転八倒して生きて来た。負の連鎖が原因かもしれない。

時代が変わり、「自分を愛することが大切です。」といきなり言われるようになったが、大抵は自分が大嫌いになるよう矯正されているため、愛し方が分からない。否定されてされて、自分を殺して生きることしか学んでいないからだ。

私の場合は、半世紀過ぎてから、ようやく催眠療法と出会い、時間をかけて自身を癒やしてきた。まだ途上ではあるが、この経験を活かしていく道も見えてきた。どんな経験も無駄ではないということだ。

賢治作品があんなに読む者の胸をえぐり、時代を超えて読み継がれているのも、父親から否定された過去があったからかもしれず、悪役がキーマンになっていることは多い。そういう観点でみると、闇(シャドー・悪)は、魂の成長には欠かせないラッキーアイテムだと捉えることも出来る。ありがとうと抱きしめることも可能になる。

☆黒を抱きしめる誘導瞑想

今回の読書会のテーマが、何となく『未来圏からの影』など、闇(シャドー)であったのではないかと感じたので、黒(闇)を抱きしめる誘導瞑想を提案してみた。後半が宇宙の端に誘うようになっていて、太陽系などを創造し、地球の私のボディに戻ってくるという宇宙観満載の流れだったので、銀河鉄道の夜にも通じる気がした。初めて人に誘導させてもらったので、改善点も見つかり、アドバイスくださったYさんに感謝である。

過去のセミナーで聞いたエピソードだ。催眠状態でまったき黒を体験したクライアントは、そもそも宇宙のはじまりは黒であり光は実は闇から生まれたことを知る。何も感じないし、何も分からないけれど、黒(闇)は恐怖ではなく、安らぎであることも分かる。そして「何も分からないけれど、一つだけ分かっていることがある。それは私が私であること。」と語ったという。それを聞いたセラピストは思わず涙を流してしまったそうだ。

なんとなく、その感覚が分かるような気がするのは、だれもが宇宙源から分かれて来たエネルギーであり、源の記憶が魂に刻まれているからだろう。

この誘導で、クライアントに何かの気付きが起こらなくても、ただ、黒(闇)をありのままに感じてもらえれば、それでいいのだと思っている。そもそも、宇宙源は、黒であるとも言える。そのままその黒を感じることが本質へつながる入り口になると思う。

このように、読書会の感想シェアなどで、一つのテーマが見えてきたら、そのテーマに沿うような誘導瞑想を付け加えてみるのもいいのではないかと思う。もちろん参加者の同意があればであるが。

☆シャンティマントラを共に聴く

これは、私がふと思いついたことなので、その場その場で、やりたい事を直観で行うとよいだろう。

Yさんが催眠状態に入っている時に、私の頭の中でシャンティマントラが鳴りびいていた。シャンティマントラについては前回の投稿を参照してほしい。

実は、今日の読書会の休憩時間も、お手洗いに行きながら、シャンティマントラを口ずさんでいたのだ。後で聞いたら、Yさんも、歌っていたらしい。

そんな不思議なシンクロもあり、この会の最後にYさんと一緒にシャンティマントラを聴きたいと言う気持ちが強くなったので、提案したもの。

スカイプの共有がうまくいかなかったので、それぞれ同じタイミングでYouTubeで視聴した。

ここで、シンクロ発生。

二人で観ていたシャンティマントラの動画の最後のシーンが、大きな夕日の映像だったのだが、その太陽の光が、丸に十字になって輝きを放っていたのだった。

丸に十字は、昨日私が催眠下で受け取ったビジョンであり、気になっていたのだが、ここでもその形を見せられた。

あ~。宇宙の采配だったんだなあ。すべて。

そう思うしかなかった。

黒を抱きしめる誘導瞑想前に、私たちは、無償の愛について語り合っていた。現実ではいろいろ苦しい出来事も起こるけれど、すべては無償の愛を学ぶために魂が仕掛けたカリキュラムかもしれないね。と言う話だ。

私は、昨日の聖なる空間の誘導で、患部(胸腺)から一つの気づきをもらっていた。

前回の投稿に書いたので詳細は省くが、私は胸腺から無償の愛を感じ取ったのだ。細胞ひとつひとつが光であり神の愛で出来ていることが分かったのだ。私は病と言う魂のカリキュラムを通し、無償の愛を学ばせてもらっていた。

そこでYさんが、「なぜ、自分がハートの聖なる空間の誘導瞑想をしようと思ったのか、その理由が分かった!」と声を上げた。ビックリした。

「胸腺は手術で取り除かれてしまうが、そのいなくなった小さな場所は、聖なる空間として残っている。これからはその空間に繋がる。そこは神と出会う場所。本質に出会う場所。小さな空間がマジカルゲートになる。」

Yさんは、このことを、ピノキオ(胸腺の意識のイメージ)から伝えられたとおっしゃった。

すべてが一本線に繋がったような瞬間だった。

私が無償の愛を学ぶために、10月に胸腺腫が判明した。その段階でもう神様の脚本が出来上がっていた。私が手術直前に、Yさんからハートの聖なる空間の催眠誘導を受ける事は必然だった。しかも胸腺はハートの位置にある。胸腺でなければならなかった。

そして、この5か月間の怒涛の学びの日々が走馬灯のようによみがえってきた。私が窮地に陥るようなとき、沢山の魂仲間と奇跡的に出会い、それぞれが手を差し伸べてくれた。私は一人ではなかった。いつもたくさんの愛につつまれていた。絶望する暇がないほど、愛を届けられていた。

これは、神芝居かもしれない。私は指人形かもしれない。動かされているだけかもしれない。でも、私も本質につながるなら、聖なる空間のゲートを通り、いつでも神の側へ行くことが出来るのだ。そして至高の愛とつながり、その愛を現実の肉体を通し、表現することが出来る。私も実は監督であり、脚本家でもある。そして、表現者としての役割もこなすことで、こんなに素晴らし学びと癒しと愛を全身全霊で体感することが出来る。何と素晴らしい達成感だろう。私は無力なのではない。無限の創造性、可能性そのものなんだ。これが、宇宙に委ねるということなんだ。翼を持って、自由に羽ばたくということなんだ。大海へ出て行くということなんだ。

丸に十字のメッセージの意味は正直まだよく分からない。

しかし、宮沢賢治の「みんなのほんとうのさいわい」(銀河鉄道の夜)。シャンティマントラ「世界のすべてが至福になりますように」。カタカムナ「調和と統合」。菩薩の悲願「人々を救おうとし立てた誓い。全ての衆生が仏になること」。現実に菩薩行(利他の行為)を実践する友人達の姿。などから、これからの進む道を示されているように思う。

聖なる空間をハートに開通されてしまったからには、もう進むしかないんだな。

私は、デクノボーになれるだろうか。

これから実践していこうと思う。


いよいよ、明日入院だ。

行って来ます。

魂の兄、Yさんの菩薩愛に深く感謝。たくさんの学びのきっかけを用意してくださりありがとうございました!


☆追記

先ほど、先日ソマティックヒーリング練習会に参加くださったM さんが、わざわざ電話をくださった。

明日が入院ということで、どうしても私に伝えたいメッセージがあると。

Mさんは、クライアントの魂のエネルギーを感じ取り、絵にする能力がある。

Mさんは、私の魂の色を感じ取り、絵を郵送してくださったのだが、明日までに間に合いそうに無い。そこで、どんなメッセージを受け取ったかを直接伝えたいと強く思ったのだそうだ。

「喜び  だけ!」というメッセージだった。

私の魂は、黄色、オレンジ、金色

喜びの色なのだが、しかも

「だけ!」なのだとか。

だから、これからは、喜びだけの人生になるからね。と、電話で伝えてくださった。何だか心が震え涙があふれた。

電話の後、電車に乗った。途中で事故が起こり、車内で数十分閉じ込められた。車内は静かだった。

私は、顕在意識に任せると、不安で暴走しそうだったので、目を閉じ、深い呼吸をし、真ん中に集中。シャンティマントラを唱えた。不安は未来を想像した幻でしかない。今私は困っているのか?自身に問いかけた。今に集中すると、すべて満たされていることに気づいた。

出来事は起こる。地震や災害や、戦争や、もしかしたら、いろんなことが。

それでも河は流れる。山はそびえる。ただ在り続ける。ただ、今に在る。

今に在る。今私は生きている。生かされている。呼吸をしている。それで充分じゃないか。呼吸をする喜び。生きて、死んで、生きて死んで。毎回新しい私がここに在る。これ以上の喜びは在るのだろうか。

喜びだけ。

本当だ。

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