前世療法体験~感情を研究する魂
前世療法セミナー三日目の最終日。私の体験をご紹介したい。
☆テーマ
なぜ、今世、子どもに恵まれなかったのか、その意味を知りたい。
37歳で流産。その経験があまりに辛すぎて、無意識に妊娠から逃げて来た。気付いたら、順調に更年期を過ぎ、今に至っている。子育てがなかったからこそ、自分のやりたい事に挑戦もできたし、仕事にも全力投球できた。自分のことに集中できたので、結果良かったのだと思う。ただ、どこかで、女性としての欠乏感があることは否めない。人生の選択をきちんと腑に落としたい。
☆安全地帯
白と薄紫色の鷺草が咲いている。その花を、下から見上げている視点になっている。ということは寝転がって見ているのだろうか。草地に寝転がった姿勢のまま、空の青さを眺めている。落ち着いて静かな気持ち。
☆前世への階段
丸いマンホールみたいな穴の中に、白いツルツルした石でできた階段がまっすぐ降りている。丸いマンホールみたいな入り口は、昨日も出て来た。私の潜在意識のお気に入りのようだ。
☆前世の世界へ
透明で冷たい水をたたえた湖。まわりは靄に包まれていて足元しか見えない。湖の浅瀬に立っている裸足の足が見えている。西暦千何百年あたりか。ヨーロッパのドイツ近辺。ナターシャ。15~17歳。グレーの修道院付属学校に通うような印象の制服を着ている。短めのクリクリしたショートの髪型。白人。快活な感じの女の子。
☆前世の家
石のブロックが積み上げられた平屋の家で、ブロックの隙間から雑草が生えている。家の中は、出窓と木製の家具が置いてある。
☆食事の場面
義理の父、実母、叔母、ナターシャの四人家族。
義理の父は、ナターシャを可愛がっている。ナターシャは積極的で好奇心旺盛。勉強をしたがっているので、これから修道院の寄宿舎へ入れて、好きな勉強をさせてあげるつもりだと言う。
ナターシャは、家族の中で一番大切にされていた。テーブルも、上座にあたる、お誕生日席に座って食事をしている。甘やかされて育てられている。何でも思う通りになるので、挫折を知らない。大切にされるのが当たり前なので、自分に自信を持っている。誰もが自分を好きになると勝手に思い込んでいる。思い立ったら、パッと行動する決断力がある。自分の魅力を活かして、まわりを動かし、望み通りに事を運んでいくことに長けている。自意識過剰なところもあり、猪突猛進型の性格である。
☆大切な場面
崖から突き出たような、屋根状の岩の下に、無数の十字架が刺さっている。墓地のよう。じめじめしてぬかるんだ地面。20歳くらいになったナターシャは、そこで、地団太踏みたいような気持ちになって立っている。
状況を知るために、場面を早回しして見て行く。
村の教会で、結婚式が行われている。ナターシャは、結婚式に招待されず、門の外から、中の様子をこっそり覗いている。新婦の方は友人で親しかった女性。新郎は、村一番のイケメンだった。
「なぜ、私じゃないの?」とナターシャは嫉妬心を燃やして、二人を眺めている。別に、この男性を愛していたわけではない。ただ、村で一番人気があったため、当然自分の夫になるだろうと、思い込んでいた様子。ところが、実際は、友人に取られてしまった。ナターシャは、人生で初めて、大きな挫折を味わい、この悔しい感情をどうコントロールしたらよいのか分からなくなっている。
自分の魅力だと思っていたところが、結婚に関しては、まったく武器にならなかったことにショックを受け、すっかり自信を喪失してしまう。0か100、白か黒という思考をしてしまう傾向があったようだ。
☆次の大切な場面
あの湖か。夜空に美しい月が出ていて、湖面を照らしている。30歳のナターシャは修道服を着ている。湖の浅瀬で、膝をついて、服を濡らしながら一心に神に祈っているところ。こうすると、少し、心が浄化されるような気がして、時折、一人で夜中に修道院を抜け出して、祈りに来ている。
あの、友人の結婚式の後、ナターシャは自棄になってしまった。村一番のイケメンを友にとられてしまって、プライドがズタズタにされてしまったのだ。「それなら、私は世界一の存在と結婚する!」と対抗意識を燃やし、短絡的に修道院へ入って、神様と結婚したわけだ。
信仰と奉仕に一生を捧げることになるので、家庭を持って子育てをするという女性の幸せを諦めてしまったのだ。
静かな信仰生活を続けていても、嫉妬心は折々再燃し、なかなか消えることはなかった。ナターシャは、嫉妬心と格闘しながら、何とか心を鎮められないか、いろいろ試していた。そのうち、思いついたのが、月に照らされた湖で祈ることによる浄化方法だった。ナターシャは、これが一番気に入っていた。
同時に、そのナターシャの苦しむ自我意識を俯瞰して見ている意識も感じる。俯瞰している意識は、その嫉妬心というものを、あらゆる角度から研究しようとしている。嫉妬心とはいかなるものか、何をすることで、どのように変化するものなのか、しないものなのか、それを冷静に観察し、味わっている。嫉妬心というおもちゃで夢中になって遊んでいると言うのは言い過ぎだろうか・・・。でも、そんな感じ。
☆臨終
修道女仲間に見守られ、静かに祈られながら、やり切ったという表情で亡くなる。キリスト教の祈祷は良く分からないが、仏教で言えば、枕経にあたる場面ではないかと思う。修道女の正式な衣服を着せられ横たえられている。清らかに儀式が執り行われている様子。
☆中間世
どんな人生だったか
「嫉妬心というものを十分に観察し味わった。面白かった!」
次はどのような人生体験をしたいか
「次は別の感情を徹底的に研究したい。」
魂の存在になったナターシャは、まるで羽が生えたかのように軽いエネルギーとなって、躍動し、元気ハツラツとしている。どうやら、嫉妬心をテーマにしっかり学べたことに大満足な様子。表情は見えないが、あるとすれば、満面の笑顔であろう。自分の未知の部分を、感情の研究を通して発見していくことに、最大の喜びを感じている。ここで言う「自分」とは、個我のことではなく、大いなる源につながるひとつの意識のこと。
☆前世魂との対話
私「どうして、私は子どもに恵まれなかったの?子どもを生まない選択をしてきたの?」
前世魂「あなたの人生の感情研究テーマは、喪失感だからよ。しっかり味わえたでしょ?」
私「あ!な~るほど!」
会話からも分かるように、何とも軽いノリ。魂の世界は、メチャクチャノリがいい。そして、波動がやたら軽い。胸の中心にワクワクと楽しんでいる波動を絶えず感じる。そうなんだ。現実世界ではネガティブで重い波動の感情であったとしても、魂はその体験を楽しんでいるんだ。
☆グリーフ
流産してお別れをした赤ちゃんの魂と対面。赤ちゃんの魂を感じて、涙があふれて止まらなくなる。
そういえば、流産の処置以降、心身の不調に鬱々とした日々を送っていたが、赤ちゃんの喪失について、自分の感情に向きあってこなかった。しっかり泣いていないことを思い出した。生きるのに精いっぱいで、余裕が無かったからだろう。普通はこういう時泣くんだろうな~と思ったことはあるが、何故か泣けない自分を不思議に思っていた。意外と私、強いんだなあと勘違いしたまま、年月が過ぎた。本当は、感情の整理が追い付かなかったのだ。この悲しみに向きあえるようになるまで、潜在意識の奥の引き出しに隠してしまったのだ。
ショックな出来事が起きた時、すぐに泣ける人はまだいい。浄化と癒しを済ませ、やがて次のステップへ進んで行ける。泣けない人は、強くて平気だからという訳ではないことを、理解した。心の痛みが大きすぎて、自分の心を守るために潜在意識に隠してしまうのだ。感情体験の観点から観ると、そこで時が止まってしまう。こうやって人間は生きることを優先する。無意識に行うのだから、上手くできているものだ。
あれから十八年経過し、ようやくこの喪失感に向きあうことが出来た。そばにあったクッションを赤ちゃんの代わりにギュッと抱きしめて、撫でながら、オイオイ泣いた。悲鳴のような鳴き声が私の奥深くから浮上してきて、目と口から感情とともに解放されていった。5分くらい、思い切り泣かせてもらった。私はずっと、泣きたかったんだ。ずっと苦しかったんだ。それを認めることが出来て、ようやくほっとした気持ちになれた。
赤ちゃんの魂からメッセージを受け取る。
「わたしは、あらゆるこどもたちの中にも、どうぶつたちの中にも、お花や木々の中にも、いきているよ。わたしだと思って、みんなをかわいがってね。」
☆安全地帯
心の中の空洞に、光が注いで、満たされた気持ちになる。
☆近未来へ
3~5年先の近未来へ。飛行場のようだ。尾翼に、赤いマーク(ドイツ?)のついた大型飛行機の姿が見えている。行きたい外国に自由に行けるようになった様子。ワクワクした気持ちが伝わってくる。
☆解催眠
☆感想
なんと、今世の感情研究テーマが、喪失感!
心から大切な人と死別する体験は、この人生で2回あった。実母と赤ちゃんである。
喪失感からもたらされる苦しみ、悲しみは、心身の病気として現れたり、潜在意識にしまいこまれ、自覚できない生き辛さにつながったり、癒すためには、何十年もの時間を必要とする、奥深い感情だった。また、辛いからこそ、他人の辛さも推し量れるようにもなった。心理や精神世界を学ぶ意欲にもつながった。個我を超えて、あらゆる命を愛おしむ心も育んだ。なんと相乗効果の多いギフトだったろうか。
今世の私が、肉体を脱いで、魂の世界へ戻る日が来たら、きっとこう言って帰るだろう。
「喪失感!最高っ!」
☆セッションについて
今回ペアになった受講生とも、不思議なご縁を感じた。やはり、宇宙の采配で、私にベストな相手が用意されたのだと思う。
先に、私がセラピスト役をやらせていただいたのだが、彼女のテーマが、「なぜ、私は子どもを生まない選択をしたのか?」だった。子どもが大好きで、長年子どもに関わるお仕事をしているのに、過去に胸に痛い出来事があったため生まないことにしたのだそうだ。
彼女に催眠誘導をして、セッションが終了するまでは意識していなかったのだが、役割を交代し次のセッションをする前の休憩時間に、つ~っと涙が流れた。何故泣いているのか?良く分からなくて戸惑った。
さて、私がクライアント役をやらせていただく段になり、事前面談が始まった。散々前世療法をやり尽くしてきているので、正直、何をテーマにしたらよいのか分からず悩んでいたのだが、ふと、直感で、休憩時間に流した涙の原因を探ってみようと思いついたのだ。
そう言えば、私も彼女と同じテーマを人生に抱えて生きてきたじゃないかと、その時点で気が付いたのだった。そして上述のセッションとなったわけだ。
彼女とペアにならなければ、私の潜在意識の引き出しに仕舞いこんだ「喪失感」に気が付くこともなかった。「そろそろ、その喪失感をしっかり味わって、浄化してあげなさい。もうそのタイミングがきていますよ。もう手放しなさい。」と、宇宙が私のために浄化の機会を用意してくれたかのようだった。
セッション相手は、色んなタイプの方がいるので、全員と相性が合うわけではない。今回の三日間、セミナーで組んだ受講生は前日までに2人いるが、彼女たちが相手では、この癒し作業は出来なかった。(彼女たちそれぞれに、別のお役目があり、学びがあった。)
そしてセミナー最終日に組んだ相手が、私の喪失感にピッタリ寄り添ってくれる人物だった。人生課題も似て居るので、面談を始めてすぐに意気投合した。言葉にせずとも、互いの心の痛みが何となく分かる。同じ痛みを共有できるから、声掛けひとつにも、思いやりと愛を込める事が自然に出来る。
私は彼女から伝わってくる宇宙規模の大きな愛のエネルギーに包まれて、すっかり安心して、自分の繊細な部分に向きあうことが出来たのだった。
セッション後は、ただただ、愛と感謝のエネルギーに満たされて、至福に包まれた。このご縁に、そして催眠療法に、私の人生に、心からの感謝の気持ちを伝えたい。
ありがとうございました。
☆落ち込みから浮上
催眠療法の学びは果てしない。ちょっと学べば誰でも催眠誘導は出来る。ある程度まで進む事は可能だ。だが、1年2年学んでいくと、行き詰ってくる。あまりに奥が深い世界だからだ。催眠療法士として一人前になるには、30年かかると言われる。
今回、前世療法セミナーを受講したのは再受講含め3回目だ。だいたい、半年に一回のペースで参加している。それぞれに、私の魂の成長段階に応じて必要な学びがもたらされていた。他の受講生と比較してしまうと、自分のあまりの不甲斐なさに落ち込みそうになるが、私の成長としては史上最高になっている。いよいよここまでこれたのかと感慨深い。
講師は、一つのセッションを最初から最後まで丁寧に見てくれて、講評をしてくださる。たくさんの勘違いがあって、我流で行っていたことを反省することとなる。初心に戻る大切さに気付かされる。
昨日は、痛すぎる失敗の数々に、たいそう凹んだ。先生から多くの指摘をいただき、他の受講生の高レベルに比べて、自分はなんて未熟なんだろうと、泣きたくなった。比較することではないのだが、どうしても自我の癖で、うじうじしてしまう私がいた。
ただ、最終日に、気持ちが切り替わった。生徒が泣いたとしても、本当のことを言ってくれる先生がいるなら、私はそんな先生に習いたい。メチャクチャ泣かされてみたい。誰よりも指摘されるということは、誰よりも伸びしろがあるということだ。また、沢山指摘してあげたいと、先生の教育魂に火をつけたとも言えるではないか。人の何倍も指摘されるということは、とてもありがたいことなのだと思い至った。そして、この三日間で、私は明らかに成長していた。改善点を明確にしてもらえたからだ。定期的に学びの場に戻ることは大切だなあと実感した。
セミナー最後に、一人ひとりの参加者が感想を述べた。私は、様々な反省と、上記のような前向きな発言をして、ご挨拶とした。
萩原先生が、私にこのように声掛けをしてくださった。ちょっと涙が出そうになった。
「〇〇さんはね、催眠の基礎セミナーで、最初から宇宙に行ってしまったんですよね。だから、〇〇さんは次元の違うところから、降りて来ている人なんですよ。」と。
人と違っていて、うまくいかないところばかりで、つい比較してうじうじしてしまう私にとって、先生のこの言葉は、救いになった。私の個性(人と違うところ)を全面的に受け入れてくれているような気がして、とてもありがたかった。
そう言えば、セミナー初日にも、催眠に入りやすい体質の私に「いつも潜在意識につながりやすいから、○○さんは、周りを癒やしてくれている。」と言ってくださった。
こんな私に拒否反応を示す人ももちろん居るし、なかなか、普通の地球人のようにうまくできないけど、宇宙人(?)なりに、私の個性も大事にしながら、学びを続けていきたいと思った。
☆亀とのシンクロ
翌日の朝
我が家の亀が産卵していた。
無精卵なので、成長することはない。
グッタリとして目を瞑っている亀を見て、そう言えば、この亀とも十八年の付き合いだと思い出した。あの妊娠と同じ年に、亀を飼い始めた。
私の中の、止まっていた時計の針が動き出したタイミングで、亀の産卵である。
喪失感を乗り越えるために格闘してきた十八年、共に生きてきた同志に
お疲れ様、大変だったね。
と、声をかけたのであった。
そう言えば、私が第二の喪失体験をしたのが、37歳。実母が亡くなった時も37歳。
年齢の不思議なシンクロにも、神秘的な思いとなった。
魂のブループリントって、わかりやすいように、年齢とか年月日とかに、ヒントを隠してくれているかもしれない。
「この人生体験には、意味がしっかりあるのですよ」と。その奇跡の符合から、私たちが課題を読み解けるように。
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