ネガティブ体験を人生に活かす
この苦しい人生は、どんな意味があるのか?
そう思う人は多いだろう。
苦しさから、自暴自棄になり、世界を敵に回すように生きている人もいるだろうし、
泥の中から、蓮の花を開花させるように、美しく精神性を花開かせ、多くの人を暗闇から救い出している人もいる。
先ほど、ふと、ライフリンクのことを思い出した。
https://www.lifelink.or.jp/
自殺対策支援センターのこと。
2012年以降のことだと記憶している。
当時、私は、地域の図書館に司書として勤務していた。
2011年大震災を経て、魂が大きく揺さぶられていた。私たちに何が出きるのか。皆が手探りで、なにか見つけようともがいていた。
私は、同僚と市民活動支援センターの震災関連のイベントに参加した。図書館が、地域で何が出きるのかを学びたかった。
震災直後から、私たちは、とにかく情報提供に徹した。震災の真実はまだ書籍にまとめられていなかったから、地図や被災地域で発信される情報をまとめ、ボランティア参加する方々の応援をしたり、もしものときに繋がり合える、地域の絆をいかに構築していくのか。毎日が学びだった。
私たちは、震災により使命に目を開かされたのだった。
かの震災は、多くの人々の本気に火をつけていったと思う。
以前は考えられなかったことも。行政機関や、民間団体が、自発的に横に繋がり合っていった。
今、苦難に喘ぐ人々がいる。私たちには何が出きるのか?力になれたら、助けられたら。そんな共通の思いが、垣根を一気に崩したのだ。
私たちは、小さな地域の図書館だったが、市民活動支援センターの人間性あふれるスタッフさんたちと、交流を重ね、図書館の存在する地域にどんどん深く関われるようになった。地域のお祭りに参加したり、歴史を調べる会を運営したり、コミュニティFMや、ケーブルTVと連携したり、心あるボランティアさんと、講座や展示を企画したり。目まぐるしく人の輪が広がった。
私は、この時期に、地域の方々を毎月インタビューして、図書館新聞に取り上げた。各インタビューには3~4時間かかったが、その人の人生に全集中して2000文字程度にまとめる体験は、二年程続き、この時に培われたインタビュー能力が今に活かされていることを実感している。無駄な経験など、何一つ無い。
そんな中で、ライフリンクと出会った。
図書館として、貧困や、自殺、DVなど、人々の困難にいかに関われるのか。図書館の情報提供の力を地域で活かしていくのか。新たな道を探っていた。
「どうか、幸せに生きてください。そのために、私たちは、地域で役割を担います。」そんな眼差しで始めた取り組みだった。
ライフリンクの当時の副代表さんは、とても親身になってくださり、沢山の配布用資料を無償でくださった。自殺防止のゲートキーパー養成講演会へ個人的に学びに行った時は、私はNHKのインタビューに答えたのだが、副代表さんはわざわざその動画をCDにして送ってくださった。殺人的な多忙さであったはずなのに、彼は細やかに丁寧に、全国の声に応えていた。
後で知ったが、彼も自死遺族だった。
彼は、自分のどん底の体験を、見事に蓮の花に昇華させたのだ。一人でも、自らの人生を諦めてしまう人を減らすために。彼のような悲しい遺族をこれ以上生み出さないように。支え合う社会を作り上げようと、奔走していた。
そして、私も自死遺族だ。
本人 も辛かったろうが、残された家族も辛い。私は克服するのに20年の歳月が必要だった。絶えず、胸の内は、傷口から血が滲み出しているような、もがきにもがいた年月だった。
彼のような生き方もあるのだなあと、同志を見るような、尊敬の眼差しで眺めた。
そんな時期だったか。
とある図書館が、「自殺をしたくなったら図書館へ来てください。」という、強烈なメッセージを打ち出した。
「本を読まなくてもいい。ただ、静かな書架の間で座って過ごすだけでいい。学校に行けなくなったら、図書館に来てください。」
これは、根本的解決には程遠いかもしれないが、地域に沢山の居場所(放っておいてもくれるが、見守ってもくれる場所)があることで、まずは生きていてくれ、今日1日を、何とかやり過ごしてくれ。という切なる願いだ。
賛否両論あったと思うが、私は、図書館員の愛を感じ、胸が熱くなったのを覚えている。
その後、人事異動で図書館を離れてしまったため、志半ばで、積み上げてきた人脈も、ネットワークも、どうなったかはもう分からない。必要があれば、続いているだろうし、消えていても、仕方ないとおもう。執着心は無い。当時、仲間と力を合わせ、精一杯やった。40歳代だったが、第二の青春だったなあと、感慨深い。
あれから、いろいろあり
大病の末、仕事を辞めた。
今、催眠療法を学んでいる私がいる。
グリーフセラピーという手法を学び、
「私の自死遺族の体験を、傾聴の形で活かせるかもしれない。」と手応えをしっかり感じた。
ドクドクと心の傷口から血が流れ出るような、辛く厳しい人生体験があったとしても、神様はきちんと、その体験を光に変える機会を与えてくれる。
誰かの役に立つ時、私たちは、救われる。乗り越えてきたことに、自分自身に感謝する。
あの体験が、役に立った。
誰か一人の命をつなげられたら
未来に生まれる一人の命を救うことにもなる。
誰かの悲しみを癒すお手伝いができたら
きっと過去の自分も救われるのだ。
みんなが、幸せになりますように。
私のあの人生体験がほんのすこしでも、お役に立ちますように。
☆追記
私が勤務していた図書館は、東京の片隅の、とある区立の十数ヵ所ある地域図書館の一つにすぎなかったが
私たちが、震災以降、魂を込め、本気で図書館づくりをしてきたせいかどうか分からないが
全国誌『図書館雑誌』にユニークな図書館として取り上げられたり
区で行われた、接客プロによる抜き打ち検査(検査員が客として来館し、職員の対応や館内の様子を評価する取り組み)で、二回連続一位に輝いたのも
あの時、本気で「図書館に何ができるか。」を合言葉に頑張った仲間たちの純粋な思いが花開いたのだと感じている。
図書館の神様に動かされているようだ。
私たちは、時々、半ば本気で、こんなセリフを口にしていた。
本気には神が宿る。
今、振り返っても、貴重な体験だった。
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