花を咲かせる

 世の中には、戦争をしたがっている人がいる。

信じたくないが、何らかの価値観に依ると、それがその方たちの正義なのだろう。

コロナ禍が始まった時、世界を牛耳る方々のシナリオがあり、いずれ戦争も起こると様々な場面で語られていた。世界を統一し管理し尽くしていくことが、その方々が考える理想なのだとか。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

先日、抄読会にZoom参加した。一冊の本を一章ずつ皆で読み進めながら、考えを述べ合う。どんな感想も否定されることなく受容される心地よい時間だ。

参加者が、みなヒプノセラピストなので、受容と相手に対するリスペクトは染み付いた習性となっている?おかげか、皆様個性的で、予想を上回る発言に、脳がブレイクスルーを起こしまくる。

当たり前のように語られる宇宙人体験にも、度肝を抜かれるが、こんな話題を馬鹿にされることなく聴いてもらえる場が嬉しい。(実際、退行催眠をすると宇宙人の前世を思い出すクライアントは少なくない。)

宇宙人は、いるかもしれないし、いないかもしれない。

その抄読会に、仏教のお坊様が参加されていて、やり取りが興味深かった。

「ロシア側は、平和のために攻撃すると主張しているんですよね。」誰かが発言。

お坊様は「平和とは、必ず対極が生まれますね。平和を求めると、平和でない状況が生まれてしまうのです。例えば反戦運動も、対極を生みます。」

ああ、深いなあ。地球は、二極から学ぶ研修センターみたいなものだから、そうなんだなあと納得。

それぞれが正義を主張し合えば必ず争いは起きるのだ。

国家間の争いを想定すると、分かりにくいから、私たちに引き寄せてみるとよいかも。

私は、司会者から発言を求められ、

「なぜ、このようなことが世界で起きてしまうのか、考えていました。ある日、どなたかが、Instagramでこのように語られていました。

戦争は、私たち一人ひとりの心の中の争いがつくります。と

私の中に確かに争いがありました。

私自身に対しても

家族に対しても

現実は鏡なのかもしれません。」


他の方の意見は

「自分の地球転生前を思い出すと、宇宙すべての情報にアクセスできていて、何でも分かっているのです。分からないのは、○○という感情がどんなものかということ。私たちはそれを体感したくて、地球に生まれてきます。例えば、私は、恋愛感情、あの、キュンとするトキメキを感じてみたくて、転生しました。だから、恋愛が実ってしまうと、飽きてしまうのです。また次の恋愛を味わう体験を引き寄せます(笑)

感情の実体験が地球転生の大きな目的ならば、紛争地域に生まれる方々は、それを学びたくて来ているとも言えます。」

うむむ······深い······

世界を牛耳る黒幕が居ようが居まいが、現実は幻であり、私たちは、一人ひとり違う現実を創り出し、必要な学びをしている。と、お釈迦様の教えを元に、かの紛争を捉えてみる。

私の中に、争いのエネルギーは、無いか?真剣に探ってみる。あるなあ。絶えず批判し分類し、排除し、時には無視したり、力まかせに潰したり。日常にてんこ盛りだ。

私たちは、心の中で、無意識に戦争をしている。実際に人の命は奪わないかもしれないが、風が吹けば桶屋が儲かるのことわざにあるように、巡り巡って、命の奪い合いにまで発展する種に水をあげていることに気づく。

だから、どうしたらいいの?反戦を掲げ、デモ?拳をあげて、とある国やリーダーを責め立てればいい?

みんな、殺しあいたくない。みんな、平和に暮らしたい。皆の願いは共通なのだから、これは、ブレイクスルーする新たな手法が功を奏するかもしれない。

最近、感じたこと。


先日、2022年2月22日

催眠療法セッションをさせていただいた。

クライアントさんは、飼い猫三匹から、催眠下でニャンニャン、もふもふパワーにより、たくさんの愛を受け取り、さらに地球からもメッセージを受け取った。自然から心身を癒し回復させる力についてアドバイスを授けられていた。

さすが、猫の日だなあ~。愛に溢れていて、あったかいなあ~。と、セラピストの私も大層癒された。

ところが、2月22日は、「竹島の日」でもあったらしく、国防に神経を尖らせる方々からすると、猫の日と浮かれている人々に、鉄槌を食らわしたくもなったろう。

日本の領海を守ってくださる方々や、政治家の方々には、心から感謝しているし、領地を拡大したい方々には、彼らなりの正義がある(元は、我々の領土権だという主張)ことも分かる。しかし、もし、彼らが領土を得たとしても、未来には、誰かに奪われ、永遠に争う無限地獄に陥るのは目に見えている。

土地は、誰のものでもない。私たちは、生かされ、住まわさせていただいている。私たちは、魂の学びのために、一時的に滞在しているだけで、地球は、宇宙一の愛に溢れる母性で、私たち一人ひとりを愛し慈しんでくれている。私たちが、それぞれの課題に添った体験が出来るように、見守ってくれている。

という前提を忘れてはならない。

そんな、皆を大切に受け入れてくれている研修センターを破壊し、いずれ使えなくしてしまう行為は、愚かな自滅だ。良かれと思って破壊するのだから、始末に負えない。

誰も、所有など不可能なのだ。宇宙は変化し続け、この世は無常。現実は幻。一生を経て得られるのは、体験を通し学んだ気付きのみ。死んで肉体を脱ぎ、物質次元から解放された時に、私たちは、ようやくそのことを思い出す。

そして

前世療法を複数回体験すると分かるかと思うが、私たちは、何十何百回と転生しているから、戦争で殺したり殺されたり、国のリーダーだったり、非力な民衆だったり、いろんな配役をこなしてきている。その都度、正義感は反転する。

かの国のリーダーも、世界を牛耳る方々も、今という瞬間の配役でしかない。

私たちが出来るのは、この人生で、現実という幻から、何を体験し、何を学び、魂に成長の証を刻みつけて魂の故郷へ戻る日を迎えるのかということだろう。

昨日、Facebookの投稿で、興味深いものがあった。

彼女は、イメージの中で地球に花を咲かせたそうだ。そうしたら、かの地域に、よりたくさんの花が咲いたらしい。世界中の思いが集まって、美しい花を咲かせているのではないかと書かれていた。

そうか。反対のエネルギーではなく、花を咲かせるエネルギーを送るのか。

私たちは、自身が発するエネルギーで出来事を引き寄せて現実化をしている。肉体を脱げば、正体は、意識エネルギーであり光の存在である。

花は、いったいどんな存在が創造したのか?

遺伝子は誰が創造したのか?

構造は解読できても、私たちは、それらを無から造り出すことが出来ない。

だから、唯物論主義者もサムシンググレートと呼ばれる、大いなる存在は、仮説として認めざるを得ないだろう。

花は、愛の具現化であるという。

私たちは、イメージの中では、無から愛を花開かせることが可能。

そして、祈りの力が現実に作用することは科学実験で証明されている。

(白鳥  哲監督 映画『祈り』参照ください。)

私たちに今、出来ることがあるならば

不安や恐怖の念を増幅させ、その現実化に貢献することよりも、個々人が、自己の内面に向き合い、小さな争いを愛に変えていく地道な作業ではないだろうか。

一人が心に花を咲かせれば、世界を花で満たすことに繋がる。

銃を持つ方々が、ふと我に返ったら

「あれ?私は、花を手に持っていたのか!」と目覚める瞬間が訪れる。

信じよう。何があっても。自分も相手も、地球の裏側に生きる方々も。

本質は愛であることを。


ちなみに

私は、先月から虫を殺さなくなった。部屋の中で虫が飛んでいたら、優しく話かけるようになった。虫は大量発生を止め、私が困る現象はパッタリ止んだ。

因果関係は分からないが

アルバイト先で、いつも神経を尖らせ、攻撃的エネルギーを発していた方々と、なぜかシフトが合わなくなった。

そう言えば、1ヶ月くらい顔を合わせていない。

合うのは、穏やかで優しく静かなエネルギーの方々ばかりだ。

虫を殺さなくなると、虫が愛おしくなってきて、毎日、虫に話しかけていると、人間界も優しくなってきた。

という実体験。

戦争を現実化しなくてもよいよう、さらに、内面に向き合っていきたいと思う。



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