父大地に還る
6月7日(金)から9日(日)にかけて
父の納骨のため、家族6名で北海道に行ってきた。二泊三日の旅であった。
納骨の旅幹事役を引き受けてくれた姉は大層苦労した。飛行機で骨箱を運ぶ計画段階でのすったもんだについては以前投稿した通りである。
通り過ぎてしまえば、どのトラブルも笑い話に変わる。渦中は深刻に悩み、泣いたり怒ったりしたが、結果はベストな状態に導かれていった。トラブルを通し、各々がちょっとずつ何かを学んだのだと思う。
霊園では、骨壺のまま墓におさめるのではなく、さらしの袋に遺灰を移して墓石の下におさめるようになっている。少しずつ時間をかけて大地に還っていくのだそうだ。
1月22日に父が亡くなって4か月ちょっと経過していた。
それまで父の骨箱と共に生活してきた母にとって、納骨式は第二の別れの儀式となった。父の遺灰を入れるさらしの袋は、母が心を込めて手縫いしたものだった。
霊園のスタッフと一緒に、遺灰の入った袋を墓石下の小さな空間におさめる瞬間、母は
「〇〇さん、いってらっしゃい。」と思わず父へ声をかけ、そして泣いた。
父と共に過ごした43年間が走馬灯のように脳裏を駆け巡ったことだろう。父を送り出す母の心境はどのようなものであったのだろう。
納骨式が無事終わり、僧侶や親戚が帰っていった後、家族6人だけでしばらくお墓の前で過ごした。
家族一人ひとりが母をハグし、「お疲れ様」「よくここまで頑張ったね」「大役を果たしたね。」「頑張った、頑張った!」と労った。ひとつの大きな任務を終え、母は涙を流しながらも、吹っ切れたような安心した表情になった。
父は、母のおかげで、無事還るべき世界へと送り出されていった。
「お父さん、いってらっしゃい!」
母は幼子のように涙を流しながら
「黙って、手を放して行っちゃったの。消えてしまったの。探したのだけど、どこにも〇〇さんがいなくて。黙って手を放して消えてしまうなんて・・・探したのよ。探したのに。せめて、何かひとこと言ってくれればいいのに。黙って行ってしまうなんて・・」と繰り返した。
手の感触がふと消えてしまったのが、夢とはいえかなりショックだったのだろう。母は、父が亡くなって以来、初めて父の夢を見たのだそうだ。おそらく、母が受け入れられるタイミングを計って、父は母の夢に入り込んだのだ。挨拶のつもりで母の夢にアクセスしたのに、こんなに悲しまれてしまうとは父も想定しておらず、今頃困った顔をしているだろうと、何だか微笑ましく感じた。
私は母の話をじっくり聞いた後で自分の感じたことを話した。
「お母さんは納骨の時に、お父さんに「いってらっしゃい」って言ってたよね。だから、お父さんは「いってきます」って返事をしたくて夢に出てきたんじゃないのかな?お父さんなりのお礼のメッセージだったんじゃないのかな。お母さんと手をつなぎたかったんだよ。「ここまで連れてきてくれてありがとう」って、伝えたかったんだよ。消えてしまったわけじゃない。お父さんの「いってきます」だよ。お父さんは、また帰ってくるでしょ?月命日もお盆もあるもの。またすぐ「ただいま」って帰ってくるから。大丈夫。」
母は、「そうか。そうね。私「いってらっしゃい」って言ったわね。そういうことか。そうね・・・・。情けないわね私。しっかりしなくちゃね。あまり泣いていると、お父さんが浮かばれないわね。」と涙を拭いた。そのように自分に言い聞かせている母が健気だった。
「いいじゃない~。泣きたい時は泣いたっていいじゃない。とても素敵なことだよ。だって、大切に思う人の夢を見て枕を涙で濡らすなんて。お母さんは素晴らしい大恋愛をしたんだよ。」と、私はつい母を茶化してしまった。
旅行から帰って、父の骨箱が無くなった仏間は、がらんとしていることだろう。空虚な気持ちになって、母は涙を流すのだろう。それでも、庭に咲いた花の手入れをし、ご飯を食べ、晴れた日には空を仰ぎ、風を感じて、季節が巡るごとに、ゆっくりと喪失を受け入れていくのだろう。
何年かかったっていいじゃないか。大切な人に出逢えた奇跡は尊い。流した涙や胸を締め付ける悲しみの感情も、魂にとっては、最高のギフト。最期の瞬間に、「ああ、いい人生だったなぁ。楽しかったな。」と、人生を駆け抜けた達成感に満たされて、微笑みながら旅立てるなら。それでいい。
・・・・・いってきます。・・・・・・
空港の売店で小樽硝子のシマエナガの置物を買って、母にプレゼントした。母は早速、ダイニングテーブルの父の写真前に置いてくれたそうだ。
眺めていると癒されると母はLINEで知らせてきた。
シマエナガの癒やしパワー、恐るべし。
そう言えば、父が醸し出す雰囲気もシマエナガに似ているかも…
コメント
コメントを投稿