江戸からファイナルファンタジー的メッセージ
☆江戸時代に思いを馳せる夜
夫の母方の家系図づくりを終えて、本籍地名から歴史を紐解こうとしていた。
本籍地は江戸城をぐるりと囲む武家屋敷地帯の一角にあった。
『千代田区史』を国会図書館デジタルコレクションで閲覧してみたところ、祖先の江戸入りのきっかけは、中世(天文の末頃)後北条氏草創の功臣であり、早雲伊豆討ち入り以降、一国平定の時、最初に味方に属したもの=伊豆衆21名の一人に名を連ねていたようだ。
本籍地が武家屋敷地帯にあったことから、江戸切絵図で〇〇家の屋敷表示が無いものか、調べてみることにした。
利用したのは、「人文学オープンデータ共同利用センターhttp://codh.rois.ac.jp/」国立国会図書館が所蔵する古地図(江戸切絵図)閲覧サイトである。
ダイレクトにグーグルマップで現在の番地を表示させ、江戸切絵図と比較して、当たりをつけた。なぜなら、江戸時代から皇居周辺の道路はほとんど変化が無いので、道を見ると、江戸時代のどの屋敷に当たるのか、分かりやすいのだ。関東大震災や東京大空襲を経てもなお、道筋はほとんど変わらないというのは歴史紐解きには大変ありがたいことだ。
さて、寝る前に、△△町の江戸切絵図を丹念に調べたが、〇〇家の屋敷名は発見できなかった。
考えられるのは、明治に入ってから江戸城まわりの武家屋敷が払い下げになっているということだ。〇〇家の屋敷は元々別の町にあり、払い下げを受けて新たに居を構えたと考えた方がいいかもしれない。上記古地図は29枚もあるので、少しずつ、町をずらして〇〇家表示を探していくことにした。一枚の古地図を調べるのに1時間はかかるので、暇を見つけてはちょっとずつ作業していこうと思った。その日は疲れていたので、そのまま布団に入った。
☆夢のお告げ
私はこの数か月、熟睡することが無く、たいていは夜中の1時~2時あたりに目が覚めてしまう。この日も丑三つ時に目が覚めて、うとうとしながら横になっていた。
浅い夢の中、二つのワードが脳内で響いた。
「浅間神社」と「ポーション」と、確かに私は脳内で聴いたのだった。
どういうことだろう?布団の中で、すぐさま二つのワードをスマホで検索してみた。明日になると忘れてしまうと思ったからだ。
これらのワードは、おそらく〇〇家に関することではないか。何らかの手がかりが夢を通して伝えられたのではないかと思われた。
千代田区にある浅間神社を検索してみたところ、平河町に「平河天満宮」があり、その境内にある三殿宮に浅間神社が合祀されていることが判明した。グーグルマップで位置を確認すると、皇居半蔵門のすぐ近くである。ちなみにそこから皇居をぐるっと時計回りに四分の一周すれば、寝る前に調べていた古地図の田安門あたりになる。
もし、これが〇〇家の先祖からのメッセージだとするなら、「元平河町の浅間神社を信仰していてよくお参りしていたのですよ。」なのか、「平河町近辺に居住(または出仕)していたのですよ。」なのか。
妙に平河町が気になるのだった。理由は分からないが、近々時間をつくって、この天満宮へ参拝に行ってみたいと思った。いずれにしても、ご先祖が武士だったなら、江戸城(皇居)まわりを歩き回っていたことは確かだろうし、神社参拝も習慣的にしていただろうから、時間軸を超えて、同じ土の上に立つことは可能だろうと思われた。「そこへ、私の子孫(夫のこと)を連れてきてはもらえませんか?」と請われたように感じたのだった。
さて、もうひとつのワード「ポーション」については、お手上げだった。そもそも、このワードを私は今まで聞いたことはなく、意味も知らなかった。
デジタル辞典によると
「ポーション(portion)
部分。割り当て。分け前。料理の一人前。一盛り。ロールプレイングゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズで使用されるアイテム。HP(体力)を回復。」
とあって、さらに戸惑うしかなかった。どういう意味だろう?
「私の子孫を平河町(天満宮)まで連れてきてくれたら、お礼にHP回復アイテムを差し上げます。」とでも?
そもそも江戸時代の人(〇〇家祖先)が、ポーションなんて横文字を使うだろうか?私の脳が勝手にエネルギーを自動翻訳して、翻訳設定がたまたま英語バージョンになっていたんだろうか。私の意識はいったいどこに繋がっていたんだろう。
☆4月11日
今月から新しい仕事が始まっていた。この日は、一時間残業した上に、バスに乗り損ね、ムカつきながら45分歩いて帰宅した。その日に限って、脱げやすい靴下を履いており、歩きながら靴の中でどんどん脱げてくる靴下を何度も立ち止まって上げる動作を繰り返した。「どうして、こんな日にたまたまこんな脱げやすい靴下履いているのよ。」と情けなくて泣きたくなった。何かタイミングがずれると、ことごとく運が悪くなる。強いてポジティブにとらえ直すとしたら、帰宅経路には到るところに桜が咲いており、夜桜を眺めつつ歩けたこと。夜出歩くことはまず無いので、夜桜を堪能しながら歩くと言う経験は私としては貴重だと思った。半泣きではあったけど。
☆4月12日
今日は仕事はお休みだ。全身が重くてとてもだるい。最近、体の重さがどうにもならない。もしかして、地球の重力が知らない間にパワーアップしたのだろうか。ああ、だるくてとても駄目だ。今日は家でゴロゴロして過ごそう。と思っていたのだが、計画的に休暇を合わせて休んでくれていた夫は出かけたがっている。仕方ないので、「ランチを食べたらすぐに帰るよ。」と釘を刺した上で、しぶしぶ東京駅の丸ビルまで出かけたのだった。
丸ビル上階のレストランからは、雨に煙った皇居の緑が美しく眺められた。ちょうど千代田区上空に大きな雨雲が通過中ということで、私たちがお好み焼きを焼いている間に、激しい雨が降っていた。食事も終わり、さあ家に帰ろうというタイミングで、雨が止んだ。雨上がりの空気があまりに爽やかで、ふと「皇居前広場で深呼吸でもしてから帰ろうか。」という気持ちに変化した。
平日の昼間ということで、皇居二重橋あたりは、外国人の観光客でにぎやかだった。さすが都内屈指のパワースポットである。先ほどまでの激しい雨で清められた都会の空気が、まるで高原の朝のような新鮮さで肺を満たしてくる。私のHPは回復した。(笑)
いつの間にか、体の重さを忘れてしまい、桜田門まで歩くことにした。桜田門外から、国会議事堂の頭が見えた。せっかくだから外観の写真だけでも撮影しようと、国会議事堂を目指した。そう言えば、今まですっかり忘れていたけれど、このあたりは、江戸切絵図で眺めていたあたりで、広大な大名屋敷が並んでいたんだよなあと思い出した。
「国会前庭の名の通り国会議事堂前にある庭園です。洋式庭園の北庭と日本庭園の南庭に分かれています。北庭は江戸時代の初めには加藤清正の屋敷があり、後に彦根藩井伊氏の上屋敷となり大老井伊直弼が居住した場所です。南庭は大名屋敷や有栖川宮邸を経て霞が関離宮となり戦災で焼失後は現在の回遊式庭園となっています。千代田区観光協会HPより」
国会議事堂の正面の門は、厳重な警備体制となっており、恐る恐る撮影をさせてもらった。ふと内部に目をやると、明らかな民間人が列をつくって歩いている。「あれ?中に入れるのかな?」と、つい重々しい警備中の若い警備員に気軽に話しかけてしまう私。そこで警備員から30分置きに衆議院の建物見学ツアーが行われているという情報をゲット。これは面白いぞ!ということで、早速見学ツアーに参加することにした。ニュースでおなじみの本会議場の傍聴席に座ってみたり、許可された場所では記念撮影ができたり、1時間の見学ツアーに大満足したのは言うまでもない。観光客気分で、土産物屋で衆議院ボールペンやキーホルダーを購入。(別に衆議院が好きなわけではないけど、何となく・・・)ユーモアたっぷりの解説で案内くださった議事堂衛士の方があまりにチャーミングで、お別れが名残惜しいくらいだった。ああ~いい時間だったな~。
☆平河天満宮へ導かれた一日
そこで、あれ?と正気に戻った。
国会議事堂から帰宅の途につくためには半蔵門線に乗ると便利ということで、グーグルマップで検索したところ、道の途中に平河天満宮が鎮座しているのだった!
今日一日の散策ルートは、まったく意図していたわけではないのは、上述からもご理解いただけるかと思う。そもそも、体調があまり良くなかったので、こんなに歩くつもりもなく、たまたま、雨が上がって、たまたま空気が気持ちよくて、たまたま国会議事堂が見えて、たまたま・・・・が重なって気が付いたら、帰宅ルートにしっかり平河天満宮が入っており、「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。」と言わんばかりだった。恐るべし潜在意識!夢での約束を守るべく、私は無意識に夫を平河天満宮へお連れしていたのであった。〇〇家のご先祖様は、さぞかし子孫との邂逅に胸アツとなっていたことだろう。目には見えないが「私(先祖)もね、この道を刀をさして歩いていたんだよ~。」とおしゃべりしつつ、夫を先導していたのではないかと想像してしまうのだった。
平河天満宮は、こじんまりとした愛らしい神社だった。境内はとてもきれいに掃き清められており、境内の樹木は小鳥たちの安全な住処となっているようで、にぎやかな囀りが耳に心地よい癒しスポットとなっていた。この地を守る神様は、とても気さくで優しいので、小鳥たちも神様が大好きで、そばを離れないのだろうなあと思った。
さて、夢で導かれた浅間神社は境内の小さな三殿宮に合祀されていた。とりあえず、任務を果たした私は安心して手を合わせることが叶った。
鈴を鳴らして拝礼しようとした直前に、一羽の鳩が飛んできて、三殿宮の小さな屋根の上にちょこんと乗っかった。その鳩は、私たちが参拝を済ませて帰るまでずっと屋根の上で大人しく見守ってくれていた。神様の眷属か、先祖の魂の仮の姿かもしれないなと思った。
もし、この地で先祖から夫へメッセージがあるとするなら
「いつも見守っているよ。大丈夫だからね。楽しんで生きていきなさいね。必要なときは力を貸すからね。いつでもポーション(HP回復アイテム)渡すから、また好きな時にここに来なさいね。」と愛情をたっぷり伝えられた気がするのだった。
私も便乗し、ポーションをいただけたようだ(笑)あんなに体が重かったのに、楽しい散策の一日で、すっかりその重さを忘れてしまった。これでしばらく、仕事を続けることも出来そうだ。
夫のご先祖様、お導きとお土産(ポーション)まで、ありがとうございました!
平河天満宮境内。可愛い表情の撫で牛に思わず微笑んでしまう。
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