退行催眠療法~怒りの解放
本日、友人kさんと、催眠療法の自主練習をさせてもらった。
以下は、私の体験の記録である。
☆テーマ
理不尽なことがあっても、自動反応で感情を閉じ込めてしまう。とっさに相手に謝罪し、さらに言い訳をしてしまう傾向があり、そのためさらに怒りの火に油を注いでしまう。自分の感情を表出させると喧嘩になってしまうので、何とかそれを避けようとしてしまう。ただ、謝って無事に済むケースは少なく、たいていは相手から、理不尽にも存分に怒りの感情をぶつけられ、深く傷つけられるパターンを繰り返している。感情を閉じ込めてしまった過去の出来事を再体験し、感情を解放したい。
☆幼少期の楽しい場面
小学校の校舎の裏。低学年の私。しゃがんで、蟻の動きを観察中。無心夢中になっている。
☆初めて感情に蓋をしてしまった場面へ
視野正面に、女の子のマンガの絵が見えてくる。キラキラの目の笑顔の女の子。私が描いていた様子。
十四歳の私は子供部屋の学習机前に座っている。
悔しい気持ちでいる。理由はわからないが泣きそうな気持になっている。
母親(継母)は、廊下を挟んだ向こうの部屋に閉じこもっている。その部屋入口は、すりガラスの引き戸でぴったりしまっている。
母を怒らせてしまった様子。私は怖くてその部屋に入れない。一人で子供部屋に閉じこもっている場面。
どうしていいのかわからない気持ちでいる。
大人の私の脳裏に、記憶がよみがえってくる。
『現代社会』の参考書が欲しくて、母に頼んだ。本屋さんが家に来て、参考書を2冊(2種類の意味)置いて帰った。私は1冊あればよかった。もったいないと思って、1冊は返せると思った。そこで、良かれと思って「1冊あれば勉強できるから、もう1冊はいらないよ。」と母に言った。そうしたらものすごく母が怒ってしまった。それがいけないことだと思わなかったので、ショックを受けた。
お金を無駄遣いしてはならないと思った。もちろん2冊あれば、もっと勉強はできるけど、1冊で十分だった。新しい本だし、本屋さんは宅配に来てくれてるみたいだったから、簡単にお返しできると思った。なのに、母はすごく怒ってしまった。
なぜ怒ったか私は分かっていない。しかし、ものすごい怒り様なので、もしかしたら本屋さんに返せるものではなかったのかもしれない。私が勝手にそう思ってしまっただけで、せっかく2冊買ったのに、私が1冊しかいらないなんて言うのが我儘みたいに取られたのかもしれない。母に説明したとは思う。自分がどう考えたかを。「ごめんなさい。」と。でも許してもらえなかった。
母に意識交代
以下、セラピストを介して会話。
母
「素直じゃない。2冊必要だろうと思って持ってきてもらったのに、1冊でいいだなんて。そのまま受け取ればいいのに。こっちのやることに文句をつけてくる。何か言わずにいられない感じ。いつもカチンとくる。あの子とは話したくない。放っておいている。」
十四歳の私
「私はお金が大事だと思ったから。1冊で大丈夫だからって。(泣く)そう思っただけなの。」
母
「ちがいますよ。私のやることに何か文句つけたいんですよ。そんなこと考えていたわけではないと思います。」
十四歳の私
「その時は純粋に本にお金をかけたら悪いと思って言ったけど、このことだけでなく、いろんなことが毎日起きるから、不満が溜まっているから、何か文句を言いたいことはある。溜ってはいる。(本音を)言うと大喧嘩になるから。・・・・・・」
(実際に胃が痛くなる。数分セッションを中断してもらう。催眠を浅くして、冷たい水を飲みに行く。過去の感情が肉体的痛みに直結している様子。)
大人の私
「母親の体の痛みが・・・胃ですね。母は胃をいつも痛めていて。」(水を飲む)「あの、今、母の気持ちを感じ取ったんですが、何でも文句言ってくるし、我慢されても、何かを言われても腹が立つ。過剰反応してしまうところがあるかもしれない。」
(話しながら、だんだん大人から、十四歳の意識へ自然に移行していく。)
「胃が痛いのがかわいそう。よくなればいいと思う。胃が痛くなければ少し機嫌がよくなるのかな?でも、だいたいは意地悪を言われるから。腹立つけど、喧嘩になりたくないから我慢してます。「なんだその顔は!」って言われたり、ほっぺたつねられたりとか。「なんだその口は!」って。グッて我慢しても、口の形がちょっとへの字になったりするのかな。表情にも文句つけてきて。つねられたりとか。精一杯(感情を)隠すようにしている。だけど、どうしてもちょっと伝わっちゃうみたい。
本当は仲良くしたい。意地悪されたら、なんでそういうことをするのか、聞きたいし、勘違いされたら、私はこう思ったんだよって、伝えて誤解を解きたいけど、誤解を解こうとすると、もっと怒る。だから私に出来るのはもう、今は、部屋に閉じこもって、あまりあっちの部屋に行かないようにする。
誰かに話を聞いてもらいたい。お母さんは言っても無理だから。」
セラピストの提案で、大人の私にそばに来てもらう。
十四歳の私の姿を大人の私が見る。
机に向かって女の子のマンガを描いている最中。十四歳の私は、顔を上げてくれない。あまり歓迎されていない。
大人の私
「ええと・・人格交代して、十四歳の意識になって、母親のところに行って、母親に感情をぶつけるというのをやってみたいんですけど。」(セラピストへ依頼)
喧嘩になるのが怖くて、当時は出来なかったことを敢えてやってみることとする。
十四歳の私
「私の口をつねったりしないで!(泣く)
どうして意地悪するの?
そんなに私のこと嫌いなの?
仲良くしたいのに、どうして?
どうしていつも怒るの?
怒らないで。
うう・・・(泣く)
意地悪されるから、私だって、腹が立つんだよ。
子どもだって腹が立つんだよ。
お母さんが腹が立つように、私だって、私だって怒るんだよ。
怒っちゃいけない?
意地悪されたら怒っちゃいけないの?
なんで意地悪するの、お母さん。
お母さんのこと好きになりたいのに、嫌いになっちゃうよ。
お母さん、・・・うう・・・。
お母さん!
お母さん!
(号泣)
(少し落ち着いてから)
・・・・・言ってみた。言った。」
大人の私
「うん、がんばった!よくやった。頑張った。よく言えた。」
十四歳の私
「うん・・・うん・・・。」
セラピストから、母にどう思うか質問。
母
「(動揺しつつ)子どもが怒るのは、私は認められない。我儘だと思う。親の言うことを素直に聞くべきだと思います。意地悪なんてしてませんよ。なんか。私が悪いみたいじゃないですか。口答えするからこっちだって腹が立つんですよ。」(母のエネルギーが小さく、枯渇して消えてしまいそうに感じる。精一杯虚勢を張って、必死に生きていたことが伝わってくる。)」
大人の私
「なんか・・・母のことが気の毒です。(本当に怒りたい相手に対して)怒っちゃいけないっていう気持ちで、いろんなフラストレーションを溜めて、溜めて。どうしてもどこかにぶつけなきゃ心が壊れてしまうから。ぶつけなきゃいけなかったんだろうな。だから、母にとっては、心の中に溜めたネガティブなエネルギーを放出するきっかけがほしくて、私がその役目をやってたんだろうなって、今、思いました。しょうがなかった。目に見える関係は泥沼ですが、エネルギーの世界では、私が母に生命エネルギーを差し出していたのかも。時代の仕組み自体がそうなっていた。
(十四歳の私について)大丈夫だと思います。あの、子どもだって怒りたいんだよって。いいんだよ、怒っても。喧嘩になったっていいじゃないって。喧嘩したっていいんだよ。怒ったっていいんだよ。子どもだって、もちろん大人だって怒っていいし。ということを十四歳の私に伝えたいです。」
十四歳の私
「仕方ないことってある。って思った。喧嘩したくないけど。誰かに大きな声出されたりとか、文句言ったりしたくないけど、仕方ない。誰だって。喧嘩になっちゃっても仕方ない。みんな好きでやってるわけじゃないけど。生きるためにはどうしようもない。でも、実際に声に出して気持ちを言うのって大事だと思った。」
大人の私
「のびのび怒ろうって、今、二人で約束しました。」
十四歳の私
「これからは怒りたい時怒る(健全な怒りのこと)し、やめてほしいときはやめてって言う。」
☆ハイアーセルフからのメッセージ
雲の隙間から差し込んでくる、天使の梯子みたいな光が見える。
「親子の関係ほど学びになる課題はありません。そこにたくさんの課題が現れますが、親子である限り、そこから逃げることもできませんので、どうしても真剣に関わりあうことになります。
親子であること。そこに現れる課題は、あなたがこの世に降りてくる前に選んだことです。
〇〇〇〇(これから活動していく団体名について)本来の親子のエネルギーをよくとらえた名前を降ろされたと感じています。その優しい波動・宇宙のエネルギーをつながれた方々に伝えてください。そのエネルギーを伝えてください。
(母との関係について)あなたが、先ほど「お母さん、お母さん」と呼びかけましたね。あれが大事なんです。「お母さん」の中に、すべての想いが込められています。今、時空を超えて、お母さんの胸に届いて、こだわりや、束縛が溶かされました。言葉じゃないんです。「お母さん」(音・想いのエネルギー・波動)で、伝わるんです。本当は伝わるんです。よくやりました。よくやりましたね。」
☆事後面談
私の感想
「(団体名について)ビジョンが届いた。そこからエネルギーを感じた。ふわふわした光と白い丸い感じのエネルギー。ふわふわした餅?みたいなビジョン。
私の役割は、自由に何をやってもいい。そのエネルギーを具現化するだけだから。何をやってもいいけど、宇宙にそのエネルギーがあり、それを降ろす。この地球に持ってくる。お母さんたちやお子さんたちが集まったら、その場にそのエネルギーを持ってくるというところが大事。何をやってもいい。エネルギーなので。具現化は自由。そしてそれをなじませていくという役割。kさんやsさんが、知識情報を伝えていく役割をするなら、私は、その場をそのエネルギーにするという役割。自由にやりなさいという感じ。ビジョンと体感はもらったので、その場になったらきっと、ハイアーセルフと直結していれば、ハイアーセルフが送り込んでくれると思う。たぶんニコニコして笑っているだけでもいいのかも。私の場合。
(十四歳の私が母に感情を表出したことについて)最初はそんなことはできないと思ってた。喧嘩になっちゃうし、我慢すればいい。でも我慢してもうまくいかないけど。どっちにしても喧嘩するのが嫌だから、部屋に閉じこもっていた。笑顔のキラキラの女の子の絵ばかり描いていた。それでバランスをとっていた。
十四歳の私としては、セラピストから、何でも出来るよと言われても、もう諦めてしまっているし、誰かが助けに来ても、期待できない。私が我慢すればいいという感じだった。でも、まあせっかくだから。大人の私にでも来てもらうか。という流れだった。
十四歳の私は、最初、冷たかった。大人の私が行っても歓迎されるわけでもなく。背中向けて絵を描いていて。だけどどこかでつながっているから、やっぱり私同士だし。その場にいたとき、会話はかわさなかったけど「せっかくだから何かやらない?」みたいな空気になった。「(大人の私も)せっかく来たし、いい機会だから。やってみない?」と、お互いに言葉にせずとも心が歩み寄る時間があって、大人の私が発案して人格交代して。今までは、うまくいったためしはないけど、やってみようって。生じてしまったエネルギーを出すのは大事だから。事態は好転しなくてもとりあえず溜まったエネルギーだけでも出そうという暗黙の了解で、じゃあ、やってみるかという感じになった。それで十四歳の私が行動に移した。結構勇気を振り絞ったと思う。喧嘩になるのをすごく恐れていたわけだから。
何を言ったらいいかわからないから、十四歳の私はとりあえず、「口をつねらないで!」と。ああ、そこか。やっと言ってそれかい。みたいな(笑)おずおず言ってみた。とりあえず一番イヤだったこと。年頃の女の子として。人間扱いされていないような。自尊心が傷つけられること。十四歳の私は、そこを一番気にしていた。
だんだん、本音が出てきた。当時は素直になれなかったから、「仲良くしたいのに」とか言えなかった。「怒らないでお母さん」とか。素直じゃなかったから言えなかった。でも、今回は、素直に言った。怒りながら、大声出しながら、素直に言った。最後は言葉にならなくて、「お母さん、お母さん」と呼びかけるだけで。言葉にならない想いのエネルギーを「お母さん」にしていた。胸にある想いを「お母さん」の音に込めた。ハイアーセルフはそこを「よくやった」って言った。
母も、辛い幼少期があり、前世があり、いろいろあって縛りつけられているものがあったけど、それを「お母さん」で溶かしましたよ。と言ってもらえた。現実の母は、今頃「あら?なんか軽くなったわ。」と独り言を言っているかもしれない(笑)。胃の痛みが連動するというのも、びっくりした。すごく痛くなった。
もう怒ることを怖がらなくていいんだ。というのが、大人の私も、十四歳の私も、今回学んだこと。時代の変化という背景も後押ししてくれている。
いいじゃない。喧嘩になったって。それが何?人間だもの。感情的になって怒りたくなってもいい。相手が悪くなくても当たっちゃうことだってある。素直になれない時もある。いいじゃん、それで、喧嘩すれば。そしてその後ごはん食べて、「そうか~。お腹すいてたんだね。だからイライラしちゃってたんだ。ごめんね。」ってなるかもしれない。喧嘩だって、いいじゃん。やってみれば。感情なんてころころ変わるんだから。ずっと怒っているわけでもないし。それで後でごめんねって許しあったり。許せなくても、許せない自分といつか向き合えばいいい。相手がずっと怒っているなあって思っても、まあ、とことん怒りなよって。いいよって。そんな気持ちになれて、ちょっと気楽になった。」
☆セッション翌日
kさんへメッセージ
「昨日、kさんにやっていただいたセッション
文字起こししていたら、すごく、◯◯◯の活動に連動していて、今、ビックリしました。
宇宙の采配でしょうか。??
当時の母と私の関係は、地の時代のピラミッド型社会の底辺で苦しむ犠牲者だったのかも。
良妻賢母という呪縛から、エネルギーを奪われ、生きるために我が子から生命エネルギーを奪い(本当は、我が子が無意識に母に差し出している)幸せに生きることが難しい仕組みの中でもがいていました。
その仕組みが、◯◯◯の理念を作る過程で、私も学べたので、あ!これのことか!とすごく腑に落ちました。
私の大号泣にひたすら寄り添ってくれたkさんの大きな愛にあらためて感謝です。
新しい時代を前に、過去の母も私も、古いエネルギーを浄化できました。」
☆翌々日の気づき
私が地球に来ている意味
宇宙由来魂が、地球で肉体に入り人間をやっている意味は、肉体(制限、束縛)の中でハートを開いていくというチャレンジ。分離の極みまで体験し、強い個性を持っているゆえ、生きることが困難な時代を経てきている。しかし、それは無駄な体験だったわけではない。地球だからこそ、忍耐を学ぶことも可能だった。新たなエネルギーの時代へ移行しつつある今、宇宙由来魂たちの強烈な個性が、混じり合い、(地の時代では、対立しか生まなかったのだが)スムーズに調和してきている。違いと違いのかけ合わせから新たなものが創造される。これは宇宙の仕組み。まさに、この過程を体験しに、ここに来ている。
という設定の一瞬の夢。
「私」とは、本来は、制限など一切無く、循環する永遠のエネルギーそのものである。だから、上述のエピソードは、言ってしまえば宇宙が見る一瞬の夢と解釈できよう。その夢(創造ドラマ)を通して、宇宙は、「私」を知っていく。この永遠の問い(私って何?)と気づきの繰り返しを宇宙の成長と言う。
☆そして日常は続く…
今朝のこと
早朝に目覚め、いつものように珈琲を紙フィルターでドリップしていた。
つい、手が滑り、ドリップ中の珈琲を床にぶちまけてしまった。大惨事!
液体だけでなく、細かく砕かれた珈琲の粉もベトベト散らばって、服にも床にも壁にも、珈琲色の半液体がアメーバのようにあちこちに貼り付いていた。
呆然。
あまりの出来事に、思考が働かない。
これを朝から掃除するの?
ついてない。ショックだ。災難だ。あんまりだ。
しかし、いつまで呆然と突っ立っていても仕方ない。私が動くしか無いのだから。
最初のひと拭きでは、汚れは綺麗にはならない。気が遠くなりそうだ。
それでも、何度も雑巾を洗い、繰り返し繰り返し、汚れを拭いていくと、やがて綺麗になった。
拭きながら
ああ、これが地球の学びなんだ。と腑に落ちた。
繰り返し。積み重ね。一進一退。一歩一歩。試行錯誤。
つまり、忍耐。
もし、宇宙高次元のエネルギー存在なら、想いはすぐに実現(創造)してしまうので、無いとは思うけど、万が一珈琲を床にぶち撒けても、意図するだけで掃除は済んでしまうのだ。物質次元の制限だらけの地球では、想いの現実化には必ず行動を伴う。動くことが基本だ。そして、時間がかかる。高次元では必要無かった忍耐をここで身に着けるのである。
高次元存在「忍耐?何それ?面白そう!知りたい!」
↓
こうして、今、私は、自分の手を動かして、床を拭いている。そう、「うまくいかない」をやりたくて、楽しみたくて、今を体験している。まさに今。意識できる、この瞬間のすべてが、私の望み通りなのである。
日常って
最高のギフトなんだ。
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