心の痛みはなぜ起こるか
☆心の痛みはななぜ起こるか
今朝、清水友邦さんのFB投稿を拝見し、またまたタイムリーな内容だったので、以下に一部を紹介したい。
「心の痛みは心の全体性を取り戻そうとするときに起こるので、否定したり、逃げたりせずにそのプロセスを経過することができれば自己の枠組みが広がります。
心の痛みは本質に気づくきっかけになります。
(中略)
人は強い恐怖感を伴う体験をすると直面しないでそこから逃げることで心理的ショックを回復しようとします。
(中略)
自我はあるがままの出来事を受け入れることができません。
思考の物語に逃げ込み、今ここにいられないのです。
死者の遺体が腐敗・白骨化して霊魂が地上から離れるまでの期間を殯(もがり)といいます。
心理的には死による喪失感が癒されるまでの期間となります。
もし悲しみを心に閉じ込めて逃げてしまえば殯(もがり)が終わらないことになってしまいます。
母親は優しい慈愛の母と不機嫌な鬼の母の二面性をもっています。
母親は自覚のないままに感情的になって子供を傷つけてしまうことがあります。
傷つけられた子供に母親にたいする憎しみが生まれると愛する対象を憎むという葛藤にさいなまれることになります。
母親にたいする否定的な感情が生じるとそれが罪悪感となって心に痛みが生じるのです。
母親への愛の中に怒りを混入させたまま、大人になり恋愛に傷つき、愛が冷めて終わりを告げるときに、愛は憎しみと怒りに変わります。
その人は愛と憎しみの両極の間で揺れ動き、関係性の中で苦しむ事になります。
生きることは喜怒哀楽の連続で生老病死は誰も避けることができませんが、人間が成長するために乗りこえなければならないものとの理解が生まれると、すべての否定的な経験を肯定的に捉えることができます。
心の痛みは心の全体性を取り戻そうとするときに起こるので、否定したり、逃げたりせずにそのプロセスを経過することができれば自己の枠組みが広がります。
心の痛みは本質に気づくきっかけになります。
精神的な危機を乗り越えて回復する能力をすべての人間は潜在的に持っています。
その鍵は恐怖や不安、悲哀から反射的に逃げて今ここにいられない自我に同化することをやめて
本当の自分(あるがままに見守っている自己)に気づくことができるかどうかにかかっています。」
(以下、省略)
↓
清水さんの投稿を読んで、いろいろ腑に落ちたことがある。
○殯を終える
私は10歳で、母の死に直面した。あまりの恐怖から現実を受け入れることが出来なかった。10年くらいは、心身の不調に苦しんだ。この時閉じ込めた感情は、潜在意識の奥深くに氷漬けにされたまま、40年以上経過した。
催眠療法には、悲嘆療法(グリーフセラピー)や、年齢退行という手法がある。亡くなった方と対話したり、大人の自分が、幼い頃の自分と共に、その場面を再体験することで、氷ついた感情を一気に溶かし、解放する。殯をきちんと終わらすという視点で催眠療法を捉えることも出来るのだ。
○罪悪感の正体
母親への愛憎と罪悪感の意味がよく理解できた。先日、罪悪感を手放すための現実化を体験したばかりだ。心を重くさせる現実化が起きた時は、必ず意味がある。自分の中のどんな信念が、この現実を招いたのか。その信念はまだ掴んでいたいか。そろそろ手放したいか。そこにフォーカスすると現実の意味合いがまったく別の側面を見せてくるだろう。苦しみからの解放は、本質への誘いである。
☆今朝の気付き
朝、布団から起き上がった瞬間に、自分の中からメッセージが湧き上がってきた。ハイアーセルフか、守護神からだろうか。
「愛の気持ちで行ったなら、必ず調和に導かれます。」
↓
これは、一つの問いへの回答という意味合いがある。
実は、夜中に、私の住む地域では工事による断水が発生していた。水道消火栓器械取替ということで、23時から翌朝5時頃まで水が使えなかった。我が家では念のため、風呂の湯を抜かずに貯めて、万が一復旧しない場合に備えて寝たのだった。これが災害による断水だったら、心持ちも違う。水道を捻れば当たり前のように水が出る。この有難さを私はどれだけ理解できていただろう。生活の当たり前に、私はきちんと感謝していただろうか?そんな思いになりながら、夜布団に入ったのだった。
明け方、窓の外を、機器が触れ合うような金属音が微かに通り過ぎていった。おそらく工事の方々が撤収していく気配なのだろうと、ウトウトしながら思っていた。一切、話し声もたてず、地域の安眠に配慮しつつ、細心の思いやりで工事を終わらせてくれた。姿を見てはいないが、水道局の方々からのさり気ない愛を感じて、ハートがふんわり温かくなった。彼らは、朝の炊事に間に合うように、一生懸命に夜通し作業してくれたのだ。しかも静かに。私は、なんて幸せな地域に住ませてもらっているのだろう。たくさんの存在に支えられ、生かされているのだろう。そんな、心が柔らかくなるような気付きが起きた瞬間に、上記メッセージを受け取った。
私たちが生きる現実世界は、こんなにも愛と学びに溢れている。
○愛と調和
上記メッセージに通じることだが、補足したい。
昨夜、たまたま視聴したYou Tubeの内容より。
とあるマッサージ師が、クライアントからの邪気を受け、腰の痛みに悩んでいた。彼は小林正観さんに相談した。
小林「人間には、身体の部位はいくつあるのですか?」
マッサージ師「300部位はあります」
小林「あなたが不調を感じているのは、そのうちいくつありますか。」
マッサージ師「今のところ、腰だけなので、ひとつです。」
小林「では、残り299の部位は正常に動いてくれているのですね。その299個にありがとうと伝えたことはありますか。」
マッサージ師「・・・!」
彼は、すぐに隣室へ移動し、2時間かけて、身体の各部位に感謝の気持ちを伝え続けた。彼は気がついた。1時間経過したあたりから、悩みの種だった腰の痛みが消えていることを。
このエピソードが頭に残っていたのだろうか。この正観さんの教えは、まさに目から鱗だ。
人は、不足を感じると不幸になる。不足を感じているのはエゴだ。エゴの意識は今にいられない。過去や未来に意識を飛ばして、不安や怖れに苛まれ続ける。
もし、満たされていると感じるなら、幸せになる。全てに感謝する気持ちは、穏やかさや安心をもたらす。その意識は今にある。今にある時、人は本質につながる。そこにこそ永遠の愛と平安がある。
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