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8月, 2021の投稿を表示しています

宇宙友だち

 もう、18年くらい前になるだろうか。 北陸に住む、ちえぴぃさん  という方とパソコンを通し知り合った。 当時、私はうつ病のため自宅療養中 パソコンで絵本や写真集、詩集など作成し、自分のホームページで発表していた。誰にも会うエネルギーは無いけど、誰かと繋がっていたい。Web上での緩い繋がりは、きっと無理なく丁度良かったのだろう。 北陸で、絵本やビーズアクセサリーを発表していた、ちえぴぃさんとは、細かい経緯は忘れてしまったが、すぐに意気投合した。彼女の作るアクセサリーは、とても可愛かったので、いくつか購入し、大切な友人へもプレゼントした。 ちえぴぃさんは、不思議な女性だった。 自分は、宇宙の星から来た魂だと語った。 当時、スピリチュアルなことは何も知らなかった私だが、ちえぴぃさんの言うことは、すんなり受け入れていた。宇宙から来たということを納得させるくらい、彼女は神秘的な愛にあふれる柔らかい個性に溢れていた。私の周りにはいない不思議なタイプだった。 何回か文通もし、写真を送ってもらったこともある。とても美しい人だった。私は、理屈無く、素直に彼女のことが大好きだった。互いに見せ合う作品や、興味の対象が似ていたのかもしれない。ちえぴぃさんの醸し出す空気は、私には大自然の森の空気のように、呼吸しやすいものだった。 当時、職場で浮いていた私は、いつも「私は、ここでは異星人みたい。皆が言っていることがわからない。」とメンタルクリニックで医師に打ち明け泣いていた。 異質な存在である私は、周りの暗黙の了解の世界が理解できず、同僚からは、「言葉にされない世界を読め。白黒つけるな。」とアドバイスされ、さらに混乱していた。皆、言葉にしなくてもテレパシーで会話しているんだな。曖昧でも許せるんだな。と、ただ悲しくて、普通にできない自分を責め、精神を病んでいった。 だからだろうか?自ら、宇宙由来であると公言するちえぴぃさんの存在が嬉しかった。きっと、異星人同士、巡り会えたような気持ちになったのかもしれない。不思議と、ちえぴぃさんとのやり取りは、心が休まった。 私が流産した時、ちえぴぃさんは、色とりどりの美しいビーズを送ってくれた。私はそれで、ビーズをつないで小さなブレスレットを作り、今も、部屋の神聖な場所に置いている。数ヶ月でも、私たちに赤ちゃんが居た証しになっている。どんな慰めの言葉よりも、

断捨離する

 よく、例え話で、 無人島に3つ持っていくなら、何を持っていく?というのがある。 心理テストにもある。あなたが、何に価値観を置いているのか分かるかもしれない。 さて、 スピリチュアル界隈では、年末から来年にかけて、世の中には大きな変化が訪れるとか。 コロナ騒動は序の口であるとか。 一般的価値観を持った人々は、混乱したり絶望したりするかもしれないので、本来の自分に目覚めた人々は、しっかりした軸を保ち、揺れ動く人々の支えになる。今までの学びを現実に活かす機会となる。など。 何が起こるのかはわからないが、コロナだって、誰も予測してはいなかった。 人類の集合意識が大きく変化する時に来ている。 今までの価値観に重きを置いていた人々にとっては、苦しく不安な時代の幕開けになるかもしれないが、コツコツ準備してきた人々なら、ソフトランディングできるだろう。 現実は幻想であること。魂は、永遠であること。今を生きている目的は、本来の自分に繋がること。現実に起きる出来事は目覚めのために利用できるギフトであること。どんなことが起きても、自分は大丈夫であること。 今まで学んできたことを実践すれば、恐れは無い。 そもそも、恐れは、まだ起きていない未来を想像し、あれこれ悩むのがほとんどだ。大抵は、妄想で怖がっているだけなのだ。 過去も未来も幻想だとも言う。今、今、今、の連続しか存在しない。だから、今に集中し大切にした方がよい。今が幸せで満ち足りているならば、次の今も幸せが続く。 あなたが足りないと感じることは、過去や未来の単なる妄想でしかない。 今、この瞬間、あなたが呼吸しているか?肉体は存在しているか? Yes! ならば、次の今も、大丈夫。あなたは、しっかり守られ生かされている。次に続く今も。 朝、目覚めたということは、生かされている証拠。お日様は昇り、植物は光合成をし、酸素を発している。雨は川となり、蛇口を通し飲み水となる。お野菜、肉となる動物、お魚、命の循環のために、その身を私たちに提供してくれる存在がいる。暑さ寒さから守ってくれる家、衣服。おはよう!と声をかけてくれる家族。社会を支える地域の人々。 目覚めてから、あなたを生かしてくれる一つひとつをリストアップしてみてほしい。 大丈夫!あなたは、これだけたくさんの存在に守られ生かされ愛され、今を生きている。これが全てだ。恐怖は、今ではない。つ

ミクロとマクロ

 意味深い夢を、見た まず、ひとつめ 夢の中で、「ミクロとマクロ」と言われた。 自分の潜在意識からか?高次元からか?実生活に対するアドバイスと思われた。そもそも、私は感覚人間なので、ミクロだとかマクロだとか、そんな横文字ワードを使うキャラではない。明らかに三次元自分ではない何かからのメッセージだろう。 先ほど、ネットで調べてみた。 ミクロ=ミクロ視点。部分的、具体的 マクロ=マクロ視点。全体的、抽象的 つまり、自分の考えに凝り固まらず、色んな視点から物事を見て判断したらよいよ。ということかな。 人の数だけ、視点は違う。誰かに都合のよいことは、誰かに都合が悪かったり。視点の違いは正義の違いとなり、喧嘩や戦争にまで発展していく。だから、問題点に近寄ったり、遠くから眺めてみたり、また、別の角度からズームインしてみたり。いろんな立場の視点から見ると、今までと違うアイデアが出てきたりする。 昨日は、バイト先で、ちょっとだけムカッときたことがあった。私が質問したことに職員が答えてくれたことが、モヤッとしたのだ。私から見れば、せっかくやってることが、単なるポーズでしかなく、外部から責められないように、ただ、「やってます。」と言えるようにしているだけ。私は、やってることの意味を問うたのだが、「そこまで考える必要ない。」とバッサリ切り捨てられた。ムカッとする感情が沸き上がるのを自覚した。私はこういうのにすごく拘る性格なんだなあと改めて理解できた。 ひとつの指示に対しても、意味や、目的を理解していれば応用が利く。トラブルが起きた時にも、相手に説明することも可能になるし、状況に応じ、やり方を現実に合わせ変えることも出来る。Aにはaというやり方を。Bにはbという言い方を。と、単なる反応?だけをロボットのようにインプットする仕事は、思考停止人間しか産み出さない。こういう指示しか出せない人間は残念だ。 ただし、今の私は、目の前の現実は自分の鏡であることを知っているので、自分のネガティブな感情を受け止め、手放すことにした。 私の拘りは、私だけの正義でしかない。どうでもいい小さなことだ。ただ、どうでもいいと表現すると、お仕事に申し訳ないので、 「なんくるないさぁ~」(沖縄の方言) を何度も心の中で呟いた。 しかし、なかなか手放せない。ムカッの背後には微かな悲しみも感じられる。仕事を丁寧にやりたい。

右脳さわさわ

 昨夜、飼っている亀たちに話しかけていた。「○○○だよね。△△△だと思わない?」亀に問いかける。その直後、右側側頭部が、さわさわした。 ヒンヤリした微風が当たるような、毛穴がパパパッと開くような、ピリピリとするような、何らかのエネルギーが頭の右側で動いている。ザワザワすると表現すると、怖い感じになるので、さわさわする。と表現しておく。 昔から、気の流れの良い場所や、エネルギーの強い人間の側にいると、頭頂部から風が入ってきて、背骨に沿い、さわさわする感じが流れることはあった。何らかの作用で、普段は閉じている頭頂部のチャクラが開き、宇宙エネルギーが入ってくるのかなあ?と思っていた。根拠はないが、自分にとっては、良いものを注がれている気がした。決して悪霊に取り憑かれたとか、そんな禍々しい感じではない。 それが、ここ最近、気がつくと右側側頭部がさわさわする。どんな時にさわさわするかと言うと 夕方、巣に帰ってきたカラスに挨拶する時 鉢植えの植物たちに、話しかけた時 亀に問いかけた時 これは、私が話しかけたことに、鳥や植物や亀が、テレパシーで返答していて、そのエネルギーを体感しているのではないか?と仮説を立ててみた。 まだ、リーディング能力が開花していないため、それらを言葉に変換することは出来ないが、返事を返してくれているとすれば、とても嬉しい。理解できるようになりたい。 さわさわする原因は何だろう?わからない時は、宇宙に質問してみる。「私に理解できるように、答えをください。」と声に出して、質問をポンと宇宙に投げる。後は、答えが来るのを待つのみ。質問したのを忘れちゃうくらいがよい。 さて、数時間後、何気なくおすすめに流れてきたYouTubeを見た。右脳と左脳の働きについて説明している内容だった。左は、論理。右は感性。特に右は、直感や閃きに関係する。とのこと。私たちは、いかに左脳を優先し、右脳を発達させない教育を受けてきたかを知った。 小学生の頃は、想像ばかりしていたし、絵を描くのが大好きだった。いつの間にか、絵を描かなくなった。小さな頃の夢は、絵描きさんだったのに。右脳を眠らせる生き方を選択してきた。教科書覚えたり、社会人になれば、マニュアルを覚えたり。誰かの正解ばかりを大切にしてきた。 亀に問いかける。 「ねえねえ、こうこうこうでね。亀さんならどう思う?」 亀は、水槽の奥で寛

怒りの原因は無知

 最近、あまり感情のアップダウンはなく、穏やかに平和に過ごしている。一人で、心地よい自宅に籠っている。 窓から入る爽やかな風を感じたり、冷蔵庫にある食材で料理したり、ちくちく簡単な小物を縫ったり、亀や植物とお話したり、好きな本をじっくり読んだり、きれいな音楽を聴いたり、大好きなビールを飲んだり、静かに好きなことをしている。 夫と一緒にいたり、一人でいる場合は、99%魂の平穏を保つようになった。不要な感情を浄化できてきたのかなあと嬉しくなる。 しかし、まだまだであることが昨日判明。 アルバイト先の図書館でのこと。皆様は、図書館へ行かれたことありますか?書架に並んだ本の背表紙が一直線にきちんと並んでいることに気付きましたか?本のサイズは違うのに、書架の奥まで差し込んだら、背表紙の位置はバラバラで、凸凹するはずですよね。あれはですね、人の手で、背表紙が一直線になるように直されているのです。内部で働く人が、コツコツやってます。来館者が本を触るとどうしても位置は乱れます。皆様が気持ちよく本を選べるように、見易いように、また、間違えた位置に本が迷子になっていないかチェックするために。図書館アルバイトの達人は、手作りのカマボコ板みたいな道具まで駆使して、ビシッと背表紙を並べます。神業すぎて、ため息が出るほど。私は、書架の整理をしている時が、一番好きかもしれません。瞑想状態に近いからかも。私たちにとっては、神聖な行為かもしれません。 そんな、素敵な作業なのに、心がざわざわさせられる。何と、来館者がわざと本をまとめて奥に引っ込めていく。背表紙が凸凹して乱れ、整然とした秩序が台無しに。一冊の本を抜き取り、隣の本が引っ込むとかのレベルではない。あっちにもこっちにも、数十冊置きに、引っ込んだり出っ張ったり。愉快犯の犯行だ。おそらく子どもだろう。楽しいからやっている。ほんの一時間前に整理した書架が、乱れ切っているのを見ると、悲しさ通り越し、怒りが沸いてくる。どうして?と心の中で叫ぶ。「図書館で遊ばないで!」と、見えない敵に向かい、憎悪の念をぶつける。 もしも、愉快犯を現行犯逮捕できたら、私は何を言う?そんな想像をしながら、辛抱強く、いたちごっこの作業を繰り返す。怒りに燃えながら。そいつの首根っこ捕まえて、図書館から引きずり出してやる!罵詈雑言浴びせかけてやる。もう二度と来るな!と、出禁にして

地球と共に生きるためには

 少し、怖い話になる。 人類が、このまま、生き方を変えなければ、地球は後30年も持たないそうだ。 一分間に東京ドーム2個分の森林が壊されている。 道端に捨てられたゴミは、自然に還らない成分で出来ている。お腹を空かせた動物たちが誤って食べ、死んでいる。 人類が、より便利を求めた結果、自然を破壊し、道路や宅地が整備された。反対に動物たちは、住む場所を追われ、自然から恵みをもらえなくなった。生きるために人の畑を荒らす。そして駆除される。 舗装道路、コンクリートの建物。 添加物、農薬、海や川を汚染する洗剤。 私たちが、より便利にを追及したが故に地球が泣いている。私たちの便利は、地球をじわじわ痛め付ける。いずれは地球の恵みをいただけなくなり、清らかな水や健康な食べ物が得られなくなれば、私たちは病気になり命を失う。天変地異で一気に浄化されるかもしれない。ノアの方舟の大洪水のように。 ここまで書いて 先ほどまで晴れていたのに、急に激しい雨になった。まだ朝なのに、空が真っ暗だ。稲光と雷の轟が凄まじい。 自然は、その気になれば、いつでも、人類を一掃することができる。 それでも、待っていてくれている。辛抱してくれている。私たちが目覚めるかもしれないと信じて。なぜなら、地球も、地球の循環により浄化するシステムである自然も、すべての存在を愛し、育みたいと願っているからだ。 人類は、思い上がってしまった。自然は征服できるもの。資源は奪い合うもの。不要なものは排除すべきものと。 結果、どうなったのか? エゴを肥大させ、利己的な人々が蔓延る世界が蔓延している。教育や社会システムが子どもたちを洗脳していく。本来の自分に繋がれず、心に欠乏感を抱いた人ばかりが増産されていく。自分たちの命綱を自らの選択で切り離す。滅亡のシナリオに向かい、ひたすら歩んでいるとも気付かずに。当たり前の日常が永遠に準備されていると勘違いしながら。 昔、セイタカアワダチソウという外来種が日本に入ってきた。外来種は、在来種を殺し、どんどん蔓延っていった。このままでは、日本中がセイタカアワダチソウだらけに?誰もがそう思った。しかし、そうはならなかった。セイタカアワダチソウは、自ら毒を出し、自滅するのだそう。増えすぎると自滅する。地球を健全に保つための生物の知恵なのだろうか。人間も、セイタカアワダチソウのような存在だろうか。神の分身

分かっていないということの正体

 あなたは、何も分かっていないと、責められた経験はあるだろうか。思春期の子どもが母親に、付き合い始めのカップルが恋人に、更年期の妻が白髪混じりの夫に······ 相手を責めたことも、責められたことも、きっとあるのでは。 私は、人生で二回、責められた経験がある。忘れられない思い出だ。(反対に、自分が相手を責め立てた記憶は都合よく消えている。) 一回は、昔勤務していた図書館でトラブルになった時。 その人はコミュニケーション障がいと思われる青年だった。時々、トラブルに発展し、他のお客様が機転を効かせ110番し、お巡りさんが続々駆けつけた時はさすがにビックリした。(基本、地域のお巡りさんは、とてもあたたかく優しい。) 傘で威嚇されたり、カウンターに立て籠られたり色々あった。長い付き合いの利用者さんだった。とても面倒な人ではあったが、彼の居場所を奪う意図は誰も持っていなかった。 その時は、原因は忘れたが、彼の気に入らないことがあり、大声を出された。大きな声を出さないよう注意をしたところ、「お前に何が分かる!(俺のことを)何もわからないくせに!」と怒鳴られた。ただ、その声があまりに悲痛で、10年以上経った今もたまに思い出し胸が痛む。彼の孤独や心に吹き荒ぶ乾いた嵐を感じ、分かりようがないほど、遠くに彼がいると思った。 今の世の中に生き辛いキャラクターの人もいる。そんな人が少しは安心して社会と接点を持てたのが、図書館だったのかもしれない。彼は、ほんの少しでいいから、誰かに分かろうとして欲しかったのかもしれない。彼の叫びは、何故か私の中にこだまし続けている。 もう一つの経験は、やはりだいぶ前、地域で仲間たちと、ちょっとした活字のイベントを開催した。その時の仲間の一人から、「あなたは、何も分かってない!」と叱られた。 そのイベントは大成功だったのだが、私は準備にかなりエネルギーを注いだため、おそらく燃え尽きたのだろう。イベント終了後、ひどい鬱状態に陥ってしまった。数人の仲間が集まり、私の心の内を聞いてくれる機会があった。その時に、彼女から「あなたは私たちを信頼していないのだ!」と指摘された。私は素直に反省し、そうか、私は人を信頼できない性格なんだなあと受け止め、皆に謝った。その日、メンバーと握手し、肩を組んで、心機一転、次の企画に取り組んでいくつもりだった。 しかし、彼女だけは、その後

問題を解決したくない人々

 鬼子母神の逸話 彼女は500人の子どもの母。子を育てるために栄養を欲し、人間の子どもを捕まえて食べていた。釈迦は見かねて、彼女の末っ子を隠してしまう。彼女は半狂乱となり、我が子を探し回り、釈迦に助けを求めた。「たった一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」諭され、彼女は深く反省。仏教に帰依したという。 この逸話を知り、人は、闇に堕ちなければ学べないのだろうか。と、悲しくなった。我が子を大切に育てたいと思うが余り、他人の子を喰らう母。そこに、相手に対する想像力は無い。我が子を失い初めて他人の痛みを我が痛みとする。その実体験から、世の中全ての母子を守護する神となる。やはり、実際に体験することが魂の成長には欠かせないのだろうか。想像力だけでは無理なのだろうか。 最近、17歳の兄が幼い妹を暴力により殺してしまう事件が起きた。シングルマザーの元に、子どもたちが施設から返され、ようやく親子水入らずで幸せに暮らせるのでは?と児童相談所も祈っていたことだろう。生活上の問題を抱えているならば、福祉制度もあり、カウンセリング等で母親が周りに頼れるような体勢作りもされていたのではないかと信じたい。この事件は、ケースワーカー、相談員、地域の人々、友人、親類たち、同じような境遇の人々の心に波紋を広げたことだろう。 このケースに限らないが、周りがどんなに助けたいと力を注いでも、暖簾に腕押しで、事態が改善しないばかりか、最悪の事態に向かいまっしぐらに進行してしまうことはある。少なくとも、かの家族は孤立無援ではなかったと思われる。それでも、何か出来たのではないかと、ずっと自身を責めている関係者も多いことだろう。 何か出来たのでは?と苦しんでいる人々に対して、こんな見方もできるかも?という話がある。さらっと流す程度に留めていただきたい。 能力のある方が、この事件をリーディングしたところ、兄妹は、魂の約束を実行したとのこと。過去世で妹側は加害者であり、兄は被害者。今世では、カルマ解消のため、兄妹の役割が逆転した。この運命を実行しやすいように、魂年齢の若い母親を選んで生まれてきた。兄妹は、過去世からずっと役割を交代し、因縁の関係を続けてきた。彼らが欲する学びを完了しない限り、来世も殺し殺される役割が続いていくらしい。なんて悲しい因縁だろう。鬼子母神の逸話に通じるものを感じた。自身が業火に焼かれ

第三の目で見る

 特に意図していないのに、突然、脳裏に映像が浮かぶことがある。 位置は、眉間の裏側。脳内。松果体のある場所らしく、第三の目または、第六チャクラとも言われる。 目に見えないもののエネルギーを読み取り、自分が理解しやすいように映像化しているのではないかと思う。 以前、神原ひでこさんに気功エネルギーヒーリングをしていただいた直後、オレンジ色の龍の姿が見えた。身体が炎に包まれ燃えているので、オレンジ色かな?と思ったが、透明な美しい炎だった。しかし、見えた!と意識した途端に、その姿は脳裏から消えてしまったので、一秒にも満たない瞬間の出来事だった。龍の姿を見たと話しても、気味悪く思う人もいるだろうと、その時は誰にも話さなかった。後日、ひでこさん自身が撮影した、龍神雲の写真を見せていただく機会があり、「自分は龍神に守られている。」というようなことをおっしゃっていたので、納得した。ひでこさんが、施術をする際には、龍が共同作業でエネルギーを送ってくれていたのだろう。身体を真っ赤に燃やすほどに、生命を活性化する力を授けてくれているのだなあと、有り難く感じた。 世の中には、様々なアーティストが龍神の姿を描いたり、写真撮影したりしている。それぞれに素晴らしいが、私が脳裏に見る龍神の姿は、色彩に特徴がある。光輝く透明な色合い。とても鮮やかで、どこかスッキリとした爽快感もある。一番イメージが近いなと思うのは、草場一壽さんの陶彩画だ。草場さんも、脳裏にこんな美しい龍の姿を見ているのかな、と思うと、とても親近感が湧く。 私の場合は、いつも見たい時に、第三の目で何かを見るわけではない。突然に出現する。こういうのを見よう、と意図してからであれば想像なので、理解しやすいが、まったく見ようともしていないのに、急にパッと脳裏のスクリーンに映し出されるものは、目に見えない存在のエネルギーを感じ取って、自らの力で形にしているのかな?と思う。 実際に、肉体の目に映る三次元の世界でも、私たちは、対象物の発する波長を受け取って網膜から脳に情報を送り、映像化している。色、それぞれに固有の波長があり、それは科学的に証明できる。音が色に見える人もいる。共感覚と呼ばれる。 第三の目で見るものも、原理は同じだろう。ただ、殆どの現代人は、松果体が働いていないので、共感を得にくいのだ。共感されないものは、無いものとされる。勘違いか

大自然がそうであるように

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 おはようございます 早起きの蝉たちは、朝から大合唱だ 「僕たちは、生きている!生きているぞ~!」と、歓喜の歌を歌っている この2日間、強風が吹き荒れていたので、すっかり空気が入れ替わった 風が吹かなければ、都会に住む生き物は酸欠となってしまう 自然から切り離された人工的な土地に住んでいても、大自然の恩恵を受けることができている 自然は、別け隔てなく、全ての生き物を生かそうとしてくれる 今、無意識に行っている呼吸は、植物たちの力と風の力がなければ、成り立たない。私たちは、朝目覚めた瞬間から、既に何らかの力に生かされている。 ということをベランダで体操しながら気がついた 朝は、体内の気の巡りが淀んでいるので、気分的には、どんよりしている。水を一杯飲んで、珈琲を飲んでも、みぞおちあたりが重苦しい。今日は仕事なので、ちょっとナーバスになっているのかも。 体内の気を巡らせるために、ベランダに出て、深呼吸をし、なんちゃって気功体操をしてみる。蝉の声に全身が包まれる。「生きてる!生きてる!」の歌声に、私の細胞一つひとつが感化され身震いを始める。「生きてる!生かされている!」と。 風が優しく、腕を撫でてくれる。太陽の光りも、ふんわりあたたかく、じんわり浸透してくる。別け隔てない大いなる愛に包まれて、みぞおちあたりの固まりが、柔らかく溶けていく。 目を瞑った瞬間に、目蓋の裏を一筋の光の帯がシュッと通る。ピンクオレンジ色の優しい色彩。小振りの可愛らしい龍の姿が見えた。一瞬で、パッと消えたけど、「おはよう!朝だね!」と挨拶をする。大自然のお使い、龍や精霊たちが、この都会でもあちこちに飛び回り、私たちが生命を維持できるように、力を貸してくれている。エネルギーを循環させて、新鮮なパワーを振り撒いてくれている。 彼らは、愛の存在だから、「あいつは、意地悪だから、空気をやらない。お日様の光を当ててやらない。」なんて考えない。優しい人も気難しい人も、みんなを大切に生かそうとしてくれている。私たちが、大自然の働きに気がついてくれるのをひたすら願いながら。 「愛は循環です。大自然は、循環です。そして、命は、循環です。」 そんなメッセージを受けとったような気がしました。 大自然の大いなる循環に生かされて、私は今朝も呼吸をしている。美しい空と雲を眺め、心の淀みを浄化する。こんなにも愛されているのだと実感

パラレル移行~美しいもの探し

 前回blogの続き ぜひ、前回を読んでから今回に目を通していただきたい。 パラレル移行のテクニックを紹介。 神原康弥さんに教わった。 「美しいもの探し」である。 朝から目にした美しいものを30個、メモする。それを毎日実行する。それだけで、高い周波数のパラレルに移行していく。 美しいものは、周波数が高い。美しいものを想起し、心に描くことで、自分の周波数が変化する。 私は、道々、美しいと感じるものを発見しつつ電車に乗ったら、電車の意識と繋がり、涙が溢れ止まらなくなった経験がある。電車にも意識はある。電車は、私たちを愛で包んでくれている。つり革もドアも椅子も、全てが愛で出来ている。私たちへの思いやりに溢れている。電車からこんなに愛されていたのだと気がついて、感謝で涙が止まらなくなった。「人を乗せて走ることが大好きなんだよ。」と電車は生き生き働いていた。周波数が高くなると、愛に満ちた世界に移行する。動物も植物も機械さえも、私たちに好意的に話かけてくる。私たちの周りは全て愛に満たされている。その世界は確実に存在する。 ただ、私の場合は、その世界を垣間見たに過ぎない。周波数は刻々と変化するので、私の意識は揺れ動いている。感動で涙が止まらない世界から、今は、落ち着いた世界にフォーカスしている。 美しいもの探しをすると、あなたの周波数はどんどん高くなるので、試してみてほしい。世界が変化する。パラレルをすいすい移行する感覚を味わうだろう。 美しいもの探しの効果に気がついた頃、昔の知り合いに連絡を取ってみたことがある。大好きな人だったけど、会わなくなった人。またお付き合いを再開できたらいいなあと思った。 LINEしてみたら、すぐ連絡をいただいた。仕事で行き詰まりを感じているらしいことが分かった。うまくいかない現実に焦りや苛立ちを感じているらしかった。どんなに行動しても道が開けない。それはつらいだろうなと思った。 私は、美しいもの探しを提案した。自分の体験を踏まえ、効果的と信じていたからこそ、彼女にも幸せになってほしかった。彼女のパラレルには、仕事が、うまくいく未来もあるはずだから。 彼女からバタッと返信が無くなった。美しいもの探しを実行したのかどうかわからない。意味不明なスピリチュアルなことを言い出した私を気味悪く感じたのかもしれない。 過去、大好きな彼女だった。幸せになってほしかっ

パラレル移行~夢の中のメッセージ

 昨日投稿したblogについて 昨夜、寝入りばなにウトウトしていた時に、頭の中に声が響いた。 「あなたを表しなさい。」 ああ、宇宙からメッセージが来たんだなあと思いながら、眠ってしまった。朝、起きて、覚えているうちにと、記録している。 宇宙には、共振共鳴の法則がある。自分が発した周波数と同じものを引き寄せる。自分の中に恐怖という周波数があれば、目の前に恐怖を想起させる何かが出現する。 昨日のblogの例で言うと、恐怖テレパシーおじさんが、自分の目の前で怒り出し、恐怖にかられた場合は、おじさんと同じ周波数で共鳴している証拠となる。 恐怖という周波数が、善いとか悪いとか評価するつもりはない。その魂が経験したくて選択している周波数なのであるから、相手の学びと捉え尊重する。 しかし、もし自分が、その周波数が心地悪いのであれば、それは自分の魂が求めていない(もう経験しなくていい)のであるから、自分の中にあった恐怖を手放していけばよい。 恐怖テレパシーおじさんが自分の前に現れてくれたことにより、自分の中にも同じ恐怖が存在していることが分かりました。おじさんに共鳴しているこの周波数は、もう必要ないので、手放します。恐怖により経験し学んだことに感謝します。 と、宣言してみるのも一つの方法だ。 私たちは、本来の自分に戻ろうとしている。本来の自分ではないのに身に付けてしまった周波数を、気がついた段階で、一つひとつ、手放していく。気がつけるのは、手放しのチャンスなので、恐怖おじさん出現は、ラッキーなのである。 「あなたを表しなさい。」とは、本来の自分のあり方で、自分の心地よい周波数を発して生きることだと思う。 例えば、心地よい周波数が、安心、リラックス、愛、調和、喜び等であれば、どんな時も、その感情を選択していく。安心周波数は、高い周波数なので、それに共振共鳴した出来事が目の前に起きる。いつも喜びに満ち溢れ、輝いている人々としか出会わなくなっていく。 ここで、ひとつ、疑問が出てくる。 私は、愛や感謝のような周波数を選択したいのに、なぜ、怒っている人に出会うのか?どうしても、低い周波数に引きずられてしまい、恐怖にかられてしまう。と。 人は、多面体である。 怒りや恐怖に染まった面もあれば、優しさに彩られた美しい面もある。相手のどの面にフォーカスしているかは、相対する自分次第。 元々は、宇宙根

テレパシーおじさん登場

 昨日、8月8日 東京は、朝から3時近くまで雨だった。台風の影響は、思った程ではなかったが、激しい雨が滝のごとく道路を叩きつけていた。 台風のせいなのか、ライオンズゲートのせいなのか(宇宙エネルギーが最高潮に達する日らしい)。朝から全身が重かった。一日中、図書館カウンターでの仕事が入っていたので、出勤前に少しでもエネルギー回復に努めた。 水を飲む。簡単な体操をする。気功。大好きな柑橘系のオードトワレを吹きかける。植物や亀に話しかける。神様とご先祖様に、「今日一日、よい仕事ができますように。助けてください。」と祈る。等々。 この体調であれば、一日グッタリ寝ているところだが、仕事なのでそうもいかない。神様のような高次元の存在は、助けてと祈れば、きちんと助けてくれるらしいので、実験もしてみたかった。 さて、図書館でのカウンター対応はデビューしたばかり。まだ何も分からず、オロオロしながら優しい先輩に背後を守られ、一つひとつ、夢中でこなしていった。いろいろ教わることは楽しい。つい、根掘り葉掘り聞いてしまい、先輩を困らせる場面もあり。「焦らずゆっくり覚えて大丈夫です。レアケースは、都度、相談していきましょう。」と、たしなめられた。想像力豊かな私なので、あんな時、こんなケースはどうなの?と思うと、つい回答を焦って得ようとしてしまう。不安がベースにあるからだと思う。私の中に、こんな気質があるんだなあと改めて理解した。他人と接すると、確かに、自分のことを深く知る機会となる。社会に出るのも学びに繋がる。有難いなあと素直に感じた。 ある、一人の高齢者男性がやってきて、黙って図書館利用者カードを、私に向かい差し出してきた。 何だろう?予約本の受け取り?確認のため話しかけようとした瞬間、背後の先輩が、○○新聞をその高齢者に渡した。カードと引き替えに、特定の新聞を読めるルールらしい。 「今の利用者さん、何か言いました?私、聞こえませんでした。」 先輩「あの人は、いつも同じ新聞なのです。こちらから質問すると怒り出す気難しい人だから、いつもこうやって対応します。」 へえ~。常連ルールか。 馴染みの居酒屋へ行くと、オカミサンが、「はい、いつもの。」と言って、好みの酒とツマミをサッと出してくれる。そんな世界が大好きな世代か。きっと奥様も、何も言わずともアレコレ世話をしてくれて、彼の口癖は「言われないと

楽しい川辺

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 美しい緑、川、空 北欧かと見紛うばかりだが、こちらは東京と千葉の県境を流れる江戸川の風景 歌に有名なあの 矢切の渡しを体験してきた コロナ禍の影響か、真夏の炎天下のせいか分からないが、他に客は無し 私と友人、3人を乗せ、どんぶら、どんぶら木船が川面を進む 16キロ離れた海からの風の通り道 陸地より力強い海風が心地よく、心がスカッとする。淀んだ黒い思いも、全て吹き飛んでいく。 日焼けした若い船頭さんが、余程暇を持て余していたのだろうか「あと5000円払えば、ディズニーランドまで行ってあげるよ!」との軽口 ははは(笑) 笑いながらも、半ば本気で想像。この古風な木船でディズニーランドに乗り着けたら、それはそれで贅沢だなあ。矢切クルージング、最高だ。 川向こうは、何も無かった。東京側は、柴又帝釈天とか記念館とか、華やかなのだが、松戸側は、人家が遥か遠くに見える開けた土地。川を渡っただけで、世界が180度変わる。三途の川か? 土手上の東屋で、密かにクーラーBOXに忍ばせてきた缶ビールで乾杯。1キロ四方、殆ど人影もなく、あるのは緑と鳥と雲と風。50代の女三名。蟻が虫の死骸を神輿のように運んでいるのを眺め、蟻の台詞を想像しながら、まったり過ごした。 最近、夕焼け空や、星が、今までに無いくらい綺麗じゃない?という意見が三名の共通認識。世の中は、いろいろ混乱してはいるが、目にするのは心洗われる美しい光景ばかりだ。 会話も殆ど無く、ただ風に吹かれてぼんやり座っている私たち。この関係が心地よい。言葉によるコミュニケーションが無くても、安心する。滅多に会えない友人同士だけど、変わらない繋がりがある。 昨夜、Chie ArtさんのYouTube動画で、人との関係性が今後変わっていく。という話をされていた。大切な人間関係は、長い時間共に過ごしたか、ではない。これからは、同じ波動かどうかが、大切になるそうだ。出会った頃は、同じような波動だったから夫婦や友人になったけど、月日が経ち、魂成長のスピードにより、波動が変化してくる。波動が違うと、魂の学びの種類も異なってくる。だから、長い時間一緒に過ごしたからという情で、心地よくないのに関係を続ける必要はない。さらに、波動の関係になると、よりドライに軽やかな関係になっていく。滅多に会わなくても、共に過ごす時間が殆ど無くても、互いに大切に思い、相手の幸せ

神秘

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 本日、日没の頃 東の空 不思議だ 天空で何が起きているのか 今の季節 夜空の星の中で、ひときわ強烈に輝いているのは、木星らしい。東側の空、ビックリするくらい、ピカピカしている。UFOじゃないか?と本気で思ったくらい。仰天する光。星明りで読書出来そう。電気を消した部屋の中に、スポットライトみたいに差し込んでくる。星の光に照らされて眠るなんて、神秘的。都会でも星が明るい。 今日読んだ本に、細胞は、メッセージを伝えることが出来るとあった。だから、植物も動物もテレパシーで会話している。本当は、人間もその仲間なのだけど、思考が邪魔するのでテレパシーをキャッチし辛くなっている。人間は、道端の植物の囁きを聴くことはないが、植物は、私たちの思いを読んでいる。動物も、私たちの本音をテレパシーで理解する。潜在意識では互いに情報のやり取りをしているのかもしれない。 という話を、さっき夫にしていて、「だから、うちの亀さんたちは、私たちが言ってること、ちゃんと解っているんだよ。」と話していたら、二匹いる亀たちが、水槽から顔を出してきた。「そう、そう、その通り!」と、アピールしてきた。この子たちは、本当に私たちの心を読んでいるとしか思えない。 個の時代に移行していくにつれ、好きな事や才能のある事をやると良いと世間で言われてはいるが、果たして、自分が何を好きなのか?得意なのか?悩んでいる人も多いようだ。私も、よくblogに、好きなことをして生きていく。と表現しているが、自分が何をしたいのか?いまいち分かっていない。ぼんやり見えてはいるが、正解なのか自信がない。先ほど、動画を見ていたら「命を使いたいかどうか?」と考えてみると良いよ。とアドバイスされた。時間は命を使うこと。私たちの時間は有限だ。人間やっていれば寿命がある。1分間、何かをやっていれば、1分間、命を使ったことになる。この事には、ハッとさせられた。 ただ、今の私には、何もしていない時間も大切。ひとり空を見てぼ~っとするとか。友人と河川敷で風に吹かれるとか。感覚を解放させること。これも贅沢で豊かな命の使い方だと思う。余白は可能性の宝庫とも言う。 断片的に、ちょっと深い思いが巡ったので、記録しておく。何かの布石になるかも。 最後に、不可解なことのメモ。 最近、やたら特定の情報がやってくる。 キーワードは 縄文時代、レムリア、ムー、長野、八ヶ

みつばちからのメッセージ

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 「なぜ、みつばち? なぜ、みつばちがシンボルなの? なぜ、みつばちが大切なの? うん 毎日の食事、水、空気 みつばちや小さないのち 植物のおかげで僕たちは生きることができているんだよ だから みつばちが幸せ は 僕たちが幸せ なんだ だからみつばちと仲良くする 幸せになる魔法の言葉 ちちんぷいぷい ちちんぶんぶん 幸せになあれ みつばちは美味しい空気が大好きなんだ みんなも森にはいったら深呼吸して ああ、空気が美味しいって言うでしょう それは、空気がきれいってことだよ 空気をきれいにするにはどうしたらいいかな みつばちたちは美味しい水が大好きなんだ 人間やいろいろな動物も体の中にたくさんの水があるね、だから 水がきれいで美味しいと 元気で美しくなる 働き蜂は女の子だからキレイになりたいのかな? みつばちたちは元気でキレイな土が大好き みつばちというと、ハチミツってなるね そのハチミツは土からニョキニョキ伸びた 植物のお花から集めるね 土がキレイで元気だとハチミツが美味しくなるんだよ みつばちはみんながニコニコ食事をする笑顔が好きなんだ みつばちたちはお花の受粉をしてくれる つまりお花の結婚式だね そのおかげで、くだものや野菜が生まれ 僕たちは美味しい食事をニコニコいただけるんだ みつばちたちは、昆虫、動物、植物、海のいのち みんなで楽しく助け合うのが好きなんだ つまり自分だけでなく みんなが幸せになると嬉しいんだね 人間ってロボットだっけ? あっ!人間は動物だね だから、みつばち、昆虫、植物、海のいのちと 助け合えば幸せなんだよ みつばちたちは地球が大好きなんだ うつくしい空気 うつくしい水 うつくしい土 うつくしい食べ物 うつくしい仲間 みんながニコニコしている地球で 暮らせることが幸せなんだ みつばちたちが教えてくれた みんなが幸せになる 6つの秘密 それを叶える その秘密を見つけて叶える 魔法の言葉は ちちんぷいぷい ちちんぶんぶん 幸せにな~れ 時は来た さあ はじめよう」 『コロナと胎内記憶とみつばち』 船橋康貴(ハニーファーム) 池川明(産婦人科医) ヒカルランド発行 冒頭の詩を抜粋した 以下は私の感想 胎内記憶を語る子どもたちに多く接してきた池川先生が言う 最近生まれる子どもたちは、遠く宇宙から地球に生まれたくてやってくる 何のためか? 楽しむため

透明になっていく

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 毎日暑い。 皆さん、体調は如何だろうか。 私は、熱中症には気をつけているつもりだが、昨日朝、職場である図書館へ歩いて向かう際に、(徒歩2分の近さ!)太陽光線の強力さに、微かな吐き気を感じ、ヤバイと思った。水をガブ飲みし、直ぐ様排出されてしまう。水は常温でチビチビ飲むのが鉄則。分かっちゃいるが、冷たいミネラルウォーターを一気飲みする爽快感から抜けられない。いつまでも若者気分では身体はついていかない。自分のことは棚に上げて、何だが、暑さ本番、気をつけてください。 今朝は、野菜たっぷり、鶏肉トマト味スープをコトコト煮込んだ。冷蔵庫にある野菜類を適当に切り分け、チキンコンソメとトマトの缶詰で味付けしたシンプルなスープ。 弱火でコトコト煮ながら、際限なく出現するアクをひたすらすくっていく。すくってもすくっても、アクは漂う。 若い時は、料理が嫌いだった。アクをすくった試しはなかった。煮込み料理は、アクまみれのまま食卓に。理由は、面倒だから。別に、アクを食べたって、病気になるわけじゃないし。面倒くさがりながら、やっとの思いで作ったカレーやスープを何も言わずにモリモリ食べてくれていた夫には、感謝しかない。味は、濁っていたんだろうなあ。雑味まみれの料理は、私の精神そのものだったろう。 定職を離れ、二年近く静養し、最近始めたアルバイト。昔の自分の未熟さを思い知らされ赤面することが多い。図書館の指導役の方を見るにつけ、目に見えるほんの一部の狭い狭い世界だけを見てそれが全てだと疑わなかった自分と今、現実を通して対面している。当事、私がいかに周りに許されていたのか、痛感しすぎて胸が痛い。あれもこれも、昔の私、そのものだ。片寄った正義感で断じていく危うさ。これが因果応報なのだろうか。私が発したエネルギーは、やがて確実に自分に還ってくる。自分が過去してきたことなので、都度、反省とともに体験する。その度に、当時の相手に向かい、心の中で謝罪する。「あなたを受け入れなくて、許せなくて、信じなくて、ごめんなさい。」と。謝る相手は山ほどいる。いつ尽きるかわからない。 そんなことを思いながら、今朝のスープ作り。アクを根気よくすくう。少しでも透き通った味になりますように。濁りを発見し、一匙一匙、取り出していくのみ。アクも、人生には大切な醍醐味だ。雑味があったからこそ、人生は彩り豊かになった。苦味、苦しみ、悲

あきらめとあきらめないを学ぶ

 「ユニバーサルデザインやバリアフリーをだれもにとって便利で快適で安心なものと説明する人がいるし、わたしもかつてそうだったが、いまは そんなもんねえぞ と言い切る。 点字ブロックは視覚障がい者にとって便利で安心だが、でこぼこしているので車いすやベビーカーを使う人にとってはガタガタして不便だ。だれかにとっての便利は、だれかにとっての不便。だれかにとっての幸せは、だれかにとっての不幸。 ユニバーサルデザインとは、だれもにとって便利で快適で安心なもの ではなく、前向きなあきらめと、やさしい妥協と、心からの敬意があるもの だとわたしは思う。」 『もうあかんわ日記』岸田奈美 著 ライツ社 171頁より この部分を読んで、強烈に思い出したことがある。未熟な自分がとても恥ずかしいが、書いておく。 10年ほど前のこと。図書館では、いちおう、一通りのことが出来るようになっていた。その地域館では、ベテランと呼ばれるような立場だった。未熟な人間にありがちな、思い上がりがあった時期だ。 ある日、突然、小学生のユニバーサルデザイン学習の説明をする羽目になった。図書館内を案内し、ユニバーサルデザインを学んでもらう。担当が急に都合が悪くなり、急遽一時間で知識を詰め込み小学生の前に立った。幸い図書館なので、ユニバーサルデザイン関連書籍は山ほどある。一時間でエッセンスを整理した。図書には如何なる知識も網羅され、私たちはそれにより知識欲を満たし、生活をより良くすることができると信じて疑わなかった。小学生10人を引き連れ、館内を案内し、点字ブロックや誰でもトイレなど一般的な知識を披露した。完璧だと思った。説明を終え、解散しようとしたら、小学生から要望された。「館内のお客様にインタビューしたい。」と。そこで目が覚めた。教師の指導かもしれないが、実際に利用する人々の声を聞く大切さを小学生から教えられた。教科書は、社会へのほんの入り口に過ぎない。本当のところはどうなのか?現実を知り、考え、問題点と改善策を整理していく。この日、私は恥ずかしさと共に、図書館の外に目を向ける切っ掛けをいただいたのだった。 初めての障がい者サービスの相手は、車椅子の高齢者男性Kさんだった。Kさんは知識欲旺盛で、問題意識が高く、役所へ怒鳴り込んでは、色々な町の問題点を(主にバリアフリー)を改善していた気難しい人だった。電話で本の要望が