ミクロとマクロ

 意味深い夢を、見た

まず、ひとつめ

夢の中で、「ミクロとマクロ」と言われた。

自分の潜在意識からか?高次元からか?実生活に対するアドバイスと思われた。そもそも、私は感覚人間なので、ミクロだとかマクロだとか、そんな横文字ワードを使うキャラではない。明らかに三次元自分ではない何かからのメッセージだろう。

先ほど、ネットで調べてみた。

ミクロ=ミクロ視点。部分的、具体的

マクロ=マクロ視点。全体的、抽象的

つまり、自分の考えに凝り固まらず、色んな視点から物事を見て判断したらよいよ。ということかな。

人の数だけ、視点は違う。誰かに都合のよいことは、誰かに都合が悪かったり。視点の違いは正義の違いとなり、喧嘩や戦争にまで発展していく。だから、問題点に近寄ったり、遠くから眺めてみたり、また、別の角度からズームインしてみたり。いろんな立場の視点から見ると、今までと違うアイデアが出てきたりする。

昨日は、バイト先で、ちょっとだけムカッときたことがあった。私が質問したことに職員が答えてくれたことが、モヤッとしたのだ。私から見れば、せっかくやってることが、単なるポーズでしかなく、外部から責められないように、ただ、「やってます。」と言えるようにしているだけ。私は、やってることの意味を問うたのだが、「そこまで考える必要ない。」とバッサリ切り捨てられた。ムカッとする感情が沸き上がるのを自覚した。私はこういうのにすごく拘る性格なんだなあと改めて理解できた。

ひとつの指示に対しても、意味や、目的を理解していれば応用が利く。トラブルが起きた時にも、相手に説明することも可能になるし、状況に応じ、やり方を現実に合わせ変えることも出来る。Aにはaというやり方を。Bにはbという言い方を。と、単なる反応?だけをロボットのようにインプットする仕事は、思考停止人間しか産み出さない。こういう指示しか出せない人間は残念だ。

ただし、今の私は、目の前の現実は自分の鏡であることを知っているので、自分のネガティブな感情を受け止め、手放すことにした。

私の拘りは、私だけの正義でしかない。どうでもいい小さなことだ。ただ、どうでもいいと表現すると、お仕事に申し訳ないので、

「なんくるないさぁ~」(沖縄の方言)

を何度も心の中で呟いた。

しかし、なかなか手放せない。ムカッの背後には微かな悲しみも感じられる。仕事を丁寧にやりたい。しかし、立場は単なるバイト。あなたの役割はここまでですよ。だから知る必要ありませんよ。言われた通り、何も考えずやってればいいんですよ。という雰囲気に、今の立場を思い知らされたからだろう。私は、こういうのが悲しいんだな。いずれ、私はバイトから離れ、誰から指示されるわけでもない、自立した働き方をしよう。と心に決めた。まあ、バイトは自分の本代を稼ぐためなので、割りきろう。

ということが、昼間起きていた。おそらくそれに対するアドバイスが、ミクロとマクロだろう。

正職員や、責任者の視点になってみる。ポーズでやる仕事は、組織の安心を守るため。責任逃れのため。しかし、限られた人数と予算で、要の部分を遂行するには、たくさん割り切らなければ現実的ではない。ただ、「やれないので無理です!」と明言すると世間は叩いてくる。彼らは一番安全な方便を知っている。ある意味賢いのだ。これが地球の処世術だ。

地球の処世術を使う仕事は、今までは生きるために必要だったけど、私は、もういいやと思う。どこかの大きな組織に依存するのではなく、小さくていいから、最低限の糧を得られる仕事を自分で編みだそう。そう決意したら、気持ちが晴れ晴れした。そう考えると、自分を進化させるために昼間の出来事があり、嫌な役割を担ってくれた職員さんが、天使に思えた。

もうひとつの夢は

知人が海沿いでお店を開いたので、訪問した。周りは緑に満ち溢れ、自然豊かな素晴らしい環境。お店は、内部がスタジオのようになっていて、スタッフが録音に専念していた。せっかく訪問したけど忙しそうだから、帰ろう。そうして踵を返した。

突然目の前に知人が現れた。少し怒っている。固い表情。私に対し警戒している感じ。

(おそらく現実で、彼女の新オープンの事業スタッフに誘われたが、断った経緯があったので、その記憶から、彼女が気持ちを強ばらせているイメージになったのかな)

次の瞬間、そのスタジオの扉が大きく開き、目の前に海が広がった。しかし、近すぎやしないか?波打ち際が、もう扉ギリギリまで打ち寄せている。

この海は気持ちいいだろうなあと思った途端、私はバランスを崩し、海の中で転んだ。海中はあたたかく、予想通り気持ちが良かった。

しかし、私には懸念が。

もしも、満ち潮や高潮、嵐がきたら?彼女の店は波に飲まれてしまう。今はいい。波の穏やかな天候だから。

でも、いくら海が気持ちがよいからと言っても、これではあまりに近すぎる。天気が変化したらひとたまりもない。「海が好き!」だけでは、近視眼的すぎる。もっと視点を引いてみないと。

そんなことを思いながら目が覚めた。

夢の彼女は、現実的にコロナ以降、生き残るために知恵を絞り、新しい店を二つもオープンさせた。今までの店もあるので、三つの事業を切り盛りしている。うまくいっている状況がSNSで流れていたので、安心していた。しかし、最中に入院し、げっそり痩せたりしているので、心配もあった。

夢の中の「海」は、シンボルであろう。

彼女の人生なので、私は見守る立場だ。波乱万丈も平穏も、彼女が求めて経験する人生だ。ただ、小心者の私は、

どうか、海がいつまでも穏やかでありますように。

と祈りたい。

まあ、彼女はとてもタフなので、何があっても乗り越える、すごいヒトだから、大丈夫!

そうそう

気がついたら、ブログ投稿が101件に。

100件めは、記念になる内容にしようと目論んでいたが、すっかり忘れていた。

記念とかあまり気にしなくてよいのだな。思うようにのびのび、好きなようにやったらいいよ。何事もね。私は、記念日は得意ではない。結婚記念日も誕生日もいつも忘れてしまう。

それに、名を残そうと思わなくてもいい。人名辞典に名前を残し歴史に刻もうとか、銅像とか、記念館の名前になるとか。特許とか星の名前になるとか······私は、墓石に名を刻むのすら、望んではいない。ただ、自然に帰り循環の中へ溶け込みたい。風になりたい。そういえばそんな歌、あったよね。

大切なのは、どんな体験をしたか。天国に持って行けるのはそれだけ。名もなき先人たちが残したものに愛を感じる度に、そう思う。誰かの魂に引き継がれていくものは、生きる力。エネルギーは愛だから。

追記

「風になりたい」唄 THE BOOM


天国じゃなくても

楽園じゃなくても

あなたに会えた幸せ感じて

風になりたい


あ~。涙でる。素敵な歌詞。

私は地球から風になって飛び立つ時に、きっとこの歌を歌うだろうな。

あなたの手の温もりを感じたこと。それが最高の幸せな体験。ありがとう。

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