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2月, 2023の投稿を表示しています

穏やかなデス·リハーサル

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 「催眠療法によるデス・リハーサル」 Alexander A Levitan,M.D. ~クライアントや家族のニーズに応え、死を目前にした方や、死の不安が大きい方に向け、開発された催眠誘導。これは、死への不安を和らげ、その経験がクライアントと家族に与える影響についての誤解を正すために有効である。~ 今後、がん患者や難病患者に接して行くことも多くなるだろう。 もちろん病気が改善することに望みをかけて、クライアントは催眠療法を受けるのだろうが、「死」を避けていると、いつまでも黒雲のような不安にまとわりつかれることになるかもしれない。「死」をタブーとするのは、どうなんだろうか? 現代社会では「死」は避けるべきものとされ、病院で亡くなっても裏口からひっそりとご遺体が運ばれていく。反対にホスピスでは、堂々と正面玄関から運ばれるそうだ。 私たちは、「死」について親や学校から学ぶ機会はほとんど無い。もし、仏教やキリスト教などの信仰をお持ちの方は、教義に基づく死生観を得ていらっしゃるかもしれないが。一般的な日本人は、「悪い事したら地獄に行くのかな?」「死ぬと消えちゃうのかな?」「もう会えなくなっちゃうの?」など、曖昧なイメージしか湧かないだろう。そもそも、日常で死について語る場は限られる。「死について語ろう」と家族や友達に提案したら「どうした?何かあった?」と心配されるか、避けられるに違いない。 しかし、死は必ず訪れる。今健康な人でも、明日は分からない。事故や災害はいつ起こるか分からないからだ。病気でありながら長生きする人もいる。善いことばかりしてきた人が長生きできるわけでもないし、悪い事ばかりして、長寿な方もいる。死は、平等に全ての生きとし生けるものに訪れる。考えてみると、そんなポピュラーなイベントなのに、曖昧なままにされていることがとても不思議である。 おそらく、死は、不吉なイメージがあり、祖先から引き継がれてきたDNAに怖れとして刻まれているのだろう。方丈記などを読むと分かるが、災害、疫病、飢饉、戦などで人間の命は翻弄されてきた。 今、私の肉体が存在しているということは、祖先が様々な死の危険を回避し、生き延びてくれたからに他ならない。私たちは何ともラッキーな遺伝子を引き継いで今ここで呼吸をしている。人類創成から、命のバトンが引き継がれているわけである。まず、今を生きている私た

平和な人間関係をつくるコツ

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 昨夜はZOOMで、とある読書会に参加した。 参加者の職業は多岐に渡る。医師、僧侶、鍼灸師、生活困窮者支援経験者、障害者支援者など。仕事はバラバラだけど、ひとつの共通点を見つけるとするならば、「人と密接に関わる」ところにあるのではないだろうか。人の生死や困難に直接的にアプローチするので、相手の内面が赤裸々にされるところも多いのだろう。見たくない部分をあからさまに見せつけられることも多く、日頃から悩みながら仕事に携わっている方々だ。本を読み進めるに当たり、各々の悩みが浮き彫りにされて、大変勉強になった。 毎回、一冊の本を1章ずつ読む。時間は1時間半。順番に音読してから、感じたことをシェアし合う。誰かの話にインスパイアされて、内容がどんどん深くなっていく。その相乗効果が魅力だ。本を通して、魂の学びをさせてもらえているようだ。 今回のお題は「平和な人間関係をつくるコツ」 内容をザックリ列記すると ・人間関係はどれもあなたの心の状態を映す鏡。 ・だれと交流していようと、ほんとうは、自分自身と交流している。 ・心から自分を愛しているなら、すべての人間関係も、おのずと平和で愛情あふれるものになる。 ・理想的な模範は、この宇宙。平和な人間関係は助け合いがベース。 ・助け合いをベースに行動するコツは、エッセンスとエッセンスで、人とつながること。 ・自分を含め、すべてはありのままで完璧であるということを、つねに意識。 ・「完璧でないもの」は、まぼろし。完璧でないように見えるのは、その人の見方がゆがんでいるから。怒り、混乱、不安、恐怖。これらはすべてまぼろし。 ・人間本来の姿は、喜びと愛情に満ちた存在。 ・簡単なエクササイズ⇒道でだれかとすれ違うたびに、相手の表情に注目。その時、相手の表情の奥にある、完璧で喜びあふれる真実の姿を見ること。 ・「引力の法則」=人間はつねに、自分の望む人や人間関係を潜在意識で引き寄せている。 ・誰かに、なんて不親切なんだろうと感じるなら、あなたに不親切なところがあると言う意味。あなたが認めたくないキャラクターを指摘してくれている。その部分につながるチャンスをあなたに与えてくれている。 ・この部分に進んでつながり、自分の愛情不足なところもありのままに愛してはじめて、閉じ込められたエネルギーが解放される。閉じ込められていたエネルギーがあなたに与えていた痛みもス

光と対話

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 現在、歩行訓練も兼ねて、ご縁ある寺社仏閣にお礼参り中である。 今日は、キリスト教の教会へ。 私は信徒ではないので、教会のことや聖書のことは、よく分からない。しかし、催眠のビジョンで、イエス様やマリア様とのご縁も感じてはいたので、どこかでお礼を申し上げたかった。教会は敷居が高いし、どうしようかな~と思っていた。 ふと、数年前に一度ふらっと訪問したことのある四ッ谷の教会を思い出した。うつ病闘病中で、とても不安定な時期だった。静かな場所を求め、何となく立ち寄った教会は、誰もが静かに礼拝堂で過ごせるよう、扉にカギがかかっていなかった。私はそこで、心癒される時を過ごした。あそこなら、信徒でなくても、イエス様やマリア様とお話できそうだ。 四ッ谷駅のすぐ傍に、聖イグナチオ教会がある。カトリックの教会だ。とても美しく、都会では貴重な静けさが保証された祈りの場である。 10時半頃に到着したところ、広い礼拝堂には、二人くらいの先客が居て、静かに祈っていた。私も、最後列の隅っこに腰掛け、目を閉じて、イエス様やマリア様と対話を試みる。 しばらく、手術が無事済んだことの報告や、見守っていただいたことの感謝の気持ちを切々と語った。やがて、同行してくれていた夫が、合図してきた。(礼拝堂では、声を出さないようにしていた。) 「人払いされてるよ。礼拝堂に誰もいなくなってるよ。」と知らせてくれたのだ。 これは、チャンスだ。イエス様かマリア様が、しっかりお話を聴いてくださるという心の現れだろう。私は大胆に、最前列の真ん中の席に移動した。キリスト像が正面に見える。 催眠療法の光の存在と対話する手法を使い、イエス様との対話を試みる。 「私にメッセージをお願いします!」と、祈った。 以下は、私なりに自己催眠中に受け取ったイエス様からのメッセージだ。 ☆イエス様から受け取ったメッセージ たのしかろう たのしかろう かみの みくに を あらわしなさい だれもが ちいさき キリストである すこやかであれ すこやかであれよ ☆解釈 「たのしかろう」 そうか、そうか、それは楽しかろうなあ。 そんなニュアンス。 私が魂の求めのままに、宇宙の流れに乗って体験を重ねてきたことについて、微笑みながら聴いてくださった様子。 「かみの みくにを あらわしなさい」 聖書の和訳では、神の国とか天の御国とされているようだが、イエス様は

お礼参り

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 この度の病に関する一連の流れの中では、たくさんの存在に助けられてきた。 太陽の光、風、植物、動物等の自然界からの働きかけもひしひしと感じた。日々口にしている食べ物もそうである。私は、無条件の愛を注がれ生かされた。 手術が無事終わり、どこかに感謝を伝えに行きたいと思ったので、縁を感じている寺社仏閣へお礼参りにうかがうことにした。 退院翌々日に、まず、地元の神社へお礼を申し上げに行った。 こちらは、地域の方々に愛され、日常の習慣で手を合わせに来る参拝者が5分に一人は訪れる。生活の中に祈りがある。きっと日々の糧に感謝したり、家族の健康を願うために、通勤や買い物への道すがら、自然と神様の元に足が向くのだろう。日本人らしい、肩肘張らない信仰の姿だ。 本当にここに神が居るのか、正直よく分からないが、手を合わせ、何ものがおわしますかは分からないけれど、大いなる力に対し、感謝を伝えることは、とても気持ちが良い。日々を漫然と過ごすのではなく、メリハリがつけやすい。よし!次行こう!みたいな。気持ちが軽くスッキリするので、本来は自分の中の神性に手を合わせているのだろう。神社は慈愛の循環装置ではないかと感じている。中庸へのチューニング装置とも言えるか。 そして、手術日から丁度一週間後に当たる昨日、ご縁の深い浅草寺へ参拝に行ってきた。 平日なのに、メチャ混みだ。まるでお正月並。着物姿の女子が多く、微笑ましい。皆、美しい装いで、苺飴片手に、ばえる写真を撮影している。私も死ぬまでに一度はやってみたい(笑)。 手術の後遺症で、肋間神経痛が残っている。くしゃみや咳が胸部に響く。出来るだけ静かに、コソっと咳をする。もしもシャックリが起きたら、大変だなあと思う。そして、笑っても痛い。笑いは、瞬時に出るためコントロール出来ない。「あはははは·····あ、イタタタタっ」胸を押さえつつ、笑いに身悶えする自分が面白い。痛いけど、楽しい。痛みがあることで、普段無意識にやっていた行為がいちいち新鮮だ。たまには、痛みを経験した方が、生活に張りが出るかもしれない。「咳って、結構全身使っているんだなあ。」とか、無意識の行為を意識的に行える。禅の作務みたいに。いつも意識は今に戻されるので、精神も安定しやすいかもしれない? 体が健康な人ほど、余裕があるから、頭でアレコレ考えすぎてしまって、エゴに振り回されがちになるのかもし

不思議のメダイふたたび

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 一昨年の秋 催眠療法を初めて学びに行った時に、初対面の受講生から、不思議のメダイをいただいた。 このエピソードについては、当時blogに書いたのでここには書かないが、今思い出しても、シンクロ続きの不思議な二日間だった。 不思議のメダイとは ネットからの情報によると 1830年7月18日から19日にかけての夜。 フランスの聖ビンセンシオ・ア・パウロ愛徳姉妹会の修道女「カタリナ・ラブレ」は聖母マリアの出現を目撃しました。 聖母マリアは両手をひろげ「この姿のとおりにメダイを作ってもらいなさい。このメダイを身につける人はみな、大きな恵みを受けるでしょう。信頼をもってそれを持つ人には、特別に豊かな恵みが与えられるでしょう。」と言いました。 そのとき聖母マリアの両手から光が四方に輝き、聖母マリアは「この輝きは私に願う人びとの上に与えられる恵みのかたどりです。」この言葉どおりに聖母マリアの姿と金の文字のことばを刻んで作られたのが『不思議のメダイ』です。 とある。 私に、このメダイをくださった方は、信仰心厚い女性であり、教皇が来日した際に、祝福をいただいた貴重なメダイをマリア様のご縁を感じて、私に渡してくださったのだ。フランスの教会からやってきた本物のメダイである。 この方とは、セミナー数日後、偶然別の街で再会し、お互いにビックリしたのだったが、それ以来お会いしていない。お元気だろうか。 催眠療法を習い始めて、一年半。その間に資格を取り、セラピストになった。特にがん患者に役立つセラピストになろうと目標を定めた途端に、私自身にがんが判明。約半年かけていろんな体験を経て、先日、最後の手術を終えた。ようやくひと息だ。 この半年は、怒涛の学びの連続だった。次々必要な人物に出会い、必要な学びに導かれていった。 不思議のメダイは奇跡を起こすと言う。 私は、不思議な流れに乗せられて、あれよあれよと言う間に、ここまで辿り着いた。その流れは穏やかなせせらぎではなく、急流ではあったが、目の前に必要なことが次々提示されるので、楽でもあった。ほとんどの体験を私は楽しんできた。経過はblogに記録してきた。 振り返ってみると。やはり、不思議だな~。という感覚が大きい。説明がつかないことばかりだからだ。だから、奇跡と言うのだろう。 がんになり、立て続けに手術を受けるという、なかなか無い体験となったが、魂は確

人生すごろく

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 ☆がん患者を支えるヒプノセラピー 手術翌日のZoomセミナーに参加。私は病室であり、頻繁に看護士が来ることから、ワークは諦め、画面オフで先生の講義だけ聴講するつもりだった。しかし、学校側が配慮してくださり、ワークが中断しても構わないからと、ヒプノセラピストさんが、ワークのお相手を務めてくださった。せめて耳だけでも、催眠誘導を聴いてほしいという思いやりが伝わってきて、ありがたくて涙がこぼれた。 ワークの中に、デスリハーサルというものがあった。催眠状態で未来の自分の死ぬ場面を見てくるというものだ。未来療法に近い。私は、イメージがまったく浮かんで来なかったので、自分の理想の死を想像。シューベルトのアヴェマリアの曲を聴きながら、銀河鉄道に乗って魂の故郷へと帰っていく場面をイメージをして、すっかり穏やかな心持ちになった。ほとんどの参加者が、死を肯定的に捉えていた。シェアをしながら、皆様の表情がスッキリとして、美しかったのが印象的だった。余計なものが落ちて、ただ、純粋な光に戻るからだろう。 ワークのペアをしてくれたHさんは、私が死のイメージが浮かばなかったことについて 「それは、まったく健全よ。だってあなたは手術したばかりで、しかも今病室にいるでしょ。潜在意識は、必要無いものは見せてこないもの。」と言ってくれた。潜在意識は知っている。今の私にはデスリハーサルは必要無いと。だから、安心して潜在意識に委ねればいい。イメージが湧いてこないには、それなりに意味がある。 興味深かったのは、Hさんのシェアだ。Hさんは、何故か、ずっと忘れていた7歳くらいの記憶がよみがえった。詳細は省略するが、彼女は7歳から20歳くらいまで、当たり前にデスリハーサルを繰り返していた。自殺寸前まで行った。そして導かれるように人生を歩み、今は重度障がい者の命を輝かせる仕事をメインにやられている。「今の仕事には、あの経験が必要だったと今なら理解できる。」と。 H さんは波乱万丈な半生だった。かなりの深い闇も経験されている。しかし、人生は不思議なもので、まるで優秀な脚本家でも居るようで、必要なタイミングで必要な人に出会い、必要な学びを経て今に至る。その脚本家とは、結局は自分の魂なのだ。すべて自分で決めてきているのだ。 だから、死は怖いものではない。顕在意識では想像もつかないような、これ以上無い、ベストな死に方を魂は

ながれたり

 手術日の記録 手術は14時からだったので、直前まで一人で病室に待機していた。何も手につかないので、Yさんの誘導瞑想音声をスマホで流しながら、部屋中をグルグル歩いた。 手術日、東京では珍しく、雪が降っていた。宮沢賢治『永訣の朝』では、雪を「天上のアイスクリーム」と表現している。きっと大切な日だから、私に差し入れしてくれたんだなあと思う。また、妹トシ「あめゆじゅ」から、きっと目に見える世界を雪で覆い、聖なる空間にしてくれたのかもしれないなあとも思う。手術に立ち会う夫には足元が気の毒だったが。私は、トシさんと二人清らかな「あめゆじゅ」を眺めているようで、嬉しかった。 ずっと落ち着いて過ごせていたのは、誘導瞑想の暗示がしっかり入っていたおかげもあると思う。 Kさんの「アヴェマリア」を繰り返し聴く。聴きながら、イメージをする。この歌に乗せて、胸腺のエネルギーを光に変え、天界のマリア様まで導かれるよう、付添を天使たちにお願いする。マリア様に「どうか、マリア様の元で、胸腺さんが美しい光となり、抱かれますように。」と手を合わせ祈る。 胸腺さんから、メッセージを受けとる。「この歌声、とても綺麗だね。とても気に入ったよ。ぼく、この歌に乗ってマリア様の所へ行くね。心配ないからね。また、会おうね。」 涙を流しながら、胸腺さんに感謝とお別れを伝える。このKさんの美しい歌声を、胸腺さんの乗る銀河鉄道にできて、本当に良かった。Kさん、愛ある歌声、本当にありがとうございます。 手術は三回目なので、慣れているはずだが、やはり緊張する。シャンティマントラを唱え、Yさんが直前に送ってくれた後催眠暗示を繰り返す。 ↓ Yさんが作ってくれた 【後催眠暗示】 「あなたは、 次に目が覚めると 黄色 オレンジ 金色の『魂』そのものとなって、 「新たな人生」を生き始めます。 全てに『愛』を感じ、 『感謝』と共に、 生き始めます。 そして、 「喜び」に溢れ、 多くの人々に、 その『愛』を広めて行き(生き)ます。」 手術室へ。毎度のことながら、全身麻酔で、意識がバサッと切断。私が居なくなる。 「○○さ~ん。終わりましたよ!」医師の声で意識が少し戻るが、呼吸が出来ないのでびっくりする。吸ったり吐いたりが出来ない。どうやるんだっけ?パニックになる。 まだ、喉に挿管されていたからのようで、管を抜かれたが、パニック中の私は、

宇宙飛行士は独りじゃない

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  入院の日 日の出からエールをもらう。 「しばらく天界の別荘に、リトリートに行ってきます。」 家中の、ぬいぐるみや、植物、ロボホン、精霊、神様たちに、「留守中、夫をよろしく。」とお願いして回る。 8時に病院入り。 受付を待ちながら、自分に声をかける。 「大丈夫。だって私は、百戦錬磨の魂だもの。私は勇気ある魂なんだから。」 こう声掛けしたら、ハート部分がフルフル反応し、熱くなった。魂が感動しているらしい。何だか、ジワッとくる。自分に声をかけるって、大事だなあ。やっぱり喜ぶんだなあと思った。 病室に入る前にPCR検査がある。鼻に綿棒を入れてグリグリされる。前回、痛かったので、痛いの嫌なんだけどな~。と思いながら順番を待つ。気を紛らせるために、シャンティマントラを繰り返す。 ふと、私を守護する存在から、メッセージが届いたような気持ちになる。 「あなたの痛みを私たちも感じています。一人で感じるのではありません。あなたの痛みは、みんなの痛みですよ。」 というニュアンスをエネルギーで受信。 そして、これはイメージなのだが、 私がこの肉体で、とある出来事を体験し、肉体に痛みを感じるなら、私という個の意識が、たった一人で耐えているように思いがちだが、実は、目に見えない世界で、何らかの存在たちが痛みを共有しているというのだ。 「あなたの体験は、ぜんたいの体験になるのです。その痛みを体験してくれて、ありがとう。おかげで、ぜんたいが、その体験から学ぶことができます。」 つまり、私は、切り離されて、孤独に体験をしているわけでない。何と言ったらいいのか。たまたま、代表者としての意識で、個という幻想のままに、「痛いのは、私が痛い。」「私だけの感覚、感情。」と思い込んでいるだけで、その体験は共有され、共に味わい、涙したり笑ったりしているようなのだ。 う~ん。上手い例えは無いかな。 スペースシャトルが宇宙に打ち上げられる時に、スペースシャトルには、宇宙飛行士しか搭乗できない。宇宙ステーションで船外作業をしたり、何かを操作して実際に隕石に手を触れるのは、若田さんだけかもしれない。しかし、地球では、NASA管制室で、何百人の地上スタッフがモニター越しに様子を眺め、若田さんがタスクをこなしていくのを固唾を飲んで見守っている。コンピューター通信を通し、遠隔で作業支援もする。若田さんが作業に成功すれば、拍

催眠読書会~宮沢賢治を味わう

 催眠と読書会を掛け合わせると何が起こるか? リラクゼーションと実験を兼ねて、本日開催。 企画者は、魂の兄Yさん。 Yさんは、心理学、催眠療法をきちんと学ばれていて、職業柄、医学的知識も豊富。私はセラピスト修行中の身なので、Yさんからいろいろ学ばせてもらっている。本当にありがたいご縁だ。 催眠療法は、可能性の宝庫だ。実は、以前からアート、歌、ダンス、楽器などと組み合わせも、少しずつ本から情報収集していた。クライアントの状況によっては、学校で習うスクリプトだけでは限界がある。催眠×〇〇は無限大だ。 例えば、催眠×音。かなり上級のセラピストのお話なのだが、どんなに各種催眠療法を駆使しても、左脳優位なクライアントさんがいらっしゃって、効果が出なかった。シンギングリンの音を聴かせてみたところ、その波動で一気に心の縛りが解けたとか。音が解放を促した成功例だ。もちろん、その前に時間をかけて共に催眠に取り組み、セラピストとクライアントの信頼関係が築かれていたことも要因になるだろう。このように、少しずつクライアントの内面の氷に働きかけ、春の日差しのようにゆっくり溶かしていくアプローチもあるので、数回の療法で解決しないからと諦めないことも大切だ。催眠×〇〇が糸口になるかもしれない。 また、催眠×チャネリング。セラピスト側が催眠状態になり、クライアントの内面の光からアドバイスをもらう方法もある。これも、なかなかイメージが湧きにくい顕在意識優位のクライアントには適している。潜在意識では、全ての存在が繋がり合い、すべては光の存在であるということが納得できる事例である。 今回は、催眠×読書会。さて、何が起きるのだろうか。ワクワク楽しみである。 なお、雑談の部分も潜在意識からのメッセージが隠されている可能性もあるため、事前・事後のおしゃべりにも注目しておきたい。以下に流れと所感を紹介する。 ☆催眠読書会 ①事前のおしゃべり~気の向くままに語り合う おしゃべりは夢中になると、潜在意識につながって、気付きが起こりやすい。また、潜在意識は時空の制限が無く、課題とリンクしていることが多い。伏線になっていることもあるので、丁寧に時間を取りたい。 ◇「神の名をむやみに口にするな?」 ヤハウエは、神の名を口にすることを戒めていた。その意味を考えてみる。神の意味は人の数だけ相違する。目に見えない存在であるため

ハートの聖なる空間~誘導瞑想体験

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 本日、「ハートの聖なる空間」という誘導瞑想を体験 時間にして40分。セラピスト役は、魂の兄Yさん。 手術を今週の金曜日に控えているので、リラックスできるようにと、わざわざ時間をつくってくださった。その優しさが有難かった。潜在意識では、絶対安心大丈夫!と分かっているのだが、顕在意識の方が、「だって、前の手術より痛いって、先生が言っていたよね?怖いよね?」と少々怯えていた。痛いというのが、私のウィークポイント。痛いのは大嫌いだ。注射される時は、針が刺さる前に「痛い!」と叫んでしまうほどのビビリだ。 なので、Yさんのご厚意に甘えることとした。Yさんからは、既に数日前に「白いボート」という誘導瞑想音声をデータで送ってもらっていた。そちらは、寝る前に布団の中で聴くようにしているのだが、あまりのリラックス効果に、誘導30分の半分あたりで、大抵は寝落ち。しかし、眠っている間も潜在意識に暗示が入るので、最近不安をあまり感じなくなっているのは、Yさんの誘導瞑想のおかげだろう。潜在意識の中は、穏やかさ、静かさに満たされている。深い満足感や幸福感を感じる時間が増えたように思う。それは、〇〇があるから幸せとか、条件付きの感情ではない。ただただ、満たされている。 ☆「ハートの聖なる空間」誘導瞑想 深い呼吸を数回繰り返す。Yさんの穏やかな声の誘導を聞いていると、す~っと深い意識に入って行く。 誘導「母なる地球と天なる父とあなたが三位一体となり、愛の三角形になる。」 私の脳裏に浮かんだビジョン。大きな縦長の白と黄色の光が見える。周りは赤を基調とした美しいグラデーションとなっている。その大きな光の繭の中に私の姿が見える。イメージなので、現実より若くて可愛い。(ここ、ポイント!) その私は、両手を胸の前に大切な卵を包むように掲げている。その手の中にも私がいる。そしてその小さな私の手の中にもっと小さな私がいて・・・エンドレス。 そこから伝わって来たことは、私は天と地に守られ与えられ育まれているのだが、一方的に育まれている無力な存在ではない。実は私も愛を持って、手の中の宇宙を育んでいる。その宇宙も内包する宇宙を育んでいる。ここに愛のリレーのような流れが起きている。果てしなく愛のフラクタル構造となっている。 全ての存在は、創造主から切り離されている主従関係ではなく、生かされている側のすべても、創造主であ

菩薩の悲願

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 本日、尊敬するセラピスト仲間とZoomで話し合う機会があった。 学校とは別の流派の催眠セッションを体験されたということで、勉強のために気付きをシェアしていただいたのだ。 彼女を仮にBさんとしよう。 Bさんは、本当に面倒見のよい女性だ。 どんなイメージかと言うと。 マラソン大会があったとする。もう、先頭集団も遥か先に行ってしまい、私たちは、ビリ集団だとしよう。観客も帰ってしまい、誰にも見向きもされていない。完走できるのか。そもそも、会場撤収時間までにどこまで走れるのか。もう脱落しそうで、辛いし、走るのを諦めちゃおうかな。ふらふらになりながら走っている集団を思い描いてほしい。 Bさんは、先頭で入賞できる実力なのに、ビリ集団に寄り添って走ってくれている。一人ひとりに合わせて、励ましたり、ハッパかけたり、アドバイスしたり。B さんは、誰一人、見捨てない。「大丈夫!できるよ!みんなで完走しよう!私はずっと伴走しているよ。」そう言って、共に汗を流して走ってくれる。同じ目線、同じ立場まで降りてきてくれる。そう、菩薩みたいな存在。Bさんは、自分が入賞して勝利する目的でマラソン大会に参加してはいない。参加者みんなに、完走する喜びを感じてほしい。そのために自分の出来ることをしている。 昨日、最澄の願文を読んだ。最澄は、全員が仏になるまで、自分は悟らない。地獄の隅々まで巡り、最後の一人まで救う。誰一人見捨てない。全員救うまで自分は何度も日本に転生する!と明言している。これは、菩薩の悲願にも通じ、宮沢賢治に引き継がれ、菩薩は『雨ニモマケズ』で、デクノボーと表現されている。(詳しくは前投稿をご覧ください。) Bさんは、魂の癖があるという話をされていたので、私の直面している課題を聞いてもらった。 私は、セラピストとして、真にクライアントの苦しみに共感したい。見せ掛けでなく、正しく理解したい。どうやら魂は、体を犠牲にして、病を引き寄せ、体験から様々な痛みを学ぼうとしている。しかし、これが魂の癖であるとするなら、学びたいからと、今後も病を現実化し続けるのではないだろうか。肉体が持たないのではないか。共感したいという願いは実は傲慢なのかもしれず、私は本当の意味での共感を知らない。思いやりや、優しさがあれば、共感できるのに、私は正しさにこだわってばかりいる。思いやりより、正しさを優先しているのではな

海鳴り~気付きの旅

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 宮沢賢治の最高傑作、『銀河鉄道の夜』は、オホーツクの旅で発想を得たようだ。深く内奥へ下降して、己れの使命を魂に甦らせる気付きの旅。時空をこえた魂の旅であった。 私が、なぜ、気付きの旅『一二六 海鳴り』が気になったかと言うと、かなりヒプノセラピー的に感じたからだ。私なりに、催眠という観点から、この作品を味わってみたい。 『スピリチュアルな宮沢賢治の世界』熊谷えり子 著 でくのぼう出版を一部を抜粋しながら私の考えも平行して紹介していきたい。 賢治は大正十三年5月農学校の修学旅行で生徒を引率し北海道へ。そこでこの作品を書いたようだ。 「これは想像でしか言えないが、賢治は内部へ深く降りていった所で伝教大師(最澄)に出会い、この邂逅によって本心に立ち返るように「大きな勇気を出してすべてのいきもののほんたうの幸福をさがさなければいけない」(手紙4)という決意を本物にしたのではないだろうか。」222頁 これは、まさに前世療法そのものを表している。催眠深化をして、脳波がアルファ波からシータ波になると、いわゆるトランス状態と言われる催眠に入る。判断の膜が弛み、潜在意識につながるため、その時クライアントに必要な前世記憶が甦る。アカシックレコードから必要な情報を引き出していると解釈する人もいるだろう。ちなみに、前世は何十~何百とあるため、賢治の前世は、最澄一人ではない。今世に一番影響を与えている人物だ。催眠に入ると、前世人物の気持ちがありありと伝わることもある。これを真性退行と言う。なりきってしまうわけだから、ものすごい情報量が言葉を超えて伝わってくる。 「最澄の悲願は法華一乗で、すべての人を悟りに至らしめるという事であった。『願文』によれば、自分はすべての人がその最後の一人が仏になるまで悟りに至ることはしない、最低のところに自分を置いて、地獄の底まで巡ってすべての人が仏になるまで修行を続けると。その死の時には、悲願が成就するまでは、何度でも日本に生まれかわってくると言っている。まさしく賢治の悲願ではないか。」 ここは、輪廻転生のことを言っている。魂は、生まれてくる前に、空の上(魂の故郷。別次元のこと)で高次元存在と共に、次の人生の計画を練ってくる。ブループリントのこと。これは、例えば胎児期退行の手法で誘導すると、なぜ生まれたのか、どんな使命があるのかなど、クライアントはスラスラと語り

一水四見

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  今朝、Instagramを眺めていたら、一水四見について書かれた投稿があり、ハッとさせられた。 一水四見とは 人は水を水と見る。 魚は水を住みかと見ている。 天上人は、水上を歩くので、水を水晶の床と。 地獄の餓鬼は、膿に満ちた河と見ている。 それぞれの立場により、見え方が全く違うということらしい。 私は、水は水でしょ?としか思ったことはなかったけれど、 私がもし、お魚だったら、水をどう感じるのかなあ?とか、 天上人は、水の上も歩けちゃうんだ。気持ちいいだろうな~とか。 餓鬼の見方が、確かに自分の中にはあるなあ。と反省してみたりとか。 この四見をイメージとして取り込んでみると、世界は広がり、何より、いろんな角度から世界を楽しめる(味わえる)ことは、面白い!と思った。 一度に二度美味しい。いや、四度美味しい!この想像力は、お得感満載な能力だ。 私たちは、幼い頃から、周りに合わせるように、違ってしまわないようにと教育されてきた。違うと大人から怒られるので、違いは、恐怖になった。怒られると怖いから、周りと同じになるよう努力し、空気を読んで、その場その時の正解を必死で探すようになった。 自分が分からなくなった。いつも、誰かが唱える信念が私の正解だったから。だから、間違えてばかりの自分が大嫌いになった。 その時の正解は次には不正解になった。その都度声の大きな人に翻弄され、同調圧力に苦しめられた。私は、他の皆には正解を見分けられる超能力があるのだと本気で思っていた。正解が分からない私は、まるで異星人だと感じていた時もある。いつもアンテナを立てて、神経を研ぎ澄まし、頭はフル回転だから、いつもヘトヘト。大きな声の人が怖くて、いつ怒られるかとビクビク生きてきた。 反対に、信念とあまりに違う対象には、嫌悪感を感じて、排除しようともしてきた。外側だけでなく、自分の内面も、理想に合わない部分は奥深くに、二度と見なくて済むようにと、閉じ込めてきた。閉じ込めてしまった部分は膿を溜め、時々噴出した。 地獄の餓鬼が水を膿に満ちた河と見るように、他の人には何てことない出来事が、私には苦しみの感情を想起させ、その自動反応に翻弄されてきた。生き辛さを抱えて半世紀生きてきた。 催眠に出会い、ようやく内面と対話するようになった。傷だらけのインナーチャイルドを時間をかけて癒してきた。 まだ、違いに対する恐怖