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5月, 2023の投稿を表示しています

静寂~アシュターヴァクラ・ギーターを催眠的に味わう

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  私は、催眠療法を学び続けている。 動機を問われると、楽になりたかったからと答えるだろう。 なぜ、幸せになれないのか?私に何が足りなくて、何を足して何を変えれば正解なのか?どう進んでいったらいいのか?おそらく、そんな疑問に対する明確な処方が欲しかったのだろう。 恐れや不安で、毎日が苦しかった。そこから逃れたかった。 それまで、スピリチュアルに没頭していた。本屋で見つけたものは片っ端から読み漁った。自称スピリチュアルリーダーという人物に関わり、散財もした。一時的に楽にはなっても、反動でもっと苦しくなったため、どんどん依存した。スピリチュアルは好きな分野だが、なぜ、エゴが強く問題だらけの施術者が多いのだろう?と不思議でもあった。この迷走体験や、ハイエナの群れから脱出した経緯は、過去に投稿しているので、こちらでは省略する。 まるで引き寄せられるように催眠療法に出合った。現代医療の医師から直接学べるというところが、安心だった。科学的根拠が豊富であることも、バランスが良かった。つまり、胡散臭くなかったのである。見る目を養えたわけたから、スピリチュアル騒動も無駄にはならなかったようだ。仕方ない。こうやって体験しながら、人は成長する生き物なんだ。 催眠療法の基礎で習うのは、意識には顕在意識と潜在意識があるということだ。「私」と感じていた領域は、実はとても小さな範囲であり、自覚していない神秘のベールの向こう側に、どうやら本当の私がいるらしい。そして、催眠療法は、声の誘導により、脳波をα波(リラックスした状態。変性意識)にしてあげることで、その神秘のベールの向こう側を探索することが出来るらしい。 約二年かけて、何十回と催眠状態となり、様々な気づきを得て来た。私自身の催眠体験と潜在意識からもたらされた気づきは、全てこちらのブログに記録している。 潜在意識からもたらされるメッセージは、言葉に置き換えられるシンプルなものもあるし、時には言葉に変換できない概念のため、ビジョンで示されることもある。後者については、私の拙い文章力で説明を試みてきた。ひとつのビジョンは、視点の置き方で幾通りにも解釈できる。重層的かつ多面的な世界であるから、言葉では何も伝えられないことが良く分かる。言葉というツールは、実は真実を語れないということを理解した。それでも・・・・ それでも、書きたいという想いが、どこか

千の風になって~催眠的解釈

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  Do not stand at my grave and weep I am not there, I do not sleep I am a thousand winds that blow I am the diamond glint on snow I am the sunlight on ripened grain I am the gentle, gentle autumn rain Do not stand at my grave and weep I am not there, I do not sleep When you awake in the morning hush I am the swift uplifting rush Of quiet birds in circling flight I am the soft, soft starlight, starlight at night Do not stand at my grave and weep I am not there, I do not sleep 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています 秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています あの大きな空を 吹き渡っています 英語詩:作者不詳 日本語詩:新井満 ☆ 『千の風になって』 この詩はどれだけ日本人に愛されてきたことだろう。このブログを読むあなたも、何らかの思い出のひとつやふたつ、浮かび上がってきたのではないだろうか。 今、私は新井満さんの詩集『千の風になって』講談社2003年発行 を手にしている。先月の誕生日に魂の兄から贈られた数冊の本のうちの一冊である。 朝、四時半。本日は久々に一日家でゆっくりできるため、今日読みたい本を5冊ほどリビングに積み上げた。さあ、読むぞ~!と気合。そして、この懐かしい詩集をめくったのであった・・・・ 一通

自分の強みとは~フューチャーマッピング

 「あなたの強みは何ですか?」 すぐ答えが出てくる方も、う~んと悩んでしまう方いることだろう。 意外と自分の事はよく見えていないものだ。潜在意識に隠されている自分の強みに光を当て、未来創造の役に立てて行く手法がある。 先日の勉強会で、萩原先生よりフューチャーマッピングについてワークしていただいた。手法については、ここで詳しくは書かないが、どんな感じだったのかをご紹介したい。詳細が気になる方は、ネットなどで情報を仕入れてほしい。 アインシュタイン「問題を作ったときと同じレベルでは解決できない」 これは名言である。 フューチャーセルフを発見することは、忘れていた強みを思い出すことで実現する。 自分の強みを考える上で、ポイントとなるのは、今、やっている自分は本当の自分ではないというところだ。 私は~になりたい。という~は、外側から与えられた目標にすぎず、いくら~を達成したとしても私たちは満足しない。なぜなら、外から与えられたものに100%の情熱を注げないからだ。 自分独自の強みとは何だろう?自分の内側の強さを探すことは、過去最高の自分を未来に創造することにつながる。潜在意識を通し、本当の自分に気がついて行く手法である。 催眠療法を学ぶ過程で、近未来療法を何度か体験したことがある。未来療法(フューチャーペーシング)の簡易版と言ったらよいだろうか。たいてい、退行催眠の最後に、クライアントの希望があれば、5~10分程度駆け足で、数年後の自分の様子を感じて、未来の自分からメッセージをもらって来ることが出来る。未来へ誘導すると、たいていのクライアントは好ましい未来のビジョンを受け取ってくる。「未来の自分と現在の自分につながりが見出せるときはじめて、現在の自分にエネルギーが注げる」ようになる。 フューチャーマッピングとは、セルフコントロールを高めたり、学ぶ楽しさに気づくことができる。(日本教育心理学学会研究発表あり) 誰もが子ども時代から身に着けて居る「物語の力」「逆算思考」を活用した、創造的課題解決法であり、既に持っている自らの才能やリソースを明らかにする。過去の自分が未来の自分への最大の応援者になる。(神田昌典氏の手法) ☆私のフューチャーマッピング体験 先生から画面共有されたフューチャーマッピングの図を真似て、紙に長方形を描き、縦に二本、横に一本の線を引いて六つのエリアに分ける

前世療法体験~最悪な人物 ドン

 本日、セラピスト友と催眠療法の練習会を開催した。その体験の記録である。 ☆テーマ 先日のインナーチャイルドカードにより、私の潜在意識には、誰かを殺したいほど憎む重いエネルギーが沈んでいるようであった。原因となった記憶を再体験することで、そのエネルギーを解放したい。また、転生の度に持ち越してしまう傾向として、正義の剣を振り回し、善悪を判断する狭い価値観の持ち主という性質がある。今世は、正義の剣を手放すことが人生課題のひとつになっていると思われるので、どのようにしたら改善するのか、ハイアーセルフからアドバイスをもらいたい。 ☆安全地帯 学校の校庭のような場所。四角く区切った花壇に、黄色と紫のパンジーが咲いている。間隔を置いて植えられているので、土が目立って露出している。白い蝶が飛んでいる。遠くに大き目の木が二本、門構えのように立っている。その向こうは霞んでおり、空は薄曇り。夜明け直前の空のよう。水色、ピンク、白の淡いグラデーションに染められている。気分は静かで落ち着いていて、悪い感じはない。ただ、少し寂しいような気持ちがしている。 ☆前世への階段 金属製の白い螺旋階段が地面の下の方へ伸びている。誘導に従い、ゆっくり階段を降りて行く。10段ある階段の一番下に到着。真っ暗でどこに到着したのかよく分からない。先の方に、人が一人通れるくらいの細長いアーチが見えていて、そこから光がもれている。そちらへ進んでみることにする。 ☆最初の場面 濃いピンク色の薔薇の花が咲き乱れている庭園に出る。手入れされている様子ではなく、モジャモジャと伸び放題で、野性味あふれる薔薇園。 なかなか前世のイメージが湧いてこない。足元から順番にゆっくり感じて行く。足がやたら重い感覚。どうやら、革か厚い布のブーツのようなものを紐で縛り上げている。ひざ下くらいの丈のスカート状の布を下半身に感じる。その視点にオーバーラップして、赤地に黒い何かの文様のようなデザインが浮き上がって見える。服にそのようなデザインが施されていたわけではなさそう。異なるイメージを同時に味わっている。上半身は兵士の甲冑のよう。顔も甲冑に隠されていて見えない。なので、どのような人物かは、見えないけど、こんな気がするという感じ。 白人、金髪、男性、中世ヨーロッパ、20歳代くらいか。イケメンなのではないかと思う(私の願望が多々入っている)名は、

心の痛みはなぜ起こるか

 ☆心の痛みはななぜ起こるか 今朝、清水友邦さんのFB投稿を拝見し、またまたタイムリーな内容だったので、以下に一部を紹介したい。 「心の痛みは心の全体性を取り戻そうとするときに起こるので、否定したり、逃げたりせずにそのプロセスを経過することができれば自己の枠組みが広がります。 心の痛みは本質に気づくきっかけになります。 (中略) 人は強い恐怖感を伴う体験をすると直面しないでそこから逃げることで心理的ショックを回復しようとします。 (中略) 自我はあるがままの出来事を受け入れることができません。 思考の物語に逃げ込み、今ここにいられないのです。 死者の遺体が腐敗・白骨化して霊魂が地上から離れるまでの期間を殯(もがり)といいます。 心理的には死による喪失感が癒されるまでの期間となります。 もし悲しみを心に閉じ込めて逃げてしまえば殯(もがり)が終わらないことになってしまいます。 母親は優しい慈愛の母と不機嫌な鬼の母の二面性をもっています。 母親は自覚のないままに感情的になって子供を傷つけてしまうことがあります。 傷つけられた子供に母親にたいする憎しみが生まれると愛する対象を憎むという葛藤にさいなまれることになります。 母親にたいする否定的な感情が生じるとそれが罪悪感となって心に痛みが生じるのです。 母親への愛の中に怒りを混入させたまま、大人になり恋愛に傷つき、愛が冷めて終わりを告げるときに、愛は憎しみと怒りに変わります。 その人は愛と憎しみの両極の間で揺れ動き、関係性の中で苦しむ事になります。 生きることは喜怒哀楽の連続で生老病死は誰も避けることができませんが、人間が成長するために乗りこえなければならないものとの理解が生まれると、すべての否定的な経験を肯定的に捉えることができます。 心の痛みは心の全体性を取り戻そうとするときに起こるので、否定したり、逃げたりせずにそのプロセスを経過することができれば自己の枠組みが広がります。 心の痛みは本質に気づくきっかけになります。 精神的な危機を乗り越えて回復する能力をすべての人間は潜在的に持っています。 その鍵は恐怖や不安、悲哀から反射的に逃げて今ここにいられない自我に同化することをやめて 本当の自分(あるがままに見守っている自己)に気づくことができるかどうかにかかっています。」 (以下、省略) ↓ 清水さんの投稿を読んで、いろいろ

音楽の聖人~聖セシリア

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私の尊敬する友、Kさんとは、前世つながりがあるように感じている。おそらく、どこかの時代、修道女として共に讃美歌を歌った仲ではないかと想像する。(『アヴェマリアとベツレヘムの星』12月13日blog投稿) 私の投稿には、よくキリスト教関連の話題が登場するのだが、特に何かを信仰しているわけではない。世界中の宗教に関心があるし、敬意を持っている。エドガーケイシーやOSHOの本は、とりわけ好きだ。最近は、魂の兄にプレゼントしてもらった『バガヴァッド・ギーター(ヒンドゥー経聖典)』に挑戦している。今のところ、マリア様と日蓮さんには、個人的に親しみを感じて、心の中で対話をさせてもらっている。 さて、Kさんは、声楽を習っている。 彼女が学んでいるメソッドは、とても興味深い。歌は、テクニックというよりも、自分の声を信じた時に初めて現れる感情や愛そのものに委ねることが大切なのだと言う。彼女は、自分の中の別人格(リラックス星人)を親友と呼び、その子が歌いやすいようにしてあげるのだそう。心を開き、とても幸せで、嬉しい気持ちをマックスにして、無意識の領域を豊かにするモードで歌うのだとか。 彼女が実際に、私の前で発声をしてくれたのだが、確かに、そのモードで声を出すと、エネルギーの響きが全く違っていた。リラックス星人モードの時は、向かい側に座っていた私の眉間がビリビリと共鳴し、広大無辺な宇宙空間へ意識が飛んで行きそうになった。どこかにつながるような感覚になる。あ~幸せだな~・・・と、うっとりした心地となる。Kさんの声に共鳴し、私も無意識の領域に誘われる。おそらく脳波もダイレクトに影響を受けて変化しているはずだ。 Kさんと、幼子のように、いろんな歌を歌った。ただ無心に歌っていると、喜びの波動に包まれていく。上手に歌わなきゃ、とか、誰かのために、とか。何にも考えていない。ただ、奥深くから湧き出してくる心地よい流れに心身を委ね、ハミングする。声と声が共鳴し、ひとつに溶けあう瞬間、思わず目頭が熱くなる。 音楽って不思議だ。おそらく、自我意識(分離幻想を抱いている私)が、元々宇宙源でひとつであった魂記憶にリンクするのではないかと思う。だからだろうか、このように涙する時、悲しさや嬉しさなどの感情を遥かに超えた領域の不思議を体感することになる。とても崇高で、至福で、なんとなく深く懐かしく、ちょっとせつなくて

罪悪感を手放す

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 本日、10時、父は特別養護老人ホームへ出発。 ちょうど、今、私がこの投稿をしている、まさにこのタイミングで、父は次の人生ステージへ旅立つ。 母は一人、実家に残されることになる。 父の施設行きという現実化により、私は魂の学びを急速に促された感覚でいる。学んだことは山ほどあるが、代表的なことは、「罪悪感を手放す。」ということに集約されるのではないかと思う。 そのことに真剣に向きあわせるために、父母が困難な配役を引き受けてドラマを成立させてくれたとすると感慨深い。ドラマの背後に潜んでいるのは、魂の気づきである。どんなにネガティブな感情が渦巻くストーリーであったとしても、それが過酷であればあるほど、魂はそれだけ本気で、成長したいのだ。何かに気づいて、人生のステージを次に展開していきたいのだ。 今回、このような困難を担ってくれた父母の本質(魂)に感謝すると共に、表面上の現実を見ただけでは決して理解できない領域から俯瞰するために、私が腑に落とすために参考にしたYouTube番組やブログの内容をここに記録しておく。 もし、今、肉親との関係でモヤモヤしている方がいらっしゃれば、何かの参考になるかもしれないので、以下をお読みください。 ☆人とのご縁が切れる前兆について (YouTube スピな出会い【ゆっくり解説】より要約) 波動が合わなくなると、相手と自然に縁が切れてしまうことがある。無理してその人に会っていると、互いに成長し合えなくなり、波動を下げ合ってしまうこともある。情にしばられ、波動の合わない人とのご縁にしがみついていたらお互い不幸になってしまう。親友、親子、夫婦、パートナーの関係性であっても、情に流されて、ご縁が切れる前兆サインを見逃さないように。以下の前兆サインが現れたら、不要なご縁に執着せず、新たなご縁に恵まれるタイミングであると意識するとよいだろう。 〇違和感を感じる。話がかみ合わない。愛想笑いが増える。 今まで通りの反応が出来なくなるのは、波動が共鳴できていない、歩調が合っていないことの表れ。互いの可能性に蓋をしてしまい、ストレスを感じることになる。話し合った上で、目的や歩調を合わせることが困難であるという結論なら、それぞれが自由に人生を歩んでいけるようご縁を手放す。思い切ってご縁を手放す方が、互いに幸せになることもある。自分の心としっかり向き合ってみると良い。

海に沈んだブロークンハートを救え

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この数日の投稿でもお分かりになるかと思うが 潜在意識の奥深くに沈んでいた、インナーチャイルドの大ボスが、ちらちら見え隠れしてきている。2年かけて、催眠療法などで癒やし続けてきた成果か、 頑固な汚れを漬け置き洗いするかのように、不要なネガティブエネルギーが浮き上がってきている。 さて、本日は、仲の良いセラピスト友と三人でランチ会を開催。彼女たちと会うと、いつもありのままで居られて、元気になれるので、ルンルン気分で出掛けた。 ところが、ところが・・・ 待ち合わせ場所へ向かう電車の中で、どんどん気分は落ち込んできた。どうしても、父母の一件が頭を離れない。特にお金がらみで、私はモヤモヤしていた。父母から気を使われてはいるが、大切にはされていない。そんな気がして、悲しくなっていた。「仲良くしたい。大切にしたい。役に立ちたい。過去の埋め合わせをしたい。」そんな私の思いは一方通行であり、私の放った気持ちは、スカッと空をかすめ、父母にキャッチされずに、空き地の隅っこにでも見捨てられて放置されているかのような、肩透かしの気持ちが膨らんでいた。 これから、楽しいランチ会なのだから気分を切り替えようと、何度も父母とつなげてしまったエネルギーコードを切るイメージをしたのだが、気を抜くと、また嫌なイメージを沸き立たせてしまう。そのうち、私の心の奥深くから、強い怒りの感情が浮上してきた。「また、繰り返しているではないか。私の怒りを無視するな。彼らに関わると不幸になる。もうやめてくれ!」そして、「剣を抜け!」と言う。はっきりとした闘いモードの台詞に、我ながら驚いた。 この日会う友は、セラピストであり看護士でもある。このタイミングで彼女らに会うのは、宇宙の采配なのではないかと感じた。彼女たちに話を聴いてもらいたいと思った。 友の一人は、たまたまバッグの中に、インナーチャイルドワークのカウンセリングで使用するカードを二種類持参してきていた。そこで、カードを自分で引いて、出たカードについて友の質問に答えながら、インナーチャイルドの思いを感じ取っていった。 ☆ナインバードカードセラピー 〇左:現在を表すカード    ~母親との関係、母性、整理整頓、冷静、家庭、女性らしさ 〇右下:潜在意識を表すカード  ~明るい未来へ向かっている。外交的 〇右上:顕在意識を表すカード  ~自由に羽ばたいていきたい。自分ら

豊かさの循環

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 この数日、お金の問題について、向き合わされていた。 あらためて、私はお金について、どのような観念を持っているのかを考えてみた。 お金とは 私の働きの対価として得たもの 私(または家族)個人のもの 生きて行くために必要 私のために使ってもいい 将来の不安解消のために、出来れば貯めておくべきもの お金がたくさん手元にあるほど安心する 入ってきた分だけ使える 質素倹約が何より この物質次元では、お金が一番、豊かさの象徴 ざっと、こんな感じだろうか。 さて、私が現在、お金に関してどのような現実化を起こしているかというと、父の施設入所が切っ掛けだった。昨日、母と姉と三人で、とある施設に赴き、契約を済ませてきた。 施設に出かける前に、実家に寄り、ディサービスの車に車椅子で乗り込む直前の父に「おはよう!」と声をかけた。父と顔を合わせるのは久しぶりだった。父はポカ~ンとして、訳が分からない様子だったので、「私、娘、〇〇(私の名)。」と明るく大きな声で名乗った。父は、よく理解できていない様子であったが、おずおずと私の手を握ってくれた。「お父さん、行ってらっしゃい。楽しんできてね!」私は大きく手を振って、父の乗る車を見送った。この日、ちらっとだけど、父に会えて良かったと心から思った。父の認知症が進み、もう孫や娘の名前は忘れてしまった。5月に入ってからは、自分の力で、食事を口元に運ぶことも歩くことも出来ない。いつも世話をしてくれる母のことは認識しており、会話はまだ成立しているようだ。 父は今までも、何度も入院をしたり、一時的に施設に入所したりを繰り返してきた。母はその度に奔走し、父を自宅に取り戻してきた。周りが、母の体調を気遣って手配をしても、母は強引に施設の契約を解消してしまうのだった。母は、父と約束をしたのだと言う。最期まで、自宅で面倒を見ると。 その二人の絆は素晴らしいが、今回は母の方から音を上げたのだった。もう腹をくくると。父との別れは断腸の思いだろうが、既に父の容体は、介護のプロに頼らなければならないところまで進んでいた。母の体力が既に限界を超えていた。よくぞここまで父をお世話してくれたものだと、母には感謝の気持ちでいっぱいである。 母は、抜け殻になりそうな気持を奮い立たせ、昨日、姉と私に付き添われて実家から車で15分ほどの距離にある特別養護老人ホームへ出向いたのであった。

分離幻想

 今年に入ってから、催眠療法士としての施術が出来なくなっていた。 自分の内側から溢れてくる強烈なエゴを持て余していた。 助けたい、役に立ちたい 笑顔になってほしい、軽くなってほしい、気付きがあってほしい・・・ 施術料をいただくことで、何らかの結果を約3時間で出さなければと、躍起になっていた。 気がつくと、目の前のクライアントに、こうなって欲しいと、自分の願望を重ねていた。 クライアントに、捗々しい気付きがなされないと、メチャクチャ落ち込んだ。自分の駄目なところを責め立てた。セッションの数をこなさないと、技術は上がらない。でも、未熟なまま、セッションを繰り返す自分も許せない。ダブルバインドで、動けなくなった。 有料セッションだから、ハードルを上げてしまうのだろうか?セラピスト友の協力をいただいて、無料で練習をさせてもらったりもした。やはり、エゴは噴出した。与えない、教えない、誘導しない。が、セラピストの原則なのに、私は事後面談で、持論をぺらぺらとしゃべったりもした。どこかに、指導したいという欲望が潜んでいて、隙を突いて教師顔の自分がしゃしゃり出てきた。もう、コントロール不能である。 トリシア・カエタノさんは、「セラピストは、まず、自分自身を癒やしなさい。」と言っている。催眠療法のセミナーでも、テキストの冒頭にこの言葉が掲載されている。 まずは、私の内側を奇麗にしなければ、どうにもならない。催眠の有料セッションをストップした。この先、どうするかは正直よく分からない。継続して学び続けていこうと思うが、職業にするかどうかは保留中だ。 先日の土曜日に、催眠療法トレーニングに参加した。受講生同士の練習会であり、講師や先輩に様々な質問が出来る貴重な機会になる。 たまたま、参加者が少なく、受講生二人に、講師とアシスタントの計4名だった。いつもは10名くらいいるので、じっくり質問することができていなかった。今回は私の質問に、ベテランからじっくりアドバイスをもらうことが出来た。参加者が少なかったのも、宇宙の采配のようで、心から有り難かった。 私は、先輩セラピストに、自分の中のエゴについて相談をした。先輩は、どのようにセラピストのエゴを克服したのだろうか。 私は、「助けたい」思いの根底に、美しい思いだけではない、重いエネルギーがあること。本当に助けたいのは、クライアントではなく、私自身な

美しい病

 がんを患い、医師に見放された患者のうち、500人に一人が、がんを消してしまうという。末期であり、全身にがん細胞が転移していてもだ。 なぜ、消えてしまうのか?彼らには共通点があるとか。 この話題は、昨夜視聴したYou Tube(桜庭露樹氏の番組)の内容から拝借している。 なぜ、消えてしまうのか?彼らは何をしたのか?食べ物か、特効薬か、おまじないか? 実は、「がんに感謝した。」のだそうだ。 感謝をすると、がんが消えていった。そういう体験をされた患者が実際に居るそうだ。 とある看取り師の方が、3000人くらいを対象に、死の間際に何を感じているのか聞き取りをした。大満足して亡くなる方の割合は1割。9割は後悔を残して亡くなるのだとか。やりたいことをやれないまま、亡くなっていく人が、圧倒的人数なのである。 その点から言うと、がんに罹り、余命宣告された方はラッキーなのだとか。自分の命があと何ヶ月と意識できるので、やりたいことを一つひとつ片付けることが出来る。 人は必ず死ぬ。誰もが100%。今日かもしれないし、明日かもしれない。100年後かもしれない。誰にもそれは分からない。死ぬのは確実なのに、なぜか人は、自分の肉体が永遠だと勘違いして生きている。そうして、やりたいことをやらないまま、死を迎えてしまうわけだ。 いつか出来る。でもやるのは今ではない。そう思って、現状から抜けられず、変わり映えのしない日常を、満ち足りない何かを感じつつ、やり過ごして生きている。 アントニオ猪木さんの話しである。彼はがんにより、余命宣告を受けた。彼はお世話になった方々にお礼を申し上げに行くという、全国行脚の旅をYou Tubeで公開しているらしい。彼は、「私は、がんに感謝をしている。なぜなら、がんのおかげで、こうやって、お世話になった方々に直接お会いして、感謝の気持ちを伝えることが出来ている。がんにならなければ、お礼行脚の旅を実行していなかった。後悔なく死を迎えることが出来るのは、がんのおかげだ。」と語ったとか。猪木さんは、このように自らの姿を見せることで、最期まで人々に勇気を与えて続けてくれている。彼の魂の役割なのだろうなあと感じた。 この話の聞き役だった番組進行役の方は、「がんは、なんて美しい病なんだ•••••」と、思わず感想を漏らした。私も彼の感想に大層共感した。 がん細胞が生まれる仕組みは、『は

大爆発

 土曜日は、催眠療法トレーニングの日だった。 私のセラピスト業の有料セッションはストップしているので、参加するのも、あまり気が進まなかったのだが、なんとなく、流れでZoom参加することにした。 催眠療法トレーニングは、基礎コースを習った受講生同士、練習をする場となっている。ちゃんと講師もついて下さるので、しっかりとアドバイスがいただける。独り立ちしたセラピストも、定期的に参加して、疑問を解決する場としている。このようにアフターフォローが整っているので、ありがたい限りだ。 トレーニングでは、セラピスト役 もクライアント役もこなすことになる。 毎回、催眠療法は、宇宙の采配でご縁が既に決まっていると思わされる。 というのは、セッションの前日あたりから、体の浄化が起こり始めるからだ。酷い時には下痢にもなる。お通じがとてもよくなるのだ。この仕組みはよく分からない。どんな関係になっているのだろう?体と心と魂はつながっているというのは、統合医療の基本の考え方である。 ○月○日に浄化するよ~!と私の魂が決めれば、セッションが現実化し、私に一番適したセラピストが采配され、体も前もって浄化モードに入るのだろう。そして、心も。 催眠療法のセッションを受ける日に限って、たまにだが、感情大爆発が起きる。セッション前から、準備段階に入り、浄化されたい感情が浮き上がってくるのだろう。そうとしか思えない。 夫と私は滅多に喧嘩はしない。一年に一回あるかどうかという頻度だ。そう言えば、前回大喧嘩したのも、私が催眠療法セッションを立て続けに受けていた期間だった。クリティカルファクターと呼ばれる判断の膜が、開きやすくなるので、圧し殺した感情が解放されたくて、つけ洗い中の洗濯物みたいに、汚れ(不要なネガティブエネルギー)が浮き上がってくるのだろう。これは、いい事なのだと思う。 感情大爆発も、相手が家族など、親しい間柄だから許し許されるのだろう。もし、私があまり親しくない方相手に、この感情大爆発を行ったら、今頃私は、留置場に入っているかもしれない。無意識に安全な相手を選んでいるようだ。 昨日の出来事。催眠療法トレーニング開始の一時間前だっただろうか。母からLINEで、父の施設について連絡が入っていた。私はそれに慌ただしく返信し、夫に来週施設側に手続きに行ってくると伝えた。その時の夫の反応に、私は、怒りマックス