分離幻想

 今年に入ってから、催眠療法士としての施術が出来なくなっていた。

自分の内側から溢れてくる強烈なエゴを持て余していた。

助けたい、役に立ちたい

笑顔になってほしい、軽くなってほしい、気付きがあってほしい・・・

施術料をいただくことで、何らかの結果を約3時間で出さなければと、躍起になっていた。

気がつくと、目の前のクライアントに、こうなって欲しいと、自分の願望を重ねていた。

クライアントに、捗々しい気付きがなされないと、メチャクチャ落ち込んだ。自分の駄目なところを責め立てた。セッションの数をこなさないと、技術は上がらない。でも、未熟なまま、セッションを繰り返す自分も許せない。ダブルバインドで、動けなくなった。

有料セッションだから、ハードルを上げてしまうのだろうか?セラピスト友の協力をいただいて、無料で練習をさせてもらったりもした。やはり、エゴは噴出した。与えない、教えない、誘導しない。が、セラピストの原則なのに、私は事後面談で、持論をぺらぺらとしゃべったりもした。どこかに、指導したいという欲望が潜んでいて、隙を突いて教師顔の自分がしゃしゃり出てきた。もう、コントロール不能である。

トリシア・カエタノさんは、「セラピストは、まず、自分自身を癒やしなさい。」と言っている。催眠療法のセミナーでも、テキストの冒頭にこの言葉が掲載されている。

まずは、私の内側を奇麗にしなければ、どうにもならない。催眠の有料セッションをストップした。この先、どうするかは正直よく分からない。継続して学び続けていこうと思うが、職業にするかどうかは保留中だ。

先日の土曜日に、催眠療法トレーニングに参加した。受講生同士の練習会であり、講師や先輩に様々な質問が出来る貴重な機会になる。

たまたま、参加者が少なく、受講生二人に、講師とアシスタントの計4名だった。いつもは10名くらいいるので、じっくり質問することができていなかった。今回は私の質問に、ベテランからじっくりアドバイスをもらうことが出来た。参加者が少なかったのも、宇宙の采配のようで、心から有り難かった。

私は、先輩セラピストに、自分の中のエゴについて相談をした。先輩は、どのようにセラピストのエゴを克服したのだろうか。

私は、「助けたい」思いの根底に、美しい思いだけではない、重いエネルギーがあること。本当に助けたいのは、クライアントではなく、私自身なのではないかと感じていること。お金をいただくと、結果を出せない自分が許せなくなること。いつの間にか、クライアントを変えようと働きかけてしまうことを告白した。

先輩セラピストから、次のようなアドバイスをもらった。

・まず、自分に優しくしよう。自分に優しく出来ない人が、どうして他人に優しくできようか。

・施術料は、能力給ではなく、時給と捉える。あなたの貴重な時間を使うのだから、いただいてもよいのだ。クライアントも、料金を払った方が、やる気が出て、よい効果につながるものだ。

・クライアントを変えようとしない。こうなって欲しいとか、あまり考えない。(個人事業として、事業展開の目標を定める際はネックにはなるが。)

・クライアントに気付きが起きようが、無かろうが、すべてクライアント次第。おまかせする。

・クライアントには、自分で回復する力がある。クライアントの中に答えがある。ただ、それを信じるのみ。

・セラピストは、クライアントを催眠状態に導いたら、後はひたすら、クライアントに付いていくだけ。クライアントの潜在意識が、その日必要な気付きに導いてくれる。セラピストは、何を感じているか質問することと、場面を進める声がけをするのみ。

・潜在意識下で、何も起こらなくても、その日、ただそれを感じることがクライアントには必要だったのかもしれない。静かにリラックスする、無心になるだけで良かったのかもしれない。セラピストが結果について、良い悪いを判断できる領域ではない。クライアントに今日、ベストなことが起きたのだと信じる。

・クライアントに同調して泣いてしまうことも確かにある。共感しても、同調してはならないとよく言われているが、セラピストも人間である。泣いてしまう自分も受け入れる。

など、30分くらいかけて、講師と先輩から、丁寧なアドバイスをいただいた。

講師も先輩も、セッション中に、思いがけない展開になった際は、内心「わぁ、とうしよう…」とアタフタするのだそう。しかし、その都度、クライアントを信じればよいのだと、気持ちを瞬時に切り替え、真ん中に戻るようにしているとか。ベテランでも、そうなんだなあと思うと、何となく、自分を許せる気持ちになった。

クライアントを信じる。それに尽きるのだ。私は、自分も相手も信じ切れていなかったから、展開をコントロールしようとしていたのだ。頭で考え、良き方向へ導こうと躍起になっていた。基本に立ち戻れて良かった。

質問タイムの後は、受講生同士のセッションだ。

私にとっては、まるで寝たきりセラピストが久々にリハビリするようなセッションであった。あまりに久々だったので、躓いたり、スクリプトを見失ったりした。練習不足は否めなかった。

しかし、ひたすらクライアントについていくことは心がけた。どの道を通り、どこに進むのかは、クライアントの潜在意識が知っている。今日必要なことに導かれる。それは、私がコントロールすることではない。クライアント自らの力で進んでいくものだ。

信じる気持ちを意識するようになったら、とても安心して、落ち着いて誘導ができるようになった。時々、焦る気持ちが湧き上がってきたが、都度、「そうだった。大丈夫だ。クライアントについていけばいい。クライアントが答えを持っているんだった。」と、自分の真ん中にスッと戻る。それを繰り返し、夢中で120分を駆け抜けた。

おそらく、いつものようなエゴは出なかった。と思う。

クライアント役から、「始終、落ち着いていて、安心できた。」とコメントをいただけた。

講師から「○○さんの誘導は、包み込まれるような温かさがある。あなたは、あなたのままで、変わらなくて大丈夫。ありのままのセッションをすればいい。もう、再開してもいいんじゃない?」と、最後に言葉をもらった。

素直に、その感想が嬉しかった。そして、やっぱり、クライアントさんの笑顔を見るのは好きだなあと思った。クライアントさんの笑顔はとても素敵だ。セラピストとクライアントという垣根を超えて、共に魂の学びをしている仲間として、つながり合っているようで、そのつながり感が、ふんわりと嬉しかった。

今朝、たまたま、FBのおすすめ投稿を眺めていて、タイムリーな内容の記事を見つけた。まさに的確な分析だと感じたので、以下に紹介したい。


☆清水友邦(呼吸道)さんFB投稿より

全文紹介

「人々は、医師や治療師やヒーラーと呼ばれる人を投影して見ています。

生の全体からみれば、治療者(ヒーラー)と患者(クライアント)は、分かれてはいません。

癒す者と癒される者は、いないのです。

患者(クライアント)が、傷を負い病に侵された弱い者として、治療者(ヒーラー)の前に訪れると、自分の認めたくない否定的な感情を他者に投影することで、嫌な自分と向き合うことを回避しようとする投影同一化がおきます。

治療者(ヒーラー)は、健康で力があり、この業界では名が通っている有能な人物としての役割を演じます。

自分は他者を癒す力があると、思い込んでいます。

そして、患者(クライアント)の病を直せる技術を持っている、優れた自分というドラマに入り込むのです。

患者(クライアント)は、無力で自分に病を癒す力はなく、ひたすら、治療者(ヒーラー)にすがる、かわいそうで哀れな私、というメロドラマの役を演じます。

分離した関係の中では、上意下達の力関係ができて、治療者(ヒーラー)は、上から目線で患者(クライアント)に 、高圧的な態度で説教をします。

治療者(ヒーラー)自身に、苦しんで傷を負った過去があり、傷を持たない強い治療者(ヒーラー)としてのアイデンティティを演じることにより、その傷は影(シャドウ)として無意識の中に閉じ込められています。

治療者(ヒーラー)の内側には、傷ついたヒーラー (wounded healer)が潜んでいます。

患者(クライアント)が、治療者(ヒーラー)の意見を聞かなかったり、従わなかったりすると、内面に抱えている傷ついたヒーラー (wounded healer)に、触れてしまいます。

治療者(ヒーラー)は患者(クライアント)を力で押え込もうと、強い攻撃的命令口調で不安や恐怖を煽り脅します。

不安や恐怖は、治療者(ヒーラー)の内面にあるので影(シャドウ)の投影が起きて、強い治療者(ヒーラー)像を演じてしまうのです。

誠実な自我を持っている治療者(ヒーラー)は、ひたすら真面目に患者(クライアント)の役に立とうと治療に専念します。

しかし、治療すればするほど、皮肉なことに患者(クライアント)は健康な治療者(ヒーラー)の反対の役割を演じ、哀れで無能な患者の自我を強化してしまいます。

自分の病を自分で癒す力があることを認めずに、治療者(ヒーラー)に従属してしまうのです。

そうして、治療者(ヒーラー)は患者(クライアント)を支配して治癒力を奪い、共同幻想という共依存関係を続けてしまうのです。

ヒーラーは、内側から湧き上がって来る衝動に、気づいている必要があります。

否定的な感情は、感じたくないために、自動的に身体に埋め込んでしまうメカニズムが働いています。

マインドは、一つの世界に境界線を引いて分離します。

そして体と心、他者と自分を切り離し、競争して優劣、勝ち負けを争うようになります。

ヒーラーになる前に、自覚を養う訓練が必要なのです。

ヒーラーに、自己観察の能力が欠けていると、癒しの現場で起る情動に飲み込まれてしまいます。

自分には治癒力があると自惚れ、自分が優れていると自慢したり、他者を貶めたり、否定的なエネルギーを解消しょうと、機械的に反応した行動表現(アクティング・アウト)を、とってしまうのです。

自覚の領域が育っていないと、情動に巻き込まれてしまい、クライアントもヒーラーも、共に傷を負うことが、起きてしまいます。

無意識が浄化されていなければ、「私は自覚がある」と思い込んでも、たちまち暗黒の世界(ダークサイト)に、落ちてしまいます。

内側から湧き上がって来る衝動を自覚して、反応せず、そこから逃げないで、あるがままにさせておくことができれば、そのエネルギーは全体へと昇華します。

ヒーラーに、気づきが起れば治療者(ヒーラー)と患者(クライアント)の関係性は、消えます。

癒す者と癒される者は、無意識で繋がっているので、お互いの共鳴が起きれば、クライアントも分離に気づいて、自己治癒が起きるのです。

真の治癒とは、身体症状の治癒や回復ではなく、

世界と分離しているという夢から目を覚ますこと、

純粋な魂を取り戻し、生の全体性を回復することにあるのです。」


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