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1月, 2023の投稿を表示しています

サハスラーラ~祈りとともに

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 ふと思いついて、各チャクラに対応するビーズアクセサリーを作ってみた。 ペンダントトップは、クマさんのビーズを使った。色の違いから、発せられるエネルギーを感じてみてほしい。 祈りを込めて。 「サハスラーラ」 サンスクリットで、千の光を備えたものの意味 ただ、光そのもの。 クラウンチャクラのこと。 第七チャクラ(頭頂) 色は紫 宇宙の愛とつながる。悟り。 睡眠の質を上げる効果。 よく眠れますように。 「アナハタ」 サンスクリットで、「破壊されない」という意味 ハートチャクラのこと。 第四チャクラ(心臓) 色は緑 穏やかさ、調和、無条件の愛 自分を愛し、大切にできますように。 「ムラダーラ」 サンスクリットで「根」の意味 ルートチャクラのこと 第一チャクラ(骨盤底筋あたり) 色は赤 生命力、情熱、創造性 地球からエネルギーをいただいて、生命力を活性化できますように。 「ヴィシュッダ」 サンスクリットで「浄化」の意味。 スロートチャクラのこと。 第五チャクラ(喉) 色はブルー コミュニケーション、表現力 自分の思考を超えた深いインスピレーションから湧き出てくる表現のこと 宇宙とつながり、魂の表現ができますように。 朝から四時間くらいで、一気に作った。 ふぅ~。 これから、歯医者へ。 ↓ 夕方帰宅し、ウズウズしていたので、夕飯の準備前に、一時間だけアクセサリー作り続行。 「マニプーラ」 サンスクリットで「光る宝石」 ソーラープレクサスチャクラのこと。 第三チャクラ(みぞおち) 色は黄色 自尊心、自信、勇気 自分らしさを大切に。 自分を信じることができますように。 はぁ~。 満足した。 後、第二チャクラと第六チャクラがまだ。 明日以降作るかも。 ↓ 翌日早速、朝から取りかかった。 「スヴァディスターナ」 サンスクリットで「甘さ」 セイクラルチャクラのこと 第二チャクラ(腹部、仙骨) 色はオレンジ 想い、活力、健康、創造、自信 肉体や心のエネルギーが充実し、精神的に強くなり、理想や目的に向かって行動する人間となる。想念エネルギーをパワフルに使うことができるため、沢山の想いを自分自身の身体に、そして人生に具現化できる。 想いを形にしていけますように。 「アージュニヤー」 サンスクリットで「知覚する。知る。」 ブラウチャクラのこと 第六チャクラ(眉間中央) 色は藍色(ロイヤルブルー

宇宙会議~マリア様のエネルギーとともに

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 本日、恒例の宇宙会議を開催。 午前中は、スカイプでソマティック・ヒーリング(体細胞療法)の練習会をした。そのセッションが本当に素晴らしかった。 クライアントとリードセラピストとアシストセラピストの計3名でのセッションだった。 催眠療法セッションでは、あるあるの現象なのだが、クライアントの課題が、参加者全員の今まさに直面している課題と全く同じであり、共に気づき、共に癒されていった。素晴らしい相乗効果だったのだ。催眠療法は、宇宙の采配でご縁結びがなされているとしか思えない。どうして、こうもピッタリの人選で出会わされたのだろう。しかもまさにこのタイミングで!人知を超えた采配に、ただ驚くしかない。 午後は、セッションにアシストとして参加してくださった、Yさん(魂の兄。宇宙会議ではお馴染み)と二人で、急遽宇宙会議をする流れとなった。 私もYさんも、今年に入ってから、ジェットコースターのように、光と闇体験を繰り返しており、心身ヘトヘトでもあった。数日前は、二人とも絶不調であったため、本日ちゃんとスカイプで顔を合わせられるかどうか、正直分からなかった。しかしそこは宇宙の采配である。ちゃんと浮上して、ギリギリセーフで気力回復し、奇跡のセッションを体験することとなったのだ。クライアント役のMさん、ありがとうございました! ☆議題1「宇宙からの応援エネルギーを受け取る人、受け取らない人」 人間には背骨に添ってエネルギーの通り道がある。その軸を通り、宇宙からエネルギーが注がれている。この本質からのエネルギーを頭頂あるいは眉間から受け取るのだが、マインドがそれを邪魔してしまい、蓋をしてしまう(フィルターをつけてしまう)人もいる。 万人に平等に宇宙エネルギーは注がれている。そのエネルギーを受け取り、宇宙とひとつになる段階の人は、転生(人生)経験の総和の段階にある。宇宙から、「もう物質次元での二極体験はいいんじゃない?」とサインを送られている。 そのサインを無視していたり、聞く耳を持たない人もいる。人生では、その時その人に必要な事が起きている。どんな出来事もありのままに受け入れるのか、ネガティブな事として抵抗するのか。受け取るのか受け取らないのかの違い。受け取る人は、直観を大事にして、大元の声を感じ取っている。全ては宇宙の采配でしかない。 ☆議題2 一切皆苦、諸法無我、天上天下唯我独尊、東西

歌を忘れたカナリヤは

 何か大切なことを伝える役割の存在がいる。 危険を察知した時 大声で知らせる。 近い未来に起こりそうな時は より多くの人に知らせようと工夫もする。 声を出すだけでなくて、文章で発信したり。様々な媒体を利用したり。 また、言葉を介さず、自らの体験を通して、その姿を見せることで、伝える存在もいる。ビジュアルで見せる方が、言葉より伝わる情報量が多いので、インパクトが増す。情報に感情が乗ると、さらに人の心を揺り動かす。 人は、危険を察知した時に、瞬時に逃げるか、固まるか。どちらかの選択をする。思考を介さない瞬時の反応が生死を分ける。太古の昔から生き延びてきた祖先の遺伝子に組み込まれ、現代の私たちに引き継がれている。では、目に見えないような変化に対して、私たちはどう危険を回避するのだろうか。 物質偏重主義に陥り、精神性や自然を大切にしなくなったこの文明は、行き詰まりを見せている。このまま進めばいずれ崩壊する。分かっちゃいるけど止められない。思考停止のまま、歩み続ける人々に、「止まれ!危ない!」と危険を知らせる存在がいる。 がんに罹患する人は、二人に一人という驚異の割合になった。30年ほど前は三人に一人と医師に言われたことがある。医学は進歩しているはずなのに、より困難さを増している。 ちなみに、やはり20年ほど前に私がうつ病になった時は、職場で責められた。「他の人はうつ病になってないだろう?ということは、お前の働き方が悪いんだ!普通に働けないなら辞めてもらう。」と、うつ病になったのは、自己責任とされていた。20年経過し、うつ病は珍しくなくなった。誰でもかかるポピュラーな病に変化した。 とても、心が痛くなる話だが、ずっと昔、機動隊捜査のニュースで、カナリアの鳥かごを持った捜査員の姿を見たことがある。当時、ショックで涙が出た。サリン事件に関連する捜査だったかと記憶している。カナリアは、敏感に無臭の毒ガスにも反応するから使われたらしい。 カナリアは、人間に、「危ない!」と知らせて、その役割を担ってくれた。 もし、カナリアが鳴き止んだら(倒れたら)、私たちには、目に見えない危険から遠くに離れる決断が出来る。少なくとも、歩みを止めることは出来る。 カナリアは、何が原因だとか、危険の詳細を語ることはない。その姿を見せて、訴えてくる。私たちには、それを見て、ようやく考える。行動を変える気持ち

光からがん患者へのメッセージ

 がん患者向け「光の存在からのメッセージ」というグループセッションを受けた。 Ⅽさんという方が、先生の催眠誘導を受けて催眠状態になり、クライアントの内面に入り込み、質問に対する回答を伝えてくれるヒプノチャネリングというもの。 通常は個人セッションなのだが、今回は10名ほどのクライアントに対して、一度にセッションしてくださった。 そのため、あまり個人に深く入り込んだ回答はいただけないのだが、全体にも役に立つような内容に限定して(あまりに個人情報になる部分は言葉にされないように配慮)チャネリングしてくださった。 以下は、私の質問に対する光の存在からの回答である。 同じ病気を抱えた方に、何か役立つかもしれないので、以下に書いておく。 (他の参加者の質問に関することは守秘義務のため、ここでは一切触れていない。) ☆私から光の存在へ 質問: 「がんという病気の人生における意味を教えてください。」 光: がんの意味はたくさんあります。あなた個人の意識につながります。 あなたから、ご自分が体験したことで人に対して何か伝えてあげたいという気持ちを感じます。 ご自分ががんになったことで他者に対して影響を与えるのではないでしょうか。 他者にエネルギーを流していくイメージを感じます。 自分というより、外に向けてのベクトルが強い。 まわりに影響を与えたり何とかしたいという思いがあります。 自分でもそれを分かっている。結構外へ向けてのエネルギーが強い方です。 質問: 「この体験を今後どのように人生に活かしていけばよいのでしょうか。」 光: 自分が経験したからこそ他の人に差し上げる何かがある。あなたは、きっと深い所で感じていると思う。 質問: 「日常的に光の存在と、どのように対話していったらよいでしょうか。」 光: あなたは結構日常的に対話しているはず。 自分のことだけを考えるタイプではなくて、他者のことを考えるタイプだと思う。 あなた自身が光であることに気づくことです。 それが一番の対話です。 あなた自身が光の存在であることに気づくことが大切です。 だからこそ他者に対しても、その光を放つことが出来ます。 光を分け与えることが出来ます。 ☆シェアタイムでの私の感想 Ⅽさん、ありがとうございました! 私は、手術を二年前に1回目、三週間前に2回目を、来月3回目を受けます。 私の中には、小さな自分(

人生は壁にボールを投げている

 「因果律を示すために死を描いたのが宮沢賢治の童話だ。 因果律とは、宇宙の法 やった事(言ったこと、行い、想ったこと)は、必ず返る。悪は不幸と破滅が。善は幸福と平和が返る。 宮沢賢治の童話96作品のうち、死を描いた作品は24作品。その全てに因果律が描かれている。死が描かれていない作品を含めても全作品の半数48作品に因果律が描かれている。また、自然を描いている作品と人間の生き方(法)を描いているのは半々。 賢治は、自然界のメッセンジャーとして、作品に自然の愛と癒しということを込めている。日本的生命観「自然と一体となって生きよ」を発信している。 壁にボールを投げるのが人生であるとする。 人間は、白い球と黒い球を一つずつ持っている。そして、どちらかをいつも自分で選んで、自由意志で投げている。 白い球を投げれば平和と幸福、建設が。黒い球を投げれば破壊と不幸が返る。全くそのものが寸分狂いなく。殺せば殺される。奪えば奪われる。エゴは破壊、愛は平和、結果はこれしかない。ごまかしは出来ない。その人が愛か意地悪かその本心(動機)でもって人生(結果)を作る。その原理を童話の形にしたのが賢治作品なのだ。 今の物質主義文明は、物質が幸福の源泉だという価値観の世の中だ。有限な物を奪い合うことは、自己中心となり、不幸の原理を生きる競争社会になる。地獄へのマラソン競争(『洞熊学校を卒業した三人』)をしているのである。 『注文の多い料理店』は、殺せば殺されるという因果の法、真理がそのまま描かれている。この作品最後に、二人の紳士の顔が恐怖のあまり紙屑のようになって直らなかったという所がある。 とある読書会で、身体に障害を持った方(交通事故で半身不随になられた)が 「(紙屑のようになり一生直らなかった顔は)私は宝物だと思います。」と言った。 この言葉に衝撃を受けた。 この方は、ご自分の身体障害と紙屑顔を重ねられたことを感じていた。肉体が損なわれたことで、宇宙には因果の法があること 因果の法は人間をいじめたり罰する為にあるのではなく、人間は有限な肉体ではなく、本当は永遠不滅なる霊である。人間の本当の幸福とは肉体の幸福ではなく魂の幸福、すなわち愛に生きること。 これらが分かったから、不慮の事故による障害を不幸とせず、宝物と発言したのだと理解したのだ。 このように賢治作品には、深い真理の発見と気付きに至らせ

行為者はいない?

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 仏陀は「行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない。」と言ったとか。 自分の意志で行っているようで、実はそれは、創造主(源)の意志であり、どんな個人も何もしていない。そして、創造された対象(人間)は、主体である創造主の意志を決して知ることは出来ない。 この考え方は、インドでは広く受け入れられている。 ネット検索してみたところ、この行為者はいないという考え方は危険な罠であり、テロや犯罪などを正当化する(神の意志だから、私は悪くないなど。)と指摘する方も多いようだ。言葉の独り歩きは、恐ろしい。 「行為者はいない」のは、ある面から見れば真理であろうが、社会が無秩序に陥るような成熟度にある場合は、違う言い方をした方がいいのかもしれない。言葉は人により一方向にしか解釈できず、曲解をも許してしまう。真理を表せない、不自由なツールだ。 さて、こちらのblogを見に来る方々は、これを読んだからと言って、無責任行為に走る人はいないと思うので(笑)少し、このテーマで私の体験を書いてみたいと思う。 10月に、トリシア·カエタノさんの、催眠セミナーに参加した時に、面白い質問をされていた。 「あなたは、誰ですか?」 たしか、デモセッション時に、催眠状態であるクライアント役の受講生に問いかけていた。 クライアント役の彼女は「私は····私は·····私は私。」と答えていた。これは何を意味していたのだろうか。少なくとも、「私は私。」という答えは顕在意識の答えなので、催眠にうまく入れていないということなのかな?と感じた。 ちなみに、催眠に入れている場合は、前世や幼少期の名前を答えられると、セラピストは、クライアントが今どの意識になっているか分かる。しかし、私はこの時に、もっと根源的な問いかけをしているように感じてしまったのだ。 この質問は面白いなあと思ったので、後日、別の集まりで、初対面の方々に質問をしてみた。 もちろん、「あなたは誰?」の問いかけは、名前や職業、資格、階級、人種、性別などを聞いているわけではない。もっと根源的だ。 よく考えてほしい。私は、名前?この肉体そのもの?○○会社の社員?仕事があなた?あらためて聞かれたら、全部、私そのものではないことは分かる。 結局、その時も、「私は私!」と、不可思議そうな顔をされながら答えられただけで終わった。まあ、大人の答え方だろう。これ以上やると

ビーズを繋ぐように人生を創る~夢からのメッセージ

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 ビーズのネックレスを作るように 一つひとつのビーズを ごまかさず そのまんまを味わいなさい。 色、形、輝き、手触りもすべてをリアルに。 ひとつのビーズの穴に紐に通す時には ひとつのビーズしか手にしないね。 そのひとつを そのまんま味わうんだ。 三つ前に紐に通したビーズの色が赤だったなあとか、五つ後には青にしようとか考えなくていいよ。 その瞬間にあなたが手にした そのひとつを味わえばいい。 緑のビーズを手にしているのに、これは緑じゃなくて、黄色だ!と思い込もうとすることが、ごまかすということ。 緑なら緑。丸いなら丸。星形なら星形。それをそのまんま味わう。 ビーズを全部つなげ終わって ネックレスになった時に眺めてごらん 全体は、どんな色合いでどんな輝きか あなただけの、唯一無二の作品になるよね。 それが魂の表現だ。 この数日、あなたが作ってきたネックレス。 いろんなビーズをつなげてきたね。 いくつも作ったね。 みんな、違う表現になっていたね。 転生ごとに、違う人生になったと言うこと。 ネックレスひとつがひとつの人生だと思えばいい。 その時その時、手にしたビーズが違うから 違う表現になったんだよね。 あなたが選択したそのビーズひとつを 信頼しなさい。 その時その瞬間に手にしたビーズたちは 人生で味わってきた数々の出来事だ。 あなたの魂が紡いできたオリジナルの物語だ。 人生の終わりに その作品を眺めて全体を鑑賞するように ああ、こんな人生を創ったのだなあと あなたは微笑むだろう。 だから、今 あなたが、緑の丸い形のそのビーズを手にして紐に通しているなら それでいいんだよ。 それが全体を彩るのだから その位置にはそのビーズでいいんだよ。 あなたが選んだそのひとつを 今まさにあなたが体験している出来事を 魂の選択を ありのままに受け入れなさい。 大丈夫だから。 ちゃんと人生は、仕上がる。 人生の終わりには、しっかり全体を眺めて ああ、ここに緑の丸いビーズを入れて良かったなあ。おかげで、全体のバランスが取れて、色が効いてるなあとか。キッチュになって個性的!とか、暗い色から明るい色に、グラデーションになって、まるで虹みたいとか····· ちゃんと分かるようになっているからね。 あなたが「素敵に仕上がったなあ」と喜ぶようになる。 大丈夫だから。 一つひとつを丁寧に味わい そのひとつ

亀のようにスローに

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 退院後、動きがスローになった。 まるで亀のように。 特に、修復中の左胸から腕にかけては、ゆっくりゆっくり動かしている。服を着る時はスローモーションの動きで袖に手を入れたり、頭を襟にくぐらせたりする。「へえ~!人って、こうやって服を着るんだ。こんな風に体の各部位が連携し合って、動作が成り立つんだ。」と、新たな発見ばかりである。 今まではこれら一連の動作を無意識でこなしていたのだから、人間て面白い。まるでロボットだ! 自動モードで日常の動作をこなす代わりに、人間は何を得るのだろうか?大抵は思考を巡らせているのではないだろうか。今日のやるべきスケジュールや、ランチに何を食べようかとか、昨日起きた嫌な出来事を思い出したり、アレコレ。意識は未来か過去を彷徨っている。それって、全部必要?ほとんどは、雑念に振り回されていやしないだろうか。 これが当たり前になってしまうと、意識は今にいられないので、焦り、不安、恐怖、欠乏感などエゴ意識(物質次元を生き抜くためには必須アイテム)優位になってしまう。交感神経優位にもなり、心身は緊張し、体は冷えてくる。冷えは万病のもとでもある。 どんなこともバランスが大切だ。片寄りは生活習慣病にまで発展する。 今までの私は、エゴの自動操縦に頼り過ぎていた。意識して行うことに無頓着だった。 例えば、食事。私は大抵はテレビを漫然と観ながら夕飯を食べていた。一人で昼食を食べる時は、本を読みながら、またはスマホで動画を観ながらが当たり前だった。 ながら食いの習慣はどんな結果になるか。味わって食べないから、せっかくの栄養を取り込めない。よく噛まないから唾液が出ない。消化が悪くなる。ながら食いの人は血液が酸性に傾く。そしてがんの人は血液酸性であることが多いらしい。私のことだ!がんになった原因はいろいろあるだろうが、味わって食べないこの習慣が一因になっていた可能性はある。 そもそも食事は、栄養素を体内に取り込めばよいというものではない。人間は、太陽によりつくられた生命エネルギーを植物や動物からいただいている。プラーナとも言うらしい。生命エネルギーが枯渇すれば、いくら栄養を取り入れていても、人は死んでしまう。 食事は、命をいただくこと。感謝して生命エネルギーを循環させる神聖な行為だ。 禅宗には黙食というのがある。食べることに集中する。しっかり噛んで、味わうと共に、食材

たま + しい + 時間

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「我も、いいみたいなんです。「たま」はミタマ、「しい」は 感情、我みたいなものですね。人間は、「たま」と肉体の中にある「我」が一緒になって魂らしいのです。 肉体と魂が宿った状態が命。 日野原重明先生は「命というのは時間なんですよ。あなたたちが生きる時間を命と言うんですよ。」という言い方をしています。 肉体に入り込まないと、「ミタマ」だけでは生きていけない。そうすると、セットで「我」が来る。そのやりとりの中で、どういう生き方をするかというのが人間です。 魂は大元とつながっていて、その大元は私たちの個別に分かれた肉体のそばにいて、私たちと一緒に体験し、楽しんでいるという話もありますね。 成長するため。その成長は、私たちが思う成長ではないんです。単に情報を書き換えていく、新しい可能性を追及するということ。 盗賊は、いかに人をだまして、人から強奪するかということに命をかけているので、それはそれで魂は成長しているのです。すなわちたましいの情報は書き換えられている。 マザーテレサのように、人を助けて魂が成長するというのが私たちが思う成長ですが、とにかく新しい可能性、新しい盗みかたを発見するのも成長(情報の書き換え)です。 縄文時代は1万年以上続きました。あの時代は神とつながっていて平和であったといわれていますが、その一方で、自分たちの自由意思があまり強くない時代だったのかなと思うんです。 それが弥生時代に移ってきて、自分たちの心みたいなもの、ある意味、我につながるところもあると思うのですが、それが成長して、一気に文明社会、物質社会が進みました。その物質を通じ、いろいろ学ぶところもあったし、当然、我、エゴも成長した。そのことによって文明が発達したところもあるわけで、我というのは、自分を守るということにおいては、戦争や飢饉など、命の危険がいっぱいの本当に厳しい時代を生き抜いた人類を支えた心でもあると思います。ただ、やっぱりそのバランスなんでしょうね。 今、バランスがちょっと崩れて、我のほうにシフトしすぎている。そのバランスを取り戻すのが今の時代ですが、我があると進歩するんですよ。一方、我には所有という概念がある。俺のものだというのがあるから、これが一つには成長を妨げる。 争いのもとなんですよ。そこを、我を持ちつつ肉体と精神のバランスをとるというのは、自分の我と本来のミタマとを調整し

アンクと虹の光線

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 療養7日目 今日は外出せず、のんびりしようと決めた。 朝は4時に起きて本を3冊読んだ。少し疲れたため、太陽が昇ってきて明るくなってから、床暖房にヌクヌク背中を温めててもらいつつ、うたた寝をした。 ウトウトしながら、幾つかの光のビジョンを見た。丁度、太陽の光が眉間あたりに降り注いでいたため、目蓋の裏側に光が浸透していたのだろう。 まず、虹色の美しい光線の束を見た。縦横無尽に虹の光線が飛び交っている。空でお馴染みの半円形ではなく、直線である。微睡み状態でその光景を見ながら、これをネックレスで表現したらどうなるかな?と考えていた。この美しさは、物質次元のトイビーズでは、とても再現できないだろうが、やってみようと夢の中で決めていた。 次々、光のビジョンは変化した。 次に、取っ手の付いたような十字架が現れた。金色の光の帯を背景に、大きく見せられた。これは、アンクではなかったかな?確か、エジプトに関係していたかも。(アンクについては、後述) そう言えば、エジプト時代の前世について、今朝方思考を巡らせていたのであった。だから、記憶の奥底からわき上がってきたのだろうか。 それは、私はなぜ、色とりどりの美しいキラキラした小さいものが好きなのか?ということだ。 今世で好きなことは、じつは前世の好みを継承していることが多い。レムリアやアトランティスで神官をやっていた魂は、今世でもヒーラーを職業にしていたり。(私のセラピスト仲間は、大抵前世にヒーラーが出てくる。) ちなみに夫は、警察マニアなのだが、江戸時代は町奉行か岡っ引きだったらしい。 学者だった魂は読書好きになるとか。チベット僧侶や修験道経験者は神社仏閣好きで修行がメチャ好きとか。前世あるあるだ。 昨年、ラインストーンアートに挑戦する機会があった。数ミリ程度のラインストーンは、色とりどりにキラキラ輝き、まるで宝石のようだった。私はそれらを古代ハワイの伝統文様に貼り付けていった。その作業をしている間、私はとても幸せだった。 この魂の満足感は何なのだろう?手芸でいろんな経験はあったが、こんなに心が喜ぶ作業は初めてだった。書店で発売されていた三種類のキットはあっという間に終了してしまった。 その時、数年前にアカシックレコードリーディングをしていただいた事を思い出した。 古代エジプト時代か。私はアーティストだった。身体がスッポリ入る位の四角

表現欲から「空」の気付きへ

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  若葉と清流と太陽の光あふれる 美しい星をイメージ 「美晴るる星」 高次元の癒しの光を柔らかく放つ星をイメージ 「アルクトゥールス」 美しきアクアリウム マザーアースに愛を込めて 「瑠璃色の地球」 イルカとオーロラが合体したら きっと、夢のような色彩になるだろう。 「オーロラ ドルフィン」 ☆私からYさんへのメール 「天界から地上に還って(孵って)きて この意識は、「私」という記憶をダウンロードしてはいるのだけど、ゲームの設定みたいな、なにやら不思議な感覚でもあります。 引き続き「私」をやっているのだけど、まっさらなハードディスクに、Windowsをダウンロードすれば誰もがパソコンを活用できるみたいに、ダウンロードすれは、どの意識も、「私」を楽しめる? 意識の奥にはピュアな意識がいて、いちいち「うわぁ~、面白い。」と感激しているのです。電車乗るのも、買い物するのも、街を歩くのも、焼き肉食べるのも(笑) おそらく病や喧嘩などのネガティブ体験すら、面白がりそうなピュアさです。 「おぉ~。これが、地球三次元か!」という喜びや驚きがわき上がってくる感じ。 54年も「私」をやってきたのに、じつは「私」そのものではなかった。という、ぼんやりとした気付きと言ったらよいのでしょうか。 全身麻酔で、一旦意識が消去された体験がもたらしてくれた新感覚です。 金星から地球人にウォークインしたオムネクさんは、地球に慣れるまでの間、確か、ヒマラヤ山中あたりで人間の練習をしたとか本に書かれていたかと記憶しています。 私も、天界での魂の癒しリトリートで「物質次元への慣らし&メンテナンス」を経て、日常という設定に戻されたように思います。 本体は何者にも何色にも染まらない、なにものでもない意識エネルギー。 では、楽しんでいる、この意識の正体は何でしょうね。この意識は「Yさん」も「岸田総理」も、なんなら「ダライ・ラマ」も、一度に味わっているわけですよね。 フォーカスしている間は「私」だけど、フォーカスを切り替えたら(認識しなければ) 「空」になる。 微かに、微か~にですが、「私とは、どこにもいない」という感覚が、胸の奥底につながる意識から、そこはかとなく漂ってきます。 それは、寂寥感ではなく、「ああ!そうか。」という、どちらかと言うと、静かに明るいニュアンスです。 などなど 朝から、変な話にな

ビーズ職人魂炸裂中

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 ただいまリハビリ中 左胸から腕にかけて、やはり違和感がある。 左腕はまだ90度以上、上げられない。これは、五十肩のせいかもしれないが。 腕の神経に影響したのか、予想外の部分が突っ張る。 医師からは、リハビリしなさいと、盛んに発破をかけられた。どんどん動かしなさいと。 どうせなら、楽しみながら腕や手を動かしたいな~。ということで、昨日、ビーズを買い込んできた。 トイザらスで、子ども用のアクセサリービーズセット  + 100均(Seria)など。 組み合わせを考えるのがとても楽しい。 「シリウス」 クジラをメインに、シリウスブルーと星をちりばめた。 「オリオン」 3つ星をメインに、優しい宇宙色にまとめたつもりだが、「そんなキラキラしたの作ったんだ~!」と夫に驚かれた。 「アヴェ マリア」 薔薇をメインに、慈愛エネルギーと薔薇星雲を表現してみた。 この入院までの期間に、シリウス、オリオン、アヴェマリアというキーワードにはずいぶん助けられ、励まされてきた。感謝の気持ちを込めて作ってみた。 家事をやると、まだ「あ、いてて···」となる瞬間もあるのだが、好きなことに没頭していると、全く痛みを感じない。 これらトイビーズは、子ども用とは言え、よく出来ている。綺麗だし、安いし、星やハート、お花に動物などの可愛い形のビーズがいっぱい入っている。眺めているだけで、うっとり幸せな気持ちになる。 しばらく、童心に返り、のんびり遊ぼうと思う。 ↓ 8メートルあった、シリコンゴムのクラフトコードを半日で使いきった。 ネックレス&ブレスレットを6セット製作した。 ビーズ職人魂炸裂中 どんどんアイデアが降りてくる。 楽しい!

煩悩即菩提

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 「煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)は、大乗仏教の概念の一つ。 生死即涅槃と対で語られる場合が多い。 悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、煩悩がやがては悟りの縁となることである」 Wikipediaより 三つ前の投稿で、手術翌日の気付きを書いた。 身体が回復するに従い、物欲が復活したことについて、煩悩(欲·エゴ·自我の働き)は、魂の喜びではないか?と感じたのだ。 それについて、自らの体験をもう少し記録しておきたい。 一昨日、無事退院した。ちょうど一週間の入院だった。たくさんの方々に支えられ、愛を送られ、安心して回復に専念できたおかげだと感じている。このように、様々な縁により生かされていることに心から感謝している。 さて、退院当日。夫が迎えに来てくれて、一週間振りに、午前中の病院一階に会計のために降りたのだった。 私はその事を、無意識に「下界に降りる」と表現していた。 入院中は、感染症対策のため、外来が終了する15時以降でないと、一階には降りられず、大勢と接触する機会がなかった。 安心安全で清潔な環境で、静かで、美しい景色に囲まれて、病院のスタッフさんたちから、丁寧に接してもらい、まるで天界へ小旅行にでも出掛けていた気分なのだった。魂のリトリートのような。私の人生の中では、しばしの休息タイム。体、心、魂の三位一体により、バランスの再調整が行われていたように思う。 それは、何のためか。今、天界に戻り、至福にたゆたうためではない。 もちろん、一生を勤めあげれば、魂の故郷へ戻り、体験のすべてを源へお土産として渡して、私という魂は浄化され大いなる意識に統合されるだろう。完全なる安息に包まれ至福に戻っていくだろう。いずれはそうなる。至高の愛のエネルギーに還ることになる。だが、今ではない。 私は、まだ寿命まで、やることがある。魂のプランをやり遂げること。今世を目一杯楽しんで、たくさん体験すること。 ようやく分かったのだ。魂がやりたいことは、悟って早々に天界に帰ることではない。 生かされているこの世界で、命尽きる瞬間まで、どんな体験もしっかり味わって、私の人生を彩ることなんだ。それが、本質の波動、喜びの周波数に沿うことになる。 魂の成長に従い、結果的に悟りに誘われるかもしれないが、悟りは生きる目的ではない。様々な体験を通し、「私」を知ること

見えないものを見る

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 入院7日目 朝、だんだん明るくなっていく空をぼんやり眺めていた。 スマホの画像では、色彩の美しさが伝わらず残念なのだが、優しいピンク色と水色のグラデーションが、刻々と変化していく様は、溜め息の連続だった。Chie artさんの光の作品を彷彿とさせた。 その時、ふと、気づきがもたらされた。 「反対側も美しい」ということ。 我が家は、東南向きに窓がある。冬の時期は、やや正面から朝陽が昇る。とても美しいので、よく撮影をしている。 私は、無意識にだが、こう感じていたと思う。 明け方の時間帯は、東の空の方が見ごたえがある。美しい。価値がある。 だから、明け方の空の西側を見ようとしたことは無い。きっと地味だろうし、わざわざ見る必要もないと思い込んでいた。 今、私が過ごしている病室の窓は、北西を向いている。夕日は、斜め左に沈む。 つまり、日頃じっくり西側の空を眺めた経験が無い。この一週間は空観察として、なかなか貴重な体験をさせてもらえていた。 今朝、沸き上がってくる感動と共に、気がついたのだ。 明け方の空は、ついつい輝きを増す東側に注目してしまうけれど、反対の西側の空も、すごく美しいのだなあと。 私は、見えていなかった。思い込みから、見ようとしていなかった。自ら制限の檻に入っていたのだ。 自然に心を開くと、いろんなことを気づかせてくれる。自然は偉大な教師だ。 目に見えたことだけを判断材料にするのではなく、 反対側はどうなっているのかな? 上や下は? 隠されている部分は? 私が五感を使っても感じ取れないものは、なにかな? そんな風に、対象を捉えるように心がけてみたいと思った。 これは、人間関係にも応用できる。 この人のこんなところが嫌い!という感情はよくある話だ。 嫌いなものは嫌いだし、それでいいのだが、一つ嫌いだからと、すべてを否定するのはもったいない。相手の見えない部分を感じようとしてみると、日の出の反対側の空のように、目立たないけど、繊細な美しさを発見するかもしれない。 「本当の愛とはやさしくして甘やかすことではありません。真の愛は愛情にあふれ、しかも断固としています。そして、力強く手を差しのべ、いつでも相手を助ける用意のあることです。愛とは、同情して相手の低い自我をなぐさめてやることではありません。そうすればその人の力を弱め、破滅させるだけだからです。神の愛は、一人ひとり

意識の変化~入院体験中

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 いろいろ感じたことの記録 ☆看護士さんたち 平均年齢20代半ばくらいだろうか。シャンプーしてくれた方は、三年目だと言っていた。若いがしっかりしている。皆、楽しそうにお仕事をしている。自然に身に付いた奉仕の精神と慈愛を感じる。彼女ら若い世代は、私たち昭和世代と違い、既に風の時代を生きるベースがあるように思う。エネルギーが軽く、ピュアだ。笑顔が美しく、見惚れてしまう。彼女らを見ていると、天使らが、この大変革の時代に合わせ、ものすごい数転生してきているような気がする。コロナの大混乱を乗り越えてきたのも、現場に大量のライトワーカーが配置されていたからではないか。報道されるのは、悲惨な出来事ばかりだが、魂の役割を担う若い世代が、愛を持って地球全体を包んでくれている。心救われるエピソードも数えきれないほどあったことだろう。 ☆屋上で日光浴 歩けるようになってから頻繁に屋上庭園へ昇り、太陽の光を浴びている。やはり、外の空気は濃くて美味しい。免疫力向上に太陽の光は必須なので、暇な時間帯は自然と屋上へ足が向く。修復モードの身体がとても喜んでくれるのが分かる。 屋上には、様々な患者が来ていて、たいていは、静かに座りスマホを眺めたり、飲み物を飲んだりして過ごしている。昨日は、点滴の下がったポールをがらがら引きながら、屋上を行ったり来たり熱心に往復している若い女性を見た。「頑張ってるね!」「頑張ってます!」すれ違いざま、誰かと会話する声が聞こえる。黙々と歩行訓練中。大変だなあ。と思いながら、ふと我が身を振り返ると、私も胸から流れる血液(体液)を出すチューブを装着しているから、透明な管に血の赤い色が生々しい。誰かから見れば、私も痛々しいのかもしれない。皆、それぞれに、痛々しいドラマを抱え、ひとときを共に過ごす。特に交流は無いが、共感し合えるような、ゆるい一体感を感じる。 屋上には癒しのエネルギーが降り注いでいる。 私も、誰も居ない時には、体操したり、大祓詞を太陽と東京湾に向かって奏上したりする。光に反射してキラキラ輝く海を見ていると、もしかして、ここは天国なんじゃないだろうか?と思ってしまう。周りは、穏やかさ、静けさ、美しさに満ちている。 昨日、一人で樹木のように日光浴していたら、セキレイが、私のすぐ傍を歩いていた。セキレイは野鳥なので、こんなに人の近くに寄ってくることは無い。やはり、修復