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お墓はどこにある③~雪が解けたら

北海道の高祖父のお墓についてもまだ、場所が判明していなかった。 高祖父は、祖父の戸籍から明治四十四年に出て、祖父の弟のところへ入っていた。 戸籍の表示は大正十年の古い地名までしか分からない。もし現在の住所地と照らし合わせられれば、何か分かるかもしれない。そこで、一か八かで、市役所の住居表示を担当している係に電話をしてみた。担当がその日不在ということで後日電話をくださることになった。二日後のついさっき、電話をいただいた。 〇〇市史編纂室の方だった。 古い戸籍謄本を見ながら古い地名と番地をお知らせしたところ、 「それ、山の中なんですよね~。」と言いつつ、電話の向こうでも、古い地図を確認してくださっている様子だった。 「旭川から網走方面に向かって基線が550mごとになっていて、国道が基線になるので、1号から西に14号まであって・・(ちょっと私には意味不明) もしかして屯田兵?屯田兵だとお墓が集まっている場所があるんですよ。役所に聞いてみた?」 私「え?役所でお墓のこと分かるんですか?」 「管理費払うでしょ。だから分かるんです。あ、でも、今払っている人の氏名が分かればだけど。」 私(ああ、そうなんだ。この地域ではお墓は公営なんだなあ) 市史編纂室の方は、さすがにいろんな歴史的背景を知っていて、すらすらと屯田兵関連の年代などを交えながらいろいろ心あたりを説明してくださった。そして、私が高祖父のお墓参りをするために地名から親戚を調べようとしているのを理解してくださった。 「そうかそうか、事情はよく分かりました!要するにお墓参りしたいんだね!それならね。雪が解けたら、私、調べて来ますよ。急ぎますか?時間かかってもいい?」 私「え?いいんですか?え~っ!ありがとうございます!」 「これもご縁ですからね。」 というわけで、市史編纂室の方がご縁を感じてくださったようで、おそらく仕事の一環で山中の屯田兵の墓所を訪問した際に、我が家の苗字の墓石が無いかどうか、ついでに調べてきてくださると申し出てくださったのだ。なんて、なんて、親切なんだろう。ああ、もう〇〇市史編纂室でバイトさせていただきたいくらいだ。なんてあったかい対応をしてくださるのだろう。東京の役所では100%有り得ない展開だ。 そして、「雪が解けたら」というフレーズがすごくいいな~と思った。 私の脳内で何度もリフレインされた。 「雪

お墓はどこにある②~種の発芽

 お墓はどこにある①の後日談である。 ☆種まきの面白さ 日々、ちょっとずつ何かが分かってくるので面白い。 これは、まるで種まきのようなものだと思う。地面に種を蒔いておけば、天気や季節の影響を受けながらも、その種のベストなタイミングで発芽する。せっかく種まきしたのに、芽が出ない・・・と嘆くようなことも人生には起こることだろう。しかし、目に見えないが地面の下では、種が冬眠しつつ春を待っているかもしれないし、稲妻(衝撃的出来事)の到来を待って一気にエネルギー変換しようと待機しているのかもしれない。 何も起こっていないように見えて、潜象界(すべての現象の源の世界=陰=ない)から現象界(目に見える=陽=ある)への移行は、この次元ではタイムラグがあるように感じる。何がどう影響して目に見える現象として展開するのか、思考では計り知れないのが、この世界の醍醐味である。分からないから楽しめる。 とかなんとか、分かりにくく書いてしまったが、簡単に言うと、この世界では、行動(種まき)が大切!と言う気づきがあったということ。 種まきが、いつ芽を出すか分からない。明日かもしれないし10年後かもしれない。これはすご~く面白い体験ではないか。感動はここから生まれる。感情をめいっぱい味わいたいなら、行動は必須である。 もちろん何もしない(種まきしない)も、一つの選択であり、傍観することが望む結果を招くこともある。何をしてもしなくてもいい。宇宙から見れば良い悪いは無い。すべてが大切な体験だ。結局は私たち(本質)が体験したいように現実はVR映写されている。 私は、この1か月半の間に、閃きに従って種まきをしてきた。「おぉ・・ここで、こんな芽が出るのか!」という発見の連続であった。そして自宅に居ながらも、距離を越えて、人の縁がつながっていった。「おしえて!」と発信すれば助けてくれる人が現れる。今まで存在すら知らなかった人物や土地が一気に身近になってくる。 この感覚をどのように表現したら伝わりやすいだろうか。私の肉体を構成し、生かしてくれている一つ一つの細胞を再発見した!という感じだろうか。元々、そこに在って命を形づくってくれていたからこそ「私」という自我が55年間もオリジナルの体験を実現することが出来ていた。その事実は変わらない。 再発見とは、「そうだったのか!」と気づくこと。元々は全体であったことを思い出

春分の祈り合わせ

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 3月20日 12時6分 太陽が春分点を通過する時刻に日本は春分を迎える。 数日前に友人からお知らせが届いていた。その日のその時刻にお祈りをすると、願いがメチャクチャ叶いやすいのだとか。世界平和とかよりも、個人的なお願いの方がいいとのこと。確かに、願いが叶ったかどうか確認するにも、世界平和だと検証しにくいのかもしれない。祈り合わせ発起人の作家さとうみつろう氏によると、この実験により14万4千人が同時に祈ることで、現実に影響を与えられることを実証するのだとか。人の意識が現実を創造するということを皆が実感できるなら、確かに外側にフォーカスするより内側を整えていくことの大切さに気付きやすいだろう。自身を許し愛するなら、外側の争いは消えていく。この宇宙の仕組みを体感するために。 さて、3月20日、私は何をしていたかと言うと、お彼岸のお墓参りに出かけていた。その後、早めのランチでお好み焼きを焼いており、12時6分のことはうっかり忘れてしまっていたのだった。1時間ほど前に北海道の親戚から携帯に着信が入っており、食事後慌てて静かな場所に移動し、折り返し電話をした。 この電話がなぜ重要かと言うと、私はこの人物と40年ぶりに話をしたのだった。今回、私が勝手に先祖のことを調べ回っているのだが、その過程でどうしても父の出身地にある本家に問い合わせる必要があった。本家夫婦は高齢のため既に話ができる状態ではない。一人は寝たきりであり、もう一人は記憶が確かではなくなっている。一か八かで先祖に関する質問を2~3手紙に書いて送っておいたところ、娘さんが代わりにお電話で知っていることを知らせてくれたのだった。彼女とは、40年前、私が中学生の時に本家を訪問した際に、初めて顔を合わせている。遭遇は過去にその一回のみであった。まさか40年後に先祖のことについて、電話で話をするようになるなどと想像すらできなかった。親世代は仲良く交流していたが、私たち子どもの世代は親戚にまったく無関心であったし、こんなことでもないと、連絡を取るような機会も無かっただろう。 10分ほど話して電話を切った瞬間に「あ!12時6分!」と私は叫んだ。忘れていたくせに、いきなり思い出した。 時計を見たら、12時6分30秒だった。計っていたわけでもないのに、なんだこのナイスタイミングは。 そこで、手を合わせ、目を瞑り、私の個人的なお願いご

127年の空白

 3月9日に△県〇〇〇町の、先祖のルーツが同じだと思われる人物に宛てて手紙を出した。 今まで調査した結果を簡単にまとめ、もし先祖の墓が分かればお墓参りに行きたい旨をしたためた。返信用封筒に切手を貼り同封もしておいた。 3月13日、先方よりメールが届いた。(メルアドも書いておいたので) 奥様からであり、「今日、お手紙が届きました。先祖のルーツを知りたいというお気持ちはよく分かります。お電話でお話できませんか?」とのこと。その後電話をくださって、10分ほどお話をすることができた。 サバサバした感じの、気持ちのよい奥様だった。無駄なことは話さず、必要なことをポンポンと答えてくださった。 ・夫は、重度障害になり、話すことが出来ないため妻である自分が電話をしている。 ・普通の家では、先祖のことはよくわからないはず。この手紙をもらい、調べるのに少し時間がかかった。 ・たまたま、先日手続きの関係で戸籍関係を見ていたので調べることが出来た。血縁の中に(私の曾祖父の名)はいなかった。 ・〇〇〇町に同じ姓の家が3件ある。遡れば先祖は同じだと思う。 ・自分の家系は夫が5代目であり、新しい方。本家というわけではないが、もう一件の方が家系が長いのでそちらに連絡をしてみてはどうか。(親切にも、名前を教えてくださった) ・家紋と手次寺は(私の高祖父と)同じ。 ・一族の墓は〇〇〇町内にある。 ・もし墓参りに来ることがあれば、知らせてほしい。我が家に寄ってもらえれば、お茶くらい出す。 ということだった。後は、「私の単なる好奇心ですが。」と断られた上で ・どうやって△県〇〇〇町のことが分かったのか(戸籍が取れるのか?) ・あなたは昼間家にいるけど、仕事は何をしているのか? ということを質問されたので、丁寧に答えた。 やはり、少々怪しい感じはぬぐえなかったのだろう。確かに家系のことを他人が知っていたら気持ち悪いだろう。また、昼間家にいるような人物は、まともではないかも?と心配になったのもよく分かる。 私は図書館で働いていて、昼間だったり夜勤務だったりするのだと説明した。司書かどうか聞かれたので、そうです。と答えた。ほんの少し安心してくれたようだった。 ちなみに戸籍は直系ならいくらでも遡って取得できるが、傍系になると勝手には取得できないようになっているので安心してほしい。 私は奥様にちゃんと安心してもらい

お墓はどこにある①

 3月8日  ようやく、市役所から除籍謄本第二弾が郵送されてきた。2週間くらいかかった。  今回は、前回取得したものを遡って、もう一つ古いものを請求していた。今回届いたものを見て、△県『〇〇〇町史』に記載されていた内容を公の証明書で確認することができた。そして、さらに詳しいことがいろいろ分かってきた。  〇古い戸籍で判明したこと。  ・曾祖父の父母の名前(=江戸時代生まれの高祖父母)  ・曾祖父が再婚であったこと  ・曾祖父の兄も入植の年明治 30 年に廃嫡していること  ・曾祖父の三男(私の祖父の弟)が幼くして亡くなっていたこと  ・曾祖父の弟が、明治 44 年に北海道 △△ 村へ分家により転籍していたこと。  その際、高祖父母も一緒に△△村へ連れていったらしいこと  既に気分は名探偵コナンだ。    〇曾祖父は遊び人だった?という誤解  曾祖父が再婚だったことで、一つの謎が解けた。  前回届いていた戸籍を見ると、明治 34 年に長男が生まれているのだが、婚姻はせず認知だけ届出していた。そして、明治 37 年に、二男(私の祖父)が生まれ、同日、ようやく婚姻届を出していた。  彼女を孕ませて、結婚したくないから認知だけという遊びが過ぎる男だったのかな?と想像していたのだが、そうではなかった。明治 32 年に前妻と協議離婚をしているので、二股をかけていたわけではない。結婚生活が破綻しているので、なかなか再婚に踏み切れなかったのだろう。二人目が出来てようやく踏ん切りがついたのかもしれない。当時、曾祖父は 32 歳である。いろんな恋愛模様があったことだろう。  婚姻の前年明治 36 年には、屯田兵現役満期となり、5町歩の土地が支給されている。ところが、養う家族はあまりにも人数が多かった。弟などは、分家して独り立ちする年齢に達しており、曾祖父も戸主として襟を正さなければならない状況だったのだろう。  そして、婚姻届の一か月前に、日露戦争が開戦している。世の中の空気が不安に満ちていたことだろう。大切な家族をどのように守っていけばよいのか、真剣に考えていた頃だろうと思う。8月には、召集を受け北韓の地へ駆り出されている。生まれたばかりの次男はまだ5か月の乳飲み子である。当時の曾祖父や家族の心境を想像すると、どれだけ悲

電話帳は役に立つ

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 そう言えば、電話帳って最近見なくなった。 携帯電話が普及する前は、街のいたるところに公衆電話が設置されていて、分厚い電話帳が2~3冊置かれていた。家にも定期的に配布され、邪魔物扱いされていたのも懐かしい。 個人情報を気にする世代の影響か、電話帳に掲載を希望する人は激減。電話番号サービスは継続されているが、ネット上でハローページの情報は公開されていない。 電子電話帳『写録宝夢巣』(しゃーろっくほーむず)という苗字を全国単位で検索するソフトなら販売されている。全国的苗字の分布、順位、県市町村単位での住所氏名電話番号苗字ランキング、フルネームでの検索が可能。2000年ごろのものが最も収録数が多い。家系図づくりの業者は、このソフトを活用しているようだ。 さて、久々に、電話帳の恩恵を被った出来事があったので、書いておこう。電話帳はまだまだ、充分に役に立つこともある。 〇3月2日(土) ◯◯市立図書館よりメールが届いた。 「   明治30年当時の村の番地が判明した場合、   現在の市のどこの住所にあたるのかを調べるには   どのようにしたらよいでしょうか。」という私の質問に対し 「図書館では、新旧の地図を比較して調査します。その年代は絵図になり、山や川などを目安にして現在場所に当りをつけるという方法になるかと思います。 今回の場合、6つの村が合併して△村となったようなので元々はいずれかに所在されていたと思われます。 当館では古文書で 6 つの村の絵図を所蔵しておりますので、どちらの村のどの場所かがわかれば、もしかしたらこちらで再度調査できるかもしれません。 はっきりとしたお返事ができませんが、またご質問がありましたらご連絡ください。」 と、丁寧な解答をいただいた。 〇3月4日(月) 行き詰まっていた。今日も調査を続行したいが、動きようが無い。 まだ、市役所から、曾祖父の除籍謄本が届かない。入植前の地名が記されていたとしても合併後の村の名になっているから、図書館が知らせてくれた6つの村名までは分からないだろう。それとも字名などで、当たりをつけられるんだろうか。 朝から、悶々としていた。今日、何かしたいんだけどな~。どうしたらいいかな~。 ふと、「電話帳で調べてみたらいいんじゃないの?」と閃いた。突然の閃きである。我が家の苗字は、市内でそんなに多くないはずだ。 月

国会図書館が進化していた!

この数日、なかなか面白い展開になっていた。 以前も何回か投稿してきているが、祖先調べについてである。 役所から除籍謄本が郵送されてきて、曾祖父の名前が判明した。曾祖父から5代目までの世代の家系図もエクセルで作成した。 それでも飽き足らず、曾祖父の伝記を書くことにした(笑)。 せっかく図書館やネットから情報を仕入れたので、戸籍の情報だけでなく、人生に起きたであろう出来事を一冊にまとめてみたいと思ったのだ。書き始めたら夢中になってしまい、もっと肉付けをしたくなった。曾祖父の入植後の情報だけでなく、故郷の情報も出来るだけ入れておきたいと思った。現在判明しているのは、入植年月日と「△県△郡◯◯村」という地名のみである。さて、ここからどのように情報収集していけばよいのだろうか? ☆△県◯市立図書館とのやり取り まずは、◯図書館へメールを出した。 2月28日 私「お忙しいところ恐れ入ります。図書館様では、メールでのレファレンスを受付していらっしゃいますでしょうか。 レファレンス内容 明治期(40年の合併前まで)の◯◯村の資料を探しております。 明治30年に曾祖父が、屯田兵として北海道へ入植しました。 曾祖父の歴史を調査中で、その頃の村について記載のある書籍名を教えていただけないでしょうか。 (新修◯市史(9〜13巻)は、貴館デジタルライブラリで見つけました。) また、明治30年当時の村の番地が判明した場合、現在の市のどこの住所にあたるのかを調べるにはどのようにしたらよいでしょうか。 もし可能であれば、ご回答をよろしくお願い申し上げます。」 ↓(3時間後)対応早っ! 図「図書館〇〇です。お送りいただきましたレファレンスを受け付けました。 お時間をいただきまして、回答させていただきます。不明な点などありましたら、お問い合わせさせていただくかもしれません。どうぞ宜しくお願い致します。」 ↓(3日後)私は自宅でのんびり待つのみ。 3月2日 図「図書館の〇〇です。先日、お問い合わせいただきましたレファレンスの回答をお送りします。  村に関する資料は、下記の資料に掲載されておりました。 (省略) こちらに記載した資料は、当館に所蔵されていますが、 国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されており、個人送信サービスに利用者登録されると閲覧可能(無料)