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1月, 2022の投稿を表示しています

いまに在ることと催眠

 先ほど、浴槽につかりながら、いまに在るための練習をしていた。音や空間に集中したり、身体の各部位を感じたり、呼吸を感じたり。 思考は、ふと流れ出す。思考してるなと感じた時点で手放す。また、集中する。 そう繰り返していたら、次のようなメッセージがやってきた。 これも私の思考なのか、ほんとうの私からのメッセージなのか、わからないが、今日のセッションへのアドバイスに思えたので、記録しておきたい。 「耳をすませて、音に集中してください。 今、座っている、足を感じてください。 足の裏を感じてください。 右側に見えるもの、ひとつに集中してください。続けて左、前、後ろを感じて。 次に、真ん中のなにもない、空間に意識を集中してください。 はい、ありがとうございます。 あなたは、思考している時は、内容をどのように捉えていますか?頭の中に言葉になって出てくる感じですか? 夕飯何作ろうかな。とか 昨日、上司に怒られてムカついた。とか たいてい、過去か未来のことをずっと話していませんか。 思考は、過去や未来のことをずっとしゃべっていますね。 さて、今、エクササイズをやりました。 頭の中のおしゃべり、どうでした? そういえば、頭の中、静かになっていたかも? そうなんですね。 このエクササイズをすると、いまに在ることが出来るのです。 思考は過去か未来が大好きなので、あなたがいまに在る状態では、黙るしかなくなるのです。いまが苦手なんですね。 そして、心の中にカーテンで仕切られた部屋があり、思考がおしゃべりしている間、カーテンは閉まっているのですが、静かになると、カーテンがめくれやすくなるんです。 奥の部屋には、ほんとうのあなたがいます。 心の中が静かになると、ほんとうのあなたが、カーテンをめくって、顔を覗かせます。わたし、今ならお話しても大丈夫かしら?と。 ほんとうのあなたは、とても奥ゆかしいんですね。静かで穏やかで平和です。リラックスして、安心で、気持ちのよい落ち着いた心の時、あなたはほんとうのあなたと共にいます。 この状態で、ほんとうのあなたに質問すると、何でも瞬時に答えてくれます。 言葉だけではなく、イメージだったり、テレパシーみたいだったり、あなたが分かるように伝えてくれます。よくわからないけど、こんな感じがする。という微かな合図かもしれません。 ほんとうのあなたは、実は、大いなる存在と

ネガティブとどう向き合うのか

 先日催眠療法のセッションをさせていただいた方から、メッセージをもらった。 彼女は、胎児期退行催眠で、なぜ自分が過酷な人生を選んで生まれてきたのかを知った。 一晩経過し 「あれから潜在意識の何を見たり知ったりしていけば良いのか、現在のあるネガティブを踏まえ考えてみたのですが、これだ!というのはわからず、なので、潜在意識にお任せをしたいと思います。ヒプノヒーリング、お願いしても宜しいですか?」 とのこと。 彼女とは、事前面談でも、大いに盛り上がり、共感の嵐だったのだが、つくづく不思議に思うのだ。なぜ、このように、私の課題にピッタリの人物と出会わされるのか。 彼女の悩みは、即、私の今抱えている悩みに通じる。 「いつも穏やかで平和で楽に生きていきたい。分かっているのに、時々、自分の中からネガティブな感情が沸き上がってきてしまう。そんな時、どう対処していったらいいのか。ずっとこの繰り返しなのだろうか。」私も、そんなことを思っていたこの一ヶ月だった。 今日の午後、彼女のセッションをさせていただくのだが、在る意味、私自身のセッションと捉えることも出来る。彼女が、潜在意識の中から、どんな気づきを得るのか、楽しみだ。 人と人は、このように引き合う。同じような波動の人と出会う。そして、互いを鏡として、影響しあい、磨き合う。人は人と関わることで、成長していくのだなあと、今さらながら、宇宙法則の深淵さに感動してしまう。 この宇宙法則である波動の法則は、次のようなイメージで捉えている。 私が、ある日、このような問いを発する。 「今日、こんなことがあり、おかげで自分の中にネガティブな思いが潜んでいることがわかった。浄化してもしても切りがない。そもそも、ネガティブはどう対処したらいいのだろうか。知りたい。」 思考は現実化する。 私の思考は、この瞬間に、波動となり、宇宙に波を発信する。水溜まりに小さな小石を落としてみると、波紋が広がるだろう。指をちょいとつけるだけでもよい。あれが波動だ。思考の波は、宇宙にあまねく伝わる。 この波動をキャッチし、同じ波動の存在が引き寄せられてくる。 私たちは、思考を現実化しながら生きている。これは真理だ。 では、望んでいないことがなぜ起こるのか? いわゆる、ネガティブな出来事と私たちが捉えている事。 たぶん、この点が、多くの人々が納得いかない部分かと思う。「ポジテ

暗示療法体験~毎朝鏡を見ると

 イーハトーヴヒプノセラピーカレッジのセミナー修了者が、定期的に10人程度集まり、トレーニングをしている。折角習った技法を錆び付かせることないように、セラピスト役とクライアント役を交代し、互いに切磋琢磨していく勉強会だ。 私のペアは、笑顔の素敵な女性Aさん。 Aさんは、親からの虐待を受け、精神障がいを持ってしまったそうだ。過酷な人生を乗り越え、今は断薬に成功し、催眠療法で自身と同じように精神障がいで苦しむ方々のお役に立ちたいと勉強している。とても熱意溢れる方だ。 私は、セラピスト役の時に、胎児期退行催眠を使いセッションをさせていただいた。 Aさんは、生まれる前にいた、中間世まで戻り、空の上から母親を眺め、なぜ辛いのが分かっていながらこの人生を選んだのか思い出した。 「母を助けたい、守りたい。負の連鎖を私で断ち切りたい。私は丈夫だから大丈夫。私なら出来る!」 親から辛く当たられ苦しんで育った母を助けたい一心で生まれたと言う。障がいを持ったのも、家族の負の連鎖を断ち切る手段だったのだそうだ。そのために、筆舌に尽くしがたい過酷な運命を辿ることになるのだが、Aさんは、何て勇気ある魂なのだろうと、私ももらい泣きしてしまった。 Aさんのセッションは、やはり痛みを伴うもので、途中で終了し解催眠することになったのだが、彼女自身の言葉で「玉ねぎの皮を剥くように、今日は一枚だけにしておきます。」と言われたのが印象的だった。 トラウマの大きなクライアントの場合、潜在意識に閉じ込めたネガティブな感情が催眠状態では時に暴走しクライアントを苦しめてしまうこともある。 セラピストは、見極めが必要となる。どこまで進めるか。どこが本日のセッションでの引き返し地点なのか。クライアントの言葉、表情、感情を細やかに受信しながら、互いに協力し合う。 例え、玉ねぎの皮を薄くとも、一枚剥がしたクライアントの勇気は尊い。 一回で済ませるのではなく、スモールステップで、クライアントの回復スピードに歩調を合わせるセッションのあり方を学んだ。Aさんとの出会いが無ければ、実感として落とし込めなかった。催眠療法の神様が居るなら、天の采配であったと感謝した。学びが大きかった。 次に、私がクライアント役になった。 Aさんはまだ、催眠セミナーの初めに習う暗示療法だけセッション出来る段階のため、必然的に暗示を入れてもらう流れとなっ

いとおしい

 いとおしい どんな感情だろうか。 あなたは、言葉で説明できるだろうか。 あらためて考えてみると、難しい。 ピュアで真っ直ぐな気持ちというよりは、何だか深く、複雑で繊細で淡い。光そのものと言うよりは、闇も経験したからこそ到達する感情ではないだろうか。 光と闇、善と悪、生と死。あらゆる二極を体験した先にある不思議な愛の形。 蓮の花が、泥沼から栄養を得て、美しく花ひらくような。 今の幸せが永遠ではないと、この世の命はいつか終わりが来ると、すべては流転すると知るからこその「いとおしい」ではないだろうか。 この感情を味わえるようになるまでに、どれだけ私たちは、笑い、涙し、喜び、悲しみ、怒り、恨み、どん底の泥を噛みしめ、泥沼の底から、一筋の光を見出だしただろうか。 「いとおしい」は、二極の体験から得る、宝石だ。想像を絶する圧力摩擦に耐えたからこそ、色彩と輝きを生み出した。 長堀優医師の本。後書きにあったエピソード。 一笑に付しても構わないが、琴線に触れたこと。 とある宇宙存在がメッセージを送ってきたとか。 「地球は、二極を体験できる、実験場だ。宇宙には、地球以外、そんな貴重な星は無い。二極体験を通し、魂を進化成長させる場である。あなたは、いとおしいという感情が分かるか?私たち宇宙存在は、いとおしいという感情が分からないのだ。」 いとおしい いとおしい その感情を思い起こして、静かに味わう。 前世何百の人生から得た、貴重な感情である。 大切な人、もの、国を何度となく失い、慟哭した微かな記憶。儚い存在を守りたいと願う記憶。 掛け替えが無いからこそ、胸がキュンとして、何だか涙が出てくるような。この幸せは今だけのものであると知っていながら、永遠であれと祈るような。優しく撫でるように、そっと抱き締めたくなる。そんな、二極が統合された暁に到達するであろう、静かな光である。 光も闇も、善も悪も、真我も自我も。 人間の愚かさを嘆きたくなる現代ではあるが、これで良かった。両方の極を体験し、私たちが苦しみながら、または楽しみながら得てきたことは、この地球だから実現した。 今という時代の転換期に、この掛け替えのない地球に命を宿せた幸運に感謝する。 いつ、どの瞬間にも、私はマザーアースに、最大限の尊敬と感謝と愛を送る。 たくさんの愛をありがとう。 さっき、涙が出たので、汚れた眼鏡を拭いたら、涙の水分

神の計らい

 『日本の目覚めは世界の夜明け』長堀優 著 でくのぼう出版 育成会横浜病院院長である長堀医師の本を今朝から読んでいる。どの章も魂に響き、涙しながら読み進めているところだ。 長堀医師のことは、催眠の先生である萩原優医師のClubhouseで初めて知った。西洋医学だけでなく、ホリスティック医療も実践され、主にがん患者の治療と看とりに専念されている。 私もがん闘病経験があり、今はまったく元気だが、再発の怖れは頭のどこかに絶えずある。私のこの経験を活かし、催眠療法でがん患者たちのお役に立てないか。そんなことも考え始めていた。 そんな中、長堀医師の存在を知り、今回初めて著作を手にしたが、あまりに深く魂に浸透するような内容に、感動しきりである。本書は、がんにはあまり触れていないが、死を意識することで、より命を輝かせ、最期の瞬間まで生き切るという積極的生き方に誘われる素晴らしい内容だ。 気になる方は、ぜひ本書を読んでいただくとし、第二章にある、神の計らいを読んで、思い出した私の体験を記しておきたい。 神は目には見えないし、科学的に証明もされない。なのに、なぜだか、神を感じる。根拠もないのに、奇跡的偶然の重なりで、誰かに采配されたとしか思えない体験をする。誰もが人生で一つは「そう言えば。」と思い出語りを始めるのではないだろうか。神ではなくとも、ご先祖様でも、お天道様でも、亡くなったポチでもよいのだが、目には見えずとも自分を守り、良い方向へ導いてくれる存在のことと捉えてほしい。 五年ほど前に遡る。当時、安定した組織で中堅として働いていた私は、何故か分からないがエネルギー不足に陥っていた。兎に角仕事に行くのが辛い。業務も人間関係も悪くないのに、辛い。そして、自分のことも嫌いだった。 とある切っ掛けで、知り合った方の影響で、今まで避けてきたスピリチュアルな世界にはまり込むようになる。生まれて初めて自我が癒され、自己肯定を学んだ。癒しを求め、都度お金が羽をはやし飛んでいく。その時は癒されるのだが、生き方が変わらないので根本解決はしないわけだが、当時はそれが精一杯。 私の依存心が、相応の人を呼び寄せたのだろう。最初は天使かと輝いて見えた人物の悪魔的裏側を見てしまったり、スピリチュアル世界の危うさも身をもって体験した。私は、無知な鴨ネギだった。 しかし、一度、精神世界を覗いてしまうと、もっと知

自分神様相談始めました!

 自分神様って何? 自身=自神    つまり、言ってしまえば、自分です。 な~んだ。自分で自分に相談なんて、面白くない。相談するなら、もっと賢い人にするよ。 そう思われますよね。 大丈夫です。自分神様は、宇宙叡智と繋がった賢い自分のことです。誰もが本来は、宇宙源の叡智(世の中では神様と言われていることが多い)と、いつでも繋がっているのです。 神様と聞くと、尻込みしてしまいそうですが、賢い自分にだったら、気軽に相談できそうです。なので、自分神様という表現がしっくりこない場合、お好きな名前を自由につけてください。 やり方を説明します。 『おしえて神様 誰でもできる自動書記』田中小梅著  を参考にしましたが、私なりに、催眠療法で学んだことなども、付け加えつつ、書いていきますね。 静かな部屋に一人になる。 紙とペンを用意する。(パソコンやスマホでも) 目をつむる。 深呼吸する。 リラックスしてくる。 自分の中に問いかける。 これだけです。 自分の中に質問すると、なにか、ふと、返ってきます。キーワードやイメージや、最初は文章でないかもしれません。それを書き留めていきます。意味が分からなければ、その点について、質問を重ねます。いつの間にか、腑に落ちる回答が得られます。 注意することは、 悩んでいる時は、心がザワザワして波立っていますね。その状態のまま質問しても、自分神様には繋がりがません。自分神様との通信には、条件があります。それが、リラックスです。 お風呂に入っている時に、ふと閃くことありますよね。悩みが解決したり。新たなアイディアが浮かんだり。基本、それと同じです。リラックスした時に、人の意識は顕在意識から潜在意識優位に切り替わります。潜在意識とは、直感が働く状態です。直感を通して、神様と対話ができるのです。顕在意識優位の時は自我にしっかり守られているため、脳内の狭い知識、価値観からしか答えを得られません。一面的な見方しかしないので、問題が起きたのと同じステージ上では、解決には至らないのです。多角的視野を持つことで、新たなステージへ誘われていきます。たいてい、解決します。 まあ、難しいことは無いので、ちょっと私がやってみましょうか。誰でも出来ます。 日常の些細な疑問を投げ掛けてみますね。さて、私の神様は、どんな答えをくれるかな?やり取りなど、参考にされつつ、潜在意識の自分っ

現実は愛で変わる

 現実の見え方が一瞬で変わった出来事を書いておく。 こちらのblogを読んでくださっている方の中にも、時々、苦しい感情が湧いてきて辛い時間を過ごされている方がいらっしゃるかもしれない。ほんの少しでも参考になればと願う。 10日ほど前に、父が出先で転び、救急車騒ぎとなった。左手骨折である。 父はいろいろ持病があり、主治医のいる病院に入院できるまで、自宅待機となった。 やっと、入院して手の手術という前の日に、自宅で転倒し、今度は腰の骨を折った。 今日、手術だったのだが、病院からは一週間で退院してもらうと言われ、地域包括支援センターは、その後についてあやふやだったらしく、母には父の手術やら、入院やら、しばらく自力で歩けないであろう父の入所先やら、多大な負担が一気にのしかかった。 コロナで、病院の制限もあり、姉にほとんど全てをお願いし、私は役立たずながら、市役所に電話し今後の見通しについて、情報収集係に専念していた。 いよいよ、父の施設入所が動き出す。 父は、軽い認知症があり、母が一切お世話をしていた。昨年、見るに見かね、一度施設入所のために動いたが、最終的には母が「自宅で看取るまで最後まで面倒見る!」と決意。昨年末に、トイレや庭に父が移動できるよう、手すりを張り巡らせた矢先の転倒事故だった。 一年前、私は、母の負担を減らしたい一心で、施設入所賛成派だった。何ヵ所か見学に行き、母を説得しようとしていた。あたたかい雰囲気のリハビリも充実した有料施設を見つけ、私の退職金を注ぎ込むつもりだった。母は、「父と離れて暮らすぐらいなら、死ぬ!」とまで豪語し、娘心が大変傷ついたのだった。 しばらく距離をおき、様子を見ていたのだが、母は逞しかった。私は、娘として、役立つことはあまり無いのだなあと、少し寂しい気持ちがしていた。まあ、いつか、本当に必要な時に、私が何か出来るだろうと、気持ちを切り替えた。この背後には、いろんなトラウマが蠢き、父母に対するネガティブな思いを解放するために、七転八倒するのだが、blogに以前書いてきたので、今は触れない。 さて、手術も無事終わり、これから先を考えていたら、とても重い周波数の感情に捕らわれた。過去、母が不用意に発した言葉に、まだ拘っている自分に気づいた。それを受け止め流すだけの器が私には無いのである。(これを書きながら気づいたが、重い感情が出ている時に

セルフ前世療法チャレンジ

 昨夜、Clubhouseで、セルフ前世療法という書籍で有名な根本恵理子さんと、私のヒプノセラピーの先生である萩原優医師の対談をお聞きした。 前世は、セルフでも可能という。根本さんは、ご自身のHPで誘導音声を公開している。 もちろん、セルフでも前世を見る人はいるが、プロセラピストの誘導による施術の方が、クオリティは高い。前世の深刻度によっては、下手に潜在意識から何かを引出してしまうと、癒しどころか、トラウマになってしまうかもしれない。ただ、催眠療法により、人生を前向きに捉えて生き直す人々は多いので、気軽な体験として、裾野を広げる意味は大きいとは思う。 さて、現在の私の課題は、催眠療法の各スクリプト暗記。いつまでも、誘導のたびにテキストを読み上げるのに精一杯では、進歩がない。はたして、私は今、どれだけテキストを見ないで誘導可能なのか?ふと興味が湧いた。 そこで、自分に誘導をしてみることにした。記憶を頼りに、早速試した。 テーマは、今の私が観るに必要な前世とした。 19世紀か20世紀初めの頃、アメリカ。30歳くらいの痩せた女性。ミス クラークと名乗る。上質なドレス。白亜の豪邸。裕福らしい。 食事場面。10人ほどが長いテーブルについている。銀食器が光って、あまり料理が見えない。 斜め左前に叔父。不健康なお腹の出た体型。「ミス クラークは、生意気。早く結婚するか、修道院でも行って、家から出て欲しい。」 斜め右前に白髪の母。心の内。「娘は、20代の頃、好きな男性がいたらしいが、家柄が釣り合わないので、結婚ははなから諦めていたらしい。父親が勧める縁談も断り続け、オールドミスになってしまった。恥ずかしい。出家でもしたらいい。」 裕福だが、幸せには程遠く、不自由な気持ちでいる様子。家族に心の潤いが無い。 人生で大切な場面へ。 雪景色。村の貧しい一軒へ、奉仕に来たらしい。修道女の服装、木の皮のような粗末な靴。望みが叶い修道院へ入り、村で、病人に食べ物を届けたり、見舞うなど、奉仕の日々を送っている。 次の場面 祭壇前で祈っている。キリストの石像が見える。神と供に居る祈りの時間が、唯一、本来の自分に戻れる幸せな時間だと感じている。 臨終 ベッドに横になっている。付添人が居眠りしている間に静かに息を引き取る。皺だらけの顔。長生きしたらしい。 中間世 魂は、20歳くらいに若返り、頬を上気させ

魂からの言葉

 今、夜中の0時をまわった頃 先ほどまで、うとうとしていた。 断片的な夢を見ながら、半分覚醒していた。 そこに、スッと、ある言葉が差し出された。 これが、私の魂からの言葉なのだろうと思った。 何の脈絡もなく、私の意識に届けられたのは 「いろんな愛がある。」 という短いメッセージ。 シンプルで、じわじわ味わい深い言葉。 私たちは、愛というものを限定して捉えていたかもしれない。 優しく、あたたかく、美しく、安心できて、心地よいもの。 では、その反対のものは、何でできているのか? 現実は、幻想の世界だという。実体の無い幻であると。 私たちが、現実と思い込んでいるものが、舞台の書割のように、ある瞬間に崩れ去ったとしたら? 愛とは対極にあるような人物でも、彼の言動から、自分が何らかの気付きを得られたなら、その働きは、やはり愛である。 目に見える現象の背後にある真実は いろんな愛 なのかもしれない。 これからは 目の前に起きる現実の背後に どんな愛が隠されているのか 発見していく生き方が、面白いかもしれない。 そもそも現実は自分で作っているので 「わあ、今度はこうきたか。さて、私の魂さんは、今回、何を伝えたいのかな?」 そんな心意気で現実に向き合うと、今までのように、条件反射で感情に振り回されることは無くなるかもしれない。 そして、いろんな愛を発見して 「こんな愛の形もあるんだなあ。」 と、感謝するのだろう。 「ありがとう」の生き方になっていく。 だんだん、地球生活の味わい方が分かってきた気がする。 以下は、今読んでいる本から、この気付きにピッタリの記述があり、紹介したい。 「かつて私も、ものごとを全て善意に解釈する人間にあこがれた。善いことが起こればもちろん、たとえ悪いことが起こっても、全てを善意に解釈できる人がいる。彼らはどんなことも、善い目的のために起こってくるのだと固く信じている。そして、他人の中に悪意を見いだすことがない。それは私の理想であり、目標だった。 しかし、しばらくそんなことを念頭に置いて生きていくうちに、どんなに善意に解釈しようとしても、どうしてもできない場合があることを認めざるを得なかった。 次に私が心がけたのは、善いことは善い。悪いことは悪いという、正しい判断ができるようになりたいと思った。しかし、どんなに正しくものごとを見ようと思っても、われわれは常に

現実はあくまで優しい

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  (写真:皇居前広場にて、白日の下に晒される私。思いがけない出来事により、一気に浄化された。) 前回のblogで、現実は自己の内面を現すと書いた。昨日の出来事を記しておきたい。 昨日、私とK氏は、大型書店の一角に居た。平日であり、客は疎らであった。私たちは、さらに人気のない鉱物のエリアで、静かに本を眺めていた。周りに人も無く、平和で静かなひとときであるはずだった。 誰かが、私たちの背後を通り過ぎていった。その人物は、K氏にぶつかった。K氏は、こんなヒト気も無いエリアでわざわざぶつかった相手に、ムカッときたに違いない。避けようと思えば、いくらでもスペースはあるわけだから。 さらに、ぶつかった相手は、信じられない挑発をしてきた。 「邪魔なやつだな。やるのか?やるなら、どこでも行くぜ。言いたいことあるならいくらでも聞くぜ。」 私とK氏は目が点になった。 まるで、ヤクザの喧嘩の売り方である。K氏は、思わず挑発に乗りかけ、相手に近づいていった。「ぶつかっておいて、謝らないのか。失礼なやつだな。」相手も引き下がらない。「やるのか。行くなら行くぜ。」 ヤクザみたいだが、普通の身なりのよいサラリーマンだ。丸の内の大手企業で勤めるエリートだろう。 K氏は、それ以上挑発に乗らず、無視することにしたらしい。気持ちの切り替えの早さには、毎回学ばされる。K氏は、穏やかな口調で私に話しかけた。「その本買う?ゆっくり見なよ。」私は内心ドキドキしていたが、何事も無かったかのように静かにレジに向かった。 心乱れたサラリーマンは、書棚の向こう側に消えたまま、もう現れなかった。 現実は自己の内面の現れだという。十年に一度くらい、このように、同行者がいわれの無いインパクト大の絡まれ方をされる出来事が起きる。今回は、私の何がK氏の体験を通して現れたのか。K氏は可哀想だったが、私の気付きのために付き合ってくれたのだろう。 解釈は、いろいろあると思う。 まず、気づいたのは、「邪魔だな。」と思う私の狭量さだ。口に出さずとも、心根で、わたしはあのサラリーマンと同類なのだ。ここで白状する。 図書館で、本を棚に返す仕事をしているが、たまに、返したい場所に利用者が陣どっている。もちろん、利用者優先であるから、作業は後回しにするのだが、忙しいと、狭量さが出てくる。「邪魔だなあ。」と苛つく自分を感じてはいた。なぜ、こんな小

アートソウルワーク体験~人生の道

 「アートソウルワークとは、アートを通じて魂の声を聞き、夢を叶えるためのメソッドです。人は誰しも魂の夢を持っています。それは生まれる前にみずから定めてくるもので、魂のブループリントに記録された契約でもあり、全人生をかけても叶えたいという、熱い渇望をともなう運命的な夢のことです。 魂の夢とは、たんなる願望ではなく、自分のためだけのものでもありません。その願いは人々のためにあるものです。この世のありとあらゆるものと共に生きていくためにこそ叶えられなくてはならない夢なのです。 アートソウルワークは、芸術活動をベースとした、魂とつながるためのワークです。ちょっとした絵や言葉をつづったり、ダンスしたり、イメージワークや工作などを試していきます。」 『アートソウルワーク』サライア著 たま出版 昨年末、催眠療法の勉強会で、催眠に絵を利用した手法を知った。私が学んできた伝統催眠ではなく、エリクソンの現代催眠だったのだが、クライアントが描く花の絵に、驚くほど深いメッセージが込められていることに気づいた。 誰もが、本質の自分(魂)と容易に繋がることができれば、どんなに生きやすくなるだろう。しかし、魂は、言葉を発するわけではない。かろうじて心や身体の反応で、一端を掴むしかない。そこに、自らが表出したアートが存在したら、どれだけ魂のメッセージが理解しやすくなるだろう。 そう考えていたところ、本屋の棚の片隅に、上述の本を発見したのだ。これは面白い!早速自分を実験台に試してみた。 この本には、39ものワークが掲載されている。クレパスで丸を描いたり色を塗ったり、言葉を書いたり、とても簡単。 その中で、催眠療法の手法に通じるものがあり、それを紹介したい。人生の道というイメージワークだ。 ☆椅子に座り軽く目を閉じ、ゆっくり息を吸う。喉や肺の感覚に注意を向ける。 ゆっくり息を吐く。肺から喉に呼吸が出ていくのを感じる。 呼吸を繰り返す。すっかりリラックスしてくる。 ☆あなたは、道を歩いています。人生という道です。どんな感じの道ですか? 白いモヤモヤした小道が、真っ直ぐに伸びている。道の先は緑のモヤモヤした森が見える。全体的に、東山魁夷の日本画のような世界。他に生き物は見当たらず、とても静か。霞がかかっていて、現実感がない。とらえどころのない道。 ☆十年後の地点に到着しました。どういう場所ですか? 目の前

初日の出

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 新年明けましておめでとうございます。 画像は、我が家からの元旦の日の出。 丁度、マンションの外壁工事の最中で、網目が見えるが、新年の太陽の光が、真っ先に神聖な十字に形作られたことに、驚いた。 2022年は、より、自分の中の神聖さ、崇高さを深めていきたいという、決意の表れのように感じた。 さて、昨年末から、畳み掛けるように、いろんな学びが起こっていた。 大きな出来事は、身内のことだろうか。 仮にA氏と呼ぶ。 A氏は、最愛の妻を亡くし、20年過ごしてきた。不思議と妻との別れから数年後、側に居てお世話してくれる女性と出会う。籍を入れるわけでもなく、自然な流れで共に暮らしている。傍目では熟年夫婦に見えるが、関係は兄妹のようなものだろうか。人の関係はよく分からないものだ。ただ、互いに幸せならば、周りがとやかく言うことは野暮だろう。 A氏は、この数年、軽い認知症傾向があり、家に閉じ籠るようになった。運動不足になるから、どんどん鬱症状に拍車をかける。近くに住む息子達が気にして、せめて散歩するようアドバイスしても、A氏は、頑として聞かない。そればかりか、認知症で病院に通っていることすら息子達に隠している。(同居の女性からバラされているので、周りには周知のことだが) 息子たちは、父親のプライドを思いやり、都度、話を合わせてきた。父が演じる、「何も問題無い。順調だ。」との言葉を信じる振りをした。そのため、全ての不都合は、同居の女性に積み重なっていった。彼女の献身には頭が下がる。籍も入っておらず、責任をおう必要は一切無いのに、何故、彼女はそこまでして、A氏に寄り添うことが出来るのだろうか。 A氏は、息子達が実家に集まり、父親の今後について話し合う時も、不貞腐れ自棄になる。同居の女性が現実を見据えた提案をしても、自らを振り返り、生活態度を変えようとはしない。抵抗し続けている。息子達も、傷ついていく。年老いた父を思いやりたいが、本音はただ、悲しいのだ。肉体が老いるとは、こういうことなのだなと、追い付かない心で、眼差しを送る。 私がここでA氏達から学んだこと。 本音なのか、自棄になったのか定かではないが、彼の心無い発言は、周りを傷つける。それでも、同居の女性は、A氏に添い遂げようと、現実の中で、最善と思われる方向に共に歩もうと努力している。戦中戦後を逞しく生き抜いてきた女性の底力を感じ、ひた