暗示療法体験~毎朝鏡を見ると

 イーハトーヴヒプノセラピーカレッジのセミナー修了者が、定期的に10人程度集まり、トレーニングをしている。折角習った技法を錆び付かせることないように、セラピスト役とクライアント役を交代し、互いに切磋琢磨していく勉強会だ。

私のペアは、笑顔の素敵な女性Aさん。

Aさんは、親からの虐待を受け、精神障がいを持ってしまったそうだ。過酷な人生を乗り越え、今は断薬に成功し、催眠療法で自身と同じように精神障がいで苦しむ方々のお役に立ちたいと勉強している。とても熱意溢れる方だ。

私は、セラピスト役の時に、胎児期退行催眠を使いセッションをさせていただいた。

Aさんは、生まれる前にいた、中間世まで戻り、空の上から母親を眺め、なぜ辛いのが分かっていながらこの人生を選んだのか思い出した。

「母を助けたい、守りたい。負の連鎖を私で断ち切りたい。私は丈夫だから大丈夫。私なら出来る!」

親から辛く当たられ苦しんで育った母を助けたい一心で生まれたと言う。障がいを持ったのも、家族の負の連鎖を断ち切る手段だったのだそうだ。そのために、筆舌に尽くしがたい過酷な運命を辿ることになるのだが、Aさんは、何て勇気ある魂なのだろうと、私ももらい泣きしてしまった。

Aさんのセッションは、やはり痛みを伴うもので、途中で終了し解催眠することになったのだが、彼女自身の言葉で「玉ねぎの皮を剥くように、今日は一枚だけにしておきます。」と言われたのが印象的だった。

トラウマの大きなクライアントの場合、潜在意識に閉じ込めたネガティブな感情が催眠状態では時に暴走しクライアントを苦しめてしまうこともある。

セラピストは、見極めが必要となる。どこまで進めるか。どこが本日のセッションでの引き返し地点なのか。クライアントの言葉、表情、感情を細やかに受信しながら、互いに協力し合う。

例え、玉ねぎの皮を薄くとも、一枚剥がしたクライアントの勇気は尊い。

一回で済ませるのではなく、スモールステップで、クライアントの回復スピードに歩調を合わせるセッションのあり方を学んだ。Aさんとの出会いが無ければ、実感として落とし込めなかった。催眠療法の神様が居るなら、天の采配であったと感謝した。学びが大きかった。


次に、私がクライアント役になった。

Aさんはまだ、催眠セミナーの初めに習う暗示療法だけセッション出来る段階のため、必然的に暗示を入れてもらう流れとなった。

これが、実は必要な運命の流れであったことを後で実感することになる。

暗示療法は、セミナーで二回。夫相手に一回しか経験がなく、次に習った退行催眠の華々しさに夢中となり、今まで疎かにしていたところがあった。ところが、あらためて体験してみると、そのパワフルさに我ながらビックリした。暗示療法の可能性の大きさに気づけたことは、今後に大切な示唆をいただけたことになる。

さて、暗示療法の流れを私のセッションを元に書いてみる。

☆事前面談

セラピストと時間をかけて話し、暗示文を作成。この時点で、セラピストにかなり自己開示できるので、既に癒され、心境が変化している。

暗示文「毎朝、鏡を見て、自分の目を見ながら、自分の気持ちを言葉にします。そうすると、リラックスしてとても安心した気持ちになります。それを1ヶ月続けると、自信がついて、堂々とした自分になります。」

後催眠暗示

「朝、洗濯物を畳むと、鏡を見たくなる。」

これは、時々、誰かに叱られるというネガティブな思いが沸き上がってきて、無意識に叱られている場面を想像して、いきなり誰かに言葉の暴力で傷つけられることから心を守っている自分の癖を治したいという課題に取り組んだものだ。

Aさんご自身の体験から、

自分の目を見ると、目だけは正直だから、自分の本当の感情が分かる。おそらく私は、本音を言葉にできていないので、胸の内に溜まった負のエネルギーを解放し癒す必要がある。とアドバイスされた。

そのため、まずは第一歩として、毎朝、自分の感情を言葉に表現してみることにしたもの。

☆一日目をイメージする。

鏡の前に立つ。目を見る。「面白いね。新しい挑戦はワクワクする。」と言っている。

☆三日後

鏡の中の目を見る。寝不足か。腫ぼったい。元気の無い目。「いろいろあるさ~。」と言っている。何があったか分からないが。セラピストの誘導で、気持ちを丁寧に探り言葉にしていく。「元気が無いの。」「何だか寂しい気持ち。」と言葉にする。

☆二週間後

鏡の中を見る。ビックリ。私が光っている。内側から輝いていて、キラキラ。セラピストに質問を重ねられながら、状況を探っていく。

どうやら、毎朝自分の本音を言葉にすることにより、安心感が生まれたらしい。また、「○○という気持ちがする。」「私は○○と感じているんだね。」と、自分と自分が対話することで、分離して遠く離れていた自我と真我が歩み寄り、握手しようとしている段階らしい。真我は、「やっと私に気づいてくれたのね。」と喜んでいる。光は、私の魂のエネルギーのようだ。

静かな目をしている。「ポジティブもネガティブもいろいろな感情はあるけど、今までは、条件反射で感情を選択し、その感情に飲み込まれ翻弄されていた。今は、毎朝自分と対話することで、感情を客観視できるようになった。

「○○という気持ちなんだね。」と認めてあげると、なぜか感情を感じていた私が気が済むのか、消えていく。残るのは、感情に揺れない(真ん中に居る)穏やかな自分だ。そして、感情の波の奥底にいる私(真我)は、実は、ただ在ることに喜びを感じている。ということがわかった。

☆一ヶ月後

鏡を見て、ビックリ。私の顔が無い。下半身はぼんやり映っているが、上半身が消えている。これはどう解釈したらよいのか。私の潜在意識は、何を伝えたいのだろうか。

セラピストに質問を重ねてもらいながら、探る。

「目に見えるもの。有るものは、消える。」と自分が言う。

どういう意味か?

おそらく、お釈迦様の到達した世界観に近いことではないかと感じた。

目に見えるものは、幻である。私たちは、それを現実と思い込み、幻に一喜一憂して感情を揺らしている。苦しみから抜け出すには、幻の世界に気づくこと。私たちの本当の姿は、幻が映写されたスクリーンを眺めている存在だ。

ということかもしれない。

☆解催眠

後催眠暗示を入れてもらい、催眠から覚める。

壮大な気づきにただ、驚いた。暗示療法で、真我まで到達するとは思っていなかった。

Aさんの丁寧な聞き取りと、的確な誘導、何よりクライアント一人ひとりを大切に思うハートが私をここまで導いたのだろう。

貴重な体験だった。感謝でいっぱいである。

追記

このblogを書いた2日後、偶然読んでいた本に、今回の暗示療法中に浮かんだイメージについての回答があった。

「目に見えない世界の入り口は、すべてを手放すこと、すでにそうであるものに対する心の抵抗をやめることで開きます。

執着心と抵抗が、私たちを、ほんとうの自分や万物から切り離してしまう元凶だからです。抵抗は、すべて分離しているというエゴ的意識を助長します。

すべては分離しているという意識が強ければ強いほど、すべてが別々のかたちを持つ目に見える世界にしばられるようになります。

目に見える世界にしばられるほど、かたちのアイデンティティが強固になります。目に見えない世界の入り口は閉じ、大いなる存在を押しやってします。

すべてを手放すと、私たちの物質的なからだは柔軟になり、いくらか透明になります。すると大いなる存在が私たちの衣を貫いて輝きはじめるのです。

大いなる存在につながるために、目に見えない世界の入り口を開けておくか閉めておくかは、自分次第です。

インナーボディのエネルギーを感じること。強烈にいまに在ること。思考を止めること。すべてをあるがままに受け入れること。全部の入り口を使う必要はありません。実際に使うのは、このうちのひとつだけでいいのです。

(中略)愛は入り口をつうじて、この世界に運ばれてくるものです。かたちのアイデンティティだけにとらわれているかぎり、愛は表れません。わたしたちの仕事は、愛を探すことではなく、愛がはいってくるための入り口を開けることなのです。」

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト·トール著 徳間書店出版 181~182頁より

この本は、数年前に一度手にしたのだが、よく理解できなくて、つまらないので古本屋へ売ってしまった。

一週間前に、催眠療法の認定セラピスト勉強会があり参加した。傾聴をテーマに、エックハルト氏が取り上げられ、「いまに在る」ことの大切さを学んだ。

興味が出て、図書館で早速著作を借り、昨日あたりから少しずつ読んでいたもの。とても面白い。数年前は、人生の役に立たせることは出来なかったが、今は、内容がスムーズに浸透してくる。今まで、ぼんやり把握していたことが、明快に言葉にされていて、「そうそう。こういうこと知りたかったんだ。」と、夢中になって読み進めていたところ。

やっぱり、人生の学びは必要なタイミングでもたらされるのだなあ。まだ本人の準備ができていないと、例え価値のあるものが目の前に現れたとしても、真価を見いだすことなく、放り投げてしまうものだ。自分に学びになったからと人に勧めても、同じ気づきがもたらされるとは限らない。各々に、学びのかたちがあり、スピードがある。そのことが、自分自身の体験でよく理解できた。

人のことで、思うようにならないからと(良かれと思って行ったとして)イライラしたり、シュンとしたりするのは、エネルギーの無駄。自分の内面に向かい、感情を観察し、感情の塵をお掃除し続けていくと、上述のエックハルト氏が記述する段階に到達する。つまり、「目に見えないけれど、何やら大いなる一なる存在があるらしい。その、一滴が自分に備わっているようだ。それが、ほんとうの自分であるらしい。ほんとうの自分とは何だろう。」と思うようになり、探求を始めるのだ。

まだ、無意識の中のエゴを自分だと確信している段階では、いくら上述の話題を振っても、「それ、何の宗教?危ないんじゃないの?」と、拒絶されるだけだろう。昔の私もそうだった。

ただ、ひとつの救いは、「いまに在る」状態の人物が側に居ると、穏やかで平和な心がまわりに伝染して、他の人も、ほんとうの自分につながりやすくなるそうだ。なぜか、あの人の側にいるだけで、癒される。安心する。なぜか、誰にも話したことのない胸の内を語ってしまい、自然と気づきを得た。という事が起こる。そして、大抵、「いまに在る人」は、余計なことはしゃべらない。アドバイスもしない。ただ、ウンウンと頷いていただけかもしれないし、もしかしたら、ただ、ぼ~っとして、隣に座っていただけで、何もしていないように見える。

これは、セラピストをやらせていただいた時に感じていたことだ。面談や誘導をさせていただいている時に、セラピストは集中しているので催眠状態(いまに在る状態)と言える。クライアントは、すっかり安心した気持ちになり、勝手に気づきを得て、自力で元気を取り戻していく。端から見ると、セラピストはなにもしていない。クライアントが自分の中から、自分でベストな回答を見出だし、パワーを取り戻している。自分で自分を治している。これは、「いまに在る人」の側にいて、自分も「大いなる存在」=「ほんとうの自分」と繋がっている証拠であると考える。こんなに影響力があるのだ。人類は意識下では皆繋がっている。

そう考えると、「いまに在る人」が、増えれば増えるほど、周りが幸せになっていき、平和で美しい世界になってしまうのだ。

環境破壊、戦争、貧困、病など、世界は大変な状況だ。世界まで広げなくとも、親子や夫婦の不和も、原因は同じところにある。自分には何も出来ないと、自分を責めたり無力感に苛まれている方へ、お伝えしたい。

何も、デモ行進したり、ボランティアしたり、誰かを説教したり、紛争地帯に赴いたりしなくても、日常の中で出来ることがある。自分もまわりも平和になり、世界が美しく変わっていく方法。

それが、上述に紹介した方法だ。自分の幸せだけでなく、地球にも貢献できるので、もしピンときた方は、ぜひトライしてほしい。

私も、「大いなる存在」につながる入り口をうろちょろするだけで、まだ継続的に平安な状態を持続できていないので、日々、楽しみながらトライしていきたいと思う。







コメント

このブログの人気の投稿

ヘミシンク体験~炎のビジョン

ジオバランサー(波動調整装置)体験記①

誕生日宇宙会議