強固な観念の手放し

 私には珍しいのだが、大きな勘違いをして、あわや、大失敗という体験をした。

自分でも理解できないが、強固な観念(または思い込み)による、現実創造の示唆であった。


遡ること一か月ほど前。知人から、中部ジャワ地方に伝わるガムラン演奏会があると知らされた。

彼女は、演者として長年携わっており、定期演奏会があるからとちらしを見せてくれたのだ。

丁度、別の知人のオーケストラ演奏会に行ったばかりで感動冷めやらずの状況だったため、「音楽はいいな~。またコンサート行きたいな~。」と願っていたところだった。

早速、自分の意図が現実を引き寄せたかと、嬉しくなり、チケットを購入した。

楽しみにして過ごしていた一か月。何度もちらしを眺めていたはずなのに・・・・なぜだ?


さて、演奏会当日、ウキウキしながら、早目に家を出た。

開場が14時15分で開演が15時。15時近くまでは、会場近所のショッピングセンターをウロウロすることにした。3時間近く、本、洋服、家庭雑貨などを眺めて周った。

本屋で、何気なく一冊の本を手にした。

ぱらっとめくったページに、著者が思い込みにより大失敗したエピソードが書かれていた。

あらたまった正式な場へはいていく靴下の色を、著者は「白い靴下」であると強く思いこんでいたそうだ。なので、まわりからさりげなく助言されても気づけなかった。実は、正式には「白」ではなかったと後で知ることとなり、思い込みをいかにはずしていくかという課題に気づいたそうだ。「こういう失敗した体験を通し、不要な思い込みを外していくことが大切。失敗も学び」という気づきを書かれていたかと思う。

あ~~~

今思えば、私はここで、目に見えない存在から、「思い込みに、気づけ!気づけ!」とメッセージを受け取っていたのだ。それなのに、私はキャッチできなかった。

まあ、何気なく手にして、偶然パッと目にしたページである。ふ~ん。という感覚しかなかった。

さて、会場近所のショッピングセンターに居てうろうろしていたのだが、飽きてきてしまった。もう開場しているから、開演まで45分あるけど、席に座って読書でもしてようかな~。と考えをあらためて、Hホールへ向かった。

何やら様子がおかしい。Hホールの催し物の名称が全然違うし、人影も無い。

あれ?

そこで初めて気づいた。慌てて、カバンからチラシを取り出して、会場の欄をまじまじと見つめた。そこには、Nホールと印字してある!!!

え~???どうして?

私は一か月も、繰り返しこのチラシを眺め、楽しみにしていたのだ。このホール名の部分も何度も目にしたはず。なのに、私はHホールだとずっと思いこんでいたのだった。人は思い込んでしまうと、現実もそのように見えてしまうことが良く理解できた。

と、しみじみ理解してその瞬間を過ごしていたわけではない。

大変だ~~~(涙)

大慌てで、スマホで電車の経路検索を試みた。心乱れ、いつも普通に検索しているアプリすらうまく開けない。Nホールのある駅は、ずいぶん離れていたし、15時まで後45分に迫っている。はたして間に合うのか?半泣きになり、動揺しすぎて、今度は持ち物をバラバラ落としそうになった。落ち着け!落ち着け私!

やっと、経路検索が出来た。ぐるっと迂回するが、順調に乗り継ぎできれば、ホールのあるN駅には開演8分前に到着できそうだ。よっしゃ!まだ可能性がある。それに、最悪、演奏が始まったとしても、曲の切れ目まで待機すれば、ホールスタッフが席まで案内もしてくれるだろう。大丈夫だ。自分に言い聞かせ、駅に向かって走り出す。ふと、「そっちは東武線。乗るのは京成線。駅は反対方向だよ。」とメッセージが来る。そうだった。私が乗る線はさっきの駅ではない。こっちだ。急ブレーキをかけ、方向転換をし、小走りで駅を目指す。

ちょうど、程よいタイミングで電車に乗りこみ、落ち着いて座ることもできた。

A駅で乗り換えもあるのだが、3分余裕があるので、ホームが違っても何とかなりそうだった。

落ち着いて座り、バクバクする心臓をなだめてから、窓外の景色を眺め意識的に取り乱した精神を何とかしようと試みる。

現実は自分の想念が創り出すというのが本当なら、私はなぜ、このような現実を体験することになった?そういう視点で振り返ってみる。何を学んだ?と。

あ!という気付きが一瞬で起こった。分かった!

私は、数日前、チャネリング練習をしていて、繋がった意識体から、ちゃんとメッセージを受け取っていたではないか。「強固な観念があるから、それを外す必要がある。」「額の出来物は、それを表している。内面がきれいになれば外面に現れるから分かりやすい。」と。

強固な観念。この日の出来事で言えば、強固な思い込みのこと。

私は、なぜだか「Hホール」だと思い込んでいたから、実際にはちらしに「Nホール」と書いてあっても、その情報が脳に入ってこなかった。脳は、本人に都合の良いように働く。見たくない現実は見ない。つまりは、見たい現実を創ることの証ではないか?これは凄い発見だ。私が体験する現実は、私が創るのである。誰のせいでもない。私が学びたいことを体験しているのだ。どんなことも。額の出来物でさえも、「強固な観念を手放すための指針」として私が創り出しているのだから。

「分かった!強固な観念を外す必要とは、こういうことだったんですね!もっと自由に軽くなるために、不要な観念をどんどん手放していく必要があるのですね。やっと意味が分かりました。」

この気付きを得た瞬間だった。先ほどまで雨模様だったのに、空の雲が一部分割れたのだ。電車の窓を通し太陽の光がパーッと降り注いできて、額を眩しく照らした。「わ~、太陽って、本当にあったかいんだ・・・」そう実感した。分かっていたはずのことが、本来の意味で納得できたような気持ちになった。雲が割れたのは、映画のワンシーンのような見事なタイミングだった。どこかに監督が隠れているんじゃないかと疑いたくもなった。

そうか。体験を通して知る。学ぶとはこういうことなんだ。知識を智恵にするには、やはり体験するしかないんだ。宇宙に持って帰る贈り物を叡智に変換するには、誰かの言葉を鵜呑みにすることではないんだ。教科書に「太陽は暖かい」と書いてあっても、実際に私が体感しなければ、それは本当に知ったことにはならないんだ。これをやりたくて地球に来たんだ。現実創造し、体験することで、新たな叡智を宇宙に持ち帰りたいのだ。これが魂の喜びなんだ。

この気付きにドキドキしていたら、またメッセージが降りてきた。

「大丈夫だから。大丈夫なようになっているから。何も心配することはない。いつも、あなたにとってベストなことが起きている。信じるとか、そういうレベルではなく、ただ、そうなっている。すべてがベストだ。見ていてごらん。ちゃんと公演に間に合うから。

観念を手放して、あらためて目の前の物事を眺めてごらん。まったく違う見え方が出来ることに気づく。これからは、観念に従う自動操縦ではなく、意識して、一呼吸してから理解するとよい。いかに不要な観念を身に着けていたか、気づいていく。〇〇すべき。と思っていたら、それは誰かの観念だ。観念が意識できたら、それは必要?と自分に問いかける癖をつけるといい。どんどん自由になっていく。」

本当にそのとおりだった。会場は駅から少し離れていたのだが、スムーズに到着し、開演1分前に指定席に落ち着いている私を発見した。


そして、実はこのガムラン公演の中で、さらなる気付きを得たのだった。現実は贈り物に満ちた世界だ。

その気付きを今朝知人に送った私のメール文章より紹介する。


「ガムランの舞踊もその意味で、似て居たかもです。

中部ジャワの古典芸能でしたが

闘いの踊りだとしても、とても抽象的で表情や動きに具体性はありません。

なので、登場人物の内面を描いていると解釈もされるそうです。

私は、二人の弓の名手、アルジュノとケロトルポの剣や弓を使った

踊り、抑えられ形式化された鏡のような動きを見て

「古代から続く戦闘は、実は、現実的な敵との闘いではなく人間の内面との闘いだったんだ!」

という気付きを得ました。

現実はマーヤ(幻想)と、〇〇さんも書かれていましたがまさにその気づきを

踊りから受け取り一人感動して観ていました。

アメリカンで説明的なミュージカルよりも、日本の能表現を好むように。

観る人の内面に働きかけ、人それぞれに解釈できる

自灯明のような芸能なんだなと、今朝、あらためて理解しました。」


ちなみに、私はチャネリングや、ふとした瞬間にメッセージを受け取ると書いているが、相手は「神人同一」の私自身であると思っている。宇宙と繋がり、宇宙の叡智より導く私そのもの。本質の私。次元上昇した未来の私なのかもしれないと。

このメッセージをくれる相手は、私が自宅から出掛けようと玄関に向かう際に、「お魚は、冷蔵庫!」とアドバイスをくれたりもする。朝、焼き魚を作っておいたのを(夕飯用)そのままにして出掛けようとしたからだろう。なかなか親切だ。


*本日のヘミシンク練習記録

フォーカス12体験が続く。

味わいなさいと、ナレーションが響く。

身を任せ味わっていたところ、飛び飛びで、いくつかのビジョンを見る。

「救出成功!」という誰かの声がする。

場面転換。

ジメジメした、暗い場所に、青いプラスチック製のやたら大きな水槽みたいのが出てきて、黒いゴキブリが出入りしている·····

ということは、この中はゴキブリがギッシリ?

「あ~、止めてください。ダメダメ。見たくないです。」と、強めに宣言する私。

もしかしたら、私の潜在意識にある、まだ整理されていないネガティブな闇の領域をビジョン化したものかもしれない。

ま~、あるよね。人間だもの。光あれば同量の闇もある。でも、今日は見たくない。

場面転換

美しい青空(しかし、色彩は地球ぽくない。深い青)を背景に、未来ぽい建造物を感じさせる場所。上半身アップの人物が見える。70歳代くらいの品の良いショートカットの女性が笑っている。雰囲気はとある女優さんに似ていた。誰?

場面転換

金髪の10代の女の子。あまりよい場面ではない。(文章には出来ない)過去世のひとつか。それとも集合意識からキャッチしたのか。これも、今は見たくないと宣言する。これは、前世療法で出て来られても、困るな。セラピストが戸惑うかも。ただの、雑念だといいけど。う~ん。闇の水槽に手を入れると、気が遠くなりそうだ。出来れば見ないで浄化したいな。

他に断片的にいくつかビジョンが出てくるが、関連は無さそう。寝入りしなの、夢の可能性も高い。何しろ脳波がシータ波からデルタ波になっているわけだから、眠ってしまう人も多そうだ。

次のトラックでは、フォーカス12の意識のままで、聞きたいことを質問をし、回答をもらう練習。回答をもらっているのか?実感が湧かない。

脳波は、きちんと催眠状態になっているはずなので、後は繰り返し練習することだ。気長に行こう。


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