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3月, 2022の投稿を表示しています

実存的変容とは

 ひとの意識には、成長サイクルがある。 スピリチュアルな世界で、分離から統合へと、よく言われているが、心理学や教育研究など様々な学説でも示されており、古くは般若心経まで遡ることが分かった。 特に実存的危機(自分は何者で、人生の目的は何かという根源的な問題に真剣に悩み始めること)を経て、実存的変容を深めていくという説は、大いに納得させられた。 以下は、実存的変容が深まった人の特徴である。 ○むやみに戦いを仕掛けない。(闘争、立身出世、名誉、名声、お金を得るための戦いをも含む) ○むやみに目標や夢を設定して、それを追いかけない。 ○むやみに聖人にあこがれない。 ○むやみに、いい人、強い人、立派な社会人のふりをしない。装わない。かっこうつけない。素の状態。裸で生きている。 ○自分の弱さや欠点をさらすことに抵抗感がない。常識的にはネガティブに見える側面も含めて自己受容している。 ○むやみに人を批判しない。 ○むやみに美しい物語にあこがれない。むやみに理想を追わない。 ○秩序のない混沌の中にいても居心地の悪さを感じない。むやみに整理された秩序を求めない。 ○発生した出来事や世の中の現象などに対して、論理的で美しい説明や理由付けをむやみに求めない。出来事や現象が、ただ「ある」ことを認める。 ○むやみに。いい·悪い の判断をしない。起きた出来事や結果、自分や他人の行為、自分や他人そのものなどに対して、ありのままを受け取り、判断を保留する。 ○いかなる結果が出ようとも、それを淡々と受け入れる。 ○物事を 正義VS悪のパターンで読み解こうとはしない。正義を振りかざして悪を糾弾しようとはしない。自分や他人やお互いに対立する人たち、あるいは組織、国家などに対して。 ○むやみに善人と悪人を切り分けない。世の中に悪人とレッテルを貼れるような人は存在しておらず、抱えている葛藤の重さが違うだけだ、と認識している。 ○むやみに 正·誤 を判別しない。誤を切り捨てないで、その中に潜む叡智を探す。 ○むやみに自分と人、あるいは他人同士を比較しようとはしない。人は一人ひとり、存在しているだけで十分に価値があることを実感として把握している。 ○むやみにコントロールしようとはしない。他人も自分も組織も世論も。説得して他人の意見を変えようとはしない。したがって社会を変えようというインテンションはなくなる。 ○

いちばんしあわせなおくりもの

 ねぇ、くまくんに しあわせな きもちに なってもらいたいんだ! どうすれば、きみは うれしくなるの? なにを したら、しあわせなの? 絵本『いちばんしあわせなおくりもの』より 先日、絵本セラピーを初体験 子どもに対する絵本読みは、私も経験がある。図書館時代は、お話し会で、子どもたち相手に読んできた。子ども相手の絵本読みでは、終わった後に、大人が解釈をしたりしてはならず、それぞれの子どもの心に起こった情動を大切にするため、そっとしておく。 絵本セラピーは、大人が大人に向けて絵本を読む。一冊読み終わる度に、セラピストの提案で、テーマに添って数人の参加者が発言をする。これが、予想以上に癒しの時間となった。自分で同じ絵本を読んでも、こんなにハートは揺さぶられないと思う。これは、やはり、絵本セラピストの安心安全な場づくり、全面的な受容力の賜物だろうと思う。 なぜ、このような癒しの場が形成されるのか。催眠療法との共通点を垣間見ることができる。セラピストは、一切の判断をせず、その場が、安心安全であることを保証する。判断せず、一人ひとりを受容する心は、「ありのままを受け入れる」「いまにある」意識。潜在意識に入る。集団の中で、一人、この状態にある人物が居ると、まわりに伝染する。分かりやすく言えば、潜在意識につながる=宇宙に繋がる=本来の自分=魂=至福、癒しの感覚 つまり、参加者一人ひとり、本来の自分につながり、心の内を吐露すると、癒しが起こる。場自体が癒しのエネルギーに満ち溢れるので、参加者全員が潜在意識の奥底でつながり、意識を共有する。言葉にせずとも、分かり合える実感があり、絶対的安心感に包まれる。魂に繋がるので、大いなる気づきに誘われていく。 絵本セラピーでの気づきは、意識変容をもたらすので、翌日以降の日常に影響を及ぼす。現実は個々の意識が創りだしているので、意識が変われば目の前の現実も変わる。 絵本から、何を感じるかは、人それぞれ。正解も不正解もない。自由に語ることができる。周りの参加者は静かに耳を傾け、拍手をする。 私は、絵本セラピーの途中から、胸のあたりが、盛んに振動しているのを体感していた。魂が反応しているのだと分かった。日常生活で、魂が反応する機会はなかなか無い。これはすごいことだと、ビックリした。 今回はショートバージョンで、三冊の絵本を読んでいただいた。私は、冒頭

目に見えない世界は95%

 私たちは、五感を使い、世界を感じる。 そのうち視覚に80%頼る。 そのせいか、目に見える世界だけが存在すると勘違いしてしまう。 この世界は、目に見えるのは、たった5%。見えないのは95%。 世界は、いろんな形態が存在する。すべては同じエネルギー。大元から発する。人間も植物も動物も、人工的物質も自然もみんな、同じエネルギー。ただ、エネルギーの状態が違うので、見えかたが異なる。 水が、気体や氷になるのと同じ。 私たちは、目に見える世界側からの見方と 目に見えない世界からの視方ができる。 後者は主に、視覚以外の感覚により味わう。 例えば、直感って、ある。なんとなく、ふと、嫌な感じがしたとか。やった方がいい気がしたとか。誰もが持つ能力。これは目に見えない世界を感じている証。エネルギーを読んでいるわけだ。 これを押さえておくと、眼に見える現実だけを頼りに、脳で思考し、選択し続けていくことに無理があることが明らかになる。 例えば、友達が怒っている。目の前で不機嫌になって、イライラしている。これは目に見えた現象。「ああ、私、何かやらかした?失礼なことしちゃったのかな?あれがいけなかったのかな?それとも?あ~嫌われてしまった。」こうして、人は友達から嫌われたという現実を創る。 しかし、単に友達がイライラしてる。それをそのままに受け止め、「ああ、イライラしているんだね。」だけで、静かにそっとしておく。自分の内面を平安に保っていれば、いつのまにか相手の問題は解決している。後で、友達は歯が痛かっただけということが分かる。そのイライラを誰かにぶつけて、解消したかっただけだと。目に見えない世界のエネルギーを読むと、不要な現実は起こり得ない。 だから、目の前に問題が起き感情を揺さぶられネガティブに誘われそうになったら 目に見えるのは、たった5%!私には、何も分からない。そして、相手も自分の真実は分かっていない。 ということを、思い出してほしい。 お互いに、たった5%しか理解できないのであるから、あれこれ先走り、不安を膨らませ、感情の奔流に自動的に流されていくのではなく ひたすら観察する! 五感プラス直感を使ってみる。 観察は、客観視なので、出来事から自分を切り離すことが可能となる。少し上の方から俯瞰もできる。どうせ分からないのだから、一旦保留ボックスに入れておくこともできる。 時期が来れば、

逃げられないと観念した時

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  逃げられないと観念した時に、人はどんな表情をするだろうか。ふと、そんな事を思ったので書いておく。 私が10歳の時、母が突然この世から去った。サラリーマンだった父は当時四十代前半。今の私より若い。仕事も家事も小学生二人のお世話も、一気に父の細い肩にのしかかった。 慌ただしく葬儀を済ませ、日常が戻り始めた頃か。わたしと姉は、合唱団の練習に出掛けた。暗くなって、父の迎えを待っていたので、市民ホールで発表会でもあった日ではないかと思う。 父は何時まで経っても現れず、待ちくたびれた私たちは、父の職場へ迎えに行った。業務は終了しており、私たちは、真っ暗な中で、通用口の呼び鈴を鳴らした。残業していたであろう父の同僚が、あまり驚かず私たちを眺めていた。訳知り顔であった。彼に静かに案内され、とある居酒屋へ辿り着いた。完全な大人の世界である居酒屋は初めてであり、私たちは、声も出ず、びびっていた。ただ、ただ、父と一緒に家に帰ることしか頭に無かった。 居酒屋のカウンターに父は同僚らしき人と座っていた。そのときの父の表情を今でも覚えている。私たちが見たことの無い、弱々しい表情だった。 泣いていたのだろうか。目が赤かった。私たちは、ここへ来てはならなかったのだろうなあと、微かに感じた。親が子に見せたくない姿を私たちは見てしまった気がした。子ども心に、なぜ父が私たちを迎えに来られなかったのか、理解していたように思う。そこに触れてもいけないと感じていた。 父は、少し困ったようで、でも、少しだけ微笑んだ。 あれから、何度となく、この日のことを思い出す。父の苦しみのことを。 父は、いきなり直面させられた現実に、あの日耐えられなくなったのだ。夕方、我が子を迎えに行かなくてはならない。しかし、どんなに身体を動かそうとしても、動かない。見るに見かねた同僚が、父を飲みに連れて行ったのだろう。ひととき、父は、現実から逃げようとしたのだ。 我が子の前では気丈に振る舞わなければならず、しかし、悲しみは胸から溢れ、止められず、父はどうしても私たちから離れた場所で、誰かに守られてしっかり泣く必要があった。父も、ひとときでよいから、子どものことを忘れたかったのだろう。父の正常機能は壊れそうになっていた。 子どもが来るはずのない、父の聖域である居酒屋に、それでも私たちは誘われ、父の前に立つことになる。あの日の残業してい

星の林に月の船

 当事者研究とオープンダイアローグの本を読んでいたところ 思いがけず、万葉集 柿本人麻呂の歌を知った。 まずは、味わっていただけたら。 天海丹  雲之波立  月船  星之林丹  榜隠所見  天(あめ)の海に  雲の波立ち  月の船  星の林に  漕ぎ隠る見ゆ  大空の海には雲の波が立ち  月の船は星の林に  漕ぎ隠れていくのが見える 万葉の歌人にも、今に通じる感性があったのだなあ。目を瞑ると、柿本人麻呂さんが仰ぎ見たであろう夜空を、私も共に味わうことが出来る。風の強さや、香り、しっとりした空気まで伝わってくる。 はからずも、昨日は春分。宇宙元旦であった。 我が家でも、ささやかながら、宇宙の新年をお祝いしたところ。(ちょっとだけお高いお刺身をスーパーで買ってきた) 旧暦で生きていた時代は、もっと、自然のサイクルや宇宙のエネルギーをダイレクトに感じて、感性豊かに暮らしていたことだろう。 私たちの心身は、否応なしに月や星星の動きに影響を受けている。潮の満ち引きが、命の誕生や死に何らかの作用を与えていること。星の配置で、人生の見取り図が描けることなど。 宇宙は、それだけ地球上の生命体に密接に関わっている。宇宙エネルギーが、生体を生かし、活力源になっていることも無視できない。 まさか、万葉集に、宇宙へ誘われる歌が詠まれていたとは、驚きである。 時空を超えて、柿本人麻呂さんと、夜空を見上げながら、宇宙元旦をお祝いしたい。 意識とは なんと広大で、自由なのだろう。 私たちを窮屈に閉じ込めていた枠は、実は私たち自らがはめてしまったもの。 だから、その気になれば、いつでも枠から解き放たれ、宇宙に羽ばたいていくことが出来るんだよ。 人麻呂くんは、そう教えてくれたのでした。 ☆追記 今日は、東京には珍しく雪。急に寒くなったせいか、電力供給がピンチらしい。10時には、100%を超えてしまったとか。電気があるのが当たり前。いつの間にかそんな感覚になっていた。たくさんの人々が関わり合い、私たちは夜も明るく、暖かく、安全快適に過ごせている。あまり電気を使わないように、昼間から布団に入り、寒さをしのぐ。気持ちよく寝てしまった~。夜は、予告なく停電になるかもしれないとのこと。早く布団に入るに限る。 なぜだか?今日は自宅トイレに入ると、「引っ越しの匂い」がする。これは、段ボールの匂い?新しい生活が始ま

瞑想はマインドを強化する?

 たびたび紹介している呼吸道の清水友邦さん 本日のFacebookの投稿は、興味深かった。 確かに、陥りやすいかもしれない。 自分用の備忘録として。 以下、清水さんの投稿です。 ☆☆☆☆☆☆ 瞑想についてクリシュナムルティはこんなことを言っていました。 『「瞑想には色々な流派が、メソッド、システムがあります。 なかには「自分の足の親指の動きを見よ。 それを見よ、ひたすら見守るのだ」と言うシステムもあります。 また、ある姿勢で座り、規則的に呼吸をするか、気づきを練習することを提唱するシステムもあります。 これらはすべて全く機械的なものです。 別のメソッドはあなたに特定の言葉を与え、それを唱え続けるなら何らかの並外れた変容体験をもつだろうと教えます。 これは純然たるナンセンスです。 それは一種の自己催眠です。 アーメンだのオームだのコカ・コーラだのと際限もなく復唱することによって、あなたは明らかにある特定の体験はもつでしょう。 繰り返しによって精神は静まるからです。 それはインドで何千年も実践されてきたよく知られた現象で、マントラ・ヨーガと呼ばれています。 繰り返しによってあなたは精神を温和に、柔和になるよう仕向けることはできます。 しかしそれは依然として取るに足りない、安っぽく卑小な精神なのです。 庭で拾った棒切れをマントルピースに飾って、毎日花を供える方がまだマシなくらいです。  一ヶ月もたてば、あなたはそれを崇拝するようになっており、その前に花を供えないことは罪になるでしょう。』 (クリシュナムルティ/概知からの自由) マントラ瞑想よりもそこらへんに落ちている棒切れのほうがまだマシだなんてクリシュナムルティはずいぶんと辛辣ですね。 集中的瞑想は眠りをもたらし、夢を見て気持ちが良くなる麻酔のような鎮痛効果があるというわけです。 麻酔は切れるとまた痛くなってしまいます。 努力して瞑想をしている状態はマインドの次元なのです。 こう言いたくなるクリシュナムルティの気持ちもわからないわけではないです。 クリシュナムルティは子供の頃から神智学協会の礼拝儀式にうんざりするほどつきあわされ、高次元のマスターからの啓示、秘儀参入を何回も経験しているからです。 クリシュナムルティが「意図的な努力や訓練、または宗教団体や何かの組織に属することによって覚醒を引き起こすことはできない」と言

モチェ神話

 ペルー北海岸にプレ·インカと呼ばれる高度な文化が起こっていた。それがモチェ文化。時は紀元前から紀元700年 モチェ神話によると 昔、人間や動物たちから供物や生け贄を受け取り、それを糧とし世界を回していた。 が、あるとき調和が崩れる。それは、夜の神が、自分より昼の神に生け贄が多く捧げられているのに嫉妬したことから。同じレベルの者同士のほんのちょっとの差異が嫉妬を生み出すものだ。夜の神は昼の神を攻撃。家来の豆の軍隊をけしかける。昼の神は山に閉じ籠り世界は暗闇に。魑魅魍魎どもが湧き出て人間を喰らう。 人間の惨状にいてもたってもいられぬ人間思いの豊穣神は夜の神を贈り物でなだめつつ、暴れまわる怪物たちと対決。 神々は人間の生け贄で若返る。(人間を助けたり命を奪ったり······) 夜の神への説得も効いて昼の神も山から下りてきて仲直り。再び世界は回り出しモチェの人たちは縄のダンスを二神に捧げた。 (『インカ·プレインカ遺跡の旅』芝崎みゆき著 221~222頁より) う~ん。 2、3千年では、人間はあまり進化しないのか。何となく、争いが無くならない原因が分かる気がする。 地球は、すべての生き物が循環して命を繋げられるように環境を整えてくれている。 人間だけが、「より多くを!」と求めてしまう。 神話では、神々の嫉妬とされているが、人類の集合意識のこととも考えられる。 私たちの中に、争いの種は潜んでいる。 足るを知らず、感謝を忘れる心が。 他と比較し、欠乏を感じ、奪い合う。欠乏は消えないから、いくら奪っても際限が無い。奪われた方は苦しくなるから、奪い返そうとする。無限地獄だ。文化文明が何度も消えるのは、人間の本質が変わらないからだろう。 この地球上で、小競り合いは続く。小さくは家庭から。大きくは戦争まで。 他国の戦争など、私は無関係だと、シラを切ることは出来ない。人類の集合意識を創るのには、私たち一人ひとりが加担しているのだから。 今までの歴史を繰り返し、この何百年かの物質文明は、やはりリセットされるのだろうか。 そして、500年後くらいに、また神話となり語り継がれるのだろうか。 天外司朗 著『融和力』によると、教育には「戦士」と「平和の守り手」を育てる方法があるらしく、明治以降の教育は、まさに「戦士」製造教育だった。 「平和の守り手」は、モンテッソーリ教育などに代表される。天外氏

夢に見た白い花~太白

  今、夜中の2時30分 不思議な夢を見たので、忘れないうちに書いておく。 夢の内容 私がどこかで事務仕事をしている。 職場に父母が会いに来る 母が、私にポーチを見せろと言う 仕事中なのにと、少し苛つきながら、バッグから布製のポーチを出す。 ちょっと使い込んで布がくたびれていたのか、母は、「気がつかなくてごめんね、また作ってくるわ。」という意味のことを言う。 二人は一旦、職場から出ていくのだが、出口あたりで、誰か女性が来て、父に何かを渡している。父はそれを受け取って、私の元に再びやってくる。 父は、既に、重そうな紙袋を下げていて、いろいろ買い込んだらしい。(二人で買い物途中に私の職場に立ち寄った様子) 「荷物重くない?大丈夫?」私は心配して父に話かける。私は席に座っていて、父は傍らに立っているから、見上げる形になる。 父はニッコリ笑って、私に小さな花の鉢を渡してくれる。 ああ、さっきの女性は花屋さんだったのかな。 花の名前は「たいはく」だと言う。 なんだか、中国っぽい名前だなあと思う。鉢には背丈は短く、直径3~4センチの白い花が、全体を覆うように咲いている。葉っぱや茎は見えない。 その後の展開は覚えていない。 目が覚めたので、気になり、「たいはく 花」で調べてみた。 「太白」里桜の一種。4月中旬開花。花は5センチほど。一度絶滅し、イギリスから里帰りした桜らしい。 夢では、鉢植えだったので、桜ぽくはなかったが、幼木であればあんな風に見えるのか。他に「たいはく」という白い花が存在するのか、定かではないが、春に咲く白い花に、太白という桜が実際に存在したことに、驚いた。 そうしたところ、ふと、次の歌が検索で出てきた。 『願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃』 (この歌は、西行の家集の山家集の「花の歌あまたよみけるに」の桜の一群の中にあります。 従って、桜。 如月は、旧暦の二月で、新暦だと3月上旬から4月上旬までになります。 実は、この1190年二月の満月は、十六日だったのです。月の満ち欠けのちょっとしたずれですが。 しかし、お釈迦様の悟に憧れていた西行は、お釈迦様が亡くなった日(涅槃会といいますが)二月十五日に死にたい(涅槃寂静)と詠ったものとされております。この世の美しさの月と桜が咲く中に。)←Yahoo!知恵袋より 関係があるのか分からないがドキッとした。

現実は鏡

 現実は自身の内面を映す鏡である。 内面が変われば現実が変わる。 分かりやすい体験をしたので記録しておく。 1月末に、催眠療法のトレーニング会があり、暗示療法を受けた。 私の悩みは、叱られる前に叱られる想像をして、傷つく予行練習をしてしまう癖。 特にアルバイト先で、何か作業をやっていると、この思いが沸いてくる。ひとしきり想像し、しっかり傷ついて、やっと安心する。いきなり誰かに感情をぶつけられた時の心の痛みが耐えられないので、耐性をつけておくイメージだ。こうやって、私は自分の心を守っていた。 しかし、さすがに可笑しいよなあと、今年に入ってから思えるようになった。 私の内面を反映し、現実もしっかり、私に対し感情を荒げて声をかけてくる人物が二名ほど居た。落ち着いて静かに言えばいいのに、この方々はなぜ、イライラの感情をぶつけてくるのだろうと、悲しかった。 暗示療法では、毎朝、鏡を見て、自分の目を見ながら心の内を言葉にしていくというもの。 なぜか、その後1ヶ月以上、荒ぶる二名とは、なぜかシフトが合わなくなり、私の現実から見えなくなった。 当番でご一緒する方々は、穏やかで優しい方ばかり。私が失敗しても、「小さいこと気にしなくていいよ。」「頑張りすぎないで。」と声をかけてくれる。 対面するお客様からも、イライラをぶつけられることは無くなった。ちょっと対応に時間がかかると、何やってるんだ!と大きな声を出す常連さんが居たのだが、それも起きなくなった。 それでも、時々、びくびくしながら、仕事を続けていたが、ちょっとずつ、自分に自信をつけ、信頼できるようになっていったのかもしれない。 数日前、例の荒ぶる職員さん二名と、久々にシフトが一緒になった。 わあ·····どうしよう。一気に緊張した。 そうだよなあ。現実化しなくなったからと言っても、その方々が消えてしまうわけではない。 そして、いつものように、相手から注意を受けた。 その瞬間、私は、落ち着いた静かな心境で、素直に聞いていた。なぜなら、相手から「リスペクトのエネルギー」を感じたからだ。 言葉はいつも通りだったと思う。しかし、そこにイライラエネルギーは介在しなかった。代わりに、相手を尊重し、大切にするエネルギーが発せられていた。 この瞬間、現実は鏡という意味が腑に落ちた。 私は、今まで、自分自身を大切にできていなかった。外側ばかりを気に

一本の美しい道へ

 昨日は、催眠療法のセッションをさせていただいた。 すべて終わり、クライアント様と雑談をしていた中で、立て続けに気付きが起きた。 このクライアント様は、プロのセラピストでもあるので、質問の仕方や、寄り添い方が上手だったのだと思う。 不思議なご縁なのだ。クライアントもセラピスト役の私も、同じような人生課題を抱えていて、奇跡的に引き寄せられたのか?運命?と思わされた。 セッション中のクライアントの気づきは、即、セラピスト役の私の気づきとなっていく。素晴らしい相乗効果!私は、このセッションのおかげで、成長の階段を二段飛びくらいの勢いでトントンッと駆け上がる。 クライアントが課題をクリアにしていくと、私(セラピスト)の課題も浄化されていくのだ。 だれが誰を助けるとか、あまり意味が無いかも。セラピストは、クライアントを助けているつもりかもしれないが、それは幻想で、事実は反対かもしれない。強い人が弱い人を支えているように見えるけど、実際は弱い人が強い人のストレスを癒しているから、強い人は強くいられるとか、すべては持ちつ持たれつ。 誰かを助けることは自分自身を助けることになるというのは、真実だと痛感。すべては、ひとつの源から発しているという宇宙真理が、じわじわ実感されてくる。 こんな相乗効果の奇跡があるから、あなたも私もひとつ。という世界は、信じられる。 さて、雑談の中で、私は20年ほど前の記憶を思い出していた。当時、うつ病で、メンタルが不安定だった頃。仕事が忙しい平日に、姉夫婦と私たち夫婦が、実家に呼び出され、私は不満だった。 父は、自分の死後を考え、私たち夫婦に、重要事項説明をしたかったらしい。私は、その内容で呼び出されたことに、感情を爆発させた。 本音は、父の死など、一番避けたかった未来だったろう。あまりにセンシティブな内容に、理性が保てなくなった。父が将来死ぬかもという前提は、父へ「何て勝手なことを言うんだ!」という怒りに変換された。 それから、二時間くらい、私は過去からの恨み辛みを吐き出した。泣きわめき、怒り狂い、「あんなこと、こんなこと、許せない。ひどい。」と。何百年の溜め込まれたマグマが一気に噴出したら、富士山はこうなるのかも?という派手さだった。 やがて、私の家族たちは、安全な場所に逃げてしまった。みんな隣の部屋に退散してしまった。「○○は、困ったもんだ。」父がこ

無意識からのアドバイス

 大嶋信頼さんの本を読んでいて、大嶋さんは過去にアルコール依存性のカウンセラーであったことが分かった。 いくらカウンセリングでクライアントに働きかけ、もう酒を飲まないと約束させても、ぶり返してしまう。それは、意識を使ってしまうからだと言う。 私も大のビール好きで、多い時は、1日に350ml缶を3~4本飲んでしまう。それを何とかしたいと悩んでいた。 昨年9月に、催眠の暗示療法で、ビールを1日1缶にする暗示を入れていただいたのだが、続かなかった。 ただし、週に1~2回ある仕事や、催眠セッションをやる日は、飲まなくても平気なので、まだ後戻りできると考えていた。 ある知り合いは、ご家族の介護のストレスからか、15時頃から飲み始めてしまう習慣となり、それが原因かどうかは不明だが、年末年始にかけて、癌の手術をされたばかりだ。 その方は、手術をきっかけに、プチ断酒を始め、休肝日を設け、飲酒の量も減らせたとか。 最近得た情報にも、飲酒は少量なら身体に良いと昔から言われているが、最新の研究では、健康を害する結果にしかならないことが判明しているらしい。血管や心臓の病気になるリスクが高いとか。 今年に入ってから、自分神様に質問してみたところ、お酒を止めなさいと直接的に言われたわけではないが、腸を苛めていること。飲酒の原因は、魂の故郷への郷愁であることを知らされた。 じわじわと、「そろそろ何とかした方がいいよ~」と、メッセージが集まってきている感じがする。 なぜ飲んでしまうのか?「さびしい」という気持ちを感じてしまった時、安心感を求めて、つい冷蔵庫を開けてしまうパターンが多い。酔うと、頭の芯がぼんやりする。普段閉じ込めている部分につながりやすくなる。解放感を味わえる。酔ってつい寝てしまう時は、自分が消えてしまったような感覚を味わう。気持ちよく、全体の中に溶け込んでいく。 大嶋さんは、クライアントがアルコールで酔った時に感じる「無意識との一体感」が忘れられず、ストレスを感じた時などに、また飲酒に走ってしまうというメカニズムを説いていた。ただし、飲酒により得られる一体感は、まやかしに過ぎないのだが。 今朝、目覚める前の微睡みの時間、自分がこんなことを言っていた。半分夢を見ているような脳波状態なので、私の無意識からのメッセージである。 「もう、昼間ビール飲むのは止めよう。美味しいから飲んでるわけ

無意識の世界を見るために

 「人と接触したりしていて、怒りや不快感が湧いてきた時に、それを こんなことを感じてはいけない とか こんなことを感じたら相手に失礼 などと、自分の中で打ち消さずに、そのまま感じてみる。 そして、その不快な感情の元になっている 意識的な判断 を探ってみる。 正しい or 間違っている の意識的な判断を見つけたら、その逆の言葉を実際に相手に言ってみたり、自分のイメージで相手に伝えてみる。 すると 意識 が打ち消されて、無意識さんの世界を垣間見ることができる。 無意識さんの世界は力強く、そして自由で周囲との一体感が得られる。 無意識さんの力を使っていると、目の前にある何事にもどんどん興味が持てるようになり、自分が求めていた技をいつの間にか極めて、次の興味へと移り変わって成長していく。 無意識さんと共にいるとその人の成長は止まらなくなる。」 『無意識さんの力で無敵に生きる』 大嶋信頼 著 青山ライフ出版 283頁より ☆意識を打ち消し無意識の力を使うテクニック ①ダウトで意識を打ち消す 本当かよ!私! ②おまじないで意識を打ち消す 人の気持ちはわからない そして、自分の気持ちすらわからない ③意識的な判断とは逆の言葉がけで意識を打ち消す ○○さんて、社員への心配りが凄いですよね!

mellow~花屋と無意識

 2020年公開映画『mellowメロウ』田中圭 主演を先ほど、配信で鑑賞していた。優しく大人しいフローリストの主人公を中心に織なされる、穏やかな恋愛模様。 私は、淡々とした日常を丁寧に描くような映画が好きだ。(『日々是好日』『人生フルーツ』『モリのいる場所』『かもめ食堂』などおすすめ!) 『メロウ』冒頭場面 花屋に、中学生の女の子が、おずおずやってくる。主人公の夏目は、さりげなく女の子に声をかける。お花はプレゼントなのか。どんな相手なのか。 女の子は、なかなか本当の事を言い出せないのだ。 本音は、好きな学校の先輩に告白するために、小さな花束を贈りたいのだが、相手が同性なので、内緒にしたい。 夏目は、「言いたくないことは言わなくていいよ。」と、女の子を安心させつつ それでも、相手に喜んでもらえる花束を作りたいからと、差し支えない範囲を配慮しながら、いくつか質問をしていく。 決して踏み込み過ぎない距離感を計りながら、 「その人は活発?おとなしい?好きな色は分かる?ああ、分からなくても、その人をイメージしたら、この中でどんな花になる?」 質問に、はにかみながら、時に躊躇し、時に笑顔で即答する女の子。 「元気な感じですけれど、意外とかわいいもの好きかも!」 夏目は、会話しながら、色とりどりの花々から、スイスイと、選んでいく。 そして、素敵な花束を作りあげる。夏目は、女の子の告白がうまく行き、デートが実現するように、うっかり口にする。「そんなんじゃないですから!」女の子は、ちょっとムキになる。 これだけの場面だが、私は、上質なカウンセリングでも見たかのような気がして、感心しながら眺めた。 カウンセリング手法は、何も、心理療法に限らず、日常生活のあらゆる場面で、無意識に使われているのだなあと、気づかされた。 ○プライバシーに配慮 ○言いたくないことは言わなくてよい ○安心感 ○短く、最小限でありながら、的確な質問 ○明るく、癒された気持ちになる ○無意識の力(直感)を使う 催眠療法セッションに先立ち、クライアントと面談をするのだが、花屋でフローリストが花束を作る時に働かせる無意識との共通点を感じた。 無意識の世界は無限であり、美しい。 意識の世界は有限であり、あまり美しさがないかもしれない。 私たちセラピストは、クライアントの無意識に働きかけ、そこに元々咲いている美しい花々を

課題を見守る

 その人の課題を取り上げることは、愛でも何でもありません。その人の課題を尊重し、見守りましょう。 そんな意味の言葉を、昨夜ふと目にした。ああ、そういうことか。と、一人納得。 義父の話。 義父は、妻に先立たれ二十数年。そのほとんどを同居人Aさんと過ごしてきた。私たちは、徒歩5分の所に住んでいたが、Aさんが義父と一緒に居てくださるおかげで、自分たちの生活に専念することが出来ていた。 この二年くらいだろうか。Aさんから、時々相談の電話がくるようになっていた。義父が認知症になったと。ディサービスも嫌がって行かないし、家に閉じ籠りテレビばかり見ているので鬱っぽくなっているとか。 私たちが義父を訪問すると、確かに元気いっぱいな訳ではないが、普通に会話は出来るし、病院にも通っておらず健康だと本人は言い張る。認知症であることを息子たちに隠したいのか、認知症故に、通院している現実を無かったことにしてしまうのか、分からなかった。親としてのプライドがあるから息子の前ではしっかりしているところを演じていたのかもしれない。特に困っている様子も見えず、私たちも深入りせず、見守るしかなかった。Aさんは大変だったのかもしれないが。私たちもAさんの好意に甘えていた。 先日、Aさんと義父は、徒歩20分くらいのアパートへ引っ越しをした。Aさんは、引っ越し作業の間、義父が落ち着かないだろうからと、ケアマネージャーと相談し、施設に1ヶ月ショートスティさせることにした。どうするかを義父に決めさせたそうだ。義父は、引っ越し作業が面倒だと感じたのか、意外とすんなり了承し、施設のお迎えの車に乗り込んだ。自分で決めて、自分で行ったのだ。 おかげで、作業がはかどるとAさんは喜んでいた。久々に、Aさんの弾んだ声を聞いて、この方は、本気で義父と共に最期まで過ごしたいと思ってくださっているのだなあと、深い愛を感じた。義父とAさんは、結婚という形を選択していない。それは何故だか分からないが、人と人の繋がりは形式を超える強い縁があるのかもしれない。彼らは「共に力を合わせて生きていこうね」と、魂の約束をしてきたのかもしれない。 さて、義父は、最初のうちはカラオケなどをして、機嫌よく過ごしていたらしい。しかし、長年、好きなように暮らしてきた彼にとって、規則正しい生活はストレスになっていった。まず、テレビのチャンネル権が無い。食べたく

お迎え現象

 お迎え現象とは、人が亡くなる時または、その数日前あたりから、何らかの存在が側に来て、魂が肉体から離れた後、あの世までの道のりをサポートしてくれることを言う。 母の母のケースでは、入院中に、(他の人には見えない)子どもたちがベッドの周りにいっぱい来ていて、遊んでいたらしい。母の母が寝ながら手を動かしているので、何をしているのか質問したところ、「私が指揮をして、みんなが合唱してくれている」と答えたらしい。どうやら、お迎えは、その人が怖がらないような姿で来てくれるようだ。 飯田史彦氏の『生きがいの創造』にも、多数のお迎え現象が紹介されていて、スピリチュアルなことを信じていなかった方にも、光の存在が(あたたかい、安心する存在)やってくるようだ。 さて、現在の父にもお迎え現象か?ということが起きている。 父は、今年に入ってすぐに、出先で転び、手首と腰を骨折し、1ヶ月入院した。 手術後、せん妄状態になり、「知り合いが迎えに来るから、正面玄関までお出迎えしなくてはならない。」と言って、勝手に車椅子に乗ろうとして、看護士さんたちを大層困らせた。 誰が来たのだろう? 以降、消灯し暗くなると、誰かがやってくる。父は、その存在とお話をしている。ただし、ぶつぶつしゃべっている声は周りには聞き取れず、父も、目覚めた後は内容まで覚えていない。 背の低い中年男性で、グレーのスーツをきっちり着こんでいる存在らしい。父も、誰なのかまでは分からないそうだ。 もしや死神?何だか不安になった私。 しかし、父は、症状を改善させていった。1ヶ月リハビリを頑張り、何と入院前より元気になり、先日無事退院を果たした。 入院中は、コロナの影響で、面会は一切許されず、父と母は、結婚後初めて長期の別離を経験した。母は、着替えをせっせと届け、会えないのが分かっていながらも、病院の待合室で二時間くらい過ごしていたらしい。 たまに、心優しい看護士さんが、父を車椅子に乗せて、数メートル距離を置いて会わせてくれたらしい。直接話しはできないが、顔を見ることが叶った。しかし、本来は許されないことであり、 通常は、厳しい看護士さんが待合室で座っている母の処にやってきて「待っていても、会えませんよ。帰ってください!」と叱られたりもしたそうだ。(叱る方が、辛い役割だったと思う。厳しい看護士さんにも頭が下がるエピソードだ。コロナの影響で、皆

縦糸と横糸の交わるところ

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  2020年5月30日 私の尊敬する友人Y.Hさん、撮影『日輪』 この約1ヶ月後、Yさんは、帰星した。 昨日、なぜだかYさんのことを強く思い出し、最近親しくなった方に、聴いてもらった。 私とYさんの関係の中で、薔薇をめぐるエピソードを紹介したところ、その方は、庭で撮影した薔薇の写真を送ってくださった。彼は丁寧に撮影日まで明記してくれていた。 それが2020年5月30日。 彼からの写真を有り難く拝見した後、ふと気になり、Yさんが撮影した『日輪』の撮影日を見たら、同じ日付だった。 時空を超えて、私が尊敬するお二人が、同じ年の同じ日に『薔薇』と『日輪』を撮影していた。そして、二年後に相次いで、私の元に届けられた。 なんとなく、5月30日が、大切な日のような気がしてきた。 さらに、不思議は続く。 Yさんのエピソードを紹介したblog投稿を、今朝、Yさんのご主人様に見てもらいたいなあと思いつく。コピペして、送信したあとに、何気なく読み返していたら、私が書いた文章の中に、「5/30投稿参照」の記述が。 2021年5月30日「命の長さ」と題し、私はYさんとの別れに触れて、寿命や魂の永遠、使命について書いていた。 5月30日という共通項で、パズルのピースが集まってくる。もう、何かあるとしか思えない。 先ほど、瞑想状態になり、「5月30日とは何ですか?」と、宙に質問を投げ掛けた。 無数の縦糸と横糸が交差するビジョンがくる。 織物のようなイメージ。 とある1ヵ所の交点が光っている。 このビジョンから連想し、メッセージを翻訳してみた。 無数の過去と 無数の未来の可能性 その交差するところが現在 交差するところも無数にある あなたがフォーカスしたところが光 フォーカスを変えれば光りは移り 現実があたかも変化したように感じる あなたは、学びたい現実を選んでいる 順調に 出来事が起こる 出来事に意味付けするのは個々の人であり そのものに意味は無い 物質次元の目で見れば、抵抗が大きく感じることも、五次元の目で見れば、一切の抵抗もなく、スルッと乗りこえてしまうもの 例えば ある人は庭の薔薇を美しいと愛で ある人は空に神々しい日輪を仰ぎ ある人は故人を想い文を綴るように その日、どんな意味付けをするのかは あなた次第 学びのステージを変えたいという それもあなた次第 内面をよりクリアに より平安に

地球の悲しみ

 今朝、入浴しながら、いつものように瞑想していた。 昨日、友人から教えてもらったやり方で、思い込みを手放し、アファメーションを入れてみた。 何だか、胸が痛い。喉から胸にかけて、とても冷たくて、緊張感もある。これはなんだろう? これは、私の痛み?他の存在の痛み? 心に問い掛けていったら、 「これは、地球の悲しみ」 という答えがきた。 イメージの中で、地球に光を当て、ヒーリングをしていく。北半球が紫色に包まれる。 私は、ほとんどテレビを見ないが、昨夜、久々にニュースを見た。感情を揺さぶられ、違和感を感じた。これは、操作されているかも?と思った。アメリカ大統領と側近の演説場面は、作り物にしか見えなかった。B級ドラマのチープさのような。みんな、演じていると感じた。 なぜ? それは、メディアが片寄った情報を流すことで、視聴者を煽り、コントロールするためだ。 地球には、太郎くんも、次郎くんも、生きている。地球は、両者、分け隔てなく大切に思ってくれている。これは確かなことだ。 何か事情かあって、太郎くんと次郎くんが、喧嘩を始めた。周りは、太郎くんに加勢し、もっとやれ、と焚き付ける。みんなで次郎くんをやっつけちゃえ!と。 加勢する皆は、太郎くんの言い分しか聞かされていない。太郎くんがいかに辛い思いをしたかがクローズアップされる。周りは同情し、次郎くんに怒りを燃やす。あんなやつ、どっか行っちゃえ!と。 しかし、冷静な人は分かる。 あれ?次郎くんの言い分聞いた? 次郎くんも、もしかしたら、一生懸命、喧嘩の理由を説明していたかも。でも、意図的に消されちゃったのかも。 喧嘩を始めたのは、次郎くんのように、皆は言ってるけど、もしかしたら、ずっと太郎くんに意地悪されているお友達の花子さんがいて、泣いていたから、「太郎くん、いいかげんにしなよ。」と言っただけかもしれないよね。 周りが、その場面だけを見て、それだけが真実だと思い込んでいるのかも。 「違うんだ。太郎くんが、花子さんをずっと泣かせていたんだ。」次郎くんは、こう叫んでいたかも?でも、周りは聞こうとしなかった。 なぜなら、人は、見たいようにしか世界を見ることが出来ないから。 もし、太郎くんの味方をしたら、お菓子をもらえるとか、自分にとって都合のいいことをちらつかせられたら、短絡的にそっちに飛びついてしまう人もいるだろうな。 例えば、学校の

心よ

 『ミラーニューロンの彼方へ!』大嶋信頼 著 先ほど、読了。 あ~幸せだ。心理療法のことがより深く理解できた。大嶋氏の飾らない言葉も読みやすく、催眠療法のスクリプトにもなっていると最後に種明かしされ、ビックリ! 参考になる箇所は、山ほどあったが、 催眠療法の師匠からの教えで セッションに困った時は、クライアントに 「心よ!私のことを真面目に真剣に助けておくれ」と心にむけて声をかけてもらう方法は、感動だった。 催眠導入もすっ飛ばして「心よ!」と声をかけるだけで、クライアントの中に心からの答えが返ってくる。 何も意識せず、先入観なく、パッと思い浮かんだ答えが、心の声だ。 かなり深刻な症状のクライアントさんの対応に、悩んでいた大嶋氏は、どうしたらいいか分からなくなり、この方法を試したところ、クライアントさんは、自分の中から賢い解決策をスルスル出してきて、奇跡のように症状が改善していったそうだ。 試しに、先ほど実験してみた。 リラックスしていた方がいいかな?と思って、浴槽に浸かりながら 「心よ!○○は、どうしたらいいですか?」と声に出して質問。頭の中に声が返って来るかと待ち構えた。 「し~ん」 あれ?返ってこないなあ。 まあ、もしかしたら、私の日頃の思考かもしれないけど、今思い当たることを適当に口に出していたら だんだんと、スルスル言葉が出てきた。 「○○が、嫌いでいいんだよ。人間なんだから。合わない人がいたっていい。 必要な時に動けばいいよ。必要ないなら、無理して動くことない。あなたは、必要な時はすぐに動いてきた。自分を信頼して。 相手も、それを求めてないのに、世間体とか、しがらみで無理に動いても、誰も喜ばない。 エネルギーが合わない人もいる。 理由もないのに、苦手な人もいる。 無理に、すべての人を好きにならなくていいんだよ。あなたは、人間なんだから。 大丈夫だよ。正直に行動して、大丈夫だよ。 あなたを責める声が頭の中に聞こえたら、それは、あなたの考えではないよ。 脳のネットワークでつながった、他人の思考だよ。思い込みは、本来のあなたの心ではないよ。切り離していいよ。 大丈夫だよ。人間だもの。大丈夫。」 本当だ。心よ!と問い掛ければ答えがくる。 いつもなら、楽に逃げてるとか、努力しなきゃとか、いい人にならなきゃとか、考えてしまい、胸がぎゅ~っとなって、罪悪感でいっぱいにな

花の絵からのメッセージ

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 潜在意識は、すごい! あらためて、そのすごさを目の当たりにした。 潜在意識の中には、いつも、ベストな答えが用意されている。私たちは、ただ、それに気づいていくだけで、幸せになっていく。 夢のような話?そんなうまい話あるわけない? いやいや、とんでもない。 私たちを幸せにする力は、外側には存在しない。私たちの内側にこそ、常に存在し、メッセージを送ってくれている。ただ、耳を澄ませ、感じるのみ。 内側からのメッセージを受けとる方法は、世の中にいくつも存在するので、自分に合った方法を見つければよいと思う。 催眠療法は、そのひとつだ。 🌹花の絵を使った催眠療法を紹介したい。 現代催眠の吉本武史氏のスクリプトを参考にした。少し私のアレンジを加えた。 ☆クライアントには椅子に座ってもらう。 紙3枚と色鉛筆を用意。 事前に、面談で取り組むべきテーマを話し合っておく。(孤独を克服したい。など) ①現在の自分をイメージし、花の絵を描いてもらう。 ②こうなったらいいなあという理想の自分をイメージした花の絵を描いてもらう。 ③それぞれについて、簡単に説明してもらう。 ④深呼吸数回 ⑤テーマについて、思い出す場面を言ってもらう。(幼少期、○○している場面で、孤独を感じていた。など) ⑥一枚目の絵をじっと見てもらう。次に遠くに視線を移してもらう。 以降、セラピストからの質問は無く、誘導により心身をリラックスさせ、催眠を深化させていく。イメージの中で、二つの花の香りを感じる。理想の自分のイメージを花の形で潜在意識にインプットする。(しっかり根っこが地面に張りめぐされ、花は大きく輝いている。など) イメージの中で、二つの花の香りを溶け合わせ呼吸とともに、ひとつにまとめあげる。(統合) ⑦スッキリ爽やかに解催眠 ⑧セッション後の心境で花の絵を描いてもらう *簡単な感想、気付きをクライアントに語ってもらうが、セラピストは、一切判断しない。 また、この時点で、クライアントに何も気付きが無くても構わない。潜在意識に暗示が入っているので、セッション中に眠っていたとしても効果はある。 数ヶ月後に気付きがあるかもしれない。それはクライアント次第。 セラピストは導こうとしてはならない。クライアントの潜在意識を信じる。催眠のプロセスの中で関わり、無意識レベルで物の見方が自然に変わることが出来るよう援助する。 さて