お迎え現象

 お迎え現象とは、人が亡くなる時または、その数日前あたりから、何らかの存在が側に来て、魂が肉体から離れた後、あの世までの道のりをサポートしてくれることを言う。

母の母のケースでは、入院中に、(他の人には見えない)子どもたちがベッドの周りにいっぱい来ていて、遊んでいたらしい。母の母が寝ながら手を動かしているので、何をしているのか質問したところ、「私が指揮をして、みんなが合唱してくれている」と答えたらしい。どうやら、お迎えは、その人が怖がらないような姿で来てくれるようだ。

飯田史彦氏の『生きがいの創造』にも、多数のお迎え現象が紹介されていて、スピリチュアルなことを信じていなかった方にも、光の存在が(あたたかい、安心する存在)やってくるようだ。

さて、現在の父にもお迎え現象か?ということが起きている。

父は、今年に入ってすぐに、出先で転び、手首と腰を骨折し、1ヶ月入院した。

手術後、せん妄状態になり、「知り合いが迎えに来るから、正面玄関までお出迎えしなくてはならない。」と言って、勝手に車椅子に乗ろうとして、看護士さんたちを大層困らせた。

誰が来たのだろう?

以降、消灯し暗くなると、誰かがやってくる。父は、その存在とお話をしている。ただし、ぶつぶつしゃべっている声は周りには聞き取れず、父も、目覚めた後は内容まで覚えていない。

背の低い中年男性で、グレーのスーツをきっちり着こんでいる存在らしい。父も、誰なのかまでは分からないそうだ。

もしや死神?何だか不安になった私。

しかし、父は、症状を改善させていった。1ヶ月リハビリを頑張り、何と入院前より元気になり、先日無事退院を果たした。

入院中は、コロナの影響で、面会は一切許されず、父と母は、結婚後初めて長期の別離を経験した。母は、着替えをせっせと届け、会えないのが分かっていながらも、病院の待合室で二時間くらい過ごしていたらしい。

たまに、心優しい看護士さんが、父を車椅子に乗せて、数メートル距離を置いて会わせてくれたらしい。直接話しはできないが、顔を見ることが叶った。しかし、本来は許されないことであり、

通常は、厳しい看護士さんが待合室で座っている母の処にやってきて「待っていても、会えませんよ。帰ってください!」と叱られたりもしたそうだ。(叱る方が、辛い役割だったと思う。厳しい看護士さんにも頭が下がるエピソードだ。コロナの影響で、皆辛かったと思う。)

母は、毎日手紙を書いて、郵便を出した。

また、父は、自力で携帯電話を使えなかったが、あの心優しい看護士さんがたまにお手伝いしてくれて、母に電話をかけてくれて、ビデオ通話が叶った。

離ればなれの父母は、寂しく辛かっただろうが、その話を聞いて、

何だか素敵だなあと感じた。

側に居るのが当たり前の日常では感じることの出来ない、互いに思いやる気持ちが、あらためて思い出された1ヶ月だったのかもしれない。特に、毎日手紙を投函する母は、まるで遠距離恋愛中の初々しい乙女みたいで、何て可愛らしいのだろうと、ほっこりした。

さて、父の退院後の行き先は、母以外の全員が施設入所を勧めた。車椅子になるし、とても一人でお世話はできないからと。医者も介護関係者も、口を揃えて母を説得しようとした。

母は、頑として「家に連れて帰ります!」と主張し、ついに周りが折れた。

母はすべてを覚悟し、自宅に手すりを取り付け、介護ベッドをレンタルし、お風呂も椅子やマットを用意した。ケアマネジャーさんが、かなり助けてくれた。

「不思議と、やってみると何とかなるものよ。」母は、吹っ切れた表情で笑った。

何と、父は、周りの予想を裏切り、杖を使って自宅の中を自力で歩けるまで回復した。数日前からは、昼間はオムツを外し、自力でトイレに行けるようになった。

認知症も、入院中の規則正しい生活や、リハビリのおかげか、改善した。頭はよりクリアになり、受け答えもハッキリ。今日が何月何日何曜日とか、誰々の誕生日とか、しっかり答えられるようになり、介護認定の面談に訪れた役所の人を戸惑わせた。「これは、介護認定がおりないかもしれません。」と。症状か良くなってしまったのだから、嬉しい誤算だ。

父は、痛い思いをし、可哀想であったが、結果オーライだったのかもしれない。1ヶ月離ればなれになった二人は、共に過ごせる時間が掛け替えがない宝物だと実感したのだろう。一日一日、一瞬一瞬を、ゆっくり丁寧に生きている。

母は、最期までお世話をしたいから、やるだけやらせてほしいと言う。どうしても出来なくなったら必ずSOS出すからと。私は、その時にちゃんと動けるよう、スタンバイの役割を担う。善かれと思い行動しても、真に相手が喜ぶとは限らない。見守ることも大切な役割だ。そう自分に言い聞かせる。

まあ、自分の日常すら満足にこなせず、夫に助けてもらっている私なので、他の人の役に立てる自信は無いが、癒しの存在になれたらいいのかもしれない。居るだけでいいという、光を届ける役割に徹しようと思う。

3日前の夜、父の具合が悪くなった。食卓で座り食事をしていた時、急に血圧が下がり、顔色が真っ青になった。母は、救急車を呼ぼうか迷ったらしいが、何とか父をベッドまで誘導し、やがて父は回復した。母の肝っ玉には脱帽だ。数年に渡る介護の日々が母を強くした。

ここで、例のお迎え現象である。

食卓で意識朦朧とした父は、ぶつぶつお話を始めたそうだ。どうやら、あの、グレーのスーツの中年男性と会話をしていたらしい。

血圧が戻り、意識がハッキリした父に、母は「何を話していたの?」と質問した。父はよく覚えていなかったそうだ。


ここは想像でしかないが


スーツ男「そろそろ行きますか?」

父「いや、もう少し居させてくれ。」

そんなやり取りがあったかもしれないなあと思う。

父の側にいつも居るという、グレーのスーツ男性は、死神かもしれないが、父を回復させ、母とのハネムーンを実現してくれたのなら、父にとっては、善い存在であると信じたい。もし、肉体から離れるタイミングが来たら、しっかりサポートして、魂が行くべき光の世界へ連れていってくれると信じたい。

昨日、私は実家に帰った。

コロナ感染のリスクや、父母の負担や、いろいろ考えてしまうと迷いもあったが、エイっと勇気を出して、父母に会って来た。何より、生きている父に会っておきたかった。

アンパンとドーナツを食べたいという父にお土産として持っていった。「美味しい」と言ってくれて、ほっとした。何も出来ない私。親孝行できない、気難しく不器用な娘であったが、この日、一切の捕らわれから自由になり、ただ、互いに存在することにしみじみ感謝する心持ちになった。

本当は、肉体をしっかりハグして、愛を伝えたかったが、やはり互いに照れもあったので、浮腫んだ足にちょっとだけ触れて満足した。私が微笑むと、父も微笑む。取り立てて何か会話をしたわけではなかったが、気持ちは通じあった気がした。

父に、草場一壽さんのカレンダーを渡した。美しい陶彩画で、大日如来や木花咲耶姫などが美しく描かれている。

「もしもの時が来たら、光の方へ進むんだよ。」私は、心の中で、父に話しかけていた。神仏が父を導き、美しい光の世界へ迷いなく進めるよう、祈りを込めて、そのカレンダーの絵を共に眺めた。父は、顕在意識では理解していなかっただろうが、魂には通じていたと思いたい。

父が疲れてしまうので、二時間の滞在で、帰ることにした。帰り際、父と握手をした。「元気で。」「また来るね。」短い挨拶だったが、互いにしっかり目を見て手を握った。

また、会えるだろうか。次は、私を認識してくれるだろうか。笑顔を見られるだろうか。また、父が食べたいものを持っていきたい。

残された日々、思い切り楽しんで、味わって、すっかり満足して、いつか来るであろう旅立ちを迎えてほしいと思う。


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