実存的変容とは

 ひとの意識には、成長サイクルがある。

スピリチュアルな世界で、分離から統合へと、よく言われているが、心理学や教育研究など様々な学説でも示されており、古くは般若心経まで遡ることが分かった。

特に実存的危機(自分は何者で、人生の目的は何かという根源的な問題に真剣に悩み始めること)を経て、実存的変容を深めていくという説は、大いに納得させられた。

以下は、実存的変容が深まった人の特徴である。

○むやみに戦いを仕掛けない。(闘争、立身出世、名誉、名声、お金を得るための戦いをも含む)

○むやみに目標や夢を設定して、それを追いかけない。

○むやみに聖人にあこがれない。

○むやみに、いい人、強い人、立派な社会人のふりをしない。装わない。かっこうつけない。素の状態。裸で生きている。

○自分の弱さや欠点をさらすことに抵抗感がない。常識的にはネガティブに見える側面も含めて自己受容している。

○むやみに人を批判しない。

○むやみに美しい物語にあこがれない。むやみに理想を追わない。

○秩序のない混沌の中にいても居心地の悪さを感じない。むやみに整理された秩序を求めない。

○発生した出来事や世の中の現象などに対して、論理的で美しい説明や理由付けをむやみに求めない。出来事や現象が、ただ「ある」ことを認める。

○むやみに。いい·悪い の判断をしない。起きた出来事や結果、自分や他人の行為、自分や他人そのものなどに対して、ありのままを受け取り、判断を保留する。

○いかなる結果が出ようとも、それを淡々と受け入れる。

○物事を 正義VS悪のパターンで読み解こうとはしない。正義を振りかざして悪を糾弾しようとはしない。自分や他人やお互いに対立する人たち、あるいは組織、国家などに対して。

○むやみに善人と悪人を切り分けない。世の中に悪人とレッテルを貼れるような人は存在しておらず、抱えている葛藤の重さが違うだけだ、と認識している。

○むやみに 正·誤 を判別しない。誤を切り捨てないで、その中に潜む叡智を探す。

○むやみに自分と人、あるいは他人同士を比較しようとはしない。人は一人ひとり、存在しているだけで十分に価値があることを実感として把握している。

○むやみにコントロールしようとはしない。他人も自分も組織も世論も。説得して他人の意見を変えようとはしない。したがって社会を変えようというインテンションはなくなる。

○恋愛は激しく燃え上がらず、静かな感じになる。パートナーに対して、独占欲や嫉妬心が希薄になる。

○あらゆる場面で、無条件の愛が発揮される。

○自分とは異なる意見、思想、価値観、文化の人と一緒にいても居心地の悪さを感じない。

○他人の問題行為、わがままな行為、エゴむき出しの行為に対して、むやみに嫌悪感を抱かない。

○むやみに自己顕示欲むきだしの言動に走らない。自らの自己顕示欲の存在をしっかり把握している。

○自分自身、起きている出来事、他人との関係などを、客観的に遠くから見る視点を確保している。(メタ認知)

○他人や社会が、自分や自分の言動をどう見るかを、むやみに気にしない。自分をまげて、他人や社会に無理に合わせたり、おもねたりしない。常に自分自身であり続ける。

○むやみに過去を悔やまず、未来を思い煩わない。

○自らをあけわたし、宇宙の流れに乗ることができる。傍から見ると、やたらに運が良いように見える。

『自己否定感 怖れと不安からの解放』

天外伺朗 著 内外出版社

より


実存的変容の特徴について、私はまだまだであるし、変容前であるから、劣っているとか、そんなことを言いたいわけではない。

赤ちゃんに心身の成長があり、自己と外界を分離し、自我を確立していく成長過程が必ずあるように、(赤ちゃんや幼児に論理的説明を求める大人はまずいないはず。そういうもの。という共通理解がある。)

意識の成長サイクルは自然な流れだ。肉体が成熟したから、精神も成熟しているだろうと、私たちはつい誤解してしまう。意識の成長は、人それぞれ。立派な立場の人でも、精神的に熟さない方もいるだろうし、何の肩書きのない若者でも、驚くほど受容力を発揮する人もいる。

それぞれが、それぞれに引き寄せた現実を通し、マイペースで意識を成長変化させている。これはサイクルなので、春夏秋冬と同じ。冬が夏を「けしからん!」と批判するだろうか?それぞれの季節に味わいがある。春、夏、秋を順番に経るからこその冬である。サイクルがあるから、命は循環する。エネルギーは形を変え、全体として見事に調和する。

なぜ、不安や怖れがあるのか。

元々、人は母親の胎内から出てきたことで、分離感を味わう。(バーストラウマ)

さらに、元々、宇宙根源の大いなる源の意識から分離して、個々の意識体験をしているわけだから、絶対的安心な世界から放り出された状態が、今の私たちである。

不安、怖れは、そこに由来する「自己否定感」から発している。

この自己否定感を活力源として進化成長を遂げてきたのが、これまでの時代。「私は足りないものがある。もっとよくならなくては。」という意識。

そして、人類の集合意識が、次のサイクルに入ろうとしている。

自己否定から、無条件の受容(愛)へ。

このサイクルに無意識に反応した人々が、自己否定感を減らしつつある。そのため、自己否定感を活力源にした会社や学校に居ることが辛くなり、うつ病や登校拒否、引きこもり、自殺が発生する。自己否定感が不活性化すると、人は戦えなくなるからだ。

天外氏は、引きこもりの人は、意識が進化した人間だと、未来に明るい希望を描いている。今の時代は、猛バッシングを受けそうな言説だが、私はなんとなく、理解ができる。

私は会社から落ちこぼれ、うつ病に苦しんだ経験がある。猛烈に自己否定を重ね、自己嫌悪の底の底に行き着くと、なぜか人は浮上する。自然な流れで意識変容が起きてくる。自己受容から、外の世界の受容を経て、最終的には、すべてひとつだったという気づきに至る。

自己否定感を減らした人々が増えてくると、上記に羅列した実存的変容が当たり前の社会になる。それは、競争や排除、戦いの無い平和な世界。

戦いは、正義と正義のぶつかり合いだ。

相手の考えに嫌悪感を抱き、敵と見なしてしまう。自分が絶対的正しい。相手は誤っていると思い込む。相手をコントロール、排除したくなる。この心理には、自己否定感が作用している。憎い相手は自己の投影だった。

幸せなお産(自然分娩、初乳、母乳育児など)が当たり前になれば、世の中から戦争は無くなるとも言われるらしい。

なにはともあれ、現代社会についていけず、鬱や引きこもりで、落ちこぼれと見なされている方々は、実は平和の守り手という貴重な存在であり、彼らからの無言の智慧を受けとることが、未来を明るくすると感じた。

未来に、不安や怖れを抱いてしまう私も、それは自然なことであり、そう感じてしまう私を否定する必要はないのだ。

「私は不安なんだね。怖いんだね。」と、受容する。

不安を打ち消すために、足りない自分を埋めようともがくのではなく(得ても得ても、足りないものは埋まらないから。また、次なる欠けた部分に気づき、不安になる。)

自分の内面を見つめ、どんなに惨めで格好悪くて、醜くても、ありのままの自分の存在そのものを受け入れること。素の自分でいることを許すことから始めたい。その意識は愛である。意識は現実を創るから、気づくと、愛しか感じられない現実ばかりが目の前に現れるだろう。

小さな一歩から。












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