課題を見守る
その人の課題を取り上げることは、愛でも何でもありません。その人の課題を尊重し、見守りましょう。
そんな意味の言葉を、昨夜ふと目にした。ああ、そういうことか。と、一人納得。
義父の話。
義父は、妻に先立たれ二十数年。そのほとんどを同居人Aさんと過ごしてきた。私たちは、徒歩5分の所に住んでいたが、Aさんが義父と一緒に居てくださるおかげで、自分たちの生活に専念することが出来ていた。
この二年くらいだろうか。Aさんから、時々相談の電話がくるようになっていた。義父が認知症になったと。ディサービスも嫌がって行かないし、家に閉じ籠りテレビばかり見ているので鬱っぽくなっているとか。
私たちが義父を訪問すると、確かに元気いっぱいな訳ではないが、普通に会話は出来るし、病院にも通っておらず健康だと本人は言い張る。認知症であることを息子たちに隠したいのか、認知症故に、通院している現実を無かったことにしてしまうのか、分からなかった。親としてのプライドがあるから息子の前ではしっかりしているところを演じていたのかもしれない。特に困っている様子も見えず、私たちも深入りせず、見守るしかなかった。Aさんは大変だったのかもしれないが。私たちもAさんの好意に甘えていた。
先日、Aさんと義父は、徒歩20分くらいのアパートへ引っ越しをした。Aさんは、引っ越し作業の間、義父が落ち着かないだろうからと、ケアマネージャーと相談し、施設に1ヶ月ショートスティさせることにした。どうするかを義父に決めさせたそうだ。義父は、引っ越し作業が面倒だと感じたのか、意外とすんなり了承し、施設のお迎えの車に乗り込んだ。自分で決めて、自分で行ったのだ。
おかげで、作業がはかどるとAさんは喜んでいた。久々に、Aさんの弾んだ声を聞いて、この方は、本気で義父と共に最期まで過ごしたいと思ってくださっているのだなあと、深い愛を感じた。義父とAさんは、結婚という形を選択していない。それは何故だか分からないが、人と人の繋がりは形式を超える強い縁があるのかもしれない。彼らは「共に力を合わせて生きていこうね」と、魂の約束をしてきたのかもしれない。
さて、義父は、最初のうちはカラオケなどをして、機嫌よく過ごしていたらしい。しかし、長年、好きなように暮らしてきた彼にとって、規則正しい生活はストレスになっていった。まず、テレビのチャンネル権が無い。食べたくないのに食事。入りたくないのに入浴。周りは知らない人ばかり。彼のストレスは爆発した。認知症は、子ども返りをするという。Aさんは、義父を大切にしていたから、何でもはいはいと言うことを聞いてきたらしい。施設では、我が儘は通らない。不機嫌を爆発させ、ハンガーストライキを起こし、大泣きして何度もAさんに電話をかけたそうだ。
家に帰してあげたくても、新居はまだ片付いていない。Aさんは働きながら新居の準備もこなしているのだから、心を鬼にして義父をなだめるしかなかった。彼女は、「ありがとう作戦」で、何とか乗り切ろうとしたそうだ。兎に角褒めまくり、感謝の言葉を義父にかけ続けた。
昨夜、いよいよ息子である私の夫のところに義父から電話がきた。いつも父親のプライドで鎧を固めていた義父が、すっかり豹変していた。家に帰りたいと主張するが、どこに帰ればよいかも分からない。引っ越しのことなど頭から飛んで、「家財がかっぱらわれた!警察に言う!」と。「ここでは、お風呂も入れない。旅館をチェックアウトして家に帰る。」と言う。夫は、辛抱強くやり取りしていたが、義父は思いとおりにならないのに憤慨し、一方的に電話を切られた。夫は、大丈夫だと言ってはいたが、さびしそうだった。
施設の方が言うには、義父の感情爆発は、今がピークだそうだ。原因は、普段甘やかしすぎたこと。我が儘がとおらず、泣き叫ぶ幼児と同じ。今までは、感情を荒げたり、不貞腐れたりすれば周りが思うとおりにしてくれた。しかし施設では、どんなに騒いでも思うとおりにはならない。義父はあらためて、規則正しい生活や、集団の中で自制すること、そして楽しみや友達を見つけることを課題に、学校に入り直したようなものかもしれない。
義父の電話の後で、夫はAさんと話した。Aさんは、新居が少しずつ整理されていることや、庭にウッドデッキや物置を設置したいなど、生き生きとプランを語った。Aさんは、義父との新生活をこんなに楽しみにしてくれている。ただ、現実的に片付けの間、義父をお世話できないため、一番安全で安心で、その道のプロがお世話してくれる施設に1ヶ月入れることにした。理解してくれない義父になじられながらも、Aさんは、こつこつ、新居を整えていく。義父は、こんなに愛され大切にされ、幸せ者だなあと、ほろりとした。Aさんがいじらしく、彼女の寄り添う姿勢に頭が下がった。Aさんの明るい声が救いだった。
私だったら、義父をお世話できただろうか?ただでさえ、親恐怖症の私。ちょっと声を荒げられただけで、恐怖に縮み上がり、寝込んでしまっただろう。義父を受け入れる器が私には無い。天は、その人が乗り越えられる試練しか与えない。私の器が小さいのを天が理解していて、慈愛溢れるAさんを義父のもとに使わしてくれたのかもしれない。もしかしたら、亡き義母の采配かもしれないなあと思う。人と人のご縁はうまく出来ていて、人智を超えている。私はAさんの姿から、人間の慈愛というものを学ばせてもらっている。
Aさんから、提案があった。もしも次に義父から電話がかかってきたら
昔、バス旅行での、河津桜のこと話してあげてほしいと。確かに10年以上前か、義父、Aさん、私たちと4人で、いろんな所にバス旅行にいった。Aさんによると、義父にとって、河津桜の旅がとても楽しかったらしく、その話をすると機嫌が良くなるそうだ。
驚いた。当時、親孝行のつもりで、何度かバス旅行に行ったが、義父はあまり楽しんでいる様子はなく、かえって迷惑だったのかもと思い込んでいたからだ。そんな訳で、いつの間にか、旅行に誘うことは無くなった。何だ!楽しんでくれていたのか。そうだと知っていたら、もっと誘えたのに。
義父の新たな一面が見えてきた。楽しくても、楽しいと素直に表現できない性格。息子たちの前で、いつも取り繕い、しっかりした父親であらねばと虚勢をはってきた義父。私たちが自宅を訪問しても、ムスッとしていた姿。私は、歓迎されていないのかなあと、いつも悲しくなっていたが、あれも、感情を表現できていないだけだったのかもしれない。本心は「顔を見せてくれてありがとう。」と言っていたのかもしれない。河津桜の意外な本心に、涙が出そうになった。何て不器用な義父だろうか。(昭和の父親って、皆そうかもですね。)
夫は、今度、義父から電話がかかってきたら、「また、バス旅行に行くか?」と話題を振ってみると、嬉しそうに答えていた。私も嬉しくなった。その真相を知っただけで、私の義父像がガラリと変化した。
人間は、多面体だ。絶えず、違う人格を演じ分けて生きている。一面だけを見て、その人を判断してはならないのだなあと、またまた学ばせていただいた。
今、義父も学んでいる。今はストレスまみれで辛いだろうが、私たちは見守る。
義父とまた、河津桜を見に行きたい。心からそう願いながら。
☆追記
同日、偶然だが、知人が、Facebookに認知症の義母について投稿していた。子ども返りをしていて、毎日が保母さん状態であること。手がかかるため、自身の仕事をなかなか再開できないこと。日々、義母から罵詈雑言を浴びせかけられ、メンタルがボロボロであること。彼女は過酷な人生を歩んできた。ようやく愛する方と結婚し幸せになったかと思っていたが、次なる魂の課題に挑戦中のようだ。皆、勇気ある魂だなあと思う。認知症の親から学ぶのは、なんだろう。忍耐だろうか。やはり、慈愛だろうか。魂のカリキュラムとしては、かなりの上級コースを彼女は選択しているようだ。
慈悲とは(コトバンクより)
1 《「慈」は、梵maitrī「悲」は、梵karuṇāの訳》仏語。仏・菩薩 (ぼさつ) が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと。 2 いつくしみ、あわれむこと。なさけ
以前、催眠療法を受けた時に、観音様に登場いただき、今の 私に必要なアドバイスをもらった。
観音様は、一言「慈悲の心」とおっしゃった。何の具体的説明も無く、ただシンプルに。一切の無駄のないアドバイスだなあと感心した。高次元ほど、メッセージはシンプルで分かりやすく、短くなるらしいが、本当にそうなんだなあと思った。
今、私たちの親のことで、立て続けにいろいろ起きているが、親が子に授けられる最後の課題かもしれず、私たちがそれを乗り越えた先には、慈悲の心がほんの少し身に付いているかもしれない。それは魂の成長にもつながる。現実をどう捉えるか。背後にどんな天の采配があるのか。親が子を愛さないはずはないのだ。それを信じて、目に見えない魂同士のやりとりに耳を澄ませていきたい。
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