逃げられないと観念した時

 


逃げられないと観念した時に、人はどんな表情をするだろうか。ふと、そんな事を思ったので書いておく。

私が10歳の時、母が突然この世から去った。サラリーマンだった父は当時四十代前半。今の私より若い。仕事も家事も小学生二人のお世話も、一気に父の細い肩にのしかかった。

慌ただしく葬儀を済ませ、日常が戻り始めた頃か。わたしと姉は、合唱団の練習に出掛けた。暗くなって、父の迎えを待っていたので、市民ホールで発表会でもあった日ではないかと思う。

父は何時まで経っても現れず、待ちくたびれた私たちは、父の職場へ迎えに行った。業務は終了しており、私たちは、真っ暗な中で、通用口の呼び鈴を鳴らした。残業していたであろう父の同僚が、あまり驚かず私たちを眺めていた。訳知り顔であった。彼に静かに案内され、とある居酒屋へ辿り着いた。完全な大人の世界である居酒屋は初めてであり、私たちは、声も出ず、びびっていた。ただ、ただ、父と一緒に家に帰ることしか頭に無かった。

居酒屋のカウンターに父は同僚らしき人と座っていた。そのときの父の表情を今でも覚えている。私たちが見たことの無い、弱々しい表情だった。

泣いていたのだろうか。目が赤かった。私たちは、ここへ来てはならなかったのだろうなあと、微かに感じた。親が子に見せたくない姿を私たちは見てしまった気がした。子ども心に、なぜ父が私たちを迎えに来られなかったのか、理解していたように思う。そこに触れてもいけないと感じていた。

父は、少し困ったようで、でも、少しだけ微笑んだ。

あれから、何度となく、この日のことを思い出す。父の苦しみのことを。

父は、いきなり直面させられた現実に、あの日耐えられなくなったのだ。夕方、我が子を迎えに行かなくてはならない。しかし、どんなに身体を動かそうとしても、動かない。見るに見かねた同僚が、父を飲みに連れて行ったのだろう。ひととき、父は、現実から逃げようとしたのだ。

我が子の前では気丈に振る舞わなければならず、しかし、悲しみは胸から溢れ、止められず、父はどうしても私たちから離れた場所で、誰かに守られてしっかり泣く必要があった。父も、ひとときでよいから、子どものことを忘れたかったのだろう。父の正常機能は壊れそうになっていた。

子どもが来るはずのない、父の聖域である居酒屋に、それでも私たちは誘われ、父の前に立つことになる。あの日の残業していた同僚の機転が正しかったのか、空気を読めなかっただけなのか。正解は分からない。

私たち親子は、抗いようもない人生の流れに、既にのせられていたように思う。私たちが、どんなに泣こうが喚こうが、辛く悲しい感情をこれでもかと味わされる体験が目の前に繰り広げられていったのだから。母の死は、まさに青天の霹靂だった。

父の内面が、どのように葛藤を繰り広げ、どん底から立ち上がったのか、それは父にしか分からない。

居酒屋のカウンターで、目を真っ赤にしながら、我が子に小さく微笑みかけた父。

「ああ、逃げられないのだ。」父は、あの瞬間、観念したのだと思う。

その後、父は私たちに弱った姿を見せることは無かった。1ヶ月後には祖母の居る北海道へ引っ越しをし、新たに四人でのスタートを切った。

今、振り返ってみても、父に大切にされた記憶しかない。10歳だったから、一緒にお風呂も入ったし、おんぶも抱っこもしてもらっていた。月一回は家族でデパートに出掛け、レストランで食事をした。欲しいものも買ってもらっていた。

本当に、あの日。あの日だけ。父は私たちから逃げようとした。ほんの数時間。もしかしたら、そばに寄り添う同僚の助けがなければ、父も発作的に命を断つようなこともあったかもしれない。そして、私たちの姿を見て我に返った父は、抗いようのない人生に観念したのだ。それからの父は見事だった。しっかり働き、私たちをきちんと育ててくれた。

不測の出来事を受け入れられず抗うと、人は苦しむことになる。どんな意味も見いだせず、七転八倒する。泣き疲れ、気力も枯渇し、腑抜けのようになった時、「ああ、逃げられないのだ。」と、諦めの境地が訪れる。あきらめ、とは、明らめ。実は明らかになるという尊い心境である。あきらめは、本来の自身の魂に繋がる契機ともなる。


「人生には二つの旅がある。

一つの旅は、あなたの人生を充実させ完成させるもの。

もう一つの旅は、そこから降りることでスタートするもの。

後者は、これまでなかった方法で、人生をまったく別の熟成に導く。」

『上方への落下』リチャード·ロール著


10歳の時、母が亡くならない人生であったなら、父は、姉は、私は、その後どんな40年を過ごしたのだろう。両親の愛を当たり前のように受けて、滞りなく幸せを謳歌したのだろうか。

あの日、私たち親子は、一般的な幸せな家庭から降りる人生へ舵を切った。一見すると、そこから「落ちた」第二の人生へと。

「熟成」という観点から振り返ってみると、私は「落ちる人生」で良かったなあと思う。味わってきた苦しみ、悲しみ、欠乏、怒り、嫉妬·····様々な感情は、豊かに人生を彩り、今の私がある。不運に思える出来事も、俯瞰してみると、成長への転機であったことが理解できる。すべて、私の魂が望んだ通りなのかもしれないなあと思う。幸せは、幸せの中に居ては実感できなかったろう。幸せとは何か、真剣に問うことが出来たおかげで、私は魂の存在にまで行きつけた。

父は、妻の死の四年後に再婚した。この新しい母とのバトルはこの後何十年と続くわけだが、これは、私の課題。

父は、今、とても大切にされている。

幸せな晩年になれたのは、二人目の妻のおかげであり、私たちでは、とても父を幸せにはできなかったろうから、心から感謝している。

そして、父の人生も愛おしく、誇らしくも思う。

ありがとう。

やっぱり、最後はこの言葉しか無いのだなあ。

今、どんな出来事にも素直に感謝している。


☆追記

「執着のなかに愛はない。

人は苦しみから何かを学んだり、苦しみから学ぶべき教訓があると思っている。

しかし、そうではない。

苦しみから逃げることなく、その中にとどまり、苦しみを和らげようとしたり慰めを求めたりせず

それから離れることなく、それをあるがままに観察するとき、

そのときに人はたぐいまれな心理的変容が起こるのを見る

それが、愛であり、慈悲心だ。」

『生の全体性』クリシュナムルティ


『人は、自分以外のもののために

生きられるようになって

初めて生のスタートを切る

自分自身に向けたのと同じだけの関心を、

仲間にも向けられるようになったときに』

A.アインシュタイン


湯船につかりながらぼ~っとしていたら、この投稿にある思い出が沸き上がり、「逃げられないと観念した時」が、いかに人生にとり、神の恩寵と言えるべき祝福か。しみじみ感じ入ったので、書き起こしてみた。☆追記にて触れた偉人の言葉にも通じるものがあり、「あ!私!この言葉の意味よく分かります!」と笑顔であの世の門をくぐれるなあと思った。

ぼ~っとしてたときに

「リエゾン」という言葉だけ単体で降りてきた。「繋ぐ」という意味だが。

とりあえず、保留ボックスに入れておこう。


*『落ちる!そこから第二の人生が始まった』新谷直慧 著から偉人の言葉を抜粋。また、大いなる気づきをいただいた。素晴らしい著作に感謝。

翌日

リエゾンへの回答あり

リエゾン=繋ぐ=ククリヒメ=あの世とこの世

どこに繋がるか分からないドキドキ

恐れを超えていけ

その先へ

不要を手放し、どんどん軽くなる

委ねる

守られている

大丈夫


ルーン文字

シゲル

意味

強大なエネルギーを意味するルーン。 やる気や元気を与える力がある。 「太陽」の象徴。

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