モチェ神話

 ペルー北海岸にプレ·インカと呼ばれる高度な文化が起こっていた。それがモチェ文化。時は紀元前から紀元700年

モチェ神話によると

昔、人間や動物たちから供物や生け贄を受け取り、それを糧とし世界を回していた。

が、あるとき調和が崩れる。それは、夜の神が、自分より昼の神に生け贄が多く捧げられているのに嫉妬したことから。同じレベルの者同士のほんのちょっとの差異が嫉妬を生み出すものだ。夜の神は昼の神を攻撃。家来の豆の軍隊をけしかける。昼の神は山に閉じ籠り世界は暗闇に。魑魅魍魎どもが湧き出て人間を喰らう。

人間の惨状にいてもたってもいられぬ人間思いの豊穣神は夜の神を贈り物でなだめつつ、暴れまわる怪物たちと対決。

神々は人間の生け贄で若返る。(人間を助けたり命を奪ったり······)

夜の神への説得も効いて昼の神も山から下りてきて仲直り。再び世界は回り出しモチェの人たちは縄のダンスを二神に捧げた。

(『インカ·プレインカ遺跡の旅』芝崎みゆき著 221~222頁より)

う~ん。

2、3千年では、人間はあまり進化しないのか。何となく、争いが無くならない原因が分かる気がする。

地球は、すべての生き物が循環して命を繋げられるように環境を整えてくれている。

人間だけが、「より多くを!」と求めてしまう。

神話では、神々の嫉妬とされているが、人類の集合意識のこととも考えられる。

私たちの中に、争いの種は潜んでいる。

足るを知らず、感謝を忘れる心が。

他と比較し、欠乏を感じ、奪い合う。欠乏は消えないから、いくら奪っても際限が無い。奪われた方は苦しくなるから、奪い返そうとする。無限地獄だ。文化文明が何度も消えるのは、人間の本質が変わらないからだろう。

この地球上で、小競り合いは続く。小さくは家庭から。大きくは戦争まで。

他国の戦争など、私は無関係だと、シラを切ることは出来ない。人類の集合意識を創るのには、私たち一人ひとりが加担しているのだから。

今までの歴史を繰り返し、この何百年かの物質文明は、やはりリセットされるのだろうか。

そして、500年後くらいに、また神話となり語り継がれるのだろうか。

天外司朗 著『融和力』によると、教育には「戦士」と「平和の守り手」を育てる方法があるらしく、明治以降の教育は、まさに「戦士」製造教育だった。

「平和の守り手」は、モンテッソーリ教育などに代表される。天外氏は、フロー体験が、平和の守り手を育てると解く。

フロー体験は、「いまにある」体験。人は無意識に繋がるので、天才的独創的発想が出てくるし、周りとも自然に調和していく。争いが起こるどころか、思いやり合い、集団がまるでひとつの生き物のように美しくまとまり、創造を成し遂げていく。

以前blogに書いたが私にもフロー体験に似た体験がある。

初めて催眠療法を受けた時、潜在意識の奥深く、ほんとうの自分の意識というものに繋がった。魂?真我?ハイアーセルフ?何と呼べばよいのかはわからないが。

その時、ハッキリ理解した。普段の自分だと思っている意識は顕在意識(エゴの意識)であり、エゴは、絶えず他と比べ、欠乏を感じ、欠乏を埋めようと促してくる。満足が無い。

ほんとうの自分は、静かで穏やかで平和で満ち足りている。時も空間も、制限は無い。今までも幸せであったし、これからも、幸せであることを知っている。今、ただ、ただ、至福でありすべてに感謝している。自分と他の境界も曖昧で、すべてが繋がっていることを感覚的に知っている。意識は、目の前の人にも、花にも、鳥にも、空にも、地球にもなる。

この感覚は、翌日には消え、普段の欠乏を感じる自分に戻ってしまったのだが、この体験がひとつの可能性をもたらした。

人類がみな、潜在意識につながるようになれば、ほんとうの自分を思い出せば、争いは消えるのではないか?

世の中の主流が、まだまだ、エゴを肥大化させる戦士製造教育に占められており、それ由に次々産み出される争いの種に水が注がれていくのだが。

私が、この世の片隅で、催眠療法を通し、わずかな人数でも、潜在意識に繋がるお手伝いをしていくことは、意味があるように感じた。

話は大幅に変わるが

オリオン大戦について。

昨夜、Chie  artさんの、YouTubeで、レムリアの記憶を残す9歳の女の子が、2021年東京オリンピックの開会式を観て、オリオン大戦の記憶を思い出したとか。各国の入場行進が、宇宙の各星からオリオンに集結した時の記憶とつながったそうだ。

オリオンの、ごく少数の存在が、闇を体験したくなった。闇は瞬く間に伝染していった。要請を受け、たくさんの星星から、応援が駆けつけた。

闇に染まった存在との戦いには、光を発射する銃のようなものを使った。銃は、相手を殺すためではなく、闇で黒くなった部分に当てると、元の光に戻る作用があるそうだ。

最終的に、闇のリーダー格だった存在は、光を当てられ、本来の自分を思い出す。(我に返る)

皆は喜んで、「お帰り!」と彼を迎えたとか。


映画スターウォーズは、かのオリオン大戦を描いているという。まだ、観たことはないが、もし観たら、私も何か思い出すだろうか?

この9歳の女の子は、オリオン大戦を、とても優しい言葉で説明してくれて、愛に包まれてほっとさせられたのだが、

一般的に言われているオリオン大戦は、もっとハードでもある。パラレルがいろいろあるのだろうな。

闇を体験したかった存在は、ルシファーとも言われる。オリオン大戦後、裁きを受け、償いのため地球に送られたとか。

ルシファーは、悪いやつだ!宇宙から永久追放だ!

という反応になってしまうのは、二元論の今までの発想。光が善くて、闇は悪。二元論では、光が強まれば、必ず闇も深く濃く現れる。

これからの発想は

ルシファーは、私たちの中にもいる。ルシファーは、誰もやりたがらなかった闇の役割を担ってくれた。闇をも統合した光になっていく体験を実現するために。

私たちの中にある闇を受け入れ、感謝とともに手放し、光に変えていく。私たちの中のオリオン大戦を終わらせる。自身の宇宙を平和に戻す。

二元を超えていく。

どっちもあったから、今の私がある。その経験があるから、成長できた。宇宙の本質である愛が、より理解できるようになった。

より、わたしを知るために。


戦いの種は、ちょっとした人間らしい感覚から生まれる。

分離から、違いを感じ、嫉妬が芽生え、争いが起きていく。

わたしたちは、体験したかった。それを学びに来た。充分に学んだら次のステップへ進む。今が、その時期なのだ。

そろそろ戻ろうか。ほんとうの光へ。

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