初日の出
新年明けましておめでとうございます。
画像は、我が家からの元旦の日の出。
丁度、マンションの外壁工事の最中で、網目が見えるが、新年の太陽の光が、真っ先に神聖な十字に形作られたことに、驚いた。
2022年は、より、自分の中の神聖さ、崇高さを深めていきたいという、決意の表れのように感じた。
さて、昨年末から、畳み掛けるように、いろんな学びが起こっていた。
大きな出来事は、身内のことだろうか。
仮にA氏と呼ぶ。
A氏は、最愛の妻を亡くし、20年過ごしてきた。不思議と妻との別れから数年後、側に居てお世話してくれる女性と出会う。籍を入れるわけでもなく、自然な流れで共に暮らしている。傍目では熟年夫婦に見えるが、関係は兄妹のようなものだろうか。人の関係はよく分からないものだ。ただ、互いに幸せならば、周りがとやかく言うことは野暮だろう。
A氏は、この数年、軽い認知症傾向があり、家に閉じ籠るようになった。運動不足になるから、どんどん鬱症状に拍車をかける。近くに住む息子達が気にして、せめて散歩するようアドバイスしても、A氏は、頑として聞かない。そればかりか、認知症で病院に通っていることすら息子達に隠している。(同居の女性からバラされているので、周りには周知のことだが)
息子たちは、父親のプライドを思いやり、都度、話を合わせてきた。父が演じる、「何も問題無い。順調だ。」との言葉を信じる振りをした。そのため、全ての不都合は、同居の女性に積み重なっていった。彼女の献身には頭が下がる。籍も入っておらず、責任をおう必要は一切無いのに、何故、彼女はそこまでして、A氏に寄り添うことが出来るのだろうか。
A氏は、息子達が実家に集まり、父親の今後について話し合う時も、不貞腐れ自棄になる。同居の女性が現実を見据えた提案をしても、自らを振り返り、生活態度を変えようとはしない。抵抗し続けている。息子達も、傷ついていく。年老いた父を思いやりたいが、本音はただ、悲しいのだ。肉体が老いるとは、こういうことなのだなと、追い付かない心で、眼差しを送る。
私がここでA氏達から学んだこと。
本音なのか、自棄になったのか定かではないが、彼の心無い発言は、周りを傷つける。それでも、同居の女性は、A氏に添い遂げようと、現実の中で、最善と思われる方向に共に歩もうと努力している。戦中戦後を逞しく生き抜いてきた女性の底力を感じ、ひたすら頭が下がる。もっと、自分が楽になる選択をすればよいのにと私なら思ってしまうが、彼女は精神的に不安定になりながらも諦めない。そういえば、私の母も同じだなあと思う。配偶者に対する献身と責任感は、到底、私のようなひ弱な精神では敵わない。
そこで思うのは、精神性を追及するだけでも、バランスが悪いということだろうか。
厳しい現実の中で、まずはしっかり自我を確立すること。心の筋肉をしっかりつけておく(様々な感情をしっかり味わう)ことが、前提としてあった上で、40歳くらいから、内なる自分を探求していくのが理想的かもしれない。
その点から見ると、私はまだまだ、自我を確立するほど人生経験を活かしていなかったかもしれず、ひ弱なままで、人生の後半戦の自己探求に舵を切った訳で、人の一生(80年?)だけでは、あまりに学びには短すぎるのである。
そこで、いやいや、そうかな?
催眠療法で得た知見が役に立つかと思い至る。潜在意識には、過去の人生経験が100以上詰まっているわけである。
今世だけで学びを評価する必要はなく、膨大な一連の命の繋がりの中で、今世、何を学んだか、という幅広い視野が必要だろう。
80年など、瞬きほどの時間である。そんなに欲張れない。だから、魂は、生まれる前に今世の課題を決めてくるのだ。ある程度絞っておかないと、実現が難しいからだ。
このような視点からA氏を見ると、頑固で心無い発言をするしょうもない老人から、愛おしいひとつの魂の存在として浮かび上がってくる。
A氏の人生テーマは、まず、戦後の混乱を体験することで、力強い生命力を発揮したことだろう。ここで付けた心の筋肉は、必ず未来世で役に立つ。
そして、戦争を知らない世代の私たちが、卑屈になる必要もない。過去世の人生を紐解けば、もしかしたら十字軍遠征やら、フランス革命、応仁の乱、はたまた、何億年前には、宇宙戦争を生き抜いた強者かもしれないのだ。
今世の設定は、今世の課題に向き合いやすいように組み立てられた性格や人間関係、生活状況であるから、人より気が弱いとか、貧しいとか、親が人でなしだとか、反対に満たされすぎているとか、 誰かと比較して悩む必要はないのだ。
A氏の場合は、もしかしたら、どんな時も側に居てくれる第三者の献身や無条件の愛を体験するために今世の設定を選んだかもしれず、そのためには、頑固な性格から出発し、どこかで目覚めるタイミングを決めているかもしれず、A氏の人生は、傍観者がどうこうコントロールすることではない。必要があれば、絶妙なタイミングでキーマンに出会い、必要な学びを引き寄せていくだろう。A氏の人生は、だから、今、まさに順調であり、私たちは「彼は今、大切な経験をしているのだなあ。」と、尊重し、見守ることしかできないのかもしれない。
例え肉親とは言え、魂の観点から見れば、学びのために自分が決めてきた役割を演じる地球学校の同級生同士である。
真心から、相手を助けたい、役に立ちたいと手を貸したとしても、それが真に相手の学びに添わない場合もある。悲しくとも、どう頑張っても、助けられないことは起きる。
人道的、あるいは世間的常識に振り回され、思うようにならない現状に苦しむのではなく、相手を何百もの人生経験を積んできた強者魂として、彼の挑んでいる人生課題を尊重し、ただ、寄り添っていく。現実に何かをすることが叶わなくとも、心の中で祈ることは出来る。
魂の喜びに沿って必要な学びが起こりますように。
まさに、この祈りは、2022年の幕開けにふさわしい、初日の出の光から感じたメッセージだった。
「魂の喜び」に
さらにフォーカスしながら、今年も学び続けていこうと思う。
地球という学舎に、そして出会う一人ひとりに深く感謝しながら。
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