亀のようにスローに

 退院後、動きがスローになった。

まるで亀のように。

特に、修復中の左胸から腕にかけては、ゆっくりゆっくり動かしている。服を着る時はスローモーションの動きで袖に手を入れたり、頭を襟にくぐらせたりする。「へえ~!人って、こうやって服を着るんだ。こんな風に体の各部位が連携し合って、動作が成り立つんだ。」と、新たな発見ばかりである。

今まではこれら一連の動作を無意識でこなしていたのだから、人間て面白い。まるでロボットだ!

自動モードで日常の動作をこなす代わりに、人間は何を得るのだろうか?大抵は思考を巡らせているのではないだろうか。今日のやるべきスケジュールや、ランチに何を食べようかとか、昨日起きた嫌な出来事を思い出したり、アレコレ。意識は未来か過去を彷徨っている。それって、全部必要?ほとんどは、雑念に振り回されていやしないだろうか。

これが当たり前になってしまうと、意識は今にいられないので、焦り、不安、恐怖、欠乏感などエゴ意識(物質次元を生き抜くためには必須アイテム)優位になってしまう。交感神経優位にもなり、心身は緊張し、体は冷えてくる。冷えは万病のもとでもある。

どんなこともバランスが大切だ。片寄りは生活習慣病にまで発展する。

今までの私は、エゴの自動操縦に頼り過ぎていた。意識して行うことに無頓着だった。

例えば、食事。私は大抵はテレビを漫然と観ながら夕飯を食べていた。一人で昼食を食べる時は、本を読みながら、またはスマホで動画を観ながらが当たり前だった。

ながら食いの習慣はどんな結果になるか。味わって食べないから、せっかくの栄養を取り込めない。よく噛まないから唾液が出ない。消化が悪くなる。ながら食いの人は血液が酸性に傾く。そしてがんの人は血液酸性であることが多いらしい。私のことだ!がんになった原因はいろいろあるだろうが、味わって食べないこの習慣が一因になっていた可能性はある。

そもそも食事は、栄養素を体内に取り込めばよいというものではない。人間は、太陽によりつくられた生命エネルギーを植物や動物からいただいている。プラーナとも言うらしい。生命エネルギーが枯渇すれば、いくら栄養を取り入れていても、人は死んでしまう。

食事は、命をいただくこと。感謝して生命エネルギーを循環させる神聖な行為だ。

禅宗には黙食というのがある。食べることに集中する。しっかり噛んで、味わうと共に、食材になってくれた一つひとつの命、その背景や、生産者さん、流通にかかわってくれた方々、料理してくれた方々、この一口に関わるすべてに感謝しながら、いただく。自然と食べる動きはゆっくりになる。消化もよくなるし、意識を今にもってくるので、静かでリラックスできる。

もし、黙食をやったことが無い方がいらっしゃれば、一回でよいので、騙されたと思って試していただきたい。初回の私は、果てしなく感謝が込み上げてきて、涙を流しながら食べた。意識次元が、ぐんと愛の方向へシフトしたような、穏やかで清々しい感覚を得た。「わぁ~。私は今、こんなに幸せなんだなぁ。」としみじみ実感できた。

ゆっくり食べると、満腹感も上がるから、食べ過ぎ防止になりダイエット効果もある。とてもおすすめ。

今までの時代の流れは、「早く!早く!」と急かされてきた。早いことが美徳だった。それはそれで素晴らしい。いろいろ発展もできたろう。しかし、失った大切なことも多いだろう。

例えば「感謝」。

スピーディーにやるべきことを次々こなしていたら、感謝する暇が無い。小さな不都合にイライラして、(電車が目の前で出発する。赤信号ばかり出くわす。スーパーのレジで待たされる。など)不幸の数ばかり指折り数え不機嫌状態になっていく。外側に幸せを求めて欠乏ばかりをクローズアップ。未来に待っているはずの幸せに目がいっている。まさに今ある幸せに気づけない。

仕事しながら家事をやられている方は、大変だろう。私もフルタイムで働いていた頃はいつも走り回っていた。交感神経優位で戦いモード炸裂状態にしなければ日常をこなせなかった。ちょっとの不都合にものすごくイライラを募らせていた。スピードが落ちるので損したように感じたのかもしれない。ここに無意識の生活習慣が重なった。

私は鬱病になり、最終的には癌を発症し退職した。あまりに早さに片寄り過ぎた。真ん中に戻すには、病という手段に頼るしかなかったのだろう。そのまま突っ走っていたら突然死のパラレルもあっただろうから、人生の方向転換をさせてくれた病には、感謝しかない。私は、病からたくさんのことを学んだ。

そのうちのひとつが、「亀のようにスローに」動くということ。自分の内面からたくさんの気づきが得られる。愛が欠乏して砂漠みたいにカラカラだと思い込んでいたけど、私の中に愛の泉が湧き出ていたことを発見した時は、心底ほっとした。私はずっと、本当の愛が分からなかった。愛はどこにあるのか?ずっと探し続けていた。本当の愛は、私の内に、今、ここにあるのだった。

今回、結果的にスローにならざるを得なかった。だってスピーディーに動くと痛いから·····。身体から強制的に「今、ここに意識をもってくる」練習をさせられているのかもしれない。人生は上手いこと出来ているものだ。痛みがなければ、私は習慣的にスピーディーに動き続けただろう。自分の身体(自然)は、私の教師だ。魂はこうやって、人生を通して学ぶのだ。

そう言えば、話は食に戻るが、小さい頃、私は極端な偏食だった。10歳くらいまで、おかずがあまり食べられなかった。蕎麦屋に行っても掛け蕎麦。寿司屋ではかんぴょう巻きしか食べなかった。安上がりな子どもだ。栄養学の観点から見れば、親は頭を痛めていただろうが、私はすくすく元気に育った。今思えば、小さい頃の私は宇宙エネルギー(プラーナ)をしっかり体内に取り込むことが出来ていたかもしれない。つまり、太陽の光を浴びる+外で体を動かす+遊ぶ(好きなことをする)=健康  を本能的に実践していたのだろうと思う。まだ潜在意識で生きている子どもは、宇宙と繋がって生きているので、自分に必要なものが誰よりも分かっているのかもしれない。不要な観念に縛られていない。特にスターシードは偏食だと言う。

さて、小さい頃の私が本能的に実践していた健康な日々の過ごし方を大人の私が真似をしたところで、いろいろ常識に縛られた私には、なかなか難しい。特に、今を生きるというところは。

さて、どうしたものか。

というタイミングで、一冊の本がヒントになった。

『夢が勝手にかなう気功洗脳術~脳科学から見た気功の正体』苫米地英人 著 マキノ出版

この本は、洗脳というタイトルに驚く方も多いかもしれないが、すごく真面目な気功の本だ。しかも、今からすぐに実践できるよう、誰でも理解しやすい内容になっている。

以前、魂の兄が、がんの手術をひかえた私に参考になるように、いろいろ送ってくださった本の中の一冊なのだが、これがメチャクチャ役立っている。特に術後のスローアクションになった私には、まさに「いつやるの?今でしょ!」と言うくらい、ドはまりしたのだった。魂の兄は、いつもながら、必要なタイミングで必要な情報をもたらしてくれる。このシンクロには、毎度ながら感謝である。

ざっと紹介すると

○逆腹式呼吸~徹底的にリラックスする方法

○亀息法~頭から足まで順番に筋肉を緩める

○ラベリング~自分を客観視、抽象度を上げる

○行功~足の動きを意識しながら呼吸

○ぷるぷる気功~体をリズミカルに振動。邪気が出ていく。

○気を感じる。気の玉を練る方法

○站椿功~気の玉を回し雑念を払う

○大周天~気の玉を宇宙まで巡らせる

これらを一日に全部試してもいいし、朝晩10分程度一つ二つやってみてもいい。

意識を今ここにもってこられるので、頭の中がとてもスッキリする。そして、波立った感情が静まり穏やかになってくる。願望実現にもつながるらしい。この点は催眠療法と共通点も多く、仕組みが理解しやすかった。

特に、ぷるぷる気功は、大のお気に入り。この動き····貧乏揺すりとか、ボクシングのステップにとても似ていることに気がついた。落ち着かない時、身体が無意識に揺れている時があるのは、自然に気を巡らせて、精神安定を計っていたのだった。貧乏揺すり、侮れない。また、ボクシングのステップは、まさにぷるぷる気功の動きであり、集中力を高めるのに役立っていたことが分かった。

行功は、今のスローアクションな私にピッタリ。部屋の中で出来るので病後の静養中の方にもおすすめ。がん患者に役立つ手法を模索していたが、これは棚からぼたもちであった。転んでもただでは起きないと言うのか。一兎を追ったら二兎も得たと言うのか。何ともラッキーである。必要なことはちゃんともたらされるんだなあ。

☆行功のやり方

3分程度

右足から。右足のかかとが地面に着く時、一回息を吸い込む。

右足の爪先が地面に着く時、もう一回息を吸い込む。

左足のかかとが地面に着く時、息を吐く。

左足の爪先が地面に着く時、呼吸を止める。

リラックスしてゆっくり歩く。


気持ちがざわざわした時になど、3分で出来るので、試してほしい。スッと、真ん中に戻れる。台風の目の中はいつも静かで穏やかだ。いつでもそこに戻ることが出来る。

ちなみに、私が行功をして、部屋をぐるぐると亀の歩みでゆっくり歩いていると、我が家の亀さんが、不思議そうに水槽から顔を出してこちらを眺めてくる。何となく仲間意識が芽生え、お互いに顔を見合わせて、ニッコリ笑う。



昨日、思いがけず退院祝いにと、水仙の花束をいただいた。その方は、庭から摘んできて下さったのだ。

摘みたての、清冽な甘い香りが体内を貫き、思わず心が震え、涙が流れた。

「おかえりなさい。頑張ったね。」

水仙は、寒い時期にも、春の訪れを予感させる美しい花だ。寒さに震える誰かに、希望や暖かさをもたらしてくれる。

「大丈夫だよ。あなたは、大丈夫!」と。

水仙が咲くように、スクッと立つ。

それは、孤高と言う表現より、愛を持ってしっかりと自分の足で立って生きる姿だ。

北風に吹かれても倒れない、しなやかな強さがある。本当の厳しい寒さを知っているから、本当の春の暖かさを体現できる。これも宇宙の愛のエネルギーの具現化だ。可能性へのチャレンジだ。

私もそんな風に生きられたらいいなあと思った。

水仙の精のような、美しいあなたに。

優しさをありがとう。


☆春節の日に



上野公園の梅。野鳥が二羽、せっかく咲いたお花をついばんで、落下させていました。クルクル落ちる花を手のひらでキャッチする遊びに、しばし夢中になる私でした。鳥と梅と戯れる春節。


上野東照宮。石灯籠の肩越しに、真っ直ぐに貫く純白の光。この世を照らす光は、どんどん純度を増しているように感じます。私たちの魂の光も、こんな風に輝いているのでしょうか。旧暦のお正月も明けました。おめでとうございます。


☆夢の記録


今朝方の夢

久々に父の夢を見た。(現在の父は、八十八歳)


夢の中で、父は四十代くらい。私は十二歳くらい。

旅行の途中で、一時的に帰宅した場面。この後、船に乗るため、父は先に家を出た。私は後から港で合流するつもりだ。

私は、自宅で一人、のんびりテレビを観ていた。テレビに集中しすぎて、気がついたら船が出港する時間になっていた。ヤバい!

慌てて家を飛び出し、港へ走っていった。

丁度、港が見渡せる坂の上から、船が今まさに出港していくのが見えた。間に合わなかった。

船の窓から、父が手を振っているのが見えた。

私は、諦め切れない。

あの船は、島へ向かうのだ。

島への旅行は、きっと刺激的だったろうなあ。いろいろ体験できただろう。もったいないことをしたなあ。と思っていた。父と離れてしまったことについては、不思議と不安やさびしさが無い。仕方ないと割りきっている。私を置いて、時間通りに船出してしまった父に、恨みも無い。

何と、その島へのルートは、船の他に、有料道路みたいのもあったのだ。自動車と自転車は走れるらしいのが遠くから見えた。徒歩で行くことは出来るんだろうか。自分の足で走ってあの島へ渡ってみたいなあと考えていた。

このあたりで目が覚めた。

何とも意味深な夢だった。後で意味がつながるかもしれないので、ここにメモしておきたい。

まず、父との旅について。

10歳で実母を亡くしてから4年ほど、父は姉と私を連れて、年に数回旅行に連れて行ってくれた。それぞれに、心にぽっかり空虚な穴が空いていた頃だ。寂しさを抱えた父子三人の旅は、慰めには程遠かったが、今思うと救いになっていたのかもしれない。「それでも人は生きていく。」そんな覚悟を何度も確認していた時期だ。三人三様に、魂の試練を乗り越えようとしていた。泣いたって、わめいたって、もう大切な母は戻って来ない。どうにもならないその喪失感を抱えて、一歩一歩、進むしかなかった。どうしたって、生きるしか道は無い。旅はその象徴でもあった。

夢の中で一時的に帰宅し、私はテレビに没頭。父は先に港へ。現実にはあり得ない設定だが、それぞれの性格がよく出ていると感じた。

父と娘であり、共に行動はするが、ベッタリ依存しあっていたわけではない。互いに大切には感じていたが、適当な距離をいつも保っていた。私は私。父は父。父は、私を尊重して育ててくれていたんだなあと感じた。

結果的にテレビに没頭しすぎて、船に乗り遅れるという失敗をやらかすのだが、父も私もあまりダメージを受けていない。

父は、私に失敗する自由選択を与え、父は父で旅を満喫し続ける。もう、旅の行程を共にすることは無いのだけど 、そこには悲壮感は一切無い。「まあ、頑張って!また、会えたら会おうね~。」みたいな感じで、父は手を振っていた。父は立派に子育ての責任を果たしたのだ。これからは、父は父の道を。私は、「あちゃー、やっちゃった~!」と、ドタバタしつつも、こうやって独り立ちさせてもらえたのだ。魂の視点から見れば、親子であろうと、けっこうあっさりした付き合いなんだろうと思う。

ここに、地球的、人間的、三次元的道徳観や常識を絡めてしまうとややこしくなる。本来、一人ひとりは個性がある。魂により、学びたいことや体験したいことは違う。親子、夫婦、親友であっても、別々の次のステージに移行する際は、「今までありがとう!健闘を祈る!」と、あっさり手を振り別れる。それが実は健全なのだと思う。人も変化する。関係も同じ。宇宙は無常。

道は違ってもいいのだ。それを無理やり同じルートを辿ろうと相手に強要したり、自分を押し殺したりするから、辛くなるのだ。

あそこで、船の中から、あっさり手を振った父に、私は「自立させてくれて、ありがとう!」と頭を下げたかった。父は、親離れ子離れのタイミングを心得ていた。

目的地まで、船で優雅にアプローチしてもいいし、私みたいに、走って行こうとしてもいいし。うっかり他のことに気を取られて、出発のタイミングがずれてもいい。旅にハプニングは付き物。それを楽しみながら、ゆっくり進む旅もいい。

あの船に乗り遅れたから、私は私の道を見つけることが出来た。父とは別のルートだが、思いがけない景色を見たり、奇跡の出会いに感動したり、私なりの素敵な旅が始まった。

父への感謝の気持ちが沸き上がってきた。

夢は出来事を暗喩的に見せてくるから、現実には、こんなにあっさりさっぱりきっぱり自立できたわけではないが、人生をダイジェストにすると、父と私のドラマは、こんな感じ。潜在意識は、凄腕編集者だ。

そんな夢の話。

そうか。私は父から、自立を学ばせてもらったんだ。私の魂の課題に沿って、時には悪役もこなしてくれた父。父は立派に魂のリクエストに応えてくれていた。その事が今ハッキリ理解できた。

お父さん、ありがとう。


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