静寂~アシュターヴァクラ・ギーターを催眠的に味わう

 



私は、催眠療法を学び続けている。

動機を問われると、楽になりたかったからと答えるだろう。

なぜ、幸せになれないのか?私に何が足りなくて、何を足して何を変えれば正解なのか?どう進んでいったらいいのか?おそらく、そんな疑問に対する明確な処方が欲しかったのだろう。

恐れや不安で、毎日が苦しかった。そこから逃れたかった。

それまで、スピリチュアルに没頭していた。本屋で見つけたものは片っ端から読み漁った。自称スピリチュアルリーダーという人物に関わり、散財もした。一時的に楽にはなっても、反動でもっと苦しくなったため、どんどん依存した。スピリチュアルは好きな分野だが、なぜ、エゴが強く問題だらけの施術者が多いのだろう?と不思議でもあった。この迷走体験や、ハイエナの群れから脱出した経緯は、過去に投稿しているので、こちらでは省略する。

まるで引き寄せられるように催眠療法に出合った。現代医療の医師から直接学べるというところが、安心だった。科学的根拠が豊富であることも、バランスが良かった。つまり、胡散臭くなかったのである。見る目を養えたわけたから、スピリチュアル騒動も無駄にはならなかったようだ。仕方ない。こうやって体験しながら、人は成長する生き物なんだ。

催眠療法の基礎で習うのは、意識には顕在意識と潜在意識があるということだ。「私」と感じていた領域は、実はとても小さな範囲であり、自覚していない神秘のベールの向こう側に、どうやら本当の私がいるらしい。そして、催眠療法は、声の誘導により、脳波をα波(リラックスした状態。変性意識)にしてあげることで、その神秘のベールの向こう側を探索することが出来るらしい。

約二年かけて、何十回と催眠状態となり、様々な気づきを得て来た。私自身の催眠体験と潜在意識からもたらされた気づきは、全てこちらのブログに記録している。

潜在意識からもたらされるメッセージは、言葉に置き換えられるシンプルなものもあるし、時には言葉に変換できない概念のため、ビジョンで示されることもある。後者については、私の拙い文章力で説明を試みてきた。ひとつのビジョンは、視点の置き方で幾通りにも解釈できる。重層的かつ多面的な世界であるから、言葉では何も伝えられないことが良く分かる。言葉というツールは、実は真実を語れないということを理解した。それでも・・・・

それでも、書きたいという想いが、どこからか湧いてきて、書き連ねてきた。人間世界での限界を、もしかしたらどこかで、突破できるかもしれない?それは、諦めてしまっては確実に実現しない。続けることで、可能性だけは生き残る。何事も続けられない飽きっぽい私の性格からすると、これだけは、何故か続いている。朝の習慣の中に、文章を書くという動きが馴染んでいる。広大無辺な潜在意識の奥に繋がる世界を、顕在意識のまな板に載せて、まるで、ジップロックに入れて使いやすいように冷凍保存するかのように、買い出し後の整理作業に勤しんでいる。切り刻んだり、部位ごとに分けたり、ラベルを貼ったりする。いつか料理するために。

『アシュターヴァクラ・ギーター』は、サンスクリット語の聖典である。

私が『バガヴァッド・ギーター』を読みたいと魂の兄に話したところ、私の誕生日に合わせ、『バガヴァッド・ギーター』の文庫本の他に、『アシュターヴァクラ・ギーター』の単行本も送ってくれた。私が気になる本は、たいてい兄の本棚に並んでいる。やっぱり魂の血筋は侮れんなあと、毎回ビックリさせられる。

バガヴァッドに本腰を入れる前に、純粋さ際立つ聖典であるというアシュターの方を読んでおこうと、昨夜手にしたのだった。そして、驚いた・・・・・

私が催眠状態で潜在意識から得た世界を、素晴らしく言葉で表現されていたからである。作者不詳であるが、いったいどの時代の誰がこれを書いたのだろう。


「あなたは、純粋な気づき  すべてのものごとを見守る観照者なのだ」(帯より)

理解に深さ、段階があるのなら、私はまだ、ほんの浅瀬をチャプチャプしているだけで、マリアナ海溝なみの深さであるギーターの本質に飛び込むことすら出来ていない。しかし、気軽な海水浴客でしかない私にも、海の水はこういうものか。という理解は出来る。催眠状態で潜在意識を旅する時、クライアントの意識はまさに、上記「 」の状態になっている。誰でも!

本書の中で、私の催眠体験と並べてみると面白いかな?と思われる詩があったので、紹介したい。海水浴客と、深海探査機ぐらい探求の差はあるのだが、海(真我)の中の神秘をご堪能ください。


☆アシューターヴァクラ・ギーターより

『静寂』

すべてのものごとは立ち現れ

苦しみは移り変わり

過ぎ去っていく


これが本来のありようなのだ


それに気づけば

何もあなたをかき乱すものはない

何もあなたを傷づけるものはない


あなたは静かになる


それはたやすい

神がすべてを創られた

ただ神だけが存在する


それに気づけば

欲望は溶け去る


何にもしがみつくことなく

あなたは静かになる


遅かれ早かれ

幸運や不運は

あなたに訪れる


それに気づけば

あなたは何ひとつ望まず

何ひとつ嘆くこともない


感覚を鎮ませて

あなたは幸せだ


何をしようとも

喜びや悲しみ

生や死はやってくる


それに気づけば

あなたは執着なく

自由にふるまう


いったい達成しなければならないような

何があるというのか?


すべての悲しみは恐れからやってくる

それ以外はありえない


それに気づけば

あなたは自由だ

そして欲望は溶け去る


あなたは幸せに

そして静かになる


私は身体ではない

身体は私ではない

私は気づきそのもの


それに気づけば

成し遂げたことや

成し遂げられなかったこと

といった想いは消え去る


あなたは一なるもの

完全で分割不可能なものになる


ブラフマー神から草の葉にいたるまで

すべてのものの中に私は在る


それに気づけば

成功や失敗

といった想いや

気まぐれな心は消え去る


あなたは純粋

あなたは静寂そのもの


世界とそのすべての不思議も

無に等しい


それに気づけば

欲望は溶け去る


あなたは気づきそのものだから


何も存在していない

ハートでそれに気づけば

あなたは静かだ


85~89頁より

『アシュターヴァクラ・ギーター~真我の輝き』英語訳:トーマス・バイロン

翻訳:福間巌 ナチュラルスピリット発行

注)作者、年代不詳の聖典 8世紀か14世紀に書かれたものと推測されている


☆神の解釈について補足

詩の中に「神」という言葉が使われている。ここに少しひっかかりを感じたので、あえて補足しておきたい。特定の宗教による信念が純粋な気づきを歪めてしまうからだ。

「私たちは皆、ひとつの真我。真我は純粋な気づきだ。この真我、この曇りなき気づきが神なのだ。ただ神だけが存在する。それ以外のすべて、小さな個我、世界、宇宙は幻だ。これらすべては「私」という想念、つまり分離したアイデンティティという概念とともに現れる。この小さな「私」が物質世界を創り出し、無知ゆえに、私たちはそれを維持しようと必死に努めるのだ。私たちは本来ひとつであることを忘れ、想像上の分離に縛られて、見かけだけの目的意識や価値観に支配された人生を送っている。好みや欲望の産物である個別化の習慣によって永遠に縛られ、私たちは絶えずひとつのことを別のことに対立させつづける。選択という不幸と災いが私たちを破壊しつくすまで。だが、私たちの真の本性は純粋な、選択のない気づきだ。私たちはすでに、そして常に満たされているのだ。「それはたやすい」とアシュターヴァクラは言う。「あなたは純粋で静かな、澄み切った気づきの空間、そこには誕生も、努力も、「私」もない」

20頁 英訳者まえがき より


☆私たち本来の気づきを取り戻すために

確かに、素敵な詩だけど・・・だからどうしたらいいの?何かしらの処方は無いの?と思われた方のために、余計かもしれないが、こちらの記述も紹介しておく。


幸せでありなさい

あなた自身を愛しなさい

他者を批判してはならない

いつもシンプルでありなさい

区別をつけてはならない

選択の習慣を放棄しなさい

マインドを溶かし去りなさい

好き嫌いと欲望を断念しなさい

あなた自身の気づきだけを求めなさい

身体と感覚との自己同一視を手放しなさい

瞑想と奉仕への執着を棄て去りなさい

無執着に対する執着を放棄しなさい

放棄することを放棄しなさい

何も拒んではならないし、何も受け入れてはならない。

静かにありなさい

だが、何よりも幸せでありなさい

ただものごとをあるがままに知ることで、あなたは自己を見いだすだろう


21頁 英訳者まえがき より


☆私の催眠から得た『静寂』

以下は、2021年9月 催眠療法基礎セミナーを受講後に学校へ提出した感想文の一部である。拙い文章で申し訳ないが、私が辿り着いた先の『静寂』の片鱗を何とか残そうとしているので、広い心でお付き合いください。

「私は、一年半前に乳がんの手術を経験した。肺塞栓症で救急搬送され、入院していた病院で、精密検査の過程で偶然癌であることが発見された。幸いステージⅡであり、リンパ転移もなく、全摘ではあったが、一命を取り留めた。自覚症状が出てからでは、もしかしたら手遅れになっていたのかもしれず、奇跡的な偶然の出来事に感謝している。

 しかし、癌は、手術をしたら終わりではなく、5年10年と、再発防止の治療を続けることとなる。薬の副作用で、うつ状態となり、ほとんど寝たきりになった。この不安にまみれた生活を少なくとも10年は続けるのかと思うと、未来に暗雲しか見えなくなった。

 ホリスティック医療に興味を持ち、西洋医学以外の道を探し始めた。その過程で、偶然、萩原先生の著書を手にすることとなった。どうやら、潜在意識には、秘められた力があるらしい。手法を学べば、高額な治療費を必要とせず、自力で健康を維持できるかもしれない。潜在意識の力を引き出す催眠療法について学んでみたい。そんな気持ちで、今回受講させていただく運びとなった。

 催眠療法基礎セミナー一日目は、テキストに沿って基本的な知識を教えていただいた。顕在意識と潜在意識の関係、催眠のメカニズム、歴史、手法を学び、特に催眠については、かなり誤解していたことが分かった。世の中の人々にもっと知ってもらい、潜在意識を活用する利点を広めたいと感じた。そして、集合的無意識や、高次元、源まで繋がれる可能性があることを知り、人間がいかに神秘的な存在であるか改めて驚嘆した。

 初日は、暗示療法のデモンストレーションに立候補させていただき、萩原先生から直接、催眠療法を施術していただいた。うまく催眠状態になれるものなのか、不安だったが、とてもスムーズだった。暗示がうまく潜在意識に取り込まれたのかは、これから一か月間の自分の行いを見ていくしか効果は分からないが、施術後に、大きな気付きを得た。

心が、今までにないほど、癒されていたことだ。今までは、絶えず不安感があり、どこかで自分を信頼することができていなかった。それが、まったく感じられない状態になっていた。驚いて、萩原先生に質問したところ、癒しは、自分の中から出てきたものだということ。さらに驚いた。今までは、癒しは、外側から与えられるものだと思っていたからだ。催眠状態となり、潜在意識に繋がることにより、意識の深いところには、何者にも影響されない、静かで、穏やかで、平和な領域があり、「実は私は、今までも、今も、とても幸せなのだ。」という実感が起きたのだ。幸せの青い鳥の童話にあるように、実は青い鳥は自分の家に居た。という真実だ。幸せは自分の中にある。幸せに生きるには、本来の自分に気づけばよい。誰もが自分の中に、幸せに生きる力を持っている。

催眠療法は、クライアントに、そのことを実感させる手法であるということが理解できた。」


☆補足

後日、私のこの感想文は、先生のFBでも取り上げられ受講生仲間に紹介していただくことになった。 

先生は、私が到達した静かな領域を「いわゆる、悟り状態ではないか?」と言ってくださった。「催眠を学んだばかりの受講生が、初めての誘導で、スト~ンと、深い領域まで行ってしまうことがある。自分は、その深い領域を知らないので、いいなぁ、うらやましいなぁ。と思いながら誘導している。」と、折に触れ、先生は笑いながら、語られている。私の他にも、こんな体験をする方は多いようだ。

苦しい修行をしなくても、宇宙の恩寵さえあれば、普通の主婦だって、学生だって、誰だって、催眠により『静寂』といういわゆる悟り状態へ行ってしまう。この意識状態へ辿り着くかどうか、その条件を先生は、「宇宙の恩寵があるかどうか」と語る。私は、ブループリント(魂の計画書)に、今世で悟るかどうかを魂レベルで決めているからではないかと思う。魂がそうしたいのかどうか。その違いではないだろうか。

私たちは聖なる催眠状態にある。そこから目覚めさせるのが催眠療法である。とも、先生は語る。

私はたまに、先生から、「初めての誘導で宇宙まで行ってしまった受講生」として冗談交じりに紹介されている。

ちなみに、この領域が「悟り」なのかどうかは、正直良く分からない。この静かな状態は、2週間くらいで消えてしまったからだ。また、マインドに振り回され、不安や恐れの現実を創り出し続けることになった。「私は悟っている」という意識の時、実は悟っていない。というのは有名な表現だ。自我が認識することはすべて幻だから。

私の中には、あの時の、静かで穏やかな、深い幸福の中にまどろむ体感のみが残った。体感があるから、『アシュターヴァクラ・ギーター』を我が体験に引き寄せて、浅瀬で波と戯れる程度ではあるが、もしかしたら、こういう感じかなあ?と想像することは出来る。行間をイメージする。言葉の背後を微かに感じとる。

私は、神秘の深海にあこがれる、夢見る乙女である(笑)。

催眠療法は、深海へつれていってくれる深海探査機だ。

ガイドブックは巷にあふれている。大勢の、悟り体験者が、各々の悟りと、そこへ至る道筋を言葉で表現している。共通項も多いが、頭で理解するには限界がある。判断の膜を超えた先に真実があるからだ。

一旦、言葉を手放さないことには、深海を潜ることはできない。そして、あの「なんちゃって悟り体験」も、私は一旦手放す必要がある。

それでも、余計な修辞をそぎ落とし、シンプルに、より純粋に、言葉で何か表現できないだろうか?そう思ってしまう、矛盾を楽しむ人間が、私なのだ。


☆本質を表す言葉たち

「本質とは、

語らずともただそれに触れただけで、わかってしまうもの。

あまりの美しさに、拝みたいような気持にさせられるもの。

そのくせシンプルで、わかりやすく

身近なものとして感じることができるもの。」

『超訳 吉田松陰』編訳 池田貴将 185頁より


「最も重要なことは、

自分の人生を楽しむこと、

幸せを感じることです。」

『オードリー・ヘプバーン 永遠の言葉120』監修 清藤秀人 218頁より


ああ、そうか。

私は、言葉を紡いで、世界を表そうとしている。

どんな世界を編み出そうと

そこには、私の光が現れる

私は自分の光(美)を見つけようとしているのだなあ。


私の魂の学びに伴走してくださる

魂の兄に

心からの敬意と感謝を送りたい。

いつもありがとうございます。


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