前世療法体験~最悪な人物 ドン

 本日、セラピスト友と催眠療法の練習会を開催した。その体験の記録である。

☆テーマ

先日のインナーチャイルドカードにより、私の潜在意識には、誰かを殺したいほど憎む重いエネルギーが沈んでいるようであった。原因となった記憶を再体験することで、そのエネルギーを解放したい。また、転生の度に持ち越してしまう傾向として、正義の剣を振り回し、善悪を判断する狭い価値観の持ち主という性質がある。今世は、正義の剣を手放すことが人生課題のひとつになっていると思われるので、どのようにしたら改善するのか、ハイアーセルフからアドバイスをもらいたい。

☆安全地帯

学校の校庭のような場所。四角く区切った花壇に、黄色と紫のパンジーが咲いている。間隔を置いて植えられているので、土が目立って露出している。白い蝶が飛んでいる。遠くに大き目の木が二本、門構えのように立っている。その向こうは霞んでおり、空は薄曇り。夜明け直前の空のよう。水色、ピンク、白の淡いグラデーションに染められている。気分は静かで落ち着いていて、悪い感じはない。ただ、少し寂しいような気持ちがしている。

☆前世への階段

金属製の白い螺旋階段が地面の下の方へ伸びている。誘導に従い、ゆっくり階段を降りて行く。10段ある階段の一番下に到着。真っ暗でどこに到着したのかよく分からない。先の方に、人が一人通れるくらいの細長いアーチが見えていて、そこから光がもれている。そちらへ進んでみることにする。

☆最初の場面

濃いピンク色の薔薇の花が咲き乱れている庭園に出る。手入れされている様子ではなく、モジャモジャと伸び放題で、野性味あふれる薔薇園。

なかなか前世のイメージが湧いてこない。足元から順番にゆっくり感じて行く。足がやたら重い感覚。どうやら、革か厚い布のブーツのようなものを紐で縛り上げている。ひざ下くらいの丈のスカート状の布を下半身に感じる。その視点にオーバーラップして、赤地に黒い何かの文様のようなデザインが浮き上がって見える。服にそのようなデザインが施されていたわけではなさそう。異なるイメージを同時に味わっている。上半身は兵士の甲冑のよう。顔も甲冑に隠されていて見えない。なので、どのような人物かは、見えないけど、こんな気がするという感じ。

白人、金髪、男性、中世ヨーロッパ、20歳代くらいか。イケメンなのではないかと思う(私の願望が多々入っている)名は、「ドン〇△×◇・・・」と聞こえて、最初の音しか分からないので、とりあえずドンと呼ぶことにする。また、その場のイメージにオーバーラップして、白い馬の姿が浮かんでくる。また、長い柄のまさかりのような金属がついている武器もオーバーラップしてくる。ドンの記憶を覗いているのだろうか。

☆前世の家

細長い石造りの塔のようなものが見えている。夜で、中から蝋燭の淡い光がもれている。中に入ってみる。木製のテーブル、椅子、棚が見える。私物は置いていない様子でほとんど物が無い。ここはドンの自宅というより、仮住まいのよう。ビジョンを見たわけではないが、伝わって来た情報によると、この地域の礼拝堂であり、そこに付属している管理人室みたいなもの。ドンのような立場の雇われ人は、通常、宿舎に寝泊まりするのだが、何らかの理由により特別に個室を与えられていた。礼拝堂の静かな空気を好ましいと感じているが、特に信心深いわけでもない。関心は、信仰よりも、領主の手足になり働くことにある。

☆食事の場面

野外に大きなテーブルがいくつも出されていて、布を頭に巻いた大柄の女性たちが給仕している。大勢の男性がひしめき合ってテーブルにギュウギュウ詰めに座っている。ワイワイした喧噪の中、両側から隣の人に圧迫されながら、ドンは窮屈そうに食事をしている。

セラピストから、周りの人の中で気になる人はいるかどうか質問される。人は大勢いるのに、誰一人関心を持てない。皆同じ顔に見える。血縁関係は一人もいないようだ。ドンのことを知るために、目の前に座っている年上の男性に意識交代して、情報を仕入れることにする。

☆向かい側に座る男性からの情報

「気取ってる。髪型とか髭の形とか、流行りの形にしているのだが、そこが好きじゃない。私は、同僚(みたいなイメージ)。いけすかない。神経質でネチネチ。小さな事に拘っていつまでも言っているような性格。ここに居る者は皆同じ立場なのに、自分が優位な立場だと勘違いしているところがある。確かに何か優遇されているところがある。それは、大したことじゃないんだけど、自分は他と違うと勘違いしている。仕事は同じで住む所がちょっと他の人より恵まれた配慮がなされている。優遇されている割に、テーブルの端っこに、座って食べているから、笑える。(冷笑)真ん中で堂々と食えばいいのに、気の弱いところが見えていて面白い。自分に自信がないんじゃないかな。」ドンのことを馬鹿にするような感情が伝わってくる。どうやら嫌われていたようである。

☆人生の大切な場面

捉えどころがなく、ビジョンがモヤモヤしていて見えてこない。足元からゆっくり感じていく。石畳の上にすごく薄く張った水。池ほどではない。例の重いブーツ状の靴を履いている足が感じられる。ラフな服装で、上に何かを羽織っている。緑色のマントだろうか。顔も黒っぽい布でスッポリ隠しているため、相変わらず顔がよく分からない。昼間で、森の中、荒廃した遺跡みたい。おそらく雨水がたまって、足元が水でちゃぷちゃぷしている。

胸が重苦しく嫌な気分だが原因が分からない。その感情をゆっくり感じて行く。場面を早回しして進める。

この場面に来てから、ずっと、ひとつのイメージがちらついている。ギリシア神話の彫像の顔のようなもの。例えばゼウス神(クルクル巻き毛の大柄な男性)の怒り顔が誇張されたようなものが、場面にちらちらとオーバーラップしてくる。生身の人間ではない何者かの憤怒の形相。後でつながってくるかもしれないので、深堀は止めて、とりあえず、そのまま場面を進めていく。

「刺客」というワードがふいにもたらされる。

高いところから下を覗いている視点。崖の上に木に囲まれた遺跡がある。下を細い道が通っている。ドンは崖の上で待ち伏せをしている。

ドンが優遇されている理由が微かに伝わってくる。仕えている人(領主とする)の命令で、刺客をやっている。この時代のドンのような立場にとって、領主は神様くらいの絶対的存在。領主には逆らえないし、頭を下げていれば一生安泰だと信じている。刺客をやっているため優遇されているのだが、特にたくさんお金をもらっているわけではない。ちょっとした優遇なのだが、それがドンには嬉しくて仕方ない。俺は特別に選ばれたのだと、得意になっている。本当は領主にいいように利用されているだけなのだが。本人だけが理解しておらず、周りから蔑まれている原因がここにある。

刺客のターゲットは領主が気に入らない人物ばかりだ。領主が気に入らないならドンも気に入らない。だから殺してしまってもいいのだと、どこにも罪悪感が無い。領主の言う事が正義なので、ドンは自分では何も考える必要がない。善悪は自分の判断ではなく領主が殺せと言ったら殺す。それに従っていれば自分にとっては物質的なメリットがある。今度はどんなご褒美がもらえるかな?ということしか興味が無い。

しかし「重苦しい」というドンの正直な気持ちも伝わってくる。心のどこかで疑問を感じてはいたのだが、無意識に閉じ込めてしまったのだろう。感じないようにしているのかもしれない。あの憤怒の形相の彫像は、ドンの中の深層心理だったのかもしれない。閉じ込めた本音が、徐々に膨らんできて、爆発しそうになっている。

刺客ミッションを体験してみることにする。場面をそのまま進めて行くが、ドンが相手を刺し殺すシーンは、ドンが着用していた緑色のマントに視界を遮られ、直接目にすることは無かった。ただ、マント越しに、何が行われているのか、感覚や匂いで察することは出来る。私の潜在意識が、そのリアルな殺人現場をビジョンとして見ることを許さなかったのだろう。さらにトラウマを重ねる必要がない。衝撃的シーンは、潜在意識が配慮して、見えないようにしてくれる。潜在意識は再体験する必要のないものは出してこない。上手くできている。

とても嫌な気分で気持ちが悪い。喉の奥に血の味を感じる。血の匂いを鼻でなく、喉の奥で感じるようだ。あまりに強烈な匂いだと、嗅覚だけでなく、別の部位でも感じ取ることが出来るのではないだろうか。この辺りは、後で医学的に調査してみると、面白いかもしれない。

本音では嫌だと思っているが、これが良い生き方なのだと、頭で信じ込んでいる。

ドン「生きて行くには、領主の言いなりになって、のし上がって生きて行くしかない。逆らったら殺される。言う通りに、駒みたいにやっていれば、領主のご機嫌が良ければ快適な家だって、お金だって、着物だってもらえる。どう考えたって幸せなはずなのに、何でこんなに嫌な気持ちになるんだろう?でも刺客をやらなかったら、どうやって生きて行けばいい。どこに行ったらいいんだろう。行くところなんかないのに。止めたいのに止められない。他の生き方が分からない。これを止めたら、今度は他の刺客がやって来て、(ドンが今までやってきたように)自分が殺される。う~ん。気持ち悪い・・・。」

ドンは、本音も分かっていないかもしれない。ただ頭で「具合悪い。なんでこんなに気持ち悪いんだろう?体が重いんだろう?」と不思議に思っている。愉快な気分になれていない。やればやるほど、どんどん、無駄な鎧を着せられるかのように重くなっていくのをひしひし感じている。どんどん身動きが取れなくなって、目に見えない鎖にがんじがらめになっていくようだ。

もしかしたら、ドンが初めて登場したシーンの甲冑姿は、ドン自らが本音に与えた呪縛の象徴だったのかもしれない。顔が見えない理由もそこにありそうだ。自分の本当の顔を失ってしまったのだ。

☆次の大切な場面

霧がかかっている静かな場所に立っている。明け方か。独りですごく寂しい感じで立っている。30歳~40歳くらいだろうか。現役で働けるくらいの年齢。

領主が変わり、立場が危うくなったようだ。領主が変更になると派閥が変わるように、自分の立場を失墜した感じ。絶望感を味わっている。

ドン「将来を約束されていたと勘違いしていた。上に立つものが変わればこんなにもあっけなく足元が崩れてしまう。信じてやってきたことを、周りから「それは罪だ」と責められている。今まではイケイケどんどんで、褒められて褒美を与えられ、それが幸せだと思ってやってきた。領主が変わった途端、敵対する側だったから、前の領主の言いなりになっていたことを、今度は罪だと責められている。それは全部間違っていたと。正義が一夜にして正義ではなくなる。自分は正義の味方だと思ってたのに、一夜にして反対の立場に転落してしまった。」

今まで仕えて来た領主への憎しみを微かに感じるが、そんなに大きな感情でもない。諦めの感情が大きい。

☆次の大切な場面

視界が見えていないが、最初の場面で出て来た礼拝堂に居る感覚。「最後のお別れ」と言っている。目が見えていないのですべて感覚で受け取っている。失墜事件の直後、罰を受けて目を潰されたのかもしれない。そして、この地域から着の身着のまま放り出されるところ。

手探りで這うように、祭壇の前に来た。今までは領主の方が、ドンにとっては生きる糧を全部くれていたわけなので、直接的な支配者(親みたいな有難い存在)だった。善悪を自ら考えず領主を信じ、単純に領主の言う事だからと素直に従って利益を得て来た。一夜にして立場が変わり正義が悪になってしまった。罰を受け、何となく心の拠り所を求めフラッと祭壇の所へ来た様子だ。

ドン「私の人生なんだったんでしょう?」

目が見えないのに、祭壇の前に居るのは分かっていて、少しそのことに安らぎを感じている。これから放り出され、どこか行けと言われている。どうやって森を抜けたらいいのかもわからない。おそらく道中で野垂れ死ぬことになる。分かっているのだけど、どこかで安らぎも感じ、ほっとしている。矛盾するようだけれど、足枷のような、閉じ込められていたところから、色々失ったことで、実は自由になった。自由になって初めて神の前に立った。そして初めて自分に問いかけた。人生で初めて本音に気が付いた。「今まで本当の自分とは違うところにいたんじゃない?」という疑問が湧いてきた。そんな気づきを得た重要なシーン。

☆臨終の場面

手探りで森の中を歩いて、力尽き、行き倒れてこのまま死ぬ場面。うつぶせになっている。目が見えていないので、全て感覚でのみ受け取る。

魂がドンの体から抜けて、上から遺体を見下ろす。うつ伏せなので、表情は見えないが、そんなに悪い顔ではない気がする。


セラピスト「この一生はどのような体験をされましたか。」

前世魂「本当の自分って何だろう。というところまでやっと行き着けた人生。正義が自分ではない。正義=自分だとみなし、それを遂行するのが正しいと思っていた。上が変われば、別な人が別の正義を遂行するわけだから、一夜にして逆転してしまう。正義でもあり悪でもあるということをやってきたわけだから、正しい事をやるとか、「私の言う事は正しいのだからそれをやれ」って言葉(命令)に矛盾があったことに気が付いた。本当の自分は正しいのか間違っているのか、どうなんだろう?と初めて思えた。次の人生はこの続きを体験したい。つまり、自分って何だろう?ということを追求してみたい。正しい、間違い、正義、悪とか、それってすごく相対的。時代とか人によってころころ逆転する。変わらない自分って何だろう。変わらない存在ってそもそもあるのかな?という点に興味がある。」

☆今世の私と前世魂の対話

入道雲みたいなものに囲まれている場所(中間世)

前世魂から私へメッセージ

「そこまで(本当の自分を発見する領域)行ったのか!よかったなあ。」と言っているのが伝わってくる。

前世魂は意外と穏やかで、吹っ切れている。

ここで私が受け取ったイメージを言葉にする。

「順番だから。前世で順番に積み重ねて来て、この後もいくつも人生があって、ようやくそこまで来た。自分って何?正義って、悪って何?ってことを体験を通して追求してきた。みんな喜んでいる。間にある前世魂たちが、一つひとつの人生の駒を進めるたびに、全部のエネルギーがつながって、学んで行っている感じ。私一人の人生じゃない。全部連動している。」

前世魂とエネルギー交換をして統合。


☆ハイアーセルフとの対話

ハイアーセルフは私の中に入っている。

上の方のすごく広いところから、まるで漏斗を覗くように、すごく狭いところを眺めている視点。同時に漏斗の下にいる私の視点も感じる。両方の感覚を同時に持っている。本当は上とか下とかという概念ではないのだが、分かりやすくするために上下と表現した。

違和感が全然ない。どちらも私。

漏斗の下にいる狭い意識の私(自我意識)が、「正義の剣を手放したいと思っている」という自分を感じながら、漏斗の上の方へ意識を持ってくる。

正義とか悪とか、そういったもの(二元の価値観)で、心痛めたり、一喜一憂したり、得意になったりということをやっている、私を含め過去に連なるいろんな体験を、ものすご~く愛おしいという気持ちで眺めている。

言葉は無い。ただただ、愛おしいと見つめている。何の判断も批判もない。良いも悪いもない。指導してやりたいという気持ちではなく、言葉に無理にするならば、「いい体験しているね!」という敬意を表するようなニュアンス。

自分(自我意識も含め)でつかみ取っていくというところに意味がある。それぞれの人生で与えられたいろんな足かせ、条件の中から自分でつかみ取って行ったものに価値がある。ハイアーセルフに教えてくださいとお願いして、もちろん自分なのでその視点からのアドバイスもいいのだが、もがいているときにいろんな気付きがあった。ドンが目を潰されて、神の前で感じた色んな矛盾。それでも何故かほっとしている感じとか。自分とは何だろう?と疑問を持つこととか。それは、すごいことなんだ。

善とか悪とか2極に分けるなんて、ただのドラマを感じるための条件でしかない。今日の朝食、ごはんにする?パンにする?くらいのレベル。味付けというのか。そういう感じ。

ハイアーセルフ「あなたたちはすごいんだよ!」


☆今日のセッションで、目的に沿う気づきはあったのか

今回は、誰かを殺す側の前世だった。(悪役。嫌なヤツ。義憤にかられる相手側。)

理不尽な目にあって、誰かに殺意を抱いた過去もあったと思う。でも今回の人生とテーマは繋がっている感じ。直接的に意図した怒りの記憶にリンクして、癒やしたわけではないけれど、今日は反対の立場の人生を見る必要があったのだと思う。

どの人生も敬うということの意味が、ようやく腑に落ちた気がする。


☆事後面談

〇最初に出て来たイメージ。赤地の布に黒い文様は、もしかしたら、ドンが仕えていた領主の家紋をあしらった旗だったのではないか?とふと思いついた。

〇今回は、真性退行(人物になりきってしまうこと)ではなく、程よい疑似退行(客観視しながら感じる)での催眠体験であった。また、通常、前世は映画を眺めるように場面を感じていくのだが、所々の場面で、イメージがオーバーラップして二重写しになるのを味わった。得られる情報が前世の枠の中でも時空を超えて重複的になっている。前世シーンでは、実際に、そのアイテムが出現していなかったとしても、ドンの記憶の中で連想したものや、潜在意識が出してきたものが、半透明に、映像に重なるような感覚。私たちが現実と思い込んでいるものは、実ははかない幻であり、意識次第で、いくらでも出たり消えたりするものなのではないだろうか。まるで般若心経の世界のようで、面白い体験だった。

〇私が顕在意識で、「人を殺すシーンを再体験したい」と意図しても、潜在意識は今の私に不要な記憶を映像として見せてはこない。殺人シーンは、かなりグロテスクであり、映画で言えば18禁レベルだろう。潜在意識にも映倫のような仕組みがあるようだ。あらためて、潜在意識は信頼できるなあと思った。実際に起きた出来事をリアルに体験することだけが、効果的なわけではない。特に日本人は察することが出来る繊細さがあると思うので、さりげなく匂わすだけで、セラピーの目的に達してしまうこともある。外国の現場はまた違うかもしれない。衝撃シーンが必要な人もいるだろう。私の場合は、過去にもいくつか戦いのシーンを再体験してきたが、グロテスクシーンは、100%カットされていた。それでも、ビジョンを見なくても何が起きていたかは察することができるのが、催眠の面白いところだろう。情報をエネルギー振動として受け取るというような、言葉にせずとも何故か分かるという感覚に近い。

〇セッション前に、雑談でセラピスト友と好きなようにしゃべっていた内容と、実は気付きが繋がっていたことが分かった。セッションは既に時間前から始まっている。何なら、数日前から準備がなされている。やはり催眠療法のご縁は、宇宙の采配なのではないだろうか。頭では、こんなに見事な采配はできない。潜在意識では、今日のセッションで何に気づくのかを、時空を超えて分かっていたことになるのだから。潜在意識の奥深くでは、全ての意識が繋がっているという事の証であろう。

〇私の自我意識から判断すると、ドンは、メチャクチャ嫌な奴だった。いやらしくて、利己的で、前世の時代でも現代でも、誰もがドンの事を知れば眉をひそめるようなやつだった。最後までドンの顔は正直よく分からなくて、イメージだけだった。だけど、何だか、憎めないのだ。

ドンは思い込み甚だしい、自称正義の味方で、平気で人をバサバサ切り殺してきた。一晩で悪役になって、刑罰を受け、目を潰されて、放り出されて野垂れ死ぬ。この人生を聞けば、「悪い奴だったから、ふさわしい最後だよ。」と誰もに蔑まれて笑われるだろう。

神からメッセージをもらえて生き方を指南され、心を入替え、人生後半戦は盲目だけど聖人みたいになって生きました。という美しいオチではなく、悪い奴のまま、ちらっと「本当の俺ってなんだ?」と疑問を抱いて野たれ死んでいく。それが、ハイアーセルフが言う「それがすごいんだ。いい体験なんだ。」ということ。ハイアーからすれば、「ブラーボ―!」と拍手なのである。ろくでもない人生でないと分からない感覚が確かにある。

魂のゴール(人間はいずれこうなるということ)をハイアーは分かっている。そこまでの積み重ねがあってハイアーがある。ドンがいないとハイアーもいない。だから、何が起きても愛おしい。人間が殺し合ったり憎んだり、わ~わ~やっている一つ一つ、掛け替えが無い。

現在も、眉をひそめるような悪事の数々が、連日ニュースを騒がしている。しかし、あらゆる人生の積み重ねの果てに、地球卒業のゴールがある。すべてが折りたたまれて今ここにある。時系列は無い。今、いわゆる悪事をした経験もあって、魂の成長がなされ、地球での課題の最終試験に行き着く。今、それを学んだんだね。今、それに格闘しているんだね。という意識が、ハイアーセルフと一体となり、愛の眼差しを得て、正義の剣を手放すことにつながるのかもしれない。もちろん、肉体を持って、現実世界に生きる自我意識では、自分の権利を守って生きていくことは重要である。自衛も必要だし、迷惑な人物はごめんだ。それは当たり前なのだが、正義と正義がぶつかり合うからこそ戦争が生じてしまうことも見落とせないだろう。それぞれがハイアーセルフの視点も同時に持ち合わせれば、きっと調和をもたらす解決策に行き着く。そう思いたい。。

〇物質次元での理想はある。同時に、本音(精神)でも生きたいという葛藤。その矛盾を認めず、自身に厳しくするのではなく、そんなところがあってもいいよねと受け入れる。だって、人間やっているんだもの。

嫌なやつの人生であっても、ハイアーセルフは愛おしい思いで眺めている。すべてを受け入れている。矛盾するものであろうと、それも自分の中の真実。幸せな映像シーンに、理想にも向きあいたいと矛盾する思いもオーバーラップする。明確に、これは幸せを描いた映画と言えないところが、ハイアーからすれば、たまらない喜びなわけだ。こういうところがとてつもなく面白く、高次元存在たちが体験できない醍醐味なのである。滋味(いろんなものがいっぱ~い詰まっていて、調和する)なのである。

○ハイアーセルフの視野

潜在意識から得た体感をそのまま言葉に表現するのは、とても難しいので、イメージでお伝えしたい。ハイアーセルフの視野が360°全天空型で、ハイビジョン映像レベル。すべてがリアルに把握できる。例えば、目の前に私を殺そうとする殺人者が立っている。しかし私の背後の映像には、前世で私がその相手を殺したシーンが映っている。また、右側には、中間世で私と相手の魂がブループリント会議を開催しており、学びのための配役を検討しているシーンが映っている。左側には、殺し殺された体験を経て、人を慈しむ心を発揮している愛に満ちた未来が映っている。時空が今に連動して因果関係が一瞬にして把握できるから、目の前の映像をありのままに受け入れることになる。

自我意識の視野は狭い。目の前のみで、しかも世界を狭~い、1cmくらいの隙間から覗いているため、全体像を1%も把握できていない。見えない部分は想像で補うしかないから、大いに勘違いして、目の前の殺人者を憎んでしまう。

極端な例だが、自分に不都合な現実の意味は、隙間からチラッと覗ける範囲しか把握していないのだと、私は何も分かっていないというところからスタートすることが必要かもしれない。発想の転換である。私はここから何を学ぶのだろうという姿勢で現実を受け入れていけば、かなり楽に生きられるだろう。

○人生は遊園地

使い古された例えだが、やはりこれが一番伝わりやすいかなと思うので、書いておく。ディズニーランドのガイドブックを熟読し、隅々まで情報を知ったとして、それで満足するだろうか。どんなアトラクションがあるのか、十分理解していても、楽しくはない。なぜなら体験が無いからだ。ハイアーセルフは、すべてにつながり、何でも知っている。魂の学びと変遷を未来まで見通している。しかしそれはガイドブックを熟読したという意味しかない。ディズニーランドに実際に遊びに行って、怖いアトラクションに悲鳴を上げたり、パレードに熱狂したり、体験を通して得られる感動はガイドブックの比ではない。私というこの意識は、今まさに、ディズニーランドで夢中になり遊んでいる。どれだけ貴重な体験中なのか、ハイアーセルフからしたら、その価値は計り知れないので、「ああ、いい体験しているね。」という気持ちで見守ってくれているわけだ。楽しみに行っているのに、「スペースマウンテンは暗くてスピードが怖いからやめておきなさい」なんて余計な指図はしない。様々な人生の困難をアトラクションと捉えてみると、良い悪いは無いという意味が少し伝わるだろうか。そして、この人生は、まさに体験にこそ意味がある。私たちは、体験するために生かされている。

○現実は幻

目に見えるものはすべて、元をただせば、振動するひもである。みんな、み〜んな、同じ。私もあなたも、目の前のテーブルも、愛犬も、花瓶の花も。目に見える世界と見えない世界を行ったり来たりしているエネルギーである。

○二つの前世療法を連続してやると、違う人生なのに、根底に流れるテーマが似通っていて、学びが深まるということもよく分かった。


セラピストのNさん、今回も素晴らしいセッションをありがとうございました。セッションを重ねる度に、新しい発見があって、催眠の可能性の広大さを実感させてもらっています。このご縁に心から感謝しています。これからもよろしくお願いいたします。


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