海鳴り~気付きの旅

 宮沢賢治の最高傑作、『銀河鉄道の夜』は、オホーツクの旅で発想を得たようだ。深く内奥へ下降して、己れの使命を魂に甦らせる気付きの旅。時空をこえた魂の旅であった。

私が、なぜ、気付きの旅『一二六 海鳴り』が気になったかと言うと、かなりヒプノセラピー的に感じたからだ。私なりに、催眠という観点から、この作品を味わってみたい。

『スピリチュアルな宮沢賢治の世界』熊谷えり子 著 でくのぼう出版を一部を抜粋しながら私の考えも平行して紹介していきたい。

賢治は大正十三年5月農学校の修学旅行で生徒を引率し北海道へ。そこでこの作品を書いたようだ。

「これは想像でしか言えないが、賢治は内部へ深く降りていった所で伝教大師(最澄)に出会い、この邂逅によって本心に立ち返るように「大きな勇気を出してすべてのいきもののほんたうの幸福をさがさなければいけない」(手紙4)という決意を本物にしたのではないだろうか。」222頁

これは、まさに前世療法そのものを表している。催眠深化をして、脳波がアルファ波からシータ波になると、いわゆるトランス状態と言われる催眠に入る。判断の膜が弛み、潜在意識につながるため、その時クライアントに必要な前世記憶が甦る。アカシックレコードから必要な情報を引き出していると解釈する人もいるだろう。ちなみに、前世は何十~何百とあるため、賢治の前世は、最澄一人ではない。今世に一番影響を与えている人物だ。催眠に入ると、前世人物の気持ちがありありと伝わることもある。これを真性退行と言う。なりきってしまうわけだから、ものすごい情報量が言葉を超えて伝わってくる。

「最澄の悲願は法華一乗で、すべての人を悟りに至らしめるという事であった。『願文』によれば、自分はすべての人がその最後の一人が仏になるまで悟りに至ることはしない、最低のところに自分を置いて、地獄の底まで巡ってすべての人が仏になるまで修行を続けると。その死の時には、悲願が成就するまでは、何度でも日本に生まれかわってくると言っている。まさしく賢治の悲願ではないか。」


ここは、輪廻転生のことを言っている。魂は、生まれてくる前に、空の上(魂の故郷。別次元のこと)で高次元存在と共に、次の人生の計画を練ってくる。ブループリントのこと。これは、例えば胎児期退行の手法で誘導すると、なぜ生まれたのか、どんな使命があるのかなど、クライアントはスラスラと語り出す。賢治の場合は、最澄の悲願を引き継ぐために生まれてきたと言っている。「すべての存在の救済が終わるまで、私は何度も日本人として転生してくる!」と宣言しているわけだから、そして、願文そのままに実行しているのだから、魂に時空の制限は無いことが解る。

一生涯では不可能な使命に何回もトライして成就しようとしている。魂は不滅だから、何千年、何万年、何億年スパンで、宇宙規模の壮大なブループリントにチャレンジしている大きな魂もいることだろう。おそらく、成就することで、その魂は輪廻転生の輪から卒業する。輪廻は、地球のシステムだから、本来は他の次元や星に転生することも可能。賢治は、地球を愛の星にするために、地球創成期から関わってきた神霊の一人(柱?)または、分霊であると考えられる。つまり、賢治のハイアーセルフは菩薩級ではないかと想像する。

「真理というものは決して外から知識として知ることは出来ない。常に自己の内部から想起する。(気づく)ことで知る。これを悟りと言うのかもしれない。」223頁


催眠療法のクライアントの気付きは、まさにこれである。催眠に入って気付きを得たクライアントは、人生の問題がギフトであったことに喜びを見いだしていく。潜在意識からの叡知あふれるシンプルな言葉は、人には誰でも仏性(神性)があると感動と共に頷ける証となる。クライアントは、高い視点から体験を多角的に捉えるようになり、二元を超えていく。まるで蛹が蝶になるように意識変容していく。

顕在意識で(思考·エゴ)出来事を捉えると、二元での判断になるため、苦しみに翻弄される。大嵐にアチコチ振り回されている状態だ。しかし、催眠に入ると潜在意識の奥深くに繋がり、嵐の真ん中にスッと入り込む。そこは静かで穏やかで、今ここしか無い。すべてに満たされた本質が「本当のわたし」永遠の意識エネルギーであることを自ずと思い出す。これは知識ではない。「あ、そうか。」と、ストンと腑に落ちるという感覚。「カーテン閉めていたからずっと夜かと勘違いしていた。何だ、カーテン開ければ良かったのか。実はずっとずっと、私は朝の光の中にいたんだ。」という感じ。カーテンを開けるも開けないも、わたし次第。それは魂の自由意志。(厳密に言うとひとつの宇宙意志。わたしの自由意志により選択しているという幻想なのだが、ここでは詳しく触れない。)

このような気付きの神秘体験の記録として、賢治作品の一部を読んでみたい。


『海鳴り』

(第三連)

いまあたらしく咆哮し

そのうつくしい潮騒ゑと

雲のいぶし銀や巨きなのろし

阿僧祇の修陀羅をつつみ

億千の灯を波にかかげて

海は魚族の青い夢をまもる

(第四連)

伝教大師叡山の砂つちを掘れるとき


解りにくいかと思うので、本から、適宜、解釈の部分を短く抜粋する。併せて味わってみよう。

「賢治は、妹トシの死後オホーツクに旅行してトシからの通信をもとめた。ここでは多分前世の記憶を取り戻す退行催眠的な現象か。」232頁

本の筆者も、催眠に思い至っている。おそらく、霊的感覚に優れていた賢治は、自然の中でリラックスする時、自己催眠状態に容易に入れたのかもしれない。この観点から賢治作品を読むと、催眠(トランス)から着想を得た場面が童話や詩に多様されているように思う。アカシックレコードからの情報と思われる記述も多い。

「海鳴りとは、見えない世界のむこうから聞こえてくる声かもしれない。海鳴りに耳を傾ける「わたくし」は、今「はるかな過去の渚」からその声を聞こうとしている。」233頁

「はるかな過去の渚」をそのまま、前世療法セッションと置き換えられるだろう。声とは、前世の自分の声であり、亡くなった方々からの声でもある。永遠の意識エネルギーからの声とも表現できるだろう。

では、あらためて『海鳴り』の第三連を味わってみたい。ここは、あまりに催眠的で、セッションでの浄化から気付きへの一連の流れにそっくりだ。

「静かな光る海は、浄化された心境を映したものなのだろう。今心の濁りが消え本心に立ち返った目に法灯が見える。月(法灯)に照らされた「海は魚族の青い夢をまもる」とは、人類の仏国土をつくる願いは、法灯の光によって実現できることを言っているように思う。」235~236頁

静かなる海のビジョンは、セッション終盤、安全地帯に戻り解催眠直前のクライアントの状態にとても似ている。前世の人生、臨終を再体験しながら振り返り、魂の意志を確認し、エネルギー統合する。前世と今世のわたしが一体となることで、浄化が起こり、前世魂から大切なメッセージをもらう。今世をいかに生きていくか指針や勇気をいただく。

そして、あまりに短い第四連

砂を手で触り、最澄の心が一瞬にして甦った場面。前世が最澄であったことを悟ったのだ。(海鳴りから三日後に、一四五 比叡(幻聴)を書いている。)

上記に賢治作品を通し、催眠セッションでのクライアントの気付きの旅と共通点などを羅列してみた。何が言いたいかというと、誰もが宮沢賢治であり、誰もが「海鳴り」に匹敵するドラマを持っているということだ。賢治は、本質からの光を童話や詩に表現し、後世への贈り物として残してくれた。

魂の個性により、童話が、絵画や歌、何らかの別の表現だっていいわけだ。アートでなくてもいい。料理や掃除、子育てだって。事務だっていい。やたら計算が得意とかだって、すごい表現だ。

現実的な記録に残らなくとも、魂の表現(体験と感情)は、宇宙のアカシックレコードにすべて記録されていく。私たちは、今を生きることで、宇宙へ人生という名の作品を提供し続けている。どんな人生も、宇宙から見れば掛替えが無い宝物だ。唯一無二の魂表現になるから、飛び切りの面白さだ。

魂の記録にアクセスし、人生をより輝かせるために。肉体を通し、魂のやりたいことを実現させるために。魂の幸せとは何か。ほんとうの喜びとは何かに気づくために。ひとつの手法として、催眠療法が役立つかもしれない。ということをあらためて再確認した。

☆余談

私は、昨年、山梨県の身延山久遠寺奥の院で、日蓮さんのエネルギーと交流した。そこから宮沢賢治に誘われていった。思いがけず寺からプレゼントされた宮沢賢治手帳がきっかけだった。

宮沢賢治といえば、イーハトーヴであり、なんと、私の催眠の学校がイーハトーヴヒプノセラピーカレッジであり、催眠の先生をされている萩原医師は、宇宙の基本原理まで講座にして伝えてくれている。

日蓮さんも、宮沢賢治も、萩原医師も、魂の系譜は同じなんじゃないかな。と気になっていた。

今回取り上げた本には、モーセ→最澄→宮沢賢治 という魂の系譜を紹介されていた。波動測定から推察される繋がりらしい。

モーセは、地球創成にかかわる高次元神霊の転生した姿のひとつなので、やはり賢治も、この系譜なのだなと、納得した。大きな魂だから、やることもでかい!

賢治にとって、教えの父は日蓮。祖父は最澄と書かれていたので、一応繋がり、ほっとした。

そして、さらに余談の余談

魂の兄から、賢治のエネルギーが感じられる。

エネルギーの世界は感覚なので、科学的証拠は何も無いのだが。Yさんが賢治童話を朗読された時に、「この方には、同じような使命があるんじゃないだろうか?」と、ふと感じたのだ。

賢治は、作品を通し、地球を取り巻く業想念を浄化し続けていると私は思うのだ。人間に必ず備わる仏性を思い出させるよう、言葉の光を紡いだのである。それは本というタイムカプセルとなり、時空を超えて必要な方に届けられ続けている。今も賢治のエネルギーは生きている。

Yさんの半生も、意識的にも無意識的にも、人の想念を浄化し光に昇華する働きをなさっている。この働きは肉体や精神を疲れさせるため、無意識的に行うスターシードは、自分が病気なのではないかと悩む場合が多い。

Yさんは、気功などを学び、無意識的な光のお役目とバランスを取るよう自ら工夫されているので安心なのだが、世の中にたくさんいるであろう賢治魂の光を思うと、有難い気持ちになる。そのピュアさゆえ、地球体験がとても苦しい存在もいるだろう。

賢治は、デクノボーになりたいと言った。菩薩になりたいと言ったのだ。


「南ニ死ニサウナ人アレバ 

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 

北ニケンクヮヤソショウガアレバ 

ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ヒドリノトキハナミダヲナガシ 

サムサノナツハオロオロアルキ 

ミンナニデクノボートヨバレ 

ホメラレモセズ クニモサレズ 

サウイフモノニ 

ワタシハナリタイ」

もし、わたしがデクノボーなら、死にそうな人に、怖がらなくていい。と言って差し上げる役割だろうか。催眠療法は、魂は永遠の意識エネルギーであり、本質につながれば、すべてがひとつであることに気づく。きっと死を受け入れるためのお手伝いなら出来そうだ。あ、オロオロしたりするのも得意だった。


菩薩と言えば

私の大好きな菩薩の絵は、草場一壽さんが描かれていて、私はバイト1ヶ月分を注ぎ込み、それを購入した。(原画ではなく、印刷物)

草場さんの展覧会に出掛けた際に、その菩薩の原画を見て、頭の中にアヴェマリアの曲が流れた。私は涙を流した。懐かしい故郷に帰ったような不思議な感覚がしていた。

そして、何故かわからないが、当時知り合ったばかりのYさんに、この菩薩の絵を渡したいという強い気持ちに駆られた。まだそんなに親しいわけでもなかったのに。未だに理由はよくわからない。

同じ菩薩の表紙のノートをYさんに送り、何だか使命を果たせたようでホッとしたのを覚えている。

菩薩→宮沢賢治

菩薩→Yさん

菩薩→マリア→アルクトゥルスに帰星した友人A

というデクノボー魂系譜が、私の中にある。これは、ソウルグループという解釈になるんだろうか。

友人A が、死の数ヶ月前に私に送ってくれたのも菩薩の絵ハガキだった。旅先で見て感動したからと書いてあった。その絵ハガキはいつも見られるようリビングに飾ってある。

菩薩も、高次元宇宙エネルギー。おそらく、どこかの遠い星の出身だろう。

また、いつか謎が解けるかもしれないので、ここに書いておく。




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