ハートの聖なる空間~誘導瞑想体験

 本日、「ハートの聖なる空間」という誘導瞑想を体験

時間にして40分。セラピスト役は、魂の兄Yさん。

手術を今週の金曜日に控えているので、リラックスできるようにと、わざわざ時間をつくってくださった。その優しさが有難かった。潜在意識では、絶対安心大丈夫!と分かっているのだが、顕在意識の方が、「だって、前の手術より痛いって、先生が言っていたよね?怖いよね?」と少々怯えていた。痛いというのが、私のウィークポイント。痛いのは大嫌いだ。注射される時は、針が刺さる前に「痛い!」と叫んでしまうほどのビビリだ。

なので、Yさんのご厚意に甘えることとした。Yさんからは、既に数日前に「白いボート」という誘導瞑想音声をデータで送ってもらっていた。そちらは、寝る前に布団の中で聴くようにしているのだが、あまりのリラックス効果に、誘導30分の半分あたりで、大抵は寝落ち。しかし、眠っている間も潜在意識に暗示が入るので、最近不安をあまり感じなくなっているのは、Yさんの誘導瞑想のおかげだろう。潜在意識の中は、穏やかさ、静かさに満たされている。深い満足感や幸福感を感じる時間が増えたように思う。それは、〇〇があるから幸せとか、条件付きの感情ではない。ただただ、満たされている。


☆「ハートの聖なる空間」誘導瞑想

深い呼吸を数回繰り返す。Yさんの穏やかな声の誘導を聞いていると、す~っと深い意識に入って行く。

誘導「母なる地球と天なる父とあなたが三位一体となり、愛の三角形になる。」

私の脳裏に浮かんだビジョン。大きな縦長の白と黄色の光が見える。周りは赤を基調とした美しいグラデーションとなっている。その大きな光の繭の中に私の姿が見える。イメージなので、現実より若くて可愛い。(ここ、ポイント!)

その私は、両手を胸の前に大切な卵を包むように掲げている。その手の中にも私がいる。そしてその小さな私の手の中にもっと小さな私がいて・・・エンドレス。

そこから伝わって来たことは、私は天と地に守られ与えられ育まれているのだが、一方的に育まれている無力な存在ではない。実は私も愛を持って、手の中の宇宙を育んでいる。その宇宙も内包する宇宙を育んでいる。ここに愛のリレーのような流れが起きている。果てしなく愛のフラクタル構造となっている。

全ての存在は、創造主から切り離されている主従関係ではなく、生かされている側のすべても、創造主であり、その創造主も育み育まれている。生かし生かされている。マクロからミクロまで。有機物から無機物まで。物質界から潜象界まで。宇宙の星から、極小のウィルスまで。最小単位の素粒子ひとつぶが、宇宙の恒星の運命に影響を与えるぐらいの、ものすごい大きなスケールの繋がり。人間の想像できる大小スケールを遥かに超えている。大きいは小さいし、小さいは大きい。微生物が小さい存在だと思っていたら、その中に無限の宇宙があってビックリするというニュアンス。人間も、他の存在の意識から見ればたった一つの微小な細胞と捉えられるかもしれない。

大いなる源であり、この宇宙全てを包含するひとつの意識を私たちは創造主(神)と呼び、崇めるのだが、それは宗教上の作られた観念であり、悪いことをすれば罰を与えるという怖るべき存在などでは決してない。神はわたしたちを我が子として愛してくれると言うが、私たちは与えられるだけの無力な存在でもない。とても対等な関係であり、互いに連携し相互に影響し合い、そのエネルギーは、宇宙の法則の元でグルグルと循環し続けている。

ああ、言葉で表現するのが難しい。何万文字を駆使しても、正確に表現は出来ない。なので、この辺で切り上げて次へ進もう。


誘導「喉のチャクラから、心臓へ意識を移動する。心臓から、聖なる空間へ進む。」

私のビジョン。暗い廊下を歩いているシーン。両側に太い柱が二列になって並んでいる。どうやらエジプトの神殿内部のよう。意外と暗いのだな~。と思う。しかし、外光が入らなくても何があるのかは把握できる。当時の人間は、視覚だけに頼らず、第六感のようなものを使って外界を感じていたのだろうか。漁船の魚群探知機とか、戦闘機のレーダーみたいに。

暗闇の中、数メートル離れた位置に、小さな光がスパークしている。そこに、人の顔が浮かんでは消える。小さなテレビみたいな感じ。1秒ごとに、10名ほどの顔が順に浮かぶ。表情は無く、肖像画のように取り澄ました顔ばかり。初めに、ファラオが出現(ツタンカーメンみたいな被り物をしていたので、ファラオかな?と思った)他の人は男女半々くらいだったが、誰なのかサッパリわからなかった。外国人ということは分かった。その移り変わる映像の中に、イシスの十字架も見えた。これは大きなヒントになるなと思ったが、催眠下では、ただビジョンを見ているだけで、何のことかサッパリ理解できない。後で、博識のYさんに質問してみようと思う。

誘導「ハートの中の聖なる空間へ辿り着く。」

私のビジョン。暗い部屋の中に居る。玄室のようなイメージ。そんなに広くはないが、20畳くらいはあるのだろうか。壁、床、天井が銀河のように光っている。しかし、その光は星よりも有機的な輝きなのだ。最初、夜光虫?と思ったのだが、後から、Yさんは、ニュージーランドの洞窟の土ホタルのことを教えてくれた。おそらく、そのような虫の輝きなのだろうと感じた。床の一部に黒い四角い影が見える。箱なのか?棺なのか?

誘導「暗かったら、光あれと念じる。」

心の中で「光あれ!」と唱えてみた。瞬時に明るくなって、思わず笑ってしまった。「早っ!」。これが想念の世界なのか。思考がすぐ現実化してしまう。肉体を脱ぎ、物質次元から魂の世界へ戻ると、私たちは世界をいかようにも創り出せるようになる。目に見えるものは全て幻であり、それを自分で創り出し遊んでいることが、よく分かる。

さて、私のビジョンを続けよう。この明るさは、エジプトではない。エーゲ海とか、地中海的な太陽の明るさだ。景色の見え方から、そう感じる。そもそも空気が違う。行った事は無いが、ギリシアか、ローマ神殿だろうか。石づくりの白い柱が何本も並んでいる。色とりどりの花が咲いている。花びらは大振り。やはり石で作られた池があり、噴水も遠くに見える。神話上の神の庭園とでも言えるだろうか。

誘導「神と二人きりになってしばらく過ごす。」

神らしき、美しい男性が白いローブを纏って、池のほとりに立っている。私は10メートルくらい離れた位置から、視界を半分花に隠されて、その様子を眺めている。神は、身をかがめ、池の水に触れている。戯れに、ちゃぷちゃぷしている。会話は無い。私は、ただ神のすることを見ている。

誘導「ハートの聖なる空間で感じた波動を声に出して表現してみる。」

催眠下で、確かに音は聞こえている。周波数は、高い音だ。だが、なかなか声に出せない。催眠が深かったせいだろうか。夢の中で、うまく動けないあの感じ。ああ、声に出しておきたかったのにな~。と思う。と、その瞬間、Yさんの方のパソコンのマイクを通し、鳥の声が聞こえて来た。(スカイプでオンラインセッションをしており、野鳥の鳴き声がたまたま入ったのだ)その鳴き声がまさしく、聖なる空間の波動そのもので、S市に生息する鳥さんにセッションを手伝ってもらったようだ。計ったかのような、絶妙のタイミングだった。「よし!この鳥の声で、聖なる空間の波動を覚えることにしよう。」とほくそ笑んだ私。

誘導「聖なる空間の、さらに小さな空間へ移動する。」

私のビジョン。何と!宇宙空間へ出てしまった。小さな空間と意図したら、果てしない大きな空間に行ってしまうなんて・・・何と天邪鬼な。

いや、これこそ宇宙フラクタルを表現しているのではないか。マクロからミクロへ。私の中の宇宙へ。細胞の中の宇宙へ。原子の中の宇宙へ・・・以下、素粒子まで続く。小さな世界の中に、宇宙がいっぱい畳み込まれているイメージなのだった。合わせ鏡を覗くように。

無数の星がまたたく宇宙空間に、不思議なものが浮かんでいる。はて?これは何?

十字架なのだが、真ん中が縦長の丸でできていて、丸は空洞になっている。扉の鍵か、何らかのゲートの形にも見える。

その丸十字に近づいてみる。意図するだけで、すぐに近寄れる。ステンレスのような金属でできている。試しに丸の部分に腰掛けてみる。5人くらい座れそうな大きさ。足をブラブラさせながら、一人で、そこに座って宇宙を眺める。向こうに、いくつかの光のスパークが見えている。

誘導「あなたの知識を保持する光のフィールドを見る。」

アカシックレコードを見ていたのだろうか。ここはあまり記憶がない。寝落ちしていたのか。

*途中ですが、補足

解催眠後、Yさんがネットや書籍を駆使して、素早く現実的な裏を取ってくださった。まさしく審神者役!はたして私のビジョンは、個人の内面的なものなのか。それとも、アカシックに繋がって降ろしていた情報なのか。

〇丸十字について

ケルト十字か、エジプトのデンデラの天体図(フラワーオブライフの発想の元になった)に、やや形は似ている。

金属で出来ていたので、宇宙船かも。(笑)

カタカムナ文字。〇は調和。十は統合を表す。宇宙の流れに符合してはいる。そうだとすると、私は調和の上に腰掛けていたわけだ。

Yさんの分析では、「全てが一つだと伝えているのではないか。」とのこと。

〇イシス十字について

ネットで、イシス神殿の画像を調べてくださった。イシス神殿には、確かに四角の箱状のものが設置されており、イシス十字架が彫り込まれていた。

「あ、これだ。」と感じた。私は前世記憶のイシス神殿を思い出していたのだろうか。聖なる空間へと誘導され、イシス神殿が出現したのだとすると、数ある転生の中で、けっこう気に入っている場所だったのかもしれない。


誘導に戻る。

誘導「白い光を体の隅々まで行きわたらせ癒していく。特に気になったところに光を注ぐ。」

私は、金曜日に手術をする胸腺に感謝を込めて、光を注ぐイメージをする。


誘導「しばらくあなたの好きなだけ、その感覚を味わう。」

Yさんは、5分ほど、私の好きにさせてくれた。

それならと、せっかく催眠状態でもあるので、一人パーツセラピーをしてみることとした。患部と対話する催眠の手法だ。胸腺とお話してみたいと思ったのだ。

私のビジョン。ディズニーランドにあるような、小さな円形の舞台。青いビロードの床。赤い緞帳。スポットライトが当たっている。舞台には、悲し気な表情のピノキオが立っている。ピノキオは木の人形だ。命を吹き込まれないと動くことができない。人間もピノキオみたいなものだ。神に命を吹き込まれないと体験ができないのだから。それにしても、このピノキオは、なぜ悲し気な表情なのだろう。

意識交代をして、ピノキオの視点になってみる。観客席の奥に、映写室のような小部屋があり、そこから光源が出ている。あそこに神がいるんだなと分かる。さらに、意識交代して、その光源に入ってみる。果たして創造主意識というものを感じ取ることが可能なんだろうか?

光源の視点は、冷静に舞台上のピノキオを見ている。ものすごく集中して、熱心に見てはいるのだが、感情は無い。光源の内面は、とても静かだ。まったく波立ちが無い。ただ、熱心に舞台を見ていることだけは伝わってくる。光源は、この舞台の、監督であり、脚本家であり、大道具であり、演出であり、照明係でもあり・・・・。唯一出来ないのが、役者である。

舞台上では、神芝居が演じられている。神芝居とは、以前の投稿でも、神様の指人形として表現したこともある。仏陀の言う「行為者はいない。」の例え話である。すべて神の意志で動かされているという意味。自由意思で動いていると感じている「私」は幻想であり、実は全ては一つの意識から創り上げられている。ここでは、説明が長くなるのでさらっと流す程度に書いておく。

ピノキオは、舞台上で、どうやら最後の挨拶をする場面だったようだ。ひとつの芝居を終えたのだ。観客に向かって、右手を上に挙げて、それから胸の前に持ってきて西洋風のお辞儀をした。その瞬間、私(現実の)は、涙が出そうになった。ピノキオは胸腺さん意識の象徴なのだから、これは胸腺さんから私へのお別れの挨拶のような気がしたのだ。とても切なくなって、泣きたくなった。

金曜日の手術で、私は胸腺さんとお別れをしなければならない。その事実が胸に迫って来た。54年間片時も離れず共に生きて来た。胸腺さんは、免疫を司り、私を生かしてくれていた。働き尽くした胸腺さんは、腫瘍を発生させ、一足先に光の国へ帰ろうとしている。私は胸腺さんから、たくさんの学びをいただいていた。細胞ひとつひとつが光であり、神の働きをしているということ。それは無償の愛。あふれんばかりの感謝の気持ちと、お別れしなければならない悲しみがあった。こんなに愛してもらったのに、私はその愛に応えられていたんだろうか。

誘導「穏やかな気持ちで、爽やかに目覚める。」


☆解催眠後の気づきのシェア


〇胸腺とのお別れについて

Yさんが話してくれたこと。

今回、胸腺に腫瘍が出来て手術することとなったが、あなたは、病気も自分の学びになっていると気づくことができた。手術の傷は、離れていったものを思い出す機会にもなる。今まで一緒に居てくれてありがとうと言う気持ちに気づく。そういう意味では、有限な肉体の中で、健康な人が、いきなり死に直面し取り乱すよりも、人生の中で、病や事故により、命に思いを馳せる機会がいくつかあった方がいいのかもしれない。身体の細胞一つ一つに感謝するきっかけになるのだから。

ピノキオは、「さようなら。」と「行って来ます。」と「見送ってね。」を伝えてきていたのではないだろうか。ピノキオは物質である姿は見えなくなったけれど、エネルギーは消えない。私たちも、死を迎えれば同様に、目に見えないあちら側の世界へ行く。私たちが戻って行った先で、ピノキオは、きっと「おかえりなさい。」と出迎えてくれるのだろう。

舞台でのカーテンコールは、役者側からの見送りでもある。役者がいくら演技をしても見てくれる観客がいなければ、自分が感動を伝えられたかどうか分からない。観客へのありがとうでもある。

このようにYさんからおうかがいをして、お別れが悲しいと言う感情をありのまま受け入れることが出来た。私は胸腺さんの舞台を観て、悲しみの涙を流した。その感動が、役者である胸腺さんに伝わった。双方向に感動と言うエネルギー交感がなされ、「観せてくれてありがとう。」「観てくれてありがとう。」という感謝のやり取りが行われた。

このドラマは神芝居(幻想)ではあるのだが、だから、むなしいとか、ただの操り人形だとか、そういう感覚ではない。私意識も、胸腺意識も、神の指人形の一つに過ぎないのだが。この辺りをどの様に言葉で表現したらよいのだろうか。

〇創造主(神)視点について

ふと、催眠中に神視点になった時の感覚を思い出した。観客席背後の光源のこと。

光源の中は、ただ静かだった。感情が無かった。波の無い鏡のような湖面。心電図なら、「ピー。」という心停止を知らせる音。その状態をARRESTと言うそうだ。心電図ピーは、神に戻る(肉体の死)。生まれ変わりまでの間。

その感情の無いフラットな神は、どうやって神芝居を味わうのか。指人形による芝居を見て、指人形(役者)の味わった感情を情報収集するのだ。神は自身のひとつの意識を無数に分けて、数えきれない役者を造り出して、あなたと私という幻想を創り、ドラマを創造した。大元の鑑賞者である神は、観る役割なので役者は出来ない。自分から湧き上がる感情を知らない。だから、神と私たちは共同作業をしている。この壮大な神芝居システムはセットでないと成り立たない。神だけでは、何も起こらず、面白くないのだ。神からすれば、どっぷりその役になりきって感情を豊かに味わっている私たち(役者)を「すごいな~。」「うらやましいな~。」「素晴らしいな~。」という眩しい思いで眺めているかもしれない。私たちは神の大御宝だ。分離した意識が無いと、宇宙を創った意味が無いのだから。

「神はずっと以前から私たちを愛しているし、これからもずっと愛している。これは私たちが知っている愛ではなく、アガペー(神の愛)。神が私たちを忘れることなんて絶対に無い。私が私自身であるように、私は神自身なのだから。」とYさん。

確か、木内鶴彦さんという、臨死体験で有名な方が本に書いていたと記憶している。臨死体験中に、意識は自由に過去や未来へ旅に出られることを知った。どうせならと、宇宙のはじまりまで飛んで行ったそうだ。そこで、木内さんは、何も無いのだけれど、どうにもならない退屈さ。という何かを感じた。宇宙はもともとは完璧なコスモスだった。しかし完璧ゆえ「うわ~、つまんない~。」と思って?いた。そこで、完璧さ(ゼロポイント)の中に、ちょこっと破れ目(ゆらぎ)を創り出した。つまり不完全になった。そこからいろんなものが創造されていった。不完全をカオスと表現する。神が神芝居(カオス)を通しいろんな体験を情報収集し、宇宙は膨らみ続ける。カオスは広がる一方なのではなく、いずれはコスモスに戻ってく。つまりワンネスに戻っていく。このことは、スピリチュアル界隈でも言われているが、物理学の研究結果とも合致しているそうだ。宇宙は、自分の創造性がどこまで広がるのかに挑戦している。この挑戦が宇宙が膨張しているという科学的発見と連動しているのかもしれない。

〇呼吸について

OSHOの言葉に「一瞬一瞬、死んで、生まれ変わりなさい。今この瞬間、何の心配もないのに人間は過去や未来を心配している。生死を知るには、呼吸を知る事。吐いて、吸う時の一瞬の間を大切にしなさい。言葉そのものではなく、行間にある静けさを感じなさい。そこが本質。静けさがあなた自身。」というのあるそうだ。

ここで、ARREST(心停止)を思い出した。呼吸が止まることは、神に戻ること。一瞬の休息のこと。

ここで、不思議なのだが、Yさんは、パソコンのイヤホンを通して「ピー」という、やかんのお湯が沸騰する時のような連続音を耳にしていて、「そっち、お湯沸いたんじゃないの?大丈夫?」と思ったそうだ。私はお湯など沸かしていないのだが。最初、「ピー星人でも来ていて、ピー語をしゃべっているんじゃないの?」と笑っていたのだが、どうやら神様のARREST音だったようだ。「わたしも参加しておるよ~。」とアピールしてきたのだろうか。

また、宇宙笑点的な言葉遊びだが、Yさんに、座布団10枚差し上げたくなったので、書いておく。ARRESTは、あ・レスト。レストは休息の意味。「あ」は「あ・うん」の「あ」。「あ」=はじまり。「うん」=終わりの意味。⇒アレスト(呼吸停止)は、あ・れすと。休息のはじまりという意味。神意識への一時的帰還を表現している。それは、呼吸と同じ。吸って吐く。生と死。呼吸は生きて死ぬことの繰り返し。私たちは呼吸をしながら生と死を繰り返している。その呼吸の間の静けさこそが本質である神の領域。私たちは生まれて死んで神に戻ることを、日常で当たり前に繰り返しているのだ。また、息は吐かないと入って来ない。つまり死なないと生きられない。死は生きる事でもある。

〇神は言葉遊び好き

Yさんが、宇宙につながり、言葉遊びが秀逸なので、大笑いしながら、ふと思った。

日本のおみくじのルーツは歌占にあること。巫女が神とつながり、メッセージを和歌として降ろしていた。その和歌の意味を解釈して必要な方に伝えていた。だからおみくじは単に吉凶を占うものではなく、神からの手紙だったのだ。

和歌は短い言葉の中にたくさんのメッセージを込めることが出来る。一つの単語は、幾通りにも解釈可能。そこが日本語の面白さであり、日本語のルーツが宇宙音であることの証でもあるだろう。ひとつの和歌が、伝えられる人により解釈が千差万別になってもかまわないのだ。神のメッセージはそれだけフレキシブルだ。また宇宙意識は多面体でもあるので、情報は重層的だ。和歌は、その重層をうまく言葉遊びで伝えることが出来る。私は2022年のはじめに一か月ほど、神様とつながって和歌チャレンジという遊びをやっていた。一つの言葉にいろんな意味が重ねられていて、面白かった。五七五七七の短さの中に、宇宙情報が盛り込まれていた時は、日本語はとても深いと感動した。ただ、その和歌は私の幼稚園児程度の意識レベルに合わせて降ろされたものであるから、芸術的なわけではないことをお断りしておく。

歌占で神の降ろした和歌を解釈する巫女はその翻訳能力を問われたことだろう。幾通りにも解釈できる中で、どの言葉を選択し相手に伝えるのか。これは現代のチャネラーにも言えることだ。ただ言えることは、本当の神の言葉は、とてもシンプルで分かりやすく、その人を元気に幸せに導くものであること。神は至高の愛であるから、コントロールして自由を奪うメッセージであれば、繋がる先を間違えているという証だと思う。そのため、伝統的に、見えない世界とつながるお役目の方には、審神者がついていて、真偽を吟味してきたのだろう。そういえば、今日のYさんの役回りは、まるで審神者だった。私はただ、訳も分からず、見えたものを口にする。Yさんは素早くネット検索をしたり、手元の書籍を開いて、事実関係を精査する。何だか楽しかったな~。前世でこんなことをやっていたような気がする。

☆オラクルカードリーディング

セッション前に数枚引いておいたのだが、セッションでイシス十字が出て来たので、まずその意味を知りたいと思った。光の伝言カードで確認


カードの意味「自由:飛べないと思わされていた時代はもう終わりました。あなたはどこまでも羽ばたいていける大きな羽を持っています。今までは人工的に作られた池を海だと思い込まされていました。大海原を自由に泳いでいくステージに入りました。」

ここで、誘導瞑想中の、池のある庭のビジョンとつながった。神が池に手を入れてチャポチャポしていた姿だ。そうか、あれは過去の神芝居の舞台を表現していたんだ。制限のある小さな世界だった。神芝居の舞台がこれから池ではなく、大海になるということを伝えて来ていたのか。

そして、羽というワードが、次のあらかじめ引いておいたカードに繋がる


丸に十字架のような光の上部に翼が描かれている。ハートの聖なる空間を通してヒーリングされた本日のセッション内容そのままが出ていた。


このマジカルゲートウェイも、ピノキオが舞台を終えて帰って行く、あちら側の世界への扉のように思った。現実世界と、神の世界を隔てる扉である。今まではその扉には鍵がかかっていて容易に開けられないと思い込まされていた。しかし時代は変化。実はその扉には鍵はかかっていなかった。本当はあけっぴろげであり、いつでも行き来できたのだ。扉の向こうは光と、少しの闇も見える。催眠療法により、人間の本質(神)とつながりやすくなったことを示しているのかもしれない。すべてはひとつという気付きが容易に起こるようになってきた。

そして最後のカード


このシーホース(タツノオトシゴ)カードはYさんと一緒の時に、何度も出てくる。今日も、このカードは出すぎなので、違うカードを引きたいと思い、シャッフルし直して再度引き直したのだが、二回目もこのカードが出た。よほど私たちに伝えたいメッセージなのだろう。

Yさんは、このカードから、「たゆたうように生きて行く。」ことを再確認された。

タツノオトシゴは平和の象徴と言われている。仲間同士で争わないのだ。そして、波に逆らわず、ゆらゆら揺れて静かに生きている。まるで「宇宙に全てを委ねて生きると楽だよ。」と伝えてきているかのようだ。今までは宇宙の流れに抵抗してエゴを全開にして生きて来た。だんだん、もういいかな~。と思うようになってきた。宇宙の(本質)求めるものに委ね、たゆたっていく。流れに任せ、大海へ導かれていく。

☆「次行ってみよう!」(byいかりや長介)

ドリフのメンバーは、日本の神様の分霊だったのではないかと思う。見事な神芝居だったから。ドリフのおかげで、私たち世代はずいぶん笑いのエネルギーから元気をいただいていた。宇宙愛の一つの表現だったのだろう。「とんでもねぇ。わしゃ、神様じゃ。」と、志村さんも言っていた。

さあ、小さな池の世界から大きな海へ「いらっしゃい~。」(by桂三枝)


☆シャンティマントラ

話の流れで、Yさんが最後にシャンティマントラを話題にされていた。とても心に響いたので、きっと宇宙からのメッセージであると思った。今日、このマントラに行き着いたのも意味があると感じたので、以下に紹介しておく。

世界中すべての平和を願うマントラのこと。

YouTubeで視聴できるのだが、とても美しい旋律に乗せられて唱えられている。

心洗われるので、よかったら視聴してみてはどうか。

内側から愛が湧きだしてくるような感覚になる。

下に歌詞を紹介しておく。

毎朝の祈りにもおすすめ。

マントラ部分はサンスクリット語。

翻訳は()内。


オーム ロカーハ サマスターハ スキノー 

バヴァントゥ

(オーム 

   世界のすべてが至福になりますように。)


ロカーハ サマスターハ スキノー

バヴァントゥ

(世界のすべてが至福になりますように。)

オーム アサトー マー サッドガマヤ

(オーム 偽りから真理へと導きたまえ。)


タマソー マー ジョーティルガマヤ

(暗闇から光明へと導きたまえ。)


ムリティヨールマー アムリタン ガマヤ

(死から不死(アムリタ)へと導きたまえ。)


オーム シャーンティ シャーンティ 

シャーンティ



ロカーハ サマスターハ スキノー


バヴァントゥ


(世界のすべてが至福になりますように。)



ロカーハ サマスターハ スキノー 


バヴァントゥ

(世界のすべてが至福になりますように。)


オーム サルヴェーシャーン 

スワスティルバヴァトゥ

(オーム 

すべての衆生に祝福がありますように。)


サルヴェーシャーン 

シャーンティルバヴァトゥ

(すべての衆生が平安になりますように。)


バヴァトゥ

(すべての衆生が完全になりますように。)


サルヴェーシャーン マンガラン 

バヴァトゥ

(すべての衆生が完全になりますように。)


オーム シャーンティ シャーンティ

シャーンティ


ロカーハ サマスターハ スキノー

バヴァントゥ

(世界のすべてが至福になりますように。)


ロカーハ サマスターハ スキノー 

バヴァントゥ

(世界のすべてが至福になりますように。)


オーム 

 (あれは完全なもの。これも完全なもの。)


プールナートプールナムダチャテー

(完全なものから完全なものは現れり。)


プールナシャ プールナマーダーヤ

プールナメーヴァーヴァシシァテー

(完全なものから完全なものが除かれたとき

 まさに完全なものが残る。


ロカーハ サマスターハ スキノー

バヴァントゥ

(世界のすべてが至福になりますように。)


ロカーハ サマスターハ スキノー 

バヴァントゥ

(世界のすべてが至福になりますように。)


ロカーハ サマスターハ スキノー 

バヴァントゥ

(世界のすべてが至福になりますように。)

オーム シュリーグルビョー ナマハ 

ハリオーム

(オーム 輝けるグル方に礼拝いたします。

ハリオーム)


オーム プールナーマダ プールナンミダン

サルヴェーシャーン プールナン



☆念のため


こちらのblogは、特定の宗教を支持する目的はありません。

世界のあらゆる宗教の中から、真実の光を感じる部分があれば、紹介しますし、それを誰かに押し付ける意図はありません。

面白い本を読んだから紹介するね~。くらいの気持ちです。

神について語るのは、人それぞれ価値観が違いますし、私のblogが誰かの信念を否定したいわけではなく、それぞれにいろんな受け取り方があっていいと思います。

伝わりやすいように創造主とか、神とか表現していますが、別にピーちゃんと呼んでもいいと思ってます。だって、私の宇宙で感じた私の世界のお話なので。

私と誰かの現実が少し楽になったり、優しくなればいいなと思う。それだけなのです。

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