楽しい川辺



 美しい緑、川、空

北欧かと見紛うばかりだが、こちらは東京と千葉の県境を流れる江戸川の風景

歌に有名なあの

矢切の渡しを体験してきた

コロナ禍の影響か、真夏の炎天下のせいか分からないが、他に客は無し

私と友人、3人を乗せ、どんぶら、どんぶら木船が川面を進む

16キロ離れた海からの風の通り道

陸地より力強い海風が心地よく、心がスカッとする。淀んだ黒い思いも、全て吹き飛んでいく。

日焼けした若い船頭さんが、余程暇を持て余していたのだろうか「あと5000円払えば、ディズニーランドまで行ってあげるよ!」との軽口

ははは(笑)

笑いながらも、半ば本気で想像。この古風な木船でディズニーランドに乗り着けたら、それはそれで贅沢だなあ。矢切クルージング、最高だ。

川向こうは、何も無かった。東京側は、柴又帝釈天とか記念館とか、華やかなのだが、松戸側は、人家が遥か遠くに見える開けた土地。川を渡っただけで、世界が180度変わる。三途の川か?

土手上の東屋で、密かにクーラーBOXに忍ばせてきた缶ビールで乾杯。1キロ四方、殆ど人影もなく、あるのは緑と鳥と雲と風。50代の女三名。蟻が虫の死骸を神輿のように運んでいるのを眺め、蟻の台詞を想像しながら、まったり過ごした。

最近、夕焼け空や、星が、今までに無いくらい綺麗じゃない?という意見が三名の共通認識。世の中は、いろいろ混乱してはいるが、目にするのは心洗われる美しい光景ばかりだ。

会話も殆ど無く、ただ風に吹かれてぼんやり座っている私たち。この関係が心地よい。言葉によるコミュニケーションが無くても、安心する。滅多に会えない友人同士だけど、変わらない繋がりがある。

昨夜、Chie ArtさんのYouTube動画で、人との関係性が今後変わっていく。という話をされていた。大切な人間関係は、長い時間共に過ごしたか、ではない。これからは、同じ波動かどうかが、大切になるそうだ。出会った頃は、同じような波動だったから夫婦や友人になったけど、月日が経ち、魂成長のスピードにより、波動が変化してくる。波動が違うと、魂の学びの種類も異なってくる。だから、長い時間一緒に過ごしたからという情で、心地よくないのに関係を続ける必要はない。さらに、波動の関係になると、よりドライに軽やかな関係になっていく。滅多に会わなくても、共に過ごす時間が殆ど無くても、互いに大切に思い、相手の幸せを祈ることができる。離れていても、影響し合い、成長していける。きっと、依存や心配などの重いエネルギーを手放すので、物理的に思いを形にしたり、態度で示さなくとも、魂の繋がりを感じ、いつも感謝や愛を送り合えるのかもしれない。

私には、頻繁に会う友人は一人もいないが、大切に思う相手は数人いる。私にとっては真実の友なのかもしれない。

例えば、10年に一度くらいしか顔を合わさないが、偶然再会した時に、互いにキーマンになる関係性がある人。困っている時に、なぜか再会し、その人の紹介で道がスルッと開ける。しかし、その後は、あっさりしたもので、連絡も取り合わない。大切な人だけど、離れていてもまったく気にならない。不思議な信頼感がある。相手に何も期待していないが、不思議な偶然が長いスパンで、思い出したように繰り返される相手がいる。

あっさり、さっぱり。でも、どこかで繋がりを感じる人。チエさんが言ってるのは、こういう関係性なのかなあ?と思った。

反対に、大切にしなきゃ、と思考で考えて、外から見た評価を意識した相手には、なぜか会えなくなった。特に2020年以降。確かに、会うとエネルギーをかなり消耗するし、自分を偽らないと良好な関係を築けない相手ではある。嫌いではないし、その人の幸せも望むし、感謝もしているが、身体と心が、ガチガチに荒む。どちらが善い悪いではなく、魂の学びが違うのだと思う。だからと言って、わざわざ別離宣言しなくとも、自然に会わなくなるので、そこに罪悪感を感じる必要はないということだろう。私には私の学び。相手には相手の求める学びがある。尊重し、離れる。そっと。

話は変わるが

江戸川へ向かうために、友人三人と、バス停で待っていたところ

若い男性が、急に怒鳴りつけてきた。

友人ひとりに向かい、「お前、ストーカーだろう!」と怒鳴ってくる。

「え?違います。」キョトンとする友人。

「ストーカーじゃありませんよ。お巡りさんにお話を聞いてもらいませんか?」私は彼に話かけ、幸い、バス停前にあった交番に彼を誘った。彼は大人しくついてきた。

お巡りさんは、彼に優しく椅子を勧めてくれた。拒絶も疑いもなく、話を聞こうというあたたかさが伝わってきた。彼は机に突っ伏した。恐怖の妄想に苦しんでいる彼を、どうしたらよいか迷ったが、お巡りさんは、「バスでしょ。行って大丈夫ですよ。」と後を引き受けてくれた。「お巡りさん、よろしくお願いいたします。」私は、頭を下げて、直後に来たバスにすんなり、乗り込んだ。

「○○ちゃん、慣れてるね。」友人たちが驚いていた。「図書館にこういう人、来るから。」と答えてから、過去に図書館で関わった、心を病んでしまった利用者さんたちを思い出した。みんな、急に怒ったり怒鳴ってきたり、最初は怖かったけど、接するうちに、皆、本心は怒りたくないのだと理解できた。時に爆破しそうな感情を抑えようと葛藤したり、たまに優しい言葉を発してくれたりする姿を見て、それぞれの方の中にある美しい部分を感じてきた。大きな大きな学びに繋がった。彼らの苦しみの嵐の中を、ただ側にいて穏やかに見守るしか出来ることは無かったけど、一人ひとり、違う学びに向き合っているんだなあと、しみじみ感じたものだ。

バスに揺られながら、先ほどの若者を思い、光をイメージして、彼の魂に光を注いだ。

恐怖や不安の原因は、殆どが自分の頭の中だけに生じている。自分が憎い敵と感じる誰かも、実は無実であり、そっと見守ってくれていたというのが真実かもしれない。

私にも、あなたにも、あの人も、誰かにも

すべての存在の魂は、神性であり光である。

そして、それぞれのペースで学んでいる。

あの人の苦しみは過去の私の苦しみ。かの人の輝きは、未来の私の光。







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