欠真間について(地名の由来を調べたい時に)

令和7年12月10日(水)

【欠真間について(地名の由来を調べたい時に)】


「妙見菩薩像の謎を追う旅~国府台・歴史博物館巡礼」及び「永遠の光を国府台で見つけた」12月10日投稿ブログで、「欠真間」という地名について少し触れているが、由来を深めていくととても面白かったので、あらためて詳細を投稿することとしました。

特に最後に紹介している、浦安市立図書館の「地域資料で調べよう!」という記事がとても参考になり、読んでいて楽しかったので、ぜひご覧ください。あなたの住んでいる町の名前の由来などをぜひ、この投稿記事を参考に調べてみてはいかがでしょうか?


欠真間 地名 由来

千葉県市川市にある「欠真間(かけまま)」の地名の由来には、主に2つの説があります。一つは、土地の崩壊した状態を表す「ママ」が欠けてできた土地という地形に由来する説、もう一つは、戦国時代の戦乱で真間周辺から移り住んだ人々が、本村の真間から分かれたという意味で名付けたという説です。

地名の由来に関する主な説

1. 地形に由来する説

「ママ」とは、急傾斜地や崩れた崖地を指す言葉で、アイヌ語の「メェメェ」が転訛したものと考えられています。この「ママ」が欠けてできた土地、つまり崩壊した崖地の土砂が下流に堆積してできた土地という意味で「欠真間」と名付けられたという説です。

2. 移住者の故郷に由来する説

戦国時代に国府台周辺で起こった戦乱により、真間(現在の市川市真間)周辺の住民が生活苦からこの地に移り住みました。その際、故郷である真間から分かれた土地という意味を込めて「欠真間」と名付けたという説です。

欠真間の歴史と現在の状況

広範囲にわたる旧地名

古くは、市川市南部の行徳地域、浦安市北部、さらには江戸川区の一部を含む広範囲を指す地名でした。現在の福栄には「欠真間三角」という地名の名残が見られます。

住居表示による変更

昭和の住居表示変更により、「欠真間」という地名は現在の市川市欠真間一丁目および二丁目のみとなりました。

関連する地名

真間(まま)

「真間」は、万葉集にも歌われた古代からの地名で、市川市にあります。この「真間」も「ママ」という地形を表す言葉に由来すると考えられています。


《参考サイト》


市川のまち 地名の由来

https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/000276548.pdf

000276548.pdf



https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1511000031.html

国府台・堀之内界隈 | 市川市公式Webサイト


https://library.city.urayasu.chiba.jp/teiten/teiten/before-urayasu.html

地域資料で調べよう!さがそう!浦安の成り立ちと歴史 ~「堀江ねこざね」からわかること~



こういう貴重な資料も自宅にいながら閲覧できてしまうなんて、すごい時代になったものだ。




国立公文書館デジタルアーカイブ

葛西筋御場絵図文化02年

文化2年(1805)作成された、江戸近郊に設定された幕府の御鷹場の地図です。文化7年以降、幕府が地誌の編集資料として昌平坂学問所に集めた書籍に捺された「編修地志備用典籍」の印があります。「葛西筋」とよばれた武蔵国葛飾郡・埼玉郡・下総国葛飾郡にまたがる一帯にに設定された鷹場の地図です。村名は、葛飾領は○、下総国行徳領は△と形の異なる図形の中に書かれています。その他、御膳所・街道等が記載されています。

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