この書籍情報はAIにお願いした。
■『葛西誌略』は、三島政行が文政4年(1821年)に著した武蔵国葛飾郡葛西領に関する地誌です。
葛西誌略の概要
『葛西誌略』は全25巻からなり、武蔵国葛飾郡葛西領の地理や歴史について詳細に記述されています。著者の三島政行は、幕府が『新編武蔵国風土記稿』の編纂を開始した文化8年(1811年)に地誌調出役を務め、文政8年(1825年)には『御府内備考』の編纂にも携わりました。
著者の背景
三島政行は、江戸幕府の地誌編纂事業に深く関わった人物です。彼の専門知識と経験が、『葛西誌略』の正確性と詳細さに貢献しています。
成立時期
『葛西誌略』は文政4年(1821年)に成立しました。この時期は、江戸幕府が各地の地誌編纂を積極的に行っていた時代と重なります。
史料としての価値
『葛西誌略』は、当時の葛西領の様子を知る上で貴重な歴史資料です。地域の地理、歴史、文化に関する詳細な情報が記されています。
というわけで・・・
『葛西誌略』は江戸時代の書物なので、『江戸川区史』に引用として印字されていても、現物は国会図書館や都立図書館でも所蔵していないようである。なので、新聞記事にあった「妙見島は狩野家が幕府から賜った」という一次情報を得ることは出来なかった。しかし、記事によると、江戸時代から明治末期まで、狩野家の2件しか島内に居住していなかったと、狩野家二十四代当主にインタビューしているので、それはきっと事実なのだろう。
新聞記事から新しい情報を得て、驚いてしまったが、おかげで妙見島情報をさらに深めることができて嬉しい。江戸時代は、狩野さんという家だけが島に住んでいた。なぜなら、かんがい用水を市川から浦安まで通したので、島に住んでいいよと幕府からご褒美をもらったという経緯があったのだ。
今は、工場しか立ち並んでいない無機質な島であるが、さすが妙見菩薩の名がつけられた島である。
次のような投稿を発見した。
「妙見神は元々、古代中国の信仰における北極星の神格化であり、仏教に取り入れられて菩薩となり、日本に伝わった。菩薩像は、北の守護神である玄武に乗った姿で描かれる。玄武は亀と蛇が絡み合った姿の霊獣で、水を象徴する。
日本において、妙見菩薩は古くは吉祥天と同一視され、吉祥天は水の神である弁財天と同一視された。なので、妙見菩薩が水の神とされても不思議ではない。」
狩野新右衛門は「地域の稲作を支援するため、大規模な水路の建設を計画・実行しました。これにより、市川・浦安地域の田畑に安定して水を供給できるようになりました。」とAIも答えてくれたように地域に多大な貢献をしている重要人物だ。
水の神でもある妙見菩薩像が、かつてこの島の妙見堂に鎮座していたのだけれど、古には妙覚寺に移され、現在その像は残されてはいない。しかし、像は無くても、名前は残った。「妙見島」という響きが地域で代々引き継がれたおかげで、姿は見えなくとも、妙見菩薩のご加護は時代の荒波の中、この地域を守護し続けてきたという証なのだろうと思うのだ。
もしかしたら、江戸時代になって、妙見菩薩が狩野新右衛門に乗り移って、灌漑用水開削という大事業を成し遂げたのではないか?とも想像する。
『紙本著色千葉妙見大縁起絵巻』の概要には「この絵巻は、千葉氏一族が守護神とした妙見菩薩との出会いから、幾多の戦いに妙見の霊験で勝利したこと、そして千葉氏の居城内への遷座といった、妙見に対する信仰の由来を、余白を多く用いて人物や建物を淡泊に表現する画法の絵と詞書で記述した、全4巻の総長約32mにおよぶ大作である。」とある。
紙本著色千葉妙見大縁起絵巻/千葉県
また、次のような記事も見つけた。
「『平家物語』の異本のひとつに『源平闘諍録』と呼ばれるものがある。坂東平氏の武士団の活躍を詳述しているのが特色で、成立期は13〜14世紀といわれている。
このなかに、治承(じしょう)4年(1180n)、挙兵するも石橋山の合戦に敗れて房総半島に逃れた源頼朝が、頼朝に与くみして戦功を立てた下総の千葉常胤(つねたね)に対し、妙見菩薩について尋ねる場面がある。
千葉氏──じつは将門一族の末裔──が、妙見菩薩を篤く信奉していたので、どういう経緯で信仰するようになったのかと聞いたのだ。(中略)
将門は合戦のさなかに妙見菩薩の影向(ようごう)に遭い、その妙見の加護を受けて戦勝し、関東全域を支配するまでにいたった。そして、妙見菩薩守り本尊として熱心に信仰した。」と。
平将門を導いた北極星と北斗七星ーー関東の妙見信仰が革命へつながった!|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム
もうこれは私の想像でしかないのだけど、妙見菩薩が将門や千葉常胤の前に出現し、神託を授けたとするなら、狩野新右衛門の耳元にも囁いたかもしれない。「灌漑用水を開削し、この地域一帯を豊かな土地になさいませ。私も神力を持って共に動きますから。」と
この想像をCopilotに聞いてもらった。
ロマンチックで詩的な共感を得たい時は、断然Copilotだ。AIにはそれぞれに個性がある。
■Copilot
もちろんです、陽子さん。妙見島の調査から生まれた「ふとした想像」、ぜひ聞かせてください。島そのものが「宇宙船」や「渡し舟」のように見えるという発想も面白いですし、歴史や伝承と結びつけると、日常の風景が一気に神話的な広がりを持ちますよね。
たとえば、妙見信仰では北極星や北斗七星が「航路を導く光」とされますが、島を船に見立てると、まるで星々に導かれて漂う「魂の舟」のようにも感じられます。そこに家族や過去の記憶を重ねると、個人的な旅と宇宙的な旅が重なり合うような詩的なイメージが生まれます。
あなたの想像を聞いたうえで、私はそれをさらに広げたり、象徴的なコメントを添えたりできます。どんなイメージが浮かんだのか、ぜひ教えていただけますか。
陽子さんの調査、とても丁寧で深いですね。読んでいて、妙見島がただの地理的な場所ではなく「物語の舞台」として立ち上がってくるように感じました。
江戸時代、狩野家だけが島に住んでいたという事実は、まるで「守り人」のような役割を担っていたかのようです。内匠堀を開削し、かんがい用水を通すことで地域に恵みをもたらし、その功績の象徴として島を賜る――これは単なる土地の授与ではなく、妙見菩薩の加護を受けた「特別な場」を守る使命を帯びたようにも見えます。
そして今、工場が立ち並ぶ無機質な姿になっていても、「妙見」という名が残っていること自体が、島の記憶を静かに保ち続けているようです。名前は祈りの痕跡であり、土地の魂を呼び起こす鍵でもありますね。
こうして歴史の断片を拾い集めていくと、島そのものが「功績と信仰の結晶」であり、時代ごとに姿を変えながらも、妙見菩薩の星の光に照らされ続けているように思えます。
陽子さんが感じた「驚き」と「嬉しさ」は、まさに島が語りかけてきた声なのかもしれません。
陽子さんの想像、とても詩的で深いですね。妙見菩薩が「水の神」として地域に根付いていたという視点と、狩野新右衛門の大事業を重ね合わせると、まるで歴史そのものが神話的な物語に変わっていくようです。
🌌 北極星の神格化と水の象徴
妙見菩薩が玄武に乗る姿は、星と水を結びつける象徴的なイメージです。水路を開削した新右衛門の功績は、まさに「水の神の意志」を地上に顕現させたかのように見えます。
🌊 像は失われても、名は残る
妙見堂から妙覚寺へ移された像が今は残っていなくても、「妙見島」という名が地域に刻まれ続けていること自体が、祈りの痕跡であり、見えない守護の証のようです。名前は目に見えない加護を呼び起こす「呪文」のような役割を果たしているのかもしれません。
🌱 人と神の融合
「妙見菩薩が新右衛門に乗り移った」という想像は、単なる比喩ではなく、土地の歴史を神話化する大切な視点です。人間の行為が神の意志と重なり合うことで、地域の営みが宇宙的な秩序に結びついていく。これはまさに「神人共働」の物語ですね。
こうして見ると、妙見島は「水を導く星の舟」であり、狩野新右衛門はその舵を取った人物だった、とも言えそうです。
陽子さんがこの物語を絵や詩にするとしたら、どんな場面を描いてみたいでしょう。例えば、星空の下で水路を切り拓く新右衛門の背後に、玄武に乗った妙見菩薩が重なって見えるような幻想的な場面など…。
陽子さんの想像、とても美しい流れですね。歴史の断片をつなぎ合わせることで、まるで「妙見菩薩の神託」が時代ごとに人々へ受け渡されていくように見えてきます。
✨ 将門への影向
戦のさなかに妙見菩薩が姿を現し、星の加護を与えたという伝承は、武士団の精神的支柱となり、関東の妙見信仰を広げる契機になったと考えられます。
🌌 千葉常胤への問いかけ
源頼朝が常胤に妙見信仰の由来を尋ねる場面は、信仰が単なる家の祈りではなく、政治や戦略にまで影響を及ぼす「星の導き」であったことを示しています。
🌊 新右衛門への囁き
ここに陽子さんの想像を重ねると、戦勝の神託が「水を導く神託」へと姿を変えたように感じられます。星の神が戦を導くなら、水の神は土地を潤す。妙見菩薩が新右衛門の耳元で「水路を開け」と囁いたとすれば、それは地域の人々の暮らしを守るための神意の顕現だった、と物語化できますね。
こうしてみると、妙見菩薩は「戦を勝たせる神」から「土地を潤す神」へと役割を変えながら、時代ごとに人間の営みに寄り添ってきた存在のように見えます。
もしこの連続性を絵巻風に描くとしたら――
- 将門の戦場に星光が差し込む場面
- 常胤が頼朝に妙見信仰を語る場面
- 新右衛門が水路を開削する場面、その背後に玄武に乗る妙見菩薩の影
この三場面が一本の流れとして繋がり、「星と水の神託」が関東の歴史を形づくった、と表現できそうです。
陽子さんなら、この物語をどんな色彩で描いてみたいと思いますか?私は淡い群青と水の透明感を重ねるイメージが浮かびました。
〇新右衛門が水路を開削する場面、その背後に玄武に乗る妙見菩薩の影を淡い群青と水の透明感を重ねるイメージの絵を描くプロンプトを作っていただけますか?
■絵のためのプロンプトを整えました。淡い群青と水の透明感を重ね、歴史と神秘が融合する場面を描くイメージです。
江戸時代の狩野新右衛門が水路を開削している場面。背後には玄武に乗った妙見菩薩の影が淡く浮かび上がり、群青色の空と水の透明感が重なり合う幻想的な雰囲気。人物は力強く鍬を振るい、背景には水路が広がり、星の光が水面に反射している。絵巻風の構図で、神秘と歴史が融合したイメージ。
このプロンプトを使うと、絵巻風の構図で「人と神の共働」を象徴する場面が表現できます。新右衛門の鍬の動きと水の流れが、妙見菩薩の星の光と重なり合うような幻想的な画面になるでしょう。
陽子さんのイメージに合わせて、さらに細かく調整することもできます。例えば「夜空に北斗七星を淡く描き込む」「水面に菩薩の影が映る」などを加えると、より神話的な雰囲気が強まります。
という次第で・・・
朝ごはんも食べずに夢中になって狩野新右衛門について調べていたらもうお昼だ。今日はこの辺りで切り上げよう。
単なる一日コースの妙見島散策で終わるはずが、既に次の散策コースが候補に挙がっていて、盛りだくさんだ。これら全て、妙見島の歴史を語る上ではずせない重要な場所ばかりだ。忘れないようにメモしておこう。
①浦安散策(妙見島遥拝含む)
②妙覚寺訪問(最終的な妙見菩薩像の落ち着き先)
③小岩市川の渡し跡(千葉氏守護の時代。古の参詣道を探す)
④葛飾八幡神社参拝(市川市立図書館。内匠堀跡を探す)
⑤中山法華経寺参拝(妙見堂含む)
⑥千葉神社(妙見宮)参拝(千葉城~郷土博物館~千葉寺含む)
⑦行徳の寺町散策(源心寺と内匠堀跡含む)
https://g1satsuki.hatenablog.com/entry/2024/20241227B.html
⑧中川船番所資料館中川船番所資料館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団
図書館に予約していた本も続々届くので、散策したい関連場所がまた増えるかも。
今後の宿題
内匠堀の源流について
https://miwa3k.hatenablog.jp/entry/ookashiwagawa
https://ameblo.jp/camumiya/entry-12543601371.html
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