鏡像の世界で迷走中

 順調だと思っていた。

宇宙や意識や魂のことも、ある程度学んでいたから、私はもう大丈夫だと思っていた。

本当の意味での喪失などないという意味も知っていた。

この意識の正体は消えることもなく、永遠に形態を変化させながら循環する。

記憶は幻想によるデータだから、嘘か本当かなど気にすることも意味は無い。躍起になって探している真実など、どこにもあるし、どこにも無い。どのような見方をしたいかだけだ。だから記憶は、体験のためのツールと言えるし、感情も同じである。

のであるが・・・・私はやはり血の通った人間だった。分かっていても理想通りにはいかないのだ。これが肉体を持つ人間であるということだ。今、私は創造主でも神でも宇宙人でもない。この地球で唯一無二の体験をしている意識である。

闇落ちしたのは3月29日の夜だった。

ある段階で大規模な自我の逆襲を受けるらしいことは本などで知っていた。自我は持てる最大限の力を発揮して、深い闇に対峙させてくる。

ある意味、自我は私が望んだ体験を実現させるために、必死になって約束を守ってくれている。健気な存在でもあるのだ。こんな形の愛もあるのだと思う。自我は敵ではない。

イタリアの巡礼路サンティアゴ・デ・コンポステーラを舞台にした映画をたまたま見た。事故死した息子の遺骨をバックパックに入れた父親が、巡礼の旅に出る物語だった。そこで、ふと符合を感じたのだった。この2か月余り、私は先祖のルーツを辿る巡礼路を歩いていたのではないだろうかと。父につながる血の系譜を辿ることは、私にとって発見の旅そのものであった。私はこのような内的巡礼を無意識に選択することで、喪失感を別のエネルギーに転換しようとしていたのかもしれない。なぜ、取りつかれたように父のルーツを調べ続けたのだろう。系譜につながる人々の名を掘り起こし、先祖の墓所を見つけるために奔走していたのだろう。その理由をはっきりと説明することは出来ない。ただ、そうしていると、喪失感に直面しなくて済むと無意識に逃げ道を用意したのかもしれない。しかし、見ないようにしていても、心の中に覆い隠した感情は消えるわけではない。いつかきちんと対面し、感じ切るまでは、その感情のエネルギーは消えることはない。自分がそこに向き合えるようになるまでいつまでも待ってくれている。忠犬ハチのようで、その意味では誠実なエネルギーだ。

自分でも不思議なのだが、先祖調べと合わせ、実家の相続登記についても、かなりの熱量で書類作りに没頭していた。早朝4時から一日中パソコンに向かってヘトヘトになっていても、その作業をやりたくて仕方がないのだ。まるで中毒患者のように、その作業に惹きつけられてしまうのだ。この脳内の暴走は何を意味していたのだろう。一言で現実逃避と言ってしまえばそれまでなのだが、人間はそんな単純に表現できるものではないとも思う。言葉にするとどれも嘘っぽい。

そして、闇落ちのタイミングが訪れた。

補足:うつ病患者が休職する前段階で、ワーカーホリックになっていることはよく知られている。肉体の仕組みとして脳内にアドレナリンを放出することで、一時的に活動量が増える。本人はいくら動いても疲れないので、実は自分は元気なのだと錯覚する。しかしそれは最後の力を振り絞って「限界ですよ。心身をしっかり休めてください。」の生存ギリギリサインであるのだが。そして心身のエネルギーを本当に使い果たし、パタッと電池が切れたロボットのように、動けなくなってしまうのだ。これは、過去に二度もうつ病により休職した経験があるため、実体験として理解している。今回はうつ病ではないのだが、脳内の反応として似たような働きを感じた。また、陰陽の法則からすると、陽に傾きすぎると、無意識に陰を取り込んで調整しようとするのは自然の働きだろう。

3月30日。すべてを手放したくなった。どの関係もしがらみにしか感じられなくなった。その日、仕事をしていたのだが、作業をしながら私は泣いていた。私の内奥に真っ黒の何かが、しっかり存在しているのが分かった。あらゆるネガティブの集合体のようなエネルギーだ。私はその真っ黒のエネルギーを感じて、不思議と愛おしいという感情を持った。「ありがとう、ありがとう。私の体験を実現するために今まで存在してくれてありがとう。」と心の中でつぶやきながら、涙を流した。

前日までは考えてもいなかったことだが、私は大切な友人達と設立した団体を退会した。意味が分からないが、そうせざるを得なかったのだ。これからずっと共に学び合っていくのだと素直に思っていた。28日に一緒に開催した講座は大成功をおさめ、喜び覚めやらぬタイミングでもあった。その愛おしくも大切な関係を自ら壊した。友人たちは、私の選択を尊重してくれた。理由は書こうと思えばいくつもあるのだが、どれも本当のようでもあり、本当でないような気もした。ただ、3月のうちに、あらゆる関係をリセットしなければならないという思いしかなかった。

分からないのだが・・・今ふと連想するのは、学校の卒業式の心境である。

慣れ親しんだ学び舎で、大好きな友達と、ずっとずっと、このまま過ごせたらどんなにいいだろう。その気持ちに嘘は無い。時が止まってしまえばいいのにと何度も思う。それでも卒業という区切りは否応なしにやってくる。悲しいし、寂しいし、大好きな友のいない明日からの新たな環境に不安もいっぱいあるけれど、それでも手を振ってお別れしていくしかない。あの心境にとても似ていると思った。何のための卒業なのか。新しい体験のため、そして次なる成長のためと今は言っておこう。

実家の登記の書類づくりもすべて手放した。エゴからすれば、「せっかくここまで作成したんだから。後は提出だけなんだからもったいないよ。」と主張するだろうが、「これは私がやるべきことではなかった。」と思い至ったのだった。冷たいようだが、実家の様々な思惑に自ら「飛んで火に入る夏の虫」になる必要はないと目が覚めたのだった。様々に残された問題を解くのは当事者たちである。彼らの宿題を肩代わりすることは優しさではない。そろそろ私は見守るということを覚えたほうがいい。つまり自分に対しても相手に対しても、「魂をリスペクト」するということを実践していくということだ。

三次元的に見れば私はとんでもない無責任人物だ。途中で訳の分からない理由で投げ出してしまうのだから。築き上げてきた信頼を失うのは間違いない。

しかし、築き上げた信頼は、ハリボテの私が周りを欺いたからこそ築いた砂の城でしかない。私は、光があまりにまぶしくて、そこに映し出される自分の影があまりにもくっきりと見えてしまって、「光の世界にあこがれて、光の住人になったつもりでいても、私の影は真っ黒なのだ。」ということを理解したのだと思う。

29日、闇落ちする直前に、私は珍しく酔っぱらって夫に心境を語った。おそらくこれが一番本音に近いのではないかと思う。

「やってみたかったの。いい人になってみたかったの。役に立ってみたかったの。でもね、やってみたかっただけで、私はいい人ではないし、役に立つ人間であり続けることもできない。飽きっぽいし、続けることが苦しくなってしまう。ただ、ただね。いい人をやってみたかったの。それだけなんだ。」

父を亡くして、どんな感情を抱いたらいいのか、分からないまま過ごしてきた。どんな弔い方をしたとしても、私の内面はなんとなく空虚だった。この二か月の私は、私であって私ではなかった気がする。三面鏡の合わせ鏡の中の私であるようで、本物に見えるけど本物ではない私が数えきれないほど存在していて、意識があちこちに飛んでしまっていたようにも思う。これが私!と言える確証は何もない。展開されるドラマも湧き上がる感情も、鏡像の世界で起こっているからだ。そして私はそれをただ見ている。

いよいよ、明日から新しい仕事が始まる。

次なる鏡像に、私は何を「やってみたかった」を実現させるのだろうか。

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