アンクという智慧①

 引き続き、ANKH MEDIA 小出遥子さんの番組より、学んだことを記録しておきたい。

まず、わたくしごとから。ブログに変遷を書いてきているが、空からのインスピレーションで到達したのが、「アンクを使え!」だった。

そもそも、アンクが何を表すかもよく分からない。エジプト十字がアンクを表現していることが分かり、突き動かされるように、そのエネルギーをパステルで描いてきた。どうやら、生命力や、命の巡りに関係することが、薄っすら理解できてきた。

そして、友人Mさんからシェアされたのが、そのものズバリ、アンクを紹介するYou Tube番組だったわけだ。Mさんに出会わなければ、アンクの謎は解けなかったと思う。アンクという智慧の世界への扉が、私の眼の前に突如として出現したのだった。そういう意味で、アンクは鍵だと言う古代エジプト語は、うまい表現だ。

アンクというキーワードに導かれ、どこに誘われていくのか分からないが、後からプロセスを確認できるように、ブログに記録しておこうと思う。

もし、読者の方で、私と同様に、何となくアンクというワードに惹かれる方がいらっしゃれば、共に謎解きを楽しみましょう!


☆TANDENメソッドがもたらす真の覚醒とは?

◆覚りのイメージ

何があっても大丈夫になり、落ち着いていること?

正解の形やゴールがある?

◆TANDEN−DO

私というストーリーから解放=探究卒業

どこも目指さない

特別な境地へ至るための道ではない

アンクという智慧=何かのゴールを目指して実践するものではない。自由であるというあり方を示すもの。

決められた正解から自由になる

べき・ねば・はず という思いを外す

◆正解はどこにある?

正解は頭の中、思考の中にしかない

ストーリー

フィクションそのもの

オドオド、ビクビク、分離、分断を生む

過去、未来は頭の中で起きている

◆肚に意識がおさまるとどうなるか

正解、不正解のとらわれから自由になる

こだわりがなくなる

◆センタリングライフ

真ん中は結果として立ちあらわれる

センタリングライフは目指すものではない

周辺の無い中心へは、ねらって行けるものではない

バランスを取ろうとした瞬間、バランスは崩れる

体の感覚(呼吸、鼓動)は、今ここで起きている

◆覚りは干物にしてはならない!?

覚りはいつもingの中にある

なまもの

とどまることがない。不断の運動

今ここにあるこれに動的に落ち着いていく

◆渦感覚

肚感覚に落ち着く=ひとつとして共にある

何も無いけどすべてある

こだわりたくてもこだわれなくなる

常に巡る中にある

現在進行形の象徴

固定化できない

毎瞬新しい

渦そのものとして、ただ、ある

◆私たちは、覚りに何を求めているのか?

頭は不安なので落ち着き場所を探している

言葉として保管しようとしている

言葉は見せかけの安心でしかない

皆が求めているのは「安心感」しかない

◆覚り=安心感

自ずからそのようになっていく

どうあっても大丈夫

視聴メモをここまで整理してきて

はたと、気がついたことがある。

昨日、ライフキャリアシート体験についてブログに記録した

直霊(なおひ)への旅とタイトルをつけていた

言葉を使うと、共通概念が必要となり、解釈が発生し、「いや、あなたのそれは直霊ではない。直霊とは、◯◯である。」などなど、俎上にのせられ切り刻まれ、新鮮さを失い、別物となっていく。

それでも、私は書くという選択をした。

言葉に置き換えた時点で、既に別物になっている。それを分かった上で、せめて、その瞬間の空気感や躍動を残せないかな?と、遊んでみた。

変な話だが、頭を使わずに読んでもらえると、いいのかな~。と思う。すべてはエネルギーなので。

と、前置きが長くなりました(笑)

そうそう

ライフキャリアシートも、アンクのひとつだった!

と、今さら気がついたのだ。

私が誘われた内奥の領域には、ただ、流れという体感があった。ただ、ある。だから、ストーリーは何も発生しない。

その体感をした上で、施術者からの質問に答えていると、答えはどんどん俯瞰的+シンプルになっていく。

私の答えが思考から来ているか、奥の領域からきているか、わかりやすいかと思う。

小出さんは、「渦」と表現されていた

私は、渦かどうかは分からないが、ひたすら「動」だったので、流れと表現した。

流れとは一定方向に向かうニュアンスがある。私の感じた動きは、バラバラにぶつかり合うような動ではなく、調和的動だ。

それを「私ではない、大きな意志が、新しく生み出したい!」という思いに突き動かされ、流れている。と表現した。

一瞬一瞬

新しく生まれている。

生と死が∞の結び目で絶えず交差している

表になり裏になり

ぐるぐる反転し

巡る動き

そこに生命がある

という体感を得ていた。

この感覚を小出さんは「肚感覚」として伝えてくれていたのだろう。

人によっては、胸の位置に感じるかもしれない。私は体の奥の方という受け取り方だった。

正解は無い。

このように

私が感じる宇宙に遊ぶ

より自由に、よりシンプルに

純粋な真ん中の光(直霊)とともに

今ここで、楽しもう。



夕方の空に、鳳凰と龍らしき雲が。
尻尾で繋がって合体している
龍らしき雲。私には端正な顔が見える。

鳳凰らしき雲。翼を広げている。

鳳凰と龍

別々のエネルギーだけど

繋がってもいる

陰陽図にも、メビウスの環にもつながりそうなメッセージだ。

私の体の奥の流れる体感は、もし雲で表現するアートなら、このようになるかも。空もなかなか独創的アーティストだ。

私たちの脳は、それぞれに、違いを見出し、別々に名前をつけて、せっせと分断し、ラベリングに勤しんできた。頭の中の思考は、その分野は得意なので、優位に働いてくれた。

脳の創る現実(幻想)は魅力的だから、つい遊んじゃうんだよね。



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