食べる時の祈りの言葉 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 24, 2022 尊敬する知人が、FBでシェアしていたお祈りの言葉を紹介したい。最近、食事をする時に、「いただきます」だけじゃ物足りない気がしていたのだが、これはとても心に響いたので、毎回唱えたいと思う。***********天地(あめつち)のお恵みとこれを、作られた方々のご愛念を感謝していただきます。この食べ物が私たちの体の中に入って自他共にお役に立ちますようにいただきますありがとうございます(百姓屋敷わらHP 船越康弘さんの言葉) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
和解〜そして次なる冒険へ 10月 05, 2024 私は、とある人物へ向けて、報告のつもりでこのブログを書いている。 殆どの方々にとっては、一個人の取るに足らない日常の記録である。 しかし、一個人ではあるが、魂の成長のささやかな記録でもあり、宇宙全体を織りなす一筋の糸であることも確かだ。 もし同じように人生の駒を進めている方がいるのなら、答え合わせの意味もあるのかもしれないので、そっとここに書き綴っておこう。 ご縁は人知を超えて紡がれているものだから。 ☆母と義父の和解 10月5日 母と姉が我が家に、四十九日前のお参りに来てくれた。 夫の父親が9月20日に群馬県の病院で息を引き取った。その日のうちに御遺体を東京へ搬送し、三日後には滞りなく荼毘に付すことが出来た。義父の表情は清らかで、満足そうに微笑んでいた。意識不明のままの四カ月、点滴だけで命をつないでいたのだが、やせ細ることもなく、まるで幼子が安眠しているかのようなスッキリしたお顔で、静かに逝ったのだった。 夫の両親と私の両親の確執は、30年ほど前に遡る。このブログの題材に取り上げたこともあるので詳細は省くが、要するに、私の両親は夫との結婚に大反対で、私はいわゆる勘当された娘であった。結婚前に、夫の両親が遠路はるばる私の実家へ挨拶に訪ねてくれたのだが、玄関先でけんもほろろに追い払われたのであった。義母はその時、たいそう傷ついた。その後、義母は癌を発病しこの世を去った。義父は大きな喪失感を抱えながらもその後30年、頑張って寿命を全うした。 玄関先で追い払われて以来、私の実家と夫の両親の交流は行われなかった。20年ほど前から、夫は私の両親に受け入れられ、何とか関係を修復してはいたのだが、義父と私の両親は顔を合わせることは無かった。 私の父は今年の1月に亡くなった。父が生前書きつけていた備忘録のようなレポート用紙に、「〇〇くんのお父さん」と、メモが残されていた。死ぬまでに、何とか縁をつなぎたいという思いを残したのだろう。父なりに、悩んでくれていたのだろうと思う。両親が義父に会いたいと申し出てくれたのを頑なに拒絶していたのは、私の方であった。もうこれ以上、夫の家族を傷つけたくないという思いもあったが、どちらかというと、自分の心の闇に向き合うのが怖かったのだろうと思う。この闇については、2021年秋以降、催眠療法を学ぶ過程で、少しずつ癒しを進めてきた。私は、心の奥底... 続きを読む
透明になっていく 8月 03, 2021 毎日暑い。 皆さん、体調は如何だろうか。 私は、熱中症には気をつけているつもりだが、昨日朝、職場である図書館へ歩いて向かう際に、(徒歩2分の近さ!)太陽光線の強力さに、微かな吐き気を感じ、ヤバイと思った。水をガブ飲みし、直ぐ様排出されてしまう。水は常温でチビチビ飲むのが鉄則。分かっちゃいるが、冷たいミネラルウォーターを一気飲みする爽快感から抜けられない。いつまでも若者気分では身体はついていかない。自分のことは棚に上げて、何だが、暑さ本番、気をつけてください。 今朝は、野菜たっぷり、鶏肉トマト味スープをコトコト煮込んだ。冷蔵庫にある野菜類を適当に切り分け、チキンコンソメとトマトの缶詰で味付けしたシンプルなスープ。 弱火でコトコト煮ながら、際限なく出現するアクをひたすらすくっていく。すくってもすくっても、アクは漂う。 若い時は、料理が嫌いだった。アクをすくった試しはなかった。煮込み料理は、アクまみれのまま食卓に。理由は、面倒だから。別に、アクを食べたって、病気になるわけじゃないし。面倒くさがりながら、やっとの思いで作ったカレーやスープを何も言わずにモリモリ食べてくれていた夫には、感謝しかない。味は、濁っていたんだろうなあ。雑味まみれの料理は、私の精神そのものだったろう。 定職を離れ、二年近く静養し、最近始めたアルバイト。昔の自分の未熟さを思い知らされ赤面することが多い。図書館の指導役の方を見るにつけ、目に見えるほんの一部の狭い狭い世界だけを見てそれが全てだと疑わなかった自分と今、現実を通して対面している。当事、私がいかに周りに許されていたのか、痛感しすぎて胸が痛い。あれもこれも、昔の私、そのものだ。片寄った正義感で断じていく危うさ。これが因果応報なのだろうか。私が発したエネルギーは、やがて確実に自分に還ってくる。自分が過去してきたことなので、都度、反省とともに体験する。その度に、当時の相手に向かい、心の中で謝罪する。「あなたを受け入れなくて、許せなくて、信じなくて、ごめんなさい。」と。謝る相手は山ほどいる。いつ尽きるかわからない。 そんなことを思いながら、今朝のスープ作り。アクを根気よくすくう。少しでも透き通った味になりますように。濁りを発見し、一匙一匙、取り出していくのみ。アクも、人生には大切な醍醐味だ。雑味があったからこそ、人生は彩り豊かになった。苦味、苦... 続きを読む
かみさまはしゃべらない 5月 28, 2021 ブログを始めて一週間経ちました! 開設を知らせたのは知人5人 あたたかく見守ってくださる 信頼している方たちです それぞれに自立して、しっかり地に足をつけて生きていらっしゃるので 私の、目に見えない世界の 迷走探検記であろうと 成長の一過程と、捉えてくださっていると思います そっと覗きにきてくださる皆様 励みになります ありがとうございます。 そして、この一週間で 150人(回?)の閲覧がありました 実際に投稿を読んでくださった方は もっと少ないと思いますが このブログが会ったことのない人々の 目に触れているのだなと思うと 気を引き締め取り組もうと やる気も漲ります 歩みは鈍いかもしれませんが 一歩一歩、自分の成長につながるよう 真実を求めて進んでいきたいと思います さて、タイトルにある件ですが 昨日投稿の面白い本 杉山響子さん著 「物の怪と龍神さんが教えてくれた大事なこと」より こういう視点もあった方がいいなと感じた部分がありましたので、紹介しますね 明治神宮のご神木からのメッセージ 戦争になる、ならないを決めるのは神ではない。人間だ。人間が未来を作り、神はそれがどのようなものであってもその未来の中で人々に寄り添っていく 昭和の(自称)神様は 苦しいのは先祖のたたりだから供養が大事 わが神にお布施をすれば先祖を救済できる と説いた 新しい時代の(自称)神様は 苦しみから解放されようとうたうことが多い 苦しいのは魂が痛がっているのだから救ってやらなければならない だから苦しみから逃げましょうと問題から顔を背けることを勧める どちらも魂の成長には言及しない 人は艱難辛苦を通して成長するために生まれてきたのに、その艱難辛苦に寄り添い、それを乗り越える苦労を分かち合おう、苦難の山の頂から昇る朝日を共にことほごうという神様はいない 聴く者の生きる気力を奪い、考えることをやめさせたい。彼らの心を支配したい 人のマイナスエネルギーを欲する 今やそうした新しい(自称)神が雨後の竹の子のように生まれてきている こうしている今もどこかで誰かに神が下りている。愛が語られ、オーラの色が鑑定され、金運アップ、恋愛成就のお札が飛ぶように売れている 今は感覚の時代なのだ (中略) 意味をなさないエネルギーの暴走は新しい神が最も好物とするものに違いない こうした原始的なエネルギーの吹き... 続きを読む
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