一本の美しい道へ
昨日は、催眠療法のセッションをさせていただいた。
すべて終わり、クライアント様と雑談をしていた中で、立て続けに気付きが起きた。
このクライアント様は、プロのセラピストでもあるので、質問の仕方や、寄り添い方が上手だったのだと思う。
不思議なご縁なのだ。クライアントもセラピスト役の私も、同じような人生課題を抱えていて、奇跡的に引き寄せられたのか?運命?と思わされた。
セッション中のクライアントの気づきは、即、セラピスト役の私の気づきとなっていく。素晴らしい相乗効果!私は、このセッションのおかげで、成長の階段を二段飛びくらいの勢いでトントンッと駆け上がる。
クライアントが課題をクリアにしていくと、私(セラピスト)の課題も浄化されていくのだ。
だれが誰を助けるとか、あまり意味が無いかも。セラピストは、クライアントを助けているつもりかもしれないが、それは幻想で、事実は反対かもしれない。強い人が弱い人を支えているように見えるけど、実際は弱い人が強い人のストレスを癒しているから、強い人は強くいられるとか、すべては持ちつ持たれつ。
誰かを助けることは自分自身を助けることになるというのは、真実だと痛感。すべては、ひとつの源から発しているという宇宙真理が、じわじわ実感されてくる。
こんな相乗効果の奇跡があるから、あなたも私もひとつ。という世界は、信じられる。
さて、雑談の中で、私は20年ほど前の記憶を思い出していた。当時、うつ病で、メンタルが不安定だった頃。仕事が忙しい平日に、姉夫婦と私たち夫婦が、実家に呼び出され、私は不満だった。
父は、自分の死後を考え、私たち夫婦に、重要事項説明をしたかったらしい。私は、その内容で呼び出されたことに、感情を爆発させた。
本音は、父の死など、一番避けたかった未来だったろう。あまりにセンシティブな内容に、理性が保てなくなった。父が将来死ぬかもという前提は、父へ「何て勝手なことを言うんだ!」という怒りに変換された。
それから、二時間くらい、私は過去からの恨み辛みを吐き出した。泣きわめき、怒り狂い、「あんなこと、こんなこと、許せない。ひどい。」と。何百年の溜め込まれたマグマが一気に噴出したら、富士山はこうなるのかも?という派手さだった。
やがて、私の家族たちは、安全な場所に逃げてしまった。みんな隣の部屋に退散してしまった。「○○は、困ったもんだ。」父がこぼしているのが聞こえた。私はもっと悲しくなって、大泣きした。
最後まで、そばで寄り添ってくれたのは、姉、ただ、一人だった。
私は当時を思い出して、クライアントの彼女に話ながら、涙を流した。
「そう、あの時、姉は逃げないでずっと正面に座ってくれて、全面肯定し続けてくれていたの。みんないなくなっても、姉だけは、うんうんって、聞いてくれていた。もしかしたら、あの経験があったから、私はセラピストができるのかもしれない。」
姉は単に逃げ遅れただけだったかもしれないが(笑)
こうやって思い出を語り、当時の感情を思い出していたら、おそらく催眠に入り、潜在意識につながったのと同じ状態になれたのだろう
大いなる気づきがやってきた。
「こう考えると、人生に無駄はひとつも無い。すべてに感謝しかないんだ。最後は、ありがとうしか無いんだね。」
潜在意識につながると、過去のつらい出来事は、捉え直され、光に変換されていく。
この気づきは本当に大きかった。
過去の恨み辛み、怒り、すべてが、「ありがとう」の感謝の光に浄化された瞬間だった。
小さい頃からの、いろんな経験。つらいこともあり、人生を悲観したこともあった。あれもこれも、わたしが催眠療法セラピストとして活躍していくなら、すべて、血肉になっている。無駄は何ひとつ無い。このために、あの経験があった。
すべてが1本の美しい道につながった瞬間。これを統合と言うのだろう。
先ほど、いつもの入浴時の瞑想タイムで、思春期の頃に傷ついたであろうインナーチャイルドに意識を向けてみた。今、どんな状態なのだろう。
金色の炎のビジョン。
縦に細長い。カラーという花が炎に変化したらこうなるのかな。
壮麗な美、清純などを花言葉に持つカラーが金色の炎に変化したのであれば、
無限の美の世界である潜在意識の中で、過去のネガティブな記憶は、ビジュアルにすると、このようなイメージに昇華されたのだろう。
私は、子どもの頃から、気難しいところがあった。
自分でもとらえどころのない、奥底からふつふつと沸き上がる怒り、不快感をどう表現したらよいのか分からなかった。善意で小さな子どものご機嫌を取るような大人たちが嫌でたまらない。可愛くない、刺々しい反応を返しては、善意の親戚たちの中で、次第に浮いていった。時々、不機嫌の発作に荒れている私を、父も、生前の母も、辛抱強く寄り添ってくれた。
私の不機嫌に、さらに上回る不機嫌で返してくる強者に出会うことになったのが、14歳。父が再婚した相手。今の母である。
この頃、徹底的に否定され尽くした姉と私は、生きるために、両親と離れて暮らす選択をした。
私は当時の怒りを忘れられず、姉は、軽々と怒りを手放し、何の拘りもなく老衰した父母のお世話をしている。「覚えていられないの。忘れちゃうの。忘れないと生きていけなかったから。」姉はカラカラと笑う。逞しく、器の大きな姉がいつも眩しかった。
人間関係の問題は、自分の内面が相手に現れるのだとか。だから、いくら外側を何とかしようとしても、何も変わらない。問題は、自分の中で起きている。自分が変われば現実も変わる。この仕組みは、最近知った。そう考えると頷けることばかりだった。
幼少期から、訳のわからない怒りを感じる
⇒素直に表現
⇒まわりから嫌われる
⇒父母に受け入れてもらえているので、図に乗る
⇒甘えが助長する
⇒さらに怒りパワーをまとった人物登場(新しい母)
⇒敗北
⇒遠くに逃げて生きる
⇒ネガティブな感情がいかに人を傷つけるか心底理解する
⇒インナーチャイルドのトラウマが残る
⇒頭は理解していても心が納得しない
⇒精神を病む
⇒ようやく自分の内側と対面
⇒哲学、心理学、スピリチュアルの学び
⇒分かり合える友と出会う
⇒魂の成長
⇒気づきと統合
⇒過去の捉え方が変化
⇒すべてに感謝する気持ちになる
ざっと俯瞰すると、こんな流れになる。
ふと、疑問に感じるのは、幼少期のあの泥々したマグマみたいな怒りや不満は何だったのかというところ。父母は申し分なく私を愛し大切にしてくれていた。甘やかされすぎて、自我が肥大しすぎたのだと言えばそれまでだが、生前の母は時に厳しく叱ってくれていたし、そんなに甘やかされていた自覚もない。一般的な昭和の普通の家族だった。
もう、統合され光に還っているので、今さら深堀する必要はないが、
家庭環境や、両親の育て方に原因がない、その子自身が抱えてきた課題というものが、確かにある。
今思えば、自分が、軽い発達障がいという、脳の障がいを生まれる時にオプションとして携えてきたのではないかと分析している。発達障がいは、私が中年に差し掛かった頃にテレビや本で盛んに提唱され始めたのだが、傾向が似すぎていて、だから生き辛かったのかと、勝手に腑に落ちた。
ただ、普通の健康な脳で生まれた場合、何事もなく平凡な人生を筒がなく終えてしまうので、それでは魂は学べない。脳の障がいをオプションとして選択することで、生き難さを体験し、魂は大いなる学びを実現する。
つまり、どんな人生のドラマも、最終的には、大団円を迎える。今世の登場人物は、寿命を終えたあちらの世界では、感謝感激で、抱き合っているということだ。
本当は
ありがとう
それしかない世界に
私たちは生きている。
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